HOME > THE WORLD > North America > Canada
CANADA
カナダ
1998年8月
アメリカの北側に位置するカナダ。その面積は、ロシアについで世界で2番目である。
私が滞在していたミネソタ州は、カナダと国境を接する州である。
8月のある週末、ミネアポリスを車で出発し、カナダとの国境へ向かった。
五大湖の一つ、スペリオル湖沿いの都市・ダルース(Duluth)を経て、スペリオル湖沿いのハイウェイ61号を北東方向へ上がっていく。ミネアポリスからカナダとの国境まで、450km程度であろうか。普通に行けば4〜5時間くらいかかる。
天気が悪い。北に行くにしたがって雨脚が強くなってくる。ダルースで少し時間を使ったせいもあり、カナダとの国境にたどり着いたのは、夕方遅くであった。カナダには目的地はなかった。ただカナダに入ることが目的だったため、そのまま国境を越えて写真を数枚撮って、しばらく走って引き返してこようと思っていた。
国境に着き、まずアメリカの出国審査所で止まってパスポートを見せる。そこを通過すると、300mくらい先に、カナダの入国審査所がある。上の写真は、アメリカ出入国審査所とカナダ出入国審査所との間の「オンタリオ州」の看板。ここが国境であり、カナダのオンタリオ州に入ったわけである。
ここまで来て私は、もう暮れかけた外を見て、「この暗さじゃ写真は撮れないな」と思い直し、ここはこの国境近くで1泊して、翌朝改めてカナダ国境を越えて写真を撮って、ミネアポリスに戻ろう、と考えたが、これがいけなかった。
カナダに入国せず、すぐにアメリカ側の出入国事務所へ戻ってきた私は、今度はアメリカの入国審査を受けることになるわけだが、すぐに引き返してきた私を、審査官は大いなる疑いの目で見た。
「どうしたんだ?」
「いやね、もう暗くて写真が撮れそうにないから、明日の朝また来ようと思うんだけど。」
この釈明は、疑い深いことを信念とする入国審査官には通用しなかった。私はとたんに怪しまれ、車を降りて、事務所に入るように命令された。(後で聞いた話であるが、このアメリカ-カナダ国境から、近年カナダの中国人マフィアが、麻薬をカナダからアメリカに密輸する事件が増加しているとのことで、彼らはアジア系の入国者に目を光らせていたそうである。)
事務所に入ると、2人の職員が、私のパスポートを見ながら、私に根掘り葉掘り尋問した。
アメリカのどこで何をしているのか、大学での専攻、カナダに誰か知り合いがいるのか、何のためにカナダに入ろうとしたか、等々。私は、カナダに入って写真を何枚か撮ってすぐ引き返してくるつもりだったが、もう暗くなってしまったのでカナダに入国せずに引き返してきたことを説明したが、彼らは到底納得した様子ではなかった。15分くらい、あらゆる質問をされた後、一人の審査官が、車を調べるからついて来い、という。そして、彼は私の車の中を洗いざらい調べ始めた。トランクの中はもちろん、懐中電灯でシートの下を探し、さらに麻薬捜査さながらに、マットまで引き剥がして調べた。私はバッグを開けさせられ、持ち物一つ一つ、洗面用具にいたるまですべてを、検閲された。まるで彼は、私が何かを隠しているということに確信を持っているかのように私の車の中を徹底的に調べ上げた。
私は始め、こんなに怪しまれるとは夢にも思わなかったので気が動転していたが、自分の潔白は明らかだったので、そのうち気持ちにゆとりができてきて、「何もあるわけネェだろ、何か見つけられるもんなら見つけてみな。」という少し意地悪な気持ちで懸命に探しまくる審査官を眺めていた。
何も見つからないと分かると、審査官は私に、少し残念そうな、ちょっとした苦笑いを浮かべた表情を見せながら、
「OK、You Can Go.」と言ってやっと解放してくれた。引き止められてから、かれこれ30分くらい経っていた。
まさか麻薬の密輸入をしている中国人運び屋に間違えられるとは思わなかったが、確かに私の行動は彼らにとってみれば怪しむに足るものだったのであろう。
何はともあれ、普通は経験できないことを経験できたので、解放された後私は結構興奮していた。
「こりゃぁ、話のネタになるで〜!」と。
そんなこんなで、その日は国境から数マイル離れた、一番国境に近いモーテルで一夜を過ごすこととした。このモーテルもまたなかなか凄かった。素泊まり15ドル程度で非常に安かったのであるが、その安さを表すかのように、鍵がかからなかった。部屋は広くてまずまずきれいであったが、隙間風が入ってきて寒い思いをした(8月とはいえ、天気が悪く、ミネソタ北部の夜は寒かった)。だが、アメリカの他の田舎と同様、フロントの人はとても親切だった。
翌朝、すぐにカナダ国境へ向かった。
HOME > THE WORLD > North America > Canada