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日記
(2011年6月)
2011/6/26 (Sun.)
郡山生活つれづれ

僕は震災後2週間郡山に帰れず、2週間後ようやく帰ったときに、洗濯機が転倒していて、破損した給水ホースから水がダダ漏れになっていたことは報告した通り。水道料金が一体いくらまでいったのか。不安の1次請求書は、大分前に来た。17000円を超えていた。
「まぁ、こんなもんか。2週間近く水が出っぱなしになっていたんだからな・・・」
とひとりごちて肩を落としたのだが、震災による減免措置とかで、結局請求は何と、普段よりも安い3139円だった。行政もたまには被災者を考えた措置を取ってくれるものだ。

ガイガーカウンター商売は、特需というか、ボロ儲けだ。品薄で値段が急騰している。人の不幸を食いものにして儲ける。全く人道にもとる行為である。だが、ここ福島県では、その需要は旺盛だ。みんな、何とかして放射線から逃れようとしている。
こんなん、個人に買わせるんではなくて、国が大量に買い取って、無償で庶民に配るくらいのことをすべきである。どうせ政府は、浴びていい放射線量の基準なんて示せやしないし、今一番求められている、汚染された地域の調査と除染にも全く着手しないのだから、せめてそれくらいのことをしてくれてもいいのではないか。ま、「無責任だ!」と結局糾弾されるのかもしれないけれど。とにかく、本当に今の政府のリーダーシップのなさ、全く何もしない無為には呆れ返るばかり。課題を的確に把握し、速やかに対策を打っていく、というごく普通のことがいつまで経っても出来ないという、恐るべき無能人間の集まりだ。お前ら、みんな福島に移住して来い!そうすりゃ、問題が見えてくる。

さて、ガイガーカウンター販売は、今やネット販売はもとより、レンタルも盛んだ。ネット販売では、訳の分からない外国製を売りつけられ、取扱説明書が外国語のため読めない、というトラブルもあるらしい。
放射線関連機器の販売は、この事態が収束するまで、大変な売り上げを上げるだろう。
私の会社でもガイガーカウンターを手に入れている人がかなり多くなってきている。彼らの測定結果を聞いていると、面白く、僕も1台手に入れて、野山を、街を駆け巡り、測定しまくってみたくなる。まぁ、絶対に買わないけど。放射性物質が偏在していることは前にも書いたが、興味深い話として、同じ続きのコンクリートの上でも、雨の当たるところと当たらないところとで、放射線の量が大きく違うそうである。雨の当たるところの方が線量が高いのだ。
まさに、黒い雨である。広島に原爆が投下された後、黒い雨が降り、それを浴びた人々が被爆したという。雨に放射性物質が含まれていたのだ。
梅雨の季節になり、ここ郡山でも雨が多く降り始めている。僕は今まで通り平気で雨に濡れているが、この話を聞くと、雨はヤバイという思いがさすがにしてくる。郡山で降る雨は黒くはないものの、放射性物質が凝縮されているのか、と思うと、迂闊には浴びれない。

僕の周りではほとんどの人が罹災証明を取っている。僕もいくつか物が壊れたが、津波で家が流された人たちに比べると、ほとんど何も失っていないし、「俺は被災者だ」と胸を張っていいのか?と思う。さらには、これを取って高速道路が無料になって、それをいいことに旅行するのが果たして正しいことなのだろうか?否、被災地のために高速料金を払うべきなのではないか?という良心の呵責がある。
ま、別に高速無料のために取るわけでもなし(いや、まぁそれがほとんどの理由なのだけれど)、被災していることには変わりないのだから、と思い直すことにする。放射線被害を受けていることは間違いないし、それから逃れるための高速利用、と自分に言い聞かせる(笑)。近々取りにいくことにしよう。
2011/6/12 (Sun.)
放射線恐怖は、人間性を残酷に映し出す

福島県から、人々が続々と逃げ出している。放射線恐怖だ。
この状況に対して国は何もしない。一応原発30km圏内とその他一部地域に対して避難勧告を出したのみ。つまりは、それ以外の地域は、大丈夫だということだろう。しかし、庶民はそのようには考えない。
放射線がはびこるこの場所から、逃げるか留まるかは、各人の判断と財力に委ねられている。

この究極の世界に、どう対峙するのか。ここに至り、人間としての生き方というか価値観というか、この状態に対して各個人がどう振舞うのか、その行動が、赤裸々に各個人の人間性を峻別している。
逃げる人。居続ける人。もちろん、様々な事情でここから逃げたくても逃げられない人もいるし、逃げたくないけれども小さな子供がいるために退去を余儀なくされる人もいる。小さな子供がいても逃げない人もいるし、自分は逃げたくないけれども身内に懇願・強制されてこの土地を後にする人もいる。
逃げる理由は、放射線だけじゃなく、地震もあるのかもしれない。

僕の周りでも、いろいろな人がいろいろな行動をしている。
7万円のガイガーカウンターを買って、どこが線量が高いか、低いかをくまなく調べる人。
(外、家の中、車の中、1階、2階、3階、コンクリートの上、土の上。側溝とか雨どいの線量は、数10マイクロシーベルト/時まで跳ね上がるらしい)
ガイガーカウンターで、線量が低い場所を調べ、そこに引っ越す人。
(放射性物質は、偏在しているらしい。国道を1本挟んだ東と西で大きく放射線量が違うような、そんな場所がある。福島と郡山は放射線量が高め。もっと原発に近い場所が全然低かったりする。盆地だから溜まりやすいのか?)
全く無頓着に、子供たちを外で遊ばせる人。曰く、「ずっと家の中にいたら、そっちの方が身体に悪い」。
毎日完全防備の合羽を着て通勤し、会社に来たらそれを捨て、帰りに新しい合羽を着て帰る。それを毎日繰り返す人。
震災前と同じように、毎朝欠かさずジョギングをする人。
水道の水が危ないといって、ミネラルウォーターしか飲まない人。
原発の水素爆発以来、家の窓を一度も開けていない人。
震災以来、一度も会社に来ていない人。

この世界に、神経質に対応するのか、無頓着でいられるのか。
少しでも放射線を浴びない工夫をするのか、普通の生活をするのか。
何としても放射線をシャットアウトしようとすることがストレスになると分かっていても健康のために前者を取るか、いやストレスこそが健康に悪いと考えて震災前と同じ生活をするのか。
本当にこの世界は、残酷なくらいに人々の人間性を外側に映し出す。平時の世界であればおよそ考えられないことが起こっている。
僕は全く気にしないので、極端に神経質な人を見るたび、何ともいえない複雑な気持ちになる。彼らにとっては、ここにいるだけで刻一刻と受けるストレスが増大していく。そして、そのストレスをどこに向けて発散したらいいのかを知らない。何しろ、こういう人たちは、外に出て活動したりしたくないのだ。

問題なのは、危険がどの程度なのかが分からないことだ。身体に害のない低い線量を浴び続けた場合の医学的統計など、存在しない(僕の知る限り)。毎日24時間外にいたとして、年間に浴びる放射線量は、今の郡山の線量でせいぜい10ミリシーベルトほどだ。
ただし、毎日数マイクロシーベルト程度の微量な放射線を間断なくずっと5年も10年も浴び続けるとどうなるのか。誰も答えを持っていない。

この線量が今後も続くとすると、10年浴び続けて、癌の発生率が0.5%増加するというデータがある100ミリシーベルト。そもそも多くの時間を線量の低い屋内で過ごすので、僕は全然大丈夫だと思っているが、「放射線は少しでも浴びたら害」という人の気持ちが分からないこともない。「浴びないに越したことはない」ってやつだ。(何もなくても地球にいれば人は2.4ミリシーベルトほどの放射線を年間に浴びているらしいのだけれど。)

このまま原発が安全収束しない限り、ここに住む人々の気持ちの中に、時とともにストレスと不安が増大していく。すなわちそれは、人々の心がどんどん殺伐化することであり、放射線で住みにくいというよりも、人々の不安定な心が住みにくい街を作り出すことになるのが、何ともやるせない。
津波の悲劇とは全く違った質の悲劇が、ここ福島を襲いつつある。
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