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中米”超”移動記
1. Panama
パナマ
2005年12月5日月曜日。
パナマシティ新市街
パナマ旧市街のカテドラル。
パナマ旧市街から望む新市街 (雨模様⇔晴れ)
廃墟
旧市街の狭い路地
旧市街の子供たち
パナマの少数民族、クナ族のデザイン布「モラ」
パナマ旧市街西側商店街の賑わい
パナマ出国
国際バス、TICAバス。良い。
早朝5時過ぎのキト、マリスカル・スクレ国際空港の出発ロビー。ついに、2年間過ごしたエクアドルを離れるときがやって来た。昨晩は12時過ぎに床に入ったけれど、2時間くらいしか眠れず。
出発ロビーには、サッカー元エクアドル代表のスーパースター、エクアドルの国民的英雄のアレックス・アギナガがいた。ジャケットにジーンズのラフな服装。長髪の独特の風貌なので目に付く。彼もどこかに飛び立つらしい。
空港には見送りの隊員が7、8人来てくれた。今日発つ15−2同期は6人。芳村はすでに中に入ってしまったらしい。30分くらい最後の名残を惜しんで、5人(僕、後藤直子、マチコ、チカちゃん、ホーリー)はチャックインカウンターのある中へ入る。僕とホーリーは同じ飛行機でパナマシティへ向かう。CM210、コパエアー。
午前7時40分のコパ航空でキトを飛び立った僕は、2時間もかからずに9時半前にはパナマの首都、パナマシティのトクメン国際空港に降り立った。空港から協力隊パナマ事務所に電話を入れる。パナマの通貨はアメリカドル。エクアドルと同じで、自国の通貨でなくアメリカドルを使っている。札はそっくりそのままアメリカの紙幣を使っていて、コインはアメリカ産のものとパナマ独自のものが混在して流通している。重さ・大きさは両者のコインとも全く同じなのだがデザインが違う。この状況はエクアドルでも同じだ。試しに持っていたエクアドルのコインを公衆電話に入れてみたがやはりすぐに吐き出されてしまい使えない。そりゃそうよね、いくらアバウトいいかげん中南米でもそんな甘くないわさと思いつつ空港内のコーヒー店のニーちゃんに1ドル札の両替を頼んだが、返事はノー。おい君は困っている人は助けようという聖書の教えを知らないのかね?と逆憮然として困っていると、カウンターでコーヒーを飲んでいたオジサンが、ポケットからコインをかきだし、1ドル分を親切にも両替してくれた。いい人だ。
(ほう、なかなかイイんやないか、パナマ人。いや1勝1敗か。)
コインを使って電話を済ませ、市内へ向かう。「コレクティーボ」と呼ばれる乗り合いタクシーに乗ったのだが、何とこれがベンツ。一人10ドルという恐るべきボッタクリ料金(ちなみに一人で乗る場合は20ドル!)で、コロンビア人のオジさんと僕とホーリーの3人でパナマシティ市内へ向う。ただ、普通の空港タクシーに一人で乗ると25ドルというから、割合良心的なのかもしれない。
高速をしばらく走るとパナマシティの高層ビル群の只中にベンツは突入。凄まじいビル街だ。もちろんニューヨークやシカゴや東京ほどではないが、ラテンアメリカとしてはすごい数の高層ビルが建っている。キトの新市街など比べ物にならない。
(へぇ、パナマシティって都会やん!)
分かりにくいところにあるため市内でちょっと迷ったが、新市街にあるパナマの協力隊員連絡所に到着し、スーツケース等大きな荷物を置かせてもらう。午前10時前。
連絡所には2人の隊員がいて、1人はエクアドル隊員明男さんの同期のやないださん。いかにも人がイメージする「協力隊員の風貌」を持った人だ。沢ちゃん(15−2同期の澤山君)は同期の見送りのため空港に行っていて不在だった。そうだよなぁ、2年間の任期が終了して、いま15−2の同期隊員たちが、全世界から日本へ戻ろうとしているのである。
僕は、ここに必要のない荷物を置いて、これから中米を陸路で縦断するつもりである。青年海外協力隊には、2年間の任期終了後に、2週間の「帰任旅行」なる旅行をすることが許されていて、基本協力隊員が行ける国ならどこに行ってもいいことになっている。
陸路パナマを出発し、グアテマラまで行ったら飛行機でパナマに引き返し、それで僕の帰任旅行は終了、というわけだ。パナマからは、ロサンゼルス経由で日本に帰ることにしている。
よって必要最小限の荷物だけ持って、残りはここパナマの隊員連絡所に戻るまで置かせてもらう、という寸法である。
しばらく休憩して、昼12時前、一人でパナマ新市街に歩き出した。旅のBGMはもちろん、ヴァン・ヘイレンの「PANAMA」以外にはあるまい。
歩き出してすぐ、この街がどんな街であるか了解した。目にする風景は、(サンドイッチの)サブウェイ、巨大なマック、KFC、ハードロックカフェ、ウェンディーズ。アメリカ資本のチェーンホテル。”アメリカ的なもの”が続々と視界に入ってくる。
”なるほどパナマはアメリカの属国だ!”
そう、パナマはアメリカの実質的植民地なのに違いない。ついこないだまでアメリカにパナマ運河を支配され、通貨もアメリカドル。19年、反米を鮮明にしたノリエガは、アメリカ軍のパナマ侵攻により連行された。その後はもうアメリカ帝国のやりたい放題の元、何も抵抗できない、抵抗できないならアメリカの言いなりになっておいて助けてもらおう的主人と飼い犬的主従関係が今日まで続いている。それにしてもアメリカの非道は何度も言うけど正義感の強い僕には到底容認できるものではない(と言っても何もできないが)。1989年のパナマ侵攻とノリエガ将軍の逮捕連行なんて、奴ら圧倒的な軍事力に任せて人んちに土足で勝手に上がりこんで有無を言わさず人を拉致していく、ベトナムやイラクとまったく同じ構図である。他国に侵攻して指導者を連れ去るって、一体どうなってるんだ、奴らの頭の中は?アメリカがやってることは北朝鮮と変らない。北朝鮮の日本人拉致問題では、そんなアメリカに助けを請うという何とも悲劇的というか憤懣やるかたない現実に僕は呆然とするしかない。
実は中米最終日の12月15日、パナマに戻った僕は、同じく空港からスウェーデン人の若者と2人で再びコレクティーボに乗って市内に向ったのだけれど、この運転手が饒舌な小太りのオジさんで、観光客相手にパナマを良く見せようという心意気に満ち溢れた人だった。彼は、アメリカの属国のような現状を取りたてて否定もせず、是としているようであった。多くの国民は、経済的豊かさを求め、そのためならアメリカの言いなりになることも辞さない考えなのかもしれない。分からないが。
パナマシティ観光と言えば、まずはその旧市街(カスコ・ビエホ)を見ねばなるまい。パナマ旧市街は、スペイン人のペドロ・アリアス・デ・アビラにより1519年に建設された。ここも世界遺産に登録されている。400年近く前のスペイン植民地時代の景観が残されているためだが、僕がこれまで何度も言っているように、こんなものは世界”負”遺産であり、侵略、略奪、搾取、虐殺の歴史を忘れないためのものであると僕は思っている。
海沿いのバルボア通りからタクシーを拾う。まずは旧市街までの相場運賃を知るため、何台か止めてみる。1台目は言い値が「2ドル」で、こちらが「1.5ではどうか?」というとNGだった。ですぐ後に来た2台目を止めてみると、初めの言い値が「1.25ドル」だった。やはりタクシーには用心せねばならない。
1.25ドルでタクシーに乗り、僕は旧市街のカスコ・ビエホに向かった。平日の午後、旧市街に人影は多くない。ここパナマシティの旧市街の景観はとても独特だ。同じ旧市街でもキトやクエンカとは違い、文字通り”旧”市街であって、特に中心部は閑散として廃墟のようになっている。商店やレストランがほとんどない。現在は生活の場とはなっていないようである。
古く老朽化した建物が多い。だがそれは趣がある。繁栄の跡の虚無。ただ、時々真新しい教会や建物が現れる。廃墟ではなく、一応街の機能があるようだ。
カテドラル(大聖堂)は、古い本堂の両脇に新しい真っ白な鐘楼をツインで後から付けました、的な不思議な様相を呈している。
以下、旧市街を歩いていて気づいたこと。
・この街には黒人が多い。また、全体的に人の肌が黒い傾向がある。ボリビアのようなインディヘナの黒さではなく、アフリカ黒人の黒さが多い。
・僕のことを「チーノ」と言ってくる人が少ない。
・観光警察(ツーリスト・ポリス)の2人組が、親切にもタダでパンフレットや地図をたくさんくれた。彼らは挨拶を日本語でしてきた。彼らが日本人を認知している証拠だ。この街には日本人観光客が多いのだろうか。
・街でキョロキョロしていると、一人の品の良さそうなおばさんが「May I help you something?」と声をかけて来た。すごい。エクアドルでは絶対に考えられない。まず英語を話せるってことがすごい。
ツーリストポリスと話していると、日本人の若者が登場した。あ、やっぱり結構日本人観光客いるのね、と思いながら彼と話をする。なんでも、文化人類学だか歴史だか忘れたが、大学院の修士論文を書くためにパナマ旧市街を調査している、とのこと。
旧市街は、岬のように海に突き出た土地に造られており、海をの向こうに新市街の高層ビル群が見える。
中南米の旧市街は、狭い路地が多い。いや、これは別にスペイン系(欧米)の街に限ったことではない。アラブ系の要塞都市もそれこそ迷路のような狭い道である。
昼過ぎ、旧市街にいると大雨が降って来た。最近はほとんど見たことのないような恐るべき雨量。古い建物を激しい雨が叩く。
雨の中腹が減ったのでレストランを探す。旧市街にはレストランが全くなくて困った。結局やっと見つけたイタリアンレストランに入り、コンソメ鶏スープ、ラザニア、コーヒー、コーラで4.25ドル。高い。美味かったけど。
雨は2時間くらいしたら嘘のように止んだ。再び太陽が照り始める。
壊れかけた建物がたくさんある。いや、壊れたままの建物、といった方がいいか。レンガの間から、草が生えだしている。
旧市街の一画で露店を開いている人たちがいる。少数民族であるクナ族の、鳥などを描いた独特の刺繍が入った飾り布、「モラ」を売っている。クナ族は、カリブ海に浮かぶサンブラス諸島に住んでいる民族で、クナ族の女性が創るこの「モラ」は、民族衣装であるブラウスの胸と背中に縫い付ける飾り布だそうである。
ナスカの地上絵を彷彿とさせる線と、赤、オレンジ、ピンク、黄色等の暖色を中心とした色遣いがとても独特だ。
旧市街を西へ歩くと様相が一変した。延々と続く歩行者天国の商店街。夜6時過ぎ、多くの人々が繰り出し、買い物や食事を楽しんでいる。あらゆる店が軒を連ねる。露店のようなものからデパート、アメリカ帝国の象徴・マックまで、一大繁華街である。旧市街中心部の廃墟観に比し、いきなり人間の生活臭が満ち満ちている。なんだ、人々は生活してるのね、ここ。
パナマ旧市街 写真集
夕食は日本食レストラン「松栄(まつえい)」でカレー。さすがにパナマの首都ともなれば日本食レストランはたくさんあるようだ。このカレーが高くて少なく、納得できず。8.75ドルのバカ高。味はまずまずだったけどカレー汁がほとんどかかってなかった。オレンジジュース2ドル。これも高い。
店内には日本の歌謡曲がかかっている。
帰りは隊員連絡所の近くの目印、フォー・ポイント・シェラトンまでタクシー。1.25ドル。距離的にいえば、タクシー代はエクアドルよりも安いようだ。
連絡所に戻り、12時前には眠りにつく。ここ連日、帰国準備何やらで睡眠不足が続き、疲労がたまっている。
<パナマの物価>
それほど高くはないようだ。
・マルボロライト1箱+200ml洋ナシジュース・・・1.35ドル
・ミネラルウォーター500ml、リンゴ1個、カップケーキ(2個入り)・・・・1.15ドル
<パナマ雑感>
・英語表記が割と多い。例:ドアの「押す」の表示が、スペイン語だと「EMPUJE」だが、これが「PUSH」となっている
・道路標識「止まれ」は、エクアドルだと「PARE」だが、パナマでは「ALTO」。
・冷房が効きすぎるほどに効いている。タクシーや店の中。昼間、土砂降りの雨でずぶ濡れとなったのだが、その後店に入って冷房が効きすぎて寒いのには参った。
12月6日火曜日。
朝7:30前に起き、コスタリカ行の準備をする。今日は早速バスで隣国コスタリカに移動するのだ。
8時過ぎにパナマ隊員連絡所を出て、タクシーでテルミナル(バスターミナル)へ。
午前10時過ぎ、コスタリカの首都サンホセに向けてバス発車。TICAの国際バス。料金は25ドル。国際バスらしく、豪華なバスだ。
途中PM1:30頃に食事休憩。30分間。
面白い光景が一つ。パナマ人なのかコスタリカ人なのかは分からないが、親のしつけが厳しいのを目の当たりにした。立てかけてあった自転車を子供が倒してしまったところ、母親が子供を叩いて叱り、父親も口で厳しく叱っていた。エクアドルでは到底お目にかかれない光景だ。
午後6時前にパナマとコスタリカの国境に到着。日が暮れかけている。バスを降りて出国・入国手続きをする。スムーズ。
サンホセには翌12月7日午前2時頃到着。パナマシティからの所要時間15時間。(パナマとコスタリカの時差は1時間)
夜中、宿を探す。TICAバスの到着場所(オフィス)のすぐ近くにあったワシントンは満室。さらに近くにあったアジアホテルに、バストイレ共同で8ドル(3200コロン)で泊まることにする。汚く狭い安宿。
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