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日記
(2018年3月)
2018/3/31 (Sat.)
 
逃げない蛇。鎌首をもたげ、じっとしている
 
袋倉第2ダムのダム湖

袋倉第2ダム南側の隧道 

セーナ沢出合 
 
イゴベエ滝。独特の外観
 
ヒッコシ滝

 ゴーロ帯。房総にしては岩が大きい。

ネコの滝 

袋倉第2ダム散策とセーナ沢 沢登り  晴れ@鴨川市

今日はコンスケと二人で、鴨川市の袋倉ダム周辺の散策と、袋倉川支流のセーナ沢の沢登りを敢行する。いつも一緒に行く裕助は体調不良のため不参加。
天気はいい。気温も高い。もう春である。

8時過ぎに千葉を出発、途中小湊鉄道の養老渓谷駅に寄り、向かいの金子商店で昼飯を買って一服する。
駅には改札前に10数人の人が並んでいる。そこへちょうど3両編成ほどの観光SL列車が到着し、乗客がゾロゾロ降りてきた。土曜の午前中、満席である。
菜の花が咲き乱れるなかを走るSLは絵になる。
列車はしばらく停車後、来た方向へと逆出発していった。新しい乗客が乗っていったようだ。
小湊鉄道は、さまざまなイベント列車を運行していて、観光客を呼び込もうとする姿勢に好感が持てる。

清澄寺の駐車場に着いたのが10時過ぎ。
10:25、出発。ここから関東ふれあいの道を北西方向に歩いていく。
林道東袋倉線の分岐を過ぎると、さらに林道広場線の分岐となり、広場線に入る。

道に長大な蛇がいて、コンスケが危うく踏みそうになる。蛇は道の上、枯葉の上にたたずんで、鎌首をもたげてじっとしている。普通蛇というものは、人間から逃げていくものだが、この蛇は我々を威嚇しているように見える。いや、何かしらの理由で動けないのかもしれない。道の上で日向ぼっこをしていたのだろうか。踏まれそうになるくらいの動きの鈍さからして、冬眠から目覚めたばかりで日に当たってエネルギーを吸収していたのかもしれない。

広場線を南に歩くと、やがて終点となり、ここから森の中に入る。11:16。
すぐ下の杉の木に、登山者や作業者の目印となる赤テープが巻かれているのだが、同じ場所にある10本くらいの木にのべつ幕なしにテープが巻かれている。こんな赤テープの乱発、大安売りは見たことがない。何の目印だろうか?林業関係か?

森の中の尾根道を行く。割とはっきりした尾根だったが、途中で道が分かれている。下の方に川が見えている。これから行く袋倉第2ダムの湖には2本の川が北から流れ込んでいる。川の流れをコンスケが双眼鏡で確認する。やがて道はほとんど消失し、急斜面を急降下して川に降り立つ。だが、西側の川に降りたようである。予定では東側の川からダム湖に出るはずだったので、道を間違えたらしい。尾根から西に降りてきてしまった。
川はほとんど流れがなく深くよどんでおり、ダム湖のバックウォーター状態である。

一旦急斜面を登り返して、始めの分かれ道まで戻り、尾根沿いの道に進むと、果たして、目的の袋倉第2ダムに到達。
赤い鉄橋を渡ると、広々としたダム湖が見渡せる。対岸奥にダムの掩体が見える。
ここで休憩。12:25。

ここからダム沿いの植林帯を歩いて、掩体まで行く。山に囲まれた立派なダムである。放水面のコンクリート斜面に水が流れている。30mくらいの高さがあるだろうか。
山奥、森に囲まれたダムに人は誰もいない。
よくまあこんな山奥にこんな巨大構造物を建設したものである。ここから南には袋倉ダムがあるが、そこまでは林道が造られているので、そこから運んだのだろう。
竣工は昭和46年だから、47歳である。
最近多いダムマニアにも納得の一体だろう。

しばらくダム湖の周りの周回道のような山道を歩く。湖面にいた水鳥が音を立てて飛び立つ。
ダム湖から放水面を経て流れ出す袋倉川沿いの右岸側の崖の上に道が付けられているが、途中で崩落していて危険なので、左岸側の森の中を南に向かう。
すると袋倉川沿いにトンネルが掘られている。この先の林道とつながっていたのか。
トンネル内には水が溜まっていたので、ここで沢靴に履き替える。
トンネルをくぐるとすぐに林道に出る。少し歩くと袋倉ダムに到達。このダムは第2ダムと打って変わって巨大な掩体はなく、数mの高さの土手のような堤である。
掩体の東側に水路が掘られており、そこを水が通っているようである。

ダムを過ぎ、袋倉川は続いているのだが、この辺りで支流のセーナ沢が流れ込んでいる。林道の適当なところから川に降りる。

ちょうど出合の部分に降りる。ここの河原で昼食。13:38。
昼食後、セーナ沢を登り始める。
狭い沢だが、時々深みが出てくる。そこに魚の姿は見えない。

すぐにイゴベエ滝に到達。深い淵に2mほどの滝が落ちている。滝面の右側の岩が洞穴のように深くえぐれていて、その右の岩面を登っていける。独特の外観を持つ滝である。

倒木が出てくる。
すぐにヒッコシ滝に出る。これも深い淵を持ち、幾筋にも分かれて水が流れ落ちる。高さは3mくらいある。淵には倒木が折り重なっている。
これを滝面右寄りの岩から登る。

ヒッコシ滝から先は、ナメ床、割と大きめのゴーロの渓相である。房総にしては岩が大きい。岩に苔がついていて、奥多摩の沢に似ていなくもない。岩は砂岩質で脆いところは異なる。川にある大岩というのは、落石してきた岩か。
倒木も多い。

ヒッコシ滝から1時間ほど歩くと、ネコの滝がかかっている。高さ10mはある立派な滝で、垂直に近い黒い岩面を水が落ちる。ここはさすがに直登はできない。
ネコの滝の手前で沢は二俣に分かれている。どちらを行ってもいいが、とにかくこの後、北にある林道浜萩線か、東側にある林道東袋倉線に詰め上がることになる。

試しに右俣を進んでみるも、倒木が多いので諦め、本流である左俣、ネコの滝の上に巻き上がることにする。
斜面を上がり、左にトラバースしてネコの滝の上に出る。

再び沢を進む。しばらくは黒々としたナメ床で平坦で歩きやすかったが、すぐに倒木銀座となる。
この後は倒木で進みづらくなるだろうとのことで、左斜面を尾根に上がることにする。河原で山靴に履き替える。15:55。

斜面を上がる。一旦枝尾根に上がるが、さらに上に稜線が見えている。
ビニールシートが斜面に放置されている場所に出る。ここで何をしていたのだろうか?
ここからさらに斜面を稜線に向けて上がるが、ここからがキツかった。斜面は急な上に枯葉が敷き詰められていてズルッと滑る。四つん這いで登っていく。

ようやく一番高い尾根に出る、山の中に桃色の鮮やかな花をつけた木が数本ある。アースカラーの世界で、ひときわ目立つ。無知なので何の木が知らない。
岩が目立つ尾根を北に進む。西側の展望が開ける場所があり、房総の山々が波打っている。
マテバシイの木が幹を広げる。
しばらく歩くと左下に林道東袋倉線が見えてきた。
適当なところから林道に降りる。17:06。

ここからは林道を戻るだけである、東袋倉林道を北に歩くと、浜萩林道の分岐を経て、行きに歩いてきた関東ふれあいの道に出る。
清澄寺の駐車場に戻ったのは17:36。

この日の沢・山行図はこちらで。
今日の活動時間は7時間強。山・林道4時間半、沢2時間半。総歩行距離は15kmくらいか。
沢から尾根への急登がことのほか厳しかったので、なかなかに疲れた。

この後、清澄寺(せいちょうじ)に行き、お参りする。日蓮宗の大本山である。安房小湊(千葉県鴨川市)出身の日蓮が、この寺に入門、出家得度し、比叡山で修業後に戻って、日蓮宗を開いた寺である。
日蓮はなかなか攻撃的な人だったようである。日蓮宗は法華経を正法とし、日蓮は、当時(鎌倉時代)流布していた浄土宗など仏教他宗派を邪教として批判したために、他宗徒から襲撃されたり、、時の執権北条時頼により伊豆に流罪となったりしている。

大本山だけあって、立派な本堂である。土曜とはいえ、午後6時前の境内に人気はない。
千年スギと呼ばれる大杉が屹立している。巨木である。

午後6時。日が暮れた。


千葉に帰還後、二人の友人を誘い、合計四人で居酒屋で飲む。
夜10時半から12時まで飲んでお開き。
2018/3/28 (Wed.)
 
河津桜(千葉県鋸南町)

アメリカ危険化  晴れ@千葉市

アメリカのトランプ大統領が、重要閣僚を次々と解任していることに慄然とする。
アメリカも独裁国家になりつつある。それほど強大な権限が大統領にあることからして、独裁化への危険性は常にあるのだろうが、それを矯正する力が何らかの形で働かないと、取り返しのつかないことになるのではないか。
国民が選んだ大統領だから、国民も大きなことが言えないのは分かるが。

いままで自由と民主主義を象徴する大国として君臨してきたアメリカが、中国やロシアのような民主主義もクソもない欺瞞と強欲に満ちた独裁国家に成り下がってしまうのだろうか?

日本ではさすがに独裁という状態ではないだろうが、政権が強すぎて、野党や官僚からの矯正力がなかなか働かない状態ではないか。だから一昔前よりも国民のデモが最近どんどん増えている気がする。あまりにも目に余る方針や運営が多く、国民もさすがに黙ってられないということだ。
もちろん、様々な情報が手軽に国民に手に入るという、情報流通の革命的変化も関係しているだろうが。

国家公務員により公文書が書き換えられるとか、前代未聞(いや、実はこういうことは実際には行われていて、明るみに出ないだけなのかもしれないが)の事件が起き、いつまでたっても政権は森友問題を解決できない。なぜ解決できないか、政府はちゃんと考えた方がいい。
2018/3/27 (Tue.)
 
房総名物、洗濯板状ナメ床
 
ハヤの群れ
 
右から入っている滝。8mくらいか。
 
川廻しトンネル
 
ゴルジュ帯
 
倒木と枝だらけの沢筋の急斜面を尾根に詰め上がる

奥井沢 沢登り (千葉県富津市) 晴れ@富津市

今週は初夏のように暖かい。そこで房総に沢登りに出かける。
場所は富津市、志駒川支流の奥井沢。
国土地理院の2万5千分の1の地形図を見ていて、明快な理由はないが、なんとなく行ってみようという気になった。

朝8時過ぎに千葉を出て、志駒川流域に向かう。ところどころで、道路沿いの桜が満開となっている。咲き誇る桜も、あと2週間もすれば散ってしまうだろう。今年も諸行無常を感じる季節がやって来た。
10時半に下郷集落にある公会堂に到着、ここに車を停めてパンを食べ、一服する。
沢靴に履き替え、10:50、出発。

下郷集落を歩くと、牛舎の匂いがする。酪農家か。
奥井沢が志駒川に流れ込む合流ポイントを少し遡ると、道が奥井沢に降りている。そこから入渓。
11時。
沢は、房総の典型的な沢と同じである。ナメ床、ゴーロの河床、切り立った崖。洗濯板状のナメ床。
穏やかで平坦な沢である。

水深は浅く、せいぜい足首くらいだが、途中、ところどころで淵がある。といっても腰くらいの深さか。
そういった深みにはハヤがたくさん見られる。今回は水中撮影で割とまともにハヤの姿を捉えることができた。
春である。山や沢には動く生命がそこらじゅうに噴出してきている。アリ、クモ、アメンボなどの小動物、魚やおたまじゃくし。
ハヤ以外に、虎柄の見慣れない魚を見かける。カジカだろうか?なにかエビ類と見間違えたのか?

大きな岩が川を塞ぎ、チョックストンの滝となっている。

コンクリートの護岸が一瞬現れる。
この奥井沢は志駒林道に着かず離れずして流れており、何度か林道の橋が川にかかる。

右に黒光りした滝が水を落としている。見栄えのする滝である。垂直に近く、高さは8mくらいか。
登れそうに見えたので落水を浴びながら登ってみる。が、いきなり岩面が滑る。黒岩に苔がついている。慎重に足場を確かめ、なんとか3分の2くらい、5mくらい登るも、一番上の部分が難しく、諦めることにする。ここを登らなければ先に行けないのならば多少の無理はするが、この滝は本流の滝ではなく、あくまでも支滝であるからして、無理する必要がないので止める。なにしろ、ここは登ったら次に降りなければならないのだ。滝は登るよりも降りる方が数段難しい。

この沢には川廻しのトンネルが3か所ある。
1つ目の川廻しのトンネルをくぐり、上流側の河原で昼飯。今日もファミマにはいつものそぼろ弁当がなかったので、三元豚のねぎ塩カルビ重。12時40分。

1つ目の川廻しトンネルを過ぎると、谷幅がグッと狭まり、両岸が切り立ってゴルジュの様相となる。いい谷だ。
そのゴルジュ帯を過ぎると、ほどなく2つ目の川廻しトンネルが口を開けている。

これをくぐった後も、ゴルジュは続く。苔のついた緑色の岩壁が迫っている。
しばらく行くとさっきと同じような黒い滝が今度は左から落ちている。こいつにも取りつく。高さは5mくらいだが、これも滝面が滑るうえに最上部が難しく、途中撤退。情けないが、まぁ先月痛めた右手が完調ではないことだし、単独行でもあるので、無理はすまい。

ナメをトイのようにくり抜いた面白い滝がある。
川に架かる林道の橋をくぐる。
3つ目のトンネルが現れる。坑口が四角形をしている。

今日はラジオを聴きながら沢を歩いているのだが、NHKでは朝から国会中継をやっている。そう、今日は例の森友事件における公文書改ざん疑惑の渦中にある佐川元国税庁長官の証人喚問である。
しかしこの証人喚問を沢を歩きながら聴いていて、憤りが噴き出してくる、なぜなら、佐川証人は、肝心の、「誰が、なぜ、いつこの決裁文書を書き換えたのか?」という、国民がもっとも知りたい、いや、知る権利がある疑問について、「刑事訴追の恐れがある」として、何一つ答えないのである。
これが、エリートだか何だか知らないが、財務省のトップ官僚だった公務員のなれの果てか。国民をバカにするのにもほどがある。犯罪者め。

3つ目の川廻しトンネルを過ぎると、沢には徐々に人工物が多くなってくる、コンクリートの護岸が続くようになり、次々に堰堤が登場。ある堰堤の上に、カエルの卵がびっしりと付着している。目玉。

川は両側がコンクリート護岸となり、まるで用水路のような様相となる。もはやこれまでか。
しばらく歩くと護岸は消え去り、再び自然の沢のようになる。
そろそろ潮時と見て、尾根に詰め上がる場所を探す。だが右岸側の斜面は急で登れそうなところがない。
さらに進むと、川が二俣に分かれている。支流と見られる左俣に入る。
支流を進むと、しばらくしてさらに二俣に分かれている。合流地点には倒木が折り重なっている。
ここで左俣に入って、尾根に詰め上げることにする。左俣はほぼ枯れ沢で、急激に高度を上げている。見上げる尾根は高い。
斜度のある枯れ沢を慎重に登っていく。だが、倒木や枝が沢筋になだれ込んでおり、上がるのに難渋する。少しずつ、時間をかけて上がっていたが、行く手を阻む倒木の斜面に全然進めず、心が折れそうになる。
もはや沢を上がるのが困難になったので、脇の山の斜面を上がることにする。こちらも斜度がきついため大変だが、まだマシだ。

尾根まで詰め上がるのにえらく時間がかかる。何しろ急斜面で、足場が悪く、滑り落ちるのを回避しながらの慎重な登りとなる。
30分くらいかけて、ようやく沢から尾根にたどり着く。15時。

尾根で休憩。沢靴から山靴に履き替え、尾根を北に進む。
だがこの尾根がはっきりしない。始めのうち北に進むも、尾根は徐々に西寄りに進路を変え、それを進むと、下り一辺倒となり、さっき遡行してきた川に再び戻ってしまった。
本来であれば、この尾根の東側にある林道豊岡線に到達して、帰りはその林道を進み、豊岡愛宕山に登ろうと思っていたのだが、こうとなっては仕方ない。
再び急斜面を川まで降りる。川を横切り、上に見える志駒林道に登る。

結局帰りは、奥井沢沿いに通っている林道志駒線を歩くことにした。

車駐車地点の下郷公会堂に戻ったのは午後4時50分。今日の活動時間はわずか6時間。運動量的にやや不完全燃焼だ。

次回は豊岡愛宕山に登らねばなるまい。

本日の沢・山行図はこちらで。
(時々GPS信号が飛んでしまっていますが、オリンパスのカメラのGPS取得精度が低いため、ご了解ください)
 
2018/3/23 (Fri.)
 
パアンの風景(ミャンマー・カレン州)
 
ミャンマーでは普通の積載状態。荷物の間に人もまぎれる

整形外科を受診 晴れ@千葉市

今日は、病院で整形外科を受診する。というのは、先月2月11日に山で河原に転落した際に打ちつけた右手の痛みが引かないのだ。これまたしたたかに打ちつけた右脇の下あたりの痛みは治まった。だが右手の痛みが1か月半経った今でも消えないので、遅きに失した感はあるが、レントゲンを撮ってもらうことにする。
普通にしてれば痛くないが、手を握ると痛みが走る。

病院でレントゲンを撮ったところ、医師の診断は、「骨折」。だが、A3サイズくらいに拡大されたレントゲン写真を見ても、どこを骨折しているのかよく分からない。医師によれば、小指の延長線上の、手首に近い骨が骨折したのだと言う。だが、彼が示したところに、別に亀裂も何もない。くっついてしまったのだろうか。
医師の話によれば、小指の先の骨(手の甲)が若干曲がっているという。だが、もう1か月半近く経っているのでもう骨はくっつきかけており、妙な変形もしておらず、動きも機能も問題はなさそうなので、痛みは2、3か月すれば治まるだろうからしばらく待てとの指示。

ちなみに私はいままで3回くらい骨折したことがあるが、骨折ならばもっと痛いだろうし、患部が腫れたり内出血するはずだと思っていた。今回はそのように腫れたりしなかったので、まず骨折ではなかろう、と思っていたのだ。それを医師に告げると、骨折は必ずしも腫れや内出血を伴わない、という。そういうものがなくても痛みがある場合があるのだという。

あまり親切そうな医師ではなく、何事も事務的に早々に済まそうとするように見えたので、やや釈然としなかったが、ま、ここは痛みが引くのをしばらく待つとしよう。
まぁ、この期に及んでは、整形外科の医師ができることはないのだろう。


診察が終わり、受付に戻ろうとしたところ、内科の待合室の前を通ると、緑色の服を着た見慣れた男がいた。近くからよく顔を見ると、果たして、同級生の裕助であった。
聞けば、胃腸の調子が最悪で、仕事を休んだのだという。ひどく具合が悪そうだった。

同年の友人と病院の待合室で偶然顔を合わせるというのも、地元の小さな診療所でならまだしも、総合病院の待合室でとなると、寄る年波には勝てないという老いの悲哀を感じざるを得ない。
2018/3/23 (Fri.)
 
またまたクサフグ。昨日よりはかなり大きい
 
メゴチ
 
メゴチ。胸ビレが特徴的。

東京湾 袖ヶ浦海浜公園で釣り 2日連続 晴れ@袖ケ浦市

今日は昨日に続き、一人で袖ケ浦市の袖ケ浦海浜公園に釣りに行く。
昨日同様、朝満潮になり、午前中、そこから引く潮を狙う。

9時頃に千葉を出て、昨日と同じ釣り船屋でアオイソメを買い、袖ケ浦海浜公園のテトラ帯で竿を出したのが10時半ごろ。
昨日、表層付近を大魚が泳いでいたので、今日はまず浮き釣りで攻める。
タナを変えながら仕掛けを流すも、全くアタリなし。今日は表層付近の魚影もない。
1時間ほどアタリがないので、浮き釣りを諦めて昨日と同じ胴突き釣りで底を漁ることにする。

昨日は小フグの仕業だろう、常にコツコツとエサをつつくアタリがあったのだが、今日は打って変わってまったくアタリがない。昨日と潮汐の時間帯はほとんど変わらないし、天気も晴れで、風もそれほど強くないのは昨日と同じである。だが今日は全くコンディションが違うようである。
朝方少し雨が降ったのが悪かったか。冬の雨は、海水温を下げるので、魚の活性が落ちるようである。

釣れる気配がない。すでに2時間ほど経過している。マズい、今日は再び坊主か・・・?と焦り始める。
エサをつつかれることがないので、今日はアオイソメが全然減らない。

腹が減ったのでコンビニ弁当を広げて食べ、気分を変える。

食後に竿を出したら、いきなり魚がかかった。昨日よりは大分重い。大物じゃないか?
釣り上げると、クサフグだった。昨日の極小物に比べるとかなり大きい。15cmくらいだろうか。丸々と太っている。いや、これがフグの標準体型か。
流線型の体だからか、その見た目の鈍重さそのままに、それほどファイトする強い引きではなかった。フグがあまり釣り人に人気がないのも、食べられないということ以外に、そのあたりが原因か。

クサフグという名前が妙に納得できる。草餅のようにスベッとした手触りで、色も暗い緑色のような感じにも見える。
フグなのでリリース。

その後1時間ほどして、メゴチがかかる。先日長浦で釣ったメゴチよりはデカい。12cmくらいか。
平べったい体に、水平的に開く胸ビレと、頭の上に飛び出た目が特徴的な魚である。魚体がヌルヌルで、ヌメリ液が手につく。海水で落としてもなかなか取れない。
※後で知ったのだが、メゴチには強烈なヌメリがあるため、「メゴチばさみ」という器具がわざわざ売られている。
このメゴチもリリース。

この後、再びアタリはなくなる。そのあたりの海面では、30cmはあろうかという大型魚がバシバシ跳ねている。
(くそぅ、なんで奴らは釣れないんだ?アイツら絶対に駆逐してやる!)

しかし奴らがハリにかかることはなかった
アオイソメがなくならないので、午後もずっと釣り続ける。だが、5時半まで粘って、それ以上釣れることはなかった。

この日の釣果は、クサフグ1、メゴチ1の2尾。時間の割には少ないが、全くアタリがなかったことを考えれば、釣れただけ良しとしよう。昨日の小クサフグ2尾に比べれば、重量は大幅増だ。

それにしても釣りは面白い。昨日と今日とで同じ場所、同じような天候でも全然状況が違う。
魚の生態についてもっと研究せねばならない。
2018/3/22 (Thu.)
 
テトラ帯の釣場
 
小さなフグ
 
口というか身体を膨らませて鳴き、威嚇するクサフグ
 
フグを釣り上げたとたんに音もなく表れた黒猫

東京湾 袖ヶ浦海浜公園で釣り 晴れ@袖ケ浦市

今日は一人で、袖ケ浦市の袖ケ浦海浜公園に釣りに行く。
東京湾、市原周辺の潮汐表も確認済だ。朝満潮になり、午前中、そこから引く潮を狙う。朝まづめ(日の出前後)に行ければいいのだが、朝弱いので起きれない。

朝9時頃に千葉を出発。天気はいい。
途中、国道16号沿いにある釣り船屋でエサのアオイソメを購入。ここでロープ付きバケツを売っていたので、衝動買いしてしまった。

袖ヶ浦海浜公園には10時過ぎに到着。
大きな駐車場に車を停める。駐車場にはたくさんのハトが降りていて、車が入って来ようが人が歩いていようがたいして逃げる気配がない。そんなハトたちに、2匹の猫が忍び寄り追い回している。ハトたちはビビる様子もなく、猫が近づいてきたらちょっと飛んで逃げるくらいである。全く図太いハトである。
猫はこの公園に住んでいるのだろうか。

公園は東京湾沿いにあり、北側と西側が海である。鮮やかな海が目の前に広がっていて、散歩するのに気持ちいい。
公園の柵を超えて、北向きのテトラ帯に降りる。足場はしっかりしており、危険なく釣りできそうである。
対岸には東京のビル群が見える。左手の西方面には、海の上を長大な橋がかかっている。東京アクアラインである。

胴突き仕掛けで底を探る。
小さなアタリが常にある。だが、エサだけが食われてしまう。
エサ取りが多いのでアオイソメを消費する。

1時間ほどしてようやくハリに魚がかかった。小さなフグ。後で調べてみると、「クサフグ」というらしく、どうも釣り対象魚ではないらしい。確かに、海釣りの一つの目的が釣った魚を食べることであるとすれば、フグは外道である。
だが、そんなことはどうでもいい。釣りというものは、とにかく釣れれば楽しいのである。
だが、このクサフグはあまりにも小さ過ぎ(5cm程度)、あまり竿に手ごたえがなかった。釣りの一つの醍醐味は、魚がかかった時の竿に伝わる魚のエネルギーを感じることである。生命そのものだ。生き物とこのような形で直接的に対峙することなど、釣り以外にはなかなかない。

フグは、流線型の体で、上半分が黒っぽい地に白い斑点、下半分は白である。丸い目が特徴的。人間で言う白目の部分はオレンジ色で、黒目の部分は角度によって青黒く光っている。美しい目をしている。が、魚の目というのものは、まったく表情を感じさせない。

海をよく見ると、目の前を大きな30cm級の銀色をした筒型の魚が、表層の浅いところを単独で、また群れで悠々と泳いでいく。ボラだろうか。
また、茶色の小魚の群れも、海の表面をさざ波だたせるように移動している。

アイツらを釣れば、入れ食いじゃないか。だけど、全然かからない。そりゃそうだ、私の仕掛けは、海底を這っているのである。浮き釣りにして狙おうかとも思ったが、仕掛けを変えるのが面倒なのでやめる。

だが、いずれにせよ、ここには魚がたくさんいることが分かる。

さらに2時間ほど釣って、小さなクサフグが再び上がる。
この2匹目のクサフグは、口を一杯に膨らまして「クークー」と鳴いた。フグが身体を膨らまして風船のようになるのは、どうやら敵に対する威嚇らしい。

フグにかかったハリを外していると、突然黒猫が目の前に現れた。ひどく驚いた。一体いつの間にこのテトラ帯に降りてきたのだろう。まさに音もなく現れるとはこのことだ。
猫は、私のすぐ目の前で、こっちを見ている。どうやら魚の匂いに誘われて来たようだ。
「こいつはお前にはやらんぞ」
ハリを外したクサフグを海に放す。
ちなみに、猫は生のフグを食べても大丈夫なのだろうか?
猫はしばらくそこにいたが、やがてこれまた音もなく去っていった。

結局、この日は、10時半〜13時半まで3時間ほど釣って、アオイソメがなくなってしまったので終了とする、
釣果は小さなクサフグが2尾。いずれも5cm級。ま、釣れただけで良しとせねばなるまい。
2匹とも極小なのでリリース。もっとも、フグなのでたとえ大物でもリリースだろう。
今日は、竿先にアタリは常にあった。きっとこのクサフグどもだろう。
次回は、表層近くを悠々と泳いでいたあの大物を狙わねばなるまい。


釣りは競馬に似ている。
釣り糸を垂らしているときには、何が釣れるか分からない期待感で胸が一杯である。競馬で、馬券を買ったあと、レースを待つ間の期待感に似ている。
なかなか「アタラない」というのも、釣りと競馬で一緒である。
2018/3/18 (Sun.)
 
長浦港の堤防
 
対岸には工場の石油タンクが並んでいる
 
友人の裕助が釣った極小メゴチ

私が釣り上げた魚。無知なので名前が分からないが、メゴチ?

東京湾 長浦港で釣り 晴れ@袖ケ浦市

今日は先月、そして昨日の坊主の流れを断つべく、裕助と二人で内房に釣りに行く。
昨日のオキアミと撒き餌が余っているので、それを使うのも目的だ。

市原市にある釣具店で情報を聞き込む。店長の話では、この近くではメジナが上がっているという。我ら素人は、またまたこの店長の勧めるままに仕掛けを購入。基本、底釣り・投げ釣り仕掛け。
そして、メジナ釣りにはオキアミよりもアオイソメがいいとのことで、仕方なくアオイソメを購入。
店長は威勢のいい言葉を我々に投げかける。
「今日は人多いよ。絶対釣れるから!」
我々もその気になって意気揚々と釣り場に向かう。

袖ヶ浦市、長浦港の今井岸壁に行くも、人がえらく少ない。
「あれ、店長は『今日は人多い』って言ってたけど?」
「こんだけ少ないと、釣れないんじゃね?」
ということで別の堤防へ。この辺りは京葉工業地帯で、様々な企業の工場が集中している場所である。そういう場所にありがちな、道が広く、埋め立てて造った防波堤や突堤が並んでいる。

長浦港の防波堤に行くが、ここも釣り人の姿はまばら。釣れるところにはたくさん人がいるはずだが、このあたりはそんなにメジャーな釣り場でないのか。それともシーズン的な問題で、いまはまだ釣れる時期ではないのか。
店長の言葉が信用ならなかったことをここで思い知る。店長は別の場所を想定していたのかもしれない。

仕方ないので、少し戻った港内の堤防で釣ることにする。ここにも人は少ないが、車で乗り付けた釣り人が5組くらいいる。この堤防の中ほどには船が係留されており、その北側の堤防で人々が釣りをしている。数100m幅の運河の対岸には、巨大な丸い石油タンクの列が並んでいる。

堤防の端で竿を出す。隣では、3本の竿を出しているおじさんがいる。仕掛けを投げたら、置き竿にして車の中に入ってくつろいでいる。今日は少し風があり、寒く感じるので、車でぬくぬくとするのは得策だが、置き竿の釣りって、釣りしてるって感じがしないと思うのだけど、それでも楽しいのだろうか?
後で調べたら、このおじさんは、カレイ釣りをしていたようである。アタリがあるまでひたすら待つらしい。

私は重りをつけて仕掛けを底に沈める胴突き釣り、友人の裕助も投げ釣り仕掛けで底を釣る。
12時半。
10m〜30mほど投げて底を漁るも、アタリはない。
30分ほどして裕助が極小のメゴチを釣り上げた。5cm級。あまりに小さいので、アタリもなにもなかったらしい。

その後、全然アタリはない。釣れる気配がない。
裕助はサビキ釣りに切り替え、昨日のアミを消費する。だがサビキでもアタリはない。

風が強くなってくる。5mくらいの風が吹き、寒い。釣りには向かない風である。堤防は風を遮るものがないので、風が吹きさらしとなり、風の強い日は厳しい。

そうこうして釣り始めから3時間近く経った午後4時前、ようやく私にもアタリがあり、10cmほどのコチを釣り上げた。
さっき裕助が釣ったコチのようにも見えるが、よくよく見てみるとあまり平べったくはなく、丸みのある体をしている。同じ魚ではないように見える。

だが良かった。釣れた喜びをかみしめる。そして、高滝湖から始まった坊主の連鎖を、ようやく断ち切ることができたことに安堵する。

この後5時半まで粘ったが、釣れず。結局5時間釣って二人で1尾ずつ、計2尾のコチのみ。2尾とも小さかったのでリリースした。
ま、釣りは、1匹でも釣れれば楽しい。

カレイ釣りのおじさんは釣れなかったらしく、早々に引き揚げた。
近くで釣っていた人も、それほど釣果はなかったようである。

帰り道、市原市にある農家直営の食堂、「つばめ」で夕食。ここは夜は居酒屋にもなり、大勢の人で繁盛している。
今日釣れなかったアジのフライ定食を食す。美味い。

家に帰り、釣りの研究に励む。
潮が満ちたり引いたりするときの潮の動きが魚を活性化させるとのこと。つまり、海水に流れが生じるとプランクトンが動き、それに伴ってプランクトンを捕食する魚も活発に捕食活動する、ということである。なるほど。
朝まづめ、夕まづめ以外に、潮の満ち引きを毎日の潮汐表から確認して、潮が動く日時に釣るべきだということを学んだ。そうか、釣り日を決めるには、潮汐表を見てからでないとならないのか。
釣りは奥が深い。
2018/3/17 (Sat.)
 
富浦港での堤防釣り

野外食
 
原岡桟橋

鋸山バウムクーヘン。ギザギザの稜線を表現 

内房 富浦漁港で釣り 晴れ@南房総市

今日は房総は内房の館山の手前にある大房岬の富浦漁港で釣りをする。
友人3人と友人の娘1人と、計5人。

先月高滝湖でのワカサギ釣りが坊主に終わったため、買い込んだ天ぷら用の油やてんぷら粉が余っているため、なんとしても消費したいがためである。

だが、結論から書くと、この日も坊主(悲)。

朝10時、漁港近くの釣店で仕掛けやポイントを聞く。釣店のおばさんに勧められるままに、堤防でのサビキ釣りと浮き釣りの仕掛け、餌(オキアミ)と撒き餌を購入。
狙いはアジ。アジなら食べて美味いじゃないか。
先日、この釣具店のホームページの釣果情報で、写真ではいかにも素人然とした浪人生のような4人組が、アジやコノシロなどを大量に釣っていたので、「俺たちだって釣れるはず!」と意気込んで来たのである。
アジフライ、どんとこい。

堤防の釣場に行き、サビキ組と浮き組に分かれて竿を出す。
私は第1投で、リールのハンドルが取れて、目の前の海に没してしまった。このリールはいつ買ったものか分からないが、多分30年くらい昔のものだろうと思われ、手入れも何もしていなかったのだが、まさかハンドルが取れるとは。
仕方なく予備のリールを持っていた裕助から借りて釣りを続ける。

全員、全然アタリなし。
魚はいないのだろうか?

周りにはたくさんの釣り人がいる。堤防の先端の方で釣っていたおじさんが、大きなクロダイを手に持って、見せびらかすように引き上げていく。
人びとはおじさんの術中にはまり、巨大な魚を見て「おおぉぉーーっ、すげぇぇ」と歓声を上げる。
周りの釣り人はどうかというと、それほど釣れているようには見えない。が、隣で釣っていた家族連れの小学生が1匹釣りあげた。チクショー、あんな子供まで・・・。

全然釣れないので、飽きっぽいコンスケとベボ父娘は竿をたたみ、昼飯を買い出しに行くことになった。本当ならバカ釣れして、釣った魚を釣った先から天ぷらか刺身にする予定だったのだが、またもやただの空想と化した。

最後まで粘った私と裕助も、諦める。もう午後2時近い。飯の時間をとっくに過ぎてる。
結局正味3時間くらい竿を出したが、釣れず。

車を置いた堤防付近に戻り、カセットコンロで、買ってきたサバと豚肉と椎茸を焼く。それに飯盒でコメを炊く。さらにカレーうどん。
美味い。野外飯だということもあろうが、いやこの飯は本当になかなかイケた。サバが美味い。買ってきたやつだけど。

食事の後は、「富浦元気倶楽部」という情報館に行き、足湯に入る。
その後、近くの原岡桟橋に行く。一部が木の桟橋で、夕日と富士山の絶景スポットとして、観光地として売り出そうとしているらしい。三脚でカメラを構える人が何人かいる。
桟橋の先端まで歩く。今日は雲に隠れて富士山は見えない。桟橋の先端では、若い男女がイチャついている。なるほど、夕日がきれいなら、「恋人の聖地」になってもおかしくはない。
ちょうど日没時であったが、今日は雲が多く、恋人の聖地的な日没は見られそうにない。

日が暮れ、千葉への帰途で、鋸山近くにある「石の舎(いしのや)」というカフェで休憩。宿泊と日帰り温泉施設に併設されたカフェで、こぎれいな感じで良い。
鋸山バウムクーヘンセットを頼む。鋸山バウムクーヘンとは、浮き輪を積み重ねたようなかたちをしており、鋸山のギザギザの稜線を表現しようとしたものであろう。

この鋸山バウムクーヘンは、お土産として1280円で売っている。バウムクーヘンというものは、常に高い。カフェの女性は、このバウムクーヘンの売り上げから、10円が鋸山の整備費用に使われるのだという。
(1280円もしてたったの10円かよ・・・。)

帰り道、裕助と明日も釣りに行くことを決める。このまま引き下がるわけにはいかない。

帰宅後、釣れなかった原因を調査する。
若かりし頃の私の愛読書と言えば、漫画『釣りキチ三平』だった。しかし私は確かに、海釣りはおそらくここ30年くらいやっていない。子供の頃は、近くの川でしょっちゅうフナやタナゴやクチボソを釣って喜々としていたが、海釣りで記憶にあるのは、中学生の頃だろうか、砂浜で投げ釣りをしてシロギスを狙ったことと、堤防でサビキ釣りをしてサッパが入れ食いだったことくらいだ。つまりは、素人なのである。
釣りは、頭を使わなければ釣れないことを今更ながら思い出す。
ネットで調べてみると、浮き釣りは、タナが重要なのだ。当たり前の話じゃないか。魚がいない層に餌を流しても釣れるわけがない。
それと、干潮・満潮の潮の具合も考えねばならないらしい。
釣りは奥が深い。
2018/3/14 (Wed.)
 
房総名物、洗濯板状のナメ床

崖上に掘られたトンネル
 
崖上にぽっかりと貫通するトンネル。向こう側が南で、陽光があふれている

第1のトンネル内部 
 
地層
 
壁の地層がそのまま川底に延び、洗濯板のギザギザを形成している

第2のトンネル。高さ4mくらいのところに口を開けている 
 
第2のトンネルの上流側坑口。川に簡単に降りられる
 
川は常に曲がりくねる
 
滝と釜
 
切り通し(上流側から見る)
 
第3のトンネル。川廻しトンネルか。
 
支沢源流部を詰め上がる。上空に稜線が見えてくる
 
尾根に飛び出す

田代川沢登り+トンネル3本完抜〜元清澄山登山 晴れ@君津市

今日は、君津市の笹川支流の田代川を沢登りして郡界尾根に詰め上がる。この川にはトンネルが3本掘られており、これを完抜することも目的だ。

朝8時過ぎに千葉市を出発、片倉ダムを過ぎ、道の駅の少し奥にある笹衛士公園に着いたのが10時過ぎ。パンを食べ一服して沢装備に着替える。
10:22、出発。舗装道路を15分ほど歩いて、明澄橋(めいすみばし)のたもとから田代川に降りる。
入渓時間10:39。
水がいきなり冷たい。今冬は低温が続いているが、昨日から気温が上がり、今日も最高20℃くらいに上がるとのことで、3か月ぶりの沢登りを決意したのだが、水が冷たくて呆れる。
水深はせいぜいふくらはぎくらいだが、ずっと水の中に入っていられないくらいに冷たい。

房総名物のナメ床が続き、そしてゴーロの河原も現れる。これまた房総名物、蛇行に次ぐ蛇行で川は常に方向を変えている。
谷は深くえぐられ、両岸の崖はそびえる。高いところでは50mくらいある。
岩面に斜めの地層がむき出しとなっている。これも房総ではよく見かける。
固い黒い地層がそのまま川に入り、洗濯板のギザギザ部分となる。この地層は固いため、他の地層は削られて平坦になるのに対し、ギザギザ状に残るのだろうと推察される。

天気がいい。穏やかな日差しが川底に届いている。日が当たる水や、水深がごく浅い水は、さすがにそれほど冷たくない。
鼻水が止まらない。今日は相当花粉が飛んでいそうだが、いつから私はこんな、筋金入りの花粉症になってしまったのだろう。

平坦な川床を1時間くらい歩くと、この川最大級の蛇行が始まる部分に到達、左岸の崖の中腹に第1のトンネルが掘られている。このトンネルは、地図上では片道250m、つまり往復で500mくらいはあろうかという巨大な蛇行を、わずか20〜30mほどでショートカットしている。昨年12月に遡行した小坪井沢・本坪井沢の記事で記載したが、以前、昭和初期に、この谷一帯には木材搬出用のトロッコ軌道が存在した。この田代川は、前回の小坪井沢・本坪井沢から見ると、尾根を隔てた西側にある沢で、ここにも長大な軌道があったそうである。
確かに、今日も入渓直後、左岸が平坦になっていて、路盤があったような跡も確認できた。

さて、このトンネルは、その軌道のトンネルであり、軌道は蛇行部を短絡してこのトンネル内を通っていた。崖の中腹に通したということは、川に木橋をかけてこのトンネルが接続していたようである。その痕跡として、この崖に口を開けたトンネルの真下の川床には、大きな丸い橋脚杭跡が存在する。直径30cmくらいある3つの孔が、直線的に等間隔で並んでいる。

対岸(右岸)を少し登って向かい側の崖上に掘られたトンネルを見通してみる。入口にはやや草が茂っているが、出口まで見通せ、南に向いている出口側の光がまぶしい。

さて、このトンネルをどう通るのか?
河床からは10mくらい上に掘られている。しかも、下の斜面はオーバーハングした手がかりのほとんどない岩面で、ハーケンでも撃ち込まなければ真下からは登れない。ではと、右側左側の壁面を上がってトラバースできないかをざっと見渡してみるが、上がれるポイントがない。斜度が急すぎるし、岩のでっぱりや草木などの手掛かりが乏しい。
しばらく壁に近づいたり遠ざかったり、斜面をねめ回していたが、やがて諦める。
こちらからはトンネルに上がれそうはない。

仕方ないのでさらにこの往復500mもの蛇行を歩き、上流側の坑口からトライすることにする。
すさまじい蛇行である。トンネルは蛇行の根元に掘られていて、行路を最大短縮している。

蛇行を延々と歩いて、上流側の坑口に着く。
坑口の高さは、下流側よりも大分低い。5mくらいだろうか。しかも、トンネルに上がるために誰かがかけたのだろうか、わりとしっかり固定された木が渡されていて、何とか登れそうである。
登り始めの最下部はやはり平坦な岩面で手がかり・足がかりに乏しかったが、木を頼りになんとか上がる。トンネル近くの高度ではやや草や木が出てきて、なんとか掴んでトンネル面に上がる。

きれいなトンネルである。幅2m、高さは3m、長さ20mくらいだろうか。坑口には草木が生え、底には砂が積もっているが、それ以外は掘削以来ほとんど変化なく保存されているように見える。掘られてからすでに100年近く経っているはずである。トンネル内を歩く。天面に1匹だけコウモリがマントをかぶってじっとしている。
トンネルの傾斜はあまり感じられないが、やはり少しは下流側に下るように傾斜しているのだろうか。上流側の高さが5mほどで下流側が10mということは、川が下りながら標高が数m下がっていることもあるだろう。

下流側の抗口まで歩く。さきほど対岸から見た坑口から、逆に川と対岸を見下ろす。やはり高い。ここから木橋が川に架かっていたなどとはいまとなっては想像するのも難しいが、それを思い浮かべてみるとゾクゾクしてくる。トンネルの中で、トロッコの動きがあった過去に思いをはせる。ここを木材を載せたトロッコが走り、外にガーッと飛び出、光を受けたとたん、高さ10mの木橋上から、川を見下ろす。なんてことだ!

まさに、トンネルワープである。川沿い500mのところを、わずか20mでワープするのだ。

再びトンネル内を歩いて上流側の坑口に戻り、5mほどの壁を降りる。降りる方が難しい。

再び遡行を始める。さっきの橋脚杭跡の大孔が再び現れる。ここでも川床に3つ並んで直線的に穿たれている。どうやらここで軌道が川を渡っていたらしい。周りの地形を見てみると、この孔の上流では路盤跡と思われる平坦な土手が左岸にあったのが、地形の変化で下流側では左岸が切り立った崖と変わっているため、そのままでは軌道がいけなくなったので右岸側にシフトするために川を渉る橋を架けたのだと推察した。

1時間ほど歩くと唐突に堰堤が現れる。左から超える。
堰堤の上はゴーロの河原が目立つ。

ほどなく、再び大蛇行の根元に第2のトンネルが現れる。このトンネルの坑口はそれほど高くなく、3〜4mくらいだろうか。トンネル下の壁面はそれほど急ではなく、右側に下付き草もあるので、こちらから上がれそうである。
ただその前に、もう午後1時を過ぎているので、ここの河原で昼飯にする。今日はファミマでいつものそぼろ弁当がなかったので、チャーシュー弁当。それにサンドイッチ。

食後、トンネルに上がる。やや苦労したがなんとか坑口に立つ。
このトンネルも20mもない短いものだが、これまた川の蛇行を大ショートカットしている。上流側の坑口は、川面とほとんど変わらない高さで、緩やかな道のような坂道を降りて難なく川に降りれらた。これも川の標高差とトンネルの傾斜が合わせて4mくらいだろいうことだろう。

第2のトンネルを完抜し、さらに上流に向かって遡行する。
川は相変わらず平坦で、両岸が切り立っている。川は常に蛇行している。
時々支流が分かれる。支流に緑色の立派な釜を持つ滝が落ちている。
また、この川では、切り立った壁から滝状にたくさんの水の流れが本流に落ちている。

谷幅が徐々に狭くなり、両岸は相変わらず高くそびえているので、ゴルジュの圧迫感が出てくる。
ゴルジュが右に左に蛇行する。なかなかの景観である。

田代林道のガードレールが見える。その後、田代林道の橋の下をくぐる。

さらに行くと、今日初めての滝らしい滝が現れる。滝面に斜めの地層が荒々しく走っていて、異様な外観になっている。滝の高さは2m程度だが、澄んだ緑色の水を湛えた深い釜を持っている。両岸の壁は切り立っていて、巻くとするとだいぶ戻って巻かねばならない。

釜にはかなり大きな魚(たぶんハヤだろう)が数匹泳いでいる。今日は魚、水中生物、アメンボやクモなど、生物をかなり目撃できる。夏の沢登りなら当たり前だが、冬にはこのような生物が見られなくなるのでつまらない。沢の生物の蠢きが、春の足音を知らせてくれる。
オリンパスのカメラで初めて水中撮影するも、大物魚は写っていない。

釜が深いし水が冷たいので、まずは右岸をへつるが、滝面に近いところが足場、手掛かりがなくて、壁にへばりついたまま進めなくなる。
仕方がないので水に入って右岸沿いの壁を伝う。今日初めて尻まで水に浸かる。冷たい。
滝面を上がる。
滝の上にはもう一つ釜がある。ここは滝とはいえない水の落差で、釜の水深も浅いので、楽に通過。釜が二つあるので、過去に遡行した人は、この場所を「二つ釜」と呼んでいる。

やがて左に切り通しを発見。切り口の鋭さからして人工と思われる。となれば、ここもトンネル同様、蛇行をショートカットしていると思い、切り通しを通って上流側に出、さらに上流に向かう。しばらく歩くと、ある疑念が湧いてくる。
「あれっ、ここさっき通ったとこじゃね?」
倒木の脇をすり抜ける感じとか、なんか見覚えがある。
そうやって蛇行部を歩くと、なんたることか、さっきの切り通しに再び出てしまった。
そう、つまり、切り通しを下流側から上流側にショートカットしたつもりが、上流側から下流側にショートカットして、今しがた歩いたばかりの蛇行部分をもう一度歩いて、元の場所に戻ったのだ!

何という無駄なことを。時間のロス。下流側で切り通しに気づかずに、上流側で気づいたのが運の尽き。当然こちら側が下流だと思うじゃないですか。こんな一人コントみたいなことを、誰も人がいない山奥でやってしまった。何となく、推理小説のトリックに使えそうで笑える。いや、苦笑い。
切り通しを横目に見ながら、先を急ぐ。

そして、第3のトンネルにたどり着く。このトンネルには水が流れているし、幅もやや狭く、第1、第2のトンネルとは趣が違う。トンネルからは水が流れ出し、トンネル直下は淵になっている。
蛇行部をショートカットするように掘られているので、このトンネルは房総名物「川廻しのトンネル」のように見える。元の川の流れ、つまり蛇行部分(フルカワ)を見ると、水たまりのようになって流れがなくなっている。このフルカワの周りを水田などに転用したのかは見たところ不明だが、川の流れを変えるために掘られたトンネルのように見える。
トンネルをくぐって上流側に出てみると、フルカワの部分は一段高くなって水はなく、土の地面のようになっており、こりゃあ川廻しだなと確信する風景である。

しかし、トンネルの床面には、軌道跡に必ずある、例の「橋脚孔」が連続で穿たれているのである。この廃軌道を調査している方の推測によれば、このトンネルにも軌道は通っていた、ということだがなるほどその可能性もあるか。下流側のトンネル坑口では、下が淵で、トンネルの高さからは1mくらいは下にあるので、ここも橋が架かっていたのだろうか?

第3のトンネルも完抜。さらに上流に向かう。もう午後4時。トンネルに登ってくぐったりして、切り通しで一人コントなどをしていたら、時間がかかってしまった。遡行開始からもう5時間以上経過している。

 蛇行するゴルジュ

谷幅はどんどん狭くなり、源流が近いこと物語る。ここからもう郡界尾根(君津と鴨川の境界の尾根)は近い。時間もないので、この辺りから尾根に上がることにする。右から入っているウォータースライダー状の、U字にくり抜いたような支沢を登る。支沢は尾根に詰め上がっているので、どんどん高度を上げていく。水はほとんどない。
しばらく登ると、上に稜線が空との境界を作って見え始める。沢は源流となり、藪漕ぎもなしに斜面を急登して尾根に飛び出す。しっかりした尾根で、周りで一番高いので、郡界尾根に間違いなかろう。いわゆる鍋石ルート上に出たことになる。(鍋石ルートは先月2月11日に歩いた)

郡界尾根を東にしばらく歩くと、黒塚番所跡に出る。ここは元清澄山への関東ふれあいの道、金山ダムへの道、および鍋石ルートが分かれる交通の要衝である。
もう午後4時20分。

ここからどうするか?
当初の予定では、ここから北に歩いて元清澄山に登頂し、さらに北に降りて田代林道の終点に降り立ち、帰りは延々と田代林道を歩いて駐車ポイントに戻る、ということであった。しかしもう4時半である。
田代林道というのはとにかく長い。たっぷり2時間はかかるだろう。
別の選択肢と言えば、もう一度沢に降りて、田代林道に隣接するところまで行って林道に上がって、林道を戻る、ということだが、まぁ少しは時間の短縮にはなるだろう。
4時半。日没まであと1時間20分ほど。

やはり私は止まらない。このまま初志貫徹で元清澄山に登ることにする。
ここで沢靴から山靴に履き替える。元清澄山までの道は、尾根歩きなのだが、鎖場があったりしてなかなか楽しい。だが途中から、擬木の階段の長い急登が連続し、とたんに息も絶え絶えとなる。平坦な沢だったとはいえ、すでに沢を6時間くらい歩いて足を使ってしまった後の急登は、もろに足に来る。
階段の途中で息が切れて休む。なんという体たらく。

ゼェゼェいって元清澄山山頂に到達したのは5時過ぎ。日が傾いている。
しばし休憩の後、北に降りる。田代林道に出、ここから林道を延々と歩く。
以前の元清澄山〜三石山の山行時にこの林道を歩いたが、とにかく長い。そして現在は廃道なので、ところどころで土砂崩れや倒木が道を塞いでいて、やや危険な箇所がある。
歩いているうちに日は山の端に沈み込み、辺りは急速に暗くなってくる。廃道の田代林道は暗闇に沈む。頭にヘッドライトをつける。
暗闇のなか、左右の森の中を動物が動くカサカサという音が絶え間なくする。おそらく鹿だろう。時々鳴き声もする。近い。
今日も沢で3頭ほどの鹿を見た。藪をかすめる音と鳴き声からすると、この谷にも相当数の鹿が生息している。12月に行った小坪井・本坪井沢も多かったが、この元清澄山の北側エリアというのは、房総半島でも最も鹿影が濃い場所の一つであろう。

道端が垂直の崖になり切れ落ちていて、下を見ると深淵のような暗闇しか見えない。もしここを墜落したら、真っ暗な中をいつ着くともしれない底に向かって落ちる恐怖は、まったく計り知れない。暗闇を落ちる。周りが見えている昼間の墜落とはまったく質が違う。全盲の人が普段どれだけ恐怖心と戦っているか。

崩れた土砂と岩が、道に山のように積もり上がっている。暗いなかこの土砂崩れを注意しながら乗り越えていく。切ない気分になる。
真っ暗な廃林道を歩いていると、自然と様々な妄想が湧き上がってくる。心霊現象なんか、ありがちじゃないか。誰もこんな暗さでこんな道を歩かない。森の精霊か、人魂か、悪霊か、何かに出会っても不思議じゃない。
そんなことを考えながら、延々と歩く。いや、別にビビっているわけじゃない。

通行止めゲートを過ぎ、いままで真っ暗だったのが、ぼんやりと街灯が見えてくる。近づくと、門燈だった。ここには別荘があり、その別荘の門だと思われる。だがその肝心の別荘の建物は暗闇のなか沈んでいる。いま誰か別荘に滞在しているようには見えない。いや、買い物にでも出かけているのか。それとも寝ているのだろうか。
門燈だけを毎日毎日わざわざ点灯するのだろうか?それとも自動で点くのか?
山の中の1軒屋だけに妙に気になる。

二つ目の通行止めゲートを過ぎると道はちゃんとした舗装道路となる。
ついに入渓地点の明澄橋に到達。午後7時過ぎ。
民家が現れ、街灯が現れると、やっと人里に戻ってきた安堵感が湧いてくる。
そして車を置いた笹衛士公園に戻ったのは午後7:25。

今日の活動時間は9時間、総歩行距離は25kmくらいか。(GPSが飛びまくって適切な距離を計測できず)
飛びまくってはいるが、一応本日の沢山行図はこちらで。

田代川 沢登り<トンネル3本完抜> ユーチューブ動画

沢登りしながらトンネル3本を完抜、田代川の源頭までは詰めなかったが支沢の源流を詰めて尾根に上がり、さらに登山。今日も相当に足を使った一日だったが、充実した山沢行だった。
2018/3/7 (Wed.)
 
上総掘りの足場

久留里城(千葉県君津市)

久留里城址から見下ろす 
 

久留里(くるり)城とスタジオ個人練習 曇り@君津市

今日は君津市の久留里城へ行く。
空はどんよりと曇っている。今日は久留里城と資料館だけを訪れる予定で、昼過ぎにノコノコと千葉市を出発。
午後2時過ぎに久留里城の駐車場に到着。車は3、4台しか停まっていない。
駐車場の端の方に「君津市森林体験交流センター」という建物が建っている。トイレに行きがてら中をのぞいてみる。
久留里にゆかりの深い新井白石の展示や、木工品の展示などがある。係の人が事務所の中で働いているが、私に声をかけるでもなく、館内はひっそりとしている。
木工体験ができるような椅子とテーブルが並んだ部屋があるが、無人。定期的に教室が開かれているのだろうか。

駐車場に戻り、山道を久留里城に登り始める。久留里城は小山の頂上にある山城で、駐車場からは山中の道を15分ほどかけて登ることになる。
道は普通の山道のようである。森を抜けて山を登る、まさに山城である。
枯れ木のような枝だけになったミツバツツジ群の間の道を行く。
割とアップダウンもあり、ひと運動である。
15分くらい登ると、久留里城と資料館の間にある階段道に出る。

まずは二の丸跡にある「久留里城址資料館」に入る。なんと、無料である。
展示は、里見氏や久留里城の歴史、また上総地方の風俗や伝統などである。中でも興味深く見入ったのは、上総掘りの紹介展示。上総掘りというのは、日本を代表する掘り抜き井戸工法で、君津市の職人たちが開発し、明治時代中期に確立された。この工法は少ない労力で動力を使わずに効率的に500mほどの深さの井戸が掘削できることで、日本全国に広まった。
1955年頃まで上総掘りは日本各地で行われたが、その後のボーリング技術の発達によりすたれ、1970年代には姿を消した。しかし国際貢献の場で、海外でこの技術は蘇り、水が必要で貧しい国で再び注目を浴びている。
資料館の外にはその上総掘りの設備が展示されている。木造の水車状の回転物とそれを囲むように造られた足場から成る。
二の丸跡の薬師曲輪から、盆地の風景が見下ろせる。この眼下には、久留里城の三の丸があったそうで、山からふもとまで壮大な城だったことがうかがえる。

資料館のあとは久留里城へ。階段を上がると久留里城がある。
久留里城は室町時代に上総武田氏が築城したと言われる。その後戦国時代に上総の支配者は里見氏となり、1535年、里見義たかはこの久留里に本拠を移し、その際に久留里城を改修した。
1554年、北条氏が久留里城を取り囲むも、里見氏はこれを撃退。さらに1560年に北条氏に攻められた際には長尾景虎(上杉謙信)に救援を要請し、当時北条と敵対していた謙信の関東進出のきっかけとなった。
1590年秀吉の小田原城攻めの際、里見氏は参陣の要請に従わなかったため、秀吉により上総の領地を召し上げられ、その領地は安房一国となった。その年に徳川家康が関東転封となり、上総国は家康の領地となる。その後江戸時代を通じて、徳川譜代の諸大名が久留里城に入城し、この地を治めた。なかでも黒田直純がこの久留里城を近世城郭に整備したと言われる。当時は久留里藩の藩都となっている。
明治5年の廃城令により廃城。
「雨城」の別名があるが、これは城の完成後、3日に一度、21回も雨が降ったことから、と言われる。
現在の建物は1979年に建てられた鉄筋コンクリート造りの模擬天守である。

城には誰も係員がいない。受付のような場所にアンケート紙と箱が置いてあり、アンケートに記入して箱に入れるだけである。もちろん無料。
1階部分は日本全国の名城が写真で紹介されている。2階、3階部分には何もなく、天守最上部ではベランダ状の通路から各方面の展望を楽しむことができる。
城内には私ともう一人おじさんしかいない。平日昼間ならこんなもんか。

この模擬天守の脇が天守台跡で、実際にはこちらに天守があったようである。
天守台の脇には丹生廟(たんしょうびょう)遺跡として石碑が残っていて、黒田氏のルーツである丹党の祖神をまつっていた廟があったと言われる。

4時半となった。曇りで寒い。久留里城を後にし、再び山道を下って駐車場に戻る。

千葉に向かって車を走らせる。今日はこれからスタジオで個人練習。
千葉駅近くのスタジオペンタ。夜7時〜9時まで2時間入って録音したりした。
2018/3/6 (Tue.)

鋸南町の竹灯篭祭り(千葉県鋸南町)
 
 
 
 
 
 

『進撃の巨人』と世界 晴れ@千葉市

最近『進撃の巨人』のアニメ版をすべて見、原作である漫画も最新話まで読んだ。
面白い。

人を食う巨人と人類との壮絶な戦いを描く話だが、謎が多く、ストーリーが展開するにつれ徐々にその謎が明かされていく、という進め方もいい。
実は巨人との戦いだけでなく、、そのような自分たちの生存を脅かす脅威が現れた時に起こる、様々な人間模様、例えば人間同士での食料の争いが始まったり、軍人なのに敵前逃亡したり、死を賭して戦って死んだり、1万人の人間を救うために100人を犠牲に死なせる、子供を助けるために自分が巨人に食われる母親、などという極限状況が描かれ、いろいろ考えさせられる。

作者がどの程度意図しているのか知らないが、この話には、今まで人類が経験してきた歴史や議論されてきたテーマを見ることができる。
そのなかでも考えさせられるのが、「自分たちの生存を脅かすものと命を賭して戦うか否か?」というテーマである。

2018年現在、世の中から戦争や紛争はなくなっていない。泥沼のシリア、民族紛争のミャンマーなど、人は人を殺し、血みどろの争いが絶えることはない。
戦争反対、平和歓迎の理念は当然である。誰だって何もしてないのに殺されたくないし、人殺しなんかしたくない。しかし悲しいかな、現実は戦争に巻き込まれる可能性は少なからずあるのだ。交通事故のように、たとえ自分に非がなくても、話の通じない、もしくは平和的思考を軽視する人間によって攻撃される可能性があるのだ。
戦争は遠い国の出来事ではない。日本の現状を見ても、中国や北朝鮮を考えれば、政府として、日本人の命と財産を守るためにいま腐心しなければならないことは明確である。

戦争反対の人々の中には、たとえば万が一中国に攻撃された場合、反撃せずにそのまま服して植民地になっていい、というガンジーの無抵抗主義のような、あくまでも自分たちは戦争をしない、という選択肢を主張する人もいるらしいが、日本という国を捨てる、ということだろうか?それでいいのか?中国人たちは日本人を優しく扱うとでも思っているのだろうか?シベリアに送られて強制労働させられて極寒の中で死んでいった日本人たちの無念をどう考えているのだろうか?
まぁ仮定の話をしても仕方ないような気もするが、人権がないような扱いをされて、虫けらのように死んでいっても、「戦争はしなかったからこれでいい」と胸を張って死ねるのだろうか。

また、戦争反対を主張する人の中には、「中国や北朝鮮が攻めてくるわけない」と言ってはばからない人もいる。前回の東京都知事選に出馬して落選したニュースキャスターも、以前テレビ番組でそう言っていた。なぜこんな、平和は永遠に保たれることを信じて疑わないような、現状認識をできない人がテレビで幅を利かしているのか、恐ろしくなる。平和ボケの花畑にもほどがある。
中国や韓国がこれだけ反日を掲げているのは、恨みがあるからである。彼らは明治末期〜昭和初期に日本に攻め込まれ、併合されたり一部を侵略されたりして、人民を殺されている。そりゃ、恨みがあるのは当然でしょう。
むしろアメリカに原爆二つも落とされた日本が、アメリカに骨抜きにされ、反米にならなかったのが不思議である。アメリカの占領政策がうまく日本人を洗脳したということだろう。
人民が反日で洗脳されている中国が、いつか日本に復讐したいと思っていても全然不思議ではない。
尖閣諸島近辺への度重なる船(軍艦、漁船問わず)の進入とか、下手すると船で海上保安庁の船に体当たりしてくるような状況を見れば、中国人の感情は明らかである。

確かに、誰も戦争に行きたくない。戦争を実体験として知る人が少なくなっているが、情報によって戦争の悲惨さ、苛酷さを頭では理解できるようになっている。
だが、理想は理想である。戦争というのは相手があることであるから、現実を冷徹に見なければならない。

世界には、軍事力を放棄した国もある。だが、それらの国の多くは、自国の防衛を、大国や集団保障体制に依存していることが多い、つまり、他国に守ってもらっているわけである。そういう方針で、自国は守れるか?
今の日本も、実はアメリカの核の傘の下で庇護されている。日本が攻撃されたときに日本が盾の役割、アメリカが鉾の役割をするというが、外国人であるアメリカ人が、日本のために命を賭して戦うという無理な構造に皆が気付かないわけではあるまい。本当にアメリカは日本のために戦ってくれるのか?大いなる疑問である。
自分の息子を日本のために死なせることを是とするアメリカ人の親がいるだろうか?

また、スイスのように、永世中立国を宣言するというやり方があるのかもしれない。だが、この「中立国」になるには、中立という立場を他国が承認・保証しなければならず、そういう国がなければ何の意味もない。誰も認めてくれなければ、このような中立国でも、武装して他国の侵略を防がねばならないわけである。

結局、自国の身は自国で守る、というのがあるべき姿なのではないかと考える次第である。

自衛隊は何のためにあるのか?
日本を取り巻く安全保障状況が激変するいま、また、憲法改正が声高に叫ばれているいま、我々は改めて考えねばなるまい。
「もし、日本に有事があったら命を賭して日本を守る」という日本人がいなくなったら、日本という国が滅びるときなのだろう。
少なくとも自衛隊員は、入隊の際に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」ことを宣誓する。
つまりは、自衛隊員は、場合によっては、日本国のために命を賭す、ということである。
自衛隊はそのような組織である。
しかし同時に、自衛隊員は、「日本国憲法および法令を遵守」することも宣誓する。憲法上で、自衛隊の位置づけ・役割が明確化されなければ、自衛隊は有事の時に迅速かつ的確に日本国や日本人を守ることはできないだろう。実際、いままで政府は集団的自衛権を否定していたが、最近その解釈を変えて物議をかもした。それに異を唱える自衛隊員もいるだろう。いままでの政府方針で宣誓したのに、憲法は変わってないけれども政府方針が変わったとしたら、「ちょっと待ってくれ」ということになる。
命を賭して日本のために戦う自衛隊員の役割を明確化しなければならない。
おっと、最後はすこし話が逸れた。

『進撃の巨人』では、人類のために、家族のために巨人と命がけで戦う人間がいる反面、そのような絶望的な戦争から逃れ、平和に内地で暮らすことだけを考えている人間もいる。
人間の縮図が描かれており、現在の我々の立ち位置を考えさせられる。

 

もう10年も前のことになろうか、友人のIが聞いてきた。
「伸也、もし北朝鮮が攻めてきたらどうする?」
「そりゃ戦うさ。」
「僕は戦えないな〜。怖くて」
あの時は臆病なIを叱咤する意味もあって勢いで言ってしまったが、人を殺すようなことができるか?いや、難しいだろう。
だが、仮に目の前で家族や友人が危ない状況になったら、それを救うために危険を顧みずになんらかの行動を取るはずだとは思う。これは人それぞれで、そうでない人もいるだろう。
まぁ、その場になってみないと分からないことではあるが。

誰がどのように日本人や日本国を守るのか?我々は考えねばなるまい。
2018/3/3 (Sat.)

やっぱり道なき道を上がる
 
 
 
 
 
郡界尾根の岩の斜面。ここからの展望良し
 
房総のグランドキャニオン、採石場跡
 
 
竹灯篭祭りの灯篭

嵯峨山〜郡界尾根 山行と竹灯篭祭り 晴れ@鋸南町

今日はいつもの友人二人と、嵯峨山に東側の横根峠から登り、嵯峨山登頂後は郡界尾根を「正しく」歩いて小鋸(このこぎり)手前の採石場跡まで歩くことにする。というのも、先日1月21日に嵯峨山に登頂後に郡界尾根を歩いたのだが、道を間違えて籠田山方面に進んでしまい、そこから道を外して強引に沢に降りて小鋸に到達したという過去があり、今日はどこで間違えたのかを確認したうえで正しい郡界尾根を歩きたいという趣旨である。

車駐車地点の道の駅・保田小学校に着いたのが午前9時半。
ここから再び鋸南町営バス(青バス)に乗って東に向かう。先回降りた小保田バス停を通り過ぎ、だいぶ行った先の湯沢バス停で下車。ここからバスは佐久間ダムへ降りる道に曲がる。
午前10時過ぎ。

しばらくバス通りの県道34号線を東に歩くと、富津市と鋸南町との境が出てくる。この辺りが横根峠と呼ばれる場所で、そろそろ山に入る場所を探す。山に入れる場所がないかを探してウロウロしたが、結局民家の間の急坂のコンクリート道を上がって、民家を抜けてその裏山に入ってまず近くの尾根を目指すことにする。
山に入るといきなり道はない。道なき道を上がる。
しばらく上に見える尾根に向かって上がると、わりとしっかりした尾根道に出る。これが君津市と鋸南町との境となる郡界尾根である。

あとはこの尾根を西方向に向かう。小ピークが次々に現れる。
尾根にイノシシ捕獲の檻が設置されている。
斜面に造られたスイセン畑の境界に金網が張ってある。金網沿いに上がるとちょっとした平地があったのでここで休憩。12時前。すでに2時間近く歩いている。

一旦林道に出る。林道保田見(ぼてみ)線である。
これをしばらく歩くと再び山道が山の中に切れ込んでおり、これを上がっていく。再び尾根道である。郡界尾根は続くよどこまでも。

笹薮の道を歩き、岩の痩せ尾根を渡り、日の照り生えるマテバシイの林を抜ける。気持ちのいい山歩きである。

再び林道に出るが、山道は継続して山の中に入っている。
嵯峨山山頂が近づいてくると、尾根に岩が目立つようになり、急登が多くなる。ロープが張られている場所がいくつか出てくる。
前回1月21日に嵯峨山に登頂した時も、最後にこの東側の郡界尾根に出ているが、今回はもっと東側からこの尾根を歩いてきたわけである。

13:14、郡界尾根ではほとんど迷うことなく、嵯峨山の山頂に着く。
バスを降りて歩き始めてからおよそ3時間。なかなか運動量のある尾根歩きだった。

嵯峨山でしばし休憩し、昼食。
郡界尾根をさらに西に向かう。これは前回の道と同じである。
ロープ場を下り、スイセンピークを過ぎ、尾根上の鉄塔を過ぎる。前回ここを通った時は、鉄塔を修繕中で、たくさんの人々が、数10m上の鉄塔の高みに取りついて作業をしていた。
尾根にはまだ資材が残っているが、鉄塔を見ると、鉄塔の修繕作業は終わったようであり、人は誰もいない。

そして前回道を誤った地点に近づく。東電の作業道が左に降りていて、尾根を直進すると、T字路のような道となっている。
ここを我々は前回、何の迷いもなしに左折し、南方面に入った、。それが間違いだったわけである。
確かに嵯峨山方面から来ると、右に曲がる道は分かりにくいかもしれない。

ここで我々は正しい郡界尾根に入る。つまり右に折れる。ここからは未知の道である。

以前は見られなかった、銀色の金属プレートで造った案内板が各所に設置されている。
「←ノコギリ山 サガ山→」
という文字が四角い金属板に抜かれている。ガス溶接で穴を開けて作ったのだろうか。
木でなくて金属なのは、風雨による経年劣化を考えてのことだろうか。いい看板である。

郡界尾根はなかなか楽しい。岩の斜面が出てきて、そこからの眺望が秀逸である。「房総のグランドキャニオン」、採石場跡が一望できる。
もうすぐ採石場跡に出るところで、枝道が出ていたのでそこを入ると、グランドキャニオンの東側を一望できる平地があった。がここからは降りられないので、この枝には入らずに、尾根をそのまま進むと、茶色いすすきの生い茂る野っ原に出た。
ここは採石場の東側に当たる。
グランドキャニオンがまた別の角度から我々を圧倒する。

以前の山行でも書いたと思うが、郡界尾根は、ここで分断されているのだ。開発のためにここの山を削り、削ったどころか、すり鉢状の穴まで掘って採掘している。
その末路がこの殺伐なグランドキャニオンである。いまはもう廃墟のようになり、採石はされていない。

今日はここから採石場に導く林道を通って南下し、保田小学校まで戻ることにする。
採石場が稼働していたころの事務所だろうか、いくつかの廃屋が採石場近くの道沿いに立っている。建物のサッシ扉を開けてみようとするが、当然開かない。
トラックか重機の巨大なタイヤが廃棄されている。まさに採石場の停止とともに打ち捨てられた廃墟のようである。
道に水たまりがあり、おたまじゃくしがいる。さらに大きな水たまりをよく見ると、房状のカエルの卵が大量に産みつけられている。この水は蒸発しないのだろうか?

林道から、長狭街道と呼ばれる県道34号に出る。ここからは西に歩く。
田畑があり、ビニールハウスがあり、民家がある背景に、こんもりとした山が控える。畑ではお父さんお母さんが作業をしている。房総の里山の典型的風景に癒される。

道端に菜の花が咲き乱れている。まだ3月上旬であるが、厳冬だった今年でも房総では花が早い。

保田川が左に沿うようになる。保田川沿いに桜が咲いている。この桜は「河津桜」といい、暖かい房総ではもう満開に近く見える。
ここ鋸南町では、この河津桜を、「頼朝桜」と称して、名物化しようとしている。「頼朝さくらまつり」と銘打って観光客を呼び込もうとしているようだ。
以前にも本ページで言及したと思うが、源頼朝が鎌倉幕府を開く前、伊豆において流罪の身でありながら、平氏に反旗を翻して挙兵したものの、石橋山の戦いに敗れて安房に船で敗走した関係で、房総半島には、頼朝にまつわる事績や場所が多い。
鋸南町では、真鶴あたりから相模湾を渡った頼朝が上陸したのが鋸南町の竜島だったことから、頼朝を冠して町おこしを図っているのだ。

桜が川沿いに並木となって目を楽しませているが、桜の木の下には菜の花が植えられており、桜と菜の花の競演が見られる。これも千葉県南部ではよく見られる風景である。
薄紅と黄色が淡い色で競っている。

保田小学校に戻ったのが午後5時前。
本日の山行時間は、約7時間、総歩行距離は約14km。
思いのほか疲れた。

今回の山行地図は、こちらで。
前回1月21日の山行図も合わせて示している。濃い青の線が今回、薄い青が先回である。

実は今日はこれで終わりではない。これから夜にかけて、1年に1度の「竹灯篭祭り」がここ鋸南町で開催されるのだ。
場所は保田川沿いで、この保田小学校から歩いて10分くらいのところである。
そのせいか、今日は保田小学校にはいつもに増して人が多い。
5時半、だんだんと日が暮れ始める中、祭り会場に向かって歩く。

まだ夕闇は降りてきていないが、保田川沿いの道に、様々な模様や文字を刻んだ竹が並べて置かれ、竹の中に灯されたろうそくが、暖かな灯りを作っている。
「きょなん町」とか「保田小」とか文字や、様々な模様をくり抜いたこれらの灯篭は、きっと地元の老若男女が制作したのだろう。

会場には屋台が並んだ飲食エリア、コンサートを行うステージなどもある。

6時を過ぎると夜のとばりが本格的に落ち、竹灯篭たちが暗闇の中で主張してくる。
美しい。幻想的な祭りである。
光源はろうそくだけでなく、LED電球もある。LEDの場合は、灯りはよりシャープな、人工的な輝きとなるが、色とりどりのフィルターを使って様々な色を出しているようである。

河原には「サクラの里 そだねー」という文字が竹灯篭で書かれている。ピョンチャンオリンピックでカーリングの日本女子チームが流行らせた言葉を早速取り入れた。
今日はひな祭りであり、竹の中に男雛と女雛をしつらえ、「ひなまつり」の文字をくり抜いた竹もある。かぐや姫状態。
震災被災地との関連もあるらしく、「がんばっぺぇ気仙沼」という文字が書かれた灯篭もある。

友人二人はすぐに飽きてしまい、先に保田小学校に戻った。私は竹灯篭に囲まれながら写真を夢中で撮り、6時半まで堪能してから戻る。

それほど有名な祭りではなかろうが、なかなか趣のある祭りだ。
2018/3/1 (Thu.)

映画『空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎』 晴れ@千葉市

今日はファーストデーなので映画を見に行くことにした。
日本題『空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎』という映画である。

日中合作映画で、2月末に公開されたばかりだが、平日木曜日の夕方午後6時の回に観客はわずかに10数人。空海という人物は、現代の人間にはほとんど興味を持たれない存在なのだろう。
おかげで真ん中やや後ろのど真ん中の席に陣取れた。

映画は、微妙だった。
遣唐使で唐に渡った空海が長安に滞在中の話だというから、どんなストーリーだろうとワクワクしていたのだが、空海自身は主人公ではなく、むしろ語り手のような役割で、実際には楊貴妃と彼女を守るために暗躍する妖黒描の怪奇伝説物のような話である。

当時の長安の賑わいを再現した街や路地の映像は目を見張るものがあったが、途中何度か意識が飛んだ。
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