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日記
(2011年8月)
2011/8/13 (Sat.)〜8/21(Sun.)
夏休み
新潟⇒南三重大台町⇒太地町(和歌山)⇒伊勢(三重)

お盆の夜、人気のない通りで山田は今日もフルスイング(新潟県新潟市)

外ラチ沿いの攻防(新潟競馬・直線1000m)

大宮大台ICから見下ろした集落。
山あいの平地に、田んぼと家が絶妙の風景を作り出す

緑色の水をたたえた宮川(三重県多気郡大台町)

宮川ダム

山霧

こんなに細い国道があるのか422号

田舎のバス停 一日二本

野営中

国道沿いにある小神社の二連鳥居

右の『湯谷不動明王』の看板の前に、水が引いてある。ここで飲み物を冷やした

くじらの街、太地町

くじら博物館

太地町の民宿の畳の縁。やっぱりくじら。

太地の港

落合博満野球記念館の看板

太地町の細い路地

シオカラトンボ

伊勢うどん

食堂の壁には伊勢、伊勢海老の文字が躍る
 
 
伊勢市駅近くの廃墟となったデパート
 
土曜昼のアーケード街
 
夜のアーケード街

伊勢神宮のおはらい町

冷やしキュウリ

伊勢の名物菓子、赤福

8月13日(土)
昼頃に起き出し、新潟に向かって出発する。今年も、夏休みを新潟競馬から始める。
今日も暑い。ここにきて夏らしい酷温が続いている。今年の夏は、これまであまり暑くなかった。7月上旬に30℃以上が連日続いたときには、8月の盛夏がどれだけ厳しくなるかと気をもんだが、その後は雨が多く、気温もそれほど上がっていない。昨年よりは大分過ごしやすい夏だ。
野営の準備をして、13:30頃家を出る。動き出しが遅くなった。今日の競馬には間に合わないかもしれない。
郡山ICから高速に乗ると、東北自動車道下り線がいきなり渋滞していた。今年は被災者の高速無料化で、お盆の東北道は車がやけに多い。この辺りの下り線が渋滞するなんて、普段では考えられない。
郡山JCTから磐越道に乗る。磐越道もいつもより車が多めだが、さすがに磐越道には渋滞はない。磐越道を新潟方面に下るときは、いつも第1レースに間に合うように朝なのだが、今日は午後なので、日差しが正面にある。そのせいか、いつもと山々の鮮やかさが違う。夏、福島西部の山は、鮮やかな緑である。
新潟亀田ICで降りる。先日被災証明を取ったので、高速料金は無料である。

新潟中心部に着き、予約してあった丸山旅館に入る。古町の中心にあって素泊まり2500円は格安だ。駐車場はないので、近くのコインパーキングに入れる。一番安いパーキングは、一晩で500円。これまた安い。
宿のオバちゃんは、高齢だが早口でしゃべる、ハキハキした人だった。頭の回転が速そうだ。
お盆の新潟市内は、閑散としている。夕食を食べに出たが、店がほとんど開いていない。「とんかつ太郎」で新潟名物のタレカツ丼をいただこうと思ったが、休み。仕方なく営業していた中華料理屋で定食を食べる。
古町のキャバクラの呼び込みのニーちゃんたちも手持ち無沙汰げだ。女の子は出勤しているのだろうか。
普段からそれほど人通りが多くないと思われる水島新司ロードも、今晩はさらに人気がない。人の途絶えた通りに、ネオンの淡い光を浴びながら殿馬や山田や里中が鈍く光ってじっとしている。
夜も開いていたスーパーで、キャンプ用の食料を買い込む。缶詰、水、コーヒー、インスタント味噌汁、ふりかけ、オレンジ、麦茶。
宿に戻り、明日の競馬の検討を少しして、横になる。だが眠れない。エアコンが涼しすぎるからか。さかんにくしゃみが出る。結局眠れたのは午前3時頃。

8月14日(日)
7時半に起き、買っておいたバームクーヘンを食べ、8:20頃宿を後にする。オバちゃんは寝過ごしたといって、眠そうな顔で部屋から出てきた。
近くのセブンイレブンで東スポ、タバコ、缶コーヒーを買う。古町の中心部、車が走っていない。お盆らしい光景だ。朝から太陽は元気良すぎだ。
競馬場までの道もそんなに混雑はない。9時過ぎには到着。だが、もうすでに人が多い。夏休みでここぞとばかりに競馬場に繰り出してきた人の群れ。家族連れもいる。以前も書いたけれど、ここ新潟競馬場にはゴーカート乗り場やポニー乗馬など、子供が楽しめるアトラクションが多いから、お父さんお母さんも連れてきやすいのだ。
1レースは10:10発走なので、パドックは9:40頃。パドックにはすでに人だかりが出来ている。
この日は久々の勝利。僕の相馬眼も成長してきた、というところか。
そんなわけでいつもと違って最終12レースまで満ち足りた気分でいられた。

終了後、競馬場の係員にホームセンターが近くにないかを聞く。教えられたコメリへ向かい、ミニDVテープと紙コップ、お出かけカトリスの取替カートリッジを求める。これでとりあえず野営の準備は整った。コメリの駐車場で強い西日を浴びる。ここから一人キャンプの野営地、三重に向かう。
ガソリンを満タンにし、いざ三重に出発。日が傾きかけた午後6:20頃、日本海東北道の豊栄新潟東港ICから高速に乗り、ひたすら西へ走る。ほどなく北陸道、上越JCTから上信越道、更埴JCTから長野道、岡谷JCTから中央道、土岐JCTから東海環状道、豊田東JCTから伊勢湾岸道、四日市JCTから東名阪道、そして伊勢崎からついに伊勢道に乗る。夜、上信越道の妙高SAは寒いくらいに涼しかったが、長野を過ぎると標高は下がる続ける。刈谷パーキングエリアでは、例の観覧車が夜空にそびえる。去年の3月、中京競馬場に徹夜運転で来たときに、朝ここで休憩を取ったことを思い出す。
伊勢道の嬉野SAにたどり着いたのが午前2:30頃。600kmほど走ってもう限界だ。ここで眠ることにする。が暑い。30℃近くあるのではなかろうか。
午前3時頃、なんとか眠りに落ちる。今日一日、パドックと本馬場を往復、ほとんど座ることなく、活動し続けたから、肉体的には疲れていたことが幸いした。

8月15日(月) 終戦の日
朝8時頃、暑さとセミの声と人々と車のざわめきで、もう眠ってられない状態となる。朝8時のサービスエリアに、人々が大挙して押し寄せている。レストランや売店も開き、朝っぱらから人々がゾロゾロと行き交っている。
今日も暑くなりそうだ。すでにもう30℃くらいあるだろう。
顔を洗い、クソをして、売店で米粉夕張メロンパンを買って朝食。
再出発してほどなく目的地の大宮大台ICに到着。一般の出口には人がおらず、被災者証明を提示しようにも出来ない。出口手前で車を停めて待っていると、係員が現れた。
「被災者証明で通りたいんですが。」
(僕の車のナンバーを見て)「あぁ、宮城から。」
ちょっと待て、と僕を制し、50がらみの係員のおじさんは、電話で誰かと話し始めた。
「じゃぁ、出口のところに来て、通行券を入れてください。手続きしますから。いやぁ、こんなこと滅多にないから、やり方が分からないんだよね」
そりゃそうだ、東北から、ここ南三重で高速を降りる人なんて、ほとんどいないだろう。
だが、おじさんは親切に精算機をいじり、ゲートを開けてくれた。
「ありがとうございます」
僕は礼を言って高速を降りる。郡山から新潟、そして三重まで、高速代がすべて無料である。自分は被災者だと言い聞かせる。もちろん、そうだ。毎日余分な放射線を浴びている。
ここから、大台町の山中に入っていく。
南三重は、世界遺産である熊野古道、熊野三山、高野山といった聖地に近く、だけあって山深い。さすがに世界遺産のエリアではキャンプなど出来ないだろうから、大台辺りに狙いをつけたのである。宮川という大きな川の河原には、お盆休みの家族連れが大勢繰り出している。バーベキューをする人、浮輪で泳ぐ子供たち、そして鮎の友釣りをする鮎師たち。夏の風物詩のような風景が展開する。宮川は、美しい渓流で、ところどころ瀬や淵があり、さらに程よい広さの河原があることから、夏の水遊びには最適である。だが、この辺りには「キャンプ禁止」の表示がいたるところに出ており、野営は出来なさそうだ。国道422号で宮川ダム方面へ。宮川ダムの先まで行くが、そこにはキャンプ場はあるが、個人的にテントを張れるような人里離れた感じの場所がない。この辺りは杉林で、さらに奥に行くと、大杉谷というかなり手付かずに近い自然がある場所であるが、そこには車ではアクセスできないようである。大杉神木という大木がシンボルだ。
お盆のため、大杉谷に至る登山道の登録所兼無料休憩所の建物は閉ざされている。近くに2軒ある食堂も閉まっている。広大な宮川ダム上をいく遊覧船もあるようだが、船は浮かんでいるものの今は営業を停止しているようだ。
仕方なく、引き返す。それにしても真夏の宮川の渓流風景は絵になる。緑色の川が、谷を刻んで深緑の山々の間を流れていく。

車で宮川周辺、山の中を走り回るが、適当な野営地がなかなか見つからない。13時半を過ぎ、我慢できないほど腹が減ったので、川沿いの空地に車を停めて昼飯を作ることにする。ちょっと下の宮川に下りて、水をポリタンクに汲む。米をとぎ、火にかける。炊き上がったら、お湯を沸かす。ふりかけご飯にカップ焼きそば、味噌汁。炊飯中、雨が降ってきた。一時かなり強くなる。傘を差しながら、飯ごうに水が当たらないようにする。
傘を差しながらの昼飯。外で食べる飯は、何でも美味い。何より、腹ペコだ。

ここには無数のトンボが飛び交っている。こんなにたくさんのトンボを見たのは、何十年も前、ボーイスカウトのジャンボリー(全国大会)で夏の蔵王に行って以来だ。あの時は、面白いようにトンボが取れた。無数のトンボは、空中を飛び、そこらじゅうのススキに止まり、また飛び立つことを繰り返していた。止まったトンボに背後から近寄り、そぉーっと人差し指と中指ではさみを作って、一方の羽根をスッと挟む。これで捕り放題。雨が止んで再び光が差してくる。無数に飛び交うトンボの羽が光り輝く。
腹を満たし、再び野営地を探す。結局、国道422号で松坂方面(松坂牛の松坂)に上がったところに、ちょっとした空地があったので、あまり山の中という感じがしないが、仕方なくここにテントを張ることにする。ほとんど寝ずに運転し、かなり疲れていたので、もう気力がなかった。
車をその空地に乗り入れる。向かいの道沿いに、小さな社があり、そこには下の川から引いてきた水が出ている。ここなら水場もあるというわけだ。午後4時。日はまだ高いが、ここは四方に山がそびえているので、太陽は今にも山の端から隠れようとしている。
ヒグラシの雨。夕方、ここ大台町の山の中にはセミの声が激しい。
夜、テントに夜露、車にも夜露。夜露も激しい。この辺りは、日本でも有数の豪雨地帯とのこと、多湿なのだろうか。

8時頃、山の陰から月が上がる。月夜。近くに街灯はないので、月がなかったら暗闇は濃いだろう。明るい。ラジオでナイターを聞く。
夜9時、遅い夕食。ふりかけご飯にさばの缶詰、味噌汁にオレンジ。
ナイターが終わると、終戦の日関連のニュースが始まる。今日は戦後66年目の終戦の日。ここ数年、8月15日に僕は山の中にいるけれども、こういう場所ではどうしても戦争のことを考える。人を殺すためにアジア各地に日本人が派遣され、敗色濃厚のジャングルの中を過酷な行軍をし、補給路が断たれ、孤立し、飢えと病気と玉砕で数え切れないくらいの多くの人が死んだ。そして彼らは、生きて日本に帰る気のない人も多かった。今の僕たちにどうやってその時のことを想像しろというのか。他国で人を殺して来い、と国に命令されたら僕はどうするのか。今でもなぜそんな殺し合いに国全体が動いたのか、そのことは常に日本人全体で考えなければならないことだろう。可能性は低いとはいえ、ロシアや中国や北朝鮮がもし日本に攻撃を仕掛けてきたら、一体どうなるのか。自衛隊が殺し合いに出ていくのか。世界に戦争はなくなっていない。

山の夜はさすがに涼しい。テントの上部から、シルエットとなった高木の梢が見える。かえるの声。
夜、車が時々横の国道422号を通る。この422号は、国道と言っても、林道に毛が生えたような道である。山の中のワインディングロードで、時折、車がすれ違えないくらいの道幅になる。国道には道幅の基準がないことを知る。暗闇にランタンを灯けている僕に気づいて、驚いて減速する車もある。
テントの中で寝袋に入る。なぜか眠れない。

8月16日(火)
早朝、5時頃外が明るくなってくる。昨夕以来、ヒグラシが再び鳴き始める。その声は、静寂を破るという感じではない。いつの間にか知らぬ間に音の多重奏が始まっている。しばらくすると、ヒグラシの声にウグイスのそれが重なる。だが、太陽が山の端から顔を出す頃には、彼らの歌唱はすでに終わっている。これもいつの間にか。
8時頃、テントに日差しが差し込んできて、もはや暑くて寝ていられなくなる。それでも我慢して横になっていたが、9時前、仕方なく起き出す。この頃はヒグラシ以外のセミはまだ騒ぎ始めていない。
ラジオで高校野球が始まっている。菓子パンを食べ、コーヒーを飲みながら聞く。10時頃、雨がパラつくがすぐに止んだ。
高校野球では第1試合で千葉代表の習志野が金沢に2−1で勝利、ベスト8進出。
車でやってきたあるオジサンが、僕に声をかけてきた。
「火だけは気をつけてな」
「はい。分かりました」
キャンプしていると必ず現れるこの手の人。やはりこの辺りの自治会か何かの人だろうか。それとも地主か。だが、雰囲気は悪くなかった。
車で通りかかって、水場のある小神社に立ち寄っていく人が結構いる。彼らは空地でキャンプしている僕に好奇の目を投げかける。

日中、ラジオを聴きながら、ほとんど何もせずにずっとボーっとしていた。今日はまとまった雨は降らなかった。パラパラと2度ほど来たくらい。今日も日差しが強い。
山の中にいると日の入りが早く、日の出も遅いのでそれが救い。日が陰るととたんにヒグラシが鳴き始める。彼らは何に反応しているのだろうか。あらゆる角度からヒグラシの声が聞こえる。
7時頃、ヒグラシの声に混じって「ヒン!ヒン!」と鋭い鳴き声が聞こえてくる。小動物か、鳥か。
いつものことだが、西日本の山の中では多数のAM放送が入る。プロ野球中継だけでも、東海放送の中日−巨人、毎日放送の阪神−広島、福岡のソフトバンク−オリックス、文化放送の西武−楽天と4カードも聴ける。中日−巨人は東海放送だけでなく、CBCとかその他で、木俣、谷沢、高木という中日OBが解説をしていた。さすがは名古屋のお膝元、三重県の山中である。
夜、伊集院静の短編集を読んで過ごす。今日の月は、9時前に山陰から出てきた。昨日より30分ほど遅い。今夜も空は晴れている。黒い空に白い雲の帯が流れる。夜露は昨日ほどではない。涼しい。

8月17日(水)
朝5時、ヒグラシの声が雨のようにテントに降ってきて、目が覚める。四方八方からヒヒヒヒヒヒヒ・・・・という独特の声が聞こえてくる。本当にここはヒグラシが多い。しかししばらくするとまったく鳴き止む。うぐいすの声も止まる。静寂が戻る。不思議なものだ。体内時計だろうか。それとも何かに反応しているのだろうか。外は明るくなってきているが、まだ夜明け前だ。
鳴く動物は多いが、なぜ鳴くのだろうか。何かを伝えようとしているのか。生き残るために声を上げるよう進化したのか。声を上げることでどうして生き延びられるのか。むしろ捕食者に気づかれてしまいやしないか。子孫を残すためとか、そういう本能的な背景があるのだろうか。
鳥は求愛のためが多いか。昆虫はどうだろう。なぜ鳴くのか。こおろぎや鈴虫やセミ。生きている証を一生懸命にこの地球上に残そうとしているのだろうか。かえるはどうして鳴くのだろう。
カラスは声で合図を送ったり会話めいたものをしているらしい。奴らは頭がいいのだ。

日中は相変わらず暑い。35℃くらいあるだろうか。特に昼〜3時頃は暑さのピーク。何もする気がおきない。もっとも、ここには登山道もないし、遊べる渓流もないので、何もすることはない。ま、何もしないためにここに来ているのだから、それは問題ない。とりあえず伊集院静の本は読了し、三島由紀夫に移る。だが相変わらず彼の小説は難解で、なかなか読み進められない。こんな場所で読む本じゃなかった。お日様の下で読む本は、赤川次郎とか椎名誠とかスラスラと読み進められるものがいい。
今日も雨は降らなかった。時々雲が広がり、気配はあるのだが、結局降らず。一雨が欲しい。雨が来ればとたんに涼しくなるのだ。
19時頃、早めの夕食。さんまの蒲焼。もちろん缶詰。
今夜は早く寝て、明日は朝早くここを撤収して、和歌山方面に向けて出発するつもり。
夜、雷が光る。東海地方に雷注意報。だが、待望の雨は来ない。それどころか、星空だ。夏の大三角形。
今日の月の出は9時半頃。さらに昨日から30分遅れだ。
眠ろうとするが眠れない。長年、毎日の仕事で狂ってしまった体内時計は、数日大自然の中にいたくらいでは容易には元に戻らない。日が暮れたら眠り、日が昇ったら起きるという身体にはなれないのだろうか。23:40。
巨大な羽虫がテント上空を二度行き戻った。一体なんだろう、あの生物は?虫じゃなくて鳥だろうか。いや違う。重厚な羽音をさせていた。巨大カブトムシか、巨大カミキリか。謎めいた巨大な飛影。
南三重というのは、山が濃い。それもそのはず、ここから和歌山、奈良にかけての山は、世界遺産、紀伊の霊場である。手付かずの自然の中で、何か我々の知らないものが生息しているのかもしれない。
結局12時まで眠れず、涼しくなったので寝袋に入る。するといつの間にか眠りに落ちた。

8月18日(木)
朝5時にいつものようにヒグラシの声で目が覚める。再び眠り、7時過ぎにテントに日が差し込んできたので、テントを出て車のシートを倒し、ドアを開けて眠る。そしたらうっかり9時過ぎまで寝てしまう。
と、車で来た一人の男が僕に声をかけてきた。
「宮城から来たんですか?」
「いや、郡山からです」
「この辺りで遠いところのナンバーは全然見ないですね。ほとんど大阪近辺の車ばっかり。さっき1台千葉ナンバーを見たくらいで。」
「はぁ、そうですか。」
彼も遠くからやってきたのだろうか。確かに関西弁や方言系の口調ではない。
「ヘビとかいませんか、ここ?」
「いませんよ」
「長いんですか、旅は?」
「いやぁ、1週間ですよ。今日これから南へ移動します。」
「紀伊半島ですか」
「えぇ。」
「ずっと自炊ですか?」
「いや、これからは民宿に泊まります」
「どのくらい旅するんですか?」
「今週一杯。日曜までです。」
「それじゃ気をつけて。」
「ありがとうございます。」
彼はどういう好奇心を僕に感じたのだろうか。ただのキャンパーとは思わなかったのか。車が宮城ナンバーだったのが彼の好奇心に火をつけたのだろうか。彼の親戚に被災者がいるとか。彼の車は普通のセダンだったので、キャンプを常日頃している人ではなさそうだ。
車に乗り込んだ彼は、出発しようとして再び降りてきた。飯ごうやコンロを見て尋ねる。
「何作ってるんですか?」
「いや、たいしたものじゃなくて。ご飯炊いてお湯沸かして缶詰ですよ。」
「それじゃこれ、おやつにどうぞ」
彼は手に持っていたせんべいの小袋を3つ、僕にくれた。
「ありがとうございます」
何だかよく分からないけど、いい人だ。声をかけずにいられない、って人はいるものだ。旅の一期一会。

小神社の水場に行くと、冷やしておいた2本のペットボトル(水と麦茶)がなくなっていた。流されたと思って辺りを探したが、どこにも見当たらない。昨日誰かが置いていったビール缶も一緒になくなっていたので、きっとこの辺りの人がゴミだと思って回収したのだろう。さっきの人だろうか。別にもう今日下界に下りるので、問題ない。
ここに来て3度目の野グソ。驚いたことに、24時間前、昨日したヤツが、跡形もなくなっていた。ハエや虫のような分解者の驚速の処理か、それとも鳥とか小動物の仕業か。いずれにせよ、濃密な生がこの辺りにはある。
テントを徹営し、午前10時出発。ここから僕は、紀伊半島を南下し、和歌山県の太地町に行く。いよいよシーシェパードと対決だ!

大台の山の中から太地町まで行くのは結構難儀だった。まず、宮川ダムあたりから南の海側へ抜ける道が通行止め。先日来た大杉谷への登山道の入り口で、郵便配達をしていた局員に聞いたら、土砂崩れか何からしいが、大分前から通れなくなっているらしい。
仕方なく422号を大宮大台IC方面へ引き返す。途中、ドライブインで昼食。結局、インター近くから国道42号線に乗り換え、南へ降りる。紀伊長島でようやく太平洋に出会う。ここからは紀伊半島東側を下りていくことになる。
尾鷲市、熊野市を過ぎ、七里御浜の長い海岸線を見渡す。熊野川を渡ると、和歌山県だ。新宮市内、さらに那智勝浦市内を通り抜け、ついに太地町に入る。傾いた日に、街の入り口でくじらのモニュメントが迎えてくれる。ほどなくくじら博物館が見えてくる。向かいの食堂には、「くじらの串カツ」の赤い看板。さすがにここは関西だ。くじらと串カツのコラボレーション。

予約してあった民宿『大磯』はすぐに見つかった。到着は午後5時半。宿のオバちゃんはこれまた気さくな人で、今日は僕だけが2食付の宿泊者で、他はみんな素泊まりだという。何となくひっそりとしていたので聞いてみると、どうして、博物館の研修に来ている若者や、海水浴の親子連れ、放送局のスタッフなどでほぼ満室なのだという。
4日間も外にいて汗だくだったので、まずは久々の風呂をいただく。普通の家庭風呂だが、4日間の垢をそぎ落とすには十分だ。野営中は炎天下で上半身裸で過ごしたので、首周りから肩、背中が焼けて湯にひりひりする。風呂を上がって部屋に戻ったのが6時半。6畳の和室で、エアコンもテレビもある。畳の上に大の字になってくつろぐ。快適だ。よく見ると、畳の縁の緑色の部分にくじらのイラストが入っている。さすがくじらの街の民宿。

テレビをつけるスポーツニュースでは、タイガースびいきっぽい内容だ。三重の山中ではドラゴンズのラジオ放送が目立ったが、ここ和歌山は近畿地方である。近畿といえばタイガース。三重と和歌山の県境的関係性を垣間見る。
そしてお楽しみの夕食は午後7時。海の幸をふんだんに使った料理。美味い。くじらの竜田揚げも含まれている。
食事中、おばさんにくじら漁について話を聞く。何と、くじら漁は来月9月から2月までなのだそうだ。そもそも太地町のくじら漁は、紀伊半島沖をくじらが回遊して来る季節に行われるのであって、それが9月〜2月なのである!つまり今月はまだ漁は始まっていない。よってもってシーシェパード他反捕鯨団体はここ太地町にまだ乗り込んできていない、とのことである。トホホ。
NHKスペシャル『くじらと生きる』をご覧になった方も多いだろう。シーシェパードや反捕鯨団体の外人どもは、大挙してこの太地町に押しかけ、徹底的に漁師の妨害をし、夜半にくじらを殺す場面を盗撮し、全世界にユーチューブで発信する。漁師の車の前に立って車を動けないようにして、警察が来る直前に逃げる。要するに奴らは犯罪を犯しているのだ。もちろん、南氷洋での調査捕鯨妨害行為が、犯罪行為以外の何物でもないことは明らかである。
奴らの論理は、可笑しいほど滑稽だ。「くじらやイルカは知能が発達した動物だから殺して食ってはいけない」。アホか。知能の低い動物なら殺していいのか?(ちなみに、くじらやイルカは、犬猫程度の知能である)
人間は、太古の昔から、生き延びるために殺してきた。地域によっては割と特殊な動物を食し、独特の文化を育んできたのだ。くじら漁はその一つである。戦後は、貴重な蛋白源だった。欧米人が牛や豚を食らうのと何が違うか?もしくは、魚を食べるのと何が違うか?
絶滅寸前の種を保護するのには僕も賛成だ。今まで散々欧米人は植民地を作って現地を開拓し、様々な動物や昆虫を絶滅に追い込んできた。
民宿のおばさんの話によると、来月、外人どもはまた押し寄せてくる、という。先述のNHKスペシャル放映前、去年のくじら漁シーズンには、妨害行為を繰り広げる反捕鯨団体を、NHKのクルーは、この民宿に長期逗留して取材を続けたのだという。なるほど、ここは長期滞在割引がありそうだ。
「外人どもはどこに泊まっているんですか?」
「新宮や。ここ(太地町)じゃ泊まれんから、奴ら新宮に泊まって、そこから来とるんや」
「奴らは犯罪者ですよね?何で入国させちゃうんだろう?」
「ホンマや。入れんといてくれればエェのに。せやけど今年は警察の取り締まりも強化されるみたいやわ。」
「今年もNHKの取材は来るんでしょうか。」
「来るで。実は今日もNHK大阪の人ら泊まってるわ。仕事やのうて休暇やけど。」
「今は観光客多いですか?」
「今日も満室や。裏の海がとても素晴らしくてな、毎年毎年来てくれる家族連れが多いんや。それに、常連の団体さんも多いわ。」

話が尽きないながらも僕は食事を終え、おやすみなさいを言って部屋に戻る。食った食った。おひつのご飯で腹いっぱい。

8月19日(金)
来月から、この街は再び戦場となる。嵐の前の街は、驚くほど穏やかで、静かな街だった。
日本定番魚の開きの朝食後、歩き始める。今日も暑くなりそうだ。トンネルをくぐってすぐ右に海水浴場が見えてくる。グリーンの海。家族連れがもう浜に出て泳ぎ始めている。駐車場からも軽い足取りの子供たちが海へ降りていく。
さらに進むと、前方に大きな建物が見えてくる。くじら博物館だ。太地町のくじら漁の歴史、漁法やくじらの生態、分類、進化、くじらの利用法、等についての詳細な展示がある。中でも、くじらの進化の過程、様々な種類のくじらの部位の展示(アルコール漬けや剥製など)が豊富だ。くじらの脳、歯、ひげ、骨、内臓などなど。
隣接した入り江の海では、生簀のように区画を作ってくじらやイルカを飼育し、くじらショーやイルカショーをやっている。

昼食は、くじら丼。くじら肉を甘辛く煮たものがご飯の上に載っている。美味い。
その後、気持ち悪くなりそうな酷暑の中、歩いて太地町を歩き回る。
港を回り込み、岩門をくぐって住宅街に入り込むと、狭い路地が迷路のように入り組んでいた。路地の両側に、家が向かい合う。石垣を備えた古そうな家もある。
迷路を出て、港沿いの坂道を登る。坂を昇った先に燈明崎がある。急坂を登り、畑と民家が点在する田舎道をしばらく歩き、林を抜けると、太平洋を見下ろす岬の突端に出る。ここは、江戸時代、捕鯨の陣頭基地となっていた場所で、物見台、詰め所、のろし場などの跡が残っている。
海を見下ろす林の中を歩き、梶取崎へ到達する。ここには純白の灯台が太平洋に向かって屹立している。さらには2本寄り添って立つ夫婦イブキ、くじら供養塔がある。太地町の人々は、「くじらに生かされている」という思いで、くじらに対する感謝を忘れない。
強烈だった日差しが傾きつつある。歩き疲れ、帰りは太地町内を回る循環バスに乗る。もう6時過ぎだけあって乗客は僕一人だ。
くたくたになって民宿に帰り着く。

夕食。昨日くじらの話で盛り上がったせいか、今日はオバちゃん、くじら料理を増やしてくれた。くじらの皮の辛子味噌和えとか、なかなか普通では見ない料理だ。さすがくじらの街の民宿。それほど美味というわけではなかったが(失礼)。
その後オバちゃんは、この本館だけでなく、別館もあること、今そっちもほぼ満室なこと、オバちゃんは商売が好きで、跡継ぎをどうするか、二人の娘はそれぞれ仕事を持ってるし、オバちゃんの代で終わりかもしれないこと、などなどを次々と話した。
来月以降、シーシェパードの妨害活動を、この民宿に泊まってぜひ取材せねばなるまい。

夕食後、ネットカフェを探しに車で42号線を那智勝浦方面へ向かう。来るときに確かに「インターネット」の看板を見たのだが、結局見つからず。ネットカフェで明日行こうと思っている伊勢の民宿を探して予約したかったのだがかなわず。とりあえず、明日伊勢に着いてから探すことにする。

8月20日(土)
今日も天気がよい。暑くなりそうだ。朝、この街にある『落合博満野球記念館』に寄ってみた。この太地町には、現役時代ロッテ、中日、巨人で活躍し、現中日監督の落合氏が、自分の記念館を建てている。これはもともと、落合氏の別荘だそうである。昨日、民宿のオバちゃんに聞いた話では、落合氏はこの街に縁のないない人だけれども、保養か何かでこの街に滞在したことがあって、この街を気に入ったという背景があるという。
しかし同時に、オバちゃんはこの記念館にオープンのときに招待されていったが、とにかく何でもかんでもこの記念館では高いことに憤慨していた。確かに、入場料は大人2000円。アホ高。中日ファンの僕でも、これじゃ入る気が全くしない。オバちゃんの話では、館内にある喫茶店のコーヒー1杯も相当な高値だそうである。
僕が行った時間は開館前で門は閉まっていたが、その記念館は、別荘というだけあって、大きな邸宅そのものである。門から庭を横切って玄関から入る、みたいな乗りだ。きっと、邸内は、落合氏が今までに獲得したトロフィーとか記念のユニフォームとかボールが飾ってあるのだろう。ただ、ここは海沿いの高台であり、2階からは熊野灘の絶景が一望できるのがセールスポイントらしい。
しばらくウロウロして、僕はその場を去った。開館直前、スタッフが中で動き始めていた。

今日は太地町を車で後にし、紀伊半島を北上し、三重県の伊勢に向かう。生まれて始めてのお伊勢参りである。
和歌山県から再び三重県に入り、海沿いの七里御浜、鬼が城などの景勝地を抜ける。
ところで、和歌山県には、千葉県房総半島に見られるのと同じ地名が多い。白浜、勝浦など。これは、聞いた話によれば、江戸時代頃だったか、和歌山の漁師たちが関東に来て、千葉の海で漁法を教え、地名も和歌山と同じ名前をつけたのだとか。もともと、日本は歴史上近畿地方や東海地方が先に栄え、関東が発展したのは家康が江戸に首都を置いてからのこと。近畿地方では様々なことが関東より進んでいたのだと思われる。漁法をとっても、和歌山からその技術が千葉に伝授されたのだろう。

さて、伊勢に着く頃、雲行きが怪しくなり、雨が降り始めた。伊勢市に入ると、雨に煙ったせいもあるのか、建物が古びてくすんでいるように見える。実際、古くて廃墟のような建物が、通りに面して連なっていた。
午後3時ごろ、JR伊勢市駅近くに車を停め、雨の中駅近くの安宿を探し始める。3軒目に入ったビジネスホテル『ダンケ』。古びた雑居ビルのような建物でいかにも安ビジネスホテルという趣。狭いフロントのオバちゃんが優しそうで、料金も格安だったのでここに決める。だがまだチェックインはできないそうで、しばらく外を散策することにする。
まず下の食堂で伊勢うどんを食す。少量のドロっとした濃い汁に入ったモチモチした太麺が特徴。卵を載せてもらう。シンプルで美味い。雑然とした店内を見回すと、紙に書かれたメニューが壁にずらりと貼られている。伊勢うどん、伊勢海老カレー、伊勢海老定食。そうか、伊勢は伊勢海老か。そして有名人が訪れたときの写真、雑誌に取り上げられたときの記事が飾られている。
雨の伊勢市は、本当に廃墟のようだった。閉店したデパートが伊勢市駅前にその巨大な死体を横たえる。アーケード街が一応あるものの、土曜日の昼過ぎだというのにほとんどがシャッターを下ろして閉店している。閉店した寿司屋の閉ざされた入り口には、数年前に貼られた、閉店を告げる貼り紙がそのままになっている。この通りは、時が止まっている。
大雨が降り続く。駅裏もホテルがあるものの人は少ない。伊勢神宮の観光客は常に途絶えていないはずだが、街は驚くほど寂しい。

ホテルにチェックインし、夜再び街を歩く。件のアーケード外の裏に、スナックや飲み屋が集まる小さな歓楽街があった。
(おぅ、一応こういう場所はあるんか・・・。良かった良かった)
シャッターの閉まったアーケード内に、一軒のキャバクラがあった。土曜の夜、客が入っているのか分からないが、営業しているようだ。一応、界隈にはおじさんや若い男のグループがちらほら見られる。飲みに出ているのだろう。怖いもの見たさで入ろうかとも思ったがやめた。廃墟にも酒と女あり。いや、酒と女があれば廃墟じゃないか。

ホテルの近くに戻り、食堂を探すが、どこも早く閉まってしまっている。歩き回った挙句、郷土料理が食べられそうな大衆食堂はどこにも見つからず、全く不本意ながら近くの和食ファミレス「さと」に入る。天丼そばセットを注文。

伊勢市写真集

さとから出ると、雨はほとんど上がっていた。明日はお伊勢参り。

8月21日(日)

雨は上がった。だが、雲は低く垂れ込めている。それほど暑くない。
7時にホテルをチェックアウトし、ホテルの隣のビルの1階にある食堂で朝食。ここは昨日伊勢うどんを食べたところ。夜は早くに閉まってしまったが、伊勢参拝客のために、朝は早くから開いている。伊勢神宮は、夏の間は朝4時に開く。
和食にするか洋食にするか迷った挙句、パンにコーヒー、卵にサラダの朝食にする。食べ終え、車で伊勢神宮の外宮(げくう)へ向かう。が外宮の駐車場についたときに、食堂にビデオカメラを忘れたことに気づく。再び食堂へ取って返すと、おじさんがビデオカメラを持って待っていてくれた。おばさんがすぐに気づいて追いかけたけれど間に合わなかったという。僕は礼を言って受け取る。

伊勢神宮とは外宮と内宮(ないくう)、それぞれの別宮、摂社、末社など全125社の総称で、普通の人は外宮と内宮を訪れる。外宮に祀られているのは「豊受大御神」という衣食住すべてを司る産業の神様。内宮に祀られているのは、太陽神、天照大神(あまてらすおおみかみ)。皇室の祖先にして日本各地に存在する八百万の神々のトップであり、日本国の総親神様。日本におけるキリストとでも言おうか。
伊勢神宮は2000年の歴史を持つといわれる。平安時代までは伊勢参りは皇族や貴族だけに許された特別な旅だったが、それ以降は一般参拝客が増え、伊勢は誰もが一生に一度は訪れたい憧れの地となる。イスラム教でいえばメッカ参拝だ。さらに、江戸時代には「おかげまいり」や「ええじゃないか」といった熱狂的なブームが周期的に起こった。日本人にとっては、特別な場所である。

外宮の入り口を入ると、すぐに高い木々に遮断された別世界となる。森の中、涼しい空気が流れている。神の森というイメージから錯覚するからか、空気が凛として感じられる。
神宮内にはたくさんの小さな社があり、それぞれの神々を祀る。そして最奥にある御正宮に鎮座するのが豊受大御神である。
各社殿は、伊勢神宮特有の「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」の建築。茅葺屋根のシンプルなものだ。大きな寺社にありがちなきらびやかさとか豪奢さは全くない。
伊勢市駅からすぐの街なかに広がる広大で神聖な森。ここには、2千年前から現在に至るまで、日本人の信心が集積してきた。
外宮を出て車で内宮へ向かう。内宮の森も、外界と隔絶された静けさが満ちている。御正宮の御正殿には天照大神が鎮座する。一般人は中には入れない。
その他、風の神、安産の神、様々な神様が祀られた宮を次々に回る。

伊勢神宮写真集

聖域を出る。もうお昼近い。内宮の門前町がおはらい町である。ここには、食堂や伝統工芸のお土産屋がびっしりと並ぶ。昔ながらの古風な日本家屋が、情緒を醸し出す。さらに、その一画には江戸〜明治時代の町並みを再現した「おかげ横丁」がある。ここには明治の洋食レストランとか劇場とかを再現してある。
と、大雨が降り始めた。僕はずぶ濡れになりながら昼飯のために食堂に入った。観光客向けなのでここの食堂はみんな高い。仕方ない。
食事を終えても雨は激しくなるばかり。駐車場までは5分くらいは歩かなくてはならない。しばらく店の軒先で雨宿りをしたが、雨は一向に弱まる気配を見せない。これから伊勢神宮を参拝に行く人は大変だ。その意味では。伊勢神宮にいる間に大雨にならなくてよかった。傘は持っていない。食堂のオバちゃんは、傘を貸してくれると言ってくれたが、返しにくるのが面倒なので、丁重に辞退する。
20分ほど待って雨が弱まらないので、意を決して雨の中に飛び出す。途中赤福の店で雨宿りし、ついでに伊勢名物の赤福を購入する。伊勢のお菓子といえば、餅の周りをあんこで包んだ赤福餅だ。

赤福をカバンに入れ、駐車場へ向かって走る。橋を渡り、川沿いの臨時駐車場にたどり着き、車に飛び込む。激濡れだ。車内でタオルで身体を拭き、シャツを着替える。フロントガラスの曇りが取れない。最近、車のエアコン、デフロスタが効かない。エアコンが効かないのは汗だくになりながら窓を全開にすれば何とかなるが、フロントガラスの曇りは致命的だ。前が見えなければ重大な事故につながる。
雑巾で曇りを拭きながら車を出発させる。ただでさえ大雨で視界が悪い。すぐに車内が曇ってしまう。前が見えない。必死の思いで運転と雑巾掛けを続け、何とか伊勢西ICにたどり着く。ここからは高速道路。帰りは新潟(磐越道)経由ではなく、藤岡JCTから関越自動車道に乗り、北関東道⇒東北道経由で郡山へ帰る。これが都心を通らないで済む、すなわち高速料金が無料となる伊勢⇒郡山の最短コースだ。745km。所要8時間くらいか。高速に乗ったのが午後2時過ぎ。雨は降り続く。四日市、豊田、土岐を過ぎ、中央自動車道に入る。山々の間を霧が流れる。雨はまだ降り続いている。

午後5時半、駒ケ岳SAで休憩。ここは、2003年9月〜11月、協力隊の派遣前合宿で駒ヶ根トレーニングセンターに滞在していた際によく来たサービスエリアである。駒ヶ根トレーニングセンターからこのサービスエリアまではすぐの距離で、何と裏口からサービスエリアに入れるのだ。ここの食堂や売店で食事、買い物が出来る。高速道路のサービスエリアに、外から徒歩で入れるというのは、僕には実に新鮮な体験だった。サービスエリアにいる人たちというのは、普通、車を運転して、休憩している人たちである。その常識が覆され、心地よい。協力隊秘密の小道みたいなのがあって、裏口からするりと入れるのだ。信じられますか?
今回久々の駒ケ岳SAは、昔の面影はほとんどなかった。流れた8年のうちにほとんど改装され、ファストフードの一画もお土産屋も一新されていた。SAの建物もこじゃれた洋風になっていた。裏山の斜面に雲が流れる。
唯一懐かしかったのは、レストランのソースカツ丼。駒ヶ根では、名物としてレストランではたいていソースカツ丼を出す。僕も週末に自転車でトレーニングセンターから駒ヶ根市街に出かけ、食堂で食べたものだ。以来8年間、駒ヶ根には行っていない。飲み屋のネーちゃんやマラソンコースはどうなっているだろうか。
お土産屋で信州名物の野沢菜を買う。信州の生そばやソースカツ丼用ソースが売れ筋のようだ。
記憶をたどり、記憶にない駒ケ岳SAを寂しい気持ちで出発する。中央道から長野道、上信越道。藤岡JCTから関越、高崎JCTから北関東道、やっとのことで東北道に乗る。午後11時過ぎ、ようやく郡山に到着。800km近くを走って高速料金0円。
コンビニで夕飯の弁当を買う。9日間の夏休みが終わる。
2011/8/6 (Sat.)
どうして日本はこんな国になってしまったのだろう

広島原爆の日。広島への原爆投下から66年。放射能の悲劇は続く。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ・・・。
広島と長崎は、アメリカ合衆国の、ホロコーストに匹敵する人類史上最大の犯罪であり、大虐殺。
しかし福島は、自然の力を甘く見た、自業自得。技術への過信。快適な社会への欲望の果て。いや、強迫観念か。

原発に近い住民たちの一部は、福島市や郡山市に避難してきている。一方、福島や郡山の住民の一部は、もっと遠く、首都圏などへ逃げ出している。さらに、首都圏に住んでいる人たちが、関西、さらに遠くへと逃げ込んでいる。
財力のある人間はいいが、福島で必死に生きていかなければならない人間たちは、必死にここで生きている。国は何もしない。

もはや誰も福島県には遊びに来ない。原発から100km離れた、福島県内有数の観光地会津でも、観光客は激減。福島は、もはや他の日本人から見捨てられ、その中の住民も、自ら見捨てて去っていく、そんな状態だ。

一体いつになったらこの事態は収束するのだろうか。

国の無策には本当に、本当に腹が立つ。こないだ、原発大臣の細野何とかが福島に来たが、その発言を聞いて、僕は開いた口が塞がらなかった。
「福島に来てみて、今一番重要なのは放射能の高い地域の除染だということが分かったので、国として、除染に全力を挙げていきます。」

本当に今の政府の人間というのは、みんな頭がどうにかなっちゃってるのだろうか?

何で原発事故から5ヶ月近くも経って今頃こんな発言が出るんだ?こんなん、事故直後から分かっていたことじゃないか。国が何もしないから、地方自治体は、なけなしの金で、特に子供の通学路や校庭の除染を独自に進めてきたけど、当然予算にもマンパワーにも限りがある。それに、放射線量調査だって大規模にやろうとしたら大変だ。僕の会社だって、芝生や土の撤去を自腹でやっている。
何で国がやらなければならないことが、全くなされていないのか。除染は、原発収束と並行して一番力を入れなければならない課題じゃないか。なんで事故後すぐに国の主導でどんどん除染をしなかったのか?あの、世界最悪の国の一つ、ロシアでさえ、チェルノブイリのときは、数週間後には近くの街に大々的に除染車を出して、除染を進めたっていうじゃないか。

福島や郡山は避難区域でないが、放射線量が高い。で人口も多い。こういう地域からなぜ除染をしていかなかったのか?子供たちは、夏でも長袖で、マスクをして通学し、外ではなかなか遊べない状態だというのに、なぜ国は何もしないのか。
国民の健康と安全を守るのが国の役目なのに、この国の政府は、健康に影響があるかもしれない危険な状態を放置するだけ放置している。
政府の人間は全く無能だ。どんだけ有名大学を出たのか知らないが、全く業務遂行能力のない集団だ。問題分析も出来ないし、行動力もない。
僕は放射線をあまり気にしないし大人だからいいけど、ここに住んでいる子供たちは、本当にかわいそうだ。その親も。彼らに安心をもたらす取り組みが、どうして全くなされていないのか、本当に理解不能だ。

とにかくこの国の政府は、これほどの国難の際に、打つべき手を何も打たない。
どうして日本はこんなダメな国になってしまったのだろう。いや、もともとこんなダメな国だったのだろうか。今回の未曾有の大災害で、それが露呈しただけなのか。

僕は、日本人のメンタリティー、安定した社会、風景の美しさ、等から、日本は世界で一番素晴らしい国だと思ってきたが、残念ながら、それが揺らいできた。政府がダメな国は、人が良くても、なかなか「いい国」というのは難しい。アメリカがその典型例だ。ミャンマーなんかはいい国だけど。結局、民主主義の国でダメな政府ってことは、議員を選んだ国民がダメだってことだ。ミャンマーは軍事政権で選挙がない、もしくは機能していないから、国民の責任は薄い。
てことは、無能な国会議員を選んだ僕ら国民がダメなのか。
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