2012/2/24 (Fri.)
絶望的なニュース

郡山駅 |
新聞を読んでいたら、この1年のあいだに何度も味合わされた、絶望感に再び陥った。こういうニュースである。
「那覇の海上自衛隊が、青森から雪を持ち帰り、沖縄で子供向け雪遊びイベントを計画していた。しかし、震災で那覇市内に避難している人々から、『雪に放射性物質が含まれ、被爆する可能性がある』との声が相次いだ。雪の放射線量は事前に測定し、いずれも問題のない値だったが、那覇市の説明にもかかわらず、結局避難者に理解は得られず、イベントを中止せざるを得なかった。」
何でこんなに世の中頭のおかしな人たちばかりになってしまったのだろう。しかもそれが、震災で避難している人からの苦情だという。僕は人の親ではないので、子供を思う気持ちは実感として分からないが、なぜ放射線量に問題のない雪がダメなのだろうか。青森が危ないのなら、那覇だって危ない。
子供達に楽しんでもらおうという一念で雪を持ち帰った自衛隊員たちの無念を思うと、本当にやりきれない。なぜこのような善意が、他でもない被災者によって踏みにじられてしまうのだろうか。
憤りを感じるというよりも、このような狂った人々がいることに、とにかく絶望を感じる。避難生活が長引き、理性的な判断が出来なくなってしまったのだろうか。
食物に含まれる放射性物質の規制値を国が厳しくする。ただ単に放射能を危惧する人々の感情に流された、非論理的な決定である。一体じゃぁ、今までの基準値は何だったんだ?
また、被災地のがれき処理を、地方自治体が受け入れを表明しても、「放射能が怖い」という住民の反対にあって、未だに東京以外の自治体へのがれき搬入は実現していない。放射線測定値に問題がないのに、なぜ受け入れないのか。データを信用しないで一体何を信用するのか。
このようなニュースを聞くだび、どうしようもない脱力感を禁じ得ない。この反対する住民達は、自分達は被災地の痛みを分かち合うつもりはない、被災地は勝手に死ね、と言っているのだ。表面では同情しているような顔をして、その実、自分達が被災地のために犠牲を払うつもりは一切ないのだ。震災後に被災地で随所に見られた助け合いの精神は、被災地以外の人間には、全く存在しない。
今回の途方もない原発事故を機に、人々の心は、完全におかしくなってしまった。これらの人たちは、普通であれば地球上に放射線など存在しないとでも思っているのだろうか。那覇まで逃げたあげくに青森の雪の放射能を指弾する人たちは、今でも福島県に住んでいる僕らのことを、狂人と思っているに違いない。 |
2012/2/22 (Wed.)
小山放浪

小山駅。震災の日、ここには闇の中帰宅不能者があふれかえっていた |
出張で栃木県の小山に泊まることになった。夜11時に小山駅に着き、腹が減っていたので食堂を探すが駅の近くにはラーメン屋が1軒のほかには居酒屋しかない。こうなりゃコンビニで弁当を買おうと思い、駅前のローソンに入ったが、ロクな弁当が売っていない。
仕方なく、別のコンビニを探すが、見当たらない。放浪の末、駅から10分くらいのところに吉野家を見つけたので、吉野家で食うことにする。
小山ではいつも歩き回っている。これが3度目だ。
1度目は2年位前、栃木の事業所のメンバーの送別会後、麻雀をしに行き、大負けをして、金が足りなくなって小山駅周辺のコンビニを探したのだが、金を下ろせるコンビニが全然なくて、30分以上歩き回った。
2度目は忘れもしない1年前。3月11日である。栃木の事業所で被災した僕は、同僚4人とともに会社の車で小山駅まで着いたものの、そこからは完全に動きが取れなくなった。停電で電車は動いていない。西口にあるホテルに無理をお願いし、ホテルの方の好意で真っ暗の中奥のレストランで寒さを凌がせてもらった。その後夜になって、帰宅できない人々は避難所に集まっているというので、灯の消えたままの異様に暗い街を歩き、道に迷いながらも避難所となっている小学校に何とかたどり着いたのだ。
それ以来の小山宿泊。いつもの電気が点る街。宿泊場所に選んだのは、当然、1年前に恩義を受けた西口のビジネスホテルである。ここの支配人は韓国の人で、フロントの青年も東南アジア系の若者である。国際色が豊かなホテルだ。泊まっている人間はほとんど日本人だと思われるが。
1年前、「次小山に泊まる機会があったら、迷わずこのホテルに泊まろう」と同僚と話していたのだ。1年越しでやっと少しは恩を返せた。 |
2012/2/2 (Thu.)
路面凍結
昨晩の強風により、今朝の路面はカチンカチンに凍結した。今朝はコンビニに用事があっていつもは通らない路地を通ったのだが、これが裏目に出る。路地はツルツルの凍結で大渋滞。普段はあまり車通りが多くない通りが、一変している。コンビニで用事を済ませた後、通勤道路である4号バイパスに上がるのに30分もかかった。さらに4号もずっと渋滞。会社にたどり着いたのは、10時15分。いつもなら15分の道のりを、2時間近くかかったことになる。郡山に移転してから最長の通勤時間だ。去年も何度も雪による渋滞があったが、会社には1時間強くらいで着けていたので、今日は特別だ。
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