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2002年1月

このコラムを読んでいる皆さん。すべての皆さんがいつか死にます。例外はありません。それは近い将来かもしれないし、何十年も先かもしれない。今日喜びに包まれて生まれた赤ちゃんも、いつかは死ぬ。

若い時は、ごく身近な人間が若くして死ぬ、ということでもなければ、自分が将来死ぬことなど考えない。それどころか、自分が将来高齢者になるであろうことすら想像もしない。毎日毎日を、目先のことだけを考えて生きている。毎年正月はやってきて、夏が来て、また冬が来て、永遠にそれが続くと思っている。だが、きっと死ぬ間際になれば、「次の冬が越せるか」とか「今度の夏が来るまで生きていられるか」とか考えることになるのである。そこまで歳を取らなくても、ある程度の歳になれば、「死」が身近なものとして考えられるようになってくる。そして、自分が死ぬまでの時間を逆算するようになる。その上で、生きている間に何をするか、何をすべきかを考えるようになる。

例えば、病気で「余命あと何年」と宣告されたとすると、その人は残された人生を一生懸命生きようとするだろう。終わりの時が分かってしまったのである。普通の人も、最後には死ぬわけであるから、結局生まれた時から「余命あと××年」というのと同じなわけである。いつ終わりを迎えるかが分からないだけ。普通の人も、病気で死を宣告された人と同じように、毎日を一生懸命生きようとすれば、もっと充実した人生が送れるはずだ。まあ、若い時は「死ぬこと」など考える必要はなくて、夢とか目標を持って前に突き進めばいいと思いますが。やがて来る「死」を考えながら生きる、ってのは気持ちいいことじゃないけど、ある程度歳を取ってくると、そこから完全に目をそらして生きる、ってのもどうかな、と思う。人間いつ死ぬか分からないのである。明日交通事故で死ぬかもしれない。と考えるとやはりいつ死んでもいいように、充実した毎日を送ることを考えるべきだと思う。「充実した毎日の送り方」とは何か?それは人それぞれなので、自分で考えましょう。


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