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日記
(2021年12月)
2021/12/31 (Fri.)

五社神社(千葉市若葉区多部田町)

冬枯れ(千葉市若葉区多部田町)

1月1日午前0時になった直後から、五社神社には新年の参拝客が
訪れる。本殿の畳の間に上がり、参拝する。(千葉市若葉区多部田町)

大晦日  
曇り@千葉市

今日はせっかく千葉に帰ってきたので、串間ではできないが千葉でできることをする。
まずは墓参り。これは。多部田町の田園とまばらな民家の間を歩いて平和公園まで歩く。
墓参り後、平和公園からバスに乗り、千葉駅に出る。
バスは旭町のヨークマートの前を通りかかる。「ヨークフーズ」と店の名前が変わっていた。店は大盛況。車が駐車場に入りきれなくて並んで待っているほどだ。

千葉駅周辺の各銀行を周り、通帳記帳をする。
私が口座を持っているいくつかの大手都市銀行は、串間市にも宮崎市にもない。つまり宮崎県にはない。
鹿児島県は知らないが、九州には福岡県くらいにしかないのかもしれない。
金を下ろすのはコンビニのATMでできるが、通帳の記帳はできないので、この機会に各銀行まとめて記帳する。

そして、駅近くのヨドバシカメラで、SDカード64GBを購入。残っていたポイントを全額使用。
ヨドバシカメラも、宮崎県はおろか、九州にはほとんどないので、うっかりすると貯めたポイントが失効する恐れがある。

千葉でしかできないことと言えば、千葉県立博物館にも行きたかったが、さすがに大みそかには開いてない。
最近、生物や人間の進化に関わる本を何冊か読んだので、全生物の分類や様々な動物の骨格などの展示が豊富な県立博物館を改めて見たかったのだが仕方ない。

夕食は久々に家族で食事。両親と弟と4人で食卓を囲む。
私の好物である鰻の蒲焼。久しぶりに食った。美味い。
私は一人暮らしをずっとしてきたので、実家で家族と食事するのはまぁ、平均すればほぼ年に一度のことだろう。
もっとも、今の会社に勤める2019年までは、2年ほど実家に身を寄せてブラブラしていたので、最近はそんなにご無沙汰感はない。

2021年を振り返ってみると、新しい会社に入って3年目、それほど劇的なことはなかった。
今年の私的最大ニュースは、「シン・エヴァンゲリオンによるエヴァの完結」であろう。
私事でないように聞こえるが、エヴァに対しては人それぞれに私的な感慨があるはずなので、私的には、完結編としての『シン・エヴァンゲリオン』に激しく感動したことは、2021年最大の収穫だったと思っている。
過去のすべての作品を踏まえたうえでの『シン・エヴァンゲリオン』という作品は、とにかく素晴らしかった。
テレビアニメの初放送(1995年)から26年も経っての完結なのだから、各ファンはその間の自分の人生を思い返し、人生とリンクした蓄積された思いがあるに違いない。

夜11時40分ごろ、近くの五社神社に新年の参拝に出かける。
歩いて10分ほどのところにある。
近くにはキャンプファイヤー並の火を焚いて、地元の人や消防団の人たちが集まっている。
まだ年が変わる午前0時には10分くらいあったので、近暗い夜道を散策する。
もう新年まであと2分に迫った23:58頃、除夜の鐘が鳴り始める。
除夜の鐘ってこんなギリギリから始めるんだっけ?もっと余裕を持って始まっていたような気がしたが、今年私が聞いた鐘は、少なくともギリギリだった。

午前0時とともに、近くに住んでいる人だろうか、たくさんの人々が五社神社に参拝に訪れる。
私はここには元旦の午前0時には始めて来たが、これが毎年恒例の人々の習慣なのだろう。
私も彼らに混じって本殿に上がり、参拝する。

参拝をする畳の間には、町内会のお父さんたちだろうか、新年のお神酒をたくさんの紙コップに入れて準備している。
参拝を終えた人ひとりひとりに勧めるので、、辞退する人が多いなか、私はありがたく頂戴する。

少量の日本酒を飲み干して、社殿を辞す。

元旦になった帰り道、まだまだ除夜の鐘は鳴り続いている。
除夜の鐘は遠くで鳴っていることが多いので、それほど真剣に聞いたことはなかったが、いつまでも鳴っている。
家に戻り、風呂に入ってる間もまだ鳴っている。
寝床に入ってもまだ鳴っている。

気になるので、108の鐘を撞き終わるのはいつなのか、最後を聞き届けることにする。
108回目の鐘が撞かれたのは、0:55だった。
すなわち、ほぼ1時間にわたって108の鐘が撞かれたことになる。
計算してみると、1つの鐘を撞いてから次の鐘まで、およそ30秒である。つまり、30秒に1鐘だ。割とゆったりしている。

除夜の鐘が鳴り終わるのを待って眠りに落ちた。
2021/12/30 (Thu.)

宮崎ブーゲンビリア空港(宮崎県宮崎市)ン)

ソラシドエアーの機内で飲んだアゴユズスープ

鴨川の南、房総半島を東西に走る峯岡山系

醜いゴルフ場に蝕まれた房総の山々(千葉県)

千葉市北部、花見川〜幕張あたりの東京湾海岸線。
左端に見えるのがZOZOマリンスタジアム

羽田空港も人が多い

ガストでの忘年会(千葉県千葉市)

帰省 
晴れ@串間市

今日から年末年始休みの6連休。
昨日の仕事納めには事務所の大掃除をして、年末年始に挑む雰囲気は整った。
帰省する。車で帰りたかったが、さすがに6日しかないとキツい。宮崎から千葉まで帰るのに、最低でも1日半かかるから、往復移動だけで3日かかってしまう。
よって宮崎空港から飛行機。

朝10時前に車で串間を出発する。雲一つない最高の冬空。
昼前には空港に到着し、駐車場に車を停める。
空港には乗降客が多い。コロナが一段落しているからか、大分帰省する動きが激しいようだ。

13時前、ソラシドエアーに乗り込む。
ソラシドエアーにはエンタメシステムはなし。まぁ1時間ちょっとのフライトなので、問題なかろう。

機内では緊急時の対応についての案内が始まる。
緊急時に上から降りてくる酸素マスクのつけ方の際の説明が、コロナ禍を反映して変わっている。
「まず自分のマスクを外してから、酸素マスクをつけてください」
そりゃそうだ。

離陸。
一杯だけ飲み物サービスがあったので、空腹だったこともあり、アゴユズスープを頼む。
長崎産のアゴ(トビウオ)で出汁を取り、大分産の柚子を加えたスープ、美味い。

飛行機は、羽田に直線的に向かうのではなく、一度千葉県の太平洋側に出て、そちらからUターンし、西航して羽田に近づく。
太平洋を飛んでいた飛行機は、和田港の辺りから千葉県上空に入る。
そしてしばらく北上すると、長狭平野の南側の山中に、1本だけ風車が立っている。
右手に鴨川の街が見下ろせる。
峯岡山系だろう、房総半島を東西に走る2つの主稜のうち、南側の主稜がよく見える。

その後、飛行機は千葉県内陸に入り、房総半島の山々の、尾根と谷が細かく錯綜する山容を見下ろすようになる。
そして、無数のゴルフ場がその醜い姿をさらす。本当に、本当に、なぜこんなものに千葉の自然は破壊されてしまったのか、暗澹たる気分になる。

千葉県を東から西に横切った飛行機は、高度を下げながら、千葉市上空辺りを飛行する。
私が以前よく釣りをしていた、千葉港〜花見川〜幕張あたりの海岸線が手に取るようにわかる。
ZOZOマリンスタジアムがよく見える。飛行機は東京湾に突入した。

そうこうしているうちに、飛行機は羽田空港に東から急襲。
アッという間、わずか1時間強で羽田に到着。

羽田も人が多い。
まだ昼食を摂っておらず、腹が減って死にそうだったので、あまたある食堂を見て回るが、どこもかしこも高い。
仕方がないので売店でシュウマイ弁当を買う。
バスの時間が迫っていたのでほとんど味わわずにかき込む。
乗り遅れそうになったが、15:15のバスにかろうじて駆け込む。

ここから千葉市内の私の実家まではリムジンバスで1時間ほど。
実家に着いたのは16時半ごろ。
串間を出たのが10時前だから、所要6時間半。バスの時間等がうまくつながれば、おそらく最速で5時間くらいで着く。
車では1日半だが、今の時代、飛行機なら串間と千葉などは近いものだ。

千葉に帰省するのは2月以来10か月ぶり。
今晩は中学時代の友人たちと忘年会。
20時からガスト。居酒屋はまだ危険があるとのことで、またぞろガストになった。
だがさすがに今の時期は20時閉店ではない。

集まったのは7人。ガストで22時半まで飲み、食らう。
50過ぎたオッサンたち7人が集まって話す話となれば、もちろん私などは九州在住なのでお互いの近況から始まるが、話の中心がどんどん「健康」になってしまうことに愕然とする。
死期の見えてきた我々にとって、「健康」はかなり切実な課題になりつつある。いかに健康的な生活を出来るだけ長く続けられるか。

岡は「砂糖不摂取生活」をしている。
裕助はグルテンフリー。痴呆症になりたくないそうだ。最近、身近な人の名前が出てこなくてショックを受けたのだという。
ヨーダは断食健康法。毎日16時間くらい食べない時間を作るのだという。夕食を食べないそうだ。この日はもう20時過ぎだというのにガツガツと激しく食っていたので、本当に実践しているのかは微妙だが。
そして私は怪しい添加物の不摂取。
友人たちからは案の定、「食品添加物止める前に、タバコやめろ!」との大合唱を喰らった。

ベボは「おれは好きなもんを好きなだけ食って早死にする」と豪語する。それもまた生き方。

健康と言っても、話題が運動とか睡眠ではなくて「食事」に集中するところも、またありがちである。
断食していなければ、毎日3回あることなので、とかく身近渡が違う。話題にしやすいのだ。
まあ、それだけ健康に直結するわけでもある。

22時半に一旦解散。
首都圏に住む私以外の6人の「対コロナ警戒感」は、九州南部に住む私よりもやはりかなり強いようだ。

岡の車に、今も実家に住んでいる3人と私が乗り込む。
まだやや飲み足りない感があったので、私の実家の近く、住宅街の中にある居酒屋に寄ってみる。
しかし、狭い居酒屋内は、マスクをしないで飲めや歌えやの大騒ぎをしているお父さんお母さんたちで満席であった。忘年会クラスターかっ!

仕方ないので、少し離れた別の街まで車を走らせる。
しかしコロナ禍の影響か、閉まっている店が多い。以前何度か来たことのある、雰囲気の良かった居酒屋は、あろうことかつぶれてしまっていた。

やっと都賀駅前で夜遅くまでやっている居酒屋を発見。もう11時過ぎ。しかし店内は割と客がいる。
話題は健康にとどまらず、映画、アニメ、漫画、生物の進化と多岐に渡った。
裕助以外はもう飲まない感じで、無料なのをいいことに、お茶を合計13杯も、御冷を4杯も頼んだ。
小籠包はイマイチだったが、あぶりサバの刺身はなかなか美味かった。

普段私は同年代と語らうことはないため、気の置けない仲間との楽しいひと時。
ここで午前1時半まで飲み、2021年の忘年会はお開き。
2021/12/28 (Tue.)

パアンの典型的風景(ミャンマー・パアン)

核兵器投下という取り返しのつかない過ち  
晴れ@串間市

今日の世界を見渡すに、返す返すも広島・長崎への原爆投下という、人類史上最大の愚行が、この世界を決定的に変えてしまった。
人々は核の恐怖を知り、そして国々は競って核兵器を保有し、その恐怖によって他国を震え上がらせる。核兵器という脅威を拠り所にする威嚇外交。

76年前のあの日、アメリカ人、というか人類は決定的な過ちを犯し、そして以降世界はいまのような見にくいものになり果ててしまった。
あの日、アメリカが原子爆弾を使用していなかったら、今頃世界はどうなっていただろうか?

今と大して変わらなかったかもしれない。結局誰かがどこかで核を使用して今と同じ道を歩んでいたのかもしれない。
いや、あの日核を使用したからこそ、その威力を知ったおかげでその後誰も人に対して核を使用していない、というバカげた論理があるのかもしれない。

いずれにせよ、あの日人に対して核兵器を炸裂させたアメリカ人たちに、今日の世界が背負う重い十字架を、引き受ける気があったとは到底思えない。
人種差別と人体実験という、おぞましい非人道性が、いまでも裁かれないのはなぜなのか、不思議でならない。
2021/12/26 (Sun.)

ミャンマーのテントウムシは、どこかのメーカーのヘルメットのような
ツヤと模様をしている(ミャンマー・パアン)

ミャンマーのサシガメか(ミャンマー・パアン)

不燃ごみ  
晴れ@串間市

日南市にある「黒潮環境センター」に、不燃ごみを出しに行く。
私の住むアパートでは、毎週水曜日が不燃ごみの日なのだが、何が出せるのかが今一つ不明である。ゴミ集積場に出してもずっと持って行ってもらえないのも具合が悪いので、確実に出せる場所に出すことにした。
黒潮環境センターは、正式名を「日南串間広域不燃物処理組合黒潮環境センター」といい、私の家から車で20分ほどの自然豊かな場所にある。

到着すると、何を出したいかを聞かれ、車の重量を測定される。超重量物を捨てに来る人もいるのだろう。
車で広々とした工場のような建物内に入り、案内された場所に行くと、係員の人たちが5名くらい手ぐすねを引いて待っている。
私はそこまで行き、車を降りて、フッ素コートがはがれて焦げ付くようになったフライパン、割れたガラスのコップ、ギターの弦、乾電池、使い終わったライターなどを彼らに手渡す。
彼らは、さっさと一つ一つを受け取り、すぐに所定の捨て場に向かう。
あっという間に廃棄物ははけ、私は礼を言って去る。
恐るべき手際の良さである。
帰りも車両の重量を計った後で無罪放免。

どうやら、ここなら不燃ごみなら何でも引き取ってくれそうである。
このような、正しく処理をしてくれるところに出すのは、ゴミを出す方としても気分がいい。
2021/12/24 (Fri.)

都城の焼き肉店「みひろ」にて(宮崎県都城市)

宮崎牛。美味い

雨の都城繁華街

宮崎牛  
雨@串間市

今日はクリスマスイブで金曜日。
同僚のルーマニア人が、「飲みに行こう」と言い始めた。
4月の彼の誕生日の時もそうだったが、誕生日とか、クリスマスとか、節目節目のイベントではイベントチックにパーティみたいなことをして楽しみたいという雰囲気が見て取れる。

彼はキリスト教徒らしいが、全く信心深くない。教会には行かないそうだし、聖職者が何かと家にやって来て寄付を頼むのをかなり不快に思っているし、寄付したこともないという。

そんな彼でも、クリスマスには何かやりたいのだろう。感覚は日本人と同じか。クリスマスやバレンタインデーなど、自分の宗教観や習慣と関係なしにイベントとして大々的に楽しむ。
だが、さすがにクリスマスともなれば、キリスト教の本場であるヨーロッパ出身の彼には、我々日本人とは違う思いがあるのだろう、
彼が今まで生きて来たなかでのキリスト教との接触濃度は、キリスト教徒でない普通の日本人の我々とは全く比べ物になるまい。

彼と私、そして同僚もう1人の3人で、都城に宮崎牛を食べに行った。
『みひろ』という、宮崎牛を食わせる焼き肉店ではなかなか有名どころらしい。
初めて食べたが、美味かった、宮崎牛。しかもそんなに高くなかったようである。
加え、店内で食べながら喫煙可であった。焼き肉店では今でも結構そうなのか、あれだけ焼きの煙が出て、強力に換気しているから、タバコの煙も問題ない、という考えだろうか。
3人とも喫煙者なので、わざわざ店外に出なくていいので助かる。

都城は串間や志布志と違って、結構大きな街なので、夜の街も店が多い。
雨の歓楽街を歩いていると、ポン引きが次から次へと声をかけてくる。ポン引きの活動にも常に規制の目が光っているはずだが、きっとイタチごっこなのだろう。
コロナ禍で夜の街も商売あがったりに陥り、感染が少しでも落ち着いている間に何とか稼ぎたいという気持ちは分かる。

2次会、3次会、4次会まで来たところで午前1時。4次会のフィリピン人のママがやってるスナックで、1曲ビリージョエルの『You May Be Right』を歌ったところで私は限界に達したため、上がることにする。

車で来ているので代行をどうするか迷ったが、串間までおよそ1時間の代行は、1万円以上かかるらしい。さすがに代行費1万円はキツいので、今晩は自分の車で眠ることにする。

駐車場に停めているN-VANで眠る。冷たい雨が降り続き、けっこう寒い。
駐車場で立ちションし、服を全部着たままで寝袋に入る。そういえば40年以上使っている寝袋のチャックが先ごろ壊れてしまって、チャックが閉まらない。
まだ新しいのを買っていなかった。

翌朝7時前に起きる。かなり明るくなっている。
4時間くらいは寝れただろうか。
雨で湿気が多く、その中で寝たので、車内のガラスが完全に曇ってしまっている。

駐車場は、夜の時間は朝7時までなら何時間停めても最大料金700円なので、7時前に出庫する。
昨日19時から今朝7時前まで12時間近く停めて、わずかに700円。
代行1万円と何たる違いだろうか。

帰り、ようやく雨は止み、朝日が上がる道を串間に帰る。
帰ってから暖かい布団で再び爆睡したのは言うまでもない。
2021/12/20 (Mon.)

串間から日南に向かう途中にある無人野菜販売
リアカーをサンタが引く構図となっている(宮崎県日南市)

結構怖いサンタ

冬の到来  
晴れ@串間市

18日土曜日、この冬初めて暖房を入れた。エアコンの暖房。急に寒くなってきた。
串間市立図書館で『進撃の巨人』33巻が返却されていたので読む。しかし34巻(最終巻)が消えていた。
また借りられてしまった。また2週間待たねばならないのか。
なあなにはともあれ、とうとうあと1冊まで来た。

昨日19日日曜日、日南ゲオで漫画『呪術廻戦』を借りようと思ったが、10巻だけなかったので借りず。

先週は各巻最低1冊は残っていたので、おそらく学校が冬休みに入って、子供たちがこぞって借りているのに違いない。なにしろ、人気漫画だけあって、各巻7〜8冊くらいはあるのに、10巻だけは全冊借りられているのである。

以前も話したと思うが、10冊借りないと割引にならないので、10冊未満は借りる気にならない。
10巻がなければその先の巻を借りても意味がない。『呪術廻戦』の他に借りたい漫画は『メイドインアビス』最新巻くらいなので、どうやっても合計10冊にならない。
断念。

仕方がないので、映画のDVDを2巻借りる。

話は変わるが、どうやら私の車、N-VANに不具合があるようで、リコールとなるらしい。エンジンの燃料噴射のプログラムに不備が見つかったらしい。
時期を見てホンダに行かねばならない。

今日20日朝、車のフロントガラスが今冬初の凍結。
南九州の串間にも冬が来た。

<追伸>
右写真の無人野菜販売所では、スイートスプリングが売っていた。それも私が水俣で買ったのと比べてかなり安い値段で。
私は水俣で初めて見たが、南九州では割とポピュラーな果物なのかもしれない。
2021/12/18 (Sat.)

熊本・水俣で買ったスイートスプリングという柑橘類

熊本・水俣で買った100%ジュースとジャム

橋のたもとに造られた城のモニュメント。日南なので飫肥城だろう
(宮崎県日南市)

人間とはいったい何様だったのだろうか。これまでとこれから  
晴れ@串間市

人間は、地球上の生物で唯一、自分の意志と力で自然を変えることができる種である。過去の歴史を見ると、人間が自然を変えようとする行為というのは、自分の都合のいいように自然を造り替える、もしくは潰す行為であり、あたかも地球が自分の所有物であると錯覚してきたかのような歴史である。

始めは、人間という種が生き延びるための変更だったかもしれないが、技術力の進歩により、自分に絶大な力があると認識してからは、とにかく人間が生きやすいように、快適に暮らせるように、自然を破壊し続けてきた。

技術の進歩に、「自然を破壊するとどのような恐るべきことが起こるか?」という知見が追い付いていなかった、ということだろう。
江戸時代には薪(燃料)にするために山という山の木を伐採してしまった。
挙句の果てに、昭和時代には有害な物質を海や川に流し、そこに住む魚や水生生物のみならず、自分自身にまで害を及ぼすくらいに自然を駄目にしてきた。

今は、自然が育む多様性が、人間を含めた地球環境にいかに重要であるかをようやく理解するようになってきた。

これまで、山を潰し、川をせき止め、海を埋め立て、土をコンクリートで塗り固め、そこに住んでいたあらゆる生物を殺戮して自然を変更し、それにより生態系が破壊された。植物、動物を問わず、多くの生物が絶滅し、土壌はやせ、二酸化炭素が増える。
後の祭りであるが、取り返しのつかない過ちである。

しかし特に開発途上の国々では、人間がより良い暮らしをしていくために、自然はまだ破壊され続けている。
アマゾンの広大な熱帯雨林が毎年どんどん消滅していくというニュースをよく聞く。
たとえば、気候変動を防止する国際会議でも、先進国が決める規制を、開発途上国が「先進国はいまのいままで自分の好き勝手に自然を壊してきたくせに、開発途上国に規制を強要することは出来ない」と反発するのもうなずける。

いまだに、「地球温暖化の事実はない」と唱える人がいるようだが、温暖化を認めることで、なんらかの損失を被る人がこのようなことを言うのだろう。「金がすべて」という人間がいかに多いことか。

結局、くだらない政治・経済的イデオロギー論争ではなく、科学的知見に基づき、人間が将来も末永くこの地球という惑星で生きていくために、いま何をしなければならないかを、いま地球上にいるどれだけの人間が気づくか、ということにかかってこよう。
2021/12/12 (Sun.)

都城の駐車場がイルミネーション(宮崎県都城市)

買い物  
晴れ@串間市

今日で休み生活も終わり。
日南のゲオでDVDを返却。新たに、『市民ケーン』と『パッセンジャー』を借りる。
後日談だが、この『市民ケーン』はなかなかの大作だった。古い映画だが、アメリカの映画人の多くがハリウッド映画オールタイムベストに挙げる作品である。オーソン・ウェルズ。

CD/DVDラックを購入すべく、ニシムタへ。展示品しかなかったので、展示品を買うことにする。組み立てるのもなかなかの手間なのだ。
この展示品に傷があったので、店員さんに値引きを交渉してみる。店員さんは店長だかの責任者に確認したところ、「値引きは出来ない、新品を取り寄せで購入してほしい」という回答だった。
まあ仕方ない。値下げはなくていいから、通常価格のままでこの展示品を買うことに決める。
やはり、組立に20分くらいはかかるから、この手間賃はなかなかバカにならない。
2021/12/10 (Fri.)

湯の児温泉の廃墟(熊本県水俣市)

出水麓のマンホール(鹿児島県出水市)

出水麓のキリスト教会

夕日(鹿児島県長島町)

添加物なし生活へ舵を切る(1)  
晴れ@串間市

今日も休み。串間市立図書館に行き、『進撃の巨人』を読みに行ったが、34巻の最終巻はあったが、33巻がなかったので読まず。
またしても誰かに借りられてしまった。仕方なく本を2冊借りて帰る。

ところで私は最近、添加物をなるたけ摂らない生活に舵を切った。
身体に有害な食品添加物を説明した本を読んだからである。
最近は、加工食品を買うときは、かならず原材料欄を詳細に読み込み、怪しげな添加物が含まれている食品は買わないようになった。
怪しげな添加物とは、安全性がよく検証されていない、合成化学物質である。
保存料、香料、着色料、人工甘味料が主なものである。

詳細の説明は省くが、以前から言っている通り、また『沈黙の春』でも紹介されている通り、営利企業というものは、金儲けするのが目的であって、そのためであれば、怪しげな物質を使っていても、それが製品のコストパフォーマンスを上げるものであれば平気で使う。
その際にまるで彼らの金儲けを支援するかのような働きをするのが行政であり、安全性が分かっていない物質を使うことを平気で認可するのである。
コロナ禍でも「人の命か、経済か」という議論がかまびすしいように、国にとって経済は大事なのだ。つまり、企業が金儲けをすれば、社員は給料が上がり、彼らはモノを購入するので、景気が良くなる。これが「経済が回っていく」ということであろう。
いや国にだけでなく、普通の個人にとっても金は大事である。

しかし、健康あってこその金であるので、命や健康よりも先立つものがあるとはとても思えない。

ちょっと話が抽象化してしまったが、要するに、人々の健康を直接的に左右する「食品」であっても、そこに使われる添加物の安全性というのは、よく分かっていない、というのが私の読んだ本が訴えるところであり、食品メーカーや行政の責任の是非は別としても、そういう疑義があるのであれば、積極的にそのような食品を摂取することは避けるのが無難であろう、というのが私が今考えるところである。
自分の栄養として摂取する食品であるので、その安全性は厳に吟味されるべきである。

食品が腐食しないように品質を長く保つために添加される保存料、色を出すための着色料(不思議なことに、人は食品の色味で購買意欲が変わるようである)、「カロリーゼロ」と謳った飲料や食物に使用される人工甘味料。
これらには天然由来の無害なものもあるようだが、人工的に合成して作られた添加物は、安全性が不確かなものがある、ということだ。
こういうものを摂らないに越したことはない。
繰り返すが、それらを認可する国など、信用できない。
以前は安全だと思われていた物質が、健康被害が報告されることでその後禁止になったなどは普通の話である。
検証不足なのか、いま検証できる科学力がないからなのかはよく分からないが、企業を儲けさせるために甘い基準にするような人為的なこともあるのではないか。
歴史はそう言っているように思える。

みなさんも一度食品添加物関連の本を読んでみることをお勧めする。
ちなみに私が読んだ本は、『食べてはいけない食べてもいい 添加物』(渡辺雄二氏著、大和書房)である。ご参考に。
『沈黙の春』に通底するものがある。
いまになって、遅ればせではあるが、「添加物無添加」とアピールする食品の正当性が理解できた。

それにしても、健康に関する話題に興味が湧くのは、自分が老いた証拠であろうか。
終わりが見えてきた人生において、健康に留意するようになるのも無理はない気がする。

だがそれ以前に、いままであまりにも様々なことに無頓着できてしまった、というか、知るべきことにあまりにも無知のまま来てしまったという反省がある。

世の中には、知るべきことが、いや、知っておくと「世界」が一気に広がるような知見が、あまりにも多いことに、今更気づいた気がする。
2021/12/8 (Wed.)

都城市立図書館(宮崎県都城市)

休みは続く  
晴れ@都城市

11月末、購入した中古の8mmデッキが壊れたので都城のオギノ電器に修理を依頼したのだが、どうやら修理が難しいとのことで、代替のデッキを使ってほしい、と言われる。
仕方ない。もう何10年も前の製品なので、部品もなかなか見つからないのだろう。別の中古デッキを持ち帰る。また、古いテープはテープ間で貼り付いている恐れがあるので、8mmテープを早送り巻き戻しだけをする専用機も借りる。

イオンモールに行き、PC用のかばんを修理に出す。取っ手の一つが外れてしまった。
イオンモールのマックで昼食。ビッグマックセットを受け取る際、トレーにバイト募集のチラシも一緒に渡された。
平日の昼からこんなところで昼飯を食っているから、無職のおじさんと間違われたのかもしれない。
2021/12/4 (Sat.) 〜 12/7 (Tue.)

ツル観察センター(鹿児島県出水市)
 
ツル観察センターから見るツル

ツルの飛翔

ナベヅル

箱崎八幡神社の日本一の大鈴

なせばなる通り門。狭い。

出水のご当地グルメ、「いずみ親子ステーキごはん」

出水麓の歴史地区街並み

出水麓の観光牛車

出水小学校に移設された出水御仮屋門

八坂神社の日本一大きな地蔵

鶴丸会館にあるレストラン、島津亭

特攻碑公園の地下壕に降りる階段。千羽鶴が平和を祈っている

長島の石垣(鹿児島県長島町)

長島の段々畑

肥薩おれんじ鉄道。新八代行き。

今日の釣り座。雰囲気は悪くない(鹿児島県長島町)

私が釣っている横で、アオサギが海を見つめる。
私と同様、魚を狙っているのだろうか。

風車の丘で夕暮れの風車が回る(鹿児島県長島町)

水俣市内のイルミネーション(熊本県水俣市)

うどん・そば屋でカキフライ定食。どう見てもご飯は大盛り。

紅葉(熊本県水俣市)

シン・エヴァンゲリオン

日本一長〜い運動場。運動場には見えず、普通の道に見える。

水俣病資料館

水俣病資料館の展示。「ネコが躍った、とりが落ちた、さかなが浮いた」

水俣病発生の海を埋め立ててできたエコパーク水俣

水俣市市制70周年記念マンホール。画は水俣市出身の漫画家・江口寿史氏

水俣のソウルフード、水俣チャンポン

イルミネーションが美しい都城市立図書館(宮崎県都城市)

3泊4日で出水(いずみ)、長島、水俣へ


12月4日土曜日。
今日から小旅行に出かける。
コロナ禍も大分落ち着き、今は全国的に感染者が激減している。

 出水市、長島町(以上鹿児島県)、水俣市(熊本県)の地図

串間を9時に出発し、西へ向かう。もちろん、高速には乗らない。
天気はいい。
鹿児島県北部、熊本県と境を接する出水(いずみ)に着いたのは12時前。
腹が減ったので市中心街に入る前、住宅街の中にポツンとあった食堂「鶴の星」で昼食。
普通の住宅の一室を食堂に開放しているような食堂で、普通の家の玄関を上がって案内される。

日替わり定食はチキン南蛮。
私がコロナカード(名前と住所、連絡先を記入する)に書くと、店主と思われるおばさんは、
「あら、宮崎の方なんですね・あちらはチキン南蛮の本場ですものね。でもうちの板長は宮崎(出身)なんですよ」

チキン南蛮定食はなかなかイケた。
食堂の名前に早速鶴がついている。

昼食後、まずはそのままツル観察センターへ。13時。
センター手前で、ツルの保護をするための寄付を求められるが、何をするための金かよく分からなかったので払わず。結構私はこういうの払わない。
維持費のための寄付と言えば、都井岬を思い出す。あそこは寄付というよりも強制なので、払わないと岬に入れない。

ツル観察センターの外には、なるほどたくさんのツルが枯れ田に降りて密集している。
入口にある看板に、今日現在のツル飛来数が、16840羽であると掲示されている。

まずは観察センター内の展示を見学する。そして、2階の展望台から枯れ田(休耕田)を見下ろすと、かなりの数のツルたちが集結している、
展示で学んだことは、出水市は、世界有数のツルの飛来地であり、毎年10月中旬〜3月下旬の間、ここには数種類のツルが越冬のためにシベリア方面から朝鮮半島経由で飛来する。
出水で見られるのは、ナベヅル、マナヅル、カナダヅルなど6種類で、今年は今日現在で4種類が来ている。
ナベヅルが大多数を占めるが、ナベヅルの場合全世界の生息数の8割が出水で越冬するという。
そして、世界ではツルの仲間は世界で15種で、その多くが絶滅の危機に瀕していることを知る。
特にタンチョウは、日本人が「鶴」と聞いて真っ先に思い浮かぶ、白い体躯で、首と尾が黒く、頭頂部が赤い、大変美しいツルだが、全世界でわずか3000羽しかいないという。

観察センターの外に出て、道から同目線で観察する。とはいえ、ツルが集まっている場所からは100mくらいは離れたところで道はバリケードで封鎖されていて、みだりにツルに近づけないようになっている。

ここになぜツルが集まるかというと、行政が保護し、彼らの越冬環境を整備しているからである。
もちろん、江戸時代からシベリアのツルは、西日本各地に普通にやって来ていた。ところが、明治以降の乱獲と開発により、飛来数が激減し、太平洋戦争後、出水に来たツルはわずか275羽にまで落ち込んだ。これを、長年の保護活動によりここまで復活させたのである。
日に何度か魚などのエサを与えたり、日中を過ごす休耕田やねぐらとなる場所を整備したりしている。人の手がかかって初めてこのように多くのツルが集まって過ごせるというわけである。

風が強く冷たい。しばらく外で観察し、時々飛び立ってどこかに行ったり、どこかから飛んで戻ってくるツルたちを上空に観察する。上空を飛ぶツルたちを撮影するのは難しい。飛翔スピードが速い。ズームレンズだとなおさら撮れない。

彼らは2月下旬ごろから3月にかけ、北に戻っていく。この時期にも空を覆い尽くすようなツルの大飛行が見られるそうだ。

15時過ぎまでツルを観察し、ツルたちを堪能後、さらにツルについて知見を深めようと、クレインパークに行く。
ここにはさらに詳しいツルの生態全般に関する展示がある。屋上からは出水の街と水田、山々が見渡せる。
閉館の午後5時まで館内を見学する。

箱崎八幡神社で日本一大きな大鈴を眺め、参拝し、境内を歩き廻る。
ツルとカメの巨大な銅像がある。カメの後部が長いしっぽ状に、まるで人魚のように伸びていて、異様なカメである。

境内には、「なせばなる通り門」というのがあって、巨大な鈴の置物の下に通路状の穴が開いていて、ここをくぐると願いが叶うという。
あまりに狭そうなので、くぐるのはやめておく。

午後6時過ぎ、じゃらんで予約していたホテルにチェックイン。
テレビをつけるとNHKで歴史ドラマをやっていたので見入る。
7時過ぎ、飯を食べに出る。
出水のソウルフードと言えば、「いずみ親子ステーキごはん」である。
これは、鶏の親子を出す定食で、玉子かけご飯と、鶏肉を焼いたものがセットとなっている。
出水は鶏卵と鶏肉の全国有数の生産地であるため、このようなメニューを打ち出しているようだ。市内4店の食堂でこれを食すことができる。

私はホテルから歩いて10分ほどのところにある「レストラン竹の子」でこれを頼む。
コロナ禍も下火だからか、レストランは客で混雑している。
親子ステーキはなかなかの内容だ。初めに店員さんが食べ方を説明してくれる。
卵は2卵の生卵、鶏肉は2種類(多分むね肉とモモ肉)あって、いずれも地元産だという。これらを固形燃料の簡易鍋で自分で焼く。

美味い。デザート、食後のドリンクもついているので、これならば1300円というのも納得できるというもの。

歩いて宿に戻り、大浴場で風呂を浴びる。サウナに久々に入ったが良き。旅のホテルというものはやはり大浴場があるに限る。


12月5日日曜日。

7時に起き、8時にはホテルの朝食を済ませる。一応バイキングだが品数は多くない。まあ、可もなく不可もない。
部屋に戻ってもまだ眠く、8:50までベッドで横になる。
今日は出水麓(いずみふもと)の歴史地区、武家屋敷群を見学する。

出水麓は江戸時代、薩摩藩の北端に位置し、肥後の国(現在の熊本県)と国境を接し、薩摩藩の外城として最初に築かれ、藩防衛の拠点となっていた。そのような背景があり、出水の武士は薩摩藩でも屈強だと伝わる。
まずは出水麓歴史館を見学する。出水の外城の歴史と風俗がよく分かる。
歴史館横の公園では、観光牛車乗り場があり、巨大な黒牛がひざを折って休んでいる。

歴史館近くにある、保存されている武家屋敷2軒を見学。竹添邸と税所(ざいしょ)邸。そう言えば、歴史ドラマを見ていると、薩摩藩には「税所」という名前が特徴的だ。
竹添邸では大河ドラマ『篤姫』のロケが行われたという。

さらに、日本一大きな地蔵があるという八坂神社へ。確かにデカいが、地蔵がデカいとどういう意味があるのかよく分からない。
その後は麓の町中をそぞろ歩く。今日も天気はいい。
こういう街並保存地区は、白々しい雰囲気というか、違和感が漂っていることが多いが、ここはそれほど仰々しくなく、それほど大々的に新築しているわけでもないのでよろしい。

そんな日本の古い街並の雰囲気がところどころに感じられる歴史地区の真ん中に、キリスト教会がある。入口を入って建物までの中庭には、両手を空に広げた白いキリストの立像が、こちらを見つめる。
なかなかの違和感だが、九州というのは多分、ザビエルの来日以来、キリスト教がまず普及した場所であるので、土地柄的にはキリスト教は身近なものなのだろうと推測してみた。

歴史館まで戻る。出水小学校の校門がやけに古めかしくて立派だと思ったら、この門は出水御仮屋門で、ここに移設されたものである。400年以上も前の門らしい。

昼過ぎ、どこか食堂がないか探すも、なさそうなので、13時、出水麓を離れ、市中心部にある鶴丸会館へ。
鶴丸会館の島津亭という割と高級チックなレストランで昼食にする。
鶴丸といい、島津といい、薩摩を絵に描いたような施設と言えよう。

鶴丸会館は、結婚式や宴会、会食会場で、宿泊施設ではないようだ。その1階に島津亭は入っていて、もう13時過ぎだがまだ客で混雑しているようで、フロントにいたおじさんにロビーで待っているように言われる。
仕事柄からか、話が好きそうなおじさんで、色々私に話しかけてきた。串間から来たというと彼は串間を知っていた。まぁ、ここから車で3時間だから、それほど遠い世界ではないのかもしれない。
この人に鶴丸会館について色々尋ねてみる。と、何の宴会だろうか、年配のお父さんお母さんたちが引き出物のような袋を携えてエレベーターで降りて来た。
同窓会だろうか。

しばらく待つと席が空いたらしく、レストラン店内に案内される。
やはり思った通りに高い、が、昼はランチがあり、私は和定食、ブリの煮つけを頼んだ。
美味かったが、やはりコストパフォーマンスはいまいち。
島津亭には、島津氏の家紋である「丸に十の字」がいたるところで踊っている。
鹿児島ではこの「丸に十の字」はいろんな場面で見かける。

鶴丸会館の裏には鉄道の高架があり、なんと新幹線が走り来て走り去っていった。
そうか、九州新幹線は出水駅を通るのだ。
ここで、私の住む宮崎県南部における陸の孤島感を思い知らされる。
九州新幹線というのは、福岡の博多駅を出て、南に向かう。
鳥栖で一瞬佐賀県に入り、福岡に戻り、熊本県に入り、そして鹿児島県で終着は鹿児島中央駅である。
つまり、九州の西側だけを南北に走っているわけだ。
ここで、西側に位置する熊本・鹿児島と、東側に位置する大分・宮崎との格差を考えざるを得ない。
宮崎には、宮崎市以南の日南側には、高速道路すら走っていない。まあそれは別に仕方ないが、熊本市や鹿児島市が大分市や宮崎市よりも人口が多いのは事実である。
九州の市別人口は、1位福岡市、2位北九州市、3位熊本市、4位鹿児島市、5位大分市である。
福岡県は本州と九州を結ぶ交通の要衝にあるのでその栄え方は別格としても、熊本県と鹿児島県が九州では繁栄県なのだろう。まあ大分も「温泉県」として結構イケてると思うのだが。新幹線はないけど。
さらには佐賀と長崎には新幹線の計画が今進行中なので、宮崎の目立たなさが際立つ。
そうは言っても、宮崎には宮崎の売りはある。温暖な気候を生かした「スポーツ県」というのがそれである。
2月になれば、プロ野球やJリーグのチームが数多く春季キャンプに訪れる。

新幹線が通っていなくても、住む身としては全く不便はないのだが、観光客の来やすさという観点から言えば、交通が整っていた方が人は呼べるだろう。
だが、私個人としては、これ以上環境を壊してもマイナスの方がはるかに大きいので、これ以上の開発は完全に反対である。

昼食後、少し郊外にある特攻碑公園に行く。
一見何の変哲もない小さな公園には、太平洋戦争時の戦闘指揮所の地下壕がそのまま保存されている。
地下壕に入ると、下に降りる階段がある。入口すぐのところに平和を祈る千羽鶴が飾られている。
階段を降り、通路を歩いて地下壕を見学する。4か所の入り口のうち2か所は米軍による空襲により破壊されたそうだが、中はそのまま残っている。

鹿児島県と言えば、陸軍の知覧基地、海軍の鹿屋航空基地などから、多くの特攻機が飛び立ち、その命を東シナ海に散らせたという、特攻に深い関係のある県である。
この何の変哲もない公園が、「特攻碑公園」と名付けられているのは、ここ出水にも海軍航空基地があり、特攻に飛び立った兵士がいるためだ。
壕の上には、海軍出水航空基地から特攻に飛び立った戦死者の慰霊碑が建っている。
手を合わせて英霊に感謝する。

公園には、出水の海で漁網にかかって引き揚げられた日本軍航空機のプロペラが展示されている。

特攻碑公園を見終わり、明日の釣り場を探しに長島町に渡ることにする。
明日は釣りの日としていて、波も高くなさそうだし、長島は釣り場が色々ありそうなので、今日中に釣り場を決めておこうというわけだ。
鹿児島県長島町は、出水市の西方に位置するいくつかの島からなり、黒之瀬戸大橋で九州とつながっているのが長島である。
黒之瀬戸大橋を渡ると、道の駅みたいな場所に、いきなりイノシシだろうか、何か大きな獣のモニュメントがある。イノシシで有名?
ナビの精度が低すぎて、なかなか思い通りに行きたい場所に行けなかったが、山と畑の細い道をクネクネと走る。

釣りガイドで目をつけていた、高串場所に行ってみる。いまや廃ホテルとなっている横の道を行くと行き止まりで、そこに車を置いて山道を歩く。海までは遠くない。
しばらく歩くと小さな何かの監視小屋のような建物があり、そこから先は草に覆われての一瞬道が分からなくなったが、しばらく探すと海に降りる細道を見つけた。
そこを降りると磯場に出た、磯は低いが、海はまずまず水深がありそうで、何か釣れそうだ。
明日はここに来ることに決める。

長島の風景は、段々畑と石垣が美しく映える。そして、小高い山の上には、風車が並んで回っている。
帰り道、道の駅で長島の地図をもらい、お土産をいくつか買う。
道の駅の横には、イノシシとくじらだと思われる、またまた大きなモニュメントが鎮座している。
長島の西海岸はちょうど日没時で、美しい夕日が見られた。

釣具店に立ち寄り、明日のオキアミを買い込む。ガイド本にはたくさんの地磯が紹介されているので、長島は釣りが盛んな島だと思われる。

出水市内のホテルに一旦戻った後、夕食前に出水駅の周りを散策。新幹線が停まる駅だけあって、なかなか大きな駅だ。
そして、JRの駅の横には、肥薩おれんじ鉄道の駅が隣接している。
渋いローカル線。肥薩というだけあって、熊本県八代と鹿児島県川内(せんだい)を結ぶ。
対面のホーム上には、3羽のツルの像が電灯の下で光っている。

夕食場所までかなり歩いた。昨日から気になっていた「ファミリーレストランあじさい」に入る。およそレストランには見えない、西洋風の建物がライトアップされている。
和風ハンバーグ定食を頼む。残念ながら、値段の割にしょぼかった。ハンバーグもしょぼいし、付け合わせのレタスもしょぼかった。100%和牛という触れ込みに期待したのだが、あまりのしょぼさに閉口。これで1190円というのだから高すぎる。失敗。

ホテルに戻り、風呂。今日もサウナに入り、たっぷりと汗を流す。いい。


12月6日月曜日。
朝6:20起床、7時ホテルの朝食、7:25チェックアウト。
いい天気の釣り日和。風も弱い。
8:45長島の高串着、9時釣り場着、9:30実釣開始。

一日中ベラ祭りだった。16時まで釣って(フカセ釣り)、ほとんどがベラ。どこに入れてもベラ。アカササノハベラとニシキベラ。
その他には、メジナが2(22cmと27cm)、イスズミが1(22cm)、クマノミが1。
16時過ぎから30分ほどジグを投げたが、アタリなし。どころか根掛かりしてコアマンをロスト。
フカセ釣りでもBのウキを2つ根掛かりで失った。

しかし、一度だけ化け物級の大物がかかった。だが簡単に高切れしてしまった。ハリス切れではない。ドラグが出なかった。安いリールなのでドラグ性能が低いんだと思う。
一体何者か。あまりの引きに、魚ではなく、鳥か何かかと思った。カメか。魚だとすると青物かイシダイか。
こうして釣りの一日は残念な結果に終わった。

夕暮れ時、風車の丘に行ってみる。長島には尾根筋に風車群が建っている。夕暮れの風車はなかなか絵になる。結構回っている。
見下ろすと、長島を囲む海が見える。

「幸せの鐘」があったので、鳴らすと、夕暮れの丘から音が風に乗って行った。
そうこうしているうちに17:30を過ぎ、陽が暮れた。

長島から水俣へ移動する。鹿児島県から熊本県に入る。

途中、水俣の街のど真ん中に忽然とイルミネーションが現れる。
JNC水俣製造所という工場らしいが、その敷地の外側のスペースで、割と大掛かりなイルミネーションがさんさんと光っている。
クリスマスツリーのような三角木を中心に、カボチャや魚などが配置されている。
しばらく写真を撮って、宿を取ってある湯の児(ゆのこ)温泉へ向かう。

チェックイン予定時刻の20時ギリギリに着いたが、ナビが示す位置に、それらしき旅館がない。
見上げると、廃墟のように建物にツタが絡み放題の建物がある。ここら辺ではないかと、急な崩れかけた階段を上がってみる。草ぼうぼうでさすがにここではなさそうだ。
嫌な予感が頭をよぎる。このコロナ不況で、つぶれてしまったのではあるまいか。しかし、ネットで予約できる宿がすでにつぶれてしまっているわけはない。

以前も似たようなことがあった。確か、しまなみ海道沿いにある島、大島だったと思うが、予約した民宿の住所に日暮れに着いたものの、宿は真っ暗で、いかにもつぶれた外観である。宿に電話すると、私が着いた場所は別館か何かで、本館は200mくらい離れたところにちゃんとあったのだ。

車のところまで降り、目の前にあった大きなホテルのフロントで聞くと、私が行こうとしている旅館は、全然もっと上にあるという。
ちなみに、湯の児温泉は、海沿いの温泉街で、すり鉢状の地形の一番下に割と大きなホテルが数軒ある。だた、急な斜面には、廃墟状の建物が連なっており、どこかの寂れた温泉街の風景を思い出す。というか、よほど有名な温泉でない限り、温泉街というものは、どこもなんかこのような寂れた感じのところが多い。

また急な坂道を登り返し、ようやく私が止まるべき旅館を見つけた。すでに20:30。
だがフロントのおばさんは快く迎えてくれた。

チェックイン時にトイレとか風呂の説明を受ける。
近くには何も店がない。すり鉢の下にも食堂のようなところは見当たらなかった。チェックイン時刻に間に合わせようと夕食も摂らずに車を走らせてきたのだ。
旅館のおばさんにこの近くの食堂を聞くと、一度国道まで戻らなければないという。
トホホだが仕方ない。近頃の温泉街というのは、夜の食事もままならないところが多い気がする。どこも不景気なのだ。

国道に戻り、ドライブインくらい大きなうどん・そば屋がギリギリ開いており、カキフライ定食を頼んだ。うどん・そば屋だが、私の好きな定食も食べられた。
カキフライ定食、良かった。

店のおばさんたちも親切で、「ご飯お代わり無料だけど、どう?」なんて聞いてきてくれたが、もともとの盛りが大盛りだったので、「結構です。もう充分です」と言って辞退した。
きっと、閉店間際の残りごはんで大盛りにしてくれたのだろう。

午後9時の閉店間際で客は私以外に誰もいない。
彼女らは、すでに片付けに入っている。

私が食べ終わり、外に出ると同時に店は閉店した。午後9時。

宿に戻り、21時20分から風呂に入る。宿のおばさんに、「風呂は22時まで」と言われていた。
露天風呂。外は寒かったが、湯に入っている限りは温かい。十分に温まった。

8畳くらいの和室にはテレビとテーブル、お湯のポットがある。
テーブルの上にはお茶セット。
テレビをつけると『アバランチ』というドラマをやっていてついつい見入ってしまった。
押し入れから蒲団を出して敷き、23:20就寝。


12月7日火曜日。
アラームを7:20にセットしていたのだが聞こえず。だが7:30には目が覚めた。
小旅行最終日。今日は水俣観光。

8時、旅館の朝食。薄味で内容もよく、満足。この朝食がついて1泊4650円(うち入湯税150円)ならば大変良い。
ただし、便器は和式のみ、洗面所の水は水しか出ないので、この冬の時期、歯磨きも洗顔も厳しい。

8:40チェックアウト。
天気はいい。
まずは湯の児温泉を散策する。こじんまりとした温泉街だ。
橋を渡って小島になっているのが湯の児公園で、島の外周に沿って遊歩道が走っている。
あっという間に一周できる。中央部には公園があり、ここの紅葉がえげつないまでに赤い。

その後、水俣市中心部へ移動。
まずは「日本一長い運動場」へ。
水俣市内に、「日本一長い」と銘打つ運動場がある。
一方の起点に行ってみると、変哲のない線路沿いの「舗装道路」である。住宅街の中にある。これが「運動場」?
13kmに渡るこの「運動場」の概要を説明した看板が出ている。

しばらく歩いてみるが、まあ、普通の道に相違ない。道も横切るので、車が横切る「運動場」である。
この先、川も渡るらしい。
この「道」にどんな価値があるのか、よく分からなかった。道で運動している人もいなかったし。
なんにせよ、人は「日本一」という冠をつけたがるものである。

そして水俣観光のハイライト、「水俣病資料館」へ。
水俣病とは、一言で言えば、行政と企業の金儲け主義によって多くの生命・健康が犠牲となった、まさに「人災」である。
『沈黙の春』と全く同じ構図じゃないか。

明治時代に水俣の地に創設されたチッソという化学企業が、1932年からビニールなどの原料となるアセトアルデヒドの生産を始め、製造過程で発生する有毒なメチル水銀を、工場から不知火海に垂れ流していた。
海の汚染は進み、高度成長期の1950年代前半以降、メチル水銀を摂取した魚や貝が死に、それを食べた猫が神経症にかかったようにけいれんを起こして狂い死に、鳥は飛べなくなって空から落ちて死に、そしてついに、1956年、この海の恵みを日々の糧としている水俣の市民に初の発症例が確認される。
感染者は、身体を制御できない痙攣に襲われ、そして死んでいった。
始めは原因が分からず、奇病などと言われ、差別を受け、患者を隔離したり家を消毒したりしたそうだが、やがて、水銀に汚染された魚や貝を食べたことによる病気であることが明らかになる。これが水俣病である。同様の公害はこのころ各地で起きており、

ここまででも十分に悲劇だが、ここからもさらにおぞましい経緯が続く。
チッソは、すでに汚染された魚が原因で猫が狂い死にすることが分かっていながら、それを隠してなんと始めの発症者が出てから12年後の1968年まで、延々と有毒なメチル水銀を海に流し続けていたのである。これは、国が水俣病の原因がチッソが垂れ流す有機水銀であることを、この1968年まで正式に認めなかったのである。
これを人災と言わずして、何を呼べばいいのか。
企業は情報を隠蔽し、高度成長に必要な石油製品を生産する企業だからと言って国がそれに加担する。なんというおぞましい出来事だろうか。

さらに悲劇は終わらない。
当時の水俣というのは、チッソの企業城下町であり、多くの市民がこの企業に勤め、何らかのかかわりを持っていた。そのため、被害者たちがチッソを糾弾すると、チッソから給料をもらって生計を立てている別の市民グループが、あろうことかチッソを擁護し、お互いが非難合戦を繰り広げたのである。つまり、水俣市民が分断されてしまったのである。
その構図は、原発やダムなどの誘致賛成派と反対派の対立による市民の分断にそっくりだが、決定的な違いは、ここでは多くの人の命や健康が失われていることである。
原因が明らかになった今、自分はたまたま魚を食べずに発症しなかったからと言って、チッソを擁護する側に回ってしまうことが、この問題の根深さである。
チッソがなくなれば、自分は生活できない。その不安は分かるが、その前に善と悪があるのではないかと私は思う。だが、もし収入を断たれて飢える状況に置かれたら、善悪よりも自分の命の方が大事だということになるのも理解できる。

水俣は、この「負の歴史」により、「公害発生都市」というありがたくないレッテルを張られてしまった。
私の世代以上の一般人が、「水俣」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「水俣病」であり、残念ながら水俣の新鮮な海の幸でも、湯の児や湯の鶴などの温泉街でもないのである。
エボラ出血熱とか、スペインかぜとか、伝染病が発生した場所の名前をつけるのも、その土地の人の身になってみたら、ありがたいものではないだろう。伝染病の流行は、その土地の人々に非はないのだ。

これにより、水俣市は著しく損をしている、と私は思っている。今は水俣病を知らない世代も増えただろうから、そのような負のイメージは払拭されつつあるのかもしれないが、一方でこの事件を風化させてはならない。語り継いでいかないと、金儲けだけを是とする企業とそれに癒着した行政が、またいつ同様の不祥事を起こすか分からない。
チッソを擁護した水俣市民がそうであったように、資本主義社会では、常に金が一番に来る傾向があることを忘れてはならない。

余談にはなるが、「さあ、みなまた」という水俣市の観光パンフレットには、残念ながら水俣病資料館は非常に小さくしか載っていない。このような負の遺産を観光の目玉として打ち出すことに二の足を踏む気持ちは、分からなくはない。
だが、この資料館は、私は水俣に来たら真っ先に見たかった場所であることは間違いない。
これまた余談で、このパンフレットの表紙の画は、水俣市出身の漫画家、江口寿史氏が描いている。

ここで改めて、『沈黙の春』が思い出される。
あの話も、行政と化学メーカーが、有毒な殺虫剤や除草剤を大散布した挙句に、害虫や雑草だけでなく、生物という生物が死滅したり激減したりしたのである。
金儲けしか考えていない企業の言うことが信用ならないのは当たり前として、市民の安全と健康を守るべき国や行政が、企業と結託して人々の生命や健康を脅かすとは、いったい何事だろうか?
この一連の出来事から得られる教訓は、「行政は決して信じてはならない」ということである。
今のコロナ禍でも散々経験してきたことだ。
国や行政は、医師会という利権団体と癒着し、彼らの言いなりとなって平気でコロナ感染者を自宅療養させる。こんなん、失政の末の人殺しじゃないか。国が市民を殺すって、一体どうなっているのだろうか?

その後は、被害者がチッソを相手取って訴訟を起こし、長い法廷闘争を経て、被害者はチッソから賠償金を得られることにはなった。そして、ようやく2004年になって、水俣病の被害拡大を防げなかったことに関し、最高裁は国と熊本県の責任を認める判決を出すことになる。
チッソは被害者に賠償金を支払う会社を設立し、現在でも水俣病患者に対し慰謝料や医療費、生活費などを支払い続けているようである。しかしながら、いまでも水俣病患者として認定されていない人々もいて、いまだに救済されていない人たちがいる。

資料館をじっくり見て、暗澹たる気持ちになった後、裏腹に好天の外に出る。
資料館は、エコパーク水俣という不知火海に面した海沿いの公園の一画にある。ここは、何を隠そう、水俣病の発生現場となった場所である。
すなわち、チッソが36年間に渡って垂れ流した、有毒なメチル水銀が溜まった内湾を埋め立ててできた公園なのである。
水銀を含んだ汚泥を仕切りで封じ込め、その上を埋め立てる工事が、14年間かけて1990年に竣工した。

いまは、普通の護岸から普通の海が見える。だが、水銀によって汚染された「死の海」も、死んだ魚が浮いていなければ、それほど変わりないように見えたに違いない。
変わりなく見えるものが死であるという恐ろしさよ。

公園は芝生の広場があり、海沿いに遊歩道がある。一画には水俣病慰霊碑がある。束になった千羽鶴が垂れ下がっている。

もう14時である。腹が減った。公園からほど近い、水俣物産館「まつぼっくり」に併設された食事処、「たけんこ」に入る。ここはやはり、水俣のソウルフード、水俣チャンポンを頼もうとしたのだが、なにやらバイキングしかなくて、チャンポンは含まれているものの、値段が1200円と高い。腹が減っているとはいえ、さすがにバイキングで行くほどの空腹感ではなかったので、食べるのをやめる。
まつぼっくりで水俣のお土産を色々購入。スイートスプリング(始めて見る柑橘果物)、デコポンジュース、柚子七味、晩白柚ジャムなど、2000円以上。

その後、水俣チャンポンを食すべく、水俣市内の中華屋をいろいろ周るも、ちょうど昼食後の一時閉店期に入ってしまっており、どこも開いていないのでとりあえず夕方まで我慢することにする。
飯も食べずに官軍墓地、水俣城址。薩軍慰霊碑、水俣駅などを周る。
官軍墓地は、住宅街の中のこんもりとした小山の上にあるのだが、入口がパイロンと棒で立入禁止のように見える。問題なかろうとそれを無視して細い草道を上がっていくと、なんか道が途絶えていて、腰の高さくらいの段差を登り、再び小山の上に続く道に出、無事墓地にたどり着くことができた。
熊本、宮崎は西南戦争の激戦地であったため、あちこちに官軍墓地や薩軍墓地がある。
水俣城址はほとんど遺構も残っていない。

17時、ようやく酔仙食堂が開店し、めでたく水俣チャンポンを食す。まあ特に他の土地のチャンポンと違った面は感じられなかった。

これで水俣観光も終わり。
ここから都城経由で串間に帰る。17:30、水俣を出発。
都城市立図書館に20時過ぎに到着。水俣からの所要2時間半。借りた本を返さねばならなかったのだ。
図書館の建物と、その周りの駐車場やビルが、まばゆいばかりのイルミネーションで飾られている。これもあまり見たことのない類の飾り付けられ方である。
色は白を基調とし、小さな電球を多数使い、派手な演出はないが、統一感がありとても良い。
夢中で写真を撮る。

串間帰着は22時過ぎ。3泊4日の小旅行完結。
2021/12/1 (Wed.)
 
宮崎イオンモールの冷麺

今月末に『呪術廻戦0』公開予定

大堂津駅前のイルミネーション

『燃えよ剣』  
晴れ@宮崎市

7月の健康診断で「要精密検査」となったので、病院に行かねばならないのだが、今日もダラダラと11時近くまで寝ていた。
病院を諦め、今日は「映画の日」なので、宮崎に映画『燃えよ剣』を見に行くことにする。

昼過ぎに出発、宮崎のイオンモール内セントラルシネマ。
映画前に腹ごしらえ。
フードコートで冷麺を頼む。他店で食べるのと変わらないマックにしようかとも思ったが、人が並んでいたのでやめた。

この冷麺が、コストパフォーマンスの悪いことといったら、人をバカにするにもほどがある。
ほんのちょっとの量で、770円もする。
やっぱりイオンのフードコートで飯を食っちゃいけないことを改めて肝に銘じる。

今日は「映画の日」ということで、いつものファーストデーの1200円に対して、なんとわずか1000円である。良い。

『燃えよ剣』は、司馬小説の中でも『梟の城』と並んで私の好きな作品の一つであるので、そこそこ期待して鑑賞。
15:20〜18:00。

また感想的な話になってしまうが、まぁ、まずまず。上から目線で失礼ながら。
以前同じ原作者、監督、主演で『関ケ原』という映画を映画館で見たが、ちょっと期待外れだったので、若干の不安はあったが、まあ、「新撰組物」にハズレはないということでしょう。
大河ドラマの『新選組!』も面白かったし、薩長が主役となる幕末物ドラマにも必ず新撰組は登場するので、天地動乱の幕末のダイナミズムと、倒幕側、幕府側それぞれの多士済々の人物たちが、物語を躍動させるわけである。

一方で、そのように新選組を幕末ドラマで見過ぎているせいか、どんなキャスト、演出でも、どうしても既視感があるのは否めない。
そして、新選組のハイライトはどうしたって「池田屋事件」であり、その後は幕府の凋落とともに没落し、バラバラになっていくので、どこまでを描くかにもよるが、後半に向けてドラマが苦しくなってきてしまうことも事実であろう。

『燃えよ剣』は、土方歳三の生き様を中心に描いており、最後は彼が死ぬ五稜郭までの戦いを追っている。
ちなみに、大河の『新選組!』では、近藤勇が斬首されるところまでだった。まあ正確に言うと、土方が五稜郭の戦いで死ぬまでを、続編として製作・放映している。

この『燃えよ剣』で唯一おやっと思ったのは、始め、土方がおかしな歩き方をしていることだった。ひょこひょこと、なんか脱力体操でもしているような歩き方だ。

来年は、これまた好きな作品、『峠』の映画も公開されるので、次を楽しみにするとしよう。

すっかり日が暮れた帰り道、大堂津駅前がライトアップしていたので寄ってみる。
油津港や大堂津港を要する港町・日南らしく、イルミネーションの中に魚が2匹いる。
フグと、エンゼルフィッシュ的な熱帯魚系の魚。
魚を選ぶ基準は、知名度と形のインパクトだろうか。
フグやエンゼルフィッシュがこの辺りの港で水揚げされる魚であろうはずもないが(いや、フグはそうなのかもしれない)、イルミネーションでスズキやタイなどにしてもインパクトに欠けるからだろうか。
現代は、何につけても「映え」が重要なのだろう。
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