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CENTRAL ASIA
中央アジア
(6)キルギスの首都、ビシュケク
さくらゲストハウスを出て、まずは大衆食堂を探す。さすがに腹が減った。昨日の昼からロクなものを食ってない。すぐ近くに、シャシリクを道で焼いている大衆食堂を発見!ここで久しぶりのプロフ。プロフは中央アジアの言葉、どの国にもあってありがたい。文化の共通性が実感できる。キルギスプロフは、米がちょっと違うし、羊肉が結構多めに乗っかっていて、さらにキュウリとトマトも乗っていた。油っぽくなく、美味い。食堂の店員さんは例によって全く英語が通じないが、これまたいつものように写真トークで注文する。しかし、そうすると『歩き方』に写真が載っているものしか食えんちゅうことか(悲)。
それにしても英語が通じない。まだタシケントやサマルカンドでは何とか分かる人がいたが、ここには誰もいない感じだ。まぁ、それはそれで楽しい。英語はかつての冷戦時代の敵視国の言葉ということでみんな話さないのだろうか。もう冷戦も終わり、世界の共通語としての英語教育があってもいいような気はするが、さすがに旧ソ連諸国ではそう簡単にはいかないのかもしれない。いや、カザフ語が国語で、ロシア語が第1外国語で、それで手一杯なのか。観光産業が目玉でもなければ、英語を学ぶ意義を感じないのかもしれない。ところで、アメリカ人はこの辺りに旅行に来るのだろうか?
さて、腹を満たした後はビシュケクの街を歩き倒す。ユースパ・アブドゥラマノヴァ通りを下る。ハイアット・リージェンシーの威容。キルギスにアメリカ国旗がはためく。アメリカ軍の基地を置かせてもらう代わりに金をやる、っていう構造だ。
両替屋が集まっている一角で両替。始めの二つの両替所はレート的に一番良かった(1ドル=46.78ソム)が、50ドル札の両替は出来ないとのことだった。レートが46.77のところは50ドル札OKで換えてくれたが、1ドル=46.7ソムだった。国境(46.6)よりも少しいいくらい。まぁ、しゃあない。すると、両替屋の前で、バスで隣だった若者と再会。よく会う。
シムケントと同じく、ここビシュケクも整然とした車道と歩道に街路樹が連なる。車は新しい。中央アジアの街には、街路樹が多いが、この街は特に多いと感じる。緑豊かな街。
トロリーバスが走っている。道幅が広く車の交通量の少ない旧社会主義国ではトロリーバスがまだまだ多く走っているらしい。
エルキンディック大通りまで移動し、公園通りを北上する。
公園内を歩くと、高い木々が整然と並んでいて、林の中にいるようである。歩道がこの林の中を真っ直ぐに貫いている。歩道には卓球台がいくつか設置されており、子供から若者まで卓球を楽しんでいる。ブランコや滑り台など、子供の遊具が置いてある一画には、親子が遊んでいる。また、ボーイスカウトのような軍隊のような制服の若者軍団が芝生に座ってギターに合わせて歌を歌っている。まさにビシュケク市民憩いの場。
いままでよく晴れていたが、雲が広がり始め、日が陰り始めた。
アラ・トー広場。サマルカンドもシムケントもそうだったが、ここビシュケクでも公園の噴水の水が豊富だ。砂漠では考えられない贅沢さで水を使う。日本も同じだけど、震災後の日本では結構節水・節電が共通認識となってるので、若干変わっているか。このあたり、「豊かさ」と言うのか、「倹約」という美徳で語るか。
甘いものが食べたくなったのでアイスクリームを食べる。珍しいことながら。
アラ・トー広場の建物の一つにキルギス土産屋があったので入ってみる。面白い。スリッパのような履物、独特のデザインを施したカーペットやマット、革の工芸品、絵葉書、写真集、そして定番マトリョーシカ。
デザインの特徴は、ぐるぐるの渦巻きみたいなモチーフを多用しているところだろうか。
いかにも高そうなこじゃれた土産屋だったが、冷やかすのには最適だ。
ドゥボーヴィ広場では警官だという男が話しかけてきて、奴と連れの女が座っているベンチに座れ、と僕に命令する。ま、いっかと思って座る。男は中国人のようなモンゴル人のような顔立ち。この国には、ウズベキスタンとは違い、朝青龍的モンゴル人ライクな顔立ちが多い。IDのようなものを僕に見せ、「警官だ」と胸を張る。ま、権力を濫用して僕から何かを搾取するような輩ではなさそうだ。それどころか、緩い。本当にコイツは警官なのか?というほど緊張感のない男だ。そしてまたしてもキルギス語と日本語での奇妙な会話が始まる。ここで『歩き方』の言葉のページがなかなか使えた。僕はここに載っている会話集で、キルギス語で会話を試みる。名前、どこから来たか。それでこちらからブラナの塔への行き方を奴に色々聞いた。それにしてもこの男は陽気な男だ。警官というのは本当だろうか。IDを見せてもらったが、警官かどうかなんてことは全く分からない。
その後、オペラ・バレエ劇場前で初めて男に金をたかられた。どうやら、「金を失くしてしまったので、10ソムでいいからくれないか?バスに乗らないと家に帰れないんだ」とでも言っているらしい。当然そんな依頼に応じる僕ではない。「ニェット」(ノーの意)とロシア語で断言する。男は若く、浮浪者とは対極の、普通の身なりをしている。怪しすぎる。結構ガタイもいいので若干ビビッたが、僕は日本語で言い放つ。
「歩けばいいだろ」
「とっても遠いんだ」(というようなことをいった気がする(笑))
「俺なんかより、普通に言葉が通じるキルギス人に恵んでもらえばいいだろ、何で俺に言うんだよ?」
奴は一瞬名残惜しそうにしたものの、去っていった。この国でどうやって外で金を失くすのか?いやひょっとして本当に財布を落として困っていたのかもしれないが、こういう場合は毅然とした態度を取らなければ、いくらでもつけ込まれることになる。中央アジアの国々は治安がいいが、この一件だけが若干の波風を僕の心に残した。
午後7時過ぎ、さくらゲストハウスに戻る。今日は夜行バスの疲労で仮眠を取ったために6時間しか活動しなかったが、それでもかなり歩いた。毎日よく歩いている。宿では、1年近く旅をしているという日本人の男が一人いた。中央アジアは治安がいいし物価もまずまず安い、人は穏やかで人懐っこいので、結構居心地がいいに違いない。この時期なら気候もよく、沈没するにはもってこいだ。が冬は寒そうだ。ビシュケクは札幌と同じ緯度だという。標高も750m〜900m。1月の平均気温は−3℃。これはキツイ。
しばらく部屋で休み、8時半過ぎに夕飯を食いに外へ。近くの雑貨屋でタバコを買う。迷った挙句、PINEというのは韓国製だったので、キルギス製のタバコが欲しいと思い、BONDというのを買う。この二つは格段に安く、他の洋物が35ソム以上するのに対し、PINEは17ソム、BONDは18ソムだった。店員のネーちゃんが片言の英語を話したので色々聞き、一番軽い4mgのBONDを買う。彼女は
「『こんにちは』は日本語でなんて言うの?」
と聞いてきたから、「こんにちは、だ」と教えてやった。
昼の大衆食堂に再び行き、ラグマンとトマトサラダ、茶を頼む。美味い。ここのラグマンは浅皿に入っていて、濃い赤のスープ。つまりトマトベースだ。辛くはない。これとプロフがあればここで生きていける。米と麺。思えば、前回の南米旅行ではハンバーガーばかりだったので、今回は大分マシだが、よく考えてみれば、今回はプロフかラグマンとトマトサラダしか食ってない(笑)。ま、ハンバーガーよりは大分マシだが。
ところで、中央アジアの主食は米でも麺でもなく、パンだ。少なくともウズベキスタンとカザフスタンはそうだ。バザールでは大量のナンを売っていて、人々はあの大型ナンを3つも4つも買っていく。一体どんだけ食うんだ?というくらい。バスでもナン売りが出発時や休憩時に乗ってきて、乗客は袋入りのナンを一人平均2つくらい買う。食堂でも、必ずナンがついてくる。
余談だが、バスの物売りといえば、ひまわりの種がちょっと異色だった。サマルカンド⇒タシケントの車内では、乗客の多くの男性が、乗ってきたひまわりの種売りからひまわりの種を買っていた。ひまわり売りの若者はいい奴で、僕がもの欲しそうに見ていると、少し分けてくれた。
食堂を出て宿に戻る途中、さっきタバコを買った雑貨屋で明日の朝食用のパンを買う。店員はさっきの若い女の子ではなく、おばさんに代わっていたが、このおばさん、英語が少し出来てよろしい。「どのパンがいくら」と英語で教えてくれる。ソーセージパン、カスタードケーキ、ジャムパンを買う。
ホテル近くにモスクがある。ここで二人の若者に英語で声をかけられる。どうやらイスラム教の勧誘らしい。だが僕がムスリムではなく日本人だと分かると、すぐに引き下がった。一人は若いに似合わず、白い民族衣装に長いあごひげ。一目でそれと分かる容貌だ。「写真撮っていいか?」と尋ねると、「ごめん、僕らはイスラム教徒なのでダメなんだ」と答える。なるほど容貌に合った真っ当なムスリムだ。この旅では、タシケントのクカルダシュ・メドレセ以来のまともなイスラム教徒だ。思えばここビシュケクでも、人々は食堂で昼間からビールにシシャリクをやっていた。どこまでイスラムに厳格なのか、それともロシア正教などのキリスト教徒なのか、なかなか判別が難しい。
宿に戻ったのは10時過ぎ。シャワーを浴び(お湯はよく出た)、11時半に寝る。
<追記>
■フクシマの知名度
店とかで出会うキルギス人たちは、「日本のどこだ?トキオか?」と大抵聞くから、「フクシマだ」と答える。3.11までは外国人の誰も知らなかったが、今では何人かが反応する。「あの、アトミック・ボムのフクシマか?」と。「いや、違うって、原爆じゃなくて、原発だよ」
■トマト
中央アジアではトマトとキュウリをよく食べる。トマトの甘さがとてもよい。こっちの市場では真っ赤なトマトしかない。日本のスーパーで見るような中途半端な赤さのトマトは一つもない。すべてが熟した真っ赤なトマト。そして甘い。明らかに日本より豊かだ。鬼のように赤く、そして甘い。
■ケータイ
ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスとも結構ケータイの普及率が高そう。みんな小型のノキア的なやつを持っている。
■ラフマト
キルギスでもラフマト(ありがとう)という言葉をよく聞く。ウズベク語かカザフ語かキルギス語かよう分からん。『歩き方』によればラフマトはウズベク語、ラクマトがカザフ語、同じくラクマトがキルギス語らしい。バスで隣となった英語を話すニーちゃんもウズベク人だが、カザフ語も30%くらい分かると言っていたから、それぞれの言語は大きくは違わないのだろう。ブラジル人がスペイン語を聞くようなものか。
■キルギス人
シムケント(カザフスタン)、ビシュケク(キルギス)では、アジア人的な顔立ちをしている人が多い。キルギス人と日本人は、同じ祖先だったと言われているらしい。キルギスでは、「キルギス人と日本人はもともと同じ民族で、肉を食べるキルギス人は西に行き、魚を食べる日本人は東に行って海の近くに住み着いた」と言われるそうだ。
(続く)
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