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日記
(2010年3月)
2010/3/27 (Sat.)〜3/28 (Sun.)
中京競馬場

深夜2時半、妙高サービスエリアの樹氷(新潟県妙高市)

徹夜運転でたどり着いた、朝6時の刈谷サービスエリア(愛知県刈谷市)

中京競馬場(愛知県豊明市)

GTデー、熱気のパドック

今週末の開催をもって、愛知県名古屋近郊豊明市にある中京競馬場が2年間の改修工事に入る。この工事中、馬場が改造され、平坦なコースが特徴だった中京の直線に、坂が出来るそうである。
そこで僕は、改修前に、行ったことのないこの中京競馬場に行くことにした。本当なら、新幹線で名古屋まで行き、名古屋市内観光やナゴヤドームでの中日−広島戦観戦を組み込んだ1泊2日の土日豪華ツアーで贅沢に行ければよかったのだが、27日土曜日、ネットで馬券を買って負けたため、土曜の夜に車で出発し、日曜に現地で競馬をやって終わったら日曜中に車でとんぼ帰りするという、超強行軍で行くことにした。ガソリン代はかかるが、高速で行けば愛知までETCの休日割引で片道わずか1000円である。新幹線で行くのに比べ、2万円は節約できる。これを日曜の競馬に突っ込めばよい。往復で1300km、ほとんど眠れないだろうから、体力的には相当きついがやるときはやらねばなるまい。

土曜の夜、亀田興毅が世界戦で敗れるのを見る。僕が最も嫌いなタイプの人間だが、冷静に考えると、メディアに対し優等生的な受け答えをするアスリートが多い昨今、メディアの前でこれほど自分の我を通す有名人も今どき珍しいわけで、ちょうど同タイプの朝青龍が引退した今、結構貴重な存在だという気もしてくる。

さて、夜11時前。僕は寝袋と厚手のコートとさっき作ったサンドイッチを車に積み込み、出発した。まず近くのガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、郡山JCTから高速に乗る。名古屋までどうやっていくか。もちろん、1000円で行くために、首都高経由ではない。確かに東京経由(東北道⇒首都高⇒東名道)で行くのが時間的・距離的に最短なのだろうが、競馬で負けた今、1000円で行くことにこだわる。中京競馬場の最寄ICである豊明ICまで、北陸経由で行くことにする。参考までに、行程を紹介しておこう。磐越道で新潟、そこから北陸道・上越JCTから上信越道、そして長野道⇒中央道⇒東海環状道⇒伊勢湾岸道を経由し、豊明ICまでたどり着く。片道走行距離約650km。通常の高速料金は12950円。これが週末ならたったの1000円である。
夜中の磐越道、会津ではやはり雪が降っている。新潟の北陸道も湿っぽい雪。上越JCTから上信越道に入ると雪が激しくなる。妙高に入った午前2時頃、サービスエリアに入るように誘導され、走行しているすべての車が1台1台、冬タイヤを履いているかどうかをチェックされる。こんな大雪の降る真夜中に、Nexcoの職員だろうか、警察だろうか、全くご苦労なことである。
しばらくして疲れたので妙高サービスエリアで休憩する。午前2時20分。自販機のホットコーヒーを飲み、震えながらタバコを一服。寒い。雪がうずたかく積もっている。駐車場に植えられている木々が、樹氷となっている。
再び車を走らせる。金曜の夜、もっとも疲れている時間帯だが、なぜかそれほど眠くはない。目を血走らせて運転を続け、ついに夜が明ける。6時過ぎ、目的地・豊明ICの直前の刈谷サービスエリアで休憩。朝のすっきりしない曇天の中、近くに巨大な観覧車が静止している。
さすがに眠い。作ってきたサンドイッチを食べる。中京競馬場に電話してみると、今日はGTデーなので、もう開いている駐車場があるという。他の駐車場も6時半か7時には開くとのこと。サンドイッチを食べ終わって僕は最後の死力を振り絞って再びハンドルを握る。郡山を出てから7時間半。目指した豊明ICを降りる。ETC出口で、「料金は、センエンです」と機械に言われたとき、初めて、ここまでがんばってきて報われた、という気がしてくる。国道で中京競馬場に到着したのは、朝7時頃。中京競馬場改修前の開催最終日、さらにはGTデーというだけあって、まだ7時だというのにもう人々は集結しつつある。人波が駅方面から競馬場へ続いている。もちろん、朝の通勤ラッシュとは景色が違う。スーツ姿のこぎれいな身なりの人間はいない。なぜか賭博師のオヤジたちは、小汚いヨレヨレのジャンパーを着ていることが多い。服装がどうかなどは頭の中にない、頭の中にあるのはいかにして金を増やすか、だけ。そのためだけに脳をフル回転させる。そんな人間たちのうねりだ。駐車場も大分奥の方まで埋まっている。僕は一睡もしていないので、駐車場に車を入れた後、車の中で仮眠を取ることにする。
シートを倒し、3時間弱程度何とかウトウトして、午前10時に目を覚ます。今日は天気が良さそうだ。日差しが密閉した車の中に差し込んできて、暑く感じられてきた。
僕は起きてサンドイッチの残りを食べる。そしていよいよ車を出て競馬場に向かって歩く。競馬場前の歩道橋、競馬場へ向かうギャンブラーたちの波に飲み込まれる。場内には、すでに彼らの静かな熱気がある。一方、家族連れも多く、競馬場内にある公園で子供たちが遊んでいる。本馬場の前の芝生も、宴会モード、ピクニックモードでレジャーシート上に弁当と酒と競馬新聞を広げているグループで埋め尽くされている。
ここも広々として清潔感のある競馬場だ。レースはちょうど第2レースが発走したところだった。3レース目からパドックと本馬場を往復する。馬を見ているだけで面白い。
午後になり、メインレースが近づいてくる。今日の中京のメインは、11レース、GTの高松宮記念である。JRAでは中央場所(中山、東京、阪神、京都)以外で行われる、唯一のGTレースである。午後になると観客がさらに押し寄せてきて、パドックも観客席も人で膨れ上がってくる。GTデーの興奮が、刻一刻と高まってくるのが分かる。
それが頂点に達したのが、レース発走前である。パドックは何重にも取り囲む人々で馬たちが見えないほど。そして観客席は、まさに立睡の余地がない。身動きが出来ないほどの超満員である。前の人垣で、馬場すら見えない。発走を知らせるスターターの姿に、観客の歓声が一気に爆発する。GTファンファーレに合わせた手拍子は、地鳴りというか、地響きというか、競馬場全体が震えてる感じだ。この日の入場者が何人だったか知らないが、きっと数万人はいただろう。

大歓声とともにゲートが開き、レースがスタート。高松宮記念は、芝1200mのスプリントレース。たった1分強の勝負。
各馬が最後の直線に向かったとき、さらに一段階歓声が高くなる。波動砲充填20%。中京の短い直線を、馬群は決勝線に向かって殺到してくる。馬たちが直線を一歩ずつ走ってくるうちに、観客の言葉にならない感情的な叫びは、天井知らずで高まる。そして、各馬が決勝線を通過する瞬間。一心不乱の絶叫と、急激に折れた絶望が縦横に交錯してピークに達する。波動砲発射!!
僕はその瞬間、決勝線の前にいたのだが、人垣で馬場は全く見えず、どの馬が勝ったのか全然見えなかった。とにかく、耳をつんざく絶叫と悲鳴と嬌声が最高潮に達したとき、勝負は決した。ゴール後、前方の大型ビジョンでゴール前のVTRが流れる。1着と2着は写真判定。僕の買った馬は、スタートで躓いてしまい、短距離レースで致命的な出遅れを喫し、後半よく追い込んだけれども3着までには入っていなかった。3着までに入れなければ僕の馬券は紙クズである。後で確認したのだけれど、結局5着。末脚は見事で、出遅れさえなければ確実に3着以内に来たと思われるだけに、悔しさはひとしおだが、これが競馬。特に短距離戦はこれが起こるから怖いのだけれど、こんなことは承知の上でやってるわけだ。

僕は打ちひしがれて、ため息と興奮が共存する中京競馬場を後にする。最終12レースをやろうかなとチラッと頭をかすめたが、すぐに思い直す。メインレースで負けて、取り戻そうと最終レースに突っ込んで、勝てたためしがないのだ。ロクに検討もしないで闇雲に突っ込んでも、勝てるわけがないのだ。ギャンブルはなんでもそうだが、ギャンブルにはまったことのある人なら、少なからず経験則として知っていることだろう。麻雀でも、負けた挙句に「あと1局だけ!」と言って続ける。結局さらに傷口を広げるだけだということが、なぜ分からないのか!負けて頭に血が上った人間が最も陥りやすい過ちである。だが、やはり、資本主義に毒された人間、金がかかっていれば、そこで思いとどまれないのである。賭博の悪魔。
今帰路についている人は、ほとんどが負けた人だろう。僕がもし勝っていたら、もう少しGTの余韻を場内で味わっていたいと思うはずだ。午後4時。これから車で郡山まで帰るとは・・・・。しかも今日日曜日の夜中の12時までに着かないと、1000円にならないので、プレッシャーがかかる。(※注)
だが、3時間しか眠っていないにもかかわらず、負けた悔しさからか、目は冴えていた。しかも妙高で大雪のため除雪車渋滞が少しあった以外は、ほとんど高速上に車はガラガラだったので、炎の走りで飛ばす。途中の夕食休憩、長野県の梓川SAでソースカツ丼を食べる。そういえば、協力隊で派遣前合宿のため長野県駒ヶ根市に滞在していた頃も、ソースカツ丼が名物だった。さらには、福島県でも会津地方の猪苗代では、ソースカツ丼を名物料理にしようとしている。なぜソースカツ丼はこんなにも各地で名物化されるのだろうか。

空腹を満たし、眠くなることを恐れながら、再びアクセルを踏み込む。上越JCTから北陸道に乗る。妙高では帰りも大雪だったが、山間を日本海側に抜けると、雪はみぞれに変わった。新潟県内ではずっとみぞれ。そして午後9時、磐越道に入る。会津では再び雪となる。ヘロヘロになりながら郡山に着いたのは、午後11時過ぎだった。名古屋から所要7時間強。再び機械に「料金は、センエンです」と言われ、自己満足の達成感にとらわれる。

土曜の夜に出て、日曜の朝愛知に着いて仮眠3時間で競馬をやり、夕方とんぼ返り。深夜まで運転し、郡山に戻る。時々、僕は何でこんなキツイことをやってるんだろうと不思議になるが、これこそが初期衝動であり、この衝動により、人間は苦しい人生を生きていけるのである(笑)。


(※注)後で聞いたら、休日のETC1000円割引は、高速に乗る時間か降りる時間が休日であればよい、とのこと。つまり、夜中12時までに郡山にたどり着かなくても、乗った時間が日曜なので、1000円だったわけである。炎のごとく急ぐ必要はなかったのだ。やれやれ。
2010/3/21 (Sun.)
挨拶をする人たち

3連休、久々に実家に帰った。4ヶ月ぶりか。エクアドルから帰った直後を除いて、ここ10年くらいは暮れも正月も海外にいるので、実家に帰ったのは昨年の11月以来である。
お彼岸なので、近くの『平和公園』という公園兼霊園へ、祖母の墓参りへ行く。今回は車で帰ってきてないので、歩いて行くことにする。歩くと30分くらいかかる。
住宅街を抜け、すぐに畑と林と草っぱらの広がる風景となる。田畑を見ながら神社の脇を抜け、小さな住宅街には、畑やビニールハウスが目立つ。この辺りは、農家を営んでいる人が多いようだ。家々の玄関上部に立派な破風があり、昔風の日本家屋の特徴をよく表した家が多い。
両側が塀で、雑木林に見下ろされた細い道に、1件だけポツンとある駄菓子屋を通り過ぎると、公園に続く比較的大きな通りに出る。この通りの両側には、墓石用の石材店がすらりと並んでいる。いつも思うのだが、こんなにたくさん同じような店があって、よく過当競争にならないものである。墓石は価格が高いから1個売れればしばらくは息がつけるのだろうか。
お彼岸だけあって、墓参りの人々が多く公園に訪れている。石材店では桶やひしゃくを貸し出している。
公園入り口には、いつもは見られない、移動式クレープ屋の軽トラックが停まっている。墓参客を狙った臨時営業だ。墓参りにクレープか。
ちょっと心が動いたが、僕はそれを横目に見ながらそのまま公園の中に入る。

祖母の墓は、小さな墓が見渡す限り続いている中の一つだ。すでに先日両親が来ているので、祖母の墓はこぎれいに掃除をされ、花が供えられていた。
僕は桶とひしゃくを使って、墓を洗う。線香に火をつける。手を合わせ、祈る。

墓参を済ませ、帰路につく。午後5時を過ぎ、日が傾きかけている。
来た道を戻る途中、小型犬を連れたおばさんに、「こんにちは」と挨拶をされる。もちろん、全く知らない人だ。虚を突かれたものの、僕も小さな声で「こんにちは」と返す。
今日は風が強い。春の日差しはあったが、風は冷たい。小学生の子供二人が、この時期干上がった田起こし前の田んぼの上で凧揚げをしている。
しばらく歩くと、中学生くらいの少し太った兄弟が、家の前でボール遊びをしている。彼らは、僕が近づくと、ボールのやり取りを止め、僕が通り過ぎるのを待っている。通り過ぎざま、彼ら二人が、揃って口を開いた。
「こんにちは」
「こんにちは」
予感があっただろうか、僕はすかさず挨拶を返す。
「こんにちは」

何だろうか、この感覚は。この辺りの人々は、と言っても僕の街の隣町であるが、見も知らない人に対し、道で通りがかりに、気軽な挨拶をするのである。こういう対人感覚を日本人も持っているのだ。特にのんびりした田舎の日本人は、道で通りすがる人に対して、普通に挨拶をするのである。これが日本の良き文化と言わずして何と言おう?
僕は、そういう感覚を育まないまま、育ってきた。もちろん、僕が子供のころ住んでいた町は、新興住宅地であり、同級生はみんなそこに住んでおり、近所のオバちゃん、オジちゃんはみんな知り合いである。だが、見知らぬ人に気軽に挨拶をする感覚は、僕には芽生えなかった。これは、多分にその人間の人間性によるところが大きいだろう。いや、大学生になって川崎や東京都内で一人暮らしをするようになって、その感覚が都会の暮らしに殺されていったのかもしれない。地方から出てきた人間が多く、地域での昔ながらの人間関係が構築されず、そのせいか見知らぬ人間に全く無関心なのが、都会人の生き様である。
まさかこんな身近な隣町に、屈託なく見知らぬ人に挨拶をする世界が広がっていようとは、思いもよらなかった。

この感覚は、外国では一般的である。
外国でも、例えばアメリカなんかでは、通り過ぎる人が挨拶してくれる。もっとも、これは僕がアジア人で珍しかったのかもしれない。
イエメンやその他ほとんどの国では、僕が観光客だということで挨拶をする側面はあるだろうが、現地の人同士でも普通に見知らぬもの同士が挨拶をするという感覚を持っている国の方が多い。
だいたい、日本人以外の国の人々というのは、例えば旅先で自国人に会うと、まず気軽に話すではないか。
だが、日本人も決してこの感覚と無縁ではないことを、今日再認識できた。

春にしては肌寒いこの日、僕は日本人の暖かな源流を感じた気がして、墓参りもしたし、なんかいい日だったなと思いながら自宅に帰り着いた。
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