HOME > THE WORLD > Latinoamerica > Ecuador > Diario > Diario2004 > 041106

エクアドル日記(2004年11月)
11月6日(土) 晴れ(クエンカ)、雨後晴れ(カハス)
11月7日(日) 晴れ後雨(カハス)

われら怪しい探検隊@カハス国立公園 (1)

クエンカのテルミナル。いざ出発。


国立公園入口事務所にて手続き

カハスの典型的風景

森の中に突入

野営地に落ち着き、とりあえず乾杯

飯炊き中

夜、出来上がった人々
⇔ 西林さんへのプレゼント贈呈式

キツキツテント内の風景

今週末は、エクアドルでも有数の美しい国立公園といわれる「カハス国立公園」で1泊2日のサバイバルキャンプを敢行する。カハスはクエンカ市内からバスでおよそ1時間、標高は3800m〜4200mの山々一帯から成る。やや色あせた配色の無数の山々、丘々の間に点在するこれまた無数の湖が織り成す風景が、俺たちを麒麟児か琴風かというようながぶり寄りで圧倒してくる。ただ、今の時期のカハスは雨と霧が多く、キャンプをするにはシーズン的にはあまり良くないそうである。それでなくともカハスの標高から考えて、夜の寒さは半端じゃないだろう。エクアドル人からも色々脅される。
「寒いから、気をつけろ。」
って。そんな時期、なぜ我々はこのキャンプを強行するのか?
それは、クエンカ隊員の西林さん(女性)が、2年間の任期を終え今月末帰国ということで、「厳寒のカハス・地獄の送別キャンプ」として、元ボーイスカウト、キャンプ・野宿経験豊富な俺が企画したのである。

土曜午前10時にクエンカのテルミナルに集合し、ひょんなことからその場で4駆を大きくしたような10人は乗れる車の運ちゃんと知り合い、20ドルで俺たちをカハスまで乗せていってくれることになった。今回の探検隊参加メンバーはクエンカ地区の隊員8名。俺、マッちゃん、モロちゃん、テルさん、大将、関口さん、西林さん、佐々木さん。以上男性6名、女性2名の構成である。

クエンカは晴れ上がり、Tシャツでもいけそうな暑さだった。
「この調子ならカハスも晴れてるかな。」
と希望的観測を口々に挟みつつ、車に乗り込んだ。
だが、予想通りというか、山の天気は変わりやすいというか、日頃の行いが悪いというか、雨男(雨女)がこん中に混じってやがるなコンニャロというか、晴れ上がっていたクエンカからカハスへ向かう山道を登るにつれ、徐々に雲行きが怪しくなってくる。そしてついにしとしとぴっちゃんと雨が降り出す。カハスに到着し、車を降りると、冷たい雨の中、気温は10℃を割り込んでいると思われた。寒い。国立公園入口の事務所で入山手続きをする。ここから山の中に分け入り、食糧、薪、テント等重い荷物を担いで、野営地まで行軍2時間の予定である。この標高で、冷たい雨の中ともなれば、その修行僧的行軍は、冬の八甲田山かベトナムは灼熱のジャングルかと想像しつつ、俺たちはカッパ、ポンチョ等雨具類を装備し、いざ野営地へ向けて出発した。

雨の中、標高3800mのハイキングは予想通りの苦行難行法華経だった。何しろ、俺たちが進んでいく道は、ちゃんと踏み固められた山道ではなく、けもの道と呼ぶ方が正解の、目を凝らしてよく見ると道らしき筋がついてるな〜程度のシロモノなのである。そして登りあり下りあり、途中からはグチャグチャによどんだ泥道を行き、森の中に入って滑る者続出、大将などは子供用の黄色いカッパを買ってしまったためにチンチクリンで、ビジュアル的にはランドセルを背負って雨の日に登校する小学3年生のような雰囲気を振りまきつつ、足を滑らす度にカッパのいたるところが「ビリッ」と音を立てて破れていき、野営地に到着した頃には、見るも無残な辻斬り一過のズタズタはんてん、というあんばいを呈していたのだった。

途中新隊員の佐々木さんが頭痛を訴える。おそらくは高山病である。標高2500mのクエンカに住んでいるとはいえ、ここは3800m。富士山頂よりも高いわけである。上り坂ではあっという間に「ハァハァ」と息が上がる。さらに重い荷物を背負っての重労働は、あまり身体には良くない。何度も休憩を入れつつ、最後の森に入った頃、雨が上がって、お日様が顔を出し始めた。歩き始めて2時間後の午後3時、ようやく俺たちは野営地に到着した。途中、ヒトには全く遭遇しなかった。ヒトどころか、動物も全く見えない。雨に沈んだように色あせた、どこまでも続く山と丘と湖と林の風景しか見てこなかったわけである。カハスでは基本的にどこでも野営をしていいことになっているのだが、国立公園自体がとてつもなく広大であるので、我々が定めたこの場所の周りには、全く人影はない。

俺たちが野営地として選んだのは、森のはずれのちょっとした更地。3人用テント2張りと釜戸を設置してちょうどいい広さの、木の生えていない地面が俺たちの前に唐突に現れたのである。和6畳洋6畳2K角部屋日当たり良好、といったところであろうか。そして野営地決定に際し一番の好材料となったのが、コンビニまで歩いて2分、ならぬ水場まで歩いて5秒、という水場の近さであった。何しろそこは森のはずれであり、近くの湖から流れ出した川が透明な流れをすぐ横に作っていたのである。野営地物件としてはこの上ない条件だった。もちろん家賃、敷金、礼金すべて無料である。


重い荷物を降ろし、早速テントを設営し、しばし自由行動の後、1.2ドルの1リットル紙パックワインで乾杯。そして日暮れ前の午後5時ごろ、自炊に入る。今日の夕食の献立は、「鍋」。キャンプ献立としては、ダントツ1位の「カレー」に次ぐ人気メニューであろう。なぜカレーにしなかったかと言えば、米を炊くのが面倒だったからである。鍋なら大鍋一つ、火一つでいける。カレーにするとカレーと米、二つの火、および鍋が必要になる。1泊なので、夕食はこの日のみ。献立決定会議で、より簡単により美味しくと検討した結果、わずか5分で「鍋」と決定したわけである。

火起こしはなかなか大変だった。森の中であるから薪はそこらじゅうに落ちているのであるが、何しろ雨がずっと降っていたので、どれもこれもビショビショのグチョグチョに濡れてしまっているのである。焚き火の周りで乾かせば何とか使えるだろうが、始めの火つけ用としては全く役に立たない。そこで、持ってきた薪をナイフで小さく切り刻んで、新聞紙と組み合わせて何とか着火した。大きな薪に着火してしまえばこっちのものである。
今考えると、もし雨が降り続いていたら、と思うとゾッとするが、まぁ、それでも8人もいれば何とかなっちゃうのがキャンプであり、フライシートなんかないから傘を差した下で焚き火の火つくり、なんていうのもそれはそれで一興なのである。キャンプに悪天候はつきもの、それで万が一飯が満足に食えなくても、一食抜いたくらいでは死なないのが人間のいいところなのである。

鍋は、料理長モロちゃんの大号令の元、味噌味・海鮮入りで、ことのほか美味くできた。1次鍋、2次鍋、3次鍋(もち、麺入り)まで行い、みんなの腹は満足気に膨れ上がっていった。
すっかり日も暮れ、空腹が納まれば、あとは宴会に突入するのみ。荷物重量の都合上酒はあまり多くはなかったが、酒が飲めない人は温かいコーヒー、ウーロン茶と星空即席バーながらメニューは豊富だ。
こうして一同8人、焚き火を囲んでシート代わりのダンボールに座り込んでの車座宴会モードに全身を委ねていくのであった。

夜の森の中で、キャンプファイヤーを囲み話が流れるままに様々な話題を重ねていくうち、例のごとくモロちゃんの声がヴォリューム最大状態になってくる。こうなるといよいよ俺たちの酒宴もクライマックス、といったところである。
このモロちゃんという人は、普段はボソボソ声で時々そば耳を立てないと聞き取れないことも多い小声スピーカーなのだが、一度酒が入るやいなや、その拡声ぶりは圧倒的で、マイクなしでも全校生徒1000人の前で月曜朝の朝礼一発OK!の校長先生みたく変化(へんげ)するのである。
前述したように本来このキャンプは、2年間の任期を終えて今月末日本に帰国する西林さんの送別のために企画したものであるから、当然この辺りから話は西林さんに集中し、
「この2年間のエクアドルでの協力隊活動を振り返って。」
「2年間の途上国生活の後、日本社会にどう再復帰していくのであるか?!」
等々のテーマを中心として、カンカンガクガクのボケ・突っ込み合戦が、晴れ上がりつつあるカハスの星空の下に展開されていったのだった。
そうした話も下火となり「機熟セリ」となった頃、西林さんへの送別プレゼント贈呈式が焚き火横のダンボール敷き特設ステージで盛大に行われ、「あぁ、これで西林さんとも永遠にお別れなんだな。」と各員が気持ちを新たにするのであった。

夜が更けてきてまた小腹が空き、非常食用に持ってきたカップラーメンを作って極辛トビ辛豆板醤を入れてヒーヒーハーハー言いながら食べたりしつつ、愉快な時は確実に過ぎていった。

そして、そろそろ話のネタも焚き火のネタも尽きてきた丑三つ時の午前1時過ぎ、誰からともなく
「そろそろ寝っか。」
ということになり、焚き火を囲んだ山の中の酒宴もお開きとなったのである。


2張りあるテント割りは、もう初めから決めていて、クエンカのNo1ホストと自他共に認めるテルさん+女性二人が一つのテントを占め、残りのクドくて暑苦しい野郎5人がもう一つのテント、ということになっていた。2張りのテントともおそらくはノーマル3人用と思われる大きさだった。
だが、いざこの3人用と思われるテントに5人寝ようとすると、もうどうしようもなく狭いことに俺たちは入ってみて初めて気づいたのである。5人全員が仰向けに横になると、肩と肩がかみそり1枚入らないほどガチッと密着して、文字通り身動きが全く取れなくなってしまう。かといってじゃぁ片肩を支点に横になって寝れるかというとこれもツライ。ならば頭と足互い違いに5人寝れば少しはスペースも出来るのでは?というもっともらしい案も出たが、顔が右と左、2人分の足に常にさらされ顔面キックの恐怖と夜通し戦わなくてはならないことに、5人とも即座に却下したわけである。このニッチもサッチも行かない状況に、俺たちは泣きを入れた。隣のテントに呼びかけを行ったのである。
「あの〜、こっちとても狭いので、そっちに1人行ってもいいですかね?」
始め、2人の女性陣は難色を示していたが、こちらの窮状をようやく察知してくれたのか、しぶしぶOKを出してくれた。

「それでは、5人のうち誰が行くか。」
この一点が、この草木も眠る丑三つ時午前1時半の、周りには人っ子一人いない真っ暗なカハス国立公園の森のはずれの小さな一画で、最大の懸案事項かつ死活問題としてここにきて大きくクローズアップされてくるのである。
狭くてかなわん、ということになったはいいが、実際問題として、余計な気を使わねばならんし、女性テントには行きたくなかった。この時、自分以外の誰か行ってくれ、という殺伐とした雰囲気がこちら野郎5人テントには露骨に流れていたのである。しばらくその選出方法をああでもない、こうでもない、と不毛に議論していたが、結局は最も単純に落ち着くところに落ち着いたわけである。
「ジャンケンで決めよう。」
で5人目を血走らせて「絶対に負けられネェ」という必死の形相で戦われたジャンケンに負けたのが、マッちゃんであった。残りの4人は、嬉々として喜んだ。これで快適な夜が過ごせる。女性テントに声をかける。
「マッちゃんが行くことになったよ〜。」
そこから再び思わぬ展開が俺たちを待ち構えていた。女性二人のリアクションはこうであった。
「えぇっ、マッちゃんーーーー!?ヤダーーーーーっ!!」
つまり、マッちゃんではイヤだ、と言うのである。
俺たちは愕然とする。マッちゃんだけはあっちに行かなくて済むと喜んでいいのか、自分が拒絶されて悲しんでいいのか分からないような複雑な笑い顔を浮かべていた。
「じゃぁ、誰ならいいんだよ?!」
とこちらも半ばヤケクソに叫ぶ。しばらくの首脳会談の沈黙の後、向こうから帰ってきた返事は、
「大将。」
だった。再び大将以外の4人が喜びの歓声を上げる。
「ヨッシャー、大将、行って行って!」
「ご指名だ、ご指名だ!」
「えーーっ、俺かよーーー!?」
高知県出身の土佐男、大将が苦渋に満ちた表情でイヤイヤながら寝袋を出て移動の支度を始める。だが、事態はここまで来てもまだ収束には向かわなかったのである。
大将が移動しようとこちらのテントを出ようとしたまさにその時、再び女性用テントから声がかかった。
「やっぱりこっちも狭いから誰も来ないで。」

「ナニーーーーーーーー!!???」
この時の僕らの「目が点状態」がみなさんに想像できるでしょうか。ここまでやんややんやとジャンケンドラフト選択会議をやって、無償トレード要員が指名されて、いざトレード先のチームに行こうとしたら、「やっぱいらない」と言われたのである。
大将以外の俺たち4人は女性テントに向かって10分に及ぶ猛抗議を行ったが、結局判定は覆らず。当初の予定通り、5人でこの3人用テントに完全密着して寝る羽目になったのである。
こうして野郎5人のキツキツテントは、厳寒のカハスの寒空の下、寝苦しい夜に突入していった。

(続く)

>次の日の日記へ

HOME > THE WORLD > Latinoamerica > Ecuador > Diario > Diario2004 > 041106