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日記(2010年8月)
2010/8/22 (Sun.)
スポーツと外国語かぶれ
高校野球やプロ野球を見ていて思うのは、野球がアメリカから渡ってきたものだ、ということだ。
プロ野球のチーム名はすべて英語由来である。ドラゴンズ、マリーンズ、ホークス、タイガース、等々。そして、ユニフォームの胸に書かれたチーム名は、いずれもローマ字である。中日ドラゴンズの場合、ホームのユニフォームは、「DRAGONS」で、ビジターのユニフォームは、中日を「CHUNICHI」とわざわざローマ字で表記している。こんなのより、両胸に「中 日」と、ドカンといってほしいものである。
高校野球のユニフォームも同様だ。漢字で書けばいいものを、わざわざローマ字表記にしているのである。ローマ字派が多数を占める中、僕の目には漢字表記のユニフォームが実に潔く映る。
いまでも、ローマ字のほうがカッコいいと思っているんでしょうか?
サッカーでも同じことが起こっている。Jリーグの場合、サッカー先進国のスペインやイタリアの言葉(またはそれらの造語)がチーム名となっているチームが多い。英語ももちろん多い。これも全く理解不能だ。何で日本のチームなのにイタリア語やスペイン語となってしまうのだろう。だが、まだJリーグはプロ野球よりはいい方で、例えばコンサドーレは、道産子を逆から読んだもの、ジェフは、JR東日本と古河の頭文字を取ったもの、サガンは、砂岩、佐賀の、という、外国かぶれでないネーミングもある。ちなみに、「サガン」は、砂粒が年月をかけて結集して砂岩になるように、一人一人の力を結集して立ち向かう、という意味だそうで、かつ「佐賀」にかけているそうである。「佐賀の鳥栖」って、そのまんまじゃないか、と思ったけどね。コンサドーレにしろサガンにしろ、サッカーチームに大事な「地域色の打ち出し」を踏まえたネーミングってことで、僕は良いと思う。
競走馬の名前の場合は、ディープインパクトとかドリームジャーニーとかブエナビスタとか、英語やスペイン語から来ているものがやはり多いが、それでも日本語の名前もまずまずある。オレハマッテルゼとか、シゲルキョクチョウとか、キミニアエタキセキとか、シンゲンとか、ハシッテホシーノとか。外国産馬なら外国名でもいいけど、日本で生まれ育った馬には、日本語で名前をつければいいのに、と思う。
開国、明治維新を経て、西洋のモノ、文化が洪水のように日本に押し寄せ、それらは明治時代、大正時代で、シロアリのように日本の風俗の中に侵食し、席巻していった。着物は消え去り、洋服に一掃された。草履や下駄が靴になり、菜食・魚食から肉食へ。
もういいかげん、日本の伝統回帰といきませんかね。せめてまずは、ローマ字から漢字にしませんか。ひらがなとかカタカナでもいい。結構絵になると思うけど。
高校野球、今夏の大会で大活躍した福島県代表の聖光学院。試合後、インタビューでの彼らのなまった東北弁が、実に好印象だった。彼らは、自分たちのそのままを、大げさに言えば彼らの伝統文化を、臆することなく表現している。見ていて実に心地よい。
だが、そんな彼らの大多数が、東京など都会の大学に進んだとたん、東北弁を隠す生活を始めることになるのか、と思うと嘆かわしい。
その点、関西弁を話す人間は、いつでもどこでも自信を持って関西弁を押し通す人が多い。僕は、そうあるべきだと思う。
自分の生まれ育ったバックグラウンド、自分のアイデンティティを素直に表現する。それがこの国の人々に欠けていることだろう。2010/8/7 (Sat.)〜8/16 (Mon.)
お盆休み
新潟→岩国(一人キャンプ)→津和野→萩→小倉競馬場
8月7日(土)
新潟
お盆休みは10連休。今回は新潟から小倉を回る予定だ。8/7、8/8の週末は新潟で競馬、次週8/14、8/15の週末は小倉で競馬、その間は山口県の山の中で一人キャンプおよび観光、というのが大枠のスケジュール。いつものごとく車なので、小倉まで1200kmという遠距離が一番の関門だ。
まずは8月7日土曜日早朝、新潟へ向けて車で出発。もう通い慣れた道となった磐越道。1車線となる会津若松〜新潟間は厄介だが、それでもインターチェンジのたびに現れる追い越し車線を使って進む。手馴れたものだ。お盆休みスタートの土曜だが、磐越道は渋滞なし。
午前9時半、新潟競馬場到着。
ここで朝から夕方まで楽しむ。外はギラギラとした日射で焼けつくようだ。
午後5時、競馬場を後にし、予約しておいた民宿へ。まだまだ日は高い。新潟駅方面から万代橋を渡り、信濃川沿いにちょっと入ったところにある民宿だ。おばさんは穏やかな人だった。向かいの駐車場に車を停め、汗だくの外から、冷房の効いた部屋に入る。今年の夏は酷暑だ。新潟は郡山よりも暑い。
一服してしばらく休憩した後、外に出る。夕飯。新潟といえば、タレカツ丼である。普通の卵とじのカツ丼ではない。元祖店、とんかつ太郎へ。コシヒカリの上に、カツが何枚も重なって乗っかっている。これが新潟名物のタレカツ丼。醤油ベースのタレにくぐらせたカツは、ソースでも卵でもない、オリジナルの味わいだ。とんかつ太郎の店内には、新潟市出身の水島新司の漫画の中に登場する、この店の一こまが飾られている。
満腹になった後、夜の新潟の街を歩く。新潟の繁華街は、新潟駅周辺と、信濃川を渡ったこのあたり、古町という区域に分かれている。古町の中心は、古町(ふるまち)モールというアーケード。ここには『水島新司ロード』という通りがあり、彼の漫画に登場する有名キャラクターたちの銅像が、両側の歩道に数10mの間隔をもって並んでいる。『ドカベン』の山田、里中、岩鬼、殿馬。『野球狂の詩』の水原勇気、岩田鉄五郎、『あぶさん』の影浦。等身大とも思えるような堂々たる銅像だ。土曜日夜7時過ぎの水島新司ロードに、人通りは少ない。週末の夜としては何となく寂しげだ。僕が銅像の写真を撮っている脇を、自転車が通り過ぎる。新潟では自転車に乗っている人が多い。
『ドカベン』は、僕の少年時代を彩った漫画であり、野球漫画の名作だ。あれだけ緻密かつダイナミックで、野球の魅力を余すところなく伝える漫画も少ない。恐るべき技を持つキャラクターの数々、そして奇想天外な戦術を使うチーム。長編漫画としては、僕の中では『釣りキチ三平』と並ぶ傑作である。
今、『新潟まつり』という祭りの最中のようで、浴衣姿の女の子がちらほら見られる。
古町近辺でネットカフェを探すが、どこにもない。仕方なく、新潟駅方面にバスで向かうが、駅の近くにもネットカフェがない。人に聞いても交番で聞いても、近くにはないようである。新潟、ネットカフェ難民のいない街。
駅前は人が多い。居酒屋やカラオケの呼び込みが盛んだ。
駅から再び万代橋を渡る。夜の信濃川に、ビルの灯が映り込んでいる。川沿いの遊歩道に柳が揺れる。夜のランナーが走り、自転車旅行をしている人がベンチで横になって野宿をしている。この季節なら、寝袋さえあれば外でいくら寝ても大丈夫だ。
10時前に民宿に戻り、明日の検討を少しして、風呂に入る。館内で宿泊客の男性を一人見たが、他にはいないようだ。僕が泊まる民宿は、いつもどこもひと気がない。民宿自体には何の問題もないので、人々の民宿離れじゃないかと思う。街ではみんな、こぎれいなシティホテルみたいなところに泊まるのだろう。田舎なら温泉旅館。民宿には厳しい時代だ。
民宿では、宿の人とのふれあいがあるのがいい。アットホームなのだ。風呂とか食事とか門限とか、そういうことを聞かなくちゃならないので、自然と会話が生まれる。そしたらどこから来たとか、どこの観光スポットがお勧めだとか、食事をするのにはどこがいいだとか、旅の一期一会的会話が交わされる。ホテルのフロントではこうはいかない。フロントにあるカウンターが、客とフロントマンとの間の壁となり溝となり、なかなか打ち解けた会話は出来ない。民宿の良さだ。
8月8日(日)
新潟
朝7:40起床、8:20に宿を出る、コンビニで金を下ろし、東スポ日曜版を買い、車で競馬場へ。今日も晴天、暑くなりそうだ。
昨日に引き続き最終レースまでやって、失意の中車に乗り込む。午後5時。ここから長い長い自動車行が始まる。強い斜陽の中、新潟空港から高速に乗り、北陸自動車道を南下。3ヶ月前、GWのときと同じように、長い長い新潟県をひた走る。やがて日は沈み、車は富山県、有磯海SAでバカ高い高速ガソリンを入れる。、石川県金沢では、高速沿いに野球スタジアムがあり、カクテル光線が輝く。チラッと電光掲示板を見ると、スコアは7−9。プロ野球だろうか。
福井県に突入する。新潟からおよそ5時間弱、21:43、福井県の敦賀ICを降りる。なぜ降りるのか?中国地方へ抜けるのに、名神を通れば大都市近郊料金がかかるので2100円。そのうえお盆のこの時期、渋滞が避けられない。これに対し、一度高速を降りて、再び小浜西ICから舞鶴若狭高速道に乗れば、大阪、京都といった大都市を通らずに山陽方面に抜けることができ、高速料金も休日割引で1000円+1000円=2000円なので、こっちの方が安いのだ。だが、一番の問題は、今日日曜日中に、小浜西ICまでたどり着かなければならないことである。つまり、ここ敦賀ICから、国道を通り、0:00までに再び小浜から高速に乗らないとならないのだ。
まずコンビニでプリンとコーヒーで休憩。英気を養って気合を入れなおす。残された時間は、あと2時間。眠気が吹き飛ぶ、焦りの走りが始まった。
国道27号を西へ。小浜西ICまで35kmほどだろう。普通に走れば問題ない距離だ。だが、一車線の国道では、やはり遅い車に悩まされる。イライラしながらも気を落ち着かせろと自分に言い聞かせる。昼間だったら素晴らしい風景が広がっているであろう、三方五湖から小浜湾の脇を走り過ぎる。小浜西ICにたどり着いたのは、22:53。ほぼ1時間で着けた。ここから舞鶴若狭道で京都府から兵庫県へ入る。この舞鶴若狭道は、無料区間。9日になり0:07、吉川ジャンクションから中国自動車道に乗る。午前1時、兵庫県の社PA。2年前の夏、広島に行った帰りに、驚愕の土砂降りの中雨宿りしたパーキングエリアだ。高速道路で寝るのは、レストランや売店があるサービスエリアより、トイレと自販機しかないようなパーキングエリアの方が静かでいい。ましてや、最近では休日のサービスエリアは、夜中でも車であふれかえっている。この社PAで寝ようと思って顔を洗い、コンタクトをはずし、シートを倒して横になるが、なぜか全然目が冴えて眠れない。仕方なく、もう少し先に進むことにする。しばらく走るとやはり眠くなってくる。昨日今日の新潟は暑かったし、競馬場のパドックでは炎天下で馬を見ていたので、知らず知らずのうちに疲労が来ているわけだ。
午前1:30。安富パーキングエリア。ここで眠る。
8月9日(月)
山口県岩国市
朝7:20に車内に日が差してきて、暑くて起きる。外に出てトイレで顔を洗う。激しく眠かったが、暑くてもう眠れないので、仕方なく車を発進させ、本線に出る。今日も日差しが強くなりそうだ。ほどなく岡山県に入り、大佐SAで朝食。朝9時前、サービスエリアに車はほとんど止まっていない。今年のお盆期間は、土日以外は割引料金にならないので、月曜の今日はみんな高速に乗っていないのだろうか。レストランにも誰もいない。カレーライス。
ガソリンを入れる。朝のガソリンスタンドも空いていて、暇を持て余した若手の店員が、色々と点検を勧めてくる。オイルなんかはいつ交換したか覚えてないくらいなので、点検をお願いすると、まずオイルが激減していて、交換すべきとのこと。さらには、バッテリーの電圧が激減しており、交換したほうがよい、とのお達しだ。そんな金はないので、僕はオイル交換だけをお願いする。オイルはもちろん一番安いスタンダードタイプ。さらにタイヤの空気圧も下がっていたので、入れてもらう。
「空気圧、ちょっと高めにしときました」
「どうも。」
余計な出費がかかったが、これから先も長距離を走り切らねばならない。仕方あるまい。
ガソリンスタンドの事務所で作業が終わるのを待っていた僕に、事務仕事をしていたおじさんの店員が、窓の外、僕の車を眺めながら話しかけてくる。
「あのインテグラも、もうほとんど見かけなくなりましたね。」
「そうですね。もう古いですからね。」
僕の車は、平成3年式だ。
さらに走り続け、広島県を横断。日は高く上った。空には夏の風物詩、雲が綿々と連なっている。その形、つながり、配置展開が面白くて、運転しながらシャッターを切りまくる。青い空に造形された浮遊物。考えるに、夏の雲が面白いと思うのは、くっきりと輪郭を持った形になるからだ。ぼやっと流れるような雲は、夏の青空にはあまり浮かんでいない。それと、比較的低い位置に浮かぶこともあるだろう。だが、秋の高い筋雲やいわし雲も、それはそれで感じるものがある。夕日で赤く染まってたりすれば絶妙だ。季節の雲を感じるのも、四季のある日本ならではだろう。
朝の中国自動車道下り線に、車は少ない。
山口県に入り、12:30、筒賀PAで最後の休憩。そして午後1時、六日市ICから高速道路アウト。昨晩の夜中11時頃に小浜西ICから高速に乗り込み、山口県のここまでおよそ14時間。料金はもちろん1000円。
降りたところは山口県の岩国市。さっきまでの晴天から、急速に天気が悪くなり、ポツポツと雨が降り出す。
これから、この辺りの山の中に分け入って、一人キャンプをしようと思う。地図上から、文字のないところで、林道が川沿いに走っている場所を探す。これが僕の野営地探索方法だ。
午後1時半、錦町という街に入る。ここは、ローカル線錦川鉄道の終点だ。いかにも鉄っチャンが好きそうな1両編成の列車がトンネルに入っていく。
いつの間にか雨は上がっている。ここで山口銀行という銀行を見つけた。そう、金を下ろすところを探していたのだ。今朝ガソリンスタンドでガソリンとオイル交換をしたら、現金は底をついた。世間では今日は平日。銀行は営業時間の真っ只中である。ATMで無事金を下ろす。目の前にあった山崎デイリーストアで弁当を買う。車の中で昼飯、そして一服。また青空が広がり、日差しが出てくる。
近くのスーパーで、今日から3日間の野営食料を買い込む。米を忘れたので、地元産の阿東米を買い、その他、いつものように缶詰、インスタント味噌汁、カップラーメン、トマト、オレンジ、ふりかけ、水、等々を調達。
錦町の奥から山に入る。木谷峡という渓流沿いを走る林道を車で上がる。途中、気象庁の施設みたいな建物がある。さらに上がると、山の上から一台のバンが降りてくる。すれ違えそうな道幅ではない。この頃雨が再び降り出し、車中からの見通しが悪い。僕は通り抜けできるようバックする際、左後ろのバンパーを左側の岩壁にぶつけてしまった。満身創痍のインテグラが、さらに傷つく。ショックだ。
なんとかバンとすれ違い、さらに登る。雨が激しくなる。途中からもう普通車では上がれないような狭くて未舗装の道となった。川沿いにテントを張りたかったが、テントが張れそうな平地はなく、林道から川へは結構落差があり、川へ降りるのも一苦労だ。もっと山奥の人がいなそうなところがよかったが、仕方なく少し道を下って、小さな神社の横の広場に野営することにした。川は下にあるが、降りられない。これまた軟弱であるが、神社にも近くの無人の山小屋にも水道があったので、ここから水をもらうことにする。雨はますます激しくなってきたので、今日はテントを張れそうにない。仕方なく、車を小屋に横付けして、車と小屋の間にフライシートを張り、この下で炊事することにする。
ご飯を炊き、お湯を沸かす。ご飯にふりかけ、カップヌードルカレー、焼肉缶詰。
脚が長くて米粒のような身体をした、メクラグモが現れた。中国山地にはこれが多い。
夜は車の中でラジオのナイターを聞きながらダラダラと過ごす。そういえば昨日も車で寝たから、二夜連続だ。天気予報によると、台風が近づいているらしい。断続的に雨が降っている。
8月10日(火)
山口県岩国市 曇り時々晴れ
朝10時過ぎにようやく車から起き出す。朝の天気はまずまずだ。ここ二日、身体を伸ばして寝ていないせいか、雨上がりの爽やかさはいまひとつ。神社にお参りし、水道で顔を洗う。昨晩炊いたご飯で朝食後、早速広場にテントを建てる。
今日は一日中、テントの中、車の中で本を読む。何冊か本を持ってきているが、どうも重い本は読む気にならず、赤川次郎の『殺人よ、さようなら』。あっという間に読み終わる。「恐怖というのは、それが迫ってくるときに人を怯えさせるもので、あまりに目の前に立ち現われると、却って現実味を失ってしまうものなのかもしれない」というフレーズ、どこかで読んだ気がすると思って記憶を探ると、多分、ロビンソン・クルーソーだ。彼が無人島に漂着して、人食い人種にいつ出くわすか、いつ食われるかとさんざん恐れおののいた後、ついに人食い人種に遭遇した際に、確かそんな意味のことをのたまった気がする。
日が暮れる。ラジオは、昼間は入りにくい。各地に放送局があるはずのNHKは電波が弱く、他局はほとんど入らない。
だが、夜は一転して多くの局を聞ける。周波数のダイヤルを回すと、隙間なくびっしりとどこかの放送が傍受できる。複数のNHK、大阪ラジオ、カープのナイター中継をやっている広島系、福岡ホークスラジオ(KBC?)、オリックスを中継している神戸系、九州系。韓国系も多い。
テントの中で、久しぶりに身体を伸ばして眠る。テントはいい。一国の城に住まう主となった気分。今年の夏は全国的に異常な暑さだが、ここ山口の山奥の夜は涼しい。去年の高山でも夜は涼しかったっけ。午前3時半、雨が降り始める。テントにフライシートをかぶせる。断続的にパラパラ降ったり止んだり。5時頃明るくなり始め、5時半に夜が明ける。寒くて寝袋に入る。雨風が徐々に強まる。8時半に起きる。
8月11日(水)
山口県岩国市 曇り後大雨強風(台風)
台風が確実に近づいてきている。進路予想では、日本海、対馬の辺りを通過するらしい。ここからはそう遠くない。さらに風雨は強まり、車の中に避難していると、朝10時頃に強風でテントがひっくり返った。とりあえずポールをつぶしてぺしゃんこにしてそのままにしておく。
だが、10時過ぎ、雨は止んだ。この隙を突いて、木谷峡を歩くことにする。木谷川は、清冽な清流だ。この辺りは、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落ち武者が住み着いたところで、山を登っていくと、平家屋敷跡がある。途中、平家が捕らえ人質となった源氏方の姫と現地の若者とが逢引していたという「姫岩」とか、鹿も転落するほどの急な崖を伝って流れ落ちる「鹿落ちの滝」とか、歴史と伝説が育んだ、昔の人々の風情を反映した見所が点在している。深緑の森は深い。800年前、平家の皆さんがどのような思いでこの景色を見たのか、当時この川の流れは、今よりも断然美しかったのだろうか。
バナナの木が場違いな感じで一本だけ生えている。かたつむりや蟹が、雨上がりの道路上を這っている。蛇の抜け殻、季節はずれに赤く色づいた葉。カラスアゲハがこの辺りに多い。彼らは、道に降り立ったり飛び立ったりしている。繁殖の時期なのだろうか。僕が調べたところによれば、通常蝶は、夏に卵から幼虫(つまりは毛虫だ)が生まれて、脱皮を繰り返した幼虫はそのままもしくはさなぎで冬を越し、夏に成虫になり、その雄姿を夏の空に見せることになる。そして交尾をし、産卵をして一生を終える。夏の青空に舞う蝶を見、彼らの”蝶生”に思いをはせる。
思えば昆虫というのは、雌伏のときが長く、成虫となってからは一瞬でその命を燃やし尽くす、というパターンが多い。セミもカブトムシもそうだ。彼らは、人間の感覚から言えばとても美しいとは言えない幼虫時代に、長い長い時間を土の中で過ごし、満を持して土の中から這い出し、美しくそして勇壮な最終形でついにこの地上に現われる。しかし、長い我慢の時を経て、生命の神秘とも言えるその姿をこの地球上に誇らしげに自慢できる時間は、僕ら人間の時間にしてみれば、ほんのわずかである。
ここにはワサビ畑があるらしく、「野生のワサビではなく、栽培してあるワサビですから、盗まないでください」という警察署の小さな看板が道端にたたずむ。
さらに登ると、平家屋敷まであと4kmという看板がある。ここから先は、道が未舗装で凸凹となり、アブの大群が待ち構えていた。アブを避けるため、僕は山道を走りながら登る。がすぐに疲れてゼーゼーと息を切らす。空はいよいよ嵐の前の静けさという、異様な色と雲の流れとなっている。僕はここまでと断念し、平家屋敷までおそらくあと2kmという辺りで引き返すことにした。野営地に戻ったのは、12:50。2時間の行き帰りだったが、かなり体力を消耗した。戻って程なく、午後1時過ぎから本格的な雨となった。テントは、つぶした状態で放置し、僕は車の中でこの台風をやり過ごすことにする。
そこへ、大雨の中、二人のおじさんがやって来た。彼らはカッパを着込んで車から降り、手には草刈り機を持っている。この広場の草を刈ろうというのだ。市の職員なのか、森林組合かなんかだろうか(きっと林業でも、農協みたいな組織があるに違いない)。全くご苦労なことだ。この台風の中、濡れそぼりながらもくもくと草を刈っている。
1時間ほどして、おじさんの一人が僕の車に近づいてきて、車の中にいる僕に声をかけた。
「あのテントは、おにーちゃんのかい?」
「そうです」
「ちょっと草刈りしてるんで、どけてくれるかな?」
僕は「なんで?」とは思ったが、彼らも仕事だ、ここは言われたとおりにテントを移動することにする。ただ、大雨なので、とりあえずそのまま広場から下ろし、道端に置くことにした。テントの下に敷いていたダンボールも、水でぐにゃぐにゃになってしまった。
おじさんたちは、その後も大雨の中、1時間くらい入念に草を刈ってから去っていった。
夕方にかけ、雨風はどんどん強まっている。激しい雨のせいで、外がよく見えない。
車の中でラジオを聴く。高校野球は普通にやっている。甲子園では雨が降っていない。夜、関東圏のナイターもやっている。関東も雨が降っていない。この山口の山の中の状況からすると、信じられないくらいだ。さすがに広島の広島−阪神は雨で中止。
車の中でタバコを吸う。外は大雨でドアを開けられないので車中が煙い。ライターの光に煙が反射する。
午後9時過ぎ。雨が弱まった。ほとんど止んだ。台風のピークは去ったと見える。ここぞとばかりに車から飛び出し、フライシートの下で炊飯を始める。10時に遅い夕食。さっきまで車の中でワサビポテチを食べて飢えを凌いでいた。
結局この日も車の中で寝る。明日は撤収して津和野に向かう。
8月12日(木)
津和野・殿町通り
山口県岩国市⇒島根県津和野市 晴れ
朝起きて車から出る。台風一過の爽やかな晴天だ。これまでの猛暑の朝ではない。台風がすべてを洗い流してくれたかのように空気が澄んでいる。朝食後、道端に放置していたテントを撤収する。水で重く湿ったダンボールも、ゴミと一緒に車に積み込む。
10時、僕は山の下ではなく、上に向かって出発した。昨日行けなかった平家屋敷に行く。その後山を降りることにする。
途中、未舗装になる手前まで車で登り、そこから歩く。今日はアブの数が少ない。凸凹の道を登り、ようやく平家屋敷跡にたどり着く。そこには、木材置き場があり、おじさんが働いている。全く人気のない廃墟を予想していたので、拍子抜けする。屋敷跡と言っても、当時の屋敷のあとが残っているわけでもない。あくまで、この辺りに平家の残党が住んでいた、ということらしい。
さらに山を登ると、平家が岳である。ここは、平家ゆかりの地。ここもまた山頂らしい山頂がなく、拍子抜けだったが、中国山地を一部見渡せた。昨日の大雨がウソのように今日は晴れ渡り、遠くの山並みまで見通せる。
午後1時、山を降りて車に戻る。3日間過ごしたこの山中を後にする。
木谷峡・平家が岳 写真集
台風一過の晴天。山を下り、再び錦町へ。「氷」、「アイスクリーム」、「冷麺」ののぼりが、夏の風情をよく出している。
国道187号を北上、ほどなく島根県に入る。いい天気だ。途中、大井谷という山あいの小村に、日本100選の棚田を見に行く。棚田と山の斜面に立つ家々が、これが日本の風景だとなぜか懐かしい感じがする。フィリピンのバナウェで見た壮大なすり鉢に形成された棚田とはちと違うが、家と棚田がコンビとなって風景を構成している点は同じだ。
津和野に着いたのは午後4時。駅の脇にある駐車場に車を停める。ここにはSLが展示されている。津和野駅は、山をバックに、こじんまりとたたずんでいる。
まだまだ日差しは強く、台風一過の爽やかさはとうにどこかに去ってしまい、今は今年の酷暑の太陽が頭上にある。津和野は、「山陰の小京都」と呼ばれ、古く端正な街並みが特徴である。四方を山に囲まれた、落ち着いた、小さな街だ。しばらく歩き回れば一通りだ。レトロな屋敷が並ぶ殿町通り、津和野カトリック教会、古い造り酒屋。屋敷の前には水路が走り、鯉が泳ぐ。
人が少ない。平日だが、ちょっと寂しい。観光地だろうに。旅館が結構あるが、このお盆の時期、みんな田舎に帰ってお墓参りして先祖を供養しているから、観光地は空いているのだろうか。
街を歩き回った後、葛飾北斎博物館に行く。面白い。彼が普通の絵画・版画だけでなく、絵の教本や漫画など、あらゆる種類の絵を書いていたことを知る。ここ津和野に北斎博物館があるのは、この地から初刷りの『北斎漫画』が発見されたことがきっかけとのこと。
彼は、江戸時代の、最も平和な時期に生涯を過ごし、やりたいことをやれたのかなぁ、と想像する。1760年生まれ、1849年没だから、89年の大人生である。
5時を過ぎた。津和野町の指定文化財となっているけやきの巨木がある弥栄神社を通り抜け、山の上にある稲成神社へ上る。無数の朱色の小鳥居で囲まれた階段を登り、登りきったてっぺんにはこれまたギトギトした朱色と白の仰々しい社殿や社務所が建っていた。稲成神社。「稲成」だけど、狐が祀られているので、お稲荷さんだろう。赤い鳥居だし。
この世俗的な稲成神社はまぁいいとして、ここで特筆すべきは、ここからの津和野の街の眺めである。町を一望できるのだ。津和野やこの辺り一体の家の特徴は、屋根瓦が赤茶色であることである。
日が暮れかかっている。僕は腹が減ったので、開いている食堂を探すが、なかなかない。ここまで来たら郷土料理を食わねばならぬ、ということで、普通の洋食屋とかカフェはすべて敬遠すると、他に店がないのだ。だが、津和野駅のすぐ近くに、和風喫茶『能濃』(のの)という店が開いていた。ここはるるぶにも載っている、結構有名な店らしい。だが、お盆期間の平日、店に客は一人しかいない。名物はコーヒーぜんざいらしいが、僕は腹が減っていたので、郷土料理『うずめ飯』を頼むことにする。だが、僕はこれがどんなものか知らなかったので、事前に店のおばさんに聞いてみた。
「うずめ飯というのは、ご飯の下に具がうずめられていることからついた名前で、お茶漬けの下に野菜やシイタケをうずめた、あっさりしたとても食べやすいご飯です。」
やがてうずめ飯がやって来た。美味い。人参やシイタケ、豆腐がご飯の下から出てくる。さらに惣菜の小鉢が佳作だ。山菜、こんにゃく、漬物。津和野郷土料理は、ヘルシー膳。
さて、食事を終え、午後7時。外は大分暗くなってきた。駅横の駐車場で車に乗り込み、出発。これから山口県は萩へ向かう。幕末以来の有力地域、旧長州のお膝元である。
途中、温泉のある道の駅「なごみの里」で津和野のことを知る。津和野城は日本名城100選に入っている城で、今回行けなかったのは残念だ。津和野城は、さだまさしの『案山子』にゆかりのある城である。『案山子』で歌われるのは、都会へ出て行った息子への、田舎の父からのメッセージだが、この田舎というのが津和野であり、この津和野城からの情景が歌われている。
思えばさだまさしの歌は、ある特定の場所を舞台に歌われたものが多い。彼の出身地である長崎の歌は多いし(『長崎シティセレナーデ』が代表曲)、東アフリカに赴いた日本人医師ボランティアを歌った『風に立つライオン』、日本も海外も色々ある。わけても、『精霊流し』は、故人への思いを歌った名曲である。『精霊流し』とは、お盆に死者の霊を弔うという長崎の仏教行事で、造花や提灯で飾られた精霊船という船をこしらえて街中を練り歩き、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ。故人の魂は、この精霊船に乗って送られる、ということである。この背景を知った上でこの曲を聞けば、その詩の世界が一層深みを持って理解される。
さだまさしの曲は、時々余りにウェット過ぎるというか、テーマが重過ぎることがあって閉口することもしばしばだが、その着想は幅広く、コミカルなものからシリアスなものまで、生死を見つめ、社会を見つめ、家族を見つめ、人間に対する洞察はなかなかのものである。僕はさだまさしとの出会いは『親父の一番長い日』であり、『関白宣言』とともに一番心に残っている。彼の言うことや曲を色々聴いてみると、宗教がかっていることがあって僕はその点あまり好きではないが、個性の強烈さという意味では、間違いなく日本を代表するミュージシャンであろう。そういえば、協力隊時代、エクアドル隊員にさだまさし命の女の子がいたが、彼女はさだまさしの何が好きだったのだろうか。
津和野写真集
この道の駅では、津和野周辺の観光スポットを紹介するパンフレットが数多く置かれている。近くの日原町には天文台があるらしく、星のふる里として打ち出されている。
夜の道の駅には温泉客がちらほら。一服した後、萩に向かって出発。夜の道を走る。津和野から萩まで、県道で一本道である。道の両側に黒く沈んだ山が迫る。
萩に着いたのは夜8時半。しばらく民宿を探して萩の市内を走り回り、街外れの安民宿を見つけ、空室ありとのことでチェックイン。隣のコンビニで食料を買い込み、部屋でくつろぐ。新潟以来なので、4日ぶりの風呂と布団である。たまりにたまった垢をそぎ落とす。布団で眠れることの幸せを噛み締めながら、眠りに落ちる。
8月13日(金)
山口県萩市 晴れ
朝起きて、民宿のオバちゃんに、萩の地図をもらい、ここの場所を聞く。お勧め観光地を聞くと、オバちゃんは、松蔭神社と萩城下町はもちろん、海水浴場、北長門海岸国定公園、善福寺と桂太郎旧宅などを教えてくれた。
車で萩市街に出る。今日も暑くなりそうだ。朝からもうすでに空気は熱を帯びている。
萩は、松本川と橋本川という二つの川と日本海に囲まれた、島のような町である。比較的大きな街だ。歩いて観光できる規模ではない。JR山陰本線は、この「島」の外側にある。
まずは萩城。別名指月城。日本海に突き出た岬に指月山がそびえ、その指月山をバックに築城されたのが萩城である。こここそが、幕末の雄、あの長州藩の本拠である。中国地方の強豪、毛利氏が居城とした城で、1608年に完成。今は天守閣は残っておらず、堀と石垣が当時の面影を伝える。ここにあった天守閣の中で、幕末、桂小五郎や高杉晋作が殿様とともに政策を練っていたわけである。裏の指月山に登る。うっそうとした森に包まれた小山で、山頂まで登山道がついている。ここにはミカドアゲハという珍しいアゲハチョウが飛んでいる。猛暑で蚊が多い。歩いていてもどんどん肌に降り立ち、次々と吸血してくる。厄介な蚊だ。時々人とすれ違う。白人観光客もいる。
山頂も高い木が生い茂っているが、その合間から萩の街と日本海を見渡せる。蛇が現われ、僕を驚かせる。妙な刻印が掘られた巨石が転がっている。
山を降り、車を置いて萩城下町を歩く。白壁が続く街並み。桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作の生家を巡る。
今日は観光客が多い。金曜でいよいよお盆休みに入ったのか、それとも萩だからか。萩城下町は、昔の街並みをよく残している。色は違うが、高山を思い出す。
アイスクリームスタンドに立ち寄り、夏みかんジュースで一休み。萩は夏みかんで有名だ。この後、僕はお土産屋で「ぽんがらし夏みかん醤油」を購入した。
隣の食堂の前にはのぼりが立っていて、「晋作そば」に「小五郎うどん」。そりゃ、そうでしょう。それにしてもどんなそばとうどんだろうか。まるで見当がつかない。
萩城に戻り、車で松蔭神社へ。ここは、吉田松陰が始めた松下村塾跡がある、松蔭を祭った神社である。
社内には、「明治維新胎動の地」という石碑が堂々と建っている。長州の原動力となったのは、この松下村塾であり、ここで吉田松陰の教えを学んだ長州人たちが、明治維新を成し遂げていく。吉田松陰の思想が、日本の歴史を作ったのであり、結果としてそれが正しかったどうかは別として、間違いなく長州人は幕末に歴史の主役となった。何しろ、こんな小さな街から、日本を動かすことになる人物がひと時に何人も輩出されたのである。もちろんそれは、薩長が維新の中心となって倒幕したからであり、結局は徳川家に代わって薩長の人間が権力を握ったためである。
尊王攘夷過激派の暴走により一時は滅ぶ寸前まで追い詰められた長州だが、薩摩藩との同盟により息を吹き返す。結局はこの土地に住む人々の反骨心が、彼らを再び主役の座に返り咲かせたのだろうか。
薩摩ほど特殊ではないにせよ、この長州も独特な伝統や思想を持つ土地には違いない。
大学時代、僕の友人で山口県出身者が二人いたが、これが二人とも正義感が強く、真っ直ぐな人間だった。たまたまかもしれないが、今でも山口人には何かそのような気風が伝統として引き継がれているのではないかと思ったものである。
松下村塾の建物は、平屋の簡素なもの。吉田松陰歴史館で、彼の生涯をたどる。安政の大獄で処刑されるまでの波乱の人生。
神社にある食堂で、「松蔭うどんセット」を食す。うどんとおにぎり、豆腐におしんこのセットだ。うどんには、萩名物の夏みかんスライスが堂々と浮かんでいる。
その後、伊藤博文旧宅を見学。彼も松下村塾出身で、明治維新を経て、初代内閣総理大臣となる。数多い長州(山口)出身の総理大臣の最初の人物である。彼の銅像が建っている。旧千円札に描かれた彼の顔を思い出す。
萩写真集
午後5時。萩を後にする。国道191号線。湯免温泉を過ぎ、やがて道路は山陰本線の鉄路と並行し、右手に海が広がる。日本海の響灘。小型漁船が停泊する、正しい日本の漁村風景が広がる。海の近くまで山が迫っている。山と海が共存する。
下関北浦「特牛イカ」の巨大な看板。「こっといいか」と読むらしい。
日が暮れていく。海沿いの民家は、昭和の典型的な瓦屋根を持つ家屋である。これが海と道路の間に続く。191号はやがて西向きから南向きに方向を変える。
夜9時、下関まであと数kmというところで、国道沿いのインターネットカフェに入る。ここで、下関の民宿を調べ、今晩の宿泊を予約。そして近くの「稗田食堂」で夕飯。さんまの焼き魚に納豆、野菜サラダ。ここは惣菜を自由に選び、ご飯と味噌汁を付けて定食にできる食堂で、全国の土地土地の名前を関していたるところにある。
下関市内にある民宿に着いたのは、午後10時過ぎ。安く、古びた民宿。
8月14日(土)
山口県下関市⇒福岡県小倉市 小倉競馬場 晴れ
朝起きて民宿近くの自販機で缶コーヒーを買う。宿をチェックアウト、車で下関から小倉へ。今日明日は小倉競馬場で勝負する。関門海峡を渡り、福岡県に入る。思えば遠くへ来たもんだ。郡山から1200km。九州に上陸したのは一体何年ぶりだろうか。十数年前に祖母が亡くなったときに葬儀のために福岡に来て以来か。九州自動車道小倉東ICで降りる。
朝9時半。たいした渋滞もなく、小倉競馬場に到着。
屋根が高くて開放感のあるスタンドロビーに入る。パドックはローカル的だが、本馬場は向こうに山並みを見渡せ、ローカル場の割には広々感がある。
とにかく暑い。そりゃそうだ、ここは九州。炎天下、パドックで馬を見ているだけで頭がクラクラしてくる。
昼食はフードコートでカツカレー。大盛りでも普通盛りと同じ値段というのがいい。
この日も残念ながら敗退。肩を落として競馬場を後にする。
小倉駅は、かなりでかい。壮大な駅ビルにつながって、ホテルがそびえている。駅の周りも人は多いし繁華街も広がりがでかい。小倉という街の規模を実感する。
アーケード街を歩き、定食やで夕食。小倉の名物料理が分からなかったので、普通にチキン南蛮定食。学生食堂なのか、ボリューム満点で安い。客層は、学生風情、キャパ嬢出勤前、おじさん、と幅広い。
その後ネットカフェに行き、泊まるところを検索する。決めたのは、小倉駅からちょっと離れた、苅田にある安ビジネスホテル。ネットで予約する。
車でホテルへ。小倉中心部から車で15〜20分ほど。何もない平原にポツリと建ったようなビジネスホテルである。苅田は、周防灘に浮かぶ北九州空港の対岸に位置し、このホテルは、北九空港から飛ぶビジネス客や観光客が主に利用するようである。
こぎれいなビジネスホテル。冷房の効いた部屋で明日の検討を少しやって、眠りにつく。
8月15日(日)
小倉競馬場 晴れ
朝起きてホテルをチェックアウト。ロビーを出ると、このホテル以外に辺りにはほとんど何もない。ホテルの威容だけがこの辺りで目立つものである。今日も天気がいい。65年目の終戦記念日。
小倉競馬場までは車で10分〜15分。こんな暑い中で走るサラブレッドもは大変だ。種類にもよるだろうが、馬というのはあまり暑さに強くないらしい。パドックでは馬たちが大汗をかいている。
今日は小倉で短距離芝重賞、北九州記念がある。いつも思うことだが、重賞に出てくる馬たちはさすがにほとんどが素晴らしい馬体をしている。サラブレッドは芸術品。見ているだけで惚れ惚れする。
しかし勝負は、北九州記念をはずし、この日トータルでも残念ながら撃沈。先週末、今週末、新潟、小倉とせっかくの遠征なのに、全くいいところなし。だが、金を失おうが競馬は止められない、というのを僕は自身で体現している。それはギャンブルだからではなく、レースを推理するのが楽しいからだ。あまりにも考える要素が多すぎるのだけれど、それらをあれやこれやと組み合わせ、自分なりの予想を組み立てていくのが恐ろしく楽しいのだ。こう言うと絶対に「違うだろ!金だろ!」と突っ込まれるのが目に見えるようだが、僕的には本当のことだ。ま、ここらへんの話はまた別の機会に。
さて、12レースが終わった午後5時。ここから、長い長い道のりが始まる。お盆休み最終日の渋滞がこの先に待ち受けているかと思うと、気が滅入る。
小倉競馬場 写真集
小倉東ICから高速に乗る。夏の残日が傾きかけている。関門海峡を渡り再び本州に戻る。中国自動車道に入り、山口県のサービスエリアで山口土産、夏みかん饅頭を買う。日は沈んだ。広島県、岡山県を縦断。ひたすら東へ走る。兵庫県に入ったところにある上月サービスエリアで夕食。ラーメンライス。時刻は午後10時半。
神戸に向かって走り始める。ラジオによれば、神戸手前で渋滞が17kmだそうだ。夜中12時、赤松パーキングエリアに入る。渋滞に突っ込む前に、仮眠を取ることにする。始めは眠れなかったが、しばらくして眠りに落ちる。2時間半赤松PAに滞在、1時間半くらいは眠れただろう。2時半に再出発。出発してすぐに渋滞の最後尾に追いついてしまった。こんな真夜中でも渋滞は解消していない。ここから1時間くらい、のろのろ運転。4時前、中国吹田付近でついに渋滞を抜ける。名神で京都へ。渋滞はない。京都を抜ける。米原手前、4時30分頃に少しずつ空が白み始める。5時前、米原JCTから北陸道に入る。すでに空は明るい。もうすぐ夜明けだ。そして僕の睡魔は限界に来ていた。神田サービスエリアに息絶え絶えで滑り込む。すぐにシートを倒して眠る。眠ること2時間。7時過ぎ、暑くて目を覚ます。全く寝足りないがもう暑くて眠れない。
8月16日(月)
高速道路 曇り時々雨(北陸道) 晴れ(郡山)
全く不本意ではあったが再び車を転がし始める。ここはまだ滋賀県である。いつになったら郡山にたどり着けるのかと思うと気が遠くなる。
福井県に入る。しばらくして、雨が降り始めた。恵みの雨だ。山がちの敦賀を抜け、鯖江。眠い。きつい。真っ直ぐな道が、眠気を増幅させる。
お盆休みが終わった月曜日、幸いにも渋滞はない。雨が断続的に降る。
福井、石川、富山。午前9時半、富山ICを過ぎまた眠気に我慢できなくなり、流杉PAへ入り、仮眠。1時間くらい眠る。眠気を我慢して走り、我慢できなくなったらPAに入り仮眠。これを繰り返している。雨は降っていて、まだ酷暑でないのが助かるが、この眠気はいかんともしがたい。
10時半、出発し、ほどなく新潟県に入る。ラジオは、甲子園の高校野球を休みなく中継している。昼12時過ぎ、栄PAで昼食。ハンバーグ定食。
雨が激しくなる。午後1時過ぎ、ついに長い長い北陸道を降り、最終磐越道に乗る。さらに何度か休憩し、郡山に近づく。いつの間にか雨はやみ、夏の日差しが戻っている。郡山の自宅に着いたのは午後3時前。昨日の午後5時頃小倉を出発してから、休み休み、眠り眠り、計22時間かかってたどり着いた。
この辛さは、何だ?だけど、やめられない。
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