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日記
(2019年3月)
2019/3/31 (Sun.)

丸岡城の石垣(福井県坂井市)

越前福井と言えばカニどころ(敦賀市の日本海さかな街にて)

三方五湖(福井県三方上中郡若狭町)

三方五湖の外来魚ノーリリース看板

太平記   晴れ@千葉市  

今日は再び、おばちゃんの井戸端会議のようになるがご容赦願いたい。
最近、再びユーチューブでNHK大河ドラマを見た。
1991年の『太平記』。
NHKの大河ドラマといえば、幕末〜明治維新か戦国時代かと相場が決まっているが、この『太平記』は、鎌倉時代末期〜南北朝時代を舞台に活躍した足利尊氏の物語である。
これが良かった。
この時代の動乱ぶり、混乱ぶりは、戦国時代や幕末も真っ青であり、そのダイナミックな時代をバックに、絶大な権力を誇った鎌倉幕府の北条氏を倒し、のし上がっていく足利尊氏。ドラマにスピード感と躍動感がありよい。この時代が面白いことを初めて知った。
例えば、南北朝時代というのは、北朝と南朝で二人の天皇が並び立っていたとんでもない時代であり、この異常な時代は50年以上も続くのだが、その間、元号は同時に2つあったのである。
現代では明日新たな元号が発表されるが、2つの元号がある時代など、今となっては信じられないだけである。

鎌倉時代と戦国時代の間の南北朝時代と室町時代というのは、歴史ドラマ空白地帯で、私はこの時代を扱ったドラマを見たことがなかった。
前半は時代がどんどんと動き、見ていて飽きなかった。後半、楠木正成、新田義貞、後醍醐天皇といった主要人物が次々と死去した後は、足利氏内部の骨肉の権力争いと堕し、失速したものの、全体的に見れた大河だった。そもそも、一人の人物の一生を描くのに、ドラマチックなストーリーばかりで彩られるはずがないのだ。
私の中では、『獅子の時代』に次ぐ、二番手グループの高評価である。作風としては大河の王道ともいえる重厚な演出で、『独眼竜政宗』に通ずる。


この『太平記』の主人公、足利尊氏役は真田広之さんなのだが、そのライバルともいえる新田義貞を萩原健一さんが演じていた。萩原さんと言えばショーケンの通称で親しまれ、先日亡くなったことが分かったばかりである。この萩原さんの演技は、始めほとんど無口で、彼の無表情ながらもいまにも爆発しそうな雰囲気と相まって、「新田義貞、一体どんな人物なのだ?」とワクワク感が止まらなかった。実際、ドラマ序盤で真田尊氏を凌ぐような存在感を出していた。
ところが、である。
ある回から、突然萩原さんは出なくなり、代わりに根津甚八さんが新田義貞役を演じるようになった。
私は愕然とした。ピエール瀧さんのように萩原さんも麻薬で捕まったのだろうか?(実際、彼は生前3回逮捕されている。麻薬ではないが)
降板理由をネットで調べてみると、逮捕されたからではなく、病気とのことだった。
根津甚八さんも無口系の役者なので、白羽の矢が立ったのだろうが、やはり私は萩原義貞が見たかった。

大河ドラマや朝の連ドラは1年や半年という長丁場なので、今までにも病気などで代役が立てられたことが何度かあるだろう。現在放送中の『いだてん』でも逮捕されたピエール瀧さんの代役が立てられるようだ。それにしてもこの萩原さんの降板は、私の中では残念至極の出来事だった。

さて、さらなる雑談となるが、このドラマを見てみようかなという人の参考となるよう、役者情報を書いてみたい。
・高嶋政伸さんこそ、大河に欠かせない役者ということになろうか。この『太平記』でも、尊氏の弟の足利直義役を熱演していたが、たいてい彼の演技はインパクトを残す。『秀吉』ではやはり秀吉(竹中直人さん)の弟の秀長役、『真田丸』での北条氏政役など、印象に残る演技が多い。
・鎌倉幕府の最後の執権、北条高時役の片岡鶴太郎さんの怪演も見逃せない。今とは打って変わってふくよかな肉体で、狂っているのかまともなのか分からない高時を演じる。
・準主役とも言える、後醍醐天皇役の片岡孝夫さん。後醍醐天皇という、権力に固執し、京を二度も追われながらも公家一党の政治を目指した執念の天皇。その精神力は恐るべきものがある。しかし悲しいかな、時代はもはや「武力」を持つものの時代であり、「力」のない公家の言いなりになる武士たちではなかった。
・この時代のキーマンでもある楠木正成役は、武田鉄矢さん。彼の演技は、どうみても金八先生である。セリフの初めに必ず微笑を浮かべながら、「うん」とか「うーん」とか入る。爆笑してしまったが、当たり役でイメージがついてしまった辛さ。
・ゴクミこと後藤久美子さんは、若き公家の北畠顕家という男の役で出演。武芸にも通じ、戦では数々の戦功をあげるという男をゴクミが演じるという違和感が計り知れない。しかも壮絶な最期。女性が男の役を演じることは多くないと思うのだが、これはどういう経緯でキャスティングされたのだろうか?話題狙いの浅薄なキャスティングか。
・ゴクミが演じる北畠顕家の父親である北畠親房役を近藤正臣さん。彼も大河に欠かせない名優と言えよう。「存在感」という言葉がぴったりである。『龍馬伝』での山内容堂役、『真田丸』での本多正信役も存在感ありあり。

大河ドラマ評論家的な文章となってしまったが、『太平記』、興味のある方はぜひ視聴されたい。
2019/3/29 (Fri.)

大盛りイカ焼きそば 販売終了   曇り@千葉市  


 グリコのLee
先日、ビッグニュースが飛び込んできた。
エースコックのカップ焼きそば、「大盛りイカ焼きそば」が今月末生産分までで販売終了となるというのだ。発売は1988年だというから、31年のロングセラーだ。
以前も書いたと思うが、この焼きそばは、クセになる味で、私はよく食べた。子供の頃から食べているという意味では、超長寿商品「ペヤングソース焼きそば」に譲るが、カップ焼きそばというジャンル内では、私の中ではそれに次ぐ地位であった。
これも書いたと思うが、大学時代、私が所属した研究室では、卒業研究シーズンには、研究室に段ボールが置かれ、その中に一杯のカップ麺やカップ焼きそばが入っており、1個100円で食べられるようになっていた。卒業研究の頃は、夜遅くまで研究室にいる学生が多いため、その夜食用に、誰かが安売りスーパーで大量に仕入れてくれているのである。
その中で、くだんの「大盛りイカ焼きそば」は人気の一品であった。同級生のIの言葉が、妙に心に残っている。
「この匂い、いかにも身体に悪いって感じだよな〜」
あのソースのどぎつい匂いと濃厚さが、この焼きそばの一つの特徴である。

そういえば、後に出て来た明星「夜店の一平ちゃん」ではからしマヨネーズが付いたが、この「焼きそばにマヨネーズ」というのは私はあまり好きではなかった。ソースにマヨネーズという、濃厚の上に濃厚を上乗せするこれでもか的な味付けは、お好み焼きから来ているのだろうか?関西発の味付けなのかもしれない。

ペヤングソース焼きそば。右がレギュラー、左が激辛 


カップめんと言えばカップヌードルや赤いきつねが老舗だが、上記の研究室での記憶が強く、大盛りイカ焼きそばには思い入れがある。あとは「ホームラン軒」はよく食べていた。

私の場合、その他の食品で言えば、激辛カレーの「Lee」(グリコ)や、ヤマザキパンの「ビッグクランチチョコ」(最近は見ない)などが長年慣れ親しんできた味である。
菓子パンは製品のサイクルが短く、毎月どんどん新製品が出てくるので、その中でロングセラーとなるものは、よほど人々に愛されてきたものだけであろう。ヤマザキパンで言えば、スペシャルサンドなどは超ロングセラーである。
私はスナック菓子をあまり食べないのだが、カールが販売終了になる際には、さすがに子供の頃からある菓子だけに、こみ上げるものがあった(嘘)。
その他ではキャラメルコーンは好きだったなぁ。いまもあるのかしら。

子供、青春時代からずっと食べて来た食品が販売終了になるのは、寂しいものである。もう二度と食べられなくなるのだ。味の記憶が薄れていく。
2019/3/26 (Tue.)〜3/28 (Thu.)

根本港右堤防。フグ天国

ちょっと見にくいが、コマセに集まるフグの大群

砂取港脇の磯(南房総市白浜)

メジナ36cm。

一度こういう写真を撮ってみたかった。メジナ36cm。

サンノジ34cm

サンノジ34cm。メジナより暴れた

午後になり、空は晴れ渡った

台湾食堂の麻婆豆腐定食

2日目、朝日が昇る

2日目、海は荒れ気味

2日目。昨日とは違うポイントでメジナ34cm

夕食を食べた定食屋。左上に見える黄色い「きんざ」と書かれた
看板が、強風で落下した

看板落下の食堂のアジフライ定食

砂取港の堤防先端。この先の船道に、ウミガメが悠々と泳いでいた

3日目、大荒れの海

大荒れの海でフグが釣れる。うれしい。黒斑点が目立つ

南房総へ釣行 2泊3日     

3月26日火曜日。
今日から、1か月ぶりに釣りに出かける。3月は、車購入や売却、会社の面接や手続きなど、いろいろあり、釣りに行ってなかった。
朝3時過ぎに起き、4時に出発、高速で千葉県最南端の南房総市白浜へ。
旧ガーデン下に着いたのが5時半で、ちょうど日の出時刻だったが、すでに車が停まっており、4、5人の釣り師軍団が支度をしているところだった。
仕方なくガーデン下に入るのを諦め、根本港に行くことにする。
雨が降り出しそうな重い曇天。根本港には誰もいない。
いまは乗っ込みクロダイのシーズンなので、でかいクロダイを釣りたい。

右堤防の先端で釣り始める。6時15分。
右手は浅めの岩礁帯、前方向かいに左堤防が張り出している。左堤防との間の狭い船道に仕掛けを入れる。
水深は3m〜3.5m。白く見えるので、砂地だろう。
ウキはB、ウキ下は2.5m程度から始める。エサはオキアミ、コマセはアミエビ+チヌベスト。
エサが瞬殺される。試しに足元にコマセを撒いてみると、大小大量のフグが集まってくる。フグ以外の魚は見えない。
すぐにフグが1匹釣れる。それ以後は投入するたびにすぐにエサが取られる。こりゃダメだ。クロダイどころではない。
1時間で諦め、7時過ぎに場所を移動することにする。

雨が降り始める。
行く当てはない。海沿いの房総フラワーラインを東に向かって車を走らせる。砂取港の脇に磯場が広がっていて、一人の釣り師が釣っている。
砂取港の堤防にも釣り師が一人。
雨が激しくなり、車の中でしばらく待機。
9時頃、雨が少し小降りになったのを見計らって、磯に降りる。ちょっとした深みがあるので、何か釣れそうだ。試しにここで釣ってみることにする。
磯は起伏が激しく、海苔状の海草がついていてえらく滑る。ミゾに渡された小橋を慎重に渡り、磯の先端部に出る。
先端部は波をかぶって危険なため、少し下がった岩に陣取って竿を出すことにする。

岩と岩の間の溝状のポイントに仕掛けを入れる。水深は3〜3.5m程度。
仕掛けはさっきと同じ、ウキはB、ウキ下およそ2.5mの固定。ハリス2m、2号、ハリはグレ7号。
満潮は朝7時だったので、下げ潮に入ってもう2時間以上経っている。時間としては悪くない。
エサ取りは激しくない。
しばらくするとウキが沈む。合わせるとすごい引きで糸が持って行かれる。いきなり何だ??
かなりの大物だ。メジナの引き。魚は深みへ深みへと潜ろうとする。海面上に出たウキが、道路工事の掘削機のようにガガガガと上下に動く。
魚が浮いてくる。メジナではなく、サンノジ(ニザダイ)だった。
玉網を入れて取り込む。よっしゃああああ!
デカい。33cmのサンノジ。

いきなりの大物。いい釣り場じゃないか。
30分後、再び大物がかかる。引かれまくる。今度はメジナ。玉網を入れる。28cm。
いままで私のメジナ最大記録は25cmだったので、あっさりと記録更新。
すごいぞ、ここ。

その後はエサ取りが激しくなる。
小さなクサフグが1匹、ニシキベラが1匹釣れる。エサ取りはこいつらだな。
だが、その後再び大物。ウキの沈みは勢いよくなかったが、合わせると魚がかかっている。始めは全然引かなかったので小物かと思ったが、リールを巻いて引いてくるにつけ魚は我に返ったのか、いきなり暴れ出し、深みにどんどん潜っていく。引かれまくる。重い。これはさっきよりもデカそうだ。
何度も磯際の深みに潜られるも、巻かれないようにできるだけ竿を立て、動きが止まったらリールを巻いていく。
魚はようやく浮いてきた。再びメジナ。デカい。玉網がなかなか制御できなかったが、なんとかランディングに成功。
メジナ36cm。一気に30cm台半ばに突入だ。

どういう場所だ、ここは?とんでもない大物場じゃないか。雨模様なのも魚の活性が高い原因だろうか?とにかく大物が連発。信じられない。
せっかくなので、よく釣り人が撮る写真を撮ってみることにする。自分で魚を手に持って、セルフタイマーで自撮り。一度でいいからこういう写真を撮ってみたかった。
小さい魚だと様にならんし、大きな魚が釣れたらやってみたかったのだ。いままでアイゴの大物は何度か釣ったが、アイゴのヒレには毒があるので、手に持って写真を撮る気にはならなかったのだ。
セルフタイマーで撮影するも、なかなか満足な写真が撮れない。白く飛び気味になってしまう。半押しでピントを合わせないからか。何枚か撮ってなんとか撮れたので魚をリリース。

興奮冷めやらない。
まだ11時過ぎ。ここで釣り始めて2時間も経っていないのに、大きな魚が3枚も釣れた。
時合だとは思ったが、腹が減ったのでコンビニ弁当を食べる。
雨は降ったり止んだり。

釣り再開。再び大きなアタリ。ウキは猛スピードでは沈まないが、合わせるとデカいのがかかっている。そんな感じ。
再びメジナ。玉網を入れて取り込む。29cm。

さらにさらに。午後1時前、今までで一番引きの強い魚がかかる。36cmのメジナも引いたが、割と休み休み引く感じだったのが、今回の魚は常に引きまくる。休みなく引くのだ。相当に体力のある魚だ。メジナか?さらにサイズアップの期待。
魚はハリから逃れようと、深みへ深みへと潜り込む。あまり潜られるとマズいので、竿を支えて耐える。
やっと魚体が浮いてくる。メジナではなくサンノジだった。サンノジ、引くなぁ。今日一番の引き。ガガガガと引き込む引きは、メジナにそっくりだ。
玉網を入れてランディング。サンノジ34cm。猛烈なファイターだ。
メジナ36cmと同様、、自撮りで写真を撮る。

リリースすると、こないだのアイゴみたいに、死んだように海面を横になって浮いている。そりゃあ、あれだけ暴れたんだから、精根尽き果てたんだろう。
魚も暴れると酸欠状態になるらしい。しばらく波にもまれながら海面に横たわっていたが、数10秒してようやく泳ぎ去って行った。ナイスファイト。

釣り再開、再び大物がかかる。しかし、かかった数秒後にバレてしまった。ハリスがスパッと切られている。メジナだろうか。メジナもなかなかの歯の持ち主だ。
痛い。結構な手応えだったから、またまた大型だったろう。ハリスに傷が入っていたのかもしれない。

その後はアタリがなくなる。雨は上がり、急速に天気が回復して日が照って来た。
13:57に干潮を迎え、陽の光のおかげで浅いところは底が見えるほどに澄んできた。これは釣れない状況だ。
コマセを入れないとエサは取られないがアタリもない。コマセを入れるとエサが取られる。フグか。
ほどなくコマセもなくなってしまい、結局午後3時に納竿。
最後のバラシは残念だったが、それにしても試しに入ってみた磯が大当たり。
メジナは36cm、29cm、28cmの3枚。
サンノジが34cm、33cmの2枚。
小フグと小ベラが1匹ずつ釣れたものの、それ以外の小魚は釣れず、大きな魚ばかり。夢のような釣り場じゃないか。
一日で5回も玉網を使ったのは私史上初だ。

根本港のフグ天国ではどうなることかと思ったが、大充実の一日となった。
私が納竿するのとほぼ同時に、私が釣っていた場所に2人のおじさんが入っていった。
駐車場でおじさんの1人が私に声をかける。
「どうでした?ダメ?」
「いや、結構釣れましたよ。メジナ3枚にサンノジ2枚。メジナは36cm。」
「メジナは40オーバー目指さなきゃぁ。」
このおじさんはベテランなのだろう、そんな憎まれ口をたたいていった。いや、この釣場では40cmオーバーが普通に出る、ということなのかもしれない。

その他、私の釣っていたところから右手側にはずっと2人組が入って釣っているが、彼らは釣れたのだろうか?

しばらく、道から私の後に入った二人組の釣りを眺めていた。空はすっかり晴れ上がっている。彼らは日暮れまで釣るのだろうか?
次の満潮は夜の20:49だから、午後5時半の日暮れまであまり潮も満ちてくれない。
ま、人の心配をしても仕方ない。

満ち足りた気持ちで車を館山市街方面に走らせる。
館山の釣具店で明日のエサとコマセを購入し、以前行ったことのある、超大盛りの台湾料理で麻婆豆腐定食を食べる。
白浜の民宿に泊まる。

3月27日水曜日。
朝4時半に起き、5時過ぎに出発。ガーデン下には人は入っていなかったが、野島崎の駐車場から一人のおじさん釣師がガーデン下方向に向かって歩いているのが見えた。私は一度コンビニに寄って昼飯を購入。ガーデン下に戻ると、案の定さっきのおじさんが磯に立っていた。今日も入れず。
まぁいい。昨日の磯に行けばいいのだ。今日も大物を釣りたい。

砂取港脇の磯へ。路肩には、すでに車が2台停まっている。
6時。日の出は5時半ごろなので、ちょうど陽が昇ったところである。今日は天気が良さそうだ。
幸いにも、2人の先行者は、昨日私が釣ったポイントには入っていなかった。
昨日のポイントに入る。今日は昨日より波が高い。溝状のポイントには高波がやって来て、岩に砕けた波が白いサラシを作っている。やばい、これは釣り辛い。

6時半ごろ、実釣開始。
仕掛けは昨日と同じでスタート。ウキはB。
波が激しく寄せては返すので、ウキが安定しない。引き波でウキが沈み込んでしまうし、海面上の泡の下にウキが入ると全然見えない。
だがエサ取りはいるようだ。ほどなくフグが1匹釣れる。
その後はエサ取りが激しい。ウキにアタリは出ない。
1時間ほどしてようやくウキが沈む。フグの引きではないが、大物ではない。小メジナ。ここで初めてコッパメジナが釣れた。

だがその後は全くアタリがなくなる。エサ取りはいる。
ウキが安定しないので、見やすい大きめの3Bに変更。だが釣れない。

私の右横に入っていたおじさんは、2度竿を曲げていた。2度目は、竿の曲がり具合からして、相当の大物のようだった。どちらも玉網を入れて取り込んでいたが、どんな魚かは私のところからは見えなかった。
どうやらおじさんの場所は波があまり打ちつけていないポイントのようである。

だが、このおじさんは大物を上げていたのにもかかわらず、10時頃には帰ってしまった。一度波に荷物をさらわれたようなので、身の危険を感じたのかもしれない。
おじさんが帰ったので、私はポイントを移動することを決める。
おじさんが釣っていたところは、どうも磯際以外はカジメ林か沈み根があるようで、どこを釣っていたのだろう?というくらいにポイントが見当たらない。
磯際の深みに仕掛けを入れてみるが、釣れない。こちらも波が来るので若干釣り辛い。

そこで、外海正面の少し高い岩に上がってみる。ここにも波は打ちつけるが、それほどでもなく、磯際は深みが広がっているので、相当有望なポイントに見える。
波に気をつけながら、ここで釣り始める。

するとほどなくアタリ。大物の感触。だが、すぐにバレてしまった。またまたハリス切れ。
実は、ハリのすぐ上のハリスに傷が入っていたのには気づいていたのだが、面倒でハリスを変えていなかったのだ。痛恨のハリス切れ。大物がかかったら、ハリスは2号とはいえ、傷が入っているハリスでは簡単に切れてしまう。そんなの、分かり切ったことじゃないか。面倒くささにかまけて、ハリスを変えるのを怠ったバチが当たった。

だが、やはりこのポイントにも大物がいることが分かった。ハリとハリスを付け直し、気を取り直して再開。
ほどなく再び大物がかかる。よし、今度は大丈夫なはずだ。
大きい。磯際を潜られまくるが、徐々に浮いてくる。メジナ。玉網を入れる。
34cm。昨日の36cmに迫る大物。よっしゃあああああ!痛恨のハリス切れで、その後1匹も釣れなかったら悔やんでも悔やみきれなかったところだが、何とか大物を仕留められた。
やっぱりここは大物場だ。

その後、沈み根の際をタイトに攻めたら根掛かりし、糸を引っ張ったらウキの上の道糸が高切れしてしまい、3Bのウキが失われる。この3Bのウキは、先日鴨川の磯で同じく高切れして、1400円もかけて新調したばかり。1日も使わないうちに再びロスト。痛い。何とか玉網ですくえないか、玉網を伸ばしたが、磯際には次々と波が打ちつけるので危なく、玉網も全然届かなかったのですぐに諦める。痛い。1400円。

この日は、自然の猛威をまざまざと感じることになる。午前中は風は弱かったのだが、昼頃、風向きが突然南西寄りに代わり、強風が吹き始めたのである。さらに波も荒くなってくる。
風はみるみるうちに強まり、体感的には10m以上の暴風となる。5.3mの竿を支えきれない。風が強すぎて仕掛けが手元に収まらない。
想像してみてほしいのだが、5mの旗竿を強風の中立てることがいかに大変なことか。てこの原理で、長ければ長いほど風の抵抗は強くなり、もはや片手では竿を持っていられなくなる。
竿を制御できないほどの風なので、午後3時に納竿。波というよりも風で釣りを中止せざるを得ないというのは初めてのことである。
結局、メジナ34cmの後は、フグが1匹釣れたのみで終了。

納竿後、館山の釣具店に行き、配合エサを購入。明日も強風で波も高いようなので、コマセ用のアミエビは買わないで明日様子を見ることにする。
風はどんどん強くなる。信号機のついた電柱が風でガタガタと揺れている。こりゃ、台風並みの暴風と言っても過言ではあるまい。

夕食は館山の食堂。アジフライ定食が出てくるのを待っていると、外で大きなガシャンという音がする。
何と、食堂の看板が、強風のため店先の駐車場に落下したのだ!危なかった。人がいなかったことは不幸中の幸いだし、私は車を駐車場の端の方に停めていたので、この看板の被害を受けずに済んだ。
5月に新車が来るまで、このインテグラを破損するわけにはいかない。すでに10万円で買い手がついているのだ。

それにしても暴風にもほどがある。身の危険を感じるほどの暴風である。どこから看板が飛んで来て直撃するか分からない。

アジフライ定食を食べ終わり、すぐに白浜の民宿に戻る。
部屋に入っても外では風の音が鳴りやまない。

3月28日木曜日。
朝、まだ風は強い。しかも今日は波が3mくらいと高い予報なので、少なくとも磯釣りは厳しいだろう。房総の磯は低い磯が多く、波をかぶってしまうのだ。
朝4時半に起きたが、風が収まっていないので、今日は朝まづめの釣りを断念する。二度寝。
8時半に起きる。まだ風は強いが、とりあえず民宿をチェックアウトし、釣り場を偵察することにする。
野島崎〜ガーデン下、フローラルホール下の磯には誰もいない。天気は晴れだが、波は高く、白く砕けて磯に打ち付けている。さすがにこれじゃあ釣りにならないし、何より危ない。

昨日まで二日連続で釣った砂取港脇の磯も、人影はなく、数mある高波が磯を飲み込んでいる。無理だ。風も依然として強い。
どうするか。このまま今日は釣らずに帰るという手もある。その方向で決めかけた頃、待てよ、と思い直す。

すぐそこの砂取港に行ってみる。堤防先端から船道を見ると、それほど荒れていない。ここなら何とか竿を出せそうだ。
せっかく白浜まで来ているのだから、釣りたい。ここで釣ることにする。昼に近くなり、風も徐々に弱くなってきた。
車で10分ほどの釣具店でエサのオキアミとコマセのアミエビを購入。例の話好きのおじさんがいるところだが、店にはすでに話し相手のおじさんを確保しており、奥のソファーに二人向かい合って話し込んでいた。絡めとられなくて済んだ。よしよし。

すぐに釣具店を出て、コンビニで昼飯を買い込み、砂取港へ。
11時過ぎ、実釣開始。
船道は広く、下は砂地のようだ。前方および右側に沈み根があり、その際が良さそう。
ウキは3B。水深は3〜3.5mなので、ウキ下2.5mくらいから始める。
エサ取りはそこそこいる。アタリは出ない。撒き餌を盛んに撒いて集めようとするが、全くアタリなし。
前方も右側のちょっと港外側も、アタリが出ない。

エサが取られたので付け替え、再び仕掛けを投入しようとしたとき、目の前の海に巨大な生き物が泳いでいた。
ウミガメだ!!

ウミガメは、目の前の船道を外海に向かって泳いでいて、頭を海面上に出していた。体長1mはありそうな、大人のウミガメのようである。
慌てて写真を撮ろうとカメラを取り出すも、ウミガメは私の気配に気づいたのだろう、すぐに潜って見えなくなってしまった。
こんな港にウミガメが出没するとは。やはり釣りは何が起こるか分からない。
ウミガメは何しに港に近づいていたのだろうか?まさか産卵でもあるまい。

驚きも冷めやらぬまま、釣りを続けるが、全く釣れない。エサは取られるのでフグはいそうであるが、フグも釣れない。

午後2時、コンビニ弁当を食べ、移動を決める。
もうだいぶ風も収まった。波も午前中よりは低くなったように思える。
歩いて昨日まで釣った磯に行ってみる。だが、やっぱりまだまだ波が激しい。

午後2時半過ぎ。これはツラいなぁと思いながらも、3たび、ここで釣ることにする。
波が行ったり来たりし、常に泡立つポイントに仕掛けを投入。全然ウキが安定しない。下の潮でどんどんウキが沈むし、浮いているときも海面上に広がった泡の下に入ってしまい、全然ウキが見えない。
これは最悪のコンディションだ。
全然釣れない。
だが、コマセを撒いていると、エサが取られる。フグだろう。

2時間近く、何も釣れない。他のポイントも波が高くて同じ状況なので、ここで釣るしかない。
午後4時過ぎ。ついに魚がかかった。思った通り、クサフグ。だけどこのフグがうれしかった。フグが釣れてうれしかったのは久しぶりである。
今日は坊主を覚悟していたのだ。何かしら釣れるのはうれしい。
その後は、フグが立て続けに釣れる。この時期のクサフグには、体側に大きな黒斑点が目立つ。これっていつもあったっけ?雌雄で違うのか。

結局、計6匹のフグを釣って、午後5時半に終了。
ま、この状況ではフグしか釣れないのも無理はない。
荒れ海の時もフグが活発に捕食活動をしているのは、何度も経験していることである。フグというのは本当に侮れない。洗濯機の中のようなこの荒れ海でも、オキアミを感知して食いついてくるのである。

今回の釣行は、2日目、3日目は風と波の大荒れの天気でほとんど釣りにならなかったが、1日目の大物連発は初体験の出来事だった。
全然情報のない磯で、5回も玉網を使い、5匹の大物を1日にして釣り上げたという、夢のような一日だった。
私の釣り史に新たな1ページが加わったといえよう。何しろ今まで、私のメジナ最大記録は25cmだったのである。
メジナ、サンノジ、アイゴなどの磯魚は、とにかく引きが強くて楽しい。
次に目指すはメジナ40cmオーバーだ。メジナは、40cmを超えてやっと「良型」と呼ばれる。おじさんにも言われた通り、40cmを目指さねばなるまい。釣りには果てがない。

一方、今絶好の季節と思われる、乗っ込みクロダイは全然釣れず。
クロダイは底にいるので、メジナ釣りとは別の釣りだということだろう。クロダイ一本で狙うなら、水深ギリギリの底を釣らねばならない。
メジナは、コマセに浮いてくるのだ。今回も水深が3〜3.5mに対し、ウキ下2〜2.5mでメジナは食ってきた。そのタナではクロダイは釣れない、ということか。
クロダイも釣りたいがメジナも釣りたい。悩ましいところである。
2019/3/22 (Fri.)

大都会の釣り堀(赤坂御苑脇)

病院とは思えない

東京   晴れ@東京都千代田区  

今日は、今度入社する予定の会社の事前健康診断を受けるため、東京都千代田区にあるホテルニューオータニ・ガーデンタワーにやって来た。
ここに入っているクリニックで健康診断を受ける。

タワーに入る。すべてが「豪華」で彩られている。「高級」を絵に描いたような場所である。
こういう虚構の中にいて居心地がいい人間も多いのだろう。
私はそうではない。貧乏性か。

クリニックも、普通の病院の役所的な殺風景とはまるで違い、豪華なじゅうたん敷きに、調度品のような椅子が並んでいる。
あっという間に検診は終わる。尿を採り、血液を採り、肺のX線、、身長体重、視聴覚の検査、問診くらいで終了。

タワーの脇に、堀状の水路があり、そこに四角く区切られた釣り掘がある。
大都会の中の憩いの場だ。
ここには赤坂御苑があり、都会の中でも緑が見られるので、まだいい。

先日池袋に眼鏡を購入したりしに行ったのだが、渋谷や新宿、池袋などは、人が多過ぎて、実に居心地が悪い。
みんなよくこんなところに集まり、密集して生きているものだ。

これもすでに本ページで言っていると思うが、学生の頃は、渋谷でしょっちゅう飲んでいて、あの混沌としたエネルギー、というか、そういうものの中にいることが全然苦にならなかった。いや、苦にならないどころか、常に何かしら、心が浮き立つ高揚感に駆られていたように感じる。渋谷なんかに行くと、なぜかテンションが上がっていたのだ。渋谷の喫茶店でバイトをしていたくらいだから、居心地は良かったのだろう。

だが、歳をとると、もう渋谷や新宿には行きたくもなくなった。人が多過ぎて、安らげないのだ。
あの、得体のしれないエネルギーを受容するだけの力がなくなったということか。

明らかなことは、私のいまの志向性は、都会にではなく、大自然に向いている、ということだ。
2019/3/19 (Tue.)

八戸の観光ポスター(青森県八戸市)

八坂川河口と杵築城(大分県杵築市)

若者たち   晴れ@千葉市  

私の友人の娘がこの4月から高校に入学するということで、友人は娘にスマホを買い与えたという。その理由は、スマホを持ってないと、友達の輪に入っていけないからだそうな。
今どきの高校生というものは、スマホで連絡を取り合い、ラインで予定を決めるのだとか。スマホを持っていないと、そういうネットワーク内に入れず、よって友達の輪に入れない、ということのようである。

いやぁ、時代は変わった。我々が高校生の頃は、携帯電話など影も形もなかった。いや、車載のトランシーバーのような巨大な電話はあったかもしれないが、我々とは無縁のものだった。
それがいまや子供がスマホを持つ時代である。いわゆる、デジタルネイティブってやつだ。

子供はスマホの画面に熱中していてはいけない。
真実は、画面の中にではなく、現場にあるのだ。


話は変わるが、最近、自転車に乗っている高校生ぐらいの若者グループを車の中から何度か観察した。
彼らの自転車は、ママチャリに似ている。実際、数人はママチャリだったろう。だがよく見ると、ママチャリ風に見えて、ハンドルは真っ直ぐなモトクロス風というか、ちょっとおしゃれな自転車も多い。

我々が子供の頃乗っていた自転車と言えば、ドロップハンドルのロードタイプである。中学生の頃、親に自転車を買ってもらうにあたり、我々の仲間はみんなそのような自転車を持つに至った。1980年代の男子高校生は、みんなドロップハンドルの自転車に乗っていたのだ。
自転車一つ見ても時代が変わったものだ。

子供というのは、友達が持っていると自分も同じようなものが欲しくなるものである。きっと、いま私が高校生だったら、スマホを親にねだるだろう。
今でこそ流行とか無価値なものに全く無反応となったが、子供時代というのは、物の価値などは分からなくて、人が持ってるから欲しいとか、そんな基準でモノを選んでいたのである。
子供の頃から一本筋の入った自分独自の価値観を持っている人は、将来見所がある。
2019/3/18 (Mon.)

半円状の通路が海に突き出し、そこに釣り人たち(鳥取県境港市)

果てしない太平洋(千葉県南房総市)

釣り1年   晴れ@千葉市  

仕事を辞めて2年。始めの1年は房州低山に登りまくり、日本を巡る野宿旅をした。
次の1年は、魚釣りをした。昨年の2月にワカサギ釣りで、3月に堤防釣りで、いずれも坊主という屈辱を味わって以来、本格的に釣りを始めたのだ。
あれから1年。
昨年3月に始めた頃は、もう釣れるだけで楽しくて仕方なかった。小さなコチやフグを釣っては喜んでいた。そのうち、だんだん海釣りの何たるかを知るにつけ、仕掛けを工夫し、道具も変えていくことで、様々な魚種が釣れるようになり、もう足を洗えないほどの深みにはまっていった。1年間、コンスタントに釣りをしてきて、いまだに飽きるということはない。

あらためて、釣りの魅力とは何か。
それは、想像を超えることが待っていることである。相手は自然。海の包容力の大きさと得体の知れなさは、人知の及ぶところではない。
何が起こるか分からない。「えっ、こんな魚がこんなところに!?」みたいな。
だから釣りはやめられないのだ。
競馬に通ずるところであろう。

釣りをする際、海の様子を見て、海の中のことを想像しながら、どこをどういう仕掛けで釣るかを考えるわけであるが、この「推理すること」も競馬に通ずる楽しさである。
そして、その通りに釣れた時の快感は、競馬で当たった時のそれにダブる。推理して実行し、実際に結果が出ると、もうやめられない。この構造が、釣りと競馬はよく似ている。常習性を生み出すのだ。
さらに、上には上があることも止められない一因であろう。終わりがない。大きなアタリをモノにしたい。そしてそれは果てしない。競馬の配当も、釣りの魚のサイズも、果てしないのだ。これでどうしてやめられようか?

もう一つ、釣りの魅力といえば、自然の懐に抱かれることである。山登りや沢登りでもそうだが、大自然の中にいるだけで心に充足感が生まれる。
波が高いときの磯など、いつ波に持っていかれて死ぬかもしれないという恐怖も生み出すが、果てしない海とその動きを見ているだけで、人間の卑小さと自然の偉大さを感じるのだ。海は生きている。
自然の中にいると、山や海を神として崇める神道とか、アニミズムの考えがすとんと腑に落ちる。ちっぽけな人間が、どうにも制御できない大自然に畏怖を感じるのは当然のことである。

いや、ひょっとしたら、前世の私は海で漁師でもしていたのかもしれない。DNA的な感慨か?
2019/3/16 (Sat.)

立谷沢川 (山形県東田川郡庄内町)

草原の東屋(青森県三沢市)

年貢を納めるときが来ました   晴れ@千葉市  

仕事を辞めてから今月末で丸2年。昨年3か月間、仲居として瀬戸内海のホテルで働いた以外は、仕事をしていない。
しかし、残念ながら、この2年間、創造的なことはほとんどできなかった。小説も書いていないし、曲も創っていない。
山に登り、沢を登り、日本全国を巡る旅をし、魚釣りをしただけである。

歳をとると、「意欲の減退」が不可避となる。何事にもやる気が落ちる。肉体的にというよりも、精神的な低下が大きい。
今よりも平均寿命の短かった江戸時代に、50歳を過ぎてから全国を行脚して精密な測量を行い、精緻な日本地図を作り上げた伊能忠敬に、精力維持の秘訣を聞きたい。
伊能忠敬の功績を今風にいえば、働き盛りの時には商人として大成功して一財産を築き上げ、定年後、今度は学問的な、かつお国のため、社会のためになる、さらに大きな仕事を成し遂げたということである。それも、老境にありながら、頭脳だけでなく、肉体をもフルに活用して、である。
なんとも完全燃焼の人生じゃないか。人間すべからくそうありたいものである。

話はそれたが、ついに、無為に過ごした2年間の”充電期間”を経て、働くことにした。
創造的な活動ができないのなら、社会に貢献せねばならない。
日々働くことにより、色々な制約が生じ、かえって何事にもやる気が生まれてくるかもしれない。老い先は、決して長くないのだ。

仕事場は、風力発電所。
開始は5月から。

原発ゼロに向け、動き始める。
なんてね。
2019/3/15 (Fri.)

若葉区役所内の食堂(千葉県千葉市)

区役所の食堂閉店   晴れ@千葉市  

車購入と売却に際し、様々な書類が必要で、最近千葉市若葉区役所によく行くのだが、ここの3階にある食堂が、本日限りで閉店となる。
閉店理由は、「事情により」としか書かれていない。今後、同じ場所で店を出す事業者を募集する、という。
推察するに、採算が合わないのか、とにかく財政的に事業を続けていくのが難しいのだろう。

メニューは、ハンバーグ定食、鳥の唐揚げ定食が500円。生姜焼き定食が600円。そのほか、カレーやうどん、ラーメン。
値段は、そんなに安いとは言えないが、役所にある食堂としては平均的だろう。メニューは、やや少ないか。
ここで働く職員も食べているとは思うが、さすがに毎日だと飽きてしまうかもしれない。

どんな店でも、閉店を目の当たりにするのは寂しいものである。行き慣れた食堂ならなおさら。
また新たにここで食堂を開く事業者が現れることを願うのみである。
2019/3/12 (Tue.)

ブルーシートで覆われた放射性物質を含んだ土
(2012年7月、福島県伊達郡川俣町)

これ以上美しい国土を失うわけにはいかない (2012年7月、福島県伊達郡川俣町)

東日本大震災から8年   晴れ@千葉市  

いまだに福島の人々は苦しんでいる。故郷は失われた。
いまも福島第一原発では、高放射線量と戦いながら多くの人が危険を顧みずに働いているが、廃炉のめどは立っていない。

この状況で、なぜ政府は原発を再稼働させるのか、本当に理解ができない。
もはや、いつ、今までの想定外の大地震が起こるか分からないというなか、なぜ安全であると言えるのか。
今まで政府も東電も、原発は安全だと言ってきた。あんな想定外の大地震が起こるなんて、誰も予測できなかったじゃないか?誰も、そんなリスクを考えもしなかったのである。
想定外のことが起こる可能性があるのであれば、原発は止めるしかない。「想定外」でこれ以上日本のかけがえのない国土を失うわけにはいかないのだ。

それどころか、皆さんご承知だと思うが、核のゴミの問題が全く理解不能な話である。
使用済核燃料でリサイクル(再処理)できないものはいわゆる核のゴミとなり、地中深くに埋め、放射線量が減少するのを何百年、何千年も待つことになるわけだが、その最終処分場の場所も決まっていない。
(再処理のためのいわゆる「核燃料サイクル」も、いままでに膨大な金をつぎ込んでおきながら、頓挫したままである)

あの大惨事の後、日本人は放射線の恐ろしさを初めて知った。そんな人々が表明した反応を鑑みると、自分のところに放射性廃棄物を埋めてもいい、なんて人はまず出てこない。低線量のがれきでさえダメなのだ。高線量の危ないゴミを地中に埋められるとは思えない。
そもそも、それが決まってない状態で、よく原発を何十年も動かしてきたな、と、呆れるばかりである。
政府の欺瞞を今こそ我々は糾弾せねばならないのだ。

原発がなくなったら電気料金が上がるのであれば、それは甘受せざるを得ない。電気料金も払わない、自分のところにゴミも持ってくるな、では話にならない。

とにかく、政府が国民の血税をドブに捨て続け、国民に対して虚偽の説明を続けるのを止めさせなければならない。
2019/3/11 (Mon.)

1991年式インテグラXSi

ドアミラーやドア取っ手の塗装は剥げている

公園に設置された放射線線量計(2017年5月、福島県郡山市)

造成中(2017年5月、宮城県牡鹿郡女川町)

奇跡の一本松と、崩壊した陸前高田ユースホステル
(2017年5月、岩手県陸前高田市)

一本松シューマイ(岩手県陸前高田市)

震災遺構となっている陸前高田市立気仙中学校の校舎
(岩手県陸前高田市)

仮設商店街(岩手県陸前高田市)

仮設商店街(岩手県陸前高田市)

希望の灯り(岩手県陸前高田市)

希望の灯り(岩手県陸前高田市)

インテグラ売却へ   雨後晴れ@千葉市  

今日は東日本大震災から8年目。

新車購入と並行して、インテグラの売却を進めている。
今日までに計6社の中古車買取業者に査定をしてもらった。
ちなみに、N−VANを購入したホンダディーラーでの下取り価格は3万弱であった。買取店には、これ以上の値段で買ってもらわねばなるまい。

私の愛車、インテグラを最近見たことのある人ならお分かりだが、ある人には「旧車」とまで言われた古い車である。見た目がボロボロだ。1991年式(平成3年式)で、いまのところの走行距離は22万8千キロ。途中、7〜8年は動いていないので、劣化がひどい。
傷やへこみは多数、塗装は日に焼けて剥げ、ワイパーなどの金属部品は茶色く錆びている。黒いドアミラーやドア取っ手は真っ白になり、左のドアミラーは機構が壊れて畳めない。運転席のドアは一度開きすぎて接続金具が壊れてしまったため、修理したものの立てつけが悪い。トランクの金具も壊れたため閉まりが悪い。トランクを支えるポールの油圧ダンパーはいかれ、トランクが上で止まらないため、支えるつっかえ棒が必要である。
エアコンは効かない。不具合を挙げつらえばきりがないのでこのくらいにしておくが、一方エンジンは快調で、トランスミッションや足回りも問題はない
燃費は、12km〜15km/リッター。

25年間も乗っていると、愛着以上の感情を感じると言ったが、これは車が「動く」から、擬人化しやすいという理由もあろう。
例えば25年間ボールペンや、デジカメや、Tシャツや、かぱんなどを使って愛着が半端なかったとしても、それらは所詮動かないモノである。モノなのだ。いや、車もモノだけど、車は動くのである。そして大きい。
25年間連れ添った妻が余命2か月と宣告されたときの気持ち、と言ったら言い過ぎだが、とにかく、それほどの愛着以上の感情を感じているのだ。インテグラを本当に手放す日には泣いてしまうかもしれない。

さて、前置きが長くなったが、まずは近くの、いまラジオなどで大々的に宣伝をしている大手中古車買取店に行って査定をしてもらったら、「5万円くらいですかねぇ」とのことで、ほとんど引き取る気がないような応対をされる。

そこで、インテグラは割と「走り屋車」として知られているので、「インテグラの買取」でネット検索してスポーツカー買取サイトを調べ、そこで出てきた1社に、メールで査定依頼をしてみる。
程なく電話とメールがあり、「DA6(私のインテグラの型式)は最近ほとんど見かけないので興味がある」とのこと。
遠くて出張査定ができないので、写真を送ってくれというので、たくさんの写真を送ったら、翌日電話がかかってきて、
「今回は残念ながら、買い上げは出来ません」とのこと。よほどのボロボロぶりに驚いたのだろう。その気持ちは分かる。

9日の土曜日の晩、買取一括査定サイトに登録した。実は事前に「車を売る際の注意点」をネットで調べ、「一括査定サイトはダメ」という警告を見た。各買取業者は、一括サイトには登録料を払って登録しているはずであり、その分彼らは叩いてくる、というのだ。よって、直接買取店に行って査定してもらうのが正攻法とのことだが、どんな買取店があるかもよく知らないので、めんどくさいから一括登録してみた。

すると翌日曜日(昨日)の朝。
まだ寝ている8時半ごろから電話が鳴りやまない。私の登録を見た買取業者たちが、死肉に群がるハイエナのごとく、査定予約の電話を一気にかけてきたのだ。どうやら査定はスピードが命らしく、他社よりも早く査定して、早く契約に持って行こうとしているのだろう。
実車を見ずに電話のみで査定してきたのが1社。車の年式や型式、走行距離など通り一遍の質問をされ、そこで出て来た買い取り額は、3万円。
そのほかに計5社から電話がかかってきて、3社に出張査定してもらうことになった。1社は、査定場所に制限があり、私の家か勤め先でしか査定できない、ということで断った。もう1社はすでに査定してもらった大手業者だったので、話はついているとして査定なし。

その日の昼12時、平和公園という墓地のある公園で2社と待ち合わせる。
2社の査定員がやって来た。一人は20代後半くらいに見える若者。もう一人は私と同年代かちょっと下に見える、年かさの人である。
同じ時間に来てもらったため、二人は同時に私の車を査定し始めた。
私は洗いざらい、数ある車の不具合を二人に伝える。後で隠していたと言われてはかなわない。
二人は外装、内装、エンジンルーム、車下面から車検証まで、ねめ回すように観察し、スマホで写真を大量に撮る。
そして写真や車検データを査定センターにスマホから送り、回答を待つ。どうやら、実際に査定をするのは、査定センターらしい。査定センターが出した価格を、どれだけ上乗せする権限をこの人たちが有しているのか、分からない。買取価格を決めるにあたって、彼らに裁量権がどれだけあるのか?

二人には、それぞれ、「10万円くらいが希望」と伝える。
先に査定を終えた若者の方は、査定センターからの折り返し電話でひとしきり話していたが、電話を終えて、申し訳なさそうに私に言う。
「残念ながら、今回はお引き取りは難しいです」
「そうですか」
10万円どころか、数万円でも難しそうな感じである。彼は私に聞いてくる。
「差支えなければ、参考のために、ディーラーさんの下取り額を教えてもらってもいいですか?」
「3万弱ですよ」
「へえ、すごいなぁ」
彼はこう言って去っていった。彼の会社では3万円すらとても出せない、という反応である。

さてもう1社の営業マン。彼もデータを送り終わり、私と雑談を始める。花粉症なのか、マスクをしているが、その端正な容貌は、名脇役の吹越満に似ている。
「いやぁ、インテグラ久しぶりに見ましたよ」
「最近はほとんど走ってないですからね」
「だけど、この頃の車って、いいですよね」
「インテグラとか、プレリュードとか流行ってましたね」
「この頃の車の方が、今の車より良かったなぁ」
「最近の車は、どのメーカーも同じようなモノばっかですからね」
「そうなんですよ、査定していても、最近の車はみんな同じに見えるんですよ。査定して楽しいのは、数千万する超高級車か、とてつもなく古い車ですね」
彼もどうやら私と同年代のようである。

彼は話す相手が欲しいのか、査定者からなかなか電話がかかって来ないので手持無沙汰だからか、話を続ける。
「いやぁ、最近、心が病んでたんで、こんな車を見ると、なんか心が洗われる感じがするなぁ」
「そうですか?」
私は深くは突っ込まない。最近、辛いこと、嫌なことがあったのだろうか。
「昔のことを思い出しますよ。いやぁ、懐かしいなぁ」
どうやら、インテグラが流行っていた頃、彼の人生は楽しいものであったらしい。
その後も雑談は続き、お互いの身の上話にまで発展する。私は今までに3度海外で生活をし、その間このインテグラは動いていなかったことや、北は稚内から南は佐多岬まで、この車で日本一周したことなどを話す。
私が東京なんかで仕事する気になれない、と言うと、彼は自分が秋田市出身であること、秋田市内はどんどん人が少なくなって寂しくなってきて、買い物するにも不便になりつつあることなどを私に話した。首都圏で何がいいかって、雪かきしないでいいことが大変楽である、という。雪国の冬の朝は、まず雪かきが大仕事なのだ。
そういえば、東北弁には聞こえないが、彼のイントネーションは少しなまっている。

「この車、天皇陛下と同じ車なんですよ。陛下のは4ドアですけど」
「そうだそうだ、そうですよねぇ!ユーチューブの加工動画で、天皇陛下が超高速でインテグラを運転している動画を見たことあります」
私がインテグラを売却するに際し、私の友人がしゃれたことを言っていた。
「天皇陛下の退位、平成の時代の終わりとともに、陛下の愛車と同じこのインテグラを乗り終えるっていうのも、時代の終わりと新しい時代の始まりを象徴しているかのようだ」
ちょうどそういう時期か。売却予定の5月には、新しい年号と新しい陛下の時代となっているのである。

そんな話をしていると、「社長」から折り返しの電話がある。この吹越満似の彼は、1店舗の店長であるが、車のデータを彼の上司である社長に送り、査定額についてアドバイスを得ているのだろう。会話が私にも聞こえる。
「エンジンはVTECですよ、そう、『カッコインテグラ』のインテグラですよ」
そうそう、マイケル・J・フォックスね。
どうやら、この頃のVTECエンジンはポイントが高いらしい。1989年製のインテグラに初採用されたVTECエンジンは、当時ハイパワーエンジンとして他社を大きく凌駕し、その後の進化を経て、いまやホンダエンジンの代名詞ともなっている画期的なエンジンである。
確かに、いまでもエンジンだけは快調で、高速道路も気持ちよく走れる。ホンダエンジン、いい。マニアックな層には受けるのだろう。

電話を終えると、彼は交渉を始める。どうやら、彼は買う気があるようだ。
「お客様が譲れないラインはありますかね?」
「いや、あまり考えてないけど、8万だったら考えるかな。だけど今日即決はしないけど」
再び彼は社長と電話で話す。
「いくらだったら即決していただけますかね?」
どうも彼は今日契約まで持って行く腹を決めたらしい。迫ってくる。即決を迫るのが買取業者の常とう手段だ、とネットには書いてあった。
「10万円付けてくれれば決めますよ」
10万で売れれば私も文句はない。今までのディーラーや買取各社の査定から、値がつかないか、せいぜい5万円、というのがこのインテグラの買取相場であることは分かっている。

彼は再び社長に電話する。どうやら、買い取り額を決める裁量権は彼にはないということか。
電話を終え、彼は私に告げる。
「10万円でやります。今日この車と会えたのも何かの縁だし、昔のことを思い出させてくれたし。心が洗われましたよ」
「じゃあお願いします」
「今度は私にプレッシャーがかかりますね。この車をこの後どうするか」
「売れますかね、この車?」
私は、他社でほとんど値がつかないこの車を10万円で買う、という彼を心配してしまった。売る方の客が逆に心配をしてしまう状況。私としても、即廃車でスクラップにされることも想定していたわけなので、今後この車にどのような運命が待っているのか、大いに気になるところだ。
通常は、中古車買取業者は、買い取った車を、オークションに出して転売するそうである。そこでいくらつくのかが、買取業者の一番の関心事であり、過去のオークションでの落札価格が基準となり、どの年代の何という車種がどれくらいの売価になるか、そこから買取価格も決まってくるようである。

「まぁ、買取価格も重要ですけど、買取件数っていう実績を上げるのも会社にとって大事なんですよ。この契約が成立すれば、買い取り件数が1件増えるわけですし」
「そうですか。でも売れるのかなぁ。海外とかですか?」
「まあ、レストアするって手もありますし」
彼がこの車に自分の若かりし頃を投影して懐かしんでいることは間違いない。普通、完全なるビジネスライクでいったら、10万円はつけないだろう。他社では値がつかないか、良くて数万円なのである。
だが、彼が私的な感傷だけにかまけて商売を二の次にしているとも思えない。仮にも一店の店長である。社長とも大分話していたようだし、とすれば、何らかの勝算があると考えるのが妥当だろう。VTECを求めるマニアックな客か、販売ルートか。海外だと、日本中古車の人気は高いが、暑い国が多いので、エアコンが効かないのは大きな減点だろう。エアコンを直すのには、少なくとも数10万円かかる。
もしくは、車としてではなく、分解してエンジンなどを部品化して売るのか。古い車なので、パーツの希少価値はあるのかもしれない。
それとも、買い取り件数を1件増やすことが重要で、10万円くらいの赤字は問題ないという財務状況なのか。
さすがにそこまでは読み取れなかったが、いずれにせよ、私としては10万円で引き取ってくれるなら文句はない。
なにより、私と同年代で、インテグラが流行った頃に青春時代を過ごし、インテグラに何かしらの好感情を持っている人に売るのは、本望である。25年も乗った車である、この車の価値が分からない人間には売りたくないと思うのも人情だ。

売買契約書にサインする。N−VANは5月の連休明けに納車なので、新車入手と同時にインテグラを売却である。自動車税は4月と5月の2か月分だけ私が負担する。これはディーラー下取りと同じ条件。

そして今日。すでに10万円で契約を交わしてしまったが、もう1社査定の予定があったので、査定してもらう。よく名前を聞く、大手の買取業者である。
若手の査定員は、私に告げる。
「この車、私よりも年上です」
彼は1994年生まれだそうだ。今年25歳か。
「見たことない車なので、今日は楽しみにしてきました」
彼も入念に車を観察し、写真を撮る。私の車は汚れているので、各所を触った彼の手は真っ黒になっている。
その場では査定価格は出なかったが、その後電話がかかって来た。
査定価格は、5000円。そんなところが相場だよなぁ。

やっぱり若手の査定員は、自分で価格を決めるような裁量権は持たされてないようだ。昨日の若者も今日の若者も、会社の規定に従って車をチェックし、査定センターが機械的に算出した査定金額を私に伝えただけのようである。
その点、昨日10万円を提示したのは私と同世代の店長であり、自分で決める権限をある程度持っているのだろう。

こうして、私の愛するインテグラは、2か月後、10万円で売れることになった。
ただ、まだ油断はできない。N−VANが納車されるまでのあと2か月のうちに、大破しないとも限らない。だが、25年間連れ添ったインテグラとの最後の2か月を、有意義に過ごさねばなるまい。
2019/3/8 (Fri.)

山形県東田川郡庄内町

山形県東田川郡庄内町

ついに新車購入!   晴れ@千葉市  

ついに今日サバの日、新車を購入した。ホンダN−VAN。商用の軽バン。
エンジンはターボ、駆動はパートタイムの4WD(基本はFF)、トランスミッションはCVT(オートマの一種)。
価格は、下取りなしで約213万円。
軽自動車にしては高いが、ホンダセンシングという安全機能やターボエンジン、ナビゲーションシステム等で割高になるのはやむを得ない。
いくつかのホンダカーズ店舗を周ったのだが、友人の奥さんが損害保険会社に勤めていて、ホンダとのコネクションがあり、その紹介で結構安くなった。

もっとも、ホンダの営業マン曰く、N−VANはコスト高な車で、営業マンが値引きできる額が小さい。他のオデッセイやステップワゴンなどの車に比べ、利幅が極端に小さいのだそうだ。確かに、全モデルホンダセンシング付きだと、割高になるのは仕方なかろう。そのうえで競合他車、例えばスズキのエブリィやダイハツのハイゼットといった安い車と競争しなければならないのだから、ギリギリの価格設定なのだろう。
私が契約した店では店長が対応してくれたのだが、彼が持っている値引き幅はすべて吐き出してもらった(多分)ので、最終購入価格については文句はない。

不動産を所有していない私にとって、人生で最高値の買い物である。今までの最高は、インテグラの87万円(3年落ちの中古)。あれから25年、ついに新車を購入。無職なのに奮発したわけである。それもこれも、車で旅や車中泊をしたい欲望が御し難くなったからである。

中古車を購入するという選択肢もあったのだが、車種がN−VANとなった以上、新車が当然である。なにしろ、この車は昨年発売の新しい車なので、3年落ちとかの中古車がまだ出回ってなく、そうであれば新車しかないだろう。

色は薄緑。この色を選ぶのが難儀だった。何しろ、今どきの車は、ロクな色がないのである。みんなピカピカした光沢があり、カッコ悪いこと、筆舌に尽くしがたい。
デザインもそうだが、色すらも開発者の美的感覚を疑うような色ばかりである。若い人にはまだいいのかもしれないが、年寄りには厳しい色ばかりである。

始めは、青か黒にしようと考えていたのだが、どちらもピカピカで、ヤン車みたいな印象があり、却下。目立つのは嫌だし、なにより見た目がカッコ悪い。白は悪くはないが、いかにも電気工事屋さんとか運送屋さん的「仕事車」という感じでダメ。グレーも黄色も薄ピンクも全然ダメ。残ったのが地味な薄緑だった。完全なる消去法での色選択である。まぁ、海とか山に出かけることが多いだろうから、緑的なアースカラーなら自然にマッチしてよかろう。あまり目立たない色なので、街乗りでも匿名的でいい。だけど、目立たない色ではあるが、あまり見かけない色なので、逆に目立つかもしれない。悩ましいところだ。

納車は約2か月後のゴールデンウィーク明け。待ち切れない。
2019/3/7 (Thu.)

荒れる日本海(秋田県由利本荘市)

日本海沿いを走る国道7号線(秋田県由利本荘市)

JR飯山駅(新潟県飯山市)

N−VAN 運転!   雨@千葉市  

今日は、購入予定のホンダN−VANの乗り心地や走行性能を確かめるため、レンタカーで借り、午後3時間ほど走ってみた。
借りたのは、私が購入予定のターボエンジン付きのモデルではない、バリバリの商用車モデル。トランスミッションはオートマ。

あいにくの雨だったが、運転席の位置が高いので、運転はしやすい。インテグラは車高が低く、運転席が低い目線となるので、スピード感があり、割と疲れるのだ。
驚いたのは、今どきの車の走行性能だ。
ステアリングは軽いし、アクセルは軽い。低速トルクが豊富で、停止状態からアクセルを踏み込むと、あっという間に80kmくらい出る。こりゃあ、楽に運転できる。疲れないわ。
高速は乗る暇がなかったので、高速走行性能は不明だったが、さすがに急坂とか高速はツラいだろう。だが、私が買うターボなら大きな問題はないはずだ。むしろ、車高が195cmと高いので、横風に悩まされる方が問題かもしれない。

目の前の液晶ディスプレイに、常に燃費が表示されている。ずっとガソリン消費量と走行距離とを計算しているのだろうか。都度都度の短時間単位の燃費なのか、走り始めてからのトータル燃費なのかはよく分からない。
始め千葉市内の渋滞した道を停まり停まり走っているときの燃費は、11km/リッターくらいで低かったが、やがて郊外に出て、スピードが出始めると、どんどん燃費は上がっていった。
最終的には、17kmくらいまで行ったので、街乗り+郊外乗りでの平均燃費は、少なくとも15km/リッターくらいはありそうだ。ちなみに、カタログ燃費は、23.8kmである。

乗り心地は、可もなく不可もない。N−BOXよりもサスが若干硬めとのことで、乗り心地はN−BOXには及ばないようだが、特に気になることもない。

驚くのは、ホンダセンシングと呼ばれる安全機能が標準装備でついていることだ。衝突回避ブレーキはもちろん、踏み間違いによる急発進制御、バック衝突制御、車間距離制御、自動レーンキープなど盛りだくさんの機能が標準装備で付いている。いままで、エアバッグもついていない車(ホンダインテグラ、1991年式)に25年も乗って事故を起こしたことのない私としては、こんなに安全機能が必要だとも思えないが、正直、これでは、わざと事故ろうにも事故れないというところだ。ほとんど自動運転じゃないか、これ。

この「ホンダセンシング」というのは、カメラで常に前方や後方や車線や道路標識を観察しているらしく、上記機能の他に、今走っている道路の制限速度標識を検知してディスプレイに制限速度を表示したり、中央線を検知して、今走っている道路が追い越し可能か禁止かを表示したり、前の車が発進してるのにしばらく停まっていると、「前方の車が発進しました」と余計なお世話的表示までしたりする。凄まじい「センシング」ぶりだ。

自動車という製品の最大の欠陥は、「人が死ぬ可能性がある」ということである。他の製品では、人が死ぬまでの安全性を考えねばならないことはそうない。
しかしながら、年間何万人の人が交通事故で死のうが、自動車の販売が中止されることはない。交通事故死傷者や遺族が年々増えるのだが、その当事者にならない限り、人は自動車に乗ることをやめない。あまりに便利なのだ。
そんななか、自動車メーカーが自動車の安全性を高める努力をしているのは喜ばしいことである。28年前の車、1991年式インテグラにはエアバッグさえついていないのが、今の車では自動運転に近い機能が装備されている。いやぁ、隔世の感とはこのことだ。もっとも、車を何回も買い替えてきた人にとっては上記のことなど既知なのだろうが。

今まで私は25年間、マニュアルトランスミッションの車を運転してきた。アメリカに滞在した1年間(フォードのトーラスワゴンに乗っていた)と、レンタカー以外ではオートマをほとんど運転していない。
オートマは、アクセルとブレーキの踏み間違いがあり、それによる事故が多発しているので、急発進や急バックを制御する機能が必要なのだろう。
その点マニュアルは、運転は面倒だが、無意識の急発進などはできないので、オートマよりも安全性が高いと言えるかもしれない。(無意識のエンストならできる。高速道路をずっと何時間もオートマ状態で走って来て、料金所で金を払う段になって停止する際、クラッチを切り忘れてエンストしたことが以前あった)

私が購入する予定のN−VANのターボモデルにはマニュアル車の設定がないので、自動的にオートマとなるのだが、マニュアル車が選べたとしても、今回はオートマにしただろう。マニュアル車は、運転するのは楽しいのだが、毎日毎日運転するとなると、めんどくさい。

途中、駐車場に車を停め、荷台に入ってみる。お話しした通り、このN−VANを購入する最大の目的は、「車の中に住むこと」である。
後部座席を畳めば荷室は広々しており、ギターも弾けそうだ。

信号で停まる度にアイドリングストップが働こうとするのだが、これも初めて体験する機能である。これって本当に燃費良くなるのだろうか?何度もエンジン切ってかけてを繰り返して燃費が良くなるのか、ちょっと分からない。停まっている時間が長ければ燃費に効くのだろうが。

3時間の借用を終え、レンタカー屋に戻る。
走行性能に問題はなさそうだ。これでいよいよ購入だ。
2019/3/4 (Mon.)

小樽郵便局(北海道小樽市)

小樽運河食堂(北海道小樽市)

運河(北海道小樽市)

第二音戸大橋(広島県呉市)

ついに新車購入へ   雨@千葉市  

私の今の愛車は、ホンダ・インテグラ、1991年式(平成3年式)。
1991年製造で、私の会社の先輩が新車で買って、3年落ちで私が先輩から買った。忘れもしない、大学を出て就職1年目、1994年のことである。あれから25年。
私が海外赴任時、日本でじっと粗大ゴミ状態となっている期間も長かった。いままで海外赴任期間は6年強であるから、その期間は全く動いていない。始めの勤務地仙台や、その後の郡山では、車社会であったので通勤にプライベートに大活躍したが、東京勤務時には電車通勤のためこれまたほとんど動いていなかった。25年のうち、そのような不動期間が7、8年はあったが、今まであっぱれな働きをしてきた車である。
日本の国内旅行では、北は稚内から南は佐多岬まで、文字通り全国津々浦々で行動を共にしてきた。

これだけ長く乗ると、「愛着」という言葉を超えるような関係性を感ずる。スケール感もあるのだ。これが小さな、例えばボールペンを25年間使うのと、車を25年間使うのとでは、愛着の度合いが違う。図体がデカい分、その大きさに比例して、なぜか愛着が多いのである。小さな魚よりも大きな魚になぜか畏怖を感じるのと同じような感情だろう。

およそ1年前の2018年1月、廃車危機を乗り越えて車検を通した際、「次の車検はないな」とぼんやりとは思っていた。車検が通るか分からない、というよりも、運転していて危険を感じるようになってきたからだ。
2018年1月の記事を見ていただきたいが、要するに、雨の日や湿度の高い日、フロントガラスが曇るのである。だから、夜の雨などは最悪で、前が全然見えない状態に陥ることもたびたび。クリンビューを塗ることで改善されるようだが、時間とともに効果は薄れるし、あまりに湿度が高いとやはり効かない。
さらに、エアコンが効かないので、特に夏は苦しい。さらにここ1年くらいに故障が相次いだ。運転席側のドアの金具が壊れて、修理してもらったが立てつけが悪くしまりが悪い。そのうえトランクの金具も壊れ、部品がなかったため応急処置はしてもらったが、満足に閉まらない。

そのような数々の不具合を経て、ついにこのほど、新車を購入することを決意した。
1年前はスズキのクロスビーを検討していたが、その後変遷を経て、最終的に、ホンダのN−VANという軽の商用バンにすることにした。昨年発売の新しい車である。
商用とは言っても、タイプによってはプライベートの乗用車として十分使える機能性と走行性能がある。というか私の場合、荷物を運んだりという仕事には使わないので、100%私用なのである。

車選びの主眼は、「車の中に住めること」。
不動産を所有していない私は、住むところが欲しいと思っていたのだ。というのはまぁ半分冗談だが、車中泊および車中での食事作りやくつろぎが快適にできる車、という観点から選んだら、N−VANが最適であろう、という結論に至った。
上記目的を達する競合車としては、スズキのエブリィやダイハツハイゼット、普通車ではホンダのフリード+などがあった。前出のクロスビーは収納が狭く、後部座席や助手席を倒してもフルフラットには程遠いので選外。また、トヨタのハイエースなどは車の中に住めるだろうが、まず価格が高すぎるのと、図体が大きすぎる。私がよく走る、狭い林道や漁師町の路地を走るには圧倒的に不適当である。
価格、燃費、走行性能、車内広さ、フルフラット感、デザイン、など各車でメリットデメリットあったが、N−VANは新規性と走行性能がよく、それにデザインがちょっとはマシだった、ということで決めた。「丸目」が他車との区別化要因だった。(クロスビーやハスラーは、あの丸ライトがいい、と私は思っている)
以前も言った繰り返しになるが、最近の車は軽も普通もSUVも、全メーカでみんな同じようなダサいデザインしかないのだ。

「車の中に住むならキャンピングカーじゃないか?」というもっともなご意見があろうが、キャンピングカーは高過ぎて私には手が出ない。それに、軽のキャンピングカーもあるようだが、基本大きな車となってしまうのでNG。

それと、ホンダにはいいイメージがある。いまのインテグラは、製造から28年経っているが、いまだにエンジンは快調である。私は何しろ国内ではこの車しか所有したことがないので、他社エンジンがどうなのか知らないが、この事実だけでもホンダを信頼するに値する。

N−VANは、運転席のシートは普通で、助手席のシートがかなり劣り、後部座席には公園のベンチのような硬いシートしかない。
また、車中泊するには、助手席をフラットにし、そこに寝るため、車中泊前提にすれば、実質的には一人乗りの車である。
私は、これをキャンピングカー的に使おうと思っている。完全なる「ぼっち車」なのである。

これで車中泊がいつでもどこでも簡単にできるようになると思うと、ワクワクが止まらない。
面はゆい言葉となるが、「自分だけの秘密基地」というのは、いくつになっても心躍るものである。

いま、ホンダのディーラーを巡り、価格交渉をしている。購入までの道のりは、後日の記事で。
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