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日記
(2018年12月)
2018/12/30 (Sun.)

忘年会

鍋。美味い

忘年会   晴れ時々曇り@千葉市  

今日は友人のマンションのカラオケルームで忘年会。

昨日、夕日桟橋でオリンパスのカメラを地面に落としてズームレバーが故障してしまったので、まずはヨドバシカメラに行って修理を依頼。年末年始でメーカーが休みとなることもあり、修理に1か月半くらいかかるという。

その後、歩いて友人のマンションへ。
午後5時、参加者9人で、スーパーへ買い出しに向かう。
スーパーのなかを歩き廻るうち、やっぱり大人数なら鍋をしようということになり、鍋の具材を買う。
それにすぐ食べられる巻きずしやピザ、ポテトフライなどの惣菜。そして酒。

最終的な忘年会参加者は13人。
鍋はほとんど友人たったの二人で作っている。野菜やキノコや豆腐やタラを切り、鍋で煮る。他の者どもは酒を飲み、惣菜を食らって騒ぎ始める。

鍋が出来てテーブルに運ばれてくる。美味い。味付けは「ちゃんこ鍋のもと」を入れただけだが、美味くできている。いや、これが鍋のいいところか。野菜や肉や魚を切って放り込むだけでいいのだ。
鍋は大量にあったが、13人もいればどんどんなくなり、ほぼ完食。腹はいっぱいに。

午後8時すぎ、友人の娘(中3)が塾から帰ってきて、彼女の意向で、人狼ゲームを始める。
実は彼女は、昨年の暮れにも人狼ゲームがしたいと父(私の友人)に頼み込み、我々の忘年会でやろうとしたのだが、忘年会は一般の飲み屋での開催となり、できなかった。
1年越しの人狼ゲーム実施。

始めはあまり乗り気ではなかったが、やってみるとなかなか面白い。
狼チーム対市民(人間)チームの団体戦で、毎日昼と夜に、誰かを殺していくという物騒なゲームである。始めはお互いに誰が狼で誰が人間なのか分からないが、ゲーム中の「会議」における会話などから、誰がどっちのチームなのかを推理していく。そして、毎日殺す人を多数決で決めるのだ。
最終的に殺されずに残ったチームの勝ちとなる。
もともとはロシアで開発されたゲームだという。ロシアではマフィアと一般市民の闘いだったらしい。
1時間半くらいやって、細かいルールが把握できないままであったが、楽しめた。

そのあとはカラオケ。カラオケを歌いたい人が多い。歌いたくない人も何人かいる。
特に、友人たちの二人の娘は、歌いたくてしょーがないらしい。私が中学生の頃は、カラオケなんかなかったよなぁ。

カラオケも佳境に入ったところで11時となり、時間切れでお開き。楽しい忘年会だった。
2018/12/29 (Sat)

長大な夕日桟橋。奥の先端部がT字型に翼を広げる

青空と青海の先に富士山がよく見える

夕日桟橋の先端部。外海側の写真右側には、
釣り人がびっしりと並んでいる


外海側。富士山を見ながら釣れる

釣れない

日が暮れかける。富士山が垂れ込める雲の下に辛うじて見えている

房総半島南房での釣り、四日目 館山夕日桟橋   晴れ時々曇り@館山市  

今日は友人二人と合流し、館山の夕日桟橋で釣り。その後はいよいよ3か月ぶりに千葉の自宅に戻る。

朝8時20分、4泊した民宿をチェックアウト。有料エアコンは結局一度も使わなかったけれど、何とかコタツでしのげた。真冬とか真夏でなければ、エアコンがなくてもいいし、とにかく格安なのがいいので、「今後も寄らせてもらいます」と主人のおじさんに告げて去る。

朝8時45分に、夕日桟橋に到着、友人二人と合流する。3か月ぶりだが、全然久しぶりの感じがしない。
天気がいい。波もなく穏やか。
紺碧の海と青空に向かって真っすぐに伸びる桟橋。そして前方やや左に富士山がよく見える。実に絵になる風景だ。
桟橋の長さは日本最長と言われ、約500mとのこと。

もう9時近いので、釣り人が多い。真っ直ぐな桟橋の両側では、主に投げ釣りやルアー釣りをしている人が多い。
桟橋の先端部はT字型に、桟橋に対して垂直の桟橋が連結されている。ここが一番潮通しがいいので、外海側にはびっしりと釣り人が陣取っている。サビキと遠投カゴ釣りの人が多い。今アジが旬なので、今夜の食卓にとアジ釣りの人が多いようだ。
視線の先、海の上に富士山が浮かび、気持ちがいい釣りができる。
沼津ほどの近距離ではないが、海の上の富士山というのは変わっていていい景色だ。

外海側に入り込む余地はなく、我々は逆側、陸向きの一画に入る。

外海側では、魚を釣り上げている人が多い。アジは時々、その他の魚もコンスタントに誰かが釣れている感じ。

午前9:45ごろ、釣り開始。
まずはアジ狙いで、ヘチ際にコマセを撒く。コマセは、アミエビにアジパワー(配合エサ)+チヌベスト(配合エサ)の混合。これでアジもクロダイも一網打尽だ。

コマセに集まってくる魚はいない。3日前に同じ館山湾の香谷堤防で釣った際には、コマセにイワシのような小魚がたくさん集まってきたが、どうも状況は違うようだ。
短竿のミャク釣りでオキアミをハリにつけてヘチ際に落としてみる。深い。ネット情報によれば、水深は7m〜10mあるとのこと。底は基本砂地。投げ釣りも多いので、岩礁はほとんどないのだろう。
ヘチ際という言葉にはやや語弊がある。このT字型の先端部は、何本かの橋脚の上に立っており、コンクリートの岸壁とは違い、橋脚以外の部分は外海とつながっているので、外海側から潮が流れてくる。

橋脚際の底付近では全くアタリがない。
磯竿でウキ釣りを始める。5Bの半遊動仕掛け。ヘチ際、沖10mくらいまでポイントを色々変えるが、全く生命反応がない。アタリはおろか、エサもかじられない。タナを変えても同じ。
魚がいない。おかしい。逆の外海側では足下のサビキでも遠投でもぽつぽつと魚が上がっている。外とつながっているのだから、こちら側でも決して釣れないわけではないと思うのだが、まったく魚の気配がない。

何も釣れないまま時間だけが過ぎる。
コンビニで買っておいた弁当を食べる。
友人の二人のうち、ルアーの裕助はやっぱり釣れないが、エサ釣りのコンスケが、小さなハゼとシロギスを釣る。底には魚がいるらしい。

トイレに行くのに、500mある桟橋を戻らねばならない。トイレは桟橋の付け根にある渚の駅たてやまにある。
桟橋から投げ釣りしている人が、ジャンボキスを釣り上げていた。あんなにデカいシロギスは初めて見た。25cmオーバーだろう。

午後、ウキ釣りでもミャク釣りでも釣れないので、サビキ釣りに切り替える。釣れない。
向かいの外海側で釣っている名人風のおじさんが遠投釣りで30cmくらいのマダイを釣り上げる。
「すげぇ」
このおじさんはサビキでもアジを上げている。

我々は全然釣れない。時だけが過ぎ、日が傾く。
そして夕暮れ。
やっと外海側の端にいた釣り人が帰ったので、そこに滑り込む。。マダイを釣ったおじさんの隣。
おじさんが話しかけてくる。
「きょうはアジの食いが悪いなぁ」
最近数日間は、アジの食いが止まっているようである。それでも、時々このおじさんはサビキでアジを釣り上げている。

隣の私はサビキで全く釣れない。
おじさんの釣りを観察し、サビキのタナはほとんど底であることを確認し、私も底にサビキを止め、時々誘ってみるも、まったく魚のアタリはない。

日が暮れ、友人二人は上がっていった。私はコマセがなくなるまでもう少し粘る。
日は沈み、頭にヘッドライトをつけ、サビキ仕掛けを入れては上げ、再びコマセをカゴに詰め込んで入れる。その繰り返し。日がなくなると急激に寒さが増してくる。
日が沈んでも釣り人はまだまだ多い。みんな電気ウキに切り替え、海上を緑や赤の光が並んで浮かぶ姿はクリスマスのようである。
私はサビキを続ける。

コマセがなくなるまで、結局釣れず。午後5時過ぎ。

2018年釣り納めが、悪夢の坊主。
しかも、周りがみんな釣れていない釣り場ではない、周りの外海側で釣っている人が、みんな何かしら釣っている中での坊主である。これはツラい。屈辱にもほどがある。
瀬戸内海以降の3か月間、めぼしい釣果が上げられないまま、2018年の釣りが終わってしまった。


帰り道、勝山の住吉飯店で夕食。チンジャオロース定食。
コンスケが食べたもやし麺は、今はやりの二郎系のようなもやし大盛り麺で度肝を抜かれる。器の下には、日本酒のマスのようにもう一つ深皿が敷かれている。、、あまりに大盛りで器一杯に具もスープも入っているので、それらがはみ出してこぼれても受け止められるようにということだろう。

食事では、友人二人に対し、簡単に私の3か月間の瀬戸内海での奮闘ぶりを話して聞かせる。
まぁ、「とんでもない奴が多かった」ということに尽きるか。

食事の後は高速に乗り、3か月ぶりに千葉に戻る。

瀬戸内海での3か月の勤務の後、12月15日〜29日まで、14泊15日の帰還旅行。
しまなみ海道上の島々でじっくりと観光および釣りができたので良かったが、この2週間で金を使いすぎた。12万円くらい使ったと思われる。とすると1日8000円平均か。
宿泊費は安くても1泊4500円くらいで、最後の白浜だけが3000円。食費は基本外食なので1日2000円近かったろう。それにガソリン代、観光施設入場料、釣り餌代などを考慮すれば、1日8000円というのはそんなもんかなと思う。

釣りと旅をしてたらいつのまにか2018年も暮れ。
あと2日で今年も終わり。
2018/12/28 (Fri.)

長大な千倉港の堤防

チンピラ野郎と口論となった場所。私はこちら側の堤防の先端で
竿を出したら、向こうの岸壁からこちらに向かって竿を出していた
チンピラに文句を言われた(千倉港)

巨大フグ。全長は21cmだが、太り方が半端ない(千倉港)

ハコフグのように太っている

ガーデン下の磯はあれている

イワシのような小魚(旧ガーデン下)

館山の夕日桟橋。夕焼けに富士山がシルエットを作る

白浜の大衆食堂。

房総半島南房での釣り、三日目 千倉港、旧ガーデン下の磯 曇り時々晴れ@南房総市  

今日はなんとしてもガーデン下に入りたいので、昨日よりも早く出る。雨が降りそうな曇り空。
えらく寒い。今日から大寒波が日本列島を覆っているらしく、館山でも0℃くらいまで最低気温が下がっている。昨日よりも3〜4℃は低そうだ。
日の出30分前の6時15分くらいにはガーデン下に着いたが、道には1台の車が駐車している。嫌な予感。
果たして、磯には人影があった。今日もダメか。

仕方がないので、千倉方面に行くことにする。始めに、乙浜港を偵察。
ここには朝から釣り人多い。テトラの堤防には7、8人いる。ほとんどが遠投カゴ釣りで、青物狙いらしい。ウキフカセは2人くらい。テトラがあるので、ウキフカセはやりづらい。
ここはやめて、千倉港に行くことにする。今泊まっている民宿には釣り人が多く泊まるようで、宿のおじさんが、「クロダイなら千倉港でいつも釣っているお客さんがいますよ」と言っていたのだ。

千倉港に向かう途中、若い女性が3人ほど自転車に乗っている。その独特の服装から、おそらく中国人だろう。以前白浜の釣具店の老店主が話していた、技術実習生かもしれない。
最近では日本の津々浦々で外国人の姿を見るようになった。

千倉港は平舘港と隣接した巨大な漁港である。長い堤防が2本あり、私は赤灯台のある堤防の先端で釣ることにする。釣り人の姿はない。
風が強くて寒い。外海側にはテトラがあり、釣り辛いので、内港側と向かいの堤防との間の水道を釣ってみる。
8時半前に実釣開始。ウキは5B、ウキ下は5mくらいから。この港も水深がある。
内港側ではエサが瞬殺される。しばらくしてクサフグが釣れる。フグは厄介だ。まずい。
この後もエサが瞬殺され、何も釣れないので、早々に移動を決意。
この赤灯堤防の途中に突き出た、古い旧堤防の先で釣ることにする。内港だが、海に突き出ているので少しは期待できるか。

10時40分、先端から水道側に竿を出す。すると、水道を挟んで30mくらい先、向かいの岸壁で釣っていた男から文句を言われた。
「おい、こっちが先に釣ってんだからよ、こっちに竿出すなよ!」
どうやら、私が先端から水道側を釣っているのが不満らしい。奴の場所は、30m先の岸壁である。そこから、こちらの堤防の際に仕掛けを投げ込んでいるのだ。確かに奴が始めに釣っていたのだが、こっちの堤防の際は、私のテリトリーではないか。
見たところチンピラのような男で、口の利き方も横柄で高圧的だったので、ムカついてこちらも反論する。
「ここの際を釣りたいんだったら、こっちにくりゃいいだろ?」
向こうがタメ口なので、当然こちらもタメ口である。
「そこだと人影が水に映るだろ?」
30mの水道を挟んで口論となる。
しばらく言い争ったが、結局、釈然とはしなかったものの私が折れ、先端の水道側ではなく、左側に竿を出す。
このチンピラ野郎もクロダイ狙いらしい。私がいる堤防の際に棒ウキを投げ込み、コマセを撒いて釣っている。

不愉快極まりない気分だったが、気を取り直して釣り始める。
しばらくして、小さなクサフグが釣れる。ここもフグ祭りか・・・。

さらにウキが沈む。合わせると、大物の手応え。よし、奴が撒いているコマセに寄ったクロダイか?これであのチンピラ野郎をギャフンと言わせられる!だが、そういうスケベ根性を出したのが悪かったのか、魚が左へ一目散に走った後、急にテンションがなくなり、バラシ。仕掛けの先を見ると、見事にハリスが切られている。
(こりゃぁ、クロダイじゃなくてフグかも。)
昨日までの釣りで、大フグがいることは分かっているし、ハリスも何度か切られている。

チンピラ野郎は、口論をした後、20分くらいで撤収して去っていった。奴も私が言い返してくるとは思わなかったのか、自分の言い分が正しいとは限らないと思ったのか、反省したのかもしれない。いや、あの感じだとただ不愉快だから場所を変えただけか。いずれにせよ、ざまぁミロ。

これで晴れて船道側に竿を出す。撒き餌を撒く。だが、その後は全く釣れない。
エサは取られるので、フグの暗躍だろう。ここもダメか。

そうこうしてあっという間に1時間半が経過。もう昼を過ぎた。
さっきの大物バラシを引きずっている。アイツが何かを確認したい一心で何も釣れないままにズルズルと時だけが過ぎる。
そんなとき、ウキが沈み、再び大物がかかる。私は自分の推測が正しかったことを知る。
大きいし、重い。だが、はたして、正体は巨大フグだった。クロダイの期待は一気にしぼむ。
こいつが重くて、堤防は水面から高いので、抜き上げられずに、玉網で取り込む。
デカいヒガンフグである。全長は21cmと、一昨日香谷堤防で釣った2匹よりは小さいが、重さは段違いである。でっぷりと太っている。
上から見ると、昨日釣ったハコフグ並みに太っている。
こうなるとさっきのハリス切れもフグか・・・。
これで謎が解けたので、もうこの場所に固執する必要はない。場所移動を決める。
午後1時過ぎ。

千倉港にちらちらと雪が舞っている。南房総でも雪が降る。今日は昨日までより段違いに寒い。


白浜に戻り、一縷の望みをかけ、ガーデン下に行くと、もう人はいなくなっていた。
午後1時40分、やっと念願の旧ガーデン下の磯に入る。だが、波が高くて釣り辛そうである。磯際はサラシ状に白くなっている。普段立っている岩は時々波をかぶっているので、数m後ろから竿を出す。

ウキは5B。ウキ下は4m程度。
磯際ではエサが瞬殺される。マズい。案の定、すぐにフグが釣れる。ここもフグ祭りか・・・。暗い気持ちになる。

立て続けにフグ。ウキ下を変えてもダメ。波が激しく、一番のポイントである磯際は、渦巻いてしまって釣り辛い。
沖に仕掛けを入れるが、沖でもフグが食ってくる。
それにしてもフグという魚は大したものだ。見た目はつるっとまるっとしていて、平べったい魚のようなシャープさがまるで感じられないが、こんな荒れ海でも縦横無尽にエサを獲っている。この機動力は、他の魚と遜色ないように思える。

その後、小さなイワシのような魚がスレでかかる。最近南房を大勢で徘徊している小魚だろう。
その後もフグしか釣れず、心が折れて納竿。午後4時。

今日は念願のガーデン下に入れたのに、フグ祭りで終わってしまった。情けない釣りが続く。


明日は友人と合流して館山近辺で釣りする予定。
明日のエサを買うのと、釣り場偵察で館山方面に向かう。
渚の駅たてやまの脇にある夕日桟橋は、数ある館山の釣り場の中でも有名な場所である。海に向かって長大な堤防が延び、そのため特に先端部の潮通しはピカイチである。水深も10m以上あるらしく、様々な魚種が釣れると聞いている。
ちなみに、渚の駅たてやま内には、館山市立博物館別館があり、さかなクンギャラリーもある。
さかなクンは館山市在住で、ここ渚の駅の「名誉駅長」であり、以前は館山ふるさと親善大使、館山おさかな大使も務めていた、館山の有名人である。もっとも、彼は東京出身だが。

午後5時、すでに日は暮れ、桟橋からは夕焼けをバックに富士山が見える。いい。
辺りはすでに暗くなっているが、桟橋にはまだまだ釣り人が多い。ここには、「先端部や歩道側(海に向かって右側)は釣り禁止」、「コマセ禁止、投げ釣り禁止、ルアー釣り禁止」などと書かれた看板が立っているのだが、誰も守っていない。先端部にも歩道側にも釣り人がいるし、ルアー、投げ釣りもみんなやっている。一体どうなっているのだ?
もし様々な禁止事項が解除されているのであれば、速やかに看板を修正してほしいものである。
釣具店に寄ったあと、白浜に戻る。

今日の夕飯は、昨日確認しておいた白浜の大衆食堂で摂る。
以前白浜の釣具店の老店主と話したところでは、白浜は南房総市のなかでも過疎化・高齢化が最も進んでいる街だそうである。空き家は多くなり、子供は少なくなり、老人が多くなり、外国人が多くなってきている。老店主は、「いずれ白浜には中国人やベトナム人など、外国人しかいなくなるだろう」と言っていたが、これはジョークではない。
実際、日本の田舎では人口が減り、高齢者だけになり、都市部だけに人が集中してきている。田舎では産業の担い手がいなくなり、外国人がどんどんそういった不足した労働力を担っていくのだろう。さもなければ田舎の街は滅びるのみである。
外国人労働者の受入法案がいま話題となっているが、外国人に頼るのも一手だが、もっと地方の活力や魅力を掘り起こして、地方から人が離れないようにする政策も必要ではないか。

話はそれたが、上記のような地方の現状を鑑みれば、旅人は地方に金を落としていかねばならない。私は余計なお土産などの無駄使いはしないのだが、食べるのは欠かせないので、せめて食事は土地土地の、昔ながらの大衆食堂で食べたいと思っている。どこにでもあるファミレスや牛丼屋などは、せっかくの旅先では味気なさすぎる。そんなもん、旅先でなくてもどこでも食えるのだ。

今日やっと白浜の食堂で夕食となった。
午後6時に店に入る。夫婦らしいおじさんとおばさんがやっている店だ。小さな店で、客は一人。この人も旅人らしい。
店お薦めの生姜焼き定食を頼む。
1000円の割には、量が少なかったが、まぁ文句は言うまい。客が少ないなかで(多分)やっているのだ。

宿に戻る。明日は釣り後に3か月ぶりの自宅に戻る。
2018/12/27 (Thu.)

富浦旧港にて、ウミタナゴ。幸先は悪くない

フローラルホール下右側の磯。波が磯に白く打ちつける

悪コンディションの中、メジナが釣れる

ハコフグ。上から。水玉模様

ハコフグ。横から

ハコフグ。下から。硬く、平ら

ハコフグが釣れたフローラルホール下左側の磯。やっぱり荒れてる

房総半島南房での釣り、二日目 富浦旧港、フローラルホール下 曇り時々晴れ@南房総市  

今日こそはガーデン下の磯に入りたいので、朝5時半には起きる。
ガーデン下に着いたのはまだ夜明け前、6時半ごろ。しかし、すでに先行者がいた。どんだけ人気磯なんだ?平日とはいえ、年末なので、もう仕事が休みになった人が多いのかもしれない。

仕方がないので、今日は館山のさらに先、富浦の旧港に行ってみる。この港では、昨年の春先に2度ほど行って、1度目は、テトラ際のウキ釣りで全然釣れず、心が折れかけていたところを、テトラの穴釣りに切り替えたら、イシガキダイ、ドンコ、メバルなどが次々と上がったいい思い出がある。何より、内港側で釣っていたウキフカセのおじさんが、大物を何匹か上げていたのを目撃していたので、釣れるかもしれないと思ったのだ。
富浦旧港に着いたのは7時。堤防には誰もいない。天気は良さそうだ。

アミエビを水に入れて解凍開始。
午前7時半、堤防先端の内港側に竿を出す。実釣開始。まずはコマセなし。
エサはオキアミ、ウキは5Bでウキ下4m〜5m。
いきなり何かがハリに掛かる。上げてみるとウミタナゴ。ウミタナゴは久しぶりに見た。まぁ、幸先は悪くない。

だが、再び釣れない時間が訪れる。
コマセを撒き始めると、昨日同様、イワシのような小魚の群れが集まり始める。ヘチ際ではエサ取りが多いが、沖に投げ込めばエサ取りはほとんどいない。
沖を中心に釣るが、魚が通りかからないのか、コマセに魚が集まった気配なく、アタリがない。
オキアミから黄色い練エサにエサを変えるも、アタリはない。
だが、しばらくして、ウキが沈んだ。合わせると、大物の手応え。しかし、左に一気に走られたあと、ハリが外れてしまった。痛恨。
この後も練エサで粘るが、それっきりアタリはない。

11時、心が折れ、釣り場移動を決断。結局ウミタナゴ1匹のみ。

再び白浜に戻り、ガーデン下の磯を確認。まだ人がいて、入れない。仕方がないので、フローラルホール下の磯で釣ることにする。

駐車場でコンビニ弁当を食べ、磯に移動。

フローラルホール下にも釣り人の姿が多い。6人くらいはいる。
私は海に向かって左側の磯に入る。以前アイゴやメイチダイを釣ったところだ。
13時くらいから釣り始めるも、全然釣れない。
干潮が13:45なので水位が低く、底の根や海草が見えている。ウキ下4mくらいにすると根掛かりが頻発。そこで3mに固定するが、全然釣れない。
エサ取りは激しくない。
結局何も釣れず、もっと深いところに移動しようと、右側の磯に移動。
右側の磯場では釣り人が多いが、こちらはサラシになるほど高波が磯に砕けている。ここもまた釣り辛い。ウキが波と潮でどんどん沈んでしまい、アタリも何も分からない。糸を張ってミャク釣り的にアタリを取るしかない。
だが、そんななか、少し波が穏やかな場所で、メジナが上がる。手のひらサイズで大きくはないが(19cm)、このコンディションを考えるとうれしい。
そもそもメジナは潮の流れが速いところを好むと聞く。サラシもメジナのポイントなのだが、私の技量ではなかなか釣るのは難しい。
その後波はますます激しく、全然釣りにならない。

磯際でアタリがよく分からないまま、フグが釣れる。小さい。
その後もしばらく釣るが、釣りにならないので、再び左の磯に戻る。午後3時。これからは上げ潮なので、波のそれほど激しくない左の磯は釣れ頃だろうと判断。

再び左の磯で竿を出す。こちらは右の磯ほどサラシ状にはなっていないが、それでも高い波が次々に押し寄せ、水中の潮は激しく流れ、表層では波が激しく上下し、ウキは沈みまくる。
できるだけ潮の影響を受けない穏やかそうな深場を選んで仕掛けを入れる。

すると、ウキが沈む。合わせるとまたまた大物の手応え。しかし、ハリスが切られてしまった。昨日釣ったような大フグだろうか?
あれだけ大きなフグなら、簡単にハリスを切るだろう。
気を取り直して仕掛けを作り直し、再投入。再びハリに魚がかかる。こいつは取り込む、と抜き上げると、やはり大フグ。しかし抜き上げる途中でハリが外れてしまった。
てことはさっきのハリスを切った犯人もやっぱりフグか。昨日分かったことだが、23cmもの大フグは、本当に大物がかかったかのような引きと重さなのだ。

フグ地獄に背筋が寒くなるが、もう今更釣り場を移動するわけにはいかない。というより、他に釣り場はないのだ。

なんとかフグ以外の魚を釣ろうと、潮が満ちてくるにつれてウキ下をじわじわと深くし、できるだけ底にいる魚を狙う。ウキ下を3.5mくらいmで長くする。
もう心が折れかけていたその矢先。午後3時40分。

何かがハリに掛かる。ウキの動きは明確ではなかったが、ちょっと妙な動きがあり、合わせると魚がかかったらしい。確かに魚の感触がある。が、その重さに反して、あまり暴れないし、泳がない。
なんだ??
リールを巻く。竿の先にはとにかく重いものがかかっている。それほど抵抗されることもなく、リールを巻くと魚が浮いてきた。
なんだあれは?

見たとたん、水玉模様のような斑点のある、フグ系であることは分かった。だが、恐ろしく太っている。
抜き上げようとしたら、あまりに重くて、抜き上げることはできないことを知る。竿が折れてしまう。この磯は足場が高い。
途中の低い磯にいったん魚を下ろす。そして玉網を手に取って伸ばし、再び魚を少し上げて、玉網の中に入れる。
玉網を上げると、フグはフグでも、ハコフグだった。ハコフグを見たことはないが、その名の通り「箱」のような体、見た瞬間にまず間違いないと思った。

ハコフグと言えば、さかなクンでおなじみの魚。彼の帽子は、ハコフグを模したものである。
英語でもボックス・フィッシュ(BOX FISH)というらしい。
まさに箱と呼ぶにふさわしい。触ると、体表のヌメリを除けば、まったく魚だとは思わない。もし、目隠しをした人にこのヌメリを取ったハコフグを持たせたら、「鉄の箱」とでもいうに違いない。ずっしりと重く、そして硬い。ハコフグのこの四角の硬体は、ウロコが変形・変化したものだという。とにかく鉄のように硬い。体表のヌメリは魚らしいが、この箱型の硬さは、魚のものとは到底思えない。
釣り上げた時に、フグだとは分かったので、膨らんでるのかと思ったら、こういう形だったとは。
腹側は白く、真っ平らである。下から見ると、卵型のような形で、立体的には直方体のような箱型ではなく、体側が膨らみ、曲線を描いている。
ヒレも独特だ。身体の上部に、背びれがない。が、尾びれに近い方に、申し訳程度にヒレがついている。腹側も同じ。尾びれの方に小さな尻びれがある。
だがよく考えてみると、フグ類はみんなそうである。背中側も腹側もつるっとしている。
全長は18cmほどだが、重い。

あとで調べて分かったのだが、ハコフグは筋肉や内臓には毒がなく、敵に襲われたら、体表に弱い粘液毒を出して敵に食べられないようにするのだという。私は素手でこの魚を触りまくっていたが、大丈夫だろうか?ま、かぶれたりすることもなかったので、人体にはそれほど影響のない毒らしい。

ハコフグは、釣られて陸に上がって以降、ヒラヒラヒラヒラと各ヒレを動かしている。愛嬌のある動きだ。そして体表の水玉模様。茶色地に灰色の水玉がこれまた愛らしい。さらにはおちょぼ口。
魚特有の精悍さがなく、、流線型的なスピード感が全く感じられない。しかしその分、愛嬌がある。実際にその姿や動きを見れば、さかなクンがこの魚を好むのも分かろうというものだ。
確か、館山在住のさかなクンは、漁師さんの船に乗せてもらい、その時に網にかかったハコフグをもらって、家の水槽で飼っていたはずである。それを考えると、この辺りに生息はしているのだろうとは思っていたが、まさか磯際で釣れるとは思いもよらなかった。また経験値が上がった。

一通り驚き、観察し、感嘆し、写真を撮った後、ハコフグを玉網に入れて海に戻す。

ハコフグ ユーチューブ動画

この後も1時間近く釣るが何も釣れず。日が暮れた。午後4時40分ごろ、納竿。
今日は一日でウミタナゴ1、メジナ1、クサフグ1、ハコフグ1の結果。まったくいい釣果ではないが、ハコフグだけでも楽しかったと言わねばなるまい。


宿に戻る前に、周辺の食堂をグーグル先生に聞いて探してみる。車で行ける場所に1軒大衆食堂があった。午後6時前、まだ開いている。だが、今日はまだあまり腹が減ってないので、明日この食堂に来ることにし、今晩はコンビニ弁当に済ますことにする。

買い物をして民宿に戻る。
明日は何としてもガーデン下に入りたい。
朝早く行くため、早めに眠りにつく。
2018/12/26 (Wed.)

香谷津堤防の先端。私は上の段(左)で釣る
下の段にも釣り人

初めてのアジ。釣れるときはあっけない

アイゴの顔。唇が分厚い

巨大なクサフグ、23cm

今度は大ヒガンフグ(多分)。これまた23cm

スーパーで半額となったおにぎりと惣菜で夕食

房総半島南房での釣り、一日目 香谷堤防 曇り時々晴れ@館山市  

朝8時過ぎに起きる。今日から3日間、南房で釣りをする。曇り空。
9時前に民宿を出て、行きつけの旧ガーデン下の磯に向かう。宿からは車で5分くらい。しかし、さすがにもう遅く、先行者が磯に入っていた。そうしたらどこで釣るか?
館山湾に行くことにする。まずは以前よく通っていた塩見堤防。だが、やはり関係者以外立ち入り禁止となってしまった状態で、入れず。仕方ないので、隣の香谷堤防で釣ることにする。こちらには釣り人が3人くらい。
先端の上の段が開いていたので、そこに登って陣取る、先端では、下の段の内港側に二人の釣り人が釣っている。一人はイカ釣り、もう一人はアジのカゴ釣りと思われる。

まずはコマセの準備。昨日買っておいたアミエビを海水を入れたバケツに入れ、解凍する。
アミエビが溶けるまで、コマセなしで釣る。11時過ぎ、実釣開始。
館山の満潮は7:52なので、いまは下げ潮。干潮は13:12、。潮は中潮。
ウキは5B,ウキ下は基本、4m〜6m。
エサ取りはそれほど多くない。釣り始めてしばらくして、銀色の魚が釣れる。何だ?
堤防の上で魚をよく確認する。サバではない。アジである!アジをついに、初めて釣った。あまりにもあっけなく。大きさは約20cm。
魚体上半分は銀色ベースの淡い灰色、下半分は銀色。側線が体の途中でカーブし、尾びれから伸びるゼイゴにつながっている。
アジは回遊漁なので、狙っても周って来ないとなかなか釣れないのだが、ここには割と接岸しているようだ。
幸先はいい。食べるかどうか迷ったが、いまは民宿に泊まっていて調理するのは難しいので、リリース。

40分後、ウキが消し込む。アイゴ。これも20cm。軍手でハリを外し、リリース。

アミエビは大分溶けたので、配合エサと混ぜてコマセを作る。配合エサは、「チヌベスト」というチヌ(クロダイ)用。
コマセを撒き始めると、イワシのような小魚が大量に集まってきた。それと同時にエサ取りが激しくなる。イワシは小さすぎて、エサ取りとはならない気がするが、それ以外の姿の見えないエサ取りも集まっているのだろう。

昼過ぎからはエサ取りが手がつけられない状態となる。ウキに動きなくエサを取られる。
釣れない時間が続く。
アイゴが釣れてから2時間近く経って、ようやくハリに魚がかかる。なかなか強い引きだ。これは期待が持てるぞ・・・と思って抜き上げた魚は、なんとクサフグだった。それも23cmの大物。
クサフグはこんなに大きくなるのね。23cmともなると、あまり引かないフグでも、なかなかの走りをするし、重いので抵抗がある。
サバもサヨリも、夏ごろには小さかったものが、いまのこの冬の時期には立派に成長しているが、フグも同じである。

堤防の先端の釣り人は2人とも撤収し、代わりに二人組がやってきて、下の段で先端に竿を出し始めた。一人は30代、もう一人は年配で、どうやらアジ釣りらしい。年配が延べ竿のサビキ釣り、若い方が遠投カゴ釣り。ここから私は、「爆釣」というものを目の当たりにすることになる。

午後2時過ぎ。時はやってくる。
延べ竿のおじさんが、アジを爆釣しだした。彼は私のすぐ後ろというか、、すぐ下で釣っているので、彼らの会話は否応なく私の耳に入ってくる。どうやら、このおじさんは、この辺りで有名な釣り名人らしく、地元のおじさん二人が、きっと知り合いなのだろうが、彼の釣りを見に来ていた。
ヘチ際から3mくらいのところに下カゴ仕掛けのサビキを落とし、アジを次々に釣っていく。若い方もこの時合を逃すまいと、慌ててその横でサビキ仕掛けを「名人」の横に投入する。
しかし、かかるのは名人の方のサビキばかり。次から次へと回遊してきたアジを釣り上げる。2匹かかっていることも珍しくない。アベレージは20cmで、25cmくらいの大物も少なからず混じっている。
彼は、釣り上げてすぐに足元目の前のバケツにアジを入れ、足元左横に置いた別のバケツのコマセをカゴに詰め、すぐに再投入する、そしてすぐにアジがかかる。手返しの速さは半端ない。
特筆すべきは、1m横で釣っている若い方のサビキには、全くかからない、ということだ。サビキの違いか、コマセの違いか、誘い方の違いなのか、とにかく、並んで釣っている一方が爆釣で、一方が全く釣れないのだ。
私もすぐ後ろで釣っているので、アジは流れてきている。私も色気を出して、食べるわけでもないが、ウキ下を3mくらいに短くして、自分の目の前の海に投入してみる。時々ウキが急激に消し込まれる。明らかにアジのアタリである。が、なかなかハリ掛かりしない。ハリに掛かっても途中で外れたりする。アジは口が弱いから口切れしているのだろう。
名人も、釣り上げる途中でかなりの数のアジが外れて落ちてしまっている。しかしそれでも爆釣ぶりは半端ない。途中から私は、自身で釣るのを休止し、弁当を広げて彼の釣りを注視し始めた。昼飯は、朝スーパーで買ったアジフライ弁当。狙ったわけではないが、期せずして・・・。

途中からさらに一人が彼らの釣りに合流し、3人が横並びでサビキ釣りとなる。若い方は釣れないのでサビキ釣りを諦め、元の遠投カゴ釣りに戻る。相変わらず名人ばかりが釣っているが、後から来た3人目のおじさんも、アジを釣り上げている。が、彼と若い方は、アイゴやフグなどの狙い以外の魚を釣り上げる。これまた驚きは、名人はアジしか釣れていない。
若い方は、カゴ釣りでアイゴ祭りに陥っている。そのうち、巨大なアイゴを釣り上げた。30cm以上はありそうだ。あれだけ大きかったら相当の引きだったろうが、「またアイゴかよ、クソっ」と、サビキ釣りで釣れなかったうっぷんを晴らすかのように毒づく。私からしたら、あれだけ大きなアイゴなら、その引きだけでも十分楽しい釣りだと思うのだが・・・。
後から来たおじさんが、ヒレを切って持って帰るという。アイゴはヒレに毒を持つが、食べたらやっぱり美味しいのだ。
おじさんの方は、アイゴや、私が釣ったような巨大なフグを釣り上げている。
よく考えてみれば、私も今日はアジ、フグ、アイゴなので、ここにいる人たちがみんなアジ、フグ、アイゴしか釣ってないことになる。

それにしても名人は見事な手返し、次から次へとアジを釣り上げ、30分くらいの時合で、彼曰く、38匹くらい釣ったらしい。その間、隣の若い方には1匹も釣れず。こんなことがあるのね。
爆釣が始まって30分ほどすると、アジはいなくなり、アタリも止まった。
すごいものを見てしまった。

名人曰く、「こんなに早く(午後2時過ぎ)からアジが周ってくるのは珍しい。普通は夕方からなんだけど」
青物の回遊は読めない。どこにいつ周ってくるのか。海水温なのか、天気なのか、何でアジの回遊が左右されているのか。分からない。名人の会話からは、名人と言えども「だいたいこんな日はこの辺りに来る」ということは分からないようである。
結局、青物釣りには情報収集が重要ということだろう。

この香谷堤防を含め、今館山湾のいたるところでアジが爆釣されているらしい。サビキ釣りは、アジさえ来てしまえば入れ食いのように思えるが、釣れる人と釣れない人がいる。さすがに並んで釣っていればタナは同じくらいを攻めているだろうから、サビキの違い、コマセの違い、誘い方の違いで食いが変わるのだろう。

さて、休憩もアジの時合も終わり、釣りを再開する。もう午後3時を過ぎている。
30分くらいして、やっとウキが沈む。再び重いものがかかる。抜き上げると、またまた大フグ。今度はヒガンフグ。これまたジャスト23cm。フグは釣り物としては一番歓迎されない魚だが、このくらい大きくなると、引きもなかなかだし、楽しい。大きくなっても食えないことに変わりはないが。
その後はやっぱりエサ取り激しく、なかなか釣れない。

昨日買った秘密兵器、黄色い練エサも初投入するが、ほとんど食いつく魚ははなく、一度アタリがあったが、かかった魚はハリスを切って逃げていった。フグだろう。フグは練エサにも食いつくか。
エサ取り対策のために購入した半ボイルのオキアミ(生オキアミよりも身が固いのでエサもちがいいと言われる)も初投入したが、確かにエサもちは少しいい気はするが、釣れない。

午後4時45分、5mくらいの割と深いタナで、2匹目のアジが釣れる。やっぱり20cm。青物はサイズが揃っている。
これで諦めがついて納竿。日も沈んだ。

隣でアジ爆釣を見れ、初アジは釣れたものの、私自身はクロダイもメジナも釣れず、今一つの釣果。アジ2、アイゴ1、大フグ2。
まぁ、23cmのフグを2匹も釣ったし、引きも楽しめたので、昨日までの釣りよりはマシだが。


午後5時。夕食にはまだ早い。せっかく館山周辺に来ているので、腹が減っていたら館山市街で飯を食いたいが、白浜に戻ることにする。とにかく白浜には飯を食うところが少ない。
太平洋釣り具センターで、明日の釣りのためにアミエビを購入。
白浜に戻る。食堂はなさそうなので、夕食も弁当で済まそうと宿近くの近くのスーパー、オドヤに行く。しかし、弁当はもう売り切れていた。仕方ないので、半額に安売り化していた惣菜とおにぎりに、サラダ、それにカップみそ汁を買い込む。

宿に戻り、コタツに入って温まる。宿の廊下には、共同の冷蔵庫と電子レンジがあるので、総菜の鶏肉をレンジで温め、食べる。午後8時。
風呂に入り、明日の釣りに備えて早めに就寝。
2018/12/25 (Tue.)

静浦港から、冬の富士山の雄姿

海は穏やか

1投目でメジナが上がり、幸先良かったが・・・。

ネンブツダイ?クロホシイチモチ?

港周辺には海鳥が多い

エサ取りの群れの中に仕掛けを投入するもハリ掛かりせず

エサ取りのスズメダイは一度だけ釣れた

車は江の島へ

沼津で釣り、そしてついに房総半島へ帰還 晴れ時々曇り@沼津  

朝8時にホテルをチェックアウトし、海に向かう。
今日は沼津の漁港で釣りをする。このあたりの釣りのメッカと言えば伊豆半島全域だが、このあと地元房総半島で数日間釣りをしようと思っているので、今回は伊豆半島の付け根、西側の駿河湾に面した沼津で釣ることにする。

晴れて天気がいい。これで風がなければいい釣り日和だ。
昨日調べておいた静浦漁港に向かう。沼津にもたくさんの釣り場があるが、堤防で一番釣れそうなのがこの静浦漁港とみた。

漁港までの道すがら、コンビニで弁当を買う。さらにエサを買うために釣具店を目指したが、調べておいた釣具店は閉まっていた。漁港に着いてから、港の人に釣具店がないか聞いてみる。近くにあるらしいが、そこに行ってみるとやっぱり閉まっていた。
グーグルマップで調べ直し、ようやく開いている釣具店を見つけ、エサのオキアミを購入。

最近の貧釣果から、コマセを撒いて魚を集めないとダメだという気はするのだが、今日も午後には房総半島に移動するので、コマセは明日からの釣りで撒くことにし、今日はコマセなしで釣る。

静浦港に戻る。堤防前、漁協横の駐車場に車を停める。朝9時前、釣り人はすでに多い。
堤防は駐車場から左右に翼のように伸びており、左右とも相当な長さがある。左右とも先端部はくの字状に外海側に曲がっている。
私は左側の堤防の先端に近いところ、くの字に曲がっている場所に落ち着く。
天気がいいので、堤防の先に富士山が大きく見える。ここは富士山のお膝元である。山頂はまぶしいほどの純白の雪で彩られ、青空に映えて美しい。こんな景色の中釣りができる地元の人はうらやましい。四季折々の富士山の姿を眺めながらの釣りなんて贅沢じゃないか。

9:15、実釣開始。
波はない。瀬戸内海並みに穏やかな海である。一応ここは駿河湾でも内奥にあり、さらに沼津の南側の海は、陸に食い込むように湾となっているので、波は比較的穏やかなんじゃないかと推測する。
海は青く澄んでいるが、深さがあるので底までは見通せない。
内浦の満潮は7:42なので、もう満潮を過ぎて1時間半くらい経過している。干潮は13:14。
潮は中潮。

エサはオキアミ、ウキは5B。この港も水深があるそうなので、ウキ下4mくらいから始める。
すると、いきなりウキが潜る。上げるとメジナだった。おぉ、メジナ。最近とんとお目にかかっていなかった。小型だが、うれしい。一発目からメジナ、期待できるじゃないか。
しかし。

その後は全く釣れない。ヘチ際を見ると、凄まじい数の小魚が表層を泳いでいる。小魚と言っても10〜15cmはある。見たところではスズメダイが多い。これらがエサ取りとなり、エサ取り地獄に陥る。
ヘチ際でも5mくらい先の沖でも、ウキに挙動がほとんど出ないままエサが取られる。彼らはエサをくわえたり吸い込んだりせずに、突ついているのだ。だから、ウキはチョコチョコと上下するくらいで、ちょっと波紋ができるくらいの動きしか出なくて、ハリにもかからない。
そうやって時だけが過ぎる、メジナが釣れてから1時間以上が経過。
やっとウキが少し動き、合わせると小魚がかかった。ピンク色だったので、またチャリコ(マダイの子ども)か?と思ったが違う魚だった。
初めて見る魚である。
頭が大きく、目が大きい。頭でっかちで、体型からすると若魚のようである。特徴的なのは、尾びれの付け根、細くなっているところに黒い斑点がひとつあること。
タイの仲間だろうか。
こいつもエサ取りで暗躍しているのだろう。
後日ネットでこの魚の名前を調べてみたが、よく分からない。感じとしてはネンブツダイかクロホシイシモチか?

再び釣れない時間が続く。ポイント、ウキ下を変えてもダメ。
仕方ないので、眼下に見えるエサ取りたちを釣ってみることにする。スズメダイが多い。また、白い魚体に黒い縦じまのイシダイの幼魚も混じっている。集まっている魚の群れの中に仕掛けを投入。エサのついたハリを表層に保持する。小魚たちは次々にエサのオキアミに食いつくが、突いているだけで、ハリをくわえることはしない。ハリはチヌばり2号で大きいので、ハリ掛かりさせるにはもっと小型のハリをつけなければダメか。
あまりに目の前にいるので、次は玉網ですくい上げることに挑戦。大きい個体なら網の目をすり抜けずに網にかかるはずである。だが、網を入れると魚たちはすぐに散ってしまう。それに、深さの感覚が難しい。というのは、表層にいるのだが、それが10cmの深さなのか、50cmの深さなのか、上から見ているとよく分からないのだ。玉網スズメダイすくい作戦もあえなく失敗。

昼に近くなり、潮が引いてきてヘチ際では底にある基礎石が見えるようになってくる。
そうこうしているうちに昼になり、エサ取りを釣ったりすくったりするのを諦めてコンビニ弁当を食べる。天気がいいし、風もそれほど強くないので、心地いい。これで釣れさえすれば申し分ないのだが。
近くでは海鳥が堤防に降り立って「ワーワー」とうるさい声を出している。木の枝のような真っ直ぐな2本足で立つ姿に愛嬌がある。

釣り再開。ほどなく、再び謎の小魚が釣れる。さっきのよりも小さい。アタリも小さかった。
その後すぐに、さっきまで見釣りで釣れなかったスズメダイが釣れる。午後1時。

このあとは何も釣れず、午後2時過ぎ、時間切れで終了。またまた寂しい釣果。
メジナ1、ネンブツダイ(?)2、スズメダイ1のみ。
釣り方に関する引き出しが少なすぎる。


これから、いよいよ千葉県に戻る。3か月ぶりの帰還。まずは房総半島、南房で数日間、釣りをしようと思っている。
午後2時40分、出発。南房総の白浜までは、230kmくらいか。
富士山を眺めながらのドライブは気持ちいい。静岡県から神奈川県に入り、小田原辺りからは相模湾沿いの道。日が暮れかける。
藤沢辺りからは渋滞が多くなってくる。平日の夕暮れ時、都市部の道が渋滞するのは当然だ。当初、川崎の浮島インターまで下道で行き、そこからアクアラインに乗る予定だったが、どうも時間がかかり過ぎている。このままでは南房に着くのが夜中になってしまう。
藤沢市から鎌倉市に入る。そして横浜市。ずっと市街地を走り、下道は渋滞の嵐。信号も多い。ここで首都高湾岸線に前倒しで乗ることを決意。
磯子から首都高に乗る。ここからは渋滞もなく順調。アクアラインを渡るのは2度目。昨年の日本1周の旅でも、千葉に戻る際、アクアラインを渡って千葉県に入った。首都高の渋滞が嫌だったためである。今回は、南房で釣りをするため、近道のアクアラインを使って東京湾を一気にショートカット。

海ホタルを過ぎ、ついに千葉県に帰還。3か月ぶり。千葉県に入って最初のインターである木更津金田インターで高速を降り、ここからは再び下道を行く。もう午後6時40分。
走り慣れた国道16号線を南下。
たった3か月ぶりなので、久々感はないが、やっとのことで1986年に戻れたマーティのような気持になってくる。瀬戸内海での仕事が精神的にも肉体的にもきつかったせいだろう。

ようやく館山市に入る。行きつけの24時間営業の釣具店、太平洋釣り具センターに寄る。明日以降の釣りのエサなどを購入するためだ。
付けエサのオキアミや練エサ、コマセ用のアミエビに配合エサ、それにハリや円錐ウキなどを買い、総額はあれよあれよで4500円近くになってしまった。釣りは金がかかる。

腹が減った。今日泊まる白浜付近には夜遅くやっている食堂はない。仕方がないので、館山のメイン通り近くで食堂を探すが、なかなかよさげな場所がない。以前2度ほど行った、量が半端ない台湾料理屋も候補だったが、腹は減っているもののどうも中華という感じでなく、あの量を食べられるかどうかも不安だったのでやめる。
結局、すき家で牛丼。トホホ。時間はもう午後9時を過ぎている。

予約していた白浜の民宿に着いたのは午後10時。まったく遅くなってしまった。途中、食事などしたものの、沼津から7時間20分くらいかかった。疲れ果てた。
宿の主人のおじさんが部屋に案内してくれる。2階の6畳一間の部屋。風呂トイレは共同。部屋の暖房はコタツのみ。いや、正確にはエアコンがついているのだが、有料で、1時間100円。エアコンの下に、昔よくあった、テレビ有料の宿のテレビについていたコインボックスが設置されていて、これに100円玉を入れるとエアコンが使用可能になる仕組み。部屋は寒いが、まずはコタツでしのぐことにする。
宿には年末だからか、宿泊客は割といるようだ。学生風情の若者が多い。何しろ安いのが売りだ。1泊3000円である。

すぐに風呂に入りたかったが、先客がいたようで、一人ずつしか入れないため、この人が上がったらおじさんが呼んでくれることになった。
30分ほど待たされ、ようやく風呂に入れる。確かに、家庭風呂を少し大きくしたくらいの風呂場。無理したら二人は入れそうだが、シャワーと蛇口が一つしかないので、定員は一名ということだろう。
風呂の湯がぬるかったので熱い湯で埋める。湯は熱くなり、極楽気分到来。

風呂から上がり、、部屋に布団を敷き、眠る。今日は長時間運転で疲れたので、明日は朝まづめには攻めずに、少し寝坊することにする。
2018/12/24 (Mon.)

開門。行列が競馬場に吸い込まれていく

名古屋競馬場スタンド

パドック

名古屋競馬場 本馬場

休日の競馬場に人が多い

モニターを見つめる馬券師たち

名古屋競馬場、そして沼津へ 晴れ時々曇り@名古屋  

朝8時半に起き、菓子パンにコーヒーの朝食。9時20分にホテルをチェックアウト。
晴れているが少し風が強い。

ところで、姫路の次になぜ名古屋に来たのか?それは名古屋競馬場に行きたいからである。
今日はこれから名古屋競馬場で競馬する。いま現存する競馬場25場のうち、まだ行ったことのない競馬場は、園田、姫路、名古屋、水沢、盛岡、門別の6か所。姫路には昨日まで滞在していたのだが、姫路競馬はちょうど今は開催がなく、残念ながら行けなかった。

名古屋港のホテルから名古屋競馬場までは車で20分くらいで到着。9時40分。一番近い駐車場はまだ空きがあったので入れた。
駐車場の一画に建っている「名古屋けいば」の文字が躍る塔状の看板には、イカしたキャッチコピーが。
「推理とロマンの名古屋けいば」
言い得て妙。競馬の魅力を抽出している。

街なかにある競馬場である。
ちょうど開門時間。今日は月曜だが、昨日の天皇誕生日の振替休日なので、人出が多い。開門前から門の前に人だかりができていた。9:50、すぐに開門となり、人だかりが競馬場に吸い込まれていく。
入場門には、「金しゃち競馬NAGOYA」の文字。名古屋だけに金しゃち。

入口横にある競馬新聞売り場のおばちゃんに聞く。
「どれが当たりますか?」
「東海とエースは出るよ」
その言葉を信じ、東海という競馬新聞を購入。550円。JRA版の競馬エイトや優馬といった競馬新聞よりも高い。

入場料100円を自動改札に入れて入場。総合案内所があり、その先にスタンドの建物が左から右に延びている。左手奥にパドック。
スタンドの向こう側が本馬場。
スタンドの外観は、地方の競馬場らしく、病院だか役所だかの風情である。外壁に古さがにじみ出ている。一見すると旧ソ連諸国の建物に見えなくもない。

入場時、先着500名だか限定で、プレゼントがもらえる抽選権を配っていた。プレゼントは3種類あり、確か250人がもらえることになっている。ってことは、当選確率50%じゃないか。これは当たりたい。
今日は静岡県の沼津まで移動することにしているので、午後1時くらいには出発しようと思っていたのだが、プレゼントの抽選発表がある午後2時までは帰れなくなった。まあいい。午後2時までいることにしよう。

それと、小型の使い捨てカイロも全入場者に配っていた。これも嬉しい。とにかく寒いのだ。すぐにカイロの袋を開け、ポケットに入れて手を温める。

第1レースは10:30発走なので、10時頃にパドックに馬が現れるはずだ。
新聞を見る。もちろん、聞いたことのない馬名が並んでいる。
第1レースのパドック。風が吹いて寒い。寒い日は競馬も釣りもするもんじゃない。ミャンマーから戻ってから1年9か月も経つのに、日本の寒さは耐えられない。確実に人よりも厚着をしているのに。寒さに本当に弱くなった。
パドックでは騎手が乗る。女性騎手がいる。そういえば、名古屋競馬には2名の女性騎手がいるのだ。

返し馬を見に、本馬場に出てみる。地方の競馬場らしく、1周1100m、直線194mの平坦で小さなダートコース。しかし本馬場はなかなか広々とした競馬場だ。天気がいいのはいいのだが、風が寒すぎる。
スタンドに戻り、1階のモニター画面でオッズを確認。スタンドでは入ると風が遮られるので凍死を避けられる。

さて、どうやって買うか?
新聞見て成績やタイムや脚質や展開をじっくり吟味しているヒマはないので、とりあえずパドックでいい馬を選んで、その単複と馬連を買うことにする。

第1レース。800mの短距離戦。
人気馬だったがB番の馬の単勝と馬連総流し。結果、B番は2着まで。しかも1着が同じく人気馬で、馬連は250円しかつかず。マイナス1400円。

第2レース。1400m戦。
パドックでよく見えたちょっと穴馬のH番の単複と、それにダントツの人気馬Bとの馬連、B−H。
レースはゴール前、熱くなった。私が買ったHがスタートから逃げ、最後の直線でも逃げ粘る。そこへ、人気馬のBとCが猛然と襲い掛かる。特にCの末脚が伸びる。一完歩ごとに先頭を行くHとの差を詰め、鼻づらが並んだところが決勝線。ゴールで全く並んだ。
どっちだ??
Hが勝っていれば、私は単複当たりである。Hが負けていれば、Hの複勝のみ。
VTRでもきわどい。Hの方が有利に見えるが、果たして・・・。
写真判定の結果、1着はハナ差でH。やった、単複的中。単勝は1430円もついたのに、複勝はたったの120円。安すぎだろ、これ。JRAならだいたい、複勝は単勝の3分の1くらいはつくのに。もちろん、複勝は、他の馬券対象馬の人気によっても変わるのだが・・・。名古屋競馬ではみんなが複勝買うのだろうか?

ま、とにかく、2Rを終わったところで960円のプラス。昼飯代くらいは浮いた。まぁ正確に言えば、入場料も競馬新聞代もかかっているので、そんなにプラスではないのだが。

最近は勝ってないので、セコイ気はするが、3Rからは基本、賭けずにレースだけ楽しむことにする。この後さらに勝てるか、負けてマイナスで終わるのか、誰にも分からない。

賭けなければ何も起こらない。賭けると、明るい未来か暗い未来がやって来る。いままで、明るい未来を夢見て暗い現実に打ちのめされたことが何度あったことだろうか。
風はますます寒い。パドックを見て、オッズを見て、レースを見る。これといった馬がいなければ賭けない。

5レースが終わって12時半。腹が減ったので昼飯にする。この競馬場には、たくさんの食堂がある。これはいい。高知競馬場などは食堂が少なく、食べるものに困ったものだ。
一つの繁盛している食堂「あらぶ」に入り、カキフライ定食。ちょうど昼時なので店内は混雑している。相席で座る。
カキフライ定食は、弁当箱のようなお重に入って出てきた。スーパーで売っているような小粒のカキフライだったが、全体のコストパフォーマンスはまずまず。

スタート地点近くには、芝生の一画があり、そこには子供用のクマやカバやゾウやラクダの乗り物がある。これもまた古くて実にシュールだ。

午後になってどんどん観客が増えてくる。さすがに今日は休日。しかも、メインレースは、JRAとの交流重賞「名古屋グランプリ」で、JRAの馬と騎手が大勢出場するので、彼ら見たさというのもあろう。
スタンドの客席にはびっしりと人が座り、レース時には馬場前にも多くの人が観戦している。

午後2時前、特設ステージで何やらトークショーをやっている。サンタ姿の女性と、お笑い芸人なのか、2人の男性が登壇して喋っている。女性の方は、グリーンチャンネルの番組に出演しているタレントであるという。それほどかわいくなかったが、ステージの前には黒山の人だかり。

午後2時発走の第8レースまで見て、総合案内所でプレゼントの当選番号を確認する。しかし、私の番号は不当選だった。ショック。かなりの確率で当たるくじが、はずれ。
持って生まれたクジ運やギャンブル運というのが存在するのだろうか。まぁ、相対的には分からないが、くじ運に関して言えば、私はそれほどよくもなく、悪くもないというのが自己評価である。

入場門を出て駐車場へ。午後2時15分ごろ、名古屋から沼津へ向けて出発。
再び東海道を東進する。高速道路には乗らない。国道1号線。
およそ250kmを走り、沼津のビジネスホテルに到着したのは午後7時40分。途中の休憩含め、5時間半くらいかかった。昨日移動した姫路→名古屋間の走行距離とあまり変わらないが、今日は大渋滞には巻き込まれず、まずまず流れたので良かった。

沼津のホテルにチェックイン。ここも割と高そうなホテルに見える。ロビーが異様に広い。フロントの人の対応もいい。

腹が減った。もう8時。ホテルは沼津の郊外にあり、歩いていけるところに食堂はなさそうだったので、ホテルの1階にある居酒屋レストランで夕食を摂ることにする。
アジフライ定食。ちょっと高めだったが、アジはふっくらとしており、味は良かった。

明日からの宿をネット予約し、午後10時過ぎに就寝。
2018/12/23 (Sun.)

朝食バイキングに、おでんのほかになんとカレーが登場!

中島ふ頭。広々とした長大な堤防

工業地帯

波はほとんどない。

ヘチ際のミャク釣りでも釣れない

姫路から名古屋へ向かっている

クリスマスツリーを模した電飾で飾られたビル(名古屋港)

姫路の海で釣り、そして名古屋へ 晴れ時々曇り@姫路  

朝7時に起きる。
朝7時半にホテルのバイキング朝食。今朝もおでんが出ている。そして、なんとカレーがある!朝食バイキングでカレーがあるところなんて、初めてである。
さらにミニハンバーグがある。カレーとハンバーグと言えば、私の大好物ではないか!
せっかくなのでカレーとハンバーグに、おでんもいただく。朝カレー。
昨日とはだいぶメニューが変わっている。日替わりなのか。素晴らしい。再び腹一杯。
ちなみに、瀬戸内海の島で私が勤務していたホテルでは、やっぱり朝食はバイキングだったが、毎日同じメニューだった。ま、さすがにビジネスホテルに比べれば品数は多かったが。

2泊したホテルを8時半にチェックアウト。

今日は午前中に姫路港の堤防で釣りし、その後名古屋へ移動する予定。
昨晩ネットで姫路港周りの釣り場を色々調べたのだが、まぁ、今の釣果はよく分からないので、多くのサイトで紹介されていた、中島ふ頭という釣り場に行ってみることにする。
ナビに入力しようとするが、「中島ふ頭」は出てこないので、近くの「姫路第一発電所」で目的地を入力する。
途中のファミリーマートで食料を買い、中島ふ頭に着いたのは9時過ぎ。姫路という街は、海からそう遠くないことを実感する。
それと、海沿いを走ってみると、この姫路港は、工場や発電所といった工業地帯の港であることが分かる。埋立地だろうか?千葉で言えば、東京湾の千葉港〜袖ヶ浦あたりの京葉工業地帯に似ている。釣り場は工場の先や間にある岸壁であり、工場の煙を見ながら釣りをする、という風景的にも似ている。大都市近郊の釣り場はこうだろう。

行き止まりの道の先が海で、釣り人たちが行き止まり周辺に路上駐車している。今日は日曜日なので、釣り人が多い。この多さは、釣れる釣り場なのでは?と期待させる。
岸壁の先に、長く幅広い、平らな堤防が海に突き出ている。堤防の先端に赤い灯台。この広さは釣りやすい。
岸壁で釣っている人もいるし、堤防で釣っている人もいる。
釣り人が多いので、私は堤防の中ほど、両側のおじさんからそれぞれ10mくらいの距離があるところに陣取る。波はなく、穏やか、天気も良くていい釣り日和だ。よく考えれば、ここも一応瀬戸内海か。

9時40分ごろから釣り始める。
ウキ釣り。水深がありそうなので、ウキは5B。エサはオキアミ、コマセなし。
しかし全くアタリなく、エサ取りもない。ヘチ際から15mくらい沖まで、全くアタリなし。ウキ下を3m〜10m以上に変えてもダメ。
必殺のヘチ際ミャク釣りでも、ほとんどアタリがない。反対の内港側でも竿を出してみるが、こちらも全く反応なし。
なんか最近、このパターンばかり。

こんなところで釣れてる人いるんかいな?と辺りを見渡すと、釣れてる感じはしない。

ゴミ袋を持ったおじさんや子供たちが堤防にやって来た。彼らは、堤防に落ちているゴミを拾っているのだ。日曜日のボランティア活動か。えらい。私の目の前にもタバコの吸い殻が落ちていたが、さすがに私の近くまできて拾うことはしなかった。彼らは釣り人の邪魔にならないようにと心得ている。私の目の前の吸い殻は、決して私が捨てたものではない。こういうのも帰るときに私が拾って帰るべきなんだろうなぁ。誰が捨てたかではなく、ゴミがあるから拾う。そういう精神は崇高だ。

私の左隣で釣っていたフカセ釣りのおじさんが竿を曲げた。彼はコマセを撒きながら釣っているので、メジナかクロダイ狙いと推察される。曲がり具合を見ると相当な大物のようである。玉網を入れて釣り上げた。だが、平べったい魚ではなく、どうも紡錘系の魚である。結構でかい。30〜35cmくらいはありそうに見える。が、おじさんは玉網から魚を取り出すと、逆側の海に放してしまった。遠目だったので魚種を確認できなかったが、巨大フグだろうか?

余談を一つ。
堤防の陸側には岸壁があるのだが、そちらにも釣り人がいる。しばらくすると、このおじさんは大胆にも、みんなが釣っている横の岸壁のコンクリート壁に向かって、立小便を始めた。
実は愛媛県今治市の波止浜港でも、こっちはおじさんが岸壁から海に向かって放尿しているのを目の前で見た。目の前にはたくさんの船が停泊しているような場所である。すぐ後ろにフェリーの待合所があり、そこにはトイレがあるというのに、である。みたところこの港を頻繁に使っている、もしくは近くで働いているおじさんのようで、、トイレがあることくらい知っていると思われる風情であるにも関わらず、である。
姫路とか今治のおじさんというのは、どこでも構わず立小便するという習慣があるのだろうか?関東ではあまり見たことがない。関東の人間は、もっと羞恥心があるし、人がいるところでの立小便は見苦しいと思っている。立小便は、草むらの影や、人がいないところでやるのが正だと思っている。
ところかまわず立小便。関西とか瀬戸内の風習なのだろうか?それとも、二人ともどうしても我慢できなかったのだろうか?

さて、釣りである。色々もがいても何も釣れない。時間だけが過ぎていく。昼を過ぎ、午後1時、もうタイムリミットだ。
今日は、これから名古屋まで移動せねばならない。再び金をケチり、高速を使わずに下道で行くつもりである。そうすると時間がかかる。名古屋まで250kmくらいある。もう出発せねばならない。

結局なにも釣れなかった。屈辱の坊主。坊主は久しぶり。エサ釣りで坊主というのはあまりないことなので、衝撃が大きい。海釣りでは、魚がたくさんいるので、たいてい何かは釣れるのだ。瀬戸内海に来て以降、あまり釣れていないし、自分の釣力に自信がなくなってくる。まぁ、3月に本格的に釣りを始めたので、まだ1年も経っていないのだが、釣りは奥が深い。冬は夏よりは釣れづらいというのもあるのかもしれない。

瀬戸内海最後の釣りは最悪の結果に終わり、瀬戸内海ではまったく釣果が上がらずじまいで去ることになる。

失意のどん底に突き落とされ、ガックリと荷物をまとめて車に戻る。


午後1時20分ごろ、中島ふ頭を出発。これから再び長距離運転で名古屋まで行く。
再び国道2号線に乗り、東進。しばらくして県道に移行し、その後は国道176号、175号。
大阪府に入る。宝塚の辺りを通り過ぎる。歌劇場前の交差点。さすがに繁栄している。大阪北部をとにかく東に走る。
腹が減ったので、吉野家に入る。大阪府摂津市。聞いたことのない市名だ。午後4時。

再び東に走り始める。淀川を渡り、門真市辺りで国道163号に乗る。京都府に入り、三重県に入る。
道はいつの間にか国道1号線となる。東海道の幹線である。四日市を過ぎ、ついに愛知県に突入。
名古屋港近くのホテルに到着したのは、午後8時15分。休憩含め、所要時間およそ7時間。
ところどころで渋滞しており、7時間もかかった。疲れた。

このホテルは、名古屋船員会館という別名がある。内装はごく簡素で、もともとホテルとして造られていないことは明白である。推察するに、元々は船員宿泊所だったうような趣である。名古屋みなと振興財団という公益財団法人が運営している。
ホテルマンには見えない年配のおじさん二人が、フロントで対応してくれる。彼らは元船員だろうか。

夕食がとれる食堂が近くにないかを聞くと、今日は日曜だから多くの店は閉店だという。しかもこの時間なので開いてる店があるかどうか、とのこと。近くの店マップをもらい、部屋に上がる。部屋は6畳の和室。ここも風呂・トイレは共同である。

疲れたので食堂を探すのを諦め、近くのファミリーマートで弁当を買ってくることにする。
地下鉄名古屋港駅が近い。ということは名古屋港も近いはずだ。近くの8階建てくらいのビルが、1階から屋上まで、ツリーを模したクリスマス電飾で光っている。
寒風が吹きすさんでいる。ファミリーマートで弁当、総菜パンにサラダを買ってホテルに戻る。
部屋で弁当を食べ、経堂の風呂に入る。このホテルは5階建てで、3階と5階に男子用浴場がある。3階の方が大きいらしいが、私の部屋はなんと、5階の浴場の目の前なのである。これは5階の風呂に入らねばなるまい。定員2〜3名の小さめだの風呂だが、それでも大浴場には変わりない。少なくとも湯船で足は伸ばせる。
私が入っていくと先客が一人いたが、彼はすぐに上がっていった。これで独り占めだ。

風呂を上がり、明日泊まるところをネット検索する。明日は海沿いの街に行くので、海沿いの民宿などないかなと思って探したが、民宿はあるにはあったが宿泊料金はビジネスホテルと変わらない。同じ値段ならビジネスホテルでいいかと思い、ビジネスホテルを予約する。民宿はおかみさんやおやじさんとの交流があり、人情を感じられていいのだが、ほとんどの場合風呂・トイレ共同なので、若干落ち着けないところがある。
12時ごろ就寝。
2018/12/22 (Sat.)

ビジネスホテルの朝食。バイキングにおでんあり

登城する侍の気分となる

姫路城の天守最上階から見た姫路駅前の大通り。突き当りが姫路駅

全裸のサクソフォン吹き

姫路の汚水マンホール。高精細なデザイン

姫路のアーケード街。クリスマスムード

姫路グルメ、アーモンドトースト

千姫と本多忠刻の顔はめ看板

姫路のれん街

姫路おでん。おでんは普通なのだが、この大根は尋常じゃない。

ひねポン。

姫路駅前から真っ直ぐな道の先にライトアップされた姫路城が浮かぶ

姫路観光 曇り時々雨@姫路  

朝8時前に起きる。泊まっているホテルは朝食付きプランなので、8時20分に1階の朝食会場に行く。
ビジネスホテルだけどミニバイキングで、品数は多くはなかったけれど、満足。特筆すべきは、おでんがあったこと。
事前調査では、姫路は、「姫路おでん」というおでんが有名なのだという。朝食のおでんは見たところ普通のおでんである。後で分かったことだが、おでんを「生姜醤油」で食べるというのが、姫路おでんだという。だがこの朝食の時点でそれを知らなかったので、特に何もつけずにおでんを食べてしまった。朝おでん。
腹一杯食って部屋に戻る。

今日は1日姫路観光。なぜ姫路なのか?姫路城に行ったことがないから、その一点に尽きる。
天守が国宝の城は、現時点で日本で5城。姫路城、彦根城、犬山城、松本城、松江城。姫路城だけ行ったことがない。
行かねばなるまい。

朝10時、ホテルを出て姫路の街を歩き始める。目の前は片側4車線の一報通行、西行き(岡山方面)の国道2号線。ここから50mくらい北に、東行きの国道2号線がある。こちらも片側4車線の一方通行。これを東に真っ直ぐ行くと、姫路駅前の大通りに出、左折すると姫路城である。ホテルからは歩いて1時間近くかかる。
姫路という街が、兵庫県内で何番目に大きな街なのか知らないが、歩いていると、相当に大きな街であると思える。

姫路城は高台に建っており、駅前の大通り上では遠くからよく見通せる。今日は土曜日でもあるので、観光客が多い。中国人、韓国人が多い。入口を入ると広々とした広場があり、その先が入場券売り場。1000円である。普通なら、こんなに高い入場料の場所には来ないのだが、今回は仕方ない。
昨年の旅で、日光東照宮に行ったときに「ボッタくりの歌」を作って、郡山市内の夜の公園で歌ったわけだが、ここもそれに類する。世界遺産で、まぁ、極端にいえば、黙っていても観光客は集まる。つまり、いくら入場料が高くても人が入ってしまう。外国人も多く、「日本は物価が高いから仕方ない」と思ってるのか、金持ちの外人しか来ないからか、外人もたくさん入る。
このような高い入場料の準公的施設の収支はどうなっているのだろうか?従業員の人件費、管理維持、修理修復に金がかかるのは分かる。また、姫路城では、どうしても経時劣化で建物が傷むため、30年とか50年に一度、大改修作業が必要だという。日光東照宮も同じだろう。そうすると、大改修のために金を積み立てているのか。
それにしても人が多い。日光東照宮でも外人含め、観光客が多かった。、一人1000円で、1日1000人入れば、収入は1日100万円である。もっと安くできないのかなぁ?と大いなる疑問である。

天守閣まで、石垣の間を歩き、いくつかの門をくぐる。
上方に天守閣を仰ぎながら、石垣と白塀の間の階段を上がっていると、登城する侍の気分になる。

姫路城天守閣。別名白鷺(しらさぎ)城。2009年〜2015年までの6年近くに及ぶ大改修工事を終え、創建当初の白い壮麗な姿に戻ったという。姫路城が現在のような姿に完成したのが、江戸初期、関ケ原後の1618年。羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政らがこの城の改修に関わっている。

確かに美しい。だが、改修したばかりで新しさが鼻につく。まるで現代の建築のような気がしてしまう。どうしても城を見る際には、城というのは歴史的建造物であり、つまりは過去の遺物であるので、「古めかしいのが当然だ」という先入観がある。だが、各地の城は、改修もし、耐震工事もし、城創建当時の姿を再現しようとしているのだから、新しく見えても文句は言えない。これは、飛騨高山や御手洗、金沢など、古い街並みを保存している街にも当てはまることである。どうしてもそういうところでは私は「古さ」とか「古さのなかにある歴史の痕跡」を求めてしまうのだ。

天守閣に入る。内部にはほとんど何も展示物がない。ところどころで大柱、狭間、石落とし、武者隠しとかの建物の説明があるのみ。私は城と言えば、内部に歴史説明、遺品の展示がある博物館形式の城が好きなのだが、ここ姫路城にはそういうものはほとんど何もない。各階、ガランとしており、板張りの通路といくつかの展示部屋(武器庫など)があるだけで、とにかく人をスムーズに流すような構造になっている。順路が完璧に決まっていて、人々は順路に沿って歩き、次から次へと階段を上がり、天守最上階の展望台に到達し、そこから速やかに下りることになる。1秒でも見学時間を短縮するような配慮であろう。
今日はそれほど人が多くなく、待たずに天守に入れたが、表には「現在天守閣入場までの待ち時間」という、まるでディズニーランドのような看板があり、ハイシーズンには、天守に入るだけで何時間も待たされるのだと推察される。そうであれば、天守内に博物館を造るなんてとてもできない。滞留時間が飛躍的に長くなってしまい、長蛇の列をさばききれないだろう。
それにしても何もない天守閣にこれだけ人が集まり、しかも一人1000円払っているという現実。別館として資料館があるわけでもなし、これで1000円、ボッタくりも甚だしい。
入場料100円とか200円で何とか細々とやっている全国の資料館、博物館が不憫でならない。そのような資料館は管理維持、運営ができず、次々と閉館の憂き目に遭っているのだ。これが、博物館業界における「貧富の格差」というものだろう。
文化や歴史を伝える各地の小さな資料館・博物館では、歴史・文化の継承や紹介の観点から価値のある古文書や遺品の展示が行われているが、運営が厳しい小さな資料館も多いと思われる。地方自治体から補助金なども出ているのだろうが、地方自治第自体の財政が厳しいと、そういうことに金を使うよりも、直接市民の生活に資するような市民サービスに金を使え、という声が大きいのもまた推察される。
話はちょっと違うが、他国の開発を援助するためのODA(政府開発援助)も年々削られている。一つの原因は、日本の財政が厳しいのに、他国のために税金を使っていいのか、ということであろう。だが、他国を援助するというのは、日本の友人や仲間を増やすということであり、長い目で見れば日本の国益にかなうものだ。
資料館の存続においても、そのような大局観が必要だと思うわけである。

天守最上階の展望台も、格子窓から外を見るだけである。姫路城には、他の城にあるような、天守最上階のいわゆる「ベランダ」というのがない。他の多くの城では、天守最上階には、四方を見れるようにベランダ的通路が造られていて、外に出て眺望を楽しめるのだが、姫路城の最上階はただの部屋である。
その代わりと言っては何だが、ここには神社がある。まつられている御祭神は姫路長壁大神と播磨富姫神で、いずれもこの地方の地主神だという。

天守内を見終わり、外に出る。12時過ぎ。
城の石垣はいつの時代のものか分からないが、見所がある。曲線を描く高い石垣の妙。江戸時代にこのような加工をするだけでも見事じゃないか。
また、秀吉時代の、黒田官兵衛が普請した石垣などもある。

姫路城は昭和と平成に大改修工事を行っているが、改修のたびに天守閣上に設置されたしゃちほこも造り直している。明治、昭和、平成のしゃちほこを展示している一画がある。明治のしゃちほこが一番カッコいいと思ったのは私だけではないだろう。

城を出て、駅までの真っ直ぐな大通りを駅に向かって歩く。城近くの店には「姫路おでん」「姫路名物あなご丼」といった旗が踊っている。
姫路にも縦横に走るアーケード街がある。こちらのアーケードは、今治と違い、人は多い。
ここでもクリスマスムード。そういえば、クリスマスまであと3日か。私には何の関係もないが。

姫路駅まで歩く。駅前通りには、全裸にベレー帽だけかぶったサクソフォン吹きの銅像がある。なかなか前衛的じゃないか。

最近私は、旅行に行くと街のマンホールを眺めるのを楽しみにしているのだが、ここ姫路の汚水マンホールは、姫路城と白鷺の2パターンある。姫路城の方は、他の市町村にない高精細なデザインで、見所がある。

姫路は山陽新幹線が停まる駅なので、なかなかデカい。
午後1時。今日はバイキングで朝食を腹一杯食ったので、あまり腹は減ってない。そこで、昼飯は、姫路グルメの一つ、アーモンドトースト(甘い)で済ますことにする。
駅の観光案内所に行き、アーモンドトーストで有名な、この近くの店を探す。駅の近くにも1軒あったが、アーケード内にある「喫茶 はまもと」という喫茶店が良さそうだ。
駅から歩いて5分くらいではまもとに着く。午後2時の店内は混雑している。土曜日だからということもあろうが、繁盛店のようである。
カウンターの端が開いていたのでそこに座り、アーモンドトーストとコーヒーを頼む。今治の焼豚玉子飯もそうだったが、この喫茶店でも多くの人がアーモンドトーストを頼んでいる。姫路人のソウルフードか。
アーモンドトーストというのは、アーモンドバターという、マーガリンにアーモンドと砂糖を混ぜたものをパンに塗ってトーストにしたもので、姫路のモーニングには欠かせないという。
なかなか美味い。ほんのりとした甘さがパンによく合う。

まだ2時半。姫路城以外は姫路で特に行きたいところもなかった。行くとすれば、郊外の書写山にある園教寺。ここは映画『ラストサムライ』でロケに使われた場所で、渡辺謙とトムクルーズが対峙する印象的なシーンで登場する。しかし、園教寺のある書写山山麓に行くのに、わずか4分の乗車時間でで600円もするロープウェイを使わねばならず(歩いても登れるらしいが時間がない)、しかも寺への志納金が500円(要するに入場料だろう)ということで金がかかるため行かない。ロープウェイ乗り場の駐車場が無料なのは、天橋立の傘松公園よりは良心的か。なにしろ傘松公園では、ケーブルカーで上がるのだが、ケーブルカーの料金の他に、ケーブルカー乗り場駅の近くの駐車場も有料で(確か1時間600円とかした記憶あり)、ボッタくり、ここに極まれり、という場所だった。私は当然、1銭も払わずに歩いて公園まで登ったわけである。

もうひとつ、興味があったのは、太陽公園。これは、万里の長城、ノイシュバンシュタイン城、モアイ、兵馬俑や凱旋門など、世界中の著名建造物を3分の2とかの少し小型のスケールで再現しているとのことで、ここに来れば世界一周の気分が味わえる、的ななんちゃって面白スポットである。実に興味深い。しかし、これまた入園料が1300円もしたので断念。さすがにレプリカを見るのにそんな金はない。

護国神社、提灯の屋根

そんなわけで、はまもとを出たあと、とりあえずすることがなくなった。兵庫県立博物館に行ってみることにする。この博物館は姫路城の北側に隣接している。再び30分くらいかけて歩く。
途中、護国神社では、提灯が境内の頭上にびっしりと掲げらている。提灯の屋根。奉納者の名前なのか、提灯には一つ一つ名前が入っている。新年初詣の準備だろうか。

ようやくたどり着いた博物館は、12月の上旬から、長期休館中だった。ガックリ。午後3時過ぎ。
もうやることもなさそうなので、一旦ホテルに戻って休憩することにする。これまた再び1時間くらい歩いて戻る。

姫路城の北側は並木道。さらに西側の外周は、「千姫の小径」となっていて、船場川沿いに遊歩道が造られている。
千姫と言えば徳川家康の息子、徳川家忠とお江(浅井長政の娘)の間に生まれた娘(つまりは徳川家康の孫)で、政略結婚で豊臣秀吉の息子、秀頼に嫁いだ。そして大坂の陣で焼け落ちる大阪城から救出される。千姫の母親であるお江も、浅井長政の居城、小谷城が信長軍の攻撃によって陥落する際、お江の母親の市(信長の妹、長政の妻)、姉の茶々(=淀殿、秀吉の側室、秀頼の母)らとともに脱出する。親子そろってなんという人生か。
その後千姫は本多忠政の嫡男忠刻と再婚し、桑名から播州姫路に本多家が移封となり、この姫路城に住んだことになる。そんなゆかりがあるので、姫路城では千姫も押し出しており、千姫像や千姫の小径、また千姫と本多忠刻の顔はめ看板もある。

ホテルに戻ったのは午後4時過ぎ。
部屋でしばらく、明日の宿泊場所のネット予約する。
午後6時前、再びホテルを出て、夕食を食べに駅方面に向かう。食べたいのは、姫路名物、姫路おでんとひねポンだ。姫路グルメ案内で調べた姫路食堂は、どうもひねポンは出してなさそうだったのでやめる。グーグルマップで他の食堂を探す。大衆食堂に入るが、そこでも「ひねポンはないよ」とのこと。店のご主人は、「ひねポンなら、焼鳥屋に行けばたいていあるよ」と教えてもらう。ひねポンは鶏肉なのだ。
だが、焼鳥屋にはおでんがなさげであり、そうなるとおでんとひねポンを同時に食べられるのは居酒屋しかなくなる。居酒屋はたくさんの人たちでにぎわっている。今日は土曜日。居酒屋で一人食事するというのは私の辞書にはない。
歩き廻って疲れてくる。腹もペコペコだ。何しろ、昼はアーモンドトーストしか食ってないのだ。

姫路駅にあるフードコートには、姫路おでん定食があった。jこれで我慢する手もあったのだが、ひねポンもどんなものか興味があり、捨てがたい。
結局、駅前のアーケードの片隅にある「姫路のれん街」というビニールのかかった屋台が並ぶ屋台街の一つの飲み屋に入る。屋台で小さいから、ここなら一人でも気まずくはないだろう。ここも混んでいたが、少し待って客が出たので入れた。居酒屋で、酒も頼まず、おでんとひねポンと白ご飯を頼む。

おでんは、タマゴ、大根、牛すじにちくわごぼう。大根が巨大な円筒型で驚く。長さ10cmくらいある。円筒の上部には長ネギが山盛りに乗っている。
これに、テーブルにある生姜醤油をかけていただく。なるほど、独特の食べ方だ。おでん自体は普通。
ひねポン。姫路のある播州地方は、昔から養鶏業が盛んで、通常より長く肥育した鶏肉をひね鶏といい、その鶏肉をポン酢であえ、ネギなどの薬味を乗せたのが姫路名物ひねポンである。普通の鶏肉よりもちょっと硬いが、うまみが凝縮されているとのこと。確かに硬い。どちらかというと内臓系とかすじ系の歯ごたえである。ま、それほど美味いものではなさそうだ。

腹が満たされ、駅前に出ると、プロジェクションマッピングで光のショーみたいなのをやっている。洋楽のクリスマスヒット曲が大音量でかかっている。人が多い土曜の夜。
駅前はたくさんの人が行き交う。駅前を囲むビルには色とりどりの電気がつき、明るい。駅前の賑わいを見れば街の大きさが分かろうというものだ。
真っ直ぐな大通りを見通すと、ずっと先に、姫路城がライトアップされて浮かんでいる。

夜9時前、ホテルに戻る。
フロントのおじさんが声をかけてくる。
「あの車、お客さんのですか」
「えぇ。」
「すご・・・、いや、渋いですね」
彼は言葉を選んだ。私には分かる。要するに彼は、「ボロボロですね」ということを言いたいのだが、さすがに客の車をそのように表現するわけにはいかないので、「渋い」という言葉になったのだ。私の車を見た人の一般的な反応を今までどれだけ見てきたことか。
「いや、ただ古いだけですよ」
と答え、鍵をもらって部屋に上がる。
11時には就寝。
2018/12/21 (Fri.)

朝日を浴びる尾道市街。山の上に見えるのは尾道城

たくさんの生徒が自転車でフェリーから降りてくる

因島大橋

因島大橋直下の護岸で釣る

干汐漁港の堤防

クロダイ、15cm(干汐漁港)

山の中のドライブイン的食堂で夕食

向島(しまなみ海道) 釣り、ついに3か月ぶりの本州へ 晴れ@向島(尾道市)  

朝7時に起きる。再び屋上に上がり、対岸の尾道とフェリーを眺める。通勤、通学の人、車を満載して、本州からデリーが向島に渡ってくる。こちらから本州に渡る人や車も列を作っている。

8時過ぎ、チェックアウト。天気は良さそうだ。おかみさんからお土産にとミカンをもらう。
今日は釣りをする。その前に、24時間スーパーハローズで、昼飯の弁当を購入。
 
車と人を満載して尾道市内に向かうフェリー

昨日ネットで調べておいた釣り場から、まずは因島大橋下のポイントに向かう。因島大橋は、昨晩この向島に来るのに渡ってきた橋で、島の反対側(南側)だが、それほど大きな島ではないので、車で行けば遠くない。

9時前に因島大橋の下に到着。橋を吊っているケーブルが、海沿いに設置された白いコンクリートの塊につながっている。これが吊橋を支えているアンカレイジか。
橋の近くでは、すでに釣り人が何人か釣っている。
まずは橋下の駐車場に車を停め、釣り場を偵察する。橋の真下で一人のおじさんが釣っていた。そのあたりで釣ることに決める。車をその近くの駐車スペースに移動し、小さな磯場で釣り始める。9時40分。

いつもの5Bの円錐ウキ。エサはオキアミ。
しかし潮の流れが速く、ウキがどんどん流される。磯際では根掛かり。
釣り辛いのですぐにもっと橋直下の護岸に移動。
だがここでも沖では潮は速い。そしてアタリはない。エサ取りもない。近くで釣っていた別のおじさんは何匹か釣っている。青物のようにもフグのようにも見えるが、何だろうか。

いろいろやってもダメ。ウキが流れるままに流し、糸をなるべく張ってアタリを取れるようにしていたらアタリがあったがかからず。
粘ってようやく昼前、またまた小さなベラが釣れる。なんとか坊主は免れた。
しかし心は折れ、12時半ごろに別の場所に移動することにする。

次に行ったのは、干汐漁港。ここも向島では有名な釣り場のようである。堤防には釣り人が何人かいる。
堤防先端が空いていたので、先端で釣ることにする。午後1時過ぎ。

しかしこちらもアタリはない。エサ取りもない。近くの外海側を釣っているおじさんには、サヨリがバンバンかかっている。それほど大型ではない、平均20cmくらいだろう。
彼はコマセを盛んに撒き、おそらく短いウキ下で釣っている。せっせと釣っては、片っ端からクーラーに入れている。

私は今日はサヨリに興味はないので、ウキ下はつねに4〜8mくらいで釣る。だが魚はいない。
ヘチ際でもミャク釣りしてみる。こちらは数度アタリがあったが、掛からず。それ以外はウキ釣りと同じく、全然アタリもないしエサも取られない。
底であまりアタリがないので、底から少しリールを巻き、底よりも上のタナにキープして置き竿にして、ウキ釣りに戻る。

ダメ。全然釣れない。私の釣技も大したことはないと痛感。水深はあるから5Bで仕掛けを入るようにするのはいいと思うのだが、ハリスが太くて魚が食いつかないのだろうか?いや、魚がいない気がする。ウキ下を2m〜3mくらいに思い切り短くしてもアタリはない。

すると、置き竿にしていたルアー竿の先端がピョンピョンと曲がっている。魚だ。慌てて竿を取り上げ上げると、クロダイがかかっていた。だが、やはり小さい。いままで大崎上島で釣った2匹よりは大きいが、15cm。置き竿にかかったのでなんか釣った気もしない。だが、魚を見るとさすがに大崎上島で釣った極小よりはだいぶ大きいので、クロダイらしさが感じられ、その精悍さに感激する。
これが午後3時。ここで釣り始めてから2時間近く経っている。

結局この後も釣れず。午後3時40分ごろ、納竿。今日はこれから、姫路まで行かないといけないので、遅くまで釣りは出来ない。
失意の釣り。今日で瀬戸内海の島々ともお別れだが、釣果はずっと低調なままだった。釣れても小物ばかり。
冬は海水温が低いから、魚の活性が低いために釣れないだけだろうか?そうであると信じたい。


肩を落として車に戻り、荷物を積み込んで出発。これから姫路まで、170kmくらいを走らねばならない。基本、金をケチって高速道路や有料道路に乗らずに、下道で行くつもりである。

向島からは、有料であるしまなみ海道に乗らずに、国道317号で本州に渡れる。
ついに、3か月ぶりに本州に上陸。まぁ、島では普通の生活だったから、「やっと戻ってきたぜぇ」という感慨は全くわかない。
尾道市内で国道2号線に乗る。ここからは延々とこの国道を東に走っていく。
東京から名古屋方面、東海道の大動脈となる国道は、国道1号線であるが、京阪方面からさらに西、岡山や広島などを通る西日本の大動脈となる国道は、国道2号線である。これを京阪方面に一心不乱に走ることになる。

余談だが、アメリカ全土を縦横無尽に走る高速道路、インターステイトハイウェイの号数の付け方は、東西に走る道路に偶数、南北に走る道路に奇数が概ねついている。だから、偶数番のハイウェイに乗っていれば、東または西寄りに向かって走っていて、奇数番なら北または南向きに走っていることになる。
日本の国道の号数の付け方は知らないが、1号と2号をだけを見ると、重要な路線から名前を付けていったのだろうか。

渋滞や信号による止まったり走ったりの煩わしい走行を予想していたのだが、国道2号線は結構バイパス的と言うか、高速道路的に、高架道路で、信号がない区間が多く、渋滞さえなければ、相当のスピードで走れることが分かり、ホッとする。基本片側2車線で、高速道路のように時々「出口」が出てきて、そこで降りれば他の道に折れることになる。
だが、果たして渋滞は酷かった。それもそのはず、午後5時とか6時という、一番車が多い時間帯をこの大動脈を走るわけだから仕方ない。

岡山県内、倉敷市の高梁川付近で本格的な渋滞にはまり、ほとんど動かなくなる。
やっと渋滞を抜け、岡山市。日が暮れる。このあたりでナビの指示により、2号線を離れ、もっと海沿いの県道397号に乗る。これをまたひたすら東進。
山の中に突入する。
雨が降り始める。夜の雨は最悪だ。
いつの間にか道は国道2号線に戻り、再び国道2号線を走る。
腹が減った。だが道は山の中のアップダウンの激しい道路となり、しばらく店がない。

午後8時、ようやく山の中にポツンとあるドライブイン的な食堂を発見。オアシスにたどり着いた砂漠の旅人のごとく、この食堂に車を横付けする。広々とした未舗装の駐車場には、トラックが何台か停まっている。
食堂は9時までだった。危ない危ない、もう少し遅かったら食いっぱぐれていた。

店内に客は3人のおじさん。会話の内容から、いずれもトラックのドライバーらしい。
私はハンバーグ定食を注文。出てくるのに時間がかったが、味、量はまずます。
タバコを一服して再出発。雨はますます激しくなっている。

予約してある姫路市内のホテルまでは、まだ35km以上ある。1時間近くはかかる。

程なく道は山を抜け、街に入る。
姫路市街に入ったのは9時半ごろ。再びいつの間にか国道2号線に乗っている。姫路市街で驚きは、この国道2号線が、片側4車線の一方通行となっているのだ。市街地で4車線の一方通行なんて聞いたことも見たこともない。つまり、東行きの一方通行があり、50mほど離れて並行して西行きの一方通行があるのだ。いずれも4車線。
始め、4車線の一番左に入り、そこからホテルは右側にあったので、一番右の車線まで行くのに苦労した。しかも何度かホテルの入口が分からず、通り過ぎてしまった。通り過ぎるたびに再びこの一方通行道に戻り、3度目くらいでようやくホテルの駐車場に滑り込む。午後9時40分。

チェックインし、部屋で落ち着く。まぁ、安いのでそれほどきれいではないが、問題ない。
ユニットバスの風呂に入り、12時ごろに就寝。
2018/12/20 (Thu.)

鯖大師こと弘法大師空海像

テレビ塔展望台から見下ろす街と島と海

石田造船の波止から造船所方向

なんとかちいさなカサゴが釣れる

因島水軍城

白滝山の五百羅漢

連なる五百羅漢の先に瀬戸内海の島が見える

因島。左奥が生口橋

因島の紅葉。奥に見えるのが因島大橋、それにつながっている道路
がしまなみ海道

因島(しまなみ海道) 釣り、水軍城、白滝山 晴れ@因島(尾道市)  

朝7時に起きてホテルの窓から外を眺める。天気が悪い。雨が降っているか。
山の中腹にあるホテルからは眼下に街が見え、その先に例によって瀬戸内海と島々が見える。
8時にチェックアウト。フロントの前にお土産売り場があり、「因島のはっさくマーマレード」をこ購入。この因島でもやはり、柑橘類が特産らしい。

ホテルの目の前に、大きな僧の銅像が建っている。弘法大師空海らしい。
弘法大師が因島に来島した際、漁師に喜捨を求めたところ、漁師は「なまぐさ坊主が!」と拒絶した(この気持ちは何となく分かる)。すると、漁師が今朝獲ったタイやサバがすべてあっという間に腐ってしまったという。漁師は「これは唯人ではない」と慌てて弘法大師に許しを乞うた。すると大師は、腐った魚を取り出して祈祷したところ、魚は生き帰り、海を元気よく泳ぎ去っていったという。この逸話から、弘法大師をこの辺りでは「鯖大師」と呼んで親しんでいる。
そういえば、このホテルの1階にある大浴場も、別名「鯖大師の湯」という。勝手につけただけだろうけど。

山を登る方向に「テレビ塔展望台」という看板があったので、車で登ってみることにする。私は「展望台」に目がないのだ。
さらにクネクネした急坂を、車は再びヒーヒー言いながら登る。山頂近くに駐車スペースがあり、さらに山道がテレビ塔の方に延びている。車を降りてこの道を登ると、テレビ塔の横に展望台があった。
ここからの景色は素晴らしい。因島には大きな街がいくつもあるようだ。この辺りには島が密集しているらしく、割と大きな島が近くにたくさん見える。
それと、山が紅葉していて、その色も美しい。

山を下りる。雨が降り始める。最悪だ。今日は釣りの日なのに。天気はどうにもならない。
昨日までに、「因島 釣り」でネット検索し、釣り場候補を調べておいた。今日はまず、「石田造船の波止」という堤防で釣ってみることにする。

少し迷ったが、なんとか石田造船の波止に着く。9時半。
平日なので造船所の内部では人が働いているのが見える。

しかし雨が激しい。これでは釣りできない。
とりあえず傘をさして堤防を偵察することにする。造船所の脇の細道を入ると、その先が堤防になっている。
ここも水深はありそうだ。大きな船も進水するのだろうから、深くて当然か。
しかし雨が止まないことには釣り始められない。しばらく車の中で待機する。腹が減ったので、さっきコンビニで買ったばかりのおにぎりセットを食べてしまった。

10時前。雨が少し小降りになったので、意を決して釣ることにする。荷物をまとめ、堤防へ。
10時過ぎ、堤防の先端で実釣開始。5Bの円錐ウキ。エサはオキアミ。
海は瀬戸内らしく波もなく穏やか。
アタリがない。エサも取られない。
しばらくして雨は止んだ。しかし釣れない。ウキ下を変えても、ポイントをヘチ際から沖まで変えてもダメ。
ウキ釣りではダメそうだったので、必殺のヘチ際ミャク釣りをしてみる。1号の中通しオモリに丸セイゴ10号。なんとか小さなカサゴが釣れる。しかし小さい。
そのあとしばらくしてクサフグ。これまた小さい。

ウキ釣りに戻す。しかしウキにアタリは出ないし、エサが取られている様子もない。
午後1時前、ヘチ際でやっとカサゴが釣れる。がこれも小型。
潮が変われば、と淡い期待を抱いて粘るも、結局この後は釣れず。再び雨も降りだし、13:40ごろ、諦めて納竿。
瀬戸内海では全然大型魚が釣れない。やっぱりコマセで魚を集めないとダメなのか。それとも単に私の釣力がないからか。落胆。

雨も降っているので、今日はもう釣りは断念。
予定変更で因島の観光地に行ってみることにする。
始めに、因島水軍城。しかし今日は木曜で休館日だった。水軍城は、階段を上がったちょっと高台にある。仕方ないので下から城を見上げて写真を撮る。もっとも、この城は、ここに実際の城があったわけではなく、因島ゆかりの、水軍で名高い因島村上氏にふさわしいものをと建設されたもので、内部は因島村上氏の武具や遺品、古文書などを展示している資料館となっている。
先日見学した大島の村上水軍博物館の辺りは、能島村上氏の拠点だった。ここ因島は、因島村上氏の拠点であったので、因島町としてもこれを町興し、観光客誘致の手段としたいのだろう。

城に向かって左側には寺と墓地がある、この墓地の間の階段を上がっていくと、高台に出、そこからなんと水軍城に向かう通路があり、これを伝っていくと、休館日の水軍城に入れてしまった。
水軍城には、いくつかの城型・櫓型の建物がある。敷地は広くない。
ポルノグラフィティという音楽グループがいるが、彼らはここ因島の出身らしく、大きな看板があり、因島観光に一役買っているようだ。私はこのグループのことをよく知らないが、昔よく、「ポルノグラフィティのヴォーカルに似ている」と女の子に言われたものである。

城を降りる。雨は一応上がったが、いつ降り出してもおかしくない空である。
次は白滝山に行く。
白滝山も山道を登っていく。駐車場に着いたのは午後3時半。
霧がかかっている。
山頂までの山道を歩いて登る。途中、大岩に仏像が彫られている。10分ほどで山頂に到達。標高は227m。
山頂には管理室と観音堂があり、展望台がある。ここからの眺望も素晴らしい。
 

さらにこの山頂の目玉は、五百羅漢という仏像群である。山頂は、緩やかな傾斜のついたちょっとした細長い平地となっており、ここにたくさんの仏像が並んでいる。
釈迦三尊像(釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩)、釈迦の十大弟子、四天王、16羅漢、過去七仏、三大師(達磨大師、弘法大師、道元承陽大師)、阿弥陀三尊などの像が、びっしりと並んでいる。壮観だ。
調べてみると、五百羅漢というのは、仏教において供養尊敬を受けるに値する500人の人びと、ということらしい。
五百羅漢というと全国に大小色々あると思うが、昨年の日本一周の旅では、岩手県陸前高田市の普門寺、島根県大田市の石見銀山近くの羅漢寺にあった(羅漢寺は入場料が高かったので見なかった)。
普門寺のそれは、寺の境内の草地に、全国の人たちが思い思いに造った小さな石像が散りばめられているような小規模なものだったが、様々な表情の石像がランダムに置かれ、あれはあれで印象深いものだった。
ここ白滝山の五百羅漢は、立派な石像が多い。

この山頂に観音堂を建てたのは、因島村上氏の6代当主であり、柏原伝六とその弟子たちによって五百羅漢の石仏が造られたとのことである。

五百羅漢の奥の展望台からは360℃の展望があり、因島の内陸側(南側)も見られる。区画された田畑が整然としている。
西側には重井の街と港。南の奥の方には、昨日渡った生口橋が見える。

また、山頂の東側に張り出したちょっとした平地の先端には、ゴリラ岩という岩があり、そこからは、因島と向島を結ぶ因島大橋がよく見える。その前の山の紅葉もこれまた美しい。

ここにも誰もいない。吹きさらす展望台にいると風が冷たい。だが、島内の山、街、そして海と連なる島々の風景は、ずっと見ていても飽きない。

午後5時過ぎ、山を下りる。


今日の予定はこれで終了。きょうはこれから、しまなみ海道最後の島(今治側から見ると)、向島(むかいしま)に向かう。
しまなみ海道に乗り、因島大橋を渡る。ついに最後の島である。向島に上陸。
尾道水道の目の前、8年前、2010年のゴールデンウィークにも泊まった旅館に到着したのが午後5時半ごろ。
非常に印象に残っている風景が目の前にある。数100m先の対岸はもう本州、尾道の街である。

 尾道の夜景と行き交うフェリー
相変わらずフェリーがひっきりなしに尾道と目の前の桟橋とを往復している。15分間隔くらいでやって来る。車が並び、黒い制服を着た部活帰りと思われる大量の中高生が自転車で乗り込んでいく。出発間際になると、もう定期券の提示などせずに、係員のおじさんに声だけかけて、猛スピードで風のようにフェリーに乗りこんでいく。爽快な風景だ。
尾道からここ向島の中学・高校に通っている生徒が多いことを推測させる。

8年前も書いたと思うが、私のような島に関係ない人間から見ると、このひっきりなしに本州と島を往復するフェリーこそが、私の感覚でいうバスであり、これだけ近いと「島に住んでいる」という感覚は薄いのだろうと思われる。

宿のおかみさんはさばさばした人で話しやすい。8年前には二人くらいのおばちゃんが切り盛りしているように思ったが、話では、本州側の尾道に2号館があり、そちらはこのおばさんの娘が担当しているという。このおばさんの年齢からして、娘といってもきっと40代くらいだろう。
おばさんに近くの食堂を聞く。歩いて10分ほどでスーパーや食堂が並んでいる一画があるそうで、早速行ってみることにする。腹が減った。

なるほど、さっき車で通った場所に、巨大なスーパー、ラーメン屋、食堂、居酒屋が集まっている。いろいろ見て回ったが、結局スーパーで弁当を買うことにした。結構安かったし、色々な種類があったのだ。このスーパーは「ハローズ」といい、24時間営業で、品揃えも圧倒的である。明日の朝、ここで昼飯を買ってから釣りに行こうと決める。24時間営業で弁当が豊富、安いのは素晴らしい。

弁当や明日朝用の菓子パンなどを買って、宿に戻る。
部屋は6畳くらいの和室。お湯のポットがあるので、即席みそ汁を作り、弁当を食べる。
ここの旅館の風呂は温泉であることを自慢としている。食後、屋上から対岸の尾道の夜景を眺め、その後温泉に浸かる。極楽だ。

明日泊まる宿をネット予約し、11時前には就寝。思えば、しまなみ海道の島々では、ネットが良くつながる。大崎上島は田舎の島として軽視されているのだろうか。
今回の旅に出てくるしまなみ海道上の島々の地図
2018/12/19 (Wed.)

伯方の塩 大三島工場

大山祇神社拝殿

大山祇神社の樹齢2600年のクスノキ

大久野島のフェリー港には大勢の観光客

毒ガス資料館(大久野島)

昭和の毒ガス工場時代の発電所跡。廃墟感半端ない

明治の芸予要塞跡。小島と同じ、砲台跡

ウサギがどんどんやって来る

長浦毒ガス貯蔵庫跡。こちらも廃墟感半端ない

水を飲む

日が暮れる

大三島(しまなみ海道) 伯方の塩工場見学、大山祇(おおやまづみ)神社、大久野島(ウサギ島) 晴れ、風強い@大三島(今治市)、大久野島(竹原市)  

昨日同様、朝7時に起き、7時半に朝食。またおかみさんといろいろ話をする。
午後8時半、民宿をチェックアウトし、大三島に向かう。
大島から北上、しまなみ海道上の次の島が伯方(はかた)島である。大島から伯方島までは、伯方・大島大橋という橋を渡る。伯方は、「伯方の塩」でおなじみの地名である。
さらに伯方島の次の島が大三島。伯方島からは、大三島橋を渡る。大三島までは今治市。

大三島インターチェンジで高速道路を降り、まずは伯方の塩 大三島工場に到着。午前9時。
ここでは、塩の製造工程を見学できる。少人数であれば予約は必要ない。
見学開始の朝9時の直後、受付に行くと、社員のおじさんに「どうぞご自由に見学ください」と言われる。
ガイドはないのね。
このおじさんには、見学記念で伯方の塩詰め合わせをもらった。無料見学なのに、お土産までもらえてうれしい。そういえば、浜松のうなぎパイ工場でもお土産もらった。

見学コースの矢印に従い、2階に上がる。塩の製造方法の各工程のパネル展示がある。
その先、2階から窓越しに、階下の製造ラインを見学できる。
粗塩の製造工程は、ざっくり以下。
外国から輸入した天日塩田塩を海水に溶かす
水分を蒸発させて塩を取り出す
鉄分を取り除く
竹の上で自然乾燥
袋詰め&箱詰め

それぞれの工程を窓越しに見学。塩を溶かした大きなプールから始まり、水分を飛ばすための釜、袋詰めの自動機械。袋に入った塩を箱に詰めるのは人の作業で、従業員の人が並んで箱詰めをしている。

塩は塩化ナトリウムだが、塩化ナトリウムしか入っていない塩は、マズいらしい。「にがり」と呼ばれるミネラル類が少し入っている塩がうまい塩ということのようで、塩田からとれる塩はそういうミネラル分を適度に含む。伯方塩業では、そういう、昔ながらの製法で造られる塩を目指している。いま日本では昔ながらの塩田はほとんど廃止されてしまったため、伯方塩業ではメキシコとオーストラリアから天日塩田塩を輸入し、それを用いて塩を造っている。

もともと瀬戸内地方というのは、江戸時代から入浜塩田という製塩方法が確立され、江戸に塩を供給する一大生産地だった。入浜塩田というのは、干潟に海水を引き、天日や風で水分を蒸発させて塩をつくる方法で、波が穏やかで干満の差が大きく、日照時間が長いなどの瀬戸内海の気候条件が適していた。赤穂藩で確立され、塩の大量生産を可能にした。瀬戸内諸藩10州で生産されたので、十州塩と呼ばれ、関東地方に出荷された。

昨年能登半島珠洲市の、海に面した塩田で、塩を造るまでの工程を見学したが、あのような「揚げ浜式塩田」というのは、入浜塩田が確立される前の、かなり原始的で労力の大きい造り方のようである。

見学は1時間ほどで終了。1階の売店で瀬戸内レモンケーキを購入。伯方の塩とどういう関係があるのか分からないが、パッケージには伯方塩業の文字がある。
会社入口の外には、「伯方の塩チャイム」という、コマーシャルで流れるおなじみの、「は、か、た、の塩」というメロディーを奏でることのできる鐘があり、一人で叩いて歌ってみる。

伯方の塩チャイム 動画

次は大山祇(おおやまづみ)神社へ。車ですぐのところにある。
この神社は、伊予国一の宮として、国弊神社に列せられた四国唯一の大社である。御祭神は、天照大神の兄神に当たる大山積大神一座。全国にある大山祇神社の総本社。山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集め、近代でも伊藤博文や山本五十六、現代でも海上自衛隊や海上保安庁の幹部の参拝があるとのことである。

大きな鳥居をくぐると参道の先に立派な山門がある、この山門をくぐると、広々とした参道となり、樹齢2600年と言われるクスノキが枝を天に延ばしている。幹径11.1mだそうである。弥生時代から生きているということか。
大きな拝殿があり、その奥に本殿がある。拝殿にお参りする。

この神社の目玉は、国宝8点とや国の重要文化財76点が柴陽殿と国宝殿に収納されていることである。源平以来、多くの武将がこの神社に武具を奉納して武運長久を願ったため、国宝・重要文化財の指定を受けた甲冑のおよそ4割がこの神社に集まっているとのこと。国宝神社なわけである。
これらは一般公開されている。だが、入場料が1000円以上したので入場を断念。時間もないし、参拝だけで辞する。

私が帰る際、団体観光客が鳥居をくぐってきた。この神社は、大三島の有力な観光地である。


さて、時刻は11時。
きょうはこれから、毒ガスの島、もしくはウサギ島こと、大久野島へフェリーで渡る。
大三島の盛港からフェリーが出ているので、盛港まで車で移動。11:25のフェリーに乗る。車は盛港の駐車場に置いておく。
フェリーは15分で大久野島に到着。

大久野島。所属するのは、広島県竹原市、本州広島県の忠海港からもフェリーが出ている。
ここは、先日訪れた小島と同じく、明治中期に芸予要塞が設置された場所であり、砲台跡などの廃墟が残っている。だが小島と違うのは、その後この島は、昭和の時代、帝国陸軍による毒ガス開発の拠点となり、地図上から消され、秘密裏に化学兵器の開発が行われたのである。
その時、生体実験のためにウサギが持ち込まれたという。いま、多くのウサギでこの島はあふれかえっているが、これらのウサギは、実験に使われたウサギの末裔ではなく、戦後誰かが持ち込んだものが繁殖して増えたとのことである。
毒ガスの島、ウサギ島。

フェリーは港に着く。フェリー乗り場にはたくさんの人がおり、すでに観光を終えて、私が乗ってきたフェリーで帰るらしい。さすがにこの島は人が多い観光地である。
島には巨大な国民休暇村があり、泊まれるようになっている。
国民休暇村のバスが港に来ていて、フェリーから降りてきた観光客たちを乗せ、休暇村に送迎している。もちろん無料。
私はこのバスに乗り、途中の毒ガス資料館で降りる。5分くらいで到着。港から歩いても全然近かった。
毒ガス資料館。これがこの島で私が一番見たかったものである。

前述の通り、日本陸軍は昭和4年、この島に毒ガス工場を設置した。秘密裏に様々な種類の毒ガスを用いた兵器を開発・製造し、実際に日中戦争において多数が使用された。

資料館の入場料は100円。展示室が1室だけの簡素な資料館だが、毒ガス開発の歴史、当時の資料、毒ガス工場で働いていた人たちの遺品、戦後の毒ガスによる後遺障害の補償の動き、中国における被害、など。一つ一つの展示を食い入るほどに見つめた。
学徒動員の学生や女学生がこの工場で働かされ、毒ガスをどう防御するかの知識も不十分なままに毒ガスによる障害を負った人も多い。
この島のことを隠すため、当時発行された日本地図からは、この島は消された。一般人は、この毒ガス工場のことを知らなかった。
いまでも中国では日本軍が廃棄した毒ガス兵器が地中に何万発も残っており、時々一般市民がこれらを誤って発掘して、残留した毒ガスにより死亡したり、重大な障害を受けたりしている。
敗戦濃厚になると日本軍は資料や毒ガスの隠滅に走る。戦後この島は米軍の管理下に入り、貯蔵されていた毒ガスは、米軍の指揮のもと、日本人の手によって海中投棄や焼却などをされた。

資料館には中国人か韓国人かの外人観光客も多いが、残念ながら英語の説明は少なく、彼らが全容を理解するのは困難であろう。

私はショックであった。昭和の戦争のことは色んな本やドキュメンタリーで知っているつもりだったが、この毒ガス工場と実戦使用のことはほとんど知らなかった。
似た部隊として、満州の秘密部隊、731部隊がある。こちらはもっと悪質だ。というか、いくら戦争とは言え、人間性を完全に失ってしまった部隊といっていいだろう。彼らは細菌兵器開発のために人体実験で中国人の囚人を多数死なせ、国際条約で禁止されていた細菌兵器を日中戦争で使用した。その罪は限りなく重い。当時東大や京大のクソエリート医学者たちが、細菌や性病や凍傷の人体実験に手を染め、多数の中国人の囚人を実験により殺し、終戦間際のソ連侵攻の際にはいち早く帰国し、生涯自分の罪を語らなかったり、認めなかった。731部隊については秘密部隊だったので、戦後関係者はその存在を秘匿して語らなかったため、帰国した医学者たちはその罪を裁かれることもなく、医学部の教授になり、医学界の重鎮となった。こういう奴らをクソ野郎って言うのである。
当時「匪賊」と日本人が呼んだ中国人の抵抗者によって、中国では日本人の犠牲が増えていた。そのため、匪賊を捕えて人体実験の材料として使用したのである。実戦での命のやり取りが戦争であり、そこでは殺人が正当化されるが、捕虜を殺していいという国際法はない。捕虜には相応の対応をしなければならないのだ。軍部にコントロールされたメディアに洗脳された日本人たちは、「匪賊を殺せ」と叫び、そういう風潮の中に医学者たちもいたのだろうが、捕虜は死刑囚だから人体実験で殺してもいい、などという論理は、罪を隠すための詭弁に過ぎない。
ユダヤ人を虐殺したナチスと同じじゃないか。
もちろん、731部隊に派遣された医学者たちには、軍の命令を拒否することができないという圧力があったのだろう。戦争のとめどない狂気。軍の幹部たちの発狂を、誰も止めることができないという悪夢。
遠藤周作の小説『海と毒薬』を思い出す。

いまの日本人は、自分たちが過去に犯した罪を、もっと真剣に振り返った方がいい。そうしなければ、北朝鮮や中国や、イラクやシリアを糾弾することなどできない。

衝撃の毒ガス資料館を見終え、休暇村に行ってみる。なぜなら、今日は水曜日でビジターセンターが休館のため、島の地図を休暇村で手に入れたかったからである。フロントで地図をもらったが、わりと大雑把な地図である。仕方ないのでこれを見ながら島内を歩くことにする。

島内には、明治時代の芸予要塞の跡と、昭和の毒ガス工場の跡が点在している。これらを歩いて回る。
小島よりは大きな島のようだが、それでも島の外周は4.3km、外周路は3kmだというから、普通に歩けば1時間もかからずに1周できることになる。
この島にも中央部には小高い山があり、地図上ではそこが展望台となっているが、いまはことごとく島中心部の山中の遊歩道は通行止めとなっている。こないだの大雨で土砂崩れでもしたのだろうか。
よって基本的に海に近い外周路を歩く。
発電所跡。これは昭和時代のもので、バカでかい建物が、いまは外壁だけが残っている。廃墟感が半端ない。
明治に造られた芸予要塞時代の砲台跡も点在している。小島と同じような造りだ。
長浦毒ガス貯蔵庫跡。ここに毒ガスを貯蔵・保管していたらしいが、戦後、火炎放射器で毒ガスを燃焼処理したらしく、ところどころが黒くすすけている。こちらも廃墟感が半端ない。

 ウサギは立つ

この島には野生のウサギが700羽ほど生息しているという。そこらじゅうにいる。野生とのことだが、観光客が餌付けするので、とても人懐っこくなっている。行く先々でウサギが待ち受けている。彼らは、人間に近寄ってくるものが多い。人間からエサをもらえることを学習しているのだ。だがなかには注意深い慎重なのもいて、遠巻きに見詰めるだけというものもいる。
島にはいたるところにプラスティックの皿が置かれ、その中には水が入っている。ウサギが飲めるように置かれているのだ。

ウサギの色は様々。白から茶色から黒から灰色からブチからいろんな色と模様をしている。

島の南端に灯台が建っている。大久野島灯台。これは、大崎上島の中ノ鼻灯台と似た、白い石造りの灯台である。それもそのはず、明治中期に瀬戸内海の航行の安全を図るために造られた9つの灯台のうちの一つで、中ノ鼻も大久野島もその時に建設された。

陽が傾いてきた。もうすぐ最終のフェリーが来る。これに乗らないと島に取り残されてしまうので、乗り過ごすわけにはいかない。
16:39発のフェリーに乗って大三島の盛港に戻る。

大久野島 〜毒ガス製造とウサギの島〜 ユーチューブ動画


今日泊まるのは、因島のホテルいんのしま。私が泊まれるような安ホテルではないのだが、昨日ネットを見ていたら、直前割引というので2000円安くなって5000円台半ばで泊まれたので、近くにいい民宿などもなく、5000円以上で高い気はしたが、泊まることにした。

大三島から再びしまなみ海道に乗る。すぐに多々羅大橋となり、橋を渡り切ると生口島(いくちじま)。生口島からは広島県尾道市となる。生口島は残念ながらスルーし、生口橋を渡って因島(いんのしま)に上陸。
インターを降りて島を南下する。だいぶ栄えた島である。街並みがずっと続く。

海沿いの士生港を過ぎ、内陸に折れると道は急な上り坂となる。クネクネ道をヒーヒー言いながら3速くらいで登っていくと、ホテルいんのしまに到達。ずいぶん山を登った山腹にあるのだ。午後6時前。

2階部分なのか、妙なかたちをしたデッキが突き出た、不思議なかたちをしたホテルである。
チェックイン。きっと、通常料金は高いホテルなのだろう、フロントの人たちの礼儀正しさというか、言葉遣いの丁寧さが半端ない。接客業を3か月やったので、こういうホテルでの従業員の対応にどうしても目が行く。
もう山を下りたくないので、ホテルの1階にあるレストランで夕食にする。高そうだったが仕方ない。

荷物を部屋に置いた後、誰もいないレストランに入る。チキン南蛮定食1000円。ちと高いが、ボリュームあり、茶碗蒸しなどもついて、味も良かった。
レストランの一画には予約席があり、釜や食器が並べられている。ホテルで夕食付きプランの夕食だな。ホテルで勤務していたころを、いや、辞めてからまだ1週間も経っていないのだが、思い出す。私も夕食の準備で、食器や釜飯用の釜や固形燃料などを毎日毎日飽きもせずに並べていたのだ。いや、仕事だから。
このホテルは、1泊2食だときっと1万円以上はするのだろう。

夕食を終え、部屋に戻る。ユニットバスだが、部屋は清潔で、高いだけある。
この部屋は禁煙室なのだが、このホテルには、各階の踊り場みたいなところに喫煙所があるので、タバコを吸うのに苦労はない。部屋でもなく、仕切りもない喫煙所が建物内にあるのは今時珍しい。食後、部屋の階にある喫煙所で一服。
このホテルには1階に大浴場がある。これがうれしい。一服後、早速浴衣に着替え、風呂に入る。
風呂から部屋に戻り、明日泊まる向島の旅館の予約をネットでして、10時頃には眠りにつく。
2018/12/18 (Tue.)

村上水軍博物館の入り口。「村上海賊」の旗

村上水軍博物館の3階展望台から能島を望む
「上」に丸は村上氏の旗印

早川漁港

早川漁港の堤防

小ベラが1匹のみ

亀老山展望台から大島の街を見下ろす

亀老山展望台から見下ろす来島海峡大橋と瀬戸内海

大島(しまなみ海道) 村上水軍博物館、釣り 晴れ後曇り、風強い@大島(今治市)  

朝7時に起き、7時半に朝食。この民宿でも素泊まりではなく、朝食付きプランである。
他の客は1組2名。造船関係の仕事で来ているらしい。彼らと一緒に朝食をいただく。
おかみさんは明るい人で、いろいろ話をしてくれる。柴田理恵か宮川花子によく似ている、気さくな人だ。

今日は釣りに行きたいといったら、おかみさんも釣りをするらしく、そのあたりで釣れるという。この民宿は大島の東岸近くにあり、海は近い。
「クロダイを釣りたいんですけど」
「あぁ、そのあたりでチヌが釣れてるの見たことありますよ」

しまなみ海道ができて、生活は変わりましたか?と聞いたら、おかみさんは以下のような話をしてくれた。
・道路ができて、色々な人が島に来るようになって、治安が悪くなった。中国人の窃盗団が来て、民宿前の自動販売機を荒らされた。
・生活が便利になったとはそれほど感じない。道ができる前はフェリーで今治まで25分くらいで行けたので、それほど不自由を感じなかった。いまはフェリーも廃止となって、常に車で行くのだが、島民であろうが高速料金は割引にはならず、今治まで700〜800円ほどかかる。例外は馬島の住民。馬島は島に橋の橋脚を建てることを了承したので、その見返りに高速料金が半額となっている。
・コンビニは橋ができる前からサークルKがあった。今はファミマに変わった。ローソンと合わせ、いずれも24時間営業。
・去年、愛媛国体の時は島も賑わい、お客さんも選手やコーチたちが大挙泊まって楽しかった。主催者が決めた料金で高く泊まってくれるので良かった。

道と橋ができて本州や四国とつながっても、島に住む人にとってはそれほど劇的な変化はなかったようである。

朝食後、車で出発する。今日の予定は、釣りと村上水軍博物館見学。
午前中に釣りをしようと思い、近くの海を走り回ったが、漁船が多く停まっているし、沖に突き出した堤防などはなく、基本護岸で、割と浅く、いいポイントが見つからない。
仕方ないので、まずは村上水軍博物館を見ることにする。
民宿から車で5分くらいで博物館に到着。午前9時半。入場料300円。

村上水軍。中世、14世紀中頃から瀬戸内海の制海権を得て活躍した一族である。
村上氏が3家に分かれ、それぞれ能島、来島、因島に拠点を置いて、それぞれが周辺の海を管轄していた。瀬戸内では「村上海賊」と呼んで、日本遺産に認定されている。
「海賊」と聞くと船の積荷を略奪する無法者というイメージだが、村上海賊は、通行料を取って船の航行を管理し、紛争が起こらないよう警戒の目を光らせ、治安を守っていたというから、まぁ、海賊というよりは秩序を確立するための支配者みたいなものだろう。中世の頃は村上氏は独立性が高く、自分たちの好きなように活動していたようである。

博物館が建つ大島の宮窪地区を本拠とした能島(のしま)村上氏は、戦国時代には中国地方の雄、毛利氏と同盟し、海の覇権を握った。能島村上氏は、この地を航行したポルトガルの宣教師、ルイスフロイスをして、「日本最大の海賊」と呼ばしめたほどの勢力を誇っていた。彼らが発行する通行許可証さえ持っていれば、トラブルなくこの海域を通行できたようである。
信長の石山本願寺攻めの際は、都を追われて毛利に身を寄せていた室町15代将軍の足利義昭の命で、本願寺に食料などを運ぶため大阪湾に出陣し、「ほうろく火矢」などを駆使して信長の水軍を破ったとされる。

しかし、秀吉の時代になり、秀吉は「海賊禁止令」を出し、村上家が持っていた権益を取り上げた。小田原攻めの際には彼らは秀吉の命で海上封鎖のために小田原沖に出陣している。
そして江戸時代になり、村上氏は毛利の一部下になり下がり、海運担当の組織として、参勤交代の際の殿様の瀬戸内航行など、船にまつわる業務を担当した。ここに、独立勢力として瀬戸内を支配していた村上家は、その覇権を失うことになる。

私の「水軍」のイメージは、源平時代、壇ノ浦の戦いで源氏側に加担した熊野水軍。なぜかと言えば、大河ドラマ『義経』で、武蔵坊弁慶役の松平健が、紀伊まで赴いて、熊野水軍の頭、湛増(たんぞう)役の原田芳雄を、源氏側につくよう説得する、というシーンが妙に印象に残っているからである。というか、原田芳雄という役者は、たいてい視聴者にインパクトを残す。他の大河で言えば、『独眼竜政宗』の最上義光役も印象的であった。しかし、こちらは、政宗の母であるお東の方役の岩下志麻の大怪演が、渡辺謙(政宗役)も原田芳雄も圧倒していた感があるが。
それと、この『独眼竜政宗』では、統一教会の合同結婚式に参加前の桜田淳子も、なかなかの好演を見せており、今から見ても結構クオリティが高かったと言えよう。

さて話を戻すと、博物館内には、村上水軍の背景、歴史の説明に加え、彼らの遺品が展示されている。水軍の旗には、「上」の文字が描かれる。彼らが発行した通行証や能島城の発掘の模様なども興味深い。そして彼らは傍若無人な海賊ではなく、歌を詠むような教養も備え、さらには漁師でもあったという。

3階は展望台になっていて、それほど遠くない先に、能島(のしま)が見える。ここには能島村上氏の拠点であった能島城があり、遺構が残っている。

博物館の見学を終えたのが昼12時。民宿の近くの宮窪港近くのコープで弁当を買う。質量ともよく、安い。休憩コーナーでこの弁当を食べる。ここには電子レンジがあるので、弁当を温められる。


さて、腹も満たされたところで、これから釣りである。
島を巡りながら、釣りをしない手はない。
ネットで「大島の釣りスポット」を調べると、島の北部にある早川漁港が出てきたので、そこに行ってみることにする。
早川漁港は、割と長いくの字型の堤防があり、車を停めるところもあったので、ここで釣ってみることにする、どのみちどこでも初めての釣り場なのだ。
午後1時ごろ、釣り開始。
堤防の先端から竿を出す。いつもの5Bの円錐ウキ。水深はそこそこありそうだ。アタリがない。ほとんどエサを取られない。ウキ下やポイントを変えても同じ。
釣れない。それにもまして、堤防の先端は吹きっさらしで風が強く、寒くて釣りをする気力が出ない。手はかじかみ、エサをハリにうまくつけられない。
40分後、ようやく小さなベラが釣れる。
しかし風はますます強く、もうやる気がなくなる。というか寒くて凍え死にそうだ。
結局釣り始めてわずか1時間で釣りを断念。

その後、風を避けられるところがないか、海沿いを南下する。道路沿いに駐車帯があり、そこの海は護岸ではなくちょっとした磯場だったので、試しに道路上から竿を出してみることにする。
魚はいそうだがアタリはない。時々エサを取られるが釣れない。
ここでも30分くらい釣りをして、やっぱり風が寒くて断念。

この時期の釣りはツラい。

まだ陽があるので、大島南部の亀老山(きろうさん)展望公園に行ってみることにする。この公園からは瀬戸内海、来島海峡大橋を上から望むことができる。
山腹の8の字カーブのクネクネ道をどんどん上がる。3速でも上がれないくらいの急坂である。
公園駐車場に到着。
午後4時半。日没は近い。

展望台には足場が組まれており、いまなにかの工事中らしい。風が強く、おまけに雨がぽつぽつと降りだす。最悪の天気だ。
今までとは違う角度、もっとずっと上方から来島海峡大橋を見下ろす。3連吊橋であることがよく分かる。6本ある橋脚は、多くが島の上に立っている。海の中に橋脚を造るよりも島に建てた方がだいぶ安上がりで済むそうである。
展望台には外国人のグループ含め、7、8人の観光客がいて、思い思いに写真を撮っている。結構ビューポイントとしては有名なのだろう。

亀老山(きろうさん)地追う珍しい名前の由来は、いまから1300年ほど前、大島の海岸で、風来僧が、黄金色の観音像を背負った大亀を見つけた。僧はその観音像を持ってこの山に七堂伽藍を建設して崇拝し、それから亀老山と名付けられたそうである。
公園駐車場の片隅には、亀の石像がある。

日が暮れる。雨も降ってくる。
午後5時過ぎ、山を下り、一旦民宿に戻る。

夜8時前に再び昨晩行った「しまなみ苑」で夕食。今日の日替わり定食は、コロッケ、餃子にオムレツ。餃子以外は中華料理らしからぬ料理だが、満足。
宿に戻って風呂に入り、寝る。
2018/12/17 (Mon.)

波止浜港に停泊する巨大船

28インチ榴弾砲のレプリカ。ドラマ『坂の上の雲』で使用された

中部砲台跡

中部砲台の砲座跡

地下兵舎跡

植物に覆われた発電所跡。廃墟感半端ない

高台にある司令塔跡からは当然、瀬戸内海がよく見渡せる

砲台跡の廃墟を紅葉が覆う

小島の集落。島には30人くらいしか住んでない

今治ラーメン

世界初の3連吊橋、来島海峡大橋

小島(おしま)、来島(くるしま)海峡大橋 曇りのち晴れ、時々雨@今治市  

朝、旅館で朝食。10時前にチェックアウトし、車で北に向かう。
今日はまず、今治港の北にある波止浜港から小島に渡って小島を散策する。雨は上がり、雲は多いが、天気はまずまず。

タブレットのグーグルマップナビで「波止浜港」を目的地にして走ったのだが、目的地が海の真ん中になっており、訳の分からない海沿いの細道に誘導され、ここではないことを悟る。「港」でナビさせてるのに、なぜ海が目的地となるのか?本当にナビの頭の悪さは手に負えない。
地図上で波止浜港を確認し、再度国道317号に出て北に向かう。「波止浜港」の看板を確認しながらその通りに走る。国道から折れ、港周辺の細い道を走るも、表示看板がなくなり、よく分からなくなる。
近くにいたおじさん3人組に聞いてみる。
はとはま港はどっちでしょうか?」
「「はしはま港だろ?ここ曲がって突き当りを左だよ」
なんと、「波止」は「はと」だとばかり思っていたが、「はし」と読むのだ。恥ずかしい。

おじさんに教えてもらった通りに走るとすぐに波止浜港に到着。
すぐ近くに今治造船があり、巨大な船や無数のクレーンが屹立している。思ったよりも巨大な港である。今治造船の規模は、大崎上島にある造船所とは比べ物にならないほど大きいようだ。

さて今日は、この波止浜港から、フェリーで小島に渡る。車で渡るのではなく、人だけで渡る。ここからは来島、小島、馬島(うましま)への小さなフェリーが出ている。車は乗れない。20人乗りくらいの小さな船である。
11:10発のフェリーに乗りこむ。小島までは10分くらい。乗客は私合わせて3人。乗員は一人だけ。
船内で、気さくなおじさんと話をする。
私が千葉から来たことを告げると、彼は今治出身なのだが、息子夫婦が市川(千葉県)に住んでいるので割と長いこと市川に住んでいたという。それと鴨川(千葉県外房)近辺で釣りをしていた時に東日本大震災を被災した時のことを話して聞かせる。彼も釣りが好きらしい。私は彼に明日行く大島でチヌ(クロダイ)が釣れるポイントを聞いてみる。

フェリーは始めに来島に到着、その後程なく小島に到着。この後フェリーは馬島(うましま)まで行く。
小島で降りるのは私だけである。だが、船着き場で一人のおばあさんが待っており、船で運ばれてきた荷物を回収していった。
おばあさんは、桟橋で写真を撮る私に声をかける。
「写真を撮りにきなすったかい」
「えぇ」

来島海峡上に浮かぶ小島。その名の通り、小さな島だ。ここは、日露戦争前の明治中期、帝政ロシアの南下脅威に対抗するため、「芸予要塞」が築かれた場所である。実際に実戦で使われることはなかったが、いまでも砲台跡、弾薬庫跡、兵舎跡、発電所跡などが点在している。今日はこれらを歩いて巡る。

フェリーが着く港のすぐ横に、28インチ榴弾砲のレプリカが海に砲口を向けている。この小島に設置されていた6門の28インチ榴弾砲は、日露戦争時に戦地に運ばれ、うち2門が旅順要塞攻略のために203高地で重大な役割を果たしたとされている。
このレプリカはNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の撮影に使われたものである。松山市がNHKから譲り受けて松本城のロープウェイ乗り場に展示されていたが、松山市の好意により今治市に寄贈され、いまは「元あった」小島に展示されているという次第である。

思えば、戦争という悪行ではあるが、日露戦争の勝利というのは明治の大偉業である。いや、おそらく日本史上でも日本が成し遂げた大偉業の一つと言える。戦争は悪だが、ロシアのような強盗国家に対して、座して死すのか、戦うのか、そこは色々考えがあるだろう。太平洋戦争も然りである。
しかしながら、この日露戦争の勝利は、外交工作を駆使してアメリカに仲介に入ってもらい、何とか勝っている段階で講和に持ち込めたという薄氷の勝利であった。日本海海戦の大勝利はあったものの、陸軍ではもし長期戦になればロシアの物量・兵力にやがて圧倒されることが目に見えていたわけである。
以前も書いたが、司馬氏の言うように、この日露戦争での勝利が、日本人の意識に「日本軍無敵」の神話を形成し、それがおごりとなってその後の軍国主義の拡大に寄与し、ついには日中戦争、太平洋戦争につながったと考えると、後世から見れば、この日露戦争の勝利というのは、日本の偉業であるにもかかわらず、その後の大敗北のきっかけとなったとも言え、皮肉なものである。

日露戦争に関する私の知識はやっぱり、司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』によるところが大きい。

レプリカ砲の横にある観光案内所は無人、島のマップすらも置いていない。仕方ないので事前に入手しておいた地図を頼りに歩き始める。少なくとも観光地という感じはしない。廃墟マニアの人が来るくらいなのだろうか?
すぐに南部砲台跡、発電所跡に着く。レンガ造りの建物が残っている。
これらが建設されたのは明治中期というから、1800年代終盤、今から100年以上前である。
それにしても、瀬戸内海に要塞というのは、ちょっと奇異な感じがするが、この内海にまで敵艦が侵入することを想定していたのだろうか?
私が住む千葉県では、房総半島の東京湾側(内房)に、太平洋戦争時に同じような要塞が造られ、同じようにいまは廃墟となっているが、東京湾には確かに米海軍が侵入してくることが想定できるので当然かと思うが、瀬戸内海にはどうだろうか。ここまで突破されたときの最後のとりでということか。
いや、よく考えてみると、この芸予要塞が建設された明治中期の20年〜30年前、幕末には長州藩や薩摩藩は、下関や鹿児島で外国艦隊との砲撃戦を経験しているから、当時の日本の防衛力では、瀬戸内海まで列強の艦隊を許すことはごく当たり前の想定なのかもしれない。

発電所跡からは小島の小さな集落を見下ろせる。人口は一体何人の島だろうか?

そこからさらに歩く。モミジなどの落葉に敷き詰められた道を入ると、弾薬庫跡がある。弾薬庫なので、土地を掘り下げたところに建物が建てられている。誤爆した際に他に被害が出ないようにということだろう。
くすんだ色のレンガ造の建物の廃墟感と、鮮やかな黄の紅葉が、とてつもないコントラストとなっている。
近くにあるはずの兵舎跡を探したが、それらしき建物は見つからず。土が盛り上がっているところに畑があったが、この下に埋もれてしまったか。

島の中部にあるのが中部砲台跡。ここは北部砲台と並んで、要塞の中枢である。ここには大口径の28インチ榴弾砲6門が配置されていた。あの、港沿いのレプリカとなっている砲である。いまでは砲座が残っている。
それに地下兵舎跡、井戸や浄化装置跡など。将校用の兵舎は、一般兵用よりも大分広い。
そして急な階段を上がったところに、司令塔跡があり、ここから敵艦の位置を確認し、砲台に射出方向・角度を指示したようである。
司令塔跡は高台にあるので、ここから見る周りの瀬戸内海の景色が素晴らしい。すぐ目の前には、しまなみ海道の来島海峡大橋がかかっている。来島海峡は瀬戸内海でも有数の速い潮流の場所で、鳴門海峡、関門海峡と並んで、日本三大潮流の一つとされる。交通の要衝であるが、潮の流れが速いため、昔から船の航行に苦労していた。その速い潮流や渦潮を体験する「来島海峡潮流体験船」なども出航している。

この中部砲台跡に隣接する発電所跡と向かい合う地下兵舎跡は、廃墟感が半端ない。建物は崩れかけ、植物が建物に浸食して半分覆っている。

北部砲台跡。ここには24インチカノン砲4門と軽砲4門が配置されていた。ここの砲座には紅葉した木の枝が上から覆うようにせり出しており、これまた廃墟と紅葉のコントラスト。死んだものと生きているものの競演と考えれば、期せずして興味深い光景と言えるだろう。
不思議なことに、廃墟に美しい紅葉と陽光が一緒にあると、廃墟が廃墟に見えず、全く廃墟感がなくなってしまう。いまでも稼働している施設のように錯覚してしまう。

大正時代、陸海軍の爆撃演習がこの北部砲台を目標に行われ、一部の砲台がそのときの爆撃で破壊された。だが、ところどころが崩れているだけで、それほど命中率は高くなかったようである。

ここにも兵舎跡や司令塔跡がある。
それに、探照灯台跡の看板があるが、矢印の方向の坂道は竹が倒れて塞がっている。これを強引に突破して山道を登るも、灯台跡らしき場所も表示もないので、途中まで登ってそこら辺だろうと勝手に推測してから降りる。

これで大体廃墟の見学は終わり。午後2時。
港までの帰りは、海外沿いの道を帰ることにする。また天気が怪しくなり、雨が降り出す。すぐに止んで陽が射してくる。妙な天気だ。
この道は島の東岸であり、目の前に常に来島海峡大橋が見える。

海岸沿いを歩くとやがて家が数軒並び、港があり、小さな砂浜があり、神社がある。
海沿いの人たちは、漁業を生業としているようで、干物にするために、魚の開きを、棒に串刺しにして洗濯物のように干している。

海沿いを歩くとすぐに港まで到達。フェリーの時間までまだ少しあったので、民家の方へ細道を行ってみる、ここの集落は本当に小さい。島の西側は今日歩いてないから分からないが、大きな街はないような気がする。いや、街どころか、商店があるかすらも怪しい。少なくともスーパーはなさそうだ。人口は100人くらいだろうか。
ウィキペディアで調べたら、2017年1月31日現在、21世帯で人口は33人だそうである。たった33人か。今治まではフェリーで10分くらいだから、海を考えずに、フェリーがバスだと考えれば、それほど辺鄙なところではないといえるかもしれない。

民家の風景は風情がある。大崎上島の木江地区もそうだったが、ここも坂道があり、細道で、民家がその坂の両側に並んでいる。ただ、家屋数が少ないので、並んでいるといっても数軒であるが。

フェリーがやって来た。定刻の午後2時30分。
フェリーは、馬島からやって来て、小島、来島を経由して今治の波止浜港に戻る。
フェリーに乗り10分で波止浜港に到着。空は晴れた。巨大船の赤や青が陽の光に非常に映える。

結局、今日小島には私以外の観光客は一人もいなかった。まぁ、この島は観光地というほどの観光地ではないのだろう。


腹が減った。今治グルメ第2弾は、今治ラーメン。一度今治の中心部に戻り、「光屋」というラーメン屋で、今治ラーメンというものを食す。今治ラーメンとは、一言で言うと、魚介系スープの塩ラーメン、ということらしい。レモンを絞ってかけ、お好みで柚子胡椒を入れて食べる。レモンを絞るラーメンは珍しい。
あっさりしていてまぁ、特別美味いというほどでもなかったが、なかなかイケた。

ラーメン後は、今日最後の観光、来島海峡を見下ろす来島海峡展望館へ、。
波止浜港の近く、高台にある糸山公園は、来島海峡大橋のたもとにあり、ここの来島海峡展望館からは来島海峡と来島海峡大橋がよく見える。午後4時過ぎ。もう日暮れが近い。

ただ、さらに遊歩道を上がった上にある展望台へは上がれなかった。土砂崩れで通行止めとなっている。

来島海峡展望館では、今治のお土産が売っているほか、来島海峡や来島海峡大橋の説明展示がある。これが面白い。まず、来島海峡大橋が世界初の3連吊橋であること。つまり、吊橋が3つつながっているということだ。全長は4105m。
特に面白かったのは、このような巨大橋をどうやって建設するか、という手順が一から説明されている部分。いままでこのような大きな橋がどうやっ造られるのか、あまり深く考えたことがなかったが、橋脚の建設、吊橋のケーブルの設置など、途方もない大がかりさ。橋を吊るためのケーブルを渡すのに始めはヘリコプターを使うとか、橋脚の土台やアンカレイジ(吊橋のケーブルの両端を固定する重り)となる何千トンものコンクリートを船で運んでくるとか、スケールの大きな話ばかりで楽しい。
だが、これだけ大掛かりな工事だけに、工事中に7名の作業員が事故でなくなるという惨事も起きている。

午後5時。これで今日の観光は終了。
今日さんざん見た来島海峡大橋を渡り、しまなみ海道の今治側の初めの島、大島に渡る。3連吊橋、長い。3連なので、橋脚が計6本である。
来島海峡大橋を渡ると大島。しまなみ海道を降り、国道317号で予約してある民宿へ。国道317号は今治市内も走っている。四国と島をつなぐ道は高速道路であるしまなみ海道(西瀬戸自動車道)しかないから、海を挟んで、つながっていない同じ名前の国道が走っていることになる。
国道沿いにはコンビニが2軒もある。ローソンとファミリーマート。スーパーもドラッグストア、ホームセンターもある。大崎上島よりは店が多そうだ。
ナビに案内されるままに民宿に到着。午後5時半。

しかしそこは、どう見ても営業していない、閉店してしまった建物だった。さっき小島で見た廃墟のような建物である。まさか。
昨日、ネットで予約したのだが、まさか閉店している民宿が予約できるようになっているはずはない。ちょうどおばさんが通りかかったので聞いてみる。
「すみません、この民宿ってやってるんでしょうか?」
「やってるとおもうけど」
それ以上は分からない。慌てて予約時に案内された電話番号に電話してみる。これで電話に誰も出なかったら・・・。この寒空の下、泊まるところがない事態か・・・。
しかし、電話はすぐにつながった、。電話に出たおばさんは、明るい声でこう言った。
「あぁ、そこじゃないのよ。そこから川沿いに100mくらい(下流側に)下がったところにあるから」
果たして、民宿は別の場所に存在していた。胸をなでおろす。
主人のおかみさんは、さっきの声の通り、明るい人だった。
「宮城から来たんですか?」
私は、事情を話す。今まで瀬戸内の島で働いていて、これから千葉に戻ること。

チェックインする、部屋は6畳ほど。風呂・トイレは共同。
しばらくして食事に出かける、女将さんに聞いてみると、いくつか食事できるところはあるが、今日営業しているかどうか分からないという。念のため、1軒に電話してもらうも、つながらない。やってないらしい。
教えてもらったちょっと離れた「しまなみ苑」という中華料理屋に車で行くことにする。
午後8時前、しまなみ苑は営業していた。客は誰もいない。
今日の定食は、酢鶏とレンコンの挟み上げ。750円、良かった。量もあり、味もよく、満足。

民宿に戻り、風呂に入って寝る。風呂は一人用の家庭風呂。これも民宿らしい。
ここ大島も、モバイルWiFiが良くつながる。大崎上島とはインフラが違う。
2018/12/16 (Sun.)

今治城と藤堂高虎像

今治城の天守から見下ろす瀬戸内海、今治港、堀

今治のグルメ、焼豚玉子飯
(写真上カーソルで目玉焼きを剥いだ写真へ)

今治のゆるキャラ、バリィさん(今治駅)

今治のアーケード街

夜のアーケード街はいつも寂しい。今治では特に寂しい

今治観光 曇りのち雨@今治市  

3か月滞在した広島県の大崎上島を離れ、愛媛県の北端にある今治市にやって来た。
どんよりと曇っている。今日は今治城と今治の街を見たいと思っている。しかし天気予報は午後から雨。

旅館では朝食つきなので、朝8時、1階で朝食をいただく。旅館や民宿の食事は、ご飯を腹一杯食べられるからいいが、中性脂肪が高い私は、炭水化物の過剰摂取には気を付けなければならない。

朝食後、活力がなく、もう少し休みたくて少し眠る。
10時半、外に出る。今治城は旅館から歩いてすぐだ。
城は堀に囲まれている。堀には近くの海から海水が引かれていて、海水魚が泳いでいる。クロダイらしき魚が見える。どうも今治市が放流しているらしい。その他にもスズキ、ウマヅラハギ、コノシロやボラなどがこの堀にいる、と掲示板に書かれている。
しかし私にはこの放流に大いなる疑問がある。何しろ堀の深さはせいぜい1mくらいで、しかも透明度が高く、上から見たら丸見えなのである。これではここにいる魚たちは、鳥の格好の餌食である。天敵にさらされる魚たちが不憫で仕方ない。

城内に入る。
今治城は、築城の名手と言われた藤堂高虎が設計・普請した平城で、関ケ原後の慶長9年(1604年)に完成した。(現在の今治城は、1980年に再建された)
藤堂高虎は、関ケ原で徳川方につき、先鋒としての活躍で、戦後伊予半国20万石を領することになり、この今治城を築城した。
ところでこの藤堂高虎であるが、私の印象では、「世渡り上手」というもので、あまりいいイメージは持っていない。私の歴史の知識は、司馬遼太郎氏の小説に拠るところが大きいが(割と危険)、例えば氏の『関ケ原』という小説では、「長いものに巻かれる」のが藤堂高虎であり、覇権争いを観察し、風向きが変わるたびに自分の上司をコロコロ変えたイメージがある。別の見方をすれば、誰が今後権勢を得そうかを先見する能力に長けていたということだろう。
端的なのは、秀吉の家臣から、その後家康の権勢が強まるや家康に乗り換え、関ケ原では家康の犬のようになっていた。その後大坂の陣でも徳川方のスパイのような活動をしたのではなかったか。
もっとも、秀吉の死以降、関ケ原に至るまでの歴史というのは、それまで秀吉に取りたてられて出世した武将たちの多くが、徳川家康になびく、というものである。加藤清正、福島正則などはその典型である。よって、高虎だけがどうこうということではないのかもしれない。

城前の広場には藤堂高虎の騎馬像が建っている。騎馬像といっても、戦国武将にありがちな鎧甲冑の勇猛な姿ではなく、普通の平服を着た乗馬姿である。これは、城下を視察している姿をイメージしているらしいが、実際は領民のことを第一に考える名君だったのだろうか。

さて、今治城には数々の特徴がある。
・日本初の枡形門。これは、城の門をカギ型(枡形)に二重に配置するもので、始めの門を入った敵が、右に曲がって次の門を突破しようとする際、これら二つの門の間の空間で狭間などから敵を一斉攻撃するという高い防御力を備えた門構えである。
・そして水城。三重の堀に海水を引き入れた海城である。高松城、中津城と合わせ、日本三大水城の一つ。船着き場もあったようで、高虎は、船ですぐに海に出れることを重視していたようである。
・シンプルな日本初の層塔型天守。それまでの天守は、姫路城に代表される望楼型天守が主だった。天守の基部に入母屋造の破風があるのが望楼型、それがなく、寺院の五重塔のようなシンプルな基部を持つのが層塔型。層塔型には他に島原城などがある。
・日本で初めて本丸の外周を多門櫓で囲む

天守閣は6層構造。天守への入城料は500円。合わせて御金櫓、山里櫓、鉄御門にも入場できる。
天守内は2階から5階まで、今治城の歴史や歴代城主の説明、、武具や調度品などの展示が目白押しである。私はこういう博物館のような天守閣が好きである。その城の歴史や城主のことが知れて、実にためになる。
6階が展望台。どんよりとした曇り空で、風が吹いて寒い。北には今治の街と瀬戸内海、南には石鎚山などの四国山脈までが見渡せる。

天守閣を降り、御金櫓、山里櫓、鉄御門に入場し、今治出身の芸術家の作品や、武具などを見学。

腹が減った。もう午後2時。城内には売店があり、「今治城名物 みすかだんご」というのが売られている。どんなだんごか気になったが、ここで腹を満たすわけにはいかないと、我慢する。

今治城を後にし、昼飯場所へ歩く。昼飯は決めていた。今治のB級グルメ、いやA級グルメなのかもしれないが、とにかく今治名物「焼豚玉子飯」を食べねばなるまい。
雨が降り出す。結構激しい。天気予報は当たる。
雨の中を駅の方向に20分近く歩く。今治グルメマップで調べた、「白楽天」という中華料理屋に向かう。昼の営業は午後3時までなので、あまり時間がない。
なんとか2時半に白楽天にたどり着き、焼豚玉子飯セットを頼む。今日は日曜日ということもあろうが、地元の今治人で賑わっている。多くの人が焼豚玉子飯を頼んでいる。地元の人は「玉子飯」と言って注文している。

焼豚玉子飯は、ご飯の上に甘辛たれの焼豚を敷き詰め、その上に2つの黄身の目玉焼きが乗った食べ物である。美味い。甘辛たれでご飯が進む。

今治駅前の猿飛佐助像

食べ終わるともう閉店の午後3時。外に出る、雨は相変わらず強い。
歩いてJR今治駅に行ってみる。大きなロータリーのあるなかなか大きな駅だ。ロータリーの外には、猿飛佐助が飛んでいる像がある。今治出身の山田一族が立ち上げた立川文庫の、大正3年のベストセラーが「忍者名人猿飛佐助」である、という背景。これにより猿飛佐助が忍者の代名詞のようになった。
駅構内には今治のゆるキャラ「バリィさん」が鎮座している。

駅から今度は東に歩き、アーケード街に入る。日曜日午後4時のアーケード街には人影はまばら。シャッターを降ろしている店も多い。このアーケードは繁盛していないようである。

真っ直ぐのアーケードをずっと歩き、突き当りが今治港である。私が宿泊している米長旅館も近い。雨が止む気配はないので、街歩きを切り上げて旅館に戻る。午後4時半過ぎ。

午後9時前、夕食を食いに再び外に出る。雨は依然として激しい。
近くに食堂があったので入るが、もう閉店しようとしているところだった。店のおばさんに頼み込んで、夕食を食べさせてもらう。
ブリのカマ定食。なかなかいける。
おばさんにどこに泊まってるのか聞かれ、米長旅館ですと答えると、あぁ、米長さんね、とよく知っている口ぶり。ま、近いから当然か。
おばさんは優しい人で、お土産というか、明日の朝食にと、大きなバナナを3本くれた。こういう人情がうれしい。

食後、夜のアーケード街を歩いてみる。開いている店はない。居酒屋などは入ってないのだろうか。人影はない。
クリスマスツリーの電飾が空しく光っている。赤や黄の電飾が、寂しさを増幅させている。この灯りが夜だけついているとすれば、この灯りを見る人が一体どれだけいるのだろうか?と虚しくなる。

午後9時40分、宿に戻る。今日は午後からずっと雨。雨だと活動が限られるので観光客には厳しい。
明日はチェックアウトし、いよいよしまなみ海道を上がっていく。
2018/12/15 (Sat.)

中ノ鼻灯台

弓張岩

洋菓子のスイングのブルーベリータルト

大崎上島で撮影された観光ポスター

天満港からフェリーに乗りこむ

天満港から今治港行きのフェリーの客室

なんとフェリー内でモバイルWiFiがつながる。
グーグルマップでは、洋上に現在地が表示される

ついに大崎上島を離脱 晴れ時々曇り@大崎上島町  

3か月間のホテル勤務を終え、ついに大崎上島を離れる日がやって来た。
朝起きて、荷物をまとめ、車に積み込む。そして部屋の掃除。ユニットバス、台所、部屋、冷蔵庫の中、後腐れがないよう、一つ一つきれいにする。ただ、掃除機もほうきもないので、とりあえずは雑巾がけだけでなんとかする。

午後1時過ぎ、掃除も終わり、部屋はすっからかんとなる。
ホテルの制服である作務衣やシーツやまくらカバー、寮の部屋の鍵などを返却しにホテルに向かう。午後2時。
フロントや事務所勤務の人たちに挨拶し、さらに厨房に行って厨房の人に挨拶。

午後2時半過ぎ、出勤してきた仲居の同僚たちに世話になった礼と別れの挨拶。派遣の同僚たちにはメールアドレスを聞く。今日は土曜日なので、一応1週間の中ではお客さんが一番多い日であり、つまりは一番忙しい日であり、同僚の派遣社員連中は、全員が出勤である。

さて、これでこの島でやることは本格的に終了した、ということだ。
今日はこの後、18:45のフェリーで今治に渡る。それまでやることがない。
これから千葉に車で帰るのだが、年末までゆるゆると釣りと観光しながら帰ろうと思っている。まずは今治に渡り、しまなみ海道を上がっていく予定。

大崎上島を離れるにあたり、滞在した3か月間を総括したいのだが、精神的にも肉体的にも辛い仲居の仕事と、しょうもないホテルの社員やシステムのことしか思い出せない。この島に来た初日、ホテルの社長からは「この島の人情の温かさは素晴らしいんだよ」と力説されたのだが、そういうものに触れることもなく、3か月はあっという間に過ぎ去った。
釣りにしても大物に出会えず、11月は仕事漬けで釣りにも行けず、たいして感受性を刺激するような出来事には出会えなかったといっていい。
「島の暮らし」に興味があってこの島にやって来たのだが、「車がないと不便である」程度の薄っぺらい感慨しかない。ま、本当のさびれた離島ではないので、島ならではの生活様式というのはほとんどなかった。つまり、本州に住むのとそれほど変わらない、ということだ。
ま、今後ボチボチ回想していくとしよう。

とりあえずホテルの下にある駐車場に車を停め、中ノ鼻灯台と弓張岩を見学する。
中ノ鼻灯台は明治時代に造られた灯台で、白い石造りの姿は当時のままである。
弓張岩は、室町時代の1400年ころ、弓の名人小早川冬平が、この辺りで略奪を働いていた海賊を撃退するために、この岩に弦を固定し海賊船に向け次々と矢を放った、という逸話が残る。
岸から10mくらい先の海に、ポツンと尖った岩が突き出している。岩には注連縄が巻かれ、神聖感を醸し出している。

見学し終わってもまだ午後3時過ぎ。フェリーの時間まで4時間近くある。
することがない。これから釣りするにしても、日没まで1時間半くらいしかない。島内でこれ以上特に行きたいところはない。

しばらく一服しながら駐車場で思案するが、全く行くところが思いつかない。
10分くらいダラダラしていたが、結局大崎地区に行って喫茶店で時間をつぶすことにする。

大崎上島トンネルを通過し、大崎地区へ。
洋菓子店のスイングに併設されている喫茶店で、スイングのケーキ(ブルーベリータルト)とコーヒーのセットを頼む。午後4時。これで時間をつぶすが、なかなか時間は経たない。
タバコを2本吸い、やっと午後5時。店を出る。もう日が暮れている。

あとはもう天満港に行って、フェリー時間まで待つことにする。
すっかり日は暮れ、風が吹いて寒いので、フェリーの待合室で待つことにする。まだ1時間以上ある。
待合室は暖房が入って暖かい。大崎上島の観光ポスターが壁に貼られている。俳優の斎藤工さんが、傘をさして海沿いにたたずんでいる写真である。「広島に行きませんか。」というキャッチコピー。写真をよく見ると見慣れた風景であり、背後に私が住んでいたホテルの寮が写っている。

しばらくするとおじさんが一人入ってきた。
「これから忘年会なんだよ」
とフェリーの受付のおばさんに告げる。どうやらこれから、私が勤務していたホテルで忘年会だそうである。改めて、もう仲居の仕事をしなくていいかと思うと、巨大な解放感が襲ってくる。まだ勤務していたら、このおじさんの団体に私が夕食を出していたかもしれないのだ。
6:15、おじさんはホテルの送迎バスに乗てホテルに去っていった。

午後6時半。いよいよもうすぐフェリーが来る。
6時40分ごろ、今治から来たフェリーが天満港に接岸。このフェリーは特殊で、車はフェリーにバックで乗り込む。普通カーフェリーは、前後に開口口があり、それぞれの港で交互に前と後ろから接岸し、車は普通に前向きで乗り込んで、降りるときにそのまま逆側から前向きに降りることになるのだが、このフェリーは、前側にしか乗り込み口がないのだ。よって、常にこちらの前側が接岸するため、降りるときに前向きで降りるために、乗り込むときにバックで乗るのだ。

待っている車は6台くらい。みんなバックでフェリーに乗りこむ。予定通り6:45に出港。
今治までは1時間くらいの所要である。午後7時50分到着予定。

車から客室に上がる。客室内は暖房が効いて暖かい。
客室にあるテレビでは、バドミントンの世界大会を放送している。最近日本人選手は世界で活躍している。

驚いたのは、フェリー内でモバイルWiFiが素晴らしくよくつながる、ということだ。フェリーに電波が来てるということは、フェリー内にアンテナでもあるのだろうか?
大崎上島では、モバイルWiFiはどこでもほとんどつながらなかったのである。この辺りに、大崎上島の離島感というか、遅れ感が感じられる。
ちなみに私はスマホを持ってないので、外でネットを見るには、モバイルWiFiをシムレスのタブレットにつないでいるのだが、大崎上島ではほとんどつながらなかったので、まさかフェリー内の洋上でつながるとは思いもよらなかったのである。
前述した喫茶店でも、ネットにつなげようとしたのだが、つながらないため、時間をつぶすのに難渋した。

グーグルマップで現在地を見ると、来島海峡上の洋上を指している。面白い。

途中、フェリーは大三島の宗方港に寄港。
その後午後7時50分、フェリーは今治港に到着。
今治港第3桟橋から降りる。今治港にはたくさんのフェリー桟橋がある。広い港だ。
ここから予約している米長旅館はすぐだった。
この旅館名はどう考えても「よねなが」だと思っていたのだが、「こめちょう」と読むのだというから驚きだ。
そう言えば昨日、大崎下島の小長に行ったが、これも「おなが」とか「こなが」ではなく、「おちょう」と読む。その南には大長があり、ここも「おおちょう」と読む。
どうやら瀬戸内地方では、「長」の字を、「ちょう」と読むことが多いらしい。
九州や沖縄では、「原」を、「はら」ではなく「はる」や「ばる」と読むことが多いが、それと似たようなものだろう。田原坂は「たばるざか」、目達原は「めたばる」、原田は「はるだ」である。
土地土地に漢字の読みに関する何らかの歴史的背景があるのだ。もっとも、「はら」を「はる」と読むのは、ただの語尾変化形のような気がするが、「長」を「なが」と読まずに「ちょう」と読むのは音訓の問題であるけれど。

米長旅館にチェックインする。ここには2泊する。もう午後8時過ぎ。旅館の人に教えてもらった近くのファミレス的な「得得」といううどん屋でカキフライ定食を食べる。うどん店だけに、カキフライ定食には味噌汁ではなく、うどんがつく。
食後、旅館の部屋に落ち着く。食事から戻った際、宿泊者に渡しているお土産です、と、宿のおかみさんが今治タオルをくれた。
そう、今治の一つの特産は、タオルである。今治タオルは、いまその知名度を伸ばしている。
確かに普通のタオルとは手触りが全く違う。柔らかい。水の吸収性も高いらしいので、使ってみるのが楽しみだ。いいお土産をもらった。

旅館は、風呂・トイレ共同。

明日は今治城と今治の街を観光する。
2018/12/14 (Fri.)

大崎上島から大崎下島へ。とびしま海道の橋をくぐる

御手洗の街並み

江戸時代の防波堤、千砂子波止

足が長い。「戦後すぐのものか?」と観光案内に書いてある

昼食

歴史の見える丘公園から見た瀬戸内海

この島も柑橘。レモンですか

大崎下島、御手洗(みたらい)へ 晴れ時々曇り@大崎下島町  

5連休最終日。明日15日についに大崎上島を離れる。
今日は、大崎上島から大崎下島に渡る。目的地は、御手洗(みたらい)。ここには江戸時代以降の街並みがよく保存されている街で、国指定「重要伝統的建造物群保存地区」という観光地となっている。

大崎下島は、上島の南西に位置する。上島よりは大分小さな島である。大崎上島から大崎下島へは、フェリーが結んでいる。だが、本州の呉と、「とびしま海道」という道路でつながっているので、上島より交通の便は良いように思われる。こうなると、この界隈でも大きな島である大崎上島がなぜ道路でつながらないのかが不思議に思える。
管轄市町村としては、大崎上島は、広島県豊田郡であり、大崎下島は、広島県呉市である。呉市と言えば、今夏の豪雨による甚大な被害があったものの、大和ミュージアムや鉄のくじら館などの観光地もあり、広島からは広島呉線という道路もあり、財政状態は決して悪くないように推測される。道路が造れたのも、呉市内であるということも関連しているか。地図を見ると、この道はどうも県道っぽいので、県が敷設したのかもしれないが、呉市が働きかけてできたと考えるのが自然であろう。
ちなみに、豊田郡は、大崎上島周辺の、道路でつながっていない島々だけから構成されている。
この「とびしま海道」は、「裏しまなみ海道」と呼ばれることもあるそうで、知名度は劣るが、風光明媚さでは引けを取らないらしい。

よく釣りをしている明石港から、大崎下島の小長(おちょう)港行きのフェリーに乗る。思えば、9月14日に大崎上島について以来、3か月間、一度も島を出なかったが、3か月ぶりの島からの離脱である。

9:18明石港発。フェリーはわずか15分で小長港に到着。港の突堤の先端に立ってで釣りをしている人がいる。
ここからバスに乗る。御手洗の街までは1.7kmということで、歩いても良かったのだが、寒いのでバスを待つ。
15分くらい待ってバスが来て、バスは海沿いの道路を南に下る。10分もかからずに御手洗港に到着。

バスを降りて街を歩き始める。なるほど、古い町並みが連なっている。
御手洗の街は、江戸時代、1666年に街づくりが始まり、御手洗港は瀬戸内海航路の拠点として繁栄し、船を手配する廻船問屋や船乗り相手の遊女街で賑わってきた。
昭和前半まで、継続して繁栄したようである。
私が住む大崎上島の木江港(天満港)や鮴崎港も同様に栄えたが、いまでは当時の面影はあまり残っていない。一方御手洗では住民から保存運動が起こり、今見るような状態に改修されたそうである。

観光マップを見ながら、街を歩き廻る。細い路地の両側に古い木造の家々が並んでいる。
古い街並みの中に、現代の店や郵便局が混じる。
それほど大きな街ではないので、街の端から端まで歩いて見て回れる。

御手洗昭和館という、昭和レトログッズを展示していると思われる施設がある。しかし、残念ながら閉館している。壁には、金鳥やオロナミンCなどの、昭和世代には懐かしい看板が飾られて、昭和の駄菓子屋感を演出している。

船宿跡、なまこ壁の屋敷などの昔ながらの日本家屋に混じって、古めかしい洋館も点在している。

七卿落(しちきょうおち)遺跡は、幕末、公家界に浸透して勢力を誇っていた長州藩の没落により、三条実美をはじめとする長州びいきの京都の公家7人が西国に落ちていく際、この御手洗に立ち寄り、投宿したという屋敷である。
吉田松陰も長崎行きの際にこの島に立ち寄っているし、また薩長土肥の動きに呼応した広島藩の志士たちが、この島に立ち寄った長州軍と、「御手洗条約」という同盟を結んでいる。さらには坂本龍馬や中岡慎太郎などもこの島に度々来島し、広島藩の志士たちと密談したとも言われ、幕末動乱の中で芸州の志士たちの拠点となっていたようである。そんなシーン、大河ドラマで見たことないぞ。

海沿いに出る。青い空に青い海の景色の中に、白い高燈籠が立っていて、その先に江戸時代に建設されたという防波堤がある。凸凹の石畳の、50mくらいの波止が海に延びている。防波堤の先には現代の灯台が設置されている。

まだ12時前だが、ひとしきり街を歩き廻ったところで腹ペコとなる。だが、どこもかしこも食堂が開いてない。
地図上の食堂を一軒1軒回るも、どこも営業していない。
ようやく御手洗港近くの海沿いに、民宿兼食堂が1軒開いていた。
メニューは、鍋焼きうどんやラーメン、ご飯、みそ汁などしか掲示されていない。一方、皿に乗ったおかずが並べられている。
システムが分からなかったので、店員さんに聞いてみる。
小皿に、すでに調理された料理が多数乗って陳列されている。トンカツ、サバ、卵焼き、ほうれん草、天ぷら盛り合わせなど、好きなものを取るシステム。一皿200円〜300円程度。これらのおかずを取り、あとご飯と味噌汁を頼めば、定食となるわけである。

私は天ぷら盛り合わせに、ほうれん草と卵焼きが乗った皿を取る。そしてご飯に味噌汁。
人がどんどん入ってくる。みんなこの島で仕事をしている人のようだ。今日は平日、昼飯はいつもここで食ってる、的な人が多い、作業服を着た人、事務員風の人、おじさんたちが昼飯を次々に採っていく。彼らは常連らしくすでにシステムを知っていて、好きなおかずを取って、ご飯と味噌汁を頼んでいく。

ここで面白い光景を目撃する。年配のおじいさんが一人で入ってきて、天ぷら盛り合わせを取った。そして、彼はおもむろに、天ぷらにウスターソースをかけたのである。へぇ、天ぷらにソースかける人もいるんだな、と少し驚いた。話はこれだけではない。別のおじさんが入ってきて、天ぷら盛り合わせを取り、なんと彼も天ぷらにウスターソースをかけたのである!
ここで私は仮説を立てる。
「瀬戸内地方では、天ぷらにソースをかけることが普通なのではないか」
さすがに2人連続でソースをかけるのを目撃したら、そう考えるのが自然である。私の辞書には「天ぷらにソースをかける」という項目はないが、ところ変われば食文化も変わるのだ。
私の仮説が正しいのかどうかは分からない。

食堂で、トイレに入る。「御手洗い」の表示。御手洗の御手洗い。ベタ。

食堂を出て、再び街を歩き始める。これから午後は、街の北側の高台にある公園に登る。
階段をずんずんと登る。途中に「おいらん公園」という刺激的な名のついた公園がある。だが、刺激的な要素は見当たらない。昔この街も、他の瀬戸内の港町同様、船乗り相手の遊女が数多く暮らしていたことからついた名前だろう。

さらに階段を登ると、丘の頂上に「歴史の見える丘公園」に到達する。
ここからの景色は抜群である。眼下に御手洗の街、その先には瀬戸内海と数々の島々が、青空の下にくっきりと見える。
瀬戸内海は相変わらず、湖面のように凪いでいる。
北〜東〜南側の展望が開けており、北側には私の住む大崎上島が島の奥に見える。東側にはしまなみ海道上の大島、さらに南寄りの遠方には、3連吊橋の来島海峡大橋までが見通せる。天気がいい。

大崎下島にもミカン畑やレモン畑が多い。この辺りの島々では、ミカンどころの愛媛含めて、柑橘系の栽培に適した気候なのだろう。

丘を降りる。午後2時を過ぎる。
私の住む木江の街もかつてそうだったが、この御手洗も港街として栄え、港にありがちな、船乗り相手の遊女街があり、往時は多くの遊女がここに暮らしていた。
江戸時代のお茶屋の若胡子屋(わかえびすや)跡が残っている。今建っている建物は当時のままではないだろうが、内部には売られてきた遊女の悲しい話とか、昭和初期ごろに特に多かった、「おちょろ船」と呼ばれた、上陸できない下級船員を相手にした遊女が、男が乗る船にこぎつけた船のことも、解説されている。大崎上島の木江ふるさと郷土資料館でも、同様のおちょろ船の模型やあらましが展示されている。井伏鱒二に「消えたおちょろ船」という小説もあるし、資料館では、おちょろ船を歌った歌謡曲が延々と繰り返し流れていた。

天満宮という神社には、本堂の下をくぐると願いが叶うというトンネル状の通路があり、念のため、願いをしながらくぐってみる。

午後4時近くなる。十分に見て回れたし、バスも1時間に1本くらいしかなく、帰りのフェリーの時間もあるので、観光を切り上げることにする。
御手洗はコンパクトだし、街を歩くだけで楽しいので、半日〜1日観光にもってこいの街である。

御手洗 街歩き ユーチューブ動画

午後4時前のバスで、小長港へ戻る。午後4:15のフェリーで大崎上島、明石港へ戻る。
2018/12/13 (Thu.)

天気晴朗にして波穏やか

明石港では大量のエサ取りが徘徊

初サヨリ。全長31cm

サヨリは下あごが異様に長い

次は中サバ。全長24cm。

くまさんこと篠原勝之氏製作のモニュメント、『天の鳥船』

中サバを食べるか、迷いに迷う

島のコンビニ、ヤマザキショップ

大崎上島での最後の釣り 晴れ時々曇り@大崎上島町  

昨日ホテルより電話があり、本来なら今日と明日の2日間、最後の勤務が入っていたのだが、客が減ったとのことで、今日も明日も休みとなった。私の契約期間は明日の12月14日までなので、実質的にこれにて勤務終了、というわけである。
大朗報だ。
あと2日間、島でやり残したことができる。
結果的には、最後の5日間は5連休で勤務終了となった。

まずは今日、最後の釣りに出かけることにする。幸い、天気はいい。
11月はずっと釣りに行けなかったので、10月末以来、2か月近くぶりの釣り。実はだいぶ前に買ったコマセ用のアミエビを、寮の冷凍庫にずっと保存しておいたのだが、アミエビは匂いが強く、2重のビニール袋に入れても、氷に少し匂いが移ったりしていた。ようやくこのアミエビの出番である。

まず、明石港に向かう。クロダイを釣りたい。
朝10時過ぎ、誰もいない白灯堤防先端。凍ったアミエビを海水に入れて溶かす。まずはコマセなしで釣る。
10時半ごろ釣り開始。
ヘチ際にはいつにもまして小魚がウヨウヨしている。スズメダイ、ウマヅラハギなどが見える。
水深が深いので、ウキはいつもの5Bで半遊動。ウキ下は4m〜10mくらいで変える。
エサ取りが激しい。

しばらくして溶けたアミエビにチヌ用配合剤を混ぜてコマセを作る。コマセを堤防の外海側に撒いて、ポイントを作る。
エサ取りの少なそうな、7、8mくらい沖にコマセを集中させるが、エサ取りがそこまで簡単に足を伸ばし、猛威を振るう。仕掛けを投入するたびにオキアミが瞬殺され、釣りにならない。ウキ下を変えてもポイントを変えてもダメ。
結局昼前にフグ(ヒガンフグ)が1匹釣れたのみで、全くエサ取りになすすべなし。私の釣力では、この事態に対応不可。
ちなみに、この島でフグを釣ったのは考えてみれば初めてである。一度途中まで引き上げてハリ外れしたことがあったが、房総半島に比べ、この島ではフグはそれほど多くないようである。

これではらちが明かないので、12時半、釣り場移動を決意。野賀桟橋に移動する。
野賀桟橋では、桟橋上ではなく、桟橋横のいつもの岸壁から竿を出す。
13時過ぎから釣り始める。ここにはエサ取りは少ない。というかほとんどいない。
岸から5mくらい沖に撒き餌を投入する。ウキ下は8mくらい。
15分くらいして初めにハリ掛かりしたのは、チャリコ(小さなマダイ)。やっぱりお前か。ここではこのチャリコと小さなカサゴしか釣れてない。
すると。

午後2時20分ごろ、突然銀色の魚体をした魚の群れが、コマセ周りに寄ってきた。アジかサバか。小魚ではない。青物だ。結構でかい。
ここでは以前、おじさんたちがサビキで足元に周ってきたアジを爆釣しているのを見ているので、始めアジかと思った。
満潮が13:56なので、ちょうど、満潮後の下げ潮が始まったくらいの時間である。

すかさずウキ下を最短の2mに変え、銀色の群れの中に仕掛けを投入。
すぐにウキが猛烈な勢いで水中に消える。かかったのはサヨリ。サヨリだったか。サヨリは始めて釣ったが、2か月前に群れで泳いでいた小サヨリではない。この2か月でサヨリも立派に成長している。全長を測ると、30cm以上ある。サヨリは細長い魚なので大物感はないが、それにしてもここまで成長したか、と感慨深い。小サヨリではただでさえ口が小さいので、私のチヌ針2号には全くハリ掛かりしなかったのだが、これだけ成長して口も大きくなれば、ハリ掛かりするのだ。
サヨリはくちばしの長い魚であるが、異様に長いのは下あごの方である。

サヨリをリリースしたあと、次に掛かったのは青物だった。始めはついにアジか!?とワクワクしたが(私は恥ずかしながら、アジを釣ったことがない)、よく見ると唐草模様のサバだった。これまた数か月前に房総半島で格闘した小サバではない。24cmの中サバである。ここまで成長すると、夏ごろに爆釣して天ぷらにした小サバとは別の魚のように思える。丸々と太って紡錘形の立派な魚体。
これは持ち帰って食べるか?
迷うがリリースする。
コマセを撒き続ける。すると、さらに奥の水面がバシャバシャと暴れている。ナブラ。サヨリと中サバが仲良く揃って、相当に大きな群れでやって来たらしい。いや、イワシかなんかの小魚だろうか?

私の場合、釣った魚を食べることが釣りの目的ではないので、こういう爆釣状態にはそれほど心動かされない。あまりに簡単に釣れてしまう「入れ食い」に楽しさを感じない。
とはいえ、サヨリがまた1匹(30cm)、中サバが1匹(25cm)、ハリに掛かる。さらにサヨリがもう1匹(26cm)。

サヨリと中サバの引きは結構独特である。一気にウキを消し込むが、合わせるとしばらくは泳ぐのだが、急に引きがなくなったりする。あれ?バレたかな?と思って竿をあおると、再び泳ぎ始めて引きが戻る。奴らは糸がたるむ方向、つまり糸の方向に泳いでくる習性でもあるのだろうか?
メジナやタイ系の魚は、基本糸から逃れようとする動きをするので、常に竿を引っ張る。こちら側に突っ込んでくることもあるが、多分、常により深みに潜ろうとする。浅い方向に上がってくることはなさそうで、よってもって糸がたるみ加減になることは、私の経験ではほとんどない。
あとは、割とウキが消し込んで合わせてもハリ掛かりしないことも多い。あれだけウキが急激に沈めば、口でエサを吸い込んでいるくらいだと思うのだが、かからないことも多い。なかなか難しい。

面白いのは、「魚の群れ」というのは、群れを構成する魚の大きさがほとんど同じである、ということである。夏ごろの小サバは、10cm程度で、これらの魚が巨大な群れをつくる。いま成長した中サバやサヨリも、それぞれ25cmくらい、30cmくらいの同じような大きさの魚が群れを構成している。今日釣れたサバもサヨリも、それぞれほとんど同じような大きさである。1学年先輩が混じってたりすることはないようである。きっと、同じ年に生まれた幼魚が外敵から身を守るために群れをつくり、その後敵に食べられて数を減らしながらもそのまま同じような速度で成長した同学年の個体が、群れを形成しているのだろう。
ちなみに、ゴマサバの寿命は6〜7年、サヨリの寿命は2年だそうである。

爆釣したいわけではないので撒き餌をストップしていると、30分くらい後には見た目としては魚の群れは目の前から見えなくなった。だが、少し沖ではまだ海面がざわついているので、まだ近くにいるのだろう。
ここでしばらく休憩することにする。
この桟橋には公園が隣接していて、ここにクマさんこと篠原勝之氏が製作した、『天の鳥船(あまのとりふね)』というモニュメントが鎮座している。巨大な鉄の卵に足が生えているようなモノで、下にはプロペラ、上には船の伝声管(船内でアナウンスに使われる管)のような数本のパイプが突き出ている。どうやら、この島の造船業の歴史と技術を称え、後世もそれが受け継がれることを祈念して建てられた、というもののようである。
近くの簡易トイレで小便する。

その後は再びウキ下を8mくらいに戻し、クロダイ狙いで釣るも不発。午後4時前、ウキ下8mという深さで中サバがもう1匹釣れ、とりあえずバケツに入れておく。
この時ばかりはこのサバを持って帰るかどうか、本当に迷う。こいつも24cmの、丸々太った美味そうなサバである。私は中性脂肪値が高いので、サバは私の健康にとってとてもよい食事である。
魚をさばくために、昔会社を辞める際に取引先のシマノ社の連中から餞別にもらった、関(岐阜県、刃物の名産地)の包丁も持ってきている。この切れる包丁さえあれば魚をさばくのも容易だ。
迷いに迷って、結局リリースすることにした。

リリースして、そのまま午後4時、納竿。サヨリと中サバの群れに驚いた一日。これで大崎上島での釣りも最後。結局、大物は釣れず。

■釣り場概要
明石港→野賀桟橋
■時間
明石港 10:30頃〜12時半ごろ
野賀桟橋 13時過ぎ〜16:00
■釣果
フグ 1:ウキ釣り(明石港)
マダイ(小) 1:ウキ釣り(野賀桟橋)
サヨリ 3:ウキ釣り(野賀桟橋)
中サバ 3:ウキ釣り(野賀桟橋)
■タックル
・竿:シマノの磯竿3m
・リール:シマノ ネクサーブC3000HG
・仕掛け:ウキ釣り 円錐ウキ(5B)遊動
■エサ
・ウキ釣り:オキアミ、コマセはアミエビ+チヌ用配合エサ
■潮汐(御手洗)
潮名:小潮
干潮は7:06、満潮は13:56


釣り後、大崎地区に行って、ヤマザキショップに入る。この島にあるコンビニである。セブンイレブンやファミリーマート、ローソンはない。
このヤマザキショップに初めて入る。品揃え的には、まぁ、まずまずコンビニである。ヤマザキだから菓子パンコーナーを見たが、それほど安いことはない。
6時ごろで、弁当やサンドイッチはほとんどなく、すでに半額安売りしている。店員の若い女性に閉店時間を聞くと、なんと午後7時だという。もう閉店間近。スーパーよりも閉店が早いコンビニか。営業時間は、朝7時から夜7時まで。
スーパーで買うより安かったので、島名産のミカン一袋を購入。
2018/12/12 (Wed.)

かもめ館の6重の塔

落葉の登山道

石鎚神社分社

第2展望台から見た風景。遠くにはしまなみ海道の橋

山頂近くにある地蔵

唯一現存する木造4階建て

高台から見た木江の街

木江の辻

神峰山(かんのみねやま)登山と木江の街散策 晴れ時々曇り@大崎上島町  

3連休3日目。
私のホテルでの勤務は、明日明後日の2日でいよいよ終了である。3カ月間、長かった。
昨日は雨だったしまだ体調不良が残っていたので大した活動をしなかったが、今日は待ちに待った晴れ、満を持して神峰山(かんのみねやま)に登る。

神峰山は、大崎上島の象徴ともいえる山で、標高は452.6m。朝10時頃に登山口の「かもめ館」という、赤とか緑で装飾された、中国風に見える、割と違和感のある情報提供施設に行ってみる。まだ開館前なのか、おじさんが道に出て水を撒いていた。
おじさんに聞いてみる。
「神峰山の登山道は、こっちでいいでしょうか?」
「かもめ館のらせん階段から行くといいよ」
かもめ館の横には、白い塔に緑屋根のついた、6重のタワーが立っていて、いつも通勤時に横を通る際、「あれはなんだろう?」と疑問だったのだが、何のことはない、内部にはただのらせん階段があるのだった。
かもめ館に入り、6重の塔内のらせん階段を最上部まで上がると、そこから道の上空を横切るように渡り廊下状の通路が対岸の丘に延びている。これを渡ると、金剛寺と言う真言宗の寺があり。、その脇から神峰山の登山道が始まっていた。
金剛寺には、真言宗だけに弘法大師の石碑が立っている。
境内には「最上稲荷」という稲荷があり、鳥居で仕切られている。神仏習合の日本、寺の中に神社があるのも、それほど珍しくない光景か。

登山道に入る。始めは舗装された、手すりのある道で、ほどなく土の道になる。道には落葉が敷き詰められており、若干歩きにくいが大義ない。
道は山肌にジグザグに付けられている。直登ではないので斜度は比較的小さく、楽である。このジグザグ道を延々と上る。しばらく歩くと視界が開け、前方に山頂が見える。落葉も少なくなり、歩きやすくなる。
小1時間も登ると、山頂の石鎚神社分社に到達。愛媛県内の四国山地にそびえる、中国地方最高峰の石鎚山にある神社の分社(逢拝所)である。
ここから石鎚山は南に当たるので、きっと祈りを捧げる本堂が、石鎚山の方角を向いているのだろう(多分)。
私は昨年石鎚山に登ったが、参考までにその時の模様を以下のユーチューブページで。
https://www.youtube.com/watch?v=0IjImgzemJ8
石鎚山では、垂直に見える3か所の鎖場や、さらに天狗岳へのナイフエッジ尾根というスリリングな登山が楽しめる。

神社の脇に、展望台がある。ここからは島の北側と東側の瀬戸内海が見渡せる。眼下には木江の街が見下ろせる。

神社の先には第2展望台がある。この展望台は東〜南向きの眺望が開けており、ここからの瀬戸内海の風景は素晴らしい。大三島、大下島など、相変わらず波のない凪いだ海の上に、多くの島が展開している。
私が勤務するホテルも、岬の高台にポツンと建っているのが良く見える。その手前には時々釣りに行く野賀桟橋。
右前方遠くにはしまなみ海道の白い橋が見える。
少し進むと赤いよだれかけをした地蔵さんたちが並ぶ。

さらに先に進むと神峰山の山頂である。標高452.6m。海沿いの道から上がってきたので、この標高丸々を登ったことになるだろう。
千葉県最高峰(愛宕山、408m)よりも高いが、それほど疲れはない。ジグザグ道は登りやすいということだろう。

山頂には薬師堂と鐘撞き堂がある。
深呼吸して鐘をひと撞き。島中に響き渡る澄み切った鐘の音(大げさ)。

薬師堂の裏には小さな展望台がある。ここからは島南側から西側の景色が見える。
島で一番栄えていると思われる大崎地区の街並み、さらに海を隔てて本州が見える。呉市辺りだろうか。

寒い。風が出てきた。薬師堂脇のテーブルで、作ってきた弁当を食べる。いや、作ったわけではなくて、ありもののおかずとご飯をタッパーに詰め込んだだけである。

山頂から山を下りる。登ったのと同じ道。帰りはアっという間に金剛寺に到着。かもめ館6重の塔からの渡り廊下出口の近くに、ロッジ風の建物があり、始め喫茶店かと思ったので中に入ってみる。ドアのかぎは空いていた。内部は無人のようだ。が風をしのげるし、ちょうど一休みしたいところだったので、入ってすぐの部屋で休憩することにする。
部屋には大きなテーブルとイス、それにおあつらえむきに灰皿まであり、一服させてもらう。静かだ。

らせん階段を降りて地上に降り立つ。
午後2時半。
今日はこの後、木江(きのえ)地区を歩いて散策してみようと思う。江戸時代以降、瀬戸内海航路の廻船と船乗り相手の遊女街で賑わった街の痕跡が、少しだけ残っている。
木江地区、ちょうど私が住む寮の裏側の道には、昔ながらの木造建築が数軒、点在している。それらを眺めてそぞろ歩く。
さらに、唯一残っている4階建ての元遊女屋まで行く。今でも廃屋ではなく、人が住んでいるようである。
そこから狭い路地を歩き、県道に出る。県道を歩いてトンネルのある峠まで上がる。

この島に初めて着いた日、9月14日。カーフェリーで島北端の垂水港に着いた私は、まず木江地区にある勤務予定のホテルまで行かなければならなかった。垂水港から島東岸にある木江地区に来るには、島中央部の山を乗り越えなければならない。
車は坂道を上がる。最高部でトンネルとなる。大抵の島は隆起した地面が島となるのでそうなのであろうが、島中央部が山となって高くなっている場合が多いように感じる。
この島でも西側と東側を直線的に結ぶ道路は、中央部の山地を通らねばならないため、山越えの道となるのだが、この島の場合、一番最高点で山腹にトンネルが掘られていることが多い。つまり峠の頂上にトンネルが掘られているのである。大崎隧道も大崎上島隧道もそうである。

トンネルを抜けると、一転して下りとなる。この時に見た光景はなかなか忘れがたい。眼下、谷底に、集落がうずくまっているのだ。よくある温泉街のように、山の下の盆地に家々が密集している。木江の街である。この風景は私にとってこの島の中でも印象的なものである。

木江の街は山と海に囲まれているが、山側のちょっと高い所には山腹に道路が造られていて、ここから見下ろす木江の街もまた秀逸である。松浦造船所のクレーン群、NTTのアンテナを目印として、その手前に街の拡がり。

ミカン畑が多い。この島や近くにある瀬戸内海の島々では、柑橘類が特産である。大崎上島ではミカン、レモン、ブルーベリーが特産。
ミカン畑をしばらく歩いた後、木江の街に降りる。

この島は、山田洋二監督の映画『東京家族』の舞台となっている。映画にも登場する木江の辻は、急坂の細い路地が、家々の間を縫っている。三重県の神島(三島由紀夫『潮騒』の舞台)でも似たような坂道の路地を見たが、このような街に住んだことないのに、なにか懐かしさを思い起こさせるのは不思議である。

急な坂を上がって下を見下ろすと、坂道の向こうに海が広がっている。リスボン(ポルトガル)のようじゃないか。

坂道を上がり、景色を楽しみ、やがて下る。

日が暮れかけている。午後5時を過ぎた。寮に戻る。
もうすぐ島を去る前に、島を知るためにいろいろ歩き廻った1日。
2018/12/11 (Tue.)

大望月邸

大望月邸 雨時々曇り@大崎上島町  

3連休2日目。あいにくの雨。体調も依然今一つなので、今日は島の北西、東の地区にある「海と島の資料館 大望月邸」を見学する。
冷たい雨の中、午後3時前に到着。
受付に係員がいない。しばらく待っていると現れた。入場料を払って入館する。
この大望月邸は、大崎上島が華やかなりし頃、明治時代に建てられた豪邸を改修したもの。望月家はもともと江戸時代から島有数の廻船問屋だったが、国政に進出して内務大臣なども歴任した望月圭介の代から政治家一家となった。
館内では、島の伝統や望月家の歴史、遺品、写真などが展示され、改装された邸内の部屋を見学することができる。

小一時間で見学を終える。午後4時過ぎ。まだ雨は激しく降っている。
今日はあとはスーパーに行って帰ることにする。
2018/12/10 (Mon.)

職場の同僚と飲み会

スナック

同僚と飲み会 晴れ時々曇り@大崎上島町 

私が勤務するホテルでは5日までずっと忙しい状態が続いたが、急に客が少なくなり、今日から3連休。
昼前に起きる。風邪の症状は相変わらずだが、寝込むほどの熱はないし、食欲もある。
昼飯を食べ、ひたすら寝る。今晩は、ホテルで一緒に働く同僚の派遣社員たちと飲み会なのだ。

午後5時まで寝て、マスクをかけて6時に1階に降りる。咳は出るが、体調は昨日から平行線で、なんとかなりそうだ。
今日はホテルの同僚7人で、大崎の居酒屋で飲む。居酒屋が行き帰り送迎してくれる。大崎までは車で10分くらい。
その名も「海賊」という居酒屋。

思えば、3か月近く働いて、このように同僚と飲むのは初めてである。私がある日、入ったばかりのN君に、
「なんか、飲み会でもしたいね」
と言ったら、彼はすぐに実行に移したのだ。

参加者7人。もちろん私が最年長。しかも飛びぬけて老けている。他に一人だけ38歳がいて、あとの5人は20代。このような年齢構成比の飲み会も、最近はなかったことだ。私のような中年ならば当然である。
5人は私が3か月前に入った後に来た人で、最近入った人も多い。思えば、私が勤務したこの3か月で、5人が去り、6人が入ってきた(うち1人は1週間で辞めてしまった)。派遣社員の世界とはかくあるものか。ま、ここは任期が3か月だからこういうになるわけだが。

若い人と話すのは楽しい。それほどギャップを感じないのは、みんなが私に気を遣ってくれているからだろうか?それとも私もまだまだ若いということか。いや、実際、なんか大学時代の飲み会に近い雰囲気だった。もっとも私は、あの頃、つまりいまから25年以上前のことだが、ほとんど無為に過ごしていた気がする。「無為」という意味は、時間を持て余していたあの頃に、もっと何かを考えて、何か打ち込むことを見つけるべきだった、ということである。
ただ、当時の無為が今の私を造ったといえるかもしれず、いまとなっては当時の過ごし方が良かったとか悪かったなどと断定することにあまり意味はない。

勤務するホテルのこと、各自の出自などをとりとめもなく話す。

ここで、内輪ネタにはなってしまうが、各人の人物評を書いてみよう。入ったばかりの人は付き合いが短いのでまだよく分からないが、一興として。

H君:21歳。東京出身。都会人特有の防衛本能を持っている。言い換えれば、距離感か。酒は飲まない。冷静に見えるが、内に秘めた熱さがある。いや、親しい仲間内では熱い奴なのかもしれない。カラオケで歌ったのは、中年の私を気遣ってくれて、『浪漫飛行』(米米CLUB)。
O君:38歳。青森出身。何事にも穏やかに対処、僧のような諦観。いつも元気なさそうに見えるが、喜怒哀楽を表にあまり出さない。なにかとてつもなく悲しいことが過去にあったのか、それとも今でも抱えているのか。カラオケで歌ったのは『なごり雪』(イルカ)。想い出の曲らしく、3番を歌いながらほとんど泣いていた。
O君:25歳。大阪出身。大阪人のイメージに反して、常に下手に出る謙虚で遠慮がちな性格。声の大きい人が強い職場ではツラいタイプ。カラオケで歌ったのは、小さな恋の歌(モンゴル800)。
Nさん:26歳。広島出身。強烈ないじめにも耐えられる強靭な精神力の持ち主かと思いきや、わりと脆い気配あり。職場で泣くことも複数回。話好き。酔いつぶれて1次会でダウン。やはりストレスがあるのだろうか。
N君:21歳。最年少。広島出身。元ヤンキー(?)。いまもやんちゃ感一杯だが、人懐っこい性格は好感が持てる。スナックで見知らぬおじさんの隣に座って話をするくらい人見知りしない性格。
Oさん:28歳(?)。広島出身。いつもニコニコしているが、これは処世術か。のんびりしているように見えるが、頭の中ではいろいろ考えていそう。カラオケで歌ったのは、歳に似合わず、時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)。

2次会は、寮の近くの怪しいスナック。酔っぱらいのおばさんが、O君の横に座った。いきなりO君の肩に頭をもたれかかる。なるほど、この人が接客係なのだと思っていたら、しばらくして彼女は席を立ったあとに昏倒してしまった。酔っ払ってもう足元がおぼつかない。店員じゃなくてただの酔っぱらい?
まさに場末のスナック感満点。カラオケを一人ずつ歌う。
午前1時まで飲んで、3次会の場所がないのでお開き。
2018/12/9 (Sun.)

造船所と紅葉

風邪気味 晴れ時々曇り@大崎上島町  

昼頃起きると頭が重く、だるい。ここ数日、いきなり真冬の寒さとなったため、身体がついていけないのだ。
午後2時半に出勤、10時くらいまで何とか仕事をこなす。仕事中、さらに頭は重くなり、変な咳が出る。乾いた咳で喉が痛く、火薬のような味がする。いや、匂いだろうか。普段している無味無臭の単発の咳とはわけが違う。風邪の咳である。
夜10時、一人厨房で賄いをもらい、カレー鍋を洗う頃には、もうヘロヘロで、さらに症状が進行しているようだった。

寮に帰り、カレーを食べ(食欲はある)、風呂に入ってすぐに寝る。
明日寝込まなければいいが。
2018/12/7 (Fri.)

船の形をした「木江ふれあい郷土資料館」

館内の展示

島内の工場で使われていたマッチ

木江ふれあい郷土資料館 晴れ時々曇り、風強い、寒い@大崎上島町  

12月に入り、ようやく仕事が緩やかになってきた。11月は3日しか休みがなかったが、12月は今日7日で早くも2日目の休みである。

釣りに行こうと思ったが寒すぎる。風も強い。一昨日までは12月とは思えない陽気だったのだが、昨日から寒さが戻った。というよりも、真冬の気温よりも低いんじゃないかというくらいだ。
広島では最低気温が2℃、最高気温が6.8℃くらいだったようで、なぜか大阪や福岡よりも異様に低い。雪が降ってもおかしくない陽気である。

釣りを諦め、「木江ふれあい郷土資料館」に行く。この資料館は、船の形をしている。
館内に入ると、受付に、なんと、私が勤務するホテルの社長が座っていた。
「いらっしゃいませ!」
と社長は私に声をかける。
「あ、社長」
とあいさつしたが、どうも社長は私に気づいていないようである。
「ありがとうございます!」
とにぎにぎしく礼を言ってきた。いや、私ですよ。
どうやら、普段私は眼鏡をかけており、この日はコンタクトレンズだったので、私だと気づかないようである。

入館料200円を社長に支払う。
ま、良かろう。
それにしても、ホテルの社長が、普段はほとんど客が来ない、小さな資料館の受付に座っているとは驚きだ。
後で話を聞いたところ、この資料館は、地方の小さな博物館にありがちな話だが、少ない入館者と維持費が折り合わず、廃館寸前まで追い込まれたところを、私が勤務するホテルが、運営業務委託を受けて辛うじて存続しているようである。ホテルに団体客が来るときにはここに案内しているし、宿泊客は入館料が無料となるようで、なんとか維持しているというところだろう。

館内には客がいる気配はない。島の人は来ないだろうから、とにかくこの島に渡ってくる観光客が入らないと話にならない。
このような、訪れる人の少ない小さな博物館を日本全国で色々見てきたが、館内は、予想に反してこぎれいで、きちんと整理された展示が並んでいる。清掃も行き届いている。
大崎上島の歴史。かつての島の様子を写した写真が掲げられている。以前も書いたが、中世以降、船舶輸送の拠点として栄え、江戸時代末以降は、造船業により繁栄した島である。木造船の模型が飾られている。
船のしくみや構造、船具、灯台の設備の展示。操舵輪やアンカー、ロープやホーン。船の歴史と木造船の造り方。船大工の道具類。

以前、島内にあった工場で使われていたマッチ箱が展示されている。面白い。「めし」とか「おかず」と書かれた、仕出し屋(だろうか)のもの、京阪地域の食堂や喫茶店、ホテルのものなど。目を見張ったのは、「ちばぎん」と書かれたマッチ。私のホーム、千葉にある千葉銀行の愛称である。千葉のマッチがなぜこんなところにあるのだろうか?
船の材料を造っていた工場なので、工員たちも出荷の際に船でいろんな場所に納品したから、出張先のマッチを持ち帰って来たのかもしれない。千葉も海に囲まれた県なのであり得ない話ではないが、なぜ千葉銀行?レストランやホテルなら出張時に立ち寄るが、銀行にも立ち寄ったということだろうか?

3階からは屋上に出れ、瀬戸内海を見通すことができる。外に出てみる。寒い。寒すぎる。

一つ一つの展示を、たっぷり2時間かけて見学する。2時間近く経ったころ、資料館に勤めるおばちゃんが上がってきて、私を確認して安堵する。
「いやぁ、全然音がしないものだから、どこかで倒れてるのかと思ったわよ」
「いや、大丈夫です」

私が退出するときには、受付にいた社長はホテルに戻ったのか、もういなかった。
外に出ると、風はますます強く、寒さは相変わらず。釣りしたら死ぬ。
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