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CENTRAL ASIA
中央アジア(1)
(1)タシケント その1

特急はるか(新大阪駅)

アシアナ航空 関空⇒インチョン便の機内食。そばにいなり、のり巻き

人々がうごめく夜のタシケント国際空港

B&Bグルナーラの朝食

チョルスー・バザールの中心にあるドーム

ドーム内で売る陽気な男たち

ナッツ売りのおじさん

バザール内食堂の風景

中央アジアの炊き込みご飯、プロフ。美味い。

チョルスー・バザール 食堂のオバちゃんたち

クカルダシュ・メドレセ

クカルダシュ・メドレセの学生たち。開いている本はコーラン。

屋台のナン売り

土壁の旧市街。時を止めたような趣あり

チェスに興じる男たち。真剣そのもの

ボードゲーム『ナルダ』に興じるおっさん二人

Zaminレストラン。地元民が集まる

あんかけご飯にトマトキュウリサラダ

スム札の札束。これでも8千円くらい

2012年4月26日木曜日。僕は会社で栃木に出張した。会社を出、予約しておいた神田のビジネスホテルへ向かう。神田駅の近く、「ちからメシ」という牛めし屋で遅い夕食。何やら牛メシの新しいファストフードチェーンらしい。夜中12時にホテルにチェックイン。
2012年4月27日金曜日。
朝6時10分起床。6:55チェックアウト。外は雨。神田駅のみどりの窓口は閉まっていたので、東京の新幹線乗り場で東京⇒新大阪⇒関空までのチケットを買う。14500円、高い。
今日は関空からアシアナ航空便でソウル経由でウズベキスタンのタシケントへ飛ぶ。
東京発新大阪行きの新幹線では眠り続ける。超寝不足だ。9:53新大阪着、10:15発の特急はるか17号で関空へ。11:03着。アシアナ航空のチェックインカウンターには長蛇の列。いまやインチョンはハブ空港なだけに、様々な目的地へ向かう人々が集中する。ウズベキスタンのジャージを着た長身の若者がいる。日本で大学バスケの国際大会でもあったのだろうか。白人の彼らは、ロシアを彷彿とさせる。こいつらと僕は同じ飛行機だ。彼らは家に戻るのだろう。
ANAのカウンターで帰り5月9日の羽田便を予約する。11670円。新幹線(+特急)よりも3000円近く安い。なんてことだ。
12:50、関空発ソウルインチョン行きアシアナ航空便が離陸。ほぼ満席。中央アジア的な顔をした乗客も見える。機内食は一回。ミニ弁当みたいなもの。そば、いなり、鶏のから揚げが入った小さな弁当。
14:20ソウル着。インチョン空港はデカくてきれい。インチョン⇒タシケントの乗り継ぎはピッタリの時間。しかし16:50発の予定は30分遅れ17:20頃出発。タシケントまで7時間20分の飛行。こちらもほぼ満席。さすがにこの飛行機には中央アジアの顔立ちが多い。ロシア系(白人)、トルコ系(濃い眉毛のソース顔)、アジア系(日本人的)が見られる。韓国人の乗客も少なからずいるはずだが、それほど目立たない。日本人は結構乗っている。西遊旅行のツアー客がいる。彼らは中央アジアの秘境、トルクメニスタンにも行くようだ。羨ましい。トルクメニスタンは、完全予約およびガイド付でなければ旅行できない国だ。
隣に座ったおじさんは、ウズベキスタン人のようだが、アジア的な顔立ち。日本人の漁師にも見える。すらりとした体型に焼けたような色黒の顔。ジャージのようなラフな格好。彼は英語を全く話さない。機内で配られる税関申告書を、始め英語版をもらったので分からなかったらしく、「ラシアン」と言ってロシア語版をもらい直していた。
アシアナ航空のスチュワーデスは大変だ。アジア的風貌の乗客が何語を話すのか、見当がつかないからだ。僕には韓国語で話してきた。僕はいつも韓国人に間違えられる。眼鏡をかけているからだろうか。隣のおじさんには英語で話しかけていたが、彼は英語を全く解さない。「ビーフ」と「チキン」すら分からないのだ。これは大変だ。機内食を選ぶための簡単なやり取りすらも成立しない。アシアナのスチュワーデスは当然大部分が韓国人であるが、タシケント便にも関わらず、彼女らはロシア語もウズベク語も話せないようである。よくそれでこの便に乗り組めるな、と思うが同時に、先が思いやられる。僕自身がウズベキスタンに着いたら、英語が通じないとなるとなかなか旅行が大変だからである。ま、何とかなるのが旅である。同じ人間だからね、何とか通じるわけ。
ところで、アシアナのスチュワーデスは、ロシア語はしゃべれないけれども日本語はよく話せる。いいことだ。
離陸してしばらくして夕食。到着直前にサンドパンが1個出る。飛行機はソウルからほぼ直線的にタシケントまで飛ぶ。効率飛行だ。ヒマラヤの北、タリム盆地上空。機内ではよく眠れた。妙な時間なのに。7時間の飛行時間があっという間に過ぎ去る。アルマティ上空を過ぎ、タシケントにはウズベキスタン時間の21時前に到着。やはり到着も30分遅れ。日本・ソウル時間だともう午前1時前(28日)。
着陸直前に空から見たタシケントの街は、結構大きい。街の灯の広がりが物語る。今の気温は18℃とのこと。思ったより暖かい。
タシケント国際空港に降り立つ。両替屋は早々と閉まっている。バスももうなさそうだ。空港タクシーの呼び込みのネーちゃんが、10USドルだと言う。1ドルは何スム(注)か聞くと、ケータイ画面を僕に見せ、1ドル=1856スムだという。(注:スムはウズベキスタンの貨幣単位)嘘つきが!
僕は通り過ぎ、いわゆる白タク系の運転手との攻防に移る。結局5ドルでチョルスーまで行くことで合意。車には一応「TAXI」の表示がある。
タクシーに乗り込む。夜の空港高速に乗り、タシケント中心部へ向かう。始めは灯りの少ない寂しい風景だったが、街が近づくにつれ徐々に灯りが増してくる。
タクシーの運ちゃんは、英語をある程度話せる。
「どこから来たんだ?」
「日本だ」
「ウズベキスタンは初めてか?」
「初めてだ」
奴は、ロシア語はちょっとしか話せないと言う。ウズベク語を色々教えてもらうが全く頭に入らない。
「ウズベキスタンは見所が多いぞ。サマルカンド、ブハラ、ホレズムなど。電車で行けるのさ。ほら、あれが鉄道駅だ」
僕はとりあえずありがとうはウズベク語で「ラフマト」、Goodはロシア語で「ハラショー」、あと1、2、3とかを何とか覚える。
運転手は途中、両替を持ちかけてきた。確かに僕はスムを入手しなければならない。彼は車を止め、街の電光掲示板や新聞を僕に見せる。1ドル=1800スムだという。さっきの空港タクシーの呼び込みネーちゃんも似たようなレートだったな。
だが僕は信用しきれず、両替するのを保留にし、まずはチョルスーのハドゥラホテルへ。大きいがいかにも古い安ホテルという風情。あいにくここは満室。仕方なくグルナーラへ。大通りから住宅街を少し入ったところにあるB&Bである。1泊20ドル(朝食付き。シャワー・トイレ共同)とやや高かったが、もう夜も遅いし近くにもう他にホテルもなさそうだし(『地球の歩き方』にもこの辺りのホテルはもう載ってない)、泊まることにする。受付してくれたニーちゃんが英語が堪能で、実に人の良さそうな人物だったことも決め手だった。
外ではここに連れてきたタクシーオヤジが、「両替、両替」と言って粘る。僕はタクシー代5ドルを払って、サヨナラを言う。奴はそれでもさらに粘る。グルナーラのニーちゃんに一般的な両替レートを聞くと、1ドル=2700〜2800スムだと教えてくれた。やっぱり!!タクシードライバー達は、しきりに「両替してやる」と持ちかけてきたが、やはりボッタクリだった。新聞やケータイでどこのレートか知らないが公式レートみたいなものを見せて安心させ、ボッタクろうとしていたのだ!何という悪質な!しかし引っかからなくてよかった。奴ははじめ1800スムだったのを2000、最後には2400まで上げてきたが、それでも全然通常レートには届かなかった。僕は「3000なら両替する」というとようやく彼は諦めてタクシーで去っていった。危ない危ない。旅行者の勘が働いた。『歩き方』には1ドル=1677スム(2011年初頭)となっていたので、それほど大きな乖離はないかも、と思っていたのだが、何か奴らに胡散臭さを感じたのだ。つまりここ1年でスムの価値は大きく下落したことになる。ホテル宿泊費は20ドルまたは56000スムだというから、やはり1ドル=2800スムなのだ。だがこれは闇両替のレートだと言う。通常は2700くらいだと宿のニーちゃんはそこまで教えてくれた。
ようやく落ち着き、宿泊費をドルで支払い、早速2日分のレジストレーションをニーちゃんに発行してもらう。
中央アジア諸国では、旧ソ連時代の名残りとして、旅行者は滞在登録(レギストラーツィア:英語でレジストレーション)が必要である。ウズベキスタンではこれが結構厳しく、これを持っていないで発覚した場合、多額の罰金や国外強制退去の罰が待っている。しかしこれをもらうのはわけない。泊まるホテルやB&Bですぐに発行してもらえるのだ。忘れなければ問題ない。
いきなりボッタクリ危機があったが、何とか午後11時にチェックイン完了。日本時間ではもう午前3時だ。時差は4時間。眠い。ただ、ここまで来て時差は4時間しかないのか、とも思う。
さっきの白タクのオヤジ、チョルスーまで5ドル、というのは感覚的には安かった。15分くらいはかかったからだ。ましてやアホみたいにボッタくる空港からならばなおさら。奴はきっとタクシー代ではなく両替差額で儲けようとしたのだろう。そうでなければ5ドルでは承諾しなかったはずだ。ま、空港タクシーが正規で10ドルなら、この国の物価はそれほど高くないのかもしれない。明日確かめることとしよう。
PM11:30就寝。

4月28日土曜日。タシケント、曇り。
朝7時頃、中庭が騒がしくて目が覚める。僕の部屋は、中庭に面した安い部屋だ。7時からの朝食のため、宿泊客が中庭に出てきたのだ。中庭にはテーブルがいくつか置いてあり、ここで食事を取ることになる。
8時前に僕も起き朝食。腹ペコだ。普通の朝食。パン、バター、ジャム、チーズ、卵、ヨーグルト、コーヒー。なんの変哲もないが、ヨーグルトがつくのが特徴だろうか。
顔を洗って歯を磨いてクソをする。トイレには洋式とイスラム式の便器両方がある。
今にも降り出しそうな曇り空。空は真っ白。Tシャツ1枚で中庭で飯を食っていると肌寒さを感じる。
朝食後、再び横になる。8時間くらい寝たがまだ眠い。10時過ぎ、ようやく起きて外へ出る。宿から歩いて大通りに出る。ビデオを撮っていると、早速警官に注意される。
「ここはダメだ」「博物館ならいい」「俺を撮るな」
というようなことをロシア語だかウズベク語だかで言う。思ったより街の撮影は厳しそうだ。
僕はOKと言ってビデオをカバンにしまう。
大通りを歩くとすぐにチョルスーバザールという大きな市場だ。その広いこと。中心にあるサーカスのような青いドーム状の建物には、香辛料、米、ナッツなどがメインに並んでいる。外には野菜や果物の屋台風の売り場が連なる。カリフラワーが超巨大。卵売り場には長蛇の列が出来ていて、ウズベクのオバちゃんたちが並んでいる。民族衣装を着ているオバちゃんもちらほら。
ここの人々は、イスラム圏らしからず、写真にアレルギーがない。イエメンのように「写真撮ってくれ」とまではいかないが、時々そういう人もいて、それに近い。イスラムといってもその厳格さは国によって大きく違う。偶像崇拝を助長すると考えられる写真に対する考え方も、国それぞれなのだ。
バザールでは売り場のニーちゃんたちが次々にレーズンとかピスタチオを勧めてくれる。美味い。カメラを向けると、喜んでポーズをとる。うん、いい国だ。彼らはロシア人(白人)ではなく、ほとんどがトルコ系のウズベク人に見える。色黒で顔が濃い。中にはロシア的でさっぱりとした顔も混じる。さらにアジア系の顔。
僕はたいてい、「コレア?(韓国人か?)」と聞かれる。中央アジアにはJALもANAも就航していないが、アシアナや大韓航空は飛んでいる。ウズベキスタンやカザフスタンと韓国との関係は深いらしい。韓国は資源でも狙っているのだろうか。
道を歩いていても誰も声をかけてこない。と思ったら両替屋が囁いてきた。
「チェンジ・マニー?」
僕はスムを入手しなければならないことを思い出した。奴はこの近づき方からしてどう見ても闇両替屋である。交渉に入る。昨日のB&Bのニーちゃんの話だと、闇のほうがレートがいいのだ。まぁ、それが普通だが。結局1ドル=2800スムで100ドル分換えることにする。スムの一番大きい札は1000スム札なので、1000スム札だと280枚分である。100ドル分のスム札を数えるのが大変だった。僕と両替屋の二人は、近くの屋外喫茶のテーブルに座り、札を数え始めた。サムサかなんかを食べている他の客と相席となる。彼は怪訝な目で札束を数えている僕を見る。1000スム札200枚と500スム札160枚を数える。途中、両替屋は客が残していったサムサの唐辛子ソースを誤ってぶちまけ、僕の『地球の歩き方』を汚しやがった。「すまん、すまん」てな感じで謝ってくる。ったく、頼むよ、これは俺にとって大事な本なんだよ。それとも数えている俺の集中力を散漫にさせてごまかそうってか?そうはいかねぇ。ま、よく奴らを見てみると、ちっともそんな感じはなく、本当に偶然にこぼしてしまったらしいので僕はそれほどムカつきもしなかった。
「時間かけて数えていいぞ」
「あぁ。」
そんなことがあった後、僕は札を数え終わる。数えるのに10分くらいかかった。ごまかしはなさそうだ。100ドル札を1枚両替商に渡す。輪ゴムで束ねた360枚の札束をカバンにしまう。両替屋二人は僕の財布の中身が気になるらしく、「いくら持ってんだ?」と聞いてきたが当然答えず。奴らと別れる。
それにしてもなぜ1000スム札が最大なのだろう。なぜ10000スム札を作らないのだろうか?10000スムが必要ないほどこの国の物価は安いのだろうか。1000スムといったら、0.35ドル、つまり30円くらいの価値だ。一番大きい札が30円でいいのか?ウズベキスタン人の財布は一体どんなものだろうか。300円でも札10枚だ。筆箱のような財布を持ち歩いているのだろうか。いや、街行く人を見てもそんな感じはない。
バザールを後にし、近くの神学校、クカルダシュ・メドレセへ。16世紀に建てられた神学校で、ソ連時代には倉庫などとして使われていたが、独立後は再び神学校として活動している。いわゆるイスラム的な建物である。モスクのようでもある。中庭に入ると、中庭に面して教室が並んでいる。人懐っこくまた礼儀をわきまえた学生達が、僕を教室に迎え入れてくれた。コーランを開いて写真を撮る。また彼らは僕に宗教帽をかぶせ、記念撮影する。
突然学生の一人がアザーンを朗誦し始める。それを合図に、学生達は祈りの部屋へ集まり、祈りの時間。さすが神学校。ウズベキスタンはイスラムが緩いと聞いたが、さすがにここでは違う。みんな信心深い。
空は晴れ上がった。バザールに戻ると、道でナンが売られている。中央アジアの主食はナンだ。どんな食事にもついてくる。ここのナンはインドのように平たくて楕円形ではなく、丸くて分厚く、中心部がへこんでいる。
午後1時半、バザールの食堂でプロフを食す。プロフとは、中央アジア風炊き込みご飯。羊肉、人参、玉ねぎ、くるみ、レーズンなどが混ぜられている。美味い!日本人の口に合う。中央アジアの主食、ナンも歯ごたえあり。茶とあわせて8000スム。3ドルくらい。屋台にしてはちょっと高い気がするが美味いので満足。
昼になり曇り空は晴れ、気温急上昇。Tシャツ1枚でOKとなる。タシケント旧市街を歩く。古いは古いがイスラム旧市街にありがちな迷路のような路地ではない。人の通りが少ない。このあたりがシルクロード時代は街の中心だったのだろうか。その面影はあまり感じられない。土の壁が剥がれかかっている。10分くらい歩くと、広大な広場に出る。モスクやメドレセが囲む広大な公園だ。ジュマ・モスク、バラク・ハン・メドレセなど16世紀に建てられた建物が壮大だ。白人観光客集団がガイドに連れられてぞろぞろと歩いている。日本人も時々見かける。バラク・ハン・メドレセの中では、昔神学校の教室だった部屋はお土産屋に様変わりしていて、その中の木工細工職人のオジさんと話す。
「これは”くるみ”の木で造ったのさ」
僕が日本人であることが分かると、彼は”くるみ”という日本語を連発し、僕に説明した。彼の作る工芸品は、目を見張る出来栄えだ。ウズベキスタンの有名なお土産、「くし型本置き」には圧倒された。これは本を置くための木工品なのだが、くし型になっていて、これを動かすことで様々な形になり、いくつものサイズの違った本を置けるようになるという芸術品と言ってもいい工芸品である。
本置きの映像

広場では、子供達が巨大な凧を揚げようとしている。50mくらいの糸の先に凧をくくりつけ、走りだす。凧はフラフラと数m上がったが、失速し墜落。
帰り道も土壁の家が並ぶ旧市街の狭い道を歩く。子供達が遊ぶ。どこの国でも子供達は元気だ。
市内を一望できる妙な形の建物に登る。屋上から写真を撮る。夕暮れの屋上にはウズベク人の若者達が多い。若者憩いのスポットだろうか。
再びチョルスー・バザールの中を通る。もう午後5時半なので、店じまいしているところも多い。開いているのは最後の売りにかける人たち。家具・金物店通りでは、ゲームに興じる人々が連なる。まずはチェス。真剣だ。2組の対戦が頭を突き合わせている。そして次はナルダというボードゲームをするおじさん二人組。こちらはチェスと違って盤を挟んで立って向かい合っている。ゆるい雰囲気だ。
大通りに戻る。タバコ売りのオバちゃんからタバコを1本買う。わずか100スム(約3円)。安い。本当だろうか。それにしてもこのオバちゃんとは話が通じず苦労した。英語をしゃべれない人が圧倒的に多い。さすがにバザールとかレストランではしゃべれる人がいるが。
午後6時半、B&Bに戻りしばし休憩。8時前に夕食を食べに外に出る。大通りにある高級目のイタリアンレストランの横に、大衆食堂的レストラン「Zamin」。ここに入る。当たりだ。地元の人たちがたくさん来ていて、ウズベク料理を味わえた。ご飯の上に野菜、羊肉のあんが乗ったご飯もの(通常はスープ入りだったが、スープなしでも出来るとのことで、スープなしにしてもらった)に、ビタミン補給用のトマト+キュウリサラダ。これに緑茶でわずか6000スム。つまり2ドル強だ。安い。ウズベキスタンの物価が分かってくる。このような地元民が行くところでこそ、本当の物価が分かる。やはり昼間のバザールのプロフより安いということが納得できない。つまりは昼間は高い金を払ったのだ。バザールの元気なオバちゃんに騙されたのか、それとも本当に高いのか。あういう市場にある食堂というのはたいてい格安でおいしいものが食える、というのが相場なのだけれど、あそこは高かった。オバちゃんたちは陽気で他意はなさそうだったので、あそこは観光客価格なだけかもしれない。
レストラン「Zamin」のウェーターのニーちゃんたちは楽しげだ。
「コレア?(韓国人か?)」
「日本人だ」
彼らの写真を撮る。若者の割には恥ずかしがりで、何人かは写ることを遠慮した。
飯後、チョルスー・バザールの前まで行って3人並んで道に座ってタバコを売っているオバちゃんのうちの一人からタバコを買う。Pall Mallというタール7mgのタバコを買ったのだが、これを見てみると実に細いタバコなので唖然とする。こりゃスカした女が吸うタバコじゃないか、失敗した!と思ったが、吸ってみるとま、途上国の現地タバコにありがちな葉っぱの味はするが、マズくはない。それに細い割には普通のタバコと同じくら長持ちする。これなら良かろう。薄い箱に20本入って1800スム。50円くらい。安い。
午後9時、B&Bに戻り、シャワーを浴びる。熱い湯が潤沢に出る。素晴らしい。幸せ。
午後11時就寝。

■ウズベキスタン人あれこれ
 ・人種構成:ウズベク人78%、ロシア人4.6%。イスラム国。タシケントではロシア的白人の姿は少ない。人種の坩堝ではあるが、黒人は一人も見かけない。
 ・ウズベキスタンの人間は背が高い。若者の男はすらっとした体型が多い。女性も結構背が高い。いや、そう見える人たちにはロシア人の血が流れているかもしれない。純粋なウズベク人は、僕の見たところ、顔が濃い。眉がつながっているような、もみ上げが濃いような、あの感じだ。そして肌の色も結構濃い。いわゆるトルコ系だと思われる。
■空港タクシー後記
空港では、次々に空港タクシーのドライバー達が彼らのIDを自慢げに見せてくる。「俺はライセンス持ってんだぞ、正規の空港タクシーだ!」と言いたいのだろうが、僕にはこのIDは「ボッタクって良いID」にしか見えない。何が10ドルだ、ふざけやがって。タクシー斡旋のネーちゃんは、脅しめいた言葉を英語で吐く。
「流しのタクシーでもいいけど、危ないわよ」
「この国はあまりいい国じゃないね」と僕が皮肉めくと、
「みんなお金が欲しいのは当然でしょ?」とのたまった。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。金を得るためなら平気でウソや犯罪行為に手を染めるってか?
僕が使った白タク風情のオヤジは確かにひどいレートで両替させようとしたけれど、それでもタクシー料金は5ドルだった。10ドルボッタクリ空港タクシーの半額だ。両替でボロ儲けの算段だったのかもしれないが。ちなみに、料金交渉の際、「3ドル」と僕が値切ったのに対し、彼は首を楯には振らなかった。地元の人の相場はどのくらいなのだろう?(『歩き方』には、地元の人だと3000スムと書いてあった。1〜2ドルくらいだろうか)
ウズベク語がしゃべれて、地元に人の相場が分かれば、ボッタクられることもないのに、と悔しい。エクアドルに住んでいた頃は、スペイン語も話せたし、地元民と同じように生活できたことが思い出される。まぁ、そもそもボッタクリがあるということは社会に構造的な問題があると言わざるを得ない。つまりは貧富の差である。これがなくならなければ、ボッタクリは後を絶たないのだ。

(続く)

(中央アジア旅行記 1−

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