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CENTRAL ASIA
中央アジア
(7)神秘の湖、イシク・クル、そして再びカザフへの国境越え

ビシュケク東バスターミナルからトクマクへ行くマルシュルートカ ⇔ 運ちゃん

平原にポツンと立つブラナの塔

ブラナの塔の頂上で会った、大学生たち 
 
妙な帽子のひょうきん男。アジア的顔立ちと白人的顔立ちの対照

石人(バラサグン遺跡) 2枚

天山山脈の懐を走る(トクマク→イシク・クル湖)
 
ピロシキ
 
バルクチの街。ガランとした広い道路と遠くに見える険峻

「幻の湖」といわれたイシク・クル湖
 

イシク・クル湖と天山山脈
 
 
 
 
バルクチのバスターミナル。乗客を待つマルシュルートカ

天山山脈の懐を走る。鉄路あり (バルクチ→ビシュケク)

ビシュケクの中心、アラ・トー広場

アラ・トー広場からは万年雪の山々が望める

ショロ ⇔ ショロ売りの女性

オシュバザール近くのナン売り

キルギス−カザフスタン国境 (ビシュケク−アルマティ間)

アルマティ到着。マルシュルートカで一緒に国境を越えた家族

乗るバスを教えてくれた親切な若者

甘辛あんかけご飯、ガンファン(アルマティ)

2012年5月6日日曜日。
朝7時起床。クソして顔洗って昨日買っておいたパンを食べる。ジャムパンの一部にカビが生えていた。つかまされたよ。カビをむしり取ってジャムパンを食べ、ソーセージパンは残してカバンに入れる。

一服して7:20ゲストハウスを出る。日本人が一人出発仕度をしている。
東バスターミナルまで人に道を聞きながら(といっても一本道だが)気合で歩く。早朝、清掃員たちが道を掃除している。そういえば中央アジアの国々では街にゴミが目立たない。東南アジアの国々とは大違いだ。20分ほど歩き、7:45東バスターミナルに歩き着く。

今日は日帰りでブラナの塔とイシク・クル湖へ行く。トクマク行きのマルシュルートカはすぐに分かった。8時頃出発。道はいい。快調に飛ばし、1時間後の9時にトクマクのバスターミナルへ到着。ブラナの塔行きのマルシュのことを運転手に聞いていみると、ターミナルの壁に張り出されている時刻表を指し示して、「次は10:30だ」と教えてくれた。ガーン!せっかく早起きしたのにここで1時間半も待つのかよ?だが物語はこれでは終わらない。高い金を払ってタクシーで行くか、1時間半待ってマルシュで行くか迷いに迷った挙句、やはり初志貫徹マルシュで行くことに決め、じっと待つ。やっと10時半になる。やってきた212番バスに乗り込もうとすると、運転手が「ブラナの塔には行かない」と言うではないか!どういうことか分からずにいると、別の運転手が僕に図解説明してくれた。つまり、212番のマルシュのルートは2つあって、10:30のはブラナの塔を通らないルートなのだ!!次の12:00のマルシュが通るという。さすがに12時までは待てない。僕はタクシーと交渉。600ソムと言ってきたが何とか450ソムで決着。ブラナの塔は車で15分くらいのところにあった。タクシーオヤジは入り口で待っているとのことで、僕に11時半に戻れと告げる。僕はがんばるよと日本語で言ってブラナの塔に向かう。わずか30分で見終わるか、そんなの分かるわけがない。

ブラナの塔は、11世紀始めに造られたといい、ここは10世紀から13世紀のカラ・ハン朝の首都の一つバラサグンがあった場所だとされている。今では荒野にブラナの塔がポツンと立っているのみで、今から1000年前の街の姿は想像できない。敷地内には墳墓や礼拝堂の跡があるが、発掘は中断されたままとのことである。

早速塔に登る。高さ24mの塔の上には、マナス大学の学生連中がいた。彼らはキルギスで初めて出会った、英語をまともにしゃべれる人たちだった。彼らと意気投合し、写真を撮ってやる。奴らも奴らで、ケータイで僕との写真を撮りまくった。グループの中で民族帽子のような妙な帽子をかぶった一番ひょうきんな男が、メールアドレスを教えるから写真を送ってくれと言ってくる。メールアドレスを交換する。
彼らの顔は、僕らがなじみのあるアジア的顔立ちが多いが、中にはロシア人(スラブ人)的白人系の顔立ちの若者もいる。民族の十字路。

塔を降りて、”石人”と呼ばれる石像や石臼が並ぶ野外博物館を見て回る。キルギス各地から集められたこれらの石人は、石をのっぺりとした人型に彫ったもので、独特の趣を持っている。この石人は、突厥の墓だとも言われている。
ところどころに説明板があるのだが、2種類あり、(おそらく)ロシア語とキルギス語だけで英語がないので、どういうものか詳しいことは分からない。旧ソ連領だけあって、英語という敵国語はあえて使わない、ということなのだろうか。

結局45分かかってタクシーに戻ったのは11:45。モンゴル人的な運転手は、腹を立てていた。
「仕方ないじゃん、時間を区切られてもさ、せっかく来たんだから」
「値段アップだ。11:30だと約束したろう」
値切った手前もあり、仕方なく500ソム払うことにする。だからタクシーチャーターは嫌なんだよね。

トクマクのバスターミナルに戻った後、イシク・クル湖方面のバルクチ行きのバスやマルシュルートカを探すが見つからない。すると、タクシーの運ちゃんが、相乗りで130ソムでバルクチまで行ってやる、というのでこれに乗った。乗客は年配のオヤジ、おばさん、若い女の子、それに僕の4人。走行距離35万kmの古いベンツのタクシーに5人が乗り出発。

道中、130ソムのはずだったが140だという。こういうインチキが僕は一番嫌いなので、「130って言ったろうが!」と運転手のオヤジに猛抗議したが、隣のおばさんになだめられ、仕方なく140払った。

途中、道は天山山脈の懐を走る。絶景だ。両側に切り立つ山の間に道がつけられている。途中工事で未舗装の部分がある。車は、川沿いをつかず離れず併走する。そして鉄路。茶色い山に緑色の川が織り成すコントラスト。キルギスは、高地の国である。

12:30に出発したタクシーは、バルクチに14:25着。ほぼ2時間。バルクチに着いて乗客たちは一人また一人とタクシーを降りていく。僕は「イシク・クル湖はどこで降りれば見られるかな?」とオバちゃんと運転手に聞き、「この2本先を右に曲がればすぐだ」と教えてもらい、その場所で降ろしてもらう。降り際、運転手が持っていたピロシキを一つもらう。これで10ソム分だ。へっ。

近くの売店でファンタオレンジを買い、ピロシキを食べる。なかなか美味いが、作ってから時間が経っているので、ピロシキはやはり揚げ立てが一番なのだと痛感する。

バルクチはイシク・クル湖西端に位置する、普通の住宅街が広がる街だ。繁華街を通らなかっただけなのかもしれないが、僕が降りたところは、普通の平屋が並ぶ住宅街だった。他の街と同様、無駄に広い道路がまっすぐに走っている。家々を見ると、三角屋根の割と独特なつくりだ。家の向こう側には、雪をかぶった峰々が、雲に遮られている。

果たして、目抜き通りを歩いて、2本目を右に曲がると、先に湖が見えた。湖畔までは歩いて5分ほど。すぐ横に線路がある。
イシク・クル湖。ソ連時代はここは外国人立ち入り禁止区域だったので、「天山山脈の山ひだ深くに隠された幻の湖」と言われてきた。7000m級の山々に囲まれた湖は、琵琶湖の9倍、実に広い。この湖はまた、多くの謎に包まれている。湖岸には青銅器や土器が打ち上げられ、湖底に集落跡が沈んでいる。

風が強い。見渡す限りの湖面を見つめる。緑色が薄く、グレーがかった青い湖面。空の雲を反映しているのだろう。
岸の水を見ると、割と透明である。天気もあって、冷たい感じがする。

湖上を鳥が何度も旋回している。魚でも狙っているのだろうか。

対岸の向こうには、天山山脈の雪山がそびえる。8000m級の、万年雪を頂いた峰。8000mと言っても全く想像できないが、とにかく、なかなか人はここにはたどり着けないのかもしれない。
浮浪者風の変な男が声をかけてくる。また会話にならない会話。どうも「俺の写真を取るな」といちゃもんをつけているらしい。うるせーよ、お前の写真なんて撮るか!
雨も降り始める。湖のほとりには30分ほどいて、僕は退散した。これが幻の湖か。それほどの感慨はない。空が曇っていて、鮮やかな青い湖面が見られなかったせいか。そんなことでも印象が変わる。

湖の脇には、線路がある。現役かどうかは怪しい。行きに並行して走っていた線路の支線だろうか。
湖に向かって左には、割と大きい建物とクレーンが何基かある。この湖は物流路となっているのかもしれない。

強風の中、バルクチのバスターミナルまで20分ほど歩く。ロシア語でバスターミナルは「アウトバグザール」というのだが、建物には表記が2種類ある。きっとロシア語とキルギス語の「バスターミナル」だろう。
ビシュケク行きのマルシュルートカは、トイレに行ってる間に1台出てしまったが、次のマルシュも、乗客が集まるのが早い。若い女の子が結構乗ってくる。4時過ぎに出発。再び天山山脈の只中に突入。途中雨が激しくなる。山を抜けるとあとはいつも通りの大草原。

7時半前にビシュケクの西バスターミナルに到着。バルクチから3時間。7番バスでアラ・トー広場付近で降り、歩いて宿に戻る。夕食はいつものレストラン。腹ペコ。昼飯はソーセージパン1個とピロシキ1個しか食ってない。プロフで腹を満たす。ゲストハウス近くの雑貨屋で昨日と同じくパンを買う。店のオバちゃんは「昨日のパンだからフレッシュじゃないのよ」と言うが仕方ない。朝食用に買わねばならない。ビスケットみたいなものもあったが、中身のないパンを1個だけ買う。宿に着いたのは9時20分。今日も長い一日。ブラナの塔とイシク・クル湖を一日で制覇した。まぁ、制覇というほどではないが。疲れた。

ブラナの塔/イシク・クル湖 写真集


5月7日月曜日。
朝7時半起床。パンとファンタオレンジで朝食。午前中はビシュケク市内を歩く。昨日とは打って変わって、今日は天気がいいのでアラ・トー広場から雪を頂く山脈がよく見える。大統領府、マナス王像。フィルハーモニー・コンサートホールに人々が続々と吸い込まれていく。何か公演でもあるのだろうか。ビシュケクはソ連時代の都市計画で造られた街であり、碁盤の目状の通りに建物が立ち並ぶ、普通の街並である。

道端にパラソルを出して商っているショロ売りのオバちゃんから、ショロを求める。ショロとはキルギスの国民的飲み物で、大麦を発酵させたノンアルコールの飲み物だ。色はくぐもった茶色で、味噌汁のような感じだ。味はビールに豆の粉末を混ぜたようなのど越しで、実際に細かい何かのカスが混じっている。基本の味はビールに近いので、ビール党には気に入られる飲み物かもしれない。

オシュバザール(市場)に行くのにどのバスに乗ったらいいのか分からず(ドライバーにもなかなか聞けない)、結局歩いた。しかし、なんと今日は月曜日で、バザールは休みだった。ガクーー!仕方なしに周辺の狭い路地に入って商店街を少し歩き、バスに乗ってアラ・トー広場に戻る。さらに悪いことには、国立博物館も今日月曜日は休館だった!!ガーーン!しまった。もうやることがなくなってしまった。腹が減った。中華でも食べようと思い『歩き方』に載っている中華料理屋に行くが、移転してしまってなかった。仕方なくいつもの大衆食堂へ。結局ビシュケクではここでしか飯を食ってない。それもいいが食べるものが限られてしまっている(プロフとラグマン)のでさすがに飽きた。サムサやピロシキがないかを聞くが、ないとのことなのでこれまた仕方なくラグマンを頼む。

ビシュケク 写真集

宿に戻ったのは午後1時20分。荷物を持ってチェックアウト。バス乗り場で西バスターミナル行きのバスを待つ。38番かなんかが来て、「アフタバグザール」の表示があったからこれだ!と思って念のため運転手に聞いてから乗り込む。

西バスターミナル東側、カザフスタンアルマティ行きのマルシュルートカを探す。何人かのバスの呼び込みに聞いて乗り場はすぐに見つかる。彼らも彼らで他方面の乗客を大声で誘っている。タクシーの運ちゃんも寄って来る。

マルシュルートカは所要5時間、300ソム(約6.5ドル)でアルマティまで行くというからなかなか安い。途中国境越えあり。メルセデスベンツのマルシュは、僕が乗り込むと席は満席になった。午後2時過ぎ出発。2時40分ごろもう国境に到着。ドライバー、乗客合わせて19人全部降りて出入国審査へ向かう。ドライバーはきっと特別扱いだろう。
キルギスの出国審査はザル。これほど簡単に出られていいのだろうか?と思うほどに簡単。中にはパスポートじゃなくてセドゥラー的なIDカード1枚で出て行く人も多い。キルギスとカザフスタンの良好な関係がうかがわれる。

列に並んでグイグイと後から押されてムカついたが、処理があっという間で列がどんどん進んだので苦にならなかった。僕は日本人ということでなぜか別室に連れて行かれてスタンプを押される。

だがここからである。やはりというか、カザフスタンへの入国は長蛇の列。建物に入る前、すでに道路上にバリケードのような柵が設けられ、そこに人々と車が列を作っている。人々は柵で仕切られ、柵のこちら側にいる人々と、向こう側にいるカザフの役人達が、怒号で罵り合っている。もう暴動が起きんばかりに列に並ぶ人々の不満が暴発寸前だ。
「早く開けろよ!」
「まだです」(入国審査の方もきっと長蛇の列なのだろう)
列に並ぶ人はどんどん増え、柵にいる最前線の人間が後から押されて危険な雰囲気が漂う。10分に一度程度、定期的に柵が開いて数十人の人々が中に入っていくのだが、そこに人々が自分も入りたいと殺到し、もはや無秩序状態に近い。何度か柵が開き、その度に人々が殺到し大混乱。おばさんが肉弾戦の中地面に倒され、悲鳴を上げる。大きな荷物を持って通ろうとする人間が他の人の罵倒を浴びる。
「邪魔だ!」
車の前にも人が群がり、車は動くに動けない。だが人々は次々に車の前に割り込んでくる。僕も絶望的な長さになっている歩道上の正規の列から、車道に入り込んで前に出て行く。このまま列に並んでいたら国境を越えるのがいつになるか分かったものじゃない。一緒のマルシュに乗ってきた親子も、車道の方へ移動して何とか柵を越えようとしている。

もう多勢に無勢で、カザフの役人も人々の乱入を抑えきれない。コントロール不能。そしてついに僕も、何回目かに柵が開いた後に最前列にたどり着く。群集の真っ只中、一番前に入ったとき、本当に命の危険を感じる。みんなが我先にと入り口へと殺到するこの無秩序の中で、本気で両側から圧死させられるという恐怖。将棋倒し死亡事故というのが起こるべくして起こるのだということを身をもって体験する。後にいる大勢の人間達は、前にいる人間のことを考える想像力はない。若者のときに自分が老いて老人になることを想像できないのと同じだ。ただ入りたい一心で前に圧力をかけるのだ。

しばらくまた柵の向こうとこちらでの罵り合いが続いた後、再び柵が開く。僕はここで人々と押しくらまんじゅうしながら柵の向こうへなだれ込む。入り口を入った後は人々は雪崩のように広い空間にバラけ、圧力から開放される。やった、入ったぞ。

しかし一難去ってまた一難。建物の入り口でさらに絶望的な列が出来ている。しかし、バスやマルシュで越える人は、右側に別の臨時的な裏入国審査所があり、よく状況は分からなかったものの、ここに並んで1時間も待たずに通ることが出来た。確かによく見るとここに並んでいるのは外国人と見られるフランス人や欧米人が多い。こちらはきっと特別窓口なのだろう。カザフ人でも金持ちならここを通れるのかだがどうやってそれを証明する?あくまでも外国人専用か?結局よう分からん。

荷物検査もなく、パスポートチェックも簡単で、ようやく国境を越えた。裏口のようなトタン扉から出ると、そこはもうカザフスタン。再びカザフスタンに入国。やれやれ。タバコに火をつける。国境の街は賑わっている。人が多い。午後4時15分。国境越え所要時間は、2時間弱。

乗ってきたマルシュを探す。まさか僕を置いて行っちゃってないだろうな?と、マルシュはすぐに見つかった。国境の目前の乗客は僕以外は年配のおじさん一人を除いて全員揃っている。人々は遅れてきた僕の姿を見て、「おぉ、やっと来たぞ!」と安堵の表情を浮かべる。どうやらなかなか現れない僕を探していたらしい。「よかったよかった」とみんなが僕に声をかける。運転手もホッとしている。そりゃそうだ。誰か一人が遅れれば、マルシュは出発できないので、そいつのおかげで到着が遅れることになる。国境を超えるマルシュの乗客は、運命共同体なのである。

それにしてもみんな要領がいい。僕よりも年配のオバちゃんたちも、僕より早くあの混乱国境を通過していた。僕もズル込みしたけれどそれより早いって一体どんなマジックを使ったんだ?国境はマジックが使えない場所じゃないか。

程なくして年配のおじさんも国境を越えてきて、乗客は全員揃った。そこで再びキルギスへのバスで一緒だった英語のできる若者と再会する。
「おぉ、またお前か!!」
出発間際だったので言葉を交わすことは出来なかったが、彼もまたアルマティへ行くのだろうか。

全員揃ったマルシュは、間もなく出発。午後4時半。あとはアルマティまで200kmくらいを走る。
車窓は再び大草原。「草原の道」を体感する。見渡す限りの草っ原。砂漠でも森林でも潅木でもない。馬が道のすぐそばで放牧されている。車に轢かれたりしないのだろうか。馬は臆病なはずだが、車が走る道の近くを悠々としている。そういえば、どこかに「牛注意」の道路標識があった。

午後7時。マルシュルートカは日が暮れかかるアルマティのサイランバスターミナルに到着。ビシュケクからちょうど所要5時間。カザフへの国境越えがあってよく5時間で着いたものだと感心する。乗客たちは三々五々自分達の目的地へ去っていく。旅は道連れ、一緒に国境を通った親子を撮影して別れる。あの混沌国境を一緒に通過したという、死地を共にくぐり抜けた戦友のような感覚、といっては大げさか(笑)。いや、戦争に行ったことはないのだけれど。
乗り合いバスの一期一会。

バスターミナルでビデオ撮影していると、変な酔っ払いみたいなオヤジに絡まれた。どうやら「ここで撮影すんな」と言っているようだ。僕はビデオをカバンにしまう。だがまだオヤジはいちゃもんをつけてくる。僕は奴を一喝する。「うるせえ!」
するとオヤジはスゴスゴと去っていった。いかん、気が立っているのはよくない。

バスターミナル前の大通りで、東方面へ行く路線バスを探す。停まったバスの運転手に、「中央バザール行くか?」と聞くと、近くにいた100番のバスの車掌が「これが行く」と答えたので、100番に乗り込む。ところが、バスの中で隣に立った乗客の若者に、「このバスは中央バザールには行かない」と言われる。そして前に座っていたおじさんが色々と教えてくれる。「16番に乗るべきだ」
若者は「バスを乗り換えなくちゃならない」と言って、あるバス停で僕と一緒に降りてくれた。で彼は自分のスマホで友達かなんかに電話をして、ここから中央バザールへ行くバスの番号を聞いてくれる。
「16番のバスが行くよ」
「そうか、ありがとう。」
記念に彼の写真を撮っているとすぐに16番がやって来た。
「ありがとう!」
彼は歩いて去っていった。実にいい奴だ。顔もアジア系で、日本人と言っても通用する、人の良さそうな、だけどそんなにモテなさそうな(失礼)顔立ちだ。
見ず知らずの旅行者に親切にしてくれる人との出会いが、旅を彩る。ボッタクリか親切か。

16番に乗って運転手から「ここが中央バザールだ」と言われて降りた場所から再び迷う。もう夜のとばりが降りている。歩くが中央バザールがなかなか見つからない。何度か人に道を聞き、ようやくたどり着く。その前にあるトルキスタンホテルが僕が探していた場所だ。しかし、フロントで部屋があるかを聞くと、満室だという。ガーン!もう午後8時を過ぎている。仕方なくバックパックを背負って大通りを歩く。疲れた足を引きずる。今日は午前中もかなりビシュケクの街を歩き倒したので疲労困憊だ。ジェトゥスーホテルにチェックイン。旧ソ連式の古めかしい建物だ。『歩き方』の情報から、高いことを覚悟したが、バス共同4000デンゲの部屋があり助かった。それでもドル換算すれば27ドルもするが。ここもチェックインから24時間滞在できる。明日の夜までいられるのは好都合だ。なぜならばここから日本に帰る飛行機は、明日の夜中発だからだ。歩き疲れたがその分チェックインが遅くなったことが幸いした。災い転じて。

もう9時。部屋に荷物を置き、夕飯を食いに外に出る。シー・ボンハーというカザフレストランへ。これまた道に迷う。行き過ぎたらしい。人に道を聞いてやっとのことで見つける。ガンファンという甘辛いあんかけがかかったご飯を食べる。美味い。量も多く大満足。これは間違いなく日本人の口に合う。難があるとすれば、ここのトマトサラダには、玉ねぎが入っていなかったこと(笑)。緑茶を頼んだら、ジャスミン茶だった。「これは緑茶ではない」と言いたかったがカザフ人にはお茶の種類が分からないのだろう。もっとも、日本のような緑茶はないよね、やっぱり。
ホテルに戻ったのは午後10時半。アルマティの街の街灯はやや薄暗いが、危ない感じはしない。

シャワーを浴びる。水を出し始めて5分くらい経ったが一向に水が温かくならない。仕方なく水で頭だけ洗うことにする。チクショー、ボロホテルが!と毒づいていると、水を出してから10分くらいで熱い湯が出始めた。何てことだ!こんなに時間差があろうとは!今までの限りない経験からすると、普通は5分くらい待ってお湯が出なければもう諦めねばならない。ここは10分かかるとは。結局その後は熱い湯が豊富に出た。今日が最後の夜なので絶対にシャワーを浴びねばならなかったが、どんでん返しで幸せな結末。歌を歌いながら浴び続ける。今回の旅の最中、口をついて出てきた曲は、尾崎豊『誰かのクラクション』、スピッツ『スターゲイザー』、そして山本憲治の『We're Lazy Sod』。(笑)
12時半就寝。

(続く)
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(中央アジア旅行記 −7−

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