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日記
(2009年8月)
2009/8/29(Sat.)
新潟競馬場(新潟県新潟市)

競走馬輸送中のJRAトラック(福島県内磐越道)


パドック

今日は朝早起きして、車で新潟競馬場へ遠征する。第1レースの10時までに着くために、朝7時半に出発。新潟までは高速でおよそ2時間と聞いている。空は曇が垂れ込めている。郡山ICから東北道に乗り、磐越道に乗り換え、一路新潟へ急ぐ。土曜朝の磐越道は空いている。会津若松から先は片側一車線の高速道路だが、懸念していた渋滞もなく、スイスイと走れる。
途中、競走馬を輸送するJRAのトラックを何台も追い抜いた。パーキングエリアにもたくさんのJRAトラックが休憩している。朝輸送し、ここに乗車している馬たちが、今日のレースでターフを走るのだ。競走馬にとって、長距離輸送は大きな負担である。この輸送で馬体を減らしてしまう神経質な馬は、レースで力を発揮できないことがあるので、調教師たちも大変である。今ここを通っているのは、美浦(茨城県)のトレセンからの馬たちだろうか。

車は順調に走り、新潟空港やビッグスワンを通り過ぎ、ちょうど2時間で新潟競馬場到着。ここには広大な無料駐車場があるのでうれしい。
入場料を払って中に入る。この競馬場も清潔感あふれる場所だ。10時からの第1レースのため早速パドックへ。パドックは広々とした外にあり、開放感がある。空からは徐々に雲が取れ、昼前には晴れ上がった。
本馬場は、広々としている。とにかくメインスタンド前の直線が長い。JRAの競馬場で唯一、1000mの直線コースがあるだけあって、メインスタンド前の直線は、向かって左方向、はるかかなたまで延びている。直千レースのスタート地点は、1kmもかなたにあるのであり、メインスタンド前からはほとんどスタートの様子は見えない。
メインスタンドの前は芝生で、どこの競馬場でもそうであるが、ここにレジャーシートを広げて宴会をしていたり、昼寝をしていたりいる人たちがいる。競馬場は、このように公園化するのだ。別に馬券を買わなくとも、週末、観光地でなく競馬場に出掛け、馬が走る横で昼寝するというのが贅沢なのである。

この競馬場の唯一の欠点と言えば、「食」だろう。府中、中山、福島に比べ、フードコートとか食堂、および食べるスペースが少ない。たいてい、一人で来ている賭博師は、発泡スチロール的器のカレーかカツ丼かラーメンあたりを買って、テーブルで立ち食いしながら新聞見て検討を続けるのである。このスペースがないと、つらい。
一方、この競馬場の長所は、僕にはあまり関係ないが、遊具を備えた公園的な広場があり、子供が遊べる場所が多いところだろう。これなら家族で来れる。ポニーやゴーカートに乗れるコーナーまである。

新潟競馬場の風景

途中、何レースか休んだが、最終12レースまで戦い、結局この日もわずかのプラスのみ。ホテル代を稼げたら、新潟に一泊して、翌日曜は新潟観光をしてみようとも思っていたのだが、致し方ない。ホテル代はおろか、行きの高速代3800円を儲けることすらできず、帰りは下道で帰ることにする。

帰り道。阿賀野市の田園風景は、見渡す限り。田園を会津方面に向くと、今度は山あいの峠となる。国道49号に沿って流れるのが阿賀野川。素晴らしい河だ。豊富な緑色の水量が、ゆったりと山間を流れる。山は深く、緑が濃い。ここには阿賀野川ライン下りがあって、どう考えても雄大な景色が楽しめそうだ。今度来よう。

国道49号は、福島県に入ると、峠の連続。カーブと昇り降りの連続となる。信号はほとんどない。土曜夜の山の中を飛ばす。
高速で2時間の道のりは、下で3時間半。
2009/8/12 (Wed.)〜8/16(Sun.)
ひとりキャンプ2009
高山⇒白川郷

只見ダム近くの橋 (福島県南会津郡只見町)

只見ダム、鏡

只見駅 ⇔ 神社

田子倉ダムから見下ろす山あいの只見ダム

ここで車の中で寝ました(手前左) ⇔ 民宿「こお家」
(岐阜県高山市)
 

日本の風景(岐阜県下呂市)

山の中の植林小屋。雨が降ったらここで自炊。

岐阜県高山市の山には、カラスアゲハが多い。青いりん粉が鮮やか

 安国寺から見る日本の典型的農村。仏教信仰と日本。

飛騨高山の街並み 
 
 
高山ラーメン。普通の醤油ラーメン。
 

 白川郷の合掌造りの家屋、そして緑田

8月12日(水) 晴れ
今年もお盆休み、一人で山に向かった。午前中、車に野営用品を積み込み、昼過ぎに出発。まずカインズホーム(ホームセンター)で水のポリタンクとコンロ用ガスカートリッジを購入し、併設のマックで昼飯を買って車の中で食べる。
今年の夏は暑さが弱い。郡山に移転したせいもあるが、あまり暑さを感じないまま、お盆の盛夏を迎えている。例年なら一番暑い時期だ。東京で酷暑の夏なら、連日35℃近くまで上がるのだが、今年は全国的に涼しい夏のようだ。今日は真夏の太陽が照らしているが、それほど厳しい暑さではない。絶好の行楽日和。

ガソリンを満タンにし、午後2時半頃、岐阜県は高山へ向かう。なぜ高山かというと、別にたいした意味はない。岐阜の辺りはあまり行ったことがなかったから、という理由だけである。僕は車にETCを装備していないので、下道で行くことにした(結果的に、ある程度予想はしていたが、高山まで12時間かかることになる)。
まず郡山市から須賀川市へ入り、緑鮮やかな稲田の風景を見ながら、天栄村(羽鳥湖)、下郷町を通り抜け、南会津町へ。田島の街を過ぎ、国道289号で北東方向へ只見町に着いた頃には、もう日は傾いていた。(県道47⇒国道118⇒国道121⇒国道289)
JR只見線の只見線は、山をバックにしたローカルな風情。そして、只見川、只見ダム、田子倉ダムの景色は秀逸だ。只見川の水面には、バックの山々がくっきりと反映している。山と空がさかさまになって水上に対照絵を描く。しばらくすると水面を霧が流れ始める。
田子倉ダム上部には登ることができて、眼下に水力発電所、その先に只見川が山あいを流れるさまは絶景。山に囲まれたダム湖の田子倉湖には、白い遊覧船が桟橋に横付けされている。若者とおじさんの観光客一組がいるだけで、夕暮れのダムはひっそりとしている。ダム横の展望レストランは閉鎖されたかのように人気がなく閉ざされている。

国道252号で夕焼けの新潟県魚沼市に入り、山間部に早い夕闇が訪れる。山々を縫う曲がりくねった道は、街灯が少ない。山の端がオレンジ色に輝いた後、辺りは暗闇となる。ここらの道にはスノーシェッドが次々と現れ、冬の豪雪を想像させる。
すっかり夜になった小出の街を過ぎ、国道17号を南下、六日町から国道253号で十日町、さらに国道117号を南西へ、津南町から長野県へ入り、野沢温泉村、飯山市、中野市、小布施町、国道18号をさらに南下、長野市の脇をすり抜け、国道19号で松本市に入ったのは、もう真夜中12時頃だった。レストランで夕飯を食う予定が、開いてるファミレスとかなさそうなので、コンビニ弁当を買って車の中で食べる。
松本まで500km、さすがに疲れたので、泊まろうと思って見つけたルートインホテルは、満室とのこと。日本に4つある城国宝の一つ、松本城を見たい気もしたが、仕方なくこのまま高山に向かって走り続けることにした。

松本と高山を結ぶ国道158号は、北アルプスの南、上高地辺りの峠を走る、超ワインディングロード。トンネルも次々と現れる。もう疲れていたがこのカーブの連続で息もつかせぬハンドル操作を強要され、さらに他車が結構スピードを出していて、後ろから突っつかれるので気が抜けず、すでに10時間以上運転してきた疲労は、頂点に達する。ここらも冬季通行止めの部分が多いらしい。途中安房峠道路という750円の有料道路を抜け、とうとう岐阜県高山市に入る。高山市外に程近くなったところで午前2時。市街に程近いと思われる郊外に、こお屋という小さな旅館があったので、泊まれるか聞いてみることにする。玄関の引き戸は無用心にも開いていた。ごめんください、と中を呼ぶが、みんな寝静まっているのだろう、何の返答もない。仕方ないので、ここの駐車場で車の中で夜を明かすことにした。旅館前の出っ放しの水道(井戸だろうか)でポリタンクに水を汲む。シートを倒して眠りにつく。

高山まで12時間。みんなETCお盆割引で高速を使っているのだろう、下の道は空いていた。信号も少なく、スピードは出せたが、やっぱり岐阜は遠かった。高速はすごいことになっているはずだが、長距離を行くには下も下だ。

8月13日(木) 雨時々晴れ(高山)
朝8時ごろ、旅館から出てきた人々のざわめきで目が覚める。高校生の部活の夏合宿なのか、トレーニングウェア姿の若者たちがぞろぞろと外に出てきた。
僕は近くにあった自販機で缶コーヒーを買い、昨日コンビニで買っておいた菓子パンを食べる。天気が悪い。どんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。
8時半頃出発。地図を見て野営地として目星をつけていた場所へ。岐阜県を南北に貫く国道41号から離れ、山の中に入る。林道を上がったところに「三休の滝」という高山市指定景勝の滝がある。ここの脇にちょっとした平地があり、ここはいい。ここを第一候補として、もう少し南に行って他にいいところがないか見に行く。41号を下呂方面へ。飛騨川沿いの道は景色がいい。両側を山に圧迫された道に沿って、川が流れる。降り出した雨が激しくなってくる。
下呂市小坂の辺りの山の中も、渓流があって環境はいいが、平地がなく、テントを張れそうな場所がない。林道を車で上がったはいいが、道幅は車一台分しかなく、Uターンする場所がない。舗装してあるところまで上がれるだけ上がって、下がるときはそのままバックで注意して降りる。何しろ片側は渓流へ一気に落ち込む斜面となっており、タイヤを踏み外したら大変だ。

川沿いに立つ家々は絵になる。山と川が共存する日本の風景が、雨で煙っている。濡れた林道に蛇が這い出しているのを何度か見た。
小坂の街は、小さいけれど昔ながらの街並みで、ワクワクする。この辺りには滝が多いらしく、「小坂の滝めぐり」というキャンペーンののぼりが見える。さらには、もうすぐ飛騨小坂の奇祭、「力持太郎火祭り」というのが行われるらしく、いたるところにのぼりが立っている。全く気になる祭りだ。

さて、結局初めに下見した高山市の三休の滝の脇に野営することに決めた。高山市内のスーパーで、食料を買い込む。いつも通り、缶詰中心の食事だ。魚、焼鳥、果物の缶詰。そしてオレンジ、トマト、菓子パン、バームロール、インスタント味噌汁。コーヒーは家から持ってきた。
野営地に落ち着いたのは午後3時ごろ。雨が降ったり止んだりの妙な天気だが、天気が良くなる気配はない。そのうちに雨が激しくなり、テントが建てられない状態となる。だが、好都合なことに、滝の脇に、以前この辺りの植林時に使った小さな小屋があるではないか。この中で昼飯を作ることにする。ラジオで高校野球を聞きながら、遅い昼飯。携帯は圏外だが、ラジオの電波はもちろん届いている。
その後、小屋の中で読書をし、夜になり、夕飯を作り、ラジオでナイターをききながら夕飯。

「三休の滝」の滝つぼは深くなく、小さい。トマトとオレンジを袋に入れて水の中にいれ、冷やす。

雨は降り止まず、結局この日は昨日に続いて車の中で寝た。外では常に滝の音が結構大きく聞こえるのだが、車に入ると、ほとんどしない。山の中が静まりかえる。

8月14日(金) 晴れ

三休の滝
 
飛騨高山の一風景

今朝は晴れ渡っている。朝の滝は清々しい。山の朝は涼しい。昨日は日中は雨で寒いくらいだったが、今日は昼にかけて気温が上がった。
ようやくテントを建てる。今回は引越しの際に出たダンボールをつぶして持ってきた。テントの下に敷くためである。こうすると、地面の冷たさと固さがシャットアウトされ、夜快適に眠れるというわけである。テントのペラペラのグランドシート1枚では、固い土の上ではとても寝づらいのだ。ダンボールの保温性と緩衝性はテントの下敷きにもってこいである。これは、花見のときのブルーシート下にも応用できる。ダンボールのおかげで、暖かさと柔らかさが確保できるわけである。
山の中のテントでくつろぐ。贅沢だ。

今日は日がな一日本を読んで過ごした。昨日とはうって変わった好天である。
この辺りにはトカゲが多い。いくつかの種類がいる。それと蟻は、銅だけが赤いタイプ。大きさは普通。そして、巨大なカラスアゲハが、気まぐれな木の葉のように、ひらひらとあっちこっちに飛んでいる。この辺りの山に多いらしい。
アブに刺される。いつものことだが、ここにもアブが多い。奴らに刺されてもそれほど痛くないのだが、その後の腫れあがり方がひどい。

このお盆の時期、三休の滝を見に、林道を車で上がってくる観光客が時々いる。今日は車が5台くらい、バイクが1台。たいてい、僕がテントを建ててキャンプしているのに始め驚いた様子だが、滝を見るとそんなことは忘れてしまうようだ。そう、この滝はなかなかのものなのである。落差もあるし、途中から三筋に分かれて流れ落ちる。さらに、岩肌が平坦でなく、途中二段の段差があり、三段となっているので「三休の滝」という名があるという。夏の日差しが当たった滝の水筋が、きらきらと輝く。
おばさん二人組みから声をかけられる。
「こんにちは。宮城から来たんですか?」
僕の車のナンバーを見たのだ。
「いえ、福島県の郡山からです。」
「こっちに実家でもあるんですか?」
「いえ、旅で。」
こんなやり取りだったけれど、声をかけずにはいられない、人のいいおばさんだった。

ここ高山の山の中では、様々なAMラジオの放送局が入る。ラジオ大阪、RCC(広島)、ラジオ東海、CBC、ホークスラジオとか。これは博多のラジオだろうか。TBSも聴けるが、AM放送ってそんなに遠距離まで聞こえるのだっけか。それとも中継放送か。朝鮮語の放送も多い。
中日戦のナイターをやっている名古屋の2局、ラジオ東海とCBCは、近いのに電波が悪い。

空は満天の星空。昨日は曇りで見えなかったが、今日は山の中らしい鮮やかな星空。

8月15日(土) 曇り
終戦記念日。朝9時過ぎにやっと起きてテントから這い出す。昨晩は寒かった。長袖シャツに長ズボンで寝袋に入ってちょうど良かった。
今日は曇りであまり暑くない。今回は毎日天気が変わる。ラジオの天気予報は、飛騨地方は曇りで夕方〜夜にかけて一時雨の可能性あり、とのこと。朝からラジオでは終戦記念日関連の話題を続けている。終戦64年目の8月15日である。

昼飯後、車で本を読んでいると、一人のおじさんが、ゆっくりゆっくりとスーパーカブで林道を上がってきた。今日初の滝客だ。そういえば、今日は人が少ない。(この後3組くらいの観光客が来た)
おじさんは、始めずーっとじっと滝を眺めていたが、やがて車の中でドアを開けて本を読んでいる僕に、声をかけてきた。見たところ60代半ばであろうか。
「ずいぶん遠くから来たんだな。」
僕の車のナンバーを見てである。話のきっかけはいつもここから始まるのだ。
「いえ、福島県の郡山からです。」
「この近くに実家があるのか?」
この会話も昨日のおばさんと全く同じだ。僕は、このおじさんが、こんなところでキャンプをしている僕を注意しに来たのかもしれないと思った。高校生の頃、友人と夏に自転車で野宿旅行をしていた時に、野営しようとした寺から追い出されたことがあった。あれは千葉県房総半島の保田辺りで、寺なら水道もあってテントを張るスペースもあり、野宿には好適なので落ち着いて飯を作っていると、黄色いシャツを着たオヤジに、「許可取ったか?」と問い詰められ、退去を余儀なくされたのだ。奴は町の自治会か何かの人間なのだろうが、それにしてもその高圧的かつ無慈悲な態度に、僕たちははじめは勝手にキャンプして申し訳なく思っていたが、そのうちどんどん怒りが湧いてきたものだ。
そんなわけで僕はこの妙齢のおじさんが、近くの自治会の会長か何かかもしれない、こんなとこでキャンプをしている僕に小言を言いに来たのかもしれない、と思ったわけである。
「ここで泊まってるのか。」
「はい。」
「そうか。」
「この近くにお住まいなんですか?」
僕も探りを入れてみる。
「俺は荒城神社ってあるだろ、あの近くに住んでんだ」
「そうですか」
「あと安国寺ってあるだろ、あれは国宝だ。拝観料は500円くらいかな」
「そうですか、明日にでも行って見ます。」
「昔はあの寺には鍵がかかってなくてな、だけどあるとき拝観料が盗まれてな、それ以来鍵がかかってるよ」
「・・・へぇ、そうですか。」
「昨日は少し寒かったな」
「えぇ、長袖着て寝ましたよ。」
「マムシに咬まれんようにな。」
「えっ、ここにはマムシいますか?」
「あぁ、岩場にいるぞ。今も下のほうに死んでた。」
「そうですか。僕も昨日道で蛇を見ましたが・・・」
僕は、彼がただ取りとめのない世間話をしていることが、ようやくこの辺りで分かった。
「この辺りはケータイも通じんしな。ちょっと降りればつながるけど」
「そうですね。」
別れ際、おじさんは言った。
「風邪を引かないようにな。」
「ありがとうございます」
彼は、来たときと同じく、ゆっくりゆっくりとカブで坂道を下っていった。

人の全くいない自然の中に入って、日々の喧騒から離れて自然のエネルギーを感じ、ただひたすら大自然に浸るのがキャンプの目的なんだけれど、見知らぬ人と会って何か言葉を交わす、というのが旅の一つの大きな楽しみだということを改めて気づかされる。単なる情報交換とは違う、人との交流。旅での人との出会いというのは、確かに未知の事を教えてもらうという側面はあるけれど、それよりも何よりも、理解できる言葉のキャッチボールをすること、そのこと自体が楽しいのだ。それが旅のひとコマというか、大げさに言えば人生の1ページを彩るわけである。
それにしても、おじさんに「ここには熊がいるから気をつけろ」と言われなかったのは良かった。最近、熊に人間が襲われるニュースが全国的に多いから、一人キャンプも結構ビビるのだ。

日中、ふと気づくと、この山の中には蝉の声がしない。周りを囲んだ高い木々の梢から、鳥の声はする。夕刻になるとヒグラシが鳴き始める。
一方、滝の音がずっと鼓膜を震わせている。常に滝のザーッという音が背景音として耳に響いている。
そして夜、虫の声が聞こえない。まだ夏とはいえ、周りは林や川だというのに。

夜、テントの中で、村上春樹の短い小説を読了。今回のキャンプで読んだ本は船戸与一、村上春樹の2冊。
今晩がキャンプ最後の夜。今晩も長袖長ズボンを着込んで寝袋に入る。
明日日曜日、テントを撤収して高山と白川郷を観光するつもり。

8月16日(日) 晴れ(高山)

お盆休み最終日。朝飯後、テントをたたみ、植林小屋を整理して車にすべてを積み込む。ゴミ一つ残さないように注意する。キャンプの痕跡といえば、野グソくらいか。

朝11時頃に出発。まずは山を下りたところにある安国寺へ。昨日のおじさんが言っていた、国宝という寺である。延命地蔵なるものがあり、多くののぼりが立っている。真夏の日差しの下で、寺は静まり返っている。寺は高台にあるので、下の田園風景が一望できる。これまた典型的な日本の農村。田んぼにビニールハウス。奥には山が連なる。
境内には「重要文化財 安国寺」の立て看板。昔は国宝だったのかもしれないが、いまは重要文化財なのだ。寺院の建物群は、古い感じはしないが確かに重厚だ。だがこの炎天下では、建物の微妙な陰影が跡形もなく、わびさびを感じさせない。
しばらくしてバイクツーリングの一団が立ち寄った。寺とバイク。奇妙な取り合わせだ。

安国寺の後、飛騨高山の古い街並みを見に行く。お盆休みの高山は観光客で混雑している。外国人も多い。駐車場に車を入れ、古い街並みを見て歩く。日本家屋の続く街並みはなかなか味があるが、いかんせん人が多すぎる。そして今日は晴れ渡り、かなり気温が高い。
昼飯は、高山名物の『高山ラーメン』をセットで食べる。だが、これは、ただの醤油ラーメンだ。高山人は、この昔ながらのラーメンを、「中華そば」といって日々親しんでいるそうである。
その他高山名物といえば、朴葉味噌(ほうばみそ)、飛騨そばだ。

高山の風景

高山を3時頃に離れ、白川郷へ。4時頃に到着。ここは合掌造りという三角屋根の独特の日本家屋が立ち並ぶ、世界遺産の小さな村である。急角度の屋根の形が、手を合わせた形に似ていることから合掌造りと言われるそうである。ここも古い日本だ。緑の稲田と茶色の家と青い空のコントラストが鮮やか。国の重要文化財、和田家は合掌造りの家の中を見学でき、囲炉裏を切った居間、屋根裏部屋が見事である。

白川郷の風景

白川郷を見終わり、もう6時。帰りはさすがに下では行きたくない。白川郷から東海北陸道で富山、そこから北陸道で新潟まで上がり、さらに磐越道で郡山へ帰る。すべて高速で行けば、白川郷からわずか4時間半で郡山に戻れた。しかし高速料金は9400円。ETCを早く買わねばならない。

家にたどり着いたのは、夜11時。明日から仕事だと思うと本当に気が重い。
2009/8/8 (Sat.)
ドカベン

熊谷花火大会

今日の昼前、郡山駅までバスで出た。駅前の交差点で、制服姿の女子高生が3人、信号待ちをしていた。ぼんやりとそれを眺めていた僕は、ハッとしてカッと目を見開いて、彼女らを車窓越しに凝視した。
なぜなら、3人が3人とも、片目に眼帯をしていたのである。僕は心の中で大声で突っ込んだ。

お前らは、土佐丸高校かっ!?


今晩は、埼玉県熊谷市で花火大会を観覧した。広々とした荒川の河川敷には、雨なのに無数の人々が集まり、潤んだ光景の中に一面の傘の列が累々と川まで続いている。
駅から河川敷まで行く道と、河川敷にも、焼きそばやお好み焼き、リンゴ飴の屋台がずらりと並ぶ。
日本一暑い街、熊谷は、夏の盛りだというのに、雨の夜、涼しいを通り越した冷気に包まれている。
雨の河川敷には傘の花、空には火の花。
雨の花火も悪くない。
2009/8/5 (Wed.)
車社会ふたたび

小江戸・川越

竹林(京都・嵯峨野)

雪林に降りしきる雪、薄い太陽(岩手・松川温泉)

山梨名物、かぼちゃほうとう。絶品。(甲府)

今年6月に転勤のため、2002年まで仙台に住んでいた頃以来、7年ぶりに車通勤をしている。私の住む福島県郡山市は、バスや電車といった公共交通機関はあるが、本数がとても少ない。
僕の住むマンションは、辺鄙なところにあり、最寄のバス停まで徒歩5分。郡山駅行きのバスは、平日だと1日に5本、土日祝日だとわずか3本。もう少し遠く、徒歩10分のところにある別のバス停からは、駅行きが1日に11本。1時間に1本あるかないか。電車も、郡山に発着する在来線、東北本線、水郡線、磐越西線、磐越東線は、本数が極端に少ない。
車がないと不便だ。典型的な、車社会型の小都市。主要な量販店やレストランは、駅前でなく、幹線道路沿いにある。みんな車で行くのだ。

というわけで仙台時代以来、車で通勤し、買い物にも行くわけだが、重い品物を買うときは便利だ。例えば米。東京都大田区に住んでいたころは、当然車はなく、最寄のスーパーまで徒歩5分くらいあるので、10kgの米を買うのは厳く、たいていは5kgを買って家まで歩いて運んでいた。ホームセンターでカラーボックスとか買っても、家まで運ぶのに苦労したのだ。車なら楽チンだ。
一方、本を読む時間が少なくなった。僕は電車通勤の頃は電車の中では必ず文庫本の小説を読んでいたのだが、車通勤になって読まなくなった。家では僕はあまり読書をしない。

僕の車は、平成3年式、18年目のホンダ車。仙台時代に活躍したが、2002年に東京に転勤してから、東京では車を使う必要がないので、駐車場代も高いし、千葉の実家の近くの砂利駐車場にずーっと置いていた。月5000円の駐車場。以来7年間、この車はほとんど動いていない。せいぜい、3ヶ月〜半年に一度、実家に帰ったときに動かすくらい。当然、いろいろな部分がイカれてきた。置いている間、バッテリーが何度も上がるので、最近はずっとバッテリーの接続をはずして置いていた。天日の砂利駐車場に長期放置したため、屋根とボンネットは塗装がはげてまだら模様になっている。車内にあったカセットやCDケースは、熱でぐにゃぐにゃに変形してしまった。
こんな見た目がボロい車に乗っている人は、日本ではまずいない。日本人は、多くが3年位ごとに車を買い替え、常にこぎれいな新しい車に乗る傾向がある。なぜだろう。みんな金を持っているからか。裕福さを他人にひけらかすための一番分かりやすい指標が車だという、世間体や見栄を大事にする国民性だからか。
アメリカなどは、車検がないせいもあるが、僕の車など及びもつかないオンボロ車が普通に走っている。走行距離20万キロは普通である。また、途上国に行くと、日本車の古い中古車が所狭しと走っている。日本で10年以上経っている車でも、金のない途上国ではバリバリの現役である。僕の車が証明している通り、日本車は品質がいいので、何十年でも走る。ミャンマーとかボリビアとか、日本車の中古車が目立つ国は多い。テレビも、ブラウン管の中古テレビが、日本から大量にフィリピンなどへ送られ、修理され、体裁を整えられ、再び店頭に並ぶのだ。これらの中古テレビは、貧しい国々の人々にとっては貴重である。テレビを持てない家庭が、ようやく中古テレビを安く手に入れ、大勢の子供たちが歓声を上げて初めてのテレビを見るのである。
こうして考えると、もともとはアメリカから輸入した、現代日本人の使い捨て的消費活動も、他国のためになっていると言えるのかもしれない。だが、このエコの時代、やはり日本人自身が省資源のためにもっとモノを長く大切に使うよう、その消費スタイルを改めなければならない。

さて、この僕のホンダ車は、旧式のため、もうほとんど日本の街では見かけなくなった。最近は当然のごとく毎日車に乗っているが、調子はまずまず。時々イグニションキーを回しても何度か続けてエンジンがかからないことがあり、イエローハットのメカニックに相談したのだが、プラグかエンジン噴射の制御か、変えてみないと分からないといわれ、修理せずそのまま。まぁ、何とか乗れているから、今この古いガソリン車を廃車にし、エコカー減税を使って新車を買うと最大40万円くらい浮くと言われても、買う気にならない。

僕はよく、物持ちがいいと言われる。自分でもそう思う。
最近、といってもここに越す直前のことだが、1992年製のシャープのテレビが壊れた。今までは映像が画面の中心に横一線になることが時々あり、つまり専門的に言うと垂直発振系の回路が壊れていて、その場合はテレビを叩くことによって復帰させ、だましだまし使っていた。「テレビを叩く」という行為は、接触を回復させるための有効な手段である。これで不具合が元に戻ることがあるのを経験している人も多いだろう。
さて、シャープのサービスセンターに連絡して修理費用を見積もってもらったところ、垂直偏向コイルに不具合があることは分かったが、部品がもう生産中止となっており、修理は出来ない、というではないか。これだからメーカーは困る。2011年の地デジ化までもってくれたら、と思っていたが、17年使ったからまぁ仕方ない。このテレビは、人間で言えば、きっと100歳くらいだろう。
思えば、テレビというものは、別になくてもあまり不自由しない、典型的な品物だ。3種の神器と言っても、ここが冷蔵庫と違うところだ。テレビのない生活に慣れれば、生活するうえでテレビがなくても特に問題はない。ただ、僕はいまはパソコンでテレビを見ているけどね。

その他、Tシャツでは、一番古いので20年以上、10年は普通に使っている。Tシャツの場合は、いいものは何回、何百回洗濯しても使える。面白いのことに、これはすぐダメになりそうだな、と思うようなものが案外長く使えたりする。

このエコの時代、みなさんも僕を見習って、モノを大切にしてください(笑)。
2009/8/1 (Sat.)
どうでもいいことふたたび

■麻婆豆腐にチャーハンという組み合わせはいただけない。麻婆豆腐には白飯です。
■トイレットペーパーを選ぶときの重要な基準。それは、切り取るためのミシン目とミシン目の間隔。あれは商品によって長かったり短かったりする。人それぞれ、一度に使うちょうどいいトイレットペーパーの長さがあります。ちょうどいいところにミシン目がないと、さらに一つ先のミシン目まで引き出して使うことになりがちですから、使用量が一回一回長くなって非効率です。
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