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日記
(2010年2月)
2010/2/28 (Sun.)
夜の神社

昼の鹿島神社(福島県郡山市)

夜、ランニングに出かける。なぜ走るのか?運動不足だから。
走っていると、普段見えなかったものが見えてくる。今日は近くの住宅街の只中に、鹿島神社という神社を見つけた。常陸国(現在の茨城県)鹿島の鹿島神宮から分社した神社だそうで、もともとの創建は応永年間1394年〜1428年だという。明治時代に改築されたとのこと。14世紀からこの場所にあったかどうかは分からないが、少なくとも、この神社は、600年間存在しているわけである。よく周りと見渡すと、住宅街のど真中、この高台にだけ忽然と木々が残っているのは、この神社があったからだと合点する。いわゆる鎮守の森である。神社や寺には、森がつきものである。高い梢に囲まれた境内、であるべきである。それが日本のひとつのイメージ。
ちなみに、鹿島神社のご神体は、日本神話に出てくるタケミカヅチという神だそうで、関東から東北、北陸、近畿にまで、鹿島神宮の分社としてのこのような鹿島神社が数多く存在する。そういえば、同じ名前の競走馬がいるが、神の名前か。

鳥居をくぐって30段ほどの階段を上がる。階段の上にはさらに二つの鳥居があり、それらをくぐると、高い木々に囲まれた境内に、本堂がある。夜の神社で空を見上げると、高い梢が夜空に黒々としたシルエットを描いている。600年前、ここから見渡す風景は、今とは似ても似つかないものだったろう。600年前と言えば、戦国時代。きっとこの辺りは見渡す限りの自然で、まぁ神社を建てるくらいだから近くに人々が住む集落があったのだろう。今ではこの神社の一画以外はほとんどの地面がコンクリートで固められ、人工の建物が整然と建設されて、人々がその中で暮らしている。

宗教心が薄いのは僕は日本人のいいところだと思っているが、仏教や神道がなくなっていいとは思わない。人生の苦しみから逃れるため、人間から宗教心がなくなることはないだろう。人間の世の中には、何か(神や仏やキリストや麻原彰晃など)にすがりたい人がいて、神頼みする状況が常に存在するのだ。
宗教法人の状況というのは僕はよく知らないが、神社や寺といった日本の文化は、残っていくのだろうと思う。そこに、日本人としてのDNAが脈々と受け継がれているからだ。

さて、私たち現代の日本人は、後世に何を残していくのだろうか。
例えば、600年後の日本は、今とは似ても似つかない様相を呈しているかもしれない。今現在生きている人間はすべて死に絶え、僕たちの何世代か後の人々が日本の上にいる。そこに、600年前の僕らの時代の何かが残っているのだろうか。
明治維新で日本の伝統的な古きものが嵐のように淘汰され、現代の日本は、すっかり変わってしまった。都市部の生活は、西洋とほとんど変わらない。田舎の田園にしか日本の伝統は残っていないんじゃないかと思わせる。

600年後、人間が宗教に頼らないですむような幸福な世界が、何らかの形で構築されているとはとても思えない。
だとしたら、結局、この辺りに今あるもので、600年後に残るものは、やはりこの神社だけなのだろうか。

日本人のアイデンティティを体現するような、失くしてはいけないものを、今後も残していきたいものである。
ただ、文化遺産もそうだけど、やっぱり自然が第一だ。一度壊したら二度と元に戻らないものは、壊すべきでない。
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