2006/8/19 (Sat.)
ビッグマウスの末路は?
先々週、今や社会現象的話題の亀田選手のボクシング世界タイトルマッチが行なわれた。

八鶴湖花火大会(千葉県東金市) |
試合後の判定結果発表。その結果には、試合を見ていた人のすべての頭の中に「?」マークが100個くらい浮かんだ。最後フラフラで倒れる寸前だった亀田がなぜか勝利したのだ。本来ならここでは誰かを取り上げてどうのこうのっていうのはしたくないんだけど、こういうことになっちゃうと、どうしても一言物申す!って書きたくなっちゃうんだよねー。それに、最近はあまりパッとするネタもないしねー。
それにつけても。彼の幼稚さは何とかならないかね。マスコミで出れば出るだけ彼の幼さが露出して、見てて痛々しい。確かにまだ19歳だからガキなのはやむを得ないとしても、あれだけマスコミに露出して、一挙手一投足が注目されているわりにはあまりにも軽率だ。このままじゃ世論に潰されちゃうぞ。
亀田はあれだけ相手を挑発しておいて(キューピー人形をプレゼントした)、おむつとおしゃぶりの挑発返しをされると逆切れ。なんじゃ、そりゃ?
そこはカメダクン、プレゼントされたおむつはいちゃうとか頭にかぶってみるとか、得意のパフォーマンスでスマートに切り返さなあかんよ、キミ。自分が相手に対してやったのと同じことをされて逆切れするとは、”子供”でしょ。頭で5秒くらい考えればすぐに分かることだ。今日本社会ではその”子供化”が大人にまで浸透してきているのが問題なわけだけれど。こういう人間性がマスコミで大々的に宣伝されると、若者たちが多大な影響を受けそうで怖いねー。まぁ、こないだスポーツ新聞で二宮清純氏のコラムに書いてあったけど、あるアンケート調査によれば国民の8割が「亀田を嫌い」としているそうなので、そういう意味ではひとまずは安心だけど。ベテランのランダエタがおむつとおしゃぶりでガキ扱いするのも無理はない。というか日本人の礼儀正しさがカメダクンのおかげで台無しだ。ランダエタは、「若いとはいえ、日本人とはこんな礼儀知らずの無礼な民族なのか」と思ったとしても不思議ではないぞ、こりゃ。ボクシングは、相手に肉体的ダメージを与えるという、殺るか殺られるかの特殊なスポーツだってことは分かるし、となると余計な温情を持たないようにリング外でも相手を敵視する政策なのかもしれないけど(よくあるよね、試合前の記者会見とかで二人が睨み合って一触即発場外乱闘一歩手前って状態になることが)、だけどさ、っていうかボクシングみたいなスポーツだからこそ、戦う相手に対して敬意を払うことが大事なんじゃないですかね?WBCで王監督も言ってたよ(※注)。石器時代〜中世における”野蛮人”から理性的な”文明人”になっていく過程で大切なポイントですよ、ここは。結局なんかメチャクチャじゃん、ってのはあまり価値がないように思うんだが。
ほとんどの人はアンチ亀田で、今や彼が負けるところを見たくて早く「ザマァミロ」を言いたくてウズウズしてるってとこだろうけど、中には今の世の中、あんな父子愛を体現してる親子はないよとか、夢を追う一家とか、過酷かつ奇想天外な練習とか、そんな

田んぼに射す夕日(千葉県九十九里町) |
まぁ美話的部分をことさらに強調してアンチ亀田に反抗する向きもあるわな。もっとも、マスコミとしては視聴率が取れるこのキャラクターをどうやって維持していくかに躍起だろうから、色々見せ方(報道の仕方)のシナリオを考えてるだろうね。「亀田一家」というイメージは結局マスコミに作られてしまって、僕ら視聴者はもとより、本人たち自身もほとんど何も考えずに踊らされてるって節もあるわな。
まぁとにかく。少なくとも、任侠系とかツッパリハイスクールロックンロールとか硬派路線目指すんなら、有言実行でなきゃ。ビッグマウスでも、「口だけ」っちゅうのが一番良くないですよ、そりゃキミ。まぁ、父親も父親だ。彼はランダエタのスパーリング見て「弱い弱い、弱すぎる」って豪語してたくらいだから、まぁ、子供は親を見て育つってわけでこの親あってのこの子供、ってことですか。まぁ、ああやって周りに向ってマスコミ使って口外豪語することで自分に「負けられない」というプレッシャーをかけて追いこんでいるのかもしれんですが。
でなけりゃ路線変更だ。僕の提案としては、彼の特性からして、硬派路線を全部捨てて、笑いを取る3枚目系に進んでいけば結構いけると思うけど。そうすりゃ引退後の芸能界でのポストも約束されたようなもんだ。
今からでも遅くない。路線変更することで彼の人気は爆発するかもしれないぞ。
(※注)
WBCのリーグ戦で日本が韓国に敗れた試合後、日本選手たちの眼前で韓国の選手たちがマウンドに韓国国旗を立てて喜んだ。だが、準決勝で日本が韓国に勝ったときには、日本選手はそんなパフォーマンスをしなかった。これは、王監督から”喜びの表現の仕方はいろいろあるが、いかなる時でも相手に敬意を払いなさい”という訓示があったからだという。 |
2006/8/9 (Wed.)
1億総携帯化
夜、出張帰りの僕は京急に乗り、空いていた座席に座った。それとなく前を見る。そこに広がる光景を目の当たりにして呆然とした。僕の向かい、前の横長6人がけの座席に座っている6人の男女すべてが、自分の携帯を右手に持って盛んにその画面を見つめているのである。6人の全く関係のない個人が、図ったように同じ姿勢で携帯を覗き込んでいるのだ。シンクロナイズド・セルラー・イン・夜の京急羽田空港行き。
ねぇねぇ、君たち、何か狙ってますか?見知らぬ男女のように見せかけて実はグルなんですか?
それにしても6人が6人とも揃って。6/6。まさに”日本人、携帯の奴隷となるの図”そのものである。日本人没個性の新しいカタチ。

雨の無人駅(福島県内) |
一昔前、ケータイというものがこの世にまだなかった頃、電車の中で目的地に到着するまで退屈思考停止状態にさらされる人がやることといったら、スポーツ新聞や日刊紙を読むか、本を読むか、ジャンプマガジンサンデースピリッツという漫画四天王に代表される週刊漫画雑誌を読むか、さもなければかわいい女の子が車内にいないか、キョロキョロと捜すことだった。だけど近頃は漫画を読む人が大分少なくなったように感じる。漫画読者のメーン層である高校生、大学生は相変わらず漫画を読んでいるのだろうか。ちなみに僕は上記四天王の他に、細野不二彦の『東京探偵団』が連載されていた少年キングも愛読していた。さらに言うなら、どうでもいいことだが、僕が一番好きな漫画の一つが、細野不二彦の『あどりぶシネ倶楽部』である。もちろん、『釣りキチ三平』がそれに匹敵することは言うまでもない。
時は流れ、それらに代わって現代人は電車の中でケータイを見る。
しばらく見ていても6人はそれぞれ自分の世界に入り込んでいる。僕はだんだんとこみ上げてきた可笑しさをこらえて、6人は携帯で一体何をやっているのだろうと観察を続けた。携帯を”見ている”わけだから当然電話で会話はしていない。メール?ネット?ゲーム?
ほどなく一人の女性が携帯をパタンとたたんでかばんにしまってしまい、電車の中で繰り広げられた、僕だけが楽しんだささやかなショウは終了。
電車の中で本に夢中になって、気がついたら降りる駅に着いてて慌てて降りたら、見慣れた世界が全く変わってしまっていた。
パラレルワールドへ。 |
2006/8/5 (Sat.)
日本の夏、祭りの夏
僕の住む京急沿線の小さな町は、下町風情の残る商店街や中小工場が存在する。
商店街主催の祭りは、東京のど真ん中なんだけどなぜか「阿波踊り」。中央線沿線の阿佐ヶ谷とか高円寺などでは、一時期「祭り戦争」が勃発し、各町の商店街で人を呼べる祭りイベントを検討した結果、日本各地の有名な祭りをコピーして持ってくる手法で阿佐ヶ谷は七夕祭り(オリジナルは仙台)、高円寺は阿波踊り(同徳島)を導入している。東京に限らず、全国的に様々な有名祭りがコピーされて他の街で行なわれる、いわば”他人のふんどしで相撲を取る”的全国展開が見られる。”よさこい”(オリジナルは高知)なんか今やいたるところでやってるでしょう。
まぁそれはいいとして、わが街の祭りでは子供たちが活躍している。
きっとわけのわからぬまま親に強制され、ただちょっと踊ってみると結構楽しかったりしたから気合入れて練習して。だけどこうやって子供を巻き込んでいくことが実は大切なことなのだ、と思う。
伝統の祭りなんて、そんなものだろう。街や村が一体となるイベントとして重要な役割を担ってきたと思うわけである。この祭りにより若者−中年−老人といった世代間の結びつきも維持されるわけである。
子供たちは、もう物心つく前から祭りの一部に組み込まれ、それは自分から手を上げて「やります!」って選び取ったことじゃなかったろう。毎年毎年そうやって当然のことのように祭りに参加し、やがて若者になり、なぜかもう自分は祭りの中心となっている。祭りのDNAが本能のように自分にその祭りをさせる原動力となっているのだ。そこには、「なぜ祭りに参加するのか?」という問いはない。「祭りには参加するものだ」というDNAがあるのだ。我が街のこの祭りにはきっと伝統はないけれど、子供を積極的に参加させているという点で、住民全体で盛り上げる、という昔ながらの自治会コミュニティー感覚を維持していてとても好感が持てた。
最近、「なぜ勉強するの?」などというこしゃくな問いをするガキがいるらしいが、せからしか。「なんやらよく分からんけど、将来エラい人とか金持ちになるためには勉強しなきゃならない」くらいの感覚で勉強なんて適当にやってりゃいいのだ。親がいい大学に入れるために勉強を強要するってのが問題だろう。昔は塾に通ってる奴なんかほとんどいなかった。今と逆で、そんなところに通ってたら逆にいじめられかねなかったよ。今の子供はみんながみんな学校終わったら塾で夜まで勉強、そりゃかわいそうだ。「何でこんなに勉強しなきゃならないの?」って聞きたくなる気持ちもわかる。もちろん周りの環境にもよるが、昔は子供は四の五の言わずに学校が終わったらすぐに外を飛び回り、家に帰ったら疲れてすぐに寝ていたものだ。
今の世の中は昔に比べて子供でもアクセス可能な情報が多すぎて、その情報の洪水氾濫の中で子供たちは色んなことを目にし、耳にする。そのことで子供が社会の仕組みとか国際情勢とか歴史とかを学んでくれればいいんだけど、世の中に出回っている情報には、欺瞞、悪意、偏見、差別に満ち満ちた誤情報が何と多いことか。まだそれらの中から正しい情報を取捨選択できる能力のない子供たちは、すべてのそういう悪風にさらされることになる。そんな中で生きていると、弊害として何や知らんけどきっと色々余計なことを考えるようになる。そうやって情報の中で子供がどんどん変質していく。メディアから子供は学ぶが、その情報の質というものがいい意味でも悪い意味でも僕らが子供だった頃と比べて大分変わってきてるよなぁと感じる。
週末、街を歩いていると、小学生の子供たちのグループが歌を歌っていた。
「♪1,2,3,4、アルソック。5,6,7,8、アルソック」
こういうのを聞くと、やっぱり子供は今も昔も同じだ、とホッとする。
彼らは、テレビで流れているフレーズや流行り言葉やちょっとした耳に残るCMソングをすぐに覚え、自分でも口ずさむ。これぞテレビによる言語教育。それに、今の子供たちは、テレビ画面に次から次へと出てくるお笑い芸人たちのギャグなどもきっと真似しているんだろう。それはいいとして、レーザーラモンHGなどという輩がいるのを僕はエクアドルから帰ってきて初めて知ったが、あれを見て親たちが「教育上良くない」と眉をひそめて困惑する気持もよく分かる。あんなのは僕らがガキのころにはいなかったもんなぁ。
僕も、中学の頃の修学旅行で、バスの中での各自一芸コーナーで、友達の福田と一緒にマイクを握り、
「♪タンパックスタン○ン!」
などと声を張り上げて歌ったのを覚えているが、今でもそのときの車内の冷めた反応というか、戸惑いの空気というか、苦笑いの田園風景のなかバスは走るといったものが思い出される。僕たちは、テレビで頻繁に流れていたその語呂が何となく気に入り、その言葉が何を意味するかも知らないまま、高らかに叫んだのだ!全く僕らは無知だった!
話は色々脱線したが、祭りで無邪気に、真剣に、照れながら、緊張しながら、楽しそうに踊る子供たちを見ていると、いやいやまだまだ日本の子供も捨てたもんじゃねぇぞ、という明るい未来を見た気がするのだ。 |