2010/4/28 (Wed.)
人間ドックと桜

川べりの桜 (福島県郡山市喜久田) |
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今日は有給休暇を取って人間ドック。なんで有給で人間ドックに行かなければならないのか、全く理解不能だが仕方ない。
朝から大雨が降っている。病院は、温泉で有名な磐梯熱海にあり、車で30分ほど。
磐梯熱海温泉は、温泉街といっても、狭い道に間欠泉が湧き出し、湯煙の中を浴衣姿の人々が闊歩するといった、情緒ある日本的風景はなく、妙に開けた感じで人影がまばらなため、かえって寂れた雰囲気が強まって見える。決して人を多く集めているとは言えないだろう。ただ、ところどころに日帰り温泉があり、福島県内の人々にとっては、「熱海」という名前ともあいまって、割と知名度のある温泉地である。
そんな寂れた雰囲気を増幅する、初春の大雨。病院は、バス通り沿いにあり、通りには流行っていない温泉旅館も数件建っている。
外観は古びている病院だが、人間ドックのシステムはことのほかしっかりしていた。
8時半に受付。今回は人生で2度目の胃カメラを飲んだが、これがきつかった。普通、胃カメラ飲むときは、のどの奥で異物を吐き出す「ウエッ」となる反射をなくすために、のどを麻酔して感覚を麻痺させるのだが、この病院では、この麻酔を行わないポリシーらしく、麻酔なしでやった。これがきつい。そもそも、内視鏡の管が太い。そして、1度のどを管が通り過ぎても、のどの奥に当たる感じが常にあり、痛いというか辛い。涙がボロボロ、唾液がドロドロ出る。この苦痛をどうやって紛らわすかで頭がいっぱいで、モニターに移る自分の胃の中など、集中して見ていられない。だが診察自体は数分で終わったので助かった。
オプションの頭部CTを受け、10時ごろにはすべての診察が終了。ここではうれしいことに、診察が終わると、病院に隣接する保養施設で、温泉に入れる。普段なら仕事をしている平日の午前11時ごろ、大雨が山と川を濡らす穏やかな風景を見ながら、温泉につかる。いい。外は、新緑前の、緑が芽吹き始めた裏山の下に、渓流が流れている。それを見ながらの展望風呂である。人間ドックの後に温泉。苦痛の後に極楽。最高の挽回だ。
そして、風呂から上がれば、程なくして同じ保養施設で昼飯。もちろん人間ドック料金に込みである。これまた豪華。ご飯お代わり自由の、旅館的な飯である。おかずが何品もあり、量が多い。朝飯を食っていないので、たらふく食える。一緒に人間ドックを受けたおっさんたちは、次々にお代わりしていく。僕も腹いっぱいになるまで食べる。
午後1時半、結果速報を聞く。いつもの通り中性脂肪が高い。その他はこれといって異常なし。
降り続く大雨の中を車で郡山市内に戻る。途中、雨で光っている桜並木が延々と続いている場所を発見した。藤田川という川沿いに、たくさんの桜が植えられていて、満開だ。大雨に濡れそぼっているが、それもまた風情がある。そういえば、しばらく桜の木の下で酒を飲んでいない。 |
2010/4/25 (Sun.)
郡山

2010年3月10日、ベランダに積もった雪 |

2010年4月17日、4月になっても大雪 |
郡山での初めての冬が終わりかけている。まだ終わった感じがしない。なぜなら、つい先日の17日に大雪が降ったし、22日にも積もったからだ。何十年かぶりの季節はずれの出来事だったらしいが。
郡山の冬は、思ったよりも寒かった。以前8年間住んだ仙台よりは寒かったようである。
積もるほどの雪が降ったのは6、7回くらいだったと思うが、1月頃は、毎晩のように小雪が舞っていた。
ここにきて、ほとんどの人がスタッドレスタイヤをノーマルに履き換えている。
さて、郡山はどんなところか。
これといった名物がない。会津やいわきや相馬には名物や見所があるが、郡山には、そういうものがない。福島県の中では一番栄えている街のようであり、一通りのものは揃っているが、「郡山ならでは」というものがない。歴史的にもここは特に重要な役割を担ったことがない、いわば新興都市ということだろう。ちなみに、福島県で歴史といえば、やはり会津である。1月の日記でレポートしたとおり、会津には鶴ヶ城があり、白虎隊の墓がある。江戸時代、幕末から戊辰戦争にかけて時代の一方の中心にいた会津藩の歴史は、日本史そのものである。旧幕府側の命運とともに、会津藩も潰える。
郡山では、ガス料金がバカ高い。東京にいた頃の3倍以上だ。LPガスだからと思うが、こういうアホな公共料金が一社独占のために選べないのはムカつく。競争原理を取り入れて欲しいものである。
福島県には、特定の苗字が非常に多い。宗像(むなかた)さん、国分(國分)さん、今泉さんが会社に何人も何人もいる。宮城では佐々木さんが多かったが、その他は特にこれと言って目立った苗字はなかったと比べると、こんなところに郷土色が色濃い。
僕の住む町は、いわゆる住宅街なのだけれど、ところどころに街灯のない通りがある。普通の舗装道路であり、住宅が両側に建っている道にである。歩いていると急に暗くなるので分かる。車社会で、若い女性が夜遅く一人歩きすることを想定していないのだろうか。
郡山に移転してもうすぐ1年。福島県は見所が多いがまだまだ行っていない所が多いので、少しずつ攻略していく。 |
2010/4/18 (Sun.)
福島FM
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夕焼け |
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郡山に移転以来、車通勤なので本を読む量が少なくなったと以前書いたが、その分ラジオを聴く時間が長くなった。
でここらのローカルFM局といえば、福島FMである。
僕が聞く通勤時間帯の福島FMの番組で、僕の琴線に触れるものは全くない。ちなみに、僕が以前好んで聴いていたFM番組といえば、例えばNACK5の『おにたま』がある。「はがき職人」という言葉は、僕たちが中高生のときにFMを聞いていた頃にはなかった言葉だが、この『おにたま』は、その「はがき職人」たちの鋭い感性とウィットが存分に感じられる番組だったと言えよう。
それから、日曜午後の東京FMの、山下達郎とか中村正人とか福山雅治とかユーミンの番組もよく聴いていたっけ。あのユーミンの番組のお便りコーナーでは、主に女性の聴取者からの、恋愛についてのあまりに生々しくドロドロした内容の、時には「ありえネェだろ、それ!」と突っ込みを入れたくなるような現実離れしたお便りが毎週毎週紹介されたものだが、その非現実的な展開を伴う衝撃的、劇的な内容に、「あれは番組スタッフが捏造した「でっち上げはがき」じゃないか」、とよく噂されたものである。
とはいえ、福島FMにも、ローカル局ならではの味はある。
それは例えば、万年鼻詰まりの女性アナウンサー。まずい英語をひけらかす軽いノリの男性アナウンサー。そしてテレビでもそうだが、こちらのスポンサーには、パチンコ屋の多いこと、多いこと。CMはパチンコ屋のオンパレードである。
そんなことはまぁどーでもいいとして、ここからが本題なのだが、何といってもこの福島FM、メディアとしてのレベルが低いのが問題である。
ある日の夕方、ニュースや音楽を流す情報番組の中のスポーツニュースのコーナーで、女性アナウンサーが、大相撲の結果を読み上げていた。
「○○対××は、しもてなげで○○の勝ち。」
僕は一瞬「おっ、聞きなれない決まり手だなー」と思った。きっと、何年かに1度出る珍しい技だろうな、と。
だが、続く取組の決まり手も、「しもてなげ」だったのである。
ここに至ってはさすがに僕にも状況が理解できた。
つまりはこの女性アナウンサーは、「したてなげ(下手投げ)」を「しもてなげ」と言っているのである。全部ジョークで固めたお笑い番組でもあるまいし、夕方の真面目な情報番組において、こんな恐るべき誤りを、僕は公共の電波から聞いたことがあるだろうか。否。この人は、いままでの人生で相撲中継を見たり聞いたりしたことがないのだろうか。アナウンサーという職業には、政治・経済につけ社会問題につけ、スポーツについても、浅く広い知識が要求されると思うのだが、こんな誤りをするとは、とんでもない箱入り娘なのかもしれない。
まぁ、そんなこともどうでもいい。知識とか常識の欠落は、誰にでもあることだ。このような決定的致命的間違いをしても、誤解や無知ならば仕方あるまい。いかに明白な間違いといえども、人間誰でも一つや二つ、抱えているだろう。たまたまそれが公共の電波に乗って不特定多数の人々に届いてしまっただけである。かく言う僕も、このホームページにおいてどんなトンチンカンな誤りを犯しているやもしれない。
問題なのは、その明白な誤りが、15分くらい番組内で訂正されなかったことだ。これは、公共メディアのあり方として、看過することは出来ない(笑)。この放送は、福島FMの局内で、誰も聞いていないのでしょうか。誰も近くでこの女性アナウンサーの発言を聞いていないのでしょうか。ディレクターとか、アシスタントとかいう人たちはこのスタジオの周りに誰もいないのでしょうか。そんなはずはない。もし誰かがこの発言を聞いていれば、こんなの、次の瞬間に訂正してもよさそうなものである。だが、番組はそのまま何事もなかったかのように延々と続いた。そしてようやく15分後くらい、忘れた頃に訂正のアナウンスがなされた。
これは大問題である。公正、正確を旨とする公共メディアにあるまじき態度、対応である。全く、レベルが低い。
もしあの誤りの直後にラジオを切った青少年がいたら、その後の彼の人生において、「下手投げ」を「しもてなげ」と読んでいくかもしれない。青少年に誤った知識を植えつけたかもしれないのだ(笑)。
ちなみに、また本筋とはそれるが、この女性アナウンサーは、巨人の木村拓也コーチが亡くなったニュースも、普通のアナウンサーであれば暗く、沈痛な声で読み上げるはずだが(少なくとも、そういう沈痛さを、聴いている側に分からせるようにして読むはずだが)、普通の明るいニュースと同じように、いやむしろひょっとして笑っているのではないかと思うくらいに楽しげな声で読んでいた。アナウンサーとしてのテクニックがないのか、それとも本当に人間の心がないのかは不明だが、いずれにせよ僕は不快な気分になった。
ただの文句のようですが、まぁたまには。 |