2021/2/26 (Fri.) 〜 2/28 (Sun.)

50Hz専用の1992年製電子レンジ |

ヤンゴンの屋台。銀色のボウルに様々なおかずが入っている
(ヤンゴン/ミャンマー) |
ダラダラの連休終盤
9連休の最後の3日間は、太平洋側で波が高かったので磯釣りができず、結局家で荷物を整理しながらダラダラ過ごした。
荷物整理で愕然としたことは、せっかく持ってきた電子レンジが、50Hz専用のため使えなかったことである。これはずっと前に友人からもらったもので、1992年製造の日立製。29年前の製品ながら、まだまだ使えるだろうと持ってきたのだが、まさか50Hz専用品だとは思わなかった。呆然。
27日土曜日、仕方がないので電子レンジを買おうと思って日南のヤマダ電機、ケーズデンキに行く。電子レンジなどの家電購入の際、「下取り」対応というのがあるらしく、ヤマダ電機で聞いてみたら、いまは下取りはやっていないとのこと。ケーズデンキでも、ある特定の高い機種を買うときしか下取り対象とはならないとのこと。
機種を決めきれなかったので、結局電子レンジは買わずに、2000円ほどのオーブントースターだけ購入する。これでトーストが食べられる。
翌28日日曜日、再び日南のヤマダ電機に行き、ゼピールという日本メーカーの単機能レンジを6500円ほどで買い求める。ヘルツフリーなので、日本全国どこでも使える。50Hz地域だと最大500Wになってしまうが。
ここ1年間、電子レンジのない生活を続けてきたので、特に電子レンジがなくても構わないのだが、せっかく持ってきた電子レンジが使えないというショックは大きく、安い製品があったので買った。
<後日談>
電子レンジのない生活に慣れてしまい、電子レンジを買ったはいいものの、ほとんど使っていない。1週間に一度程度の使用頻度である。 |
2021/2/25 (Thu.)

空 (愛媛県八幡浜市) |
引っ越し荷物搬入 晴れ@串間市
朝10時過ぎに引っ越し業者の方々が来て、荷物の搬入。
あっという間に終わると思っていたが、PC机がうまく組み立てられずに時間を食う。千葉のチームが宮崎のチームに対し、きちんと机の組み立て方を共有していないらしい。これじゃぁダメでしょ。やや面倒な構造の机を解体したのなら、組み立て方をきちんと教えておかなきゃ。
机組立に30分くらいかかるが、なんとか組立終わり。11時過ぎに搬入完了。
部屋の中に大量の段ボールが山積みとなり、一気に狭くなった。
膨大な物量にしばし呆然とする。部屋を引き払うときのすっからかんとなった部屋にたたずむ場合、本当に寂しさに充たされるのだが、部屋にモノがあり過ぎるときには呆然とするしかない。
この日は少しずつ段ボールの中身を取り出して、部屋に配置していった。 |
2021/2/19 (Fri.) 〜 2/24 (Wed.)

炎の走りで何とか22時発のフェリー「ゆうなぎ」に乗り込む
(大分県大分市の佐賀関港) |

讃岐富士と呼ばれる飯野山。丸亀市、坂出市、飯山町の境に
そびえる独立峰(香川県) |

うどん県、香川(津田の松原サービスエリア) |

うどん県、香川.。そして、香川と言えば弘法大師の生誕地
(津田の松原サービスエリア) |

うどん県、香川(津田の松原サービスエリア) |

土山サービスエリアで買った豚まん。関西では「肉」といえば牛肉を
指すので、関東で「肉まん」と呼んでいるもの(豚肉が入っている)を、
関西では「豚まん」と呼ぶ。そして、辛子がつくのが関西風
(三重県甲賀市) |

ガストで友人たちと会食(千葉県千葉市)
|

引っ越しが終わり、すっからかんになったトランクルーム(千葉県千葉市) |

八幡浜市内のアーケード。ちょっと寂しい |

八幡浜のソウルフード、ちゃんぽん(愛媛県八幡浜市) |

海に向かう断崖に穿たれた砲台跡(佐田岬の豊予要塞) |

地図で見ると、佐田岬の先端は、九州のすぐそばまで突き出ている |

四国最西端 |

佐田岬突端の先にある御籠島。右に見える四角いイケス状の
畜養池でつながっている |

暴風の磯で釣り(佐田岬) |

ベラしか釣れない |

三崎港前にあるお土産屋。名物じゃこ天を求める(愛媛県伊方町) |

伊予のソウルフード、じゃこ天(右)とじゃこカツ(左) |
帰省
2月22日(月)〜26日(金)の1週間、有休を取る(23日は天皇誕生日のため祝日)。
法律上、1年間で有給休暇は5日間取らねばならないらしく、私は今年度1日しか取ってないので、3月末までに残り4日取らねばならぬ。
よって、20日(土)〜28日(日)まで9連休。
これを機に千葉に帰省する。目的は、引っ越し。2019年8月に宮崎県に越した際、車で積めるだけの荷物だけは積んできたのだが、本格的な引っ越しをまだしていなかった。ずっと千葉にトランクルームを借りて、毎月バカにならない金を払って膨大な荷物を保管していた。
千葉に帰省するのは2019年の年末以来、1年2か月ぶり。コロナ禍のため、この1年間首都圏への帰省はとてもできなかった。
いままた、2度目の緊急事態宣言真っ最中の首都圏に戻るのは気が重いが、このままではいつまで経っても引っ越しができないので、ここで意を決して帰省する。
2月19日金曜日。
仕事を17時過ぎに切り上げ、17:45、N−VANに乗って千葉に向かう。と言ってもこの時間からでは今日は愛媛県にたどり着くのが精一杯。
始めは、北九州から東京までのフェリーを使うことも考えたが、フェリーが怖い。これは私の偏見かもしれないが、閉鎖空間で2泊3日というのは感染リスクが高すぎるのではあるまいか?
もちろん、感染対策は万全だろうから、実は非常に安全な乗り物かもしれない。だが、人と距離が近いのは明白だ。たとえ乗船前に検温をしても、心理的不安というのがぬぐえない。これじゃあ私も風評被害の加担者じゃないのか?
それ以外にも、2泊の間、4食も冷凍食品かカップ麺しか食べられないというのが非常に気が重い。35時間も乗っているのに、フェリー内に食堂がないのだ。これもかなりのマイナスポイントだ。基本的に海を見ることくらいしかすることがない船内で、食事が楽しめないのは大きな痛手となる。
さらに、車で陸路を行くよりも時間がかかること。東京到着は翌々日、21日の早朝になってしまう。
陸路なら、明日中には千葉に着ける。
上記理由により、陸路で行くことにした。ただし、大分の佐賀関から愛媛の三崎まではフェリーに乗る。それ以外は陸路。明日20日中には千葉に到着予定。
宮崎県内を北上し、炎の走り。金曜だけに疲れているのだが、何とか22時発大分県佐賀関発のフェリーに乗りたい。
このフェリーは、佐賀関と愛媛県佐田岬の三崎港を結んでいる国道九四フェリーで、過去に乗ったことがあるのだが、1時間に一本あるので、使い勝手がいい。22時発を逃すと23時の最終便となり、だいぶ遅くなってしまうので、何とか22時に乗りたいのだ。
途中から高速に乗り(串間市やその隣日南市には高速道路はない)、4時間休みなく走って(一度給油したのみ)、21:45に佐賀関のフェリーターミナル着。
22時発のフェリーにギリギリ乗れた。乗客はそれほど多くない。
フェリー船内で内子のAZホテルをネット予約。1年前にも使ったホテル。朝飯のバイキングがなかなかよろしく、値段も安いので即決。
フェリーは23:10に三崎港着。
三崎港から車で佐田岬の突端から松山方面へ向かう。すぐに道は山の中に突入する。ここから驚くべき光景が待ち構えていた。道がところどころ凍結しているのである。よく見ると、路肩に雪が積もっている。まだ冬は終わっていないとはいえ、愛媛にも雪が降るとは。
ノーマルタイヤなのでビビりながら、凍結道をのらりくらりと走る。
フェリーから下りた車は、みんな佐田岬の突端から根元の方に向かって同じ道を走っている。この日本一細長い岬の国道は、山道でトンネルも多い。
慎重に運転し、ようやく山を降りたような雰囲気となり、家が出てくる。と雪も消える。
腹が減った。もう午前0時。煉獄さん並みの炎の走りだったので、休憩する暇もなく、夕食を食べていない。フェリーには食堂はなく、カップラーメンの自販機しかないので、食べるチャンスがなかった。
街に入ると、なんとジョイフル(ファミレス)が開いていた。このコロナ禍で、夜中やっている店があるとは思っていなかったが、確かに私の住む宮崎県南部でも、ジョイフルは午前1時までやっている。
すかさず入って遅い夕食。真夜中に背脂たっぷり鉄鍋醤油ラーメン。ライス付き。夜中に食べる食べ物ではない。
内子のAZホテルに到着したのは、午前1時前。シャワーも浴びずに眠る。
2月20日土曜日。
8:30起床、朝食のバイキング。コロナ禍下ではバイキングを止めているホテルも多いが、ここは変わらずバイキングを提供している。
感染防止のため、料理をよそうトングを直に触らないよう、手袋が用意されているべきなのだが、使い捨てプラスティック手袋が品薄で手に入らないとのことで、代わりにビニール袋が置かれている。ビニール袋を手にはめてトングを扱うのは難しいが、仕方ない。
バイキングはいい。満足満腹。
10時前に千葉に向けて出発。天気はいい。長距離運転にはいい日和だ。
3時間に一度ほど給油休憩を取らねばならない。これが一番煩わしい。前にも本ページに書いたが、以前乗っていたインテグラでは、一度給油すれば600km〜750kmくらいは走れたので、高速でも6時間くらいは連続走行できたが、N−VANでは、高速走行の場合燃費が極端に悪くなるので、ガソリンタンクの小ささも相まって、わずか300kmくらいしか走れない。3時間に一度給油しなければならないのは厳しい。せめて4時間走って休憩、というような周期がちょうどよいのだが、こればかりは仕方ない。
今日は愛媛から千葉まで、ほぼずっと高速を走ったので、高速のサービスエリアにあるバカ高のガソリンスタンドばかりで給油した。まったくレギュラーがリッター165円とかって、ボッタくりにもほどがある。
だが、ガス欠の恐怖が常に頭にある。時々、何10kmもガソリンスタンドがない区間があるためだ。よって、安全目に、ギリギリまで粘らずに、ガソリンを入れていく。
N−VANは軽なので、高速では燃費がガタ落ちとなる。車に表示される燃費情報を見ると、120km/hのスピード出してしまうと、おそらくリッター10km〜12kmまで落ちると推測される。
100km/hでリッター12km〜15kmくらいだろうか。
新東名の最高制限速度は120km/hなので、ついついスピードが出る。他車も相当のスピードを出している。走行車線でも120km/hくらいの巡行で流れる。
だが、路面がいいのか、コース取りや道幅や視界に工夫がしてあるのか、それほどスピードが出ている気がしない。いい道路だ。
ただ、あまりスピードを出したくない人にとっては、いい道路ではないだろう。
愛媛から四国を東進し、淡路島を渡って神戸、大阪、名古屋、首都高速で千葉。
香川県では、高松の少し先にある津田の松原サービスエリアに入る。香川はいまや「うどん県」として大々的に売り出し中である。様々なうどんの打ち出しがあふれている。
東名高速では、電光掲示板に「町田辺りで渋滞○km」とずっと表示されていたので、戦々恐々として町田に近づいていった。高速を降りて回避した方がいいのか、いや、そのまま渋滞に突っ込んだ方がいいのか。
「えい、ままよ!」とばかりに町田に突っ込んだが、まったくラッキーなことに、私が通過した時には渋滞が解消したあとだった。ラッキーすぎる。
いつもは首都高ではなく、アクアライン経由で木更津周りで帰ってくるのだが、首都高は遅い時間でそれほど渋滞はないだろうと推定し、首都高で帰る。渋滞はなし。
千葉までスイスイと渋滞なく帰って来れた。それでも、実家に着いたのは21:30。愛媛から千葉まで走行距離約900km、休憩込みでほぼ12時間。
2月21日日曜日。
今日は、明日の引っ越しに向けて、荷物を整理する。具体的に言えば、持って行くものと持って行かないものをより分ける、ということだ。
朝から実家の自分の部屋に溜まった品々を梱包する。本やテレビ、ブルーレイレコーダーなどを車に積み込む。
そして車で30分ほどのところにあるトランクルームに行く。ここは3畳のトランクルームに膨大なモノが積み上がっている。
まあ、ほとんどを持って行くつもりだが、なかでもこれはさすがに必要なかろう、というものを車に積み込んで、実家の部屋に移動する。
余談だが、トランクルームの目の前にあったローソン100が閉店してしまっていた。安くて好きだったのだが、残念。はす向かいにセブンイレブンがあるのだが、私はここに来たらセブンイレブンで買うことはまずなく、決まってローソン100で買い物していた。それがセブンイレブンに敗れるとは。
午後4時、整理終了。
午後5時から友人3人とガストで会食。
せっかく1年ぶりの千葉なので、どこかの居酒屋で酒でも飲みながら、と思ったのだが、いまは緊急事態宣言中で、千葉県内では夜8時に店が閉まってしまうそうだし、居酒屋はやはりリスクが高いだろうと、近くのガストに集まることにした。だが、ガストまでもが夜8時に閉店するそうである。ファミレスが夜中1時までやってる田舎とは大違いだ。
3人のうち2人は昨年7月に串間まで遊びに来たので、それほど久しぶりの感じはしない。
4人で政治、経済、国内外の情勢について論じる。
様々な話の中でもっとも私に衝撃を与えたのは、友人Oが「いまは砂糖、砂糖を含む食品をを食べていない」と宣言したことであった。
理由は、砂糖に含まれる果糖が、脂肪肝、超悪玉コレステロールの原因となるので摂ってはならない、という。
Oは一人暮らしで、もともと砂糖を使って料理をしていたし、シュークリームには目がなかったそうだが、今は一切口にしていないそうである。
後で調査したことだが、街に売られている加工食料品には、ほとんどすべて砂糖が入っている。
それについては後述することにして、私が衝撃を受けたのは、彼が砂糖を摂っていない(後で聞くと去年7月以降、もう半年になるそうだ)こともそうだが、彼が異様に健康そうに見えたことであった。たまにしか会わないので何とも言えないのだが、Oはいつもそれほど健康そうには見えないのだ。少なくとも前回会ったとき(多分1年2か月ほど前)に比べると、肌つやはよく、妙に体調が良さそうであった。
本人は、「病気にならないため」に砂糖を摂らないようにしたというが、実際、健康診断では、ずっと抱えていた不整脈が解消されたそうである。不整脈が砂糖不摂取と関係しているのかは分からないが、とにかく、彼がすこぶる健康そうであったことが、砂糖不摂取に対して私に大いなる興味を抱かせることとなった。
午後8時、まったく話し足りないが、時間通りにガストは閉店となり、解散。
本当にファミレスが夜8時に閉まってしまうなんて、なんて世界だ。
その後、今日仕事で来れなかったUの家に行って少し話す。Uも釣りキチなのだが、最近の釣果は今一つのようだ。
Uは、Oの砂糖不摂取の話を聞いて、「人間、好きなもの食べればいいんだよ。その方がストレスにならないでしょ」とまずまずまっとうなことを言ったが、好きなものを好きなだけ食べた結果肥満や病気になった人が大勢いることもまた事実である。そういえばUは、子供の頃から50を過ぎた今まで、全く太ったことがない。
糖尿病になって食事制限なんて、やっぱり嫌ではないか。
それに、我々はもう、若くはないのだ。
2月22日月曜日。
今日は引っ越しの日。10時過ぎ、トランクルームに引っ越し業者が来て、膨大な荷物をトラックに積み込んでいく。
11時過ぎには積み込み完了。串間での引き取りは3日後の25日。それまでには串間に帰らねばならない。
千葉駅に移動し、昼食。何度か行ったことのある定食屋は、13時直前で閉まりかけていたがギリギリセーフ。カツオの刺身とクリームコロッケの定食。いい。
その後いくつかの銀行で通帳記入する。私の住む宮崎県には大手の都市銀行はないので、通帳記入は大都市に行ったときにしかできない。
ヨドバシカメラとauに寄る。ヨドバシカメラは、宮崎どころか、九州にはほとんど存在しない。おそらく、博多にあるだけだろう。
平日の昼間、確かに明日は祝日なので飛び石の平日であるが、千葉駅周辺の繁華街には、普通に人がたくさん出歩いている。外出自粛という感じはまったくしない。コロナ前の2019年年末以来の千葉繁華街だが、人々が全員マスクをしている以外は、街に変わった様子はない。もっとも、全員がマスクをしていることが劇的な様変わりではある。
人出だけを見た限りでは、緊急事態というのも有名無実のようだ。これでは感染者が減らないわけである。
夕食は実家で久々に家族4人で食事。ウナギ。本当に久しぶりにウナギを食べた。今やウナギは超高級食材で、スーパーでも1尾1000円ほどする。昔398円ほどで売っていたのが夢のようである。
明朝は早く起きて宮崎に向けて出発する予定なので、午後9時過ぎには眠る。
2月23日火曜日。天皇誕生日で祝日。
朝5:30起床、6:25宮崎に向けて出発。といっても今日は1日かけて愛媛までの予定。愛媛が精一杯なのだ。
往路同様、ずっと高速道路を走る。今日は首都高経由ではなくアクアライン経由。
天気はいい。雪を頂いた富士山が青空にくっきりと映える。
帰りも順調。祝日だがほとんど渋滞はない。
午後6時半、愛媛県八幡浜に到着。八幡浜市は、行きに泊まった内子町よりも西、佐田岬の付け根に位置する。
途中のサービスエリアで、佐田岬を有する伊方町(伊方原発を聞いたことのある人もあろう)の民宿に泊まろうと思って、何軒かに電話をかけたが、やはり営業休止中とか、長期の人が泊まっていて泊まれないとか、電話がつながらないとかで結局予約できず。コロナ禍が影を落とす。
じゃらんで調べて八幡浜のホテルを予約する。
ホテルにチェックイン後、飯を食いに出かける。八幡浜のソウルフード、ちゃんぽんを食べねばなるまい。
フロントの人の話では近くにアーケードがあるので、食べるところは多い、とのことだったが、アーケードは地方によくある、シャッターの多いアーケードで、焼鳥屋が開いている以外は、ほとんどシャッターが下りている。まだ午後7時半。
アーケードを諦め、グーグルマップで調べた食堂に行くが今日は閉店。その近くにも食堂があったが、ちょうど私が行ったときに閉店してしまった。サンプルが並んでいるショウケースを見ると、ちゃんぽんもあったので残念。
さらに歩いて、やっと開いている食堂を見つける。入口に、県外の方はテイクアウトのみ」という貼り紙があり、躊躇したが、地元民のフリしてカウンター席に座る。誰も客はいない。
ちゃんぽんを頼む。八幡浜ではなぜかちゃんぽんがソウルフードである。多くの食堂にちゃんぽんがメニューとしてある。
出て来たちゃんぽんは、長崎のちゃんぽんとそれほど変わっているようには見えなかった。
明日は佐田岬のどこかで釣りをしたいので、近くの釣具店でオキアミと配合エサを購入する。釣具屋のニーちゃんに、この辺りでいい地磯がないかを聞くと、グレならば、佐田岬灯台の駐車場から降りていく地磯がいい、という。降りられる道か?と聞くと、背負子があれば大丈夫とのこと。40cmくらいまでのオナガ、口太が出るというから、明日はそこに行くことにする。
ホテルに戻り、22時就寝。
2月24日水曜日。
朝6時に起き、6:45に7階で朝食。和食と洋食から選べるのだが、私はチェックイン時に和食を選んでおいた。景色はいいが、朝食はややしょぼい。小品が多いのだが、インパクトに欠ける。まあ、正しい日本の和食朝食とは言える。
チェックアウトし、佐田岬灯台へ向かう。天気はいいが、風が強い。
出勤時間の八幡浜市街には、人も車も多い。通勤、通学のサラリーマンや学生たちがバスを待っている列がそこかしこに目立つ。
街を通り過ぎ、日本一細長い佐田岬に入り、また山道。来たときは雪が残っていたが、ここ数日ですっかり融けたようだ。
メロディーラインに音楽が流れる。
佐田岬灯台の駐車場着。しかし磯ははるか下。どうやって降りるのかと思案する。
すると、案内板の横に道があり、ここから歩いて灯台に行くらしい。背負子とロッドケースを背負って歩き始める。
遊歩道風の舗装道を歩いて灯台方面に向かうが、どこもかしこも断崖で、磯に降りられそうな場所はない。
1か所、浜に降りられる場所があって、そこの先には磯場があったのだが、海の断崖に付けられた階段を登って先に行こうとするも、道が途中で崩れ落ちており、断念。
そうこうしているうちに灯台も通り過ぎ、先の元養殖場のような四角いイケス風のところに出てしまった。畜養池というそうだ。このイケス風の四角いプールのような畜養池により、佐田岬と御籠島(みかごじま)という小さな島がつながっている。佐田岬の突端である。
イケスは海面レベルなのだが、周りの海を見てみると、やや浅い。そして、風が強すぎる。向かい風に向かっては竿を出せない。コマセが全く飛ばないであろうから、釣りにならない。
イケスの横の平坦なコンクリート部分を歩き、イケスの対岸にある御籠島に渡る。イケスでは3人の市の職員だろうか、何やらイケスに何か棒状の構造物を立てるだかの作業をしている。彼らの横を通る際、挨拶をする。
さらに階段を登ってみるが、磯に降りられるような道はない。
ここには砲台跡がある。瀬戸内海には芸予要塞など、要塞跡が多いが、ここ佐田岬にもある。瀬戸内海の南の玄関とも言えるこの豊予海峡の両岸、大分県と愛媛県にも、「豊予要塞」が建設された。太平洋戦争中のことである。本土決戦が現実味を帯びてきた昭和20年に建設された。
私のふるさと千葉県の内房にも、東京湾防衛のための要塞が建設されたが、結局本土での戦闘は沖縄戦だけで、日本中の主要都市への空襲と、広島・長崎への原爆投下により、日本は降伏した。
これらの要塞に配置された大砲に火が入ることはなかったわけである。
砲台跡に入る。トンネルがしばらくあり、海が開ける。大砲のレプリカが置いてある。
そして、「永遠の灯」という「幸せの鐘」のようなモニュメントがある。ここは本当の四国最西端で、それが書かれた台がある。
10kgはある重い荷物を背負い、佐田岬灯台の周りを歩き廻る。釣る場所がない。釣具屋のニーちゃんの言うこと違うじゃないか。
とうとう、釣れそうな場所を見つけるが、風をまともに真正面から受ける場所で、だが他にないのでそこに腰を据えることにする。
まずその磯場に上がるのにミゾがあり、そこを渡らないといけない。さらにちょっと高い岩に登らねばならず、2mほどの長さの、一本の細い丸太が渡してあるのだが、とても不安定で重い荷物を持ったまま渡れそうにない。またいで進もうとするが無理。上から太いロープが垂れているのだが、これは上部でつながっていないらしく、引っ張ったら引っ張っただけ降りてくる。これに体重を預けるわけにはいかない。
ここで20分くらいは岩に上がれずに立ち往生する。しかし最後は何とか岩の上に這い上がった。
暴風とも言える風のなか、風を真っ正面からまともに受けながら釣りを始める。11時。寒いしツラい。。
釣れない。水深はそれほどないが、根がガチャガチャしていそうで、釣れそうな雰囲気なのだが、釣れない。
暴風のため常に心が折れそうになりながら、なんとか午後3時頃まで釣る。結局、4時間釣ってベラ6匹しか釣れなかった。
佐田岬という相当有望な磯に来てこの釣果は残念としか言いようがない。
大いなる失意を抱えて駐車場に戻る。駐車場には、これから釣りに行く人が準備をしていた。
(あれ、やっぱりここはポイントなのだろうか?)
見ると、ルアー釣りではなく、エサ釣りのようだ。車で釣り道具や竿を後片付けしながら、彼の動向をさりげなく見つめる。
彼は、私と同じ、灯台へ向かう遊歩道へ消えていった。やっぱりどこかに磯に降りられる道があるのに違いない。見つけきれなかった。
車で三崎港へ移動する。佐田岬には三菱製の風車群が山の上に並んでいる。以前フェリーに乗ったときに全体像がよく見えた。
午後5時半三崎港発佐賀関行きのフェリーに乗りこむ。これから今日中に串間まで戻る。
佐賀関から串間まではやっぱり長かった。
しかも途中、高速道路が一部工事のため通行止めになっていて、下道を通らざるを得なくなる。
腹が減る。しかしまたまた惰性で運転を続ける。結局、宮崎市内まで入ってからやよい軒を見つけたので入る。もう夜の10時。
チゲ鍋と野菜炒め。ご飯が進む。やよい軒はご飯お代わり自由なので、3杯も食べてしまった。
串間にたどり着いたのは、もう日付が変わって夜12時を過ぎていた。
怒涛の弾丸帰省が終わる。
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2021/2/15 (Mon.)

ブダイの刺身。割とコリコリしている |

ブダイの煮つけ。うーん、味付けがいまひとつ |

ブダイのあら汁。最高 |
ブダイをいただく 晴れ@串間市
2月11日に釣った40cmのブダイをありがたくいただくことにする。
@刺身
2月13日、釣ってから2日後にまず片身を刺身でいただく。きれいな白身。
美味い。食感は、柔らかさよりも割とコリコリしている。タイらしい感じ。
ただ、何度か言っているが、私はいまだに刺身の作り方が稚拙である。多分、プロの料理人は、魚の種類によって刺身の厚みや包丁の入れ方、切る方向も変えると思うのだが、それが私には分からない。
ブダイも、身の厚み一つで、味や食感の印象が変わるに違いない。おそらく、マダイもそうだが、ブダイも割と薄く切るのが良さそうだ。
刺身とは生肉であるが、なかなか奥の深い料理なのである。
A煮つけ
ブダイのレシピで一番有名なのは、煮つけである。釣りガイド本やネットのレシピ情報などどれを見ても「ブダイは煮つけが美味しい」と書いてある。
そこで私も残り半身を煮つけで食べることにする。
2月14日、釣ってから3日後、煮つけにする。煮られた白身は、実にプリプリとしている。タラを肉厚にした感じ。繊維のところで形を保ったまま分離するような、あの感じである。
なるほどこのプリプリの白身なら、煮たときに煮崩れしないので、煮つけが合うことは間違いない。
だが私の料理は今一つであった。煮るのに時間をかけなければなかなか味が魚の身に沁み込まないのかもしれない。
そんなことよりも、そもそもとして、私の場合、煮つけや照り焼きはあまり得意料理ではない。
なぜならば、煮つけや照り焼きというのは、調味料が味の決め手であり、あの甘辛さを出すには、おそらくかなりの量の砂糖を使わねばならない。だが私は普段調理にはほとんど砂糖を使わないので、どうしても店で食べるようなあの濃厚な味を出せないのだ。
よって、ブダイの煮つけは、それほど美味い感じがしなかった。やっぱり私の場合、ムニエルにした方が美味しくいただけそうである。
Bあら汁
2月15日、釣ってから4日後に、カマや骨を使ってあら汁を作る。味噌味。
煮つけから一転、あら汁は絶品だった。前回のヘダイではやや出汁が出てない感じがしたのだが、料理法はほとんど変えてないにもかかわらず、ブダイではかなりいい出汁が出た。また例の、貝汁の味が濃厚に出たのだ。素晴らしい。ヘダイと変えたところとしては、今回味噌味にしたのだが、味噌を入れた方が魚から出る出汁の味がより明確に味わえる気がする。
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2021/2/13 (Sat.) 〜 2/14 (Sun.)

私が釣りをしていると必ずこぼれたコマセを食べにやって来る鳥。
調べてみると、イソヒヨドリのようだ(鹿児島県肝付町内之浦の磯) |
雨の週末 雨@串間市
今週末は天気が悪く、ダラダラ過ごした。
今週届いた『東京喰種』漫画の古本をずっと読んでいた。
2月14日日曜日、満潮が19:49(志布志)だったので、夕方から満潮に合わせて、菱田川の河口にルアーを投げに行った。この週末ずっと雨が降っていたが、まだ降ってる。
菱田川河口の釣り場には、いつもは誰もいないのに、たくさんの車が停まっていた。後で分かったが、これはシラスウナギ(ウナギの稚魚)獲りの人々だった。
仕方なく福島港へ。福島川河口と福島大橋の下でそれぞれルアーを投げるが、アタリなし。19時〜20時まで釣って何も釣れず。 |
2021/2/11 (Thu.)

ブダイの雄40cm(鹿児島県肝付町内之浦の磯) |

ブダイには失礼だが、ちょっと間抜けな顔をしている |

サンノジ41cm。引きが強すぎて元気な間は制御不能 |

41cmのサンノジに磯際に突っ込まれ、ハリスが擦れて剥けてしまった
切れる寸前 |

ブダイの鱗は巨大 |
内之浦 磯釣り 曇り@肝付町
建国記念日の祝日。4:30起床、6:45内之浦着、いつもの地磯で8時過ぎから釣り始める。
海は凪ぎ、風もない。釣りはしやすいが、こんな日に釣れるわけではない。
1時間近く何も釣れなかったが、9時前に強い引き。またまたヘダイだった。39cm。
2週間ほど前と全く同じパターン。ここはヘダイ場になってしまったのだろうか?リリース。
これからまた釣れないのも、前回と同様。いや、小物はポツポツ釣れるので前回とは違うか。
ニシキベラの後、割と大きなアカササノハベラが釣れる。26cmだったので、ベラの最大記録かもしれない。
そしてカサゴ。これらがポツポツと釣れるが、肝心のメジナの姿が全くない。
一体この釣り場はどうなってしまったのだろうか?ヘダイが産卵か何かでやって来たことで、他の磯魚が追いやられてしまったのだろうか?
確かにヘダイは見た目はいかついが、それほど好戦的な魚食というわけでもあるまいに。
毎回ヘダイが1匹しかいないのはどうしたことだろうか?
昼が過ぎ、心が折れかかってくる。また今日もダメか・・。
しかし、午後1時前、強い引きの魚がかかる。重い。だがあまり暴れまわらない。これは何だ?
竿先を叩くようなガンガンとした動きはあまりないが、グングンと引き込むような動き。
ブダイだった。何とかタモ入れ成功し、重い魚を引き上げる。40cm。
ハリをかなり飲み込まれ、ハリを外すときに出血がひどくなってしまったので、ありがたく持ち帰ることにする。前回30cm強のブダイを大泊あたりの地磯で釣ったが、その時は持って帰らなかったのだ。
ちなみに、ブダイは雌雄で見た目が違う。ブダイというのはアカササノハベラをでっぶりと太らせたような見た目をしている。大泊の地磯で釣ったのは雌で、雌は色はアカササノハベラみたく、赤みがかったピンク色で、大小の斑紋が入っている。一方、雄は青みがかっている。実は釣った時は、何しろ釣ったことがなかったのでアオブダイか?とも思ったのだが、家に帰った後ネットで質問してブダイの雄だと確認できた。
口に並ぶ歯も独特だ。細かい歯がびっしりと並んでいる。ハバノリなどを好んで食べるらしいから、海草などをこの歯で磨り潰すのだろうか?
その後、凪いでいた海に波っ気が出てくる。これがどうやら磯魚にスイッチが入るきっかけだったらしい。
サンノジが連続ヒット。初めの魚は圧倒的な引きで磯際に潜りこもうとする。ハリスが岩に当たって擦れる。危ない。引きが強くて魚を制御できない。
いつ糸が切れるかとヒヤヒヤしながらやり取りを続ける。竿を立て気味にして少し強引にリールを巻き、何とか磯際から引きはがし、浮かせる。サンノジだと分かる。取り込み成功。
41cm。サンノジの最大タイ記録。
圧倒的な引き。やはりサンノジかイスズミが磯魚の中では最強の引きである。
ハリスを見ると、いたるところが擦れていて、表面が剥けている。2号だったが、いつ切れてもおかしくなかった。
その後30分後にも37cmのサンノジがヒット。これまた引きが楽しめた。
ここの磯では、釣りの間にこぼれたコマセを狙って、鳥がいつもやって来る。家で調べてみると、イソヒヨドリのようだ。青いからだに、首下が橙色をしていて、美しい鳥である。オキアミ入りのコマセが好物のようで、決まってやって来る。
15時過ぎ納竿。
7時間釣って、ヘダイ(39cm)、ブダイ(40cm)、サンノジ(41cm、37cm)と、35cmオーバーの魚が4匹も釣れた。これは一日として初めての釣果である。
ヘダイと小物しか釣れない午前は、2週間前の悪夢が蘇ったが、午後は思いがけない展開となった。これだから釣りは分からない。ずっと釣れなくても、何かの具合で突然大きな魚が釣れ始めることもあるのだ。潮汐(干満)の変化だけでなく、水温はもちろんのこと、一日のうちに変化する波や陽光、風の具合などもきっと魚の捕食活動に影響を与えるのだろう。
今日はきっと、午後から波っ気が出て来たのが良かったのではないかと思う。ブダイはよく分からないが、メジナやサンノジといった磯魚は、経験上ベタ凪よりも波っ気がある方が活性が上がる気がする。まあ、波によりプランクトンなどのエサがより動くことで魚の活性が上がる、というのは当然と言えば当然か。
ただ、波があまりに高くなると、今度は仕掛けが安定しないので釣れなくなってしまうが。
家に帰り、ブダイをさばく。
ここでまた文明の利器ことバラ引き(ウロコ取り)が大活躍。ブダイの鱗は、今までさばいた魚の中で一番大きい。直径3cmくらいある。
腹を裂くと、砂粒のような黒い粒が大量に出て来た。見た目は海苔的にも見える。岩に生えているコケのような海苔のようなものなのだろう。
ブダイは海苔エサを使って釣るのが伝統的な釣り方である。食性が違うのだ。東伊豆の地磯で釣りをした時に海苔(海草)エサでブダイを狙っているおじさんと話をしたことがある。
大量の砂のような海苔のようなものを食べているブダイが美味いのかどうか、若干不安になったが、内臓を取り、頭を落とし、きれいに洗って冷蔵庫に保管する。
食レポは後日。
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2021/2/10 (Wed.)

サイカーが暑さのため、いや雨季の雨に備えてか、傘を差して走る
(ミャンマー・ヤンゴン) |
プロスポーツキャンプ 晴れ@串間市
去年の2月にも書いたが、宮崎県は、その温暖な気候を生かし、プロスポーツのキャンプ地として有名である。プロ野球で言えば宮崎に巨人、日南に広島と西武が来る。Jリーグも多数のクラブがキャンプを張る。
プロスポーツだけでなく、大学などの運動部の合宿地としても人気があるようだ。
私の住む串間市に唯一あるホテルでは、この時期、日南でキャンプを張る広島や西武を応援しに来るファンや、運動部の学生たちで賑わうそうである。(日南市は、串間の隣市)
だが、今年は昨年の今頃から始まったコロナ禍の影響で、密集が制限されているため、プロ野球のキャンプは無観客で実施となり、また運動部合宿も低調で、前述したホテルも、いつもなら書き入れ時のこの時期に閑古鳥が鳴いているようである。 |
2021/2/9 (Tue.)

ミャンマーの典型的食事。白飯にカレー的煮つけの品々
(ミャンマー・パアン市) |

ミャンマー・パアン市の場末の食堂(2016年5月)。懐かしい |

ミャンマーの典型的トイレ。紙はない |

ミャンマーの田舎にある典型的雑貨店(パアン−ヤンゴン間) |
ミャンマーのクーデター 晴れ@串間市
2月1日、ミャンマー軍が突然のクーデターを起こし、権力を掌握した。
衝撃だ。
私は2014年2月〜2017年3月までおよそ3年間、ミャンマーのカレン州で働いていた。
ミャンマーでは、2011年に、それまで半世紀以上に渡ってきた軍政が民政移管された。だが、しばらくは軍出身の大統領がトップあった。名実ともに民政となったのは、私が滞在中に実施された2015年11月の選挙結果によってである。この選挙でアウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主同盟)が圧勝し、ここに正式な、国民の意志に基づく民主主義政権が誕生したわけである。
だがとはいえ、憲法の規定により国会議員のかなりの数が軍人によって占められており、軍の権力を削ぎ、真の民主国家となるために、憲法を改正しようというのがアウンサンスーチー氏の悲願であった。つまり、今でも軍は国政に相当の影響力を持っていたのだ。
ところが、今回の選挙でもNLDが圧勝し、危機感を感じた軍が追い詰められた末に起こしたクーデター、というのが専門家の見方のようである。
私は国際NGOに所属し、ODA(政府開発援助)の資金で運営していた職業訓練学校の運営全般をしていたのだが、この事業のミャンマー側のカウンターパートは、軍出身者が牛耳る国境省という役所であった。
国境省との付き合いでは、それほど困ることはなかった。基本的には、日本人の税金でミャンマーの若者に技術訓練をしているのだから、我々の事業に対して国境省の役人が不平不満を言うはずがない。
四半期に一度、国境省教育訓練局のお偉方に対し、事業の進捗報告をしに首都ネピドーまで行っていたのだが、その際は幹部はたいていみんなニコニコして我々の事業を高く評価してくれたし、事業がやりやすいように便宜を図ってくれたりと、事業遂行に困難を感じたことはほとんどなかった。
だがそれでも、時々困惑することはあった。
国境省の教育訓練局というところから派遣されている先生が、我々の学校に常駐しており、常に彼とのコミュニケーションが生じていたのだが、時々理不尽な要求を突き付けてくることもあった。まあ大抵は話し合えばこちらの意図を理解し、こちらの言う通りにしてくれるのだが、それでも時々は訳の分からない理屈をつけて事業を邪魔するかの動きもあった。
これは事業にはあまり関係ないのだが、卒業する生徒たちを連れて、慰労というか親睦のために、日本で言う修学旅行のような感じで日帰りで近くのビーチや有名な寺などに行く遠足を毎期企画していたのだが、ある時それが突然ストップさせられた。それまでは同じ場所へ毎期行っていたのだ。
なにやら、生徒の安全が保障できないという理由だったが、出発の前日になってその遠足を中止にせよと言ってきて、あの時ばかりは私は相当の勢いでこの国境省から来ている先生と大激論になった。彼も中間管理職の悲哀で、特に軍系出身者が多い組織なので、上の言うことは絶対で、彼自身の判断もできず、「上からの指示なので認められない」の1点張りだった。わたしはその彼の上司である責任者に電話しろと詰め寄り、大人げなく声を荒げて議論したのだが、結局遠足は中止せざるを得なかった。
あれがミャンマーで一番納得のいかない一番の出来事だったが、まあ各少数武装民族と政府軍との長年の内戦が続いてきた国でもあるので、私が想定及ばない事態が背景にあったのかもしれない。
その他では、国境省関係者が、我々の訓練学校に彼らの関係者の若者を優先で入学させろと、いわゆるコネを使った不正を言ってくることもあったが、人一倍不正や不公平を憎む私がそんなことを承諾するはずもなく、すべては候補生全員の面接により公正に選ぶ、と突っぱね、それ以上は何も言われなかったので問題はなかった。
ちょっと思い出話に終始したが、別に私はミャンマー軍人を知っているわけでもなし、軍政時代を知っているわけでもないのだが、私が確かに知っているのは、2015年、私が滞在していた真っ只中で、国民は圧倒的にNLDを支持していた、ということだ。あの時は日記にも書いているが、各候補者の写真が町や村のいたるところの木や電柱に貼られたりして、またヤンゴンでは拡声器を使った車が投票を呼び掛けて街なかを周ったりしていて、あぁ、普通の選挙活動してるんだなぁと感心したし、私が住んでいたパアン市の家の近くの投票所を見に行ったりもした(当然外国人の私には選挙権はない)けれど、国民の静かな熱は感じたものである。
そして昨年11月、その2015年以来5年ぶりの総選挙でも、ミャンマー国民は引き続きNLDを圧倒的に支持した、ということだ。それに不服の軍人が民主主義の選挙結果を武力で覆し、軍政に戻るようなことがあってはならない。
今後、ミャンマー人たちは抗議に立ち上がると思うけど、軍がもし力で弾圧したらマズいことになる。
心配だ。 |
2021/2/8 (Mon.)

ヘダイの刺身。柔らかく、甘い。 |

ヘダイのムニエル。美味い |
ヘダイをいただく 晴れ@串間市
1月30日に釣った40cmのヘダイをありがたくいただくことにする。
@刺身
2月1日、釣ってから2日後にまず片身を刺身でいただく。見た目はマダイの刺身と変わらない。
美味い。タイ特有のコリコリ感よりも、柔らかく、甘さが際立っている。絶品だ。
Aムニエル
私の場合一人身なので、30cm以上の魚ならば片身ごと2回に分けて食べることになるが、刺身とムニエル、という食べ方が多い。
刺身は外せないので、火を通した料理をどうするかというところだが、新鮮で身自体に強さがある魚は、味をつけすぎない方がいい。つまり、煮つけや照り焼きなどは、あの甘辛の味だけで美味いと思うような料理であり、魚本来の味を殺しているとも言える。酒、しょうゆ、砂糖などで味付けするあの甘辛味は、日本人の舌に完全に刷り込まれてしまっており、あの味付けに抗えなくなってしまっているので、よほど甘かったりしょっぱかったりしなければ、無条件に美味しいと思ってしまう。
で、濃い味をつけることなく魚の身の美味しさをそのまま味わえる料理の一つがムニエルであろう。塩コショウだけの味付けでシンプル。
釣ってから6日後、ヘダイのもう片身をムニエルでいただく。美味い。
ヘダイでなくても、今まで釣った魚でムニエルにした時に今一つだった魚は皆無である。そう言う意味では、魚を料理するうえで卓越した調理法だとも言えよう。
B真子
ちょっと形が崩れてしまったが、煮つけにしてみる。まあそれほど美味いものでもなかった。パンパンでないことも関係しているかもしれない。
Cあら汁
今回は塩のみで澄ましでいただいたが、私は味噌にしても塩にしても調味料の量が極端に少ない傾向があるため、味が薄かった。なら塩を足せばいいと思われるだろうが、まあ、塩分取り過ぎもいかがなものなので、そのままいただく。
もう少し魚から出汁が出てもいい。下処理の問題だろうか。
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2021/2/6 (Sat.)

『東京喰種』に出てくる数々の登場人物の中で私が最も好きなのは、
鈴屋什造であろう |

ヤギ(多分) |

野焼きの日、日南は煙に包まれる |
東京喰種 曇り時々雨@串間市
ついに、東京喰種全30冊(『東京喰種』14巻+『東京喰種:re』16巻)を読み終わった。
とてつもない読後感に浸る。壮大な物語は、多くの死者を出しながら、大団円で終わる。と書くと割とありがちなパターンかと思われるだろうが、そうではない。
素晴らしい漫画だ。絵はそれほど上手とは思わないが、その世界観と物語の構想力、想像力には、強烈に惹きつけられる。こんな世界を連載で描き切るなんて、とんでもない才能だ。司馬遼太郎に匹敵すると言えば褒めすぎだが、まあとにかく素晴らしい。
ストーリー、世界設定、キャラクター設定・関係性、謎解きの見せ方、など、その魅力は数えきれないが、読み進める度にこれほどワクワクし、夢中になった漫画は過去にあるまい。休日はもちろん、平日も仕事終わってから集中してレンタルした漫画を毎日読んでいた。
こんなに面白い漫画に出会ったのは、『釣りキチ三平』や『あどりぶシネ倶楽部』以来と言っていい。30年近く前に社会人になってからは、ほとんど漫画を読まなくなったが、いくつになっても琴線に触れる漫画というものは存在するのだと再認識できた。どの時代にも稀有な才能は必ず出てくる。
初め、漫画を読まずにアニメを通して見てしまったのだけれど、漫画はアニメとは全く違った。こんなに素晴らしい漫画なのに、アニメ化するときなぜあんな駄作になってしまったのか、理解に苦しむ。漫画を忠実にアニメ化すればいいだけじゃないか。きっと、長さの問題とか、内容が複雑すぎて視聴者が理解できない恐れがあるとかの理由で漫画の設定やストーリーをいろいろ変更したのだろうが、あれほどの駄作を見せられては、製作陣の無能を感じざるを得ない。
30冊をゲオでレンタルして3週間で読んだのだが、時間が限られているので何度も読み返すわけにはいかずに返却したので、まだ理解できていないところや伏線が回収できていないところがいくつかあると感じている。
よって、すぐにネット通販で全30冊を買い求めることにした。さすがに新品は高いので、中古で、アマゾンで『東京職種』14巻、楽天市場で『東京喰種:re』16巻をそれぞれセットを購入。30冊で4200円ほどしたが、これでこの漫画の世界観が手元に永久保存できるのだと思うと、全くいい買い物だ。
思えば、漫画を全巻揃えようと思ったことは、『釣りキチ三平』以来じゃないか。『東京探偵団』など、全巻数の少ないものは揃えたこともあったが、巻数が多い漫画を揃えたことはない。『釣りキチ三平』は、30年くらい前、たしか大学〜社会人になりたての頃、まだ持っていない巻をメモして財布に入れておいて、古本屋に行くたびに探していたが、結局全巻揃うことはなかった。
いまはネットで購入できるのかもしれない。便利な世の中だ。古本屋がつぶれてしまうわけである。
最近では『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』なども読んだが、これらを全巻買おうなどとは夢にも思わなかった。
『東京喰種』ほど、細部まで理解したくなるような複雑な物語、また大量に出てくるキャラクター同士の関係性、といったものを考えさせられる漫画もそうはあるまい。もっともっと深読みしたいと思わせる奥行きを持っている。もちろん、突っ込みどころもあるのだが、そんなことは作品の素晴らしさに比べれば些末なことである。
余談だが、『進撃の巨人』はもうすぐ完結、『鬼滅の刃』は最近完結済、『東京喰種』は連載が2011年〜2018年だが、この3作品に共通するのは、「人が喰われる」という設定である。なにか今の時代を反映しているのだろうか?
<後日談>
注文から数日後、アマゾンと楽天から全30冊が届いた。
早速1巻から再度読み進める。2周り目だ。ここからは時間を気にせずじっくり読める。
1巻を読んでいて、後半巻に比べて絵が稚拙なのに気づく。漫画家自身もこの漫画連載中にどんどん成長していったのだろう。上から目線で恐縮ですが。
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