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日記
(2025年3月)
2025/3/31 (Mon.)

夕日 (鹿児島県徳之島)

串間市の商品券、引っ越しシーズン   くもり時々晴れ@串間市

今日まで休みを取っている。
朝洗濯し、志布志へ。行きつけの台湾料理屋金都に昼食を食べに行く。
ランチ定食ラーメン付きが、850円から950円に値上がりしていた。ご時世である。
それでも安いが。

志布志のニシムタで買い物後、串間のコスモスで、早速串間市からもらった商品券1000円を使う。
ありがたい。

アパートに戻ると、アートとサカイの引っ越しトラックが横付けされていた。
引っ越しシーズンである。

2025/3/25 (Tue.) 〜 3/30 (Sun.)

鹿児島空港で、ハクセキレイが車の横、ほとんど手が届きそうな
近さにいた(鹿児島県)

私にとって奄美群島での朝食の定番、黒糖ドーナツ

徳之島、喜念浜の透明な海。

喜念浜の砂浜には、サンゴのかけらがたくさん見られる。
徳之島はサンゴ礁が隆起した島である。

闘牛のマスコットを描いた徳之島のカラーマンホール

徳之島の闘牛場、なくさみ館

戦後、奄美群島の本土復帰の立役者、泉芳郎の銅像

泉重千代さん資料館に掲げられた重千代さんの写真。
左上は、薩摩の英雄、西郷さんの写真。

阿権集落の300年ガジュマル。民家の直上に、恐るべき広がりを
もって枝を展開している

犬田布岬にある、戦艦大和慰霊碑

オキナワウラジロガシの板根 (鹿児島県徳之島)

徳之島にはイソヒヨドリが多い。イソヒヨドリのオス。

戸森の彫刻画。謎の描画群

徳之島出身の横綱、朝潮太郎の銅像

金見集落のソテツトンネル

海底鍾乳洞のウンブキ。海とつながっている水路の洞口が、
海から離れた陸地に開いている

またアカヒゲに会えました (鹿児島県徳之島)

高釣展望台から見下ろす平土野の街並み

犬の門蓋のめがね岩

めがね岩からさらに海岸を下っていくと、波打ち際に基部が
海水によりえぐれた笠岩的巨大奇岩が立ち並ぶ

鹿児島港と那覇港を結ぶマルエーフェリー。デカい
これで徳之島から沖永良部島に渡る

西郷隆盛が沖永良部島での遠島生活時に過ごした牢屋を再現
したもの。戸も壁もない劣悪環境の格子牢で、西郷は読書や瞑想
をして過ごした。そして、日に日に衰弱していった

国頭小学校の校庭に生える、日本一のガジュマル。枝の広がりが
半端ない

国頭暗川(あんごう)。暗川とは水源地のことで、このように穴状
の土地の最下部に水が湧き出しているという地形が多い。
大きな河川のない沖永良部島では、このような暗川が、
かつて住民の貴重な水源だった。手すりと降りる道が出来ていて、
いまでも降りて見学することができる。

沖永良部島のフーチャ。ここは、岩に大きな穴が開いていて、
さらに海側がトンネル状にえぐれている(写真左上)。海が荒れた時、
このトンネルから入ってくる荒波がこの穴ぁら泉のように
噴き上がるらしい。この深い穴の下の荒れ狂う海水を見ている
だけで、高さと相まって恐怖感が湧き上がってくる。

沖永良部島もサンゴ礁が隆起した島で、ギザギザの岩が特徴。
沖永良部島の海を初めて見たが、今日は波が荒い気がする。

沖永良部島のソテツジャングル

物産館で買った焼き豚軟骨。いわゆる豚の角煮

沖永良部島のよもぎもち。黒くて薄い。

岩の基部が海水で浸食され、キノコ状になった笠岩
(沖永良部島)

ジッキョヌホー。まるで芸術公園のような赴き(沖永良部島)

大山展望台から見下ろす沖永良部島の風景。森林の奥に町、
その奥に海が広がる

昇竜洞の一コマ。「金銀の滝」と命名された、石が滝のような
流水に見える壮大な造形

鍾乳洞の典型的な演出として、幻想的なというか派手派手しい
ライトでライトアップされる

世之主の墓の第3墓。廃墟感半端ない。

沖永良部島・知名の街並み

沖永良部島の和泊港で、雨のなか旅立つ人を見送る人々

シギを描いた「動物横断注意」の道路標識。奄美・沖縄には、
アマミヤマシギという固有種が生息している

アマミノクロウサギの交通事故件数が、道端に表示されている

大和城山頂近くにある戦闘指揮所跡(徳之島)

大和城の第一展望所から見下ろす徳之島の田園風景

松原登山道の終点部、オキナワウラジロガシ林

松原登山道にあるマチャラの滝(徳之島)

徳之島、沖永良部島旅行   

3月25日火曜日。
今日から、奄美群島の徳之島と沖永良部島へ出かける。
奄美群島に行くカーフェリーはバカ高なので、飛行機+レンタカーで周る。
鹿児島空港から飛行機。

10時起床。朝食後、ファミマで水道料金を支払い、ATMで金を下ろす。
11:20鹿児島空港へ向け出発。

その前に串間郵便局で商品券を受け取る。これは、物価高対策で串間市が全市民に配る5000円の商品券だった。
国は、物価高で苦しむ国民に何もしないけど、こうして地方自治体がしてくれるのはうれしい。国には、全国民が享受できるような、根本の物価高対策をすぐに実行してほしいが、今の日本政府は、石破総理以下、無能の集まりなので期待できない。

都城のゴーゴーカレーで昼食。ロコモコカレー大。

鹿児島空港に着いたのが14時過ぎ。駐車場に車を停めると、車のすぐ横に、ハクセキレイが現れた。もう手が届きそうな距離。ハクセキレイは人の近くにいる。

16:05のフライトなので少し早いがチェックイン。
JALのマイレージカードが古過ぎて、自動チェックイン機で認識されない。窓口で聞くと、今はカード番号の桁数が増えたので、昔のカードの人は、番号を入れるときに、始めに00を加えればよいとのこと。窓口で登録してもらった。

時間があるので、展望台で飛行機を見ようと思ったら、行く途中で、鹿児島空港の歴史や設備に関する展示室があったので寄ってみる。
面白い。レシプロエンジンからジェットエンジンへの進化とか、コンコルドの燃費が悪いとかの展示のほかに、フライトシミュレーターがあって、有料で飛行機の運転を体験できる。機械は2台あって、200円と300円だったが、100円玉が足りなかったのでやめておく。

外の展望所では、飛行機の離着陸を見学できる。天気よし。もう初夏の気候。25℃はありそう。

16:05出発予定の飛行機は、機材到着が遅れたため、出発が16:40に遅れた。到着は40分遅れの17:50。
小型のプロペラ機だったが、シートは豪華。ほぼ満席。
私の席は2Aで、いままで飛行機に乗った中で、一番前の席だったかもしれない。

徳之島。奄美大島の南西に位置する島で、人口2万人ほど。
1月に奄美大島に行った際にも渡ることを検討したが、行かなかったので、今回、沖永良部島と一緒に巡る予定。

徳之島地図 

予約していた徳之島レンタカーでレンタカーを借りる。
予約しているホテルニューにしだは、空港から車で40分。亀徳新港の近く、島の南東部沿岸にある。

19時ごろチェックインし、しばらくして食事に外に出る。
フロントのおじさんから、「さつま食堂」を教えてもらい、行ってみる。焼肉定食1200円。少し高かったが美味かった。ご飯を茶碗一杯に盛ってくれていて、甘辛い味付けの焼肉にご飯が進む。良き。

20時、すぐ近くのスーパー(秋丸商店)は閉まりかけていたが、自動ドアがまだ開いたので買い物をさせてもらった。缶コーヒー、ペットボトルのお茶、黒糖ドーナツ、野菜ジュース。よもぎもちなど餅類は売り切れていて買えず。
スーパーは20時で閉まることを肝に銘じる。これはだいたいどこに行ってもそうだ。

暑い手ホテルに戻る。面倒なので風呂には入らず。
サッカー日本代表戦、日本−サウジを見て、ダラダラして22時に就寝。

ホテルの窓から、イソヒヨドリの笛のようなさえずりが聞こえてくる。ここのイソヒヨドリは、人間にすごく近いところにいる気がする。



3月26日水曜日。
7時に起きるつもりが、眠りこけていてアラームが聞こえず、起きたのは7:55。
黒糖ドーナツ、コーヒー、野菜ジュースの朝食。

8:40出発し、観光開始。車で島の東岸を南下する。ゴリラ岩、喜念浜海岸。
海の青さはそれほどではないが、透明さが際立っている。
白砂のビーチだが、よく見るとサンゴのかけらが砂に混じっている。徳之島がサンゴの島だとわかる。浜に降りる斜面に、牛の足跡があった。
後述するが、徳之島は「闘牛の島」であり、出場する牛たちは浜辺でトレーニングするというから、きっと闘牛の牛の足跡だろう。

ここで三脚と帽子を忘れたことに気づき、10分くらいかけて一度ホテルに戻る。
徳之島の町役場建設課に行き、マンホールカードをもらう。カラーマンホールの設置場所を聞く。役場はホテルの割と近くにあった。

徳之島の闘牛場であるなくさみ館へ。徳之島は日本における闘牛のメッカであり、なくさみ館では、年に3回の全島大会が開催される。

ここの資料館では、DVDが見れ、闘牛の歴史や作法、過去の対戦を見ることができる。良い。

エクアドルでスペイン風の闘牛を見たが、あちらの闘牛は、闘牛士と牛が戦うもので、最後に牛は殺されてしまう。
一方、日本の闘牛は牛対牛で、基本、一方が背を向けて逃げたら負けで勝負あり。

なくさみ館の裏には牛舎があり、2頭の牛が横たわって休んでいた。

闘牛場に隣接した公園には、スズメ、イソヒヨドリ、キジバトが見られる。闘牛場の屋根にたくさんスズメがいるが、おそらく巣を作って子育てをしている。とにかくスズメが多い。

1月の奄美大島ではシロハラが無数にいたが、3月の徳之島ではシロハラは多くない。すでに北に渡った後だろうか。
イソヒヨドリが多い。人の近くに結構いる。あの透き通る歌うような声は癒される。オスとメスで地面に降りているところも時々見る。

車で島南岸を進み、泉芳郎像へ。
太平洋戦争後、奄美群島の日本復帰運動に尽力したのが泉芳郎さんだ。彼の銅像は、日本国旗を両手で持っている。

泉重千代翁の生家と銅像。泉重千代さんと言えば、日本で最も長寿だった人で、ギネスブックにも、長いこと長寿世界一として紹介されていた。ずっと120歳まで生きたとされていたが、これはいまでは否定されており、105歳説が有力となっているとのことである。
ここ徳之島には、他に116歳まで生きた本郷かまとさんもおり、長寿者がとても多い。長寿の島として名をはせている。

重千代翁の生家には、彼の人生の年表や、写真、日課などが所狭しと展示されている。そして彼が唱えた「長寿十訓」。一般論としてよく言われる内容だが、重千代翁が言えば説得力がある。

カムイヤキ陶器窯跡に行ってみるが、なにも見つからない。
阿権集落と300年ガジュマル。とてつもなく大きいガジュマル。それに、サンゴで組まれた石垣がとても印象的な街並みを演出している、

もう13:30。一度南下して伊仙町まで戻り、食堂を探す。グーグルマップで出てきた3軒に行ってみるも、いずれも今日休業だった。さらに北上したがたなか食堂も閉店。今日3月26日はどの店も「臨時休業」となっている。今日は徳之島で一体何が起こっているのか?
再び伊仙町に戻り、スーパーAコープでカキフライ弁当とサンドイッチを買う。トホホ。スーパーの弁当かよ。

14:30、犬田布(いぬたぶ)岬へ。
ここには戦艦大和資料館があるはずだが、見当たらない。駐車場の脇にあるスナック「南十字星」でおじさんに聞いてみるが、対面にある工事中の建物だという。
行ってみたが工事中で、しかも資料館にはとても見えない。さっきのおじさん、昼間から酔っ払っていたので、適当に私をあしらったのかもしれない。

犬田布岬には、戦艦大和の慰霊碑が立っている。24mの高さは、大和の環境の高さと同じだという。
サンゴ礁が隆起してできた犬田布岬の岩は、ごつごつして尖った形状をしている。

明眼の森。車を停めるところがないので、林道からさらに細い道の分岐のところに停める。この道に車が来たら通れなくなるなあと思いながら、まあさっと歩いて帰って来ようと思いながら森に入る。

明眼の森に入り、遊歩道を歩く、10分ほどして、遠くからクラクションの音が何度も響いてきた。まずい、私の車が邪魔になっているのだ、と急いで遊歩道を戻り、車を停めたところに戻る。
果たして、40代に見える農業の夫婦が、私の車の後ろから軽トラでクラクションを鳴らしていた。
「すみません」
「聞こえたかい?」
「はい」
2人は怒ってなかったから良かった。車を動かす。明眼の森は暗く、うっそうとしていた。アカヒゲを探したかったのだが、暗くて見つかりそうにないし、車を停めるところもないので、森の散策を断念する。

島の中央部に移動する。当部集落とオキナワウラジロガシ。
面白い。オキナワウラジロガシは、その板のような根、文字通り「板根」が特徴の樹木だ。木の根元に、つい立てを立てたかのような平たい板状の根が何枚も屹立している。
大きいものでは高さ80cmくらいはありそうだ。

イソヒヨドリが東屋の上で透き通った声で鳴いている。
東又泉(あがりまたいじゅん)という湧水が出ている場所。飲料水、生活用水として使用されてきた水で、昔から名水の誉れが高く、薩摩藩の代官もその虜になったので、「代官水」とも呼ばれている。

戸森の彫刻画。面白い謎。船や矢といった絵が、の素朴な線で石に刻まれている。
徳之島には、このような彫刻画が五か所で見つかっていて、奄美群島の他の島では見つかっていないため、徳之島特有のものと考えられている。江戸時代に描かれた絵らしいが、誰が何のために描いたのか、よく分かっていない。
見た限り、それほど重要な情報には見えないが、面白い。

ここには徳之島特有の両生類、イボイモリが生息しているとのことで、近くの水路や草ぼうぼうの湿地などを捜索してみるが、まったく見つからなかった。

18時、島西岸の平戸野港近くにある犬の門蓋(いんのじょうふた)へ。
もう暗くなり、遊歩道でメガネ岩まで行こうと思っていたが断念。

19:10,ホテル帰着。
すぐ近くの中華料理屋は閉まっていたので、今日もさつま食堂で夕食。豚キムチ定食950円。良い。
19:45,閉店間際に秋丸商店へ行き、コーヒー、ヨーグルト、お茶、島ふくら(ふくらかん、蒸しパン)を購入。バナナは売り切れで買えず。

20時、ホテルに戻る。今日は暑かった。25℃くらいあり、Tシャツで問題ない天気だった。
昨日風呂に入ってないので、風呂に入る。身体ドロドロなのでとても良い。

22:30就寝。



3月27日木曜日。
7時起床。アラーム聞こえた。朝食は島ふくれ(黒糖蒸しパン)、ヨーグルト、コーヒー。
8時出発。天気は良くない。曇天。
まず亀徳新港へ行き、徳之島レンタカーの場所を確認する。というのは、明日、沖永良部島に渡ることを画策しているのだ。今借りているレンタカーを港で返却する際の準備。
そして、フェリーのチケット売り場に行ってみる。チケットは当日販売のみとのこと。

沖永良部島のホテル2軒と、レンタカー屋に電話する。ビジネスホテル和泊が安かったので、予約しようと改めて電話したが、つながらない。チェックアウトで忙しいのかもしれない。今日終日電話し続けたが、結局朝以降、一度も電話がつながらなかった。

島東岸を北上し、朝潮太郎像へ。第48代横綱朝潮は、徳之島出身で、徳之島の人々の誇りである。
その後、島北西部に移動し、西郷隆盛謫居跡(たっきょあと)の松を見る。西郷は、薩摩藩により二度遠島となり、奄美大島、徳之島と沖永良部島に滞在した。
徳之島で17日間逗留したこの家の松の下で、日本の行く末を思いふけったという。

北東海岸に移動して畦(あぜ)プリンスビーチ。
1972年、当時の皇太子さま(現在の上皇さま)が、美智子妃と一緒に散策されたことから「プリンス」の名前がついている。
美しい砂浜だが、空が曇天のため、海の青さはない。

隣接したキャンプ場というか芝生公園に、鳥が多い。シロハラ、ヒヨドリが芝生に降りている。樹上からもいろんな声がする。美しい節回しの声が混じっているが、イカルではなさそう。

 「クロウサギに注意」の道路文字。徳之島では
ウサギの絵も描かれている

徳之島にもアマミノクロウサギが生息しているので、道路には「クロウサギに注意」の標識や注意書きがある。

島北端にある金見集落とソテツトンネル。ソテツトンネルを抜けたところにある展望台がとてもいい。浜とソテツ林の風景が一望できる。
さらに北突端に、消防の無線局があり、右も左も海。

ソテツトンネルのあたりで、アサギマダラをもっと深い青にした感じのチョウを1匹だけ見た。しかし、写真は撮れず。
しばらくトンネルを行ったり来たりして探すも、もう一度だけ現れたが、すぐに奥の草むらに消えてしまった。
12時過ぎまで撮影しようと粘ったが、現れず。残念。きっと、リュウキュウアサギマダラだろう。

金見集落も、その景観には趣がある。昔ながらの漁村的な風情。

12:20、近くにジビエ食堂「とうぐら」があったので入る。今日は昼食難民になるわけにはいかない。
ここはジビエ料理を出す店で、シシ丼1000円を頼む。イノシシ肉、美味かった。

12:45、島の北西端にあるムシロ瀬。その南のヨナマビーチ。砂が白い。ここは、トライアスロン大会のスイム会場となっているらしい。
同じ木でずっとメジロが鳴いている。

南下して、ウンブキ。ここは海底鍾乳洞で、海からは離れているが、海とつながった鍾乳洞の洞口が陸に開いていて、降りて見られるようになっている。
水で満たされた洞内を照らすライトのスイッチがあり、それを点灯すると、洞内がよく見られるようになっている。潮の干満によってここの水位も上下するらしい。
と、ライトの配電ボックスの裏から、突然アカヒゲが現れた。50cm先、手が届きそうなところ。オリンパスとソニーのカメラで、近くにいる間に何枚か撮影する。

キャノンの望遠カメラを持ってくるのを忘れたので、一度車に戻り、三脚につけて持ってくる。ちょっと上の方にアカヒゲは移動していた。しかし、ウンブキは暗いので、距離が離れるといい写真は撮れず。いなくなってしまったが、また現れることを願って20分くらい底で粘るが現れず。

一度上に上がり、ウンブキの周りを一周する。アカヒゲは見られず。
近くの牛舎には、角のある牛が数頭いた。闘牛に出る牛たちだろうか。

すぐ近くに、西郷隆盛の上陸地がある。

B&G海洋センターに面する干潟に、トリトリデッキという野鳥観察所がある。
干潟を眺める。シギやサギがいかにもいそうだったがいなかった。

西郷謫居跡の近くには岡前西郷公園があり、さらに周辺には特攻慰霊碑。
浅間陸軍飛行場跡。特攻慰霊碑があることからもわかる通り、徳之島は太平洋戦争時、昭和19年3月に完成し、昭和20年には、沖縄上陸を狙う米軍を迎え撃つ最前線基地となる。
滑走路の名残、どこまでも続く直線道路が当時をしのせる。

高釣展望所へ。平戸野港と平戸野の街並みが一望できる。

犬の門蓋(いんのじょうふた)。まずは展望台に上り、海の絶景を眺める。
展望台の前は公園で、その先、海岸は、隆起サンゴ礁が浸食されて奇景を作っている。遊歩道を降りて行って、断崖、洞窟、めがね岩、キノコ岩を堪能。めがね岩は、トンネル状に浸食された岩である。

風が強い。展望台では帽子が吹き飛ばされそうになった。
18時。今日も8時〜18時までフル観光。アカヒゲにも出会えたし、いい一日。

亀津に戻り、一休で夕食。酔客がうるさくてかなわん。カウンターに座った私の右隣のおばさん2人のうち一人はタバコを吸うし。私はタバコをやめて1か月。
酢豚定食950円。ご飯の量は多かったが、酢豚のボリュームが足りない。これで950円はちと高い。

秋丸商店でよもぎもちを買う。徳之島名物で、黒い。500円以上もして高かったが、いつもの黒糖ドーナツが売り切れのため、また徳之島アンダギーは甘くなさそうだったのでやめた。
コーヒーとお茶も買い足す。
19:45,ホテルに戻り、風呂に入って寝る。
22:20就寝。



3月28日金曜日。
6:50起床、7:45チェックアウト。天気はいい。
車で亀徳新港へ。途中のエネオスでガソリンを満タンにし、港近くの徳之島レンタカーで車を返却。合わせ、明日29日(土)〜30日(日)の一日の予約もする。軽かコンパクトが借りられるとのこと。良し。

今日はこれから沖永良部島に渡る。
8時過ぎ、港の切符売り場で、和泊港行きのチケットを購入。しかし、風が強く、和泊に入港できない可能性があるため、「条件付」運行だそう。
もし和泊に入港できなければ、さらに先の与論島、さらに本部港(沖縄本島)へ行くとのこと。
切符購入後、係の人が、切符に「条件付き」のスタンプを押しに来た。この人に、入港できる可能性を聞いてみると、7:3だという。「昨日も強風だったが入港できており、今日の風は昨日ほどではないので大丈夫だろう」との理論的説明。それなら大丈夫だろうと期待をかける。
というか、一か八かでも乗る選択しかない。もうホテルはチェックアウトしてるし、レンタカーも返却済だ。

実は、条件付き運行という話を聞く前に、沖永良部島のアトリエレンタカーの予約をしてしまったが、まあ「条件付き運行」ってのはよくあることだろうから、先方のレンタカー屋さんもきっと理解しているだろう。

さて、フェリーの亀徳新港への入港も遅れている。9:10の予定が、9:55とアナウンスされる。
この船は、奄美大島からやってくる。入港が遅れているのは、悪天候のためではなく、この時期、引っ越しシーズンのため、荷役に時間がかかるためとのこと。
手持無沙汰の待合室で延々と待つ。

9:45、ついに奄美大島からフェリーが入港。9:55乗船。徳之島でも荷役に時間がかかっているらしく、出航したのは10:35。

これにより、和泊港入港予定は、12:30。通常より1時間遅れ。あとは接岸できることを祈るだけ。
風は、亀徳新港では、それほど強くないように思える。

船はデカい。なにしろ、鹿児島を発して、奄美大島→徳之島→沖永良部島→与論島→沖縄本島まで、各島を経由して行くフェリーである。
種子島行きのフェリーとは規模が違う。船室に上がるためのエスカレーターがある。レストラン、売店もある。
売店には、アイスやおにぎりの食料品、酒やTシャツなどお土産が売っている。
レストランは、時間的に、和泊港入港中にランチ営業するらしい。
トイレが広い。大型客船と言ってよかろう。
乗客は多くない。おそらく、奄美大島で大部分の乗客は降りたんだろう。

11時を過ぎると、睡魔に襲われる。11:40まで壁にもたれて眠る。目覚めると腹が減っていたので、残っていた島ふくれ(蒸しパン)を食べる。

12:30、無事に和泊港に接岸、入港。
12:40下船、港にはアトリエレンタカーの人がカードを持って待っていてくれていた。
車を前に説明を受け、ポータブル端末で、その場でカード支払い。世の中進歩している。
明日徳之島に戻るのだが、そのフェリーの入港時間(14時)までの25時間でレンタカー代計4730円。軽のムーブ。まあ安くはない。

さあ、昼飯難民になるわけにはいかない。グーグルに聞いて行った食堂は、閉店しているように見える。
とんかつさくらへ。ロースかつランチ950円。カツは脂身が多く、普通。値段なりだろう。

ビジネスホテル和泊本港へ行く。昨日電話をしたのだが、一度だけしかつながらず、予約をできなかった。
呼び鈴を押すが誰も出てこない。諦めて観光を開始する。今日から明日の昼まで、沖永良部島を見て回る時間は、24時間くらいしかない。

沖永良部島地図 

沖永良部島は、ナイキのマークのような、らっきょうのような形をした小島で、徳之島の南西、奄美大島と沖縄本島の間に位置する。
人口は、2022年のデータで12000人弱。結構多い。

13:30、西郷南洲記念館。ここが、遠島時の牢屋跡のこと。西郷は、二度にわたる遠島において、ここ沖永良部島に1862年に流され、戸も壁もない劣悪環境の格子牢で生活し、衰弱し、死にかけた。これを見かねた土持政照という役人が、上に掛け合って西郷を劣悪な環境から救い出し、ここでもまた西郷は九死に一生を得た。
そして、鹿児島に帰るまでの1年半、この島で島民には教育・道徳を、為政者には政治の要諦を教えたという。

この記念館は、入館料200円だが、とても良い。こじんまりとしているが、手紙や年表、再現シーンなどが見やすく配置され、まとまっている。

その後和泊中心部の商店街を少し歩く。
島の西端の方に車を走らせ、日本一のガジュマルへ。このガジュマルは、国頭(くにがみ)小学校の校庭に生えている。枝の広がりが半端ない。
今日は平日なので、部外者が入れる。
ここには、平成29年の天皇・皇后行幸碑も立っている。

島北東沿岸にあるフーチャに行く途中、国頭暗川(くにがみくらごう)がいい。沖永良部島は隆起サンゴ礁の島のため大きな河川がないので、水を地下水から得るしかないのだが、「暗川」というのは、地下を流れる川であり、沖永良部の人々は、島に点在する暗川から水を得て暮らしてきた。
昭和37年に簡易水道ができて以降、暗川はその役割を終えたが、いまでもそれを歴史遺産として残している。

階段を下っていくと、洞窟のような穴が開いていて、中には水が溜まっている。昔、ここから人々は水を汲んでいたのだ。

フーチャ。ここは、浸食された隆起サンゴ礁に穴が開き、そこから荒波が入ると泉のように空高く吹きあがるという、自然の驚異である。特に台風や嵐の時にすごいそうだが、今日も荒れ気味の海ながらも、吹きあがるほどまで入っていない。しかし、穴の縁に立って、眼下の荒れ狂う海水の渦巻きを見ると、底知れない恐怖を感じる。

島の北岸を西に下ると、ソテツジャングルがある。入口近くに車を停め、ソテツのなかの遊歩道を歩く。
入口と出口まで一方通行で、出口を出ると、舗装道を下って白砂のワンジョビーチが広がっている。
空が曇り空で、雨も降り始めているので、海の青さはそれほどでもない。
車を停めた場所がどこか分からないので、ソテツジャングルを再び歩いて入口まで戻る。500m。

ウミガメビューポイントへ。ここは砂浜ではなく崖上のスポットで、ここから海を見下ろして泳いでいるウミガメが見られるらしい。双眼鏡を使って、50mとかくらい遥か眼下の海面を探すが、ウミガメは見つからない。
風が強い。昨日の真夏のような陽気と打って変わって寒い。トレーナーでも寒いくらい。強風に小雨。ウィンドブレーカーを着てちょうどよい気候。

17:45、今日の観光は終了。
和泊に戻って、朝無人だったビジネスホテル和泊新港へ行くと、人がいた。素泊まりの値段を聞くと、3500円と激安だったので即決でチェックイン。
明日は徳之島に戻るので、明日の徳之島のホテルを、電話で予約する。ホテルレクストン、素泊まりシングル5900円。ネットよりも電話の方が安かった。

19時過ぎに夕食に出る。
居酒屋幸で、鶏飯か豚角煮焼き飯を食べたかったが、予約で満席で入れず。
中華料理の前田工房に行くも、こちらも満席で入れず。またまた夕食難民。
近くにエラブ物産センターがあったので入ってみると、豚足(豚の角煮)があったので、これにおにぎり、サラダ、カップみそ汁を買って、夕食にする。ちょっとしょぼいが、豚足が食べられれば良しとする。ほかに食べたいものがあるわけでもなし、沖永良部島まで来て中華料理というのも、味気ないと言えば味気ないではないか。
店内には、島唄が流れる。とてもいい。私は地元民ではないが、島唄がスーパー的なところに流れるって、実に心地いい。

20時にホテルに戻り、お湯を沸かして味噌汁を作り、食べる。おにぎりを3個買ったが、大きなおにぎりで、2個で腹一杯になる。
全部で1365円と中華料理より高かったが、これで良し。

明日も強風予報。徳之島行きのフェリーが運行することを祈って眠る。22:30。



3月29日土曜日。
6:30起床。朝食は徳之島名物のよもぎもち。黒くて薄い。あんこは入っていない。奄美群島で「よもぎもち」といえばこれを指すらしい。もっとも、あわしま堂の普通のよもぎもちもスーパーに売っているけれど。
よもぎは薬にもしていたそう。これは、確か本土でもそうだろう。薬草なのだ。

7:20、鍵を無人のフロントに置いてチェックアウト。ここのフロントにはいつも人がいない感じ。

今日は島の南部から攻める。まずは、ウジシ浜へ行く。
普段海に沈んでいる基部が浸食され、キノコ状となっている「笠岩」と呼ばれる岩が立ち並んでおり面白い。
1890年にこの浜で座礁したカナダの難破船を、島民が助けたエピソードがある。日本各地に結構このようなエピソードがある。

ジッキョヌホー。ここも暗川のような水源で、水道が整備されるまで貴重な水源として、また集落民の交流の場として利用されたところ。ちょうど水路のある公園のような感じで、その造形は素晴らしい。水路の造形は、流れる水とも相まって、絵になる意匠である。
ちなみに、グーグルでこの「ジッキョヌホー」を音声入力で検索したら、「実況UFO」と認識された。

大山展望台。島中心の内陸部、沖永良部島で一番標高の高い場所で、240m。
始めグーグルでナビされたところ、「山田ダム」に連れていかれた。ネットで調べてようやくたどり着く。
巻貝のようならせん階段の巻き付いた形の展望台に登る。最高標高の場所だけあって、360°森が眼下に広がり、南の方角に知名(ちな)の街、さらにその先の海が見える。いい。

昇竜洞。大山展望台の西側にある、日本9大鍾乳洞の一つ。洞入口部の600mが公開されている。
鍾乳石の造形というのは、唯一無二であり、どの鍾乳洞に行っても見ていて飽きない。
赤とか青とか派手派手しく鍾乳石をライトアップしているのは、幻想感を出すためだろうが、まあ鍾乳洞ではよくある演出なので、文句は言うまい。
10時前から11時過ぎまで、1時間15分くらい洞内を堪能する。残り時間は少ない。

腹が減ったので、昨日の残りのおにぎり1個を食べる。

エラブココという観光案内所へ。
知名のマンホールカードをもらい、カラーマンホールの設置場所3か所を教えてもらう。
そして、はちみつ、干しきくらげ、黒糖焼酎ケーキ、「さたぐるま」という丸ボーロのようなお菓子をお土産で購入。

東に向かい、世之主(よのぬし)の墓。
ここは、13〜14世紀の島統治者の琉球式墓。奥にある第3墓の廃墟感が半端ない。

住吉暗川へ。
ここも昔生活用水として人々が水を汲んでいた場所だが、その水の湧き出し部はかなり下っていかねばならず、しかも水のところまでは、狭い穴を這ってほふくで行かねばならない。水を汲む労力は、大変大きなものだった。
明治初期、この惨状を知っている島役人たちが、岩爆破の技術があることを知り、最終的に鹿児島県知事へ懇願し、技術者が派遣され、狭い穴の岩が爆破により広げられ、水汲みの労力が大きく軽減されたとのことである。いい話だ。

知名の街なかにある知名郵便局へ。ありました、カラーマンホール。
この時点で13:17。

沖永良部島での怒涛の観光はこれで終わり、
あとは和泊港に行ってフェリーに乗るのみだ。

沖永良部島は広くはないとはいえ、あまりに駆け足の観光だったので、もう1泊が適正だったかもしれない。だが、明日には徳之島から鹿児島に帰るので、今回はこれが精いっぱいだった。

昼飯を食う暇もなく島内を走り回った。和泊に戻り、南洲神社に立ち寄り、ガソリンを入れ、フェリーターミナルへ。
駐車場には車が多い。なんとか駐車スペースを見つけ、レンタカー屋さんに指示された通り、ガソリンのレシートと車のキーを助手席側のトレイに置いて車を離れる。

フェリーターミナルに人がやたら多いと思ったら、3月末の年度末、転勤となる先生や同僚や転校する子供たちを、教え子や同僚や先生や友達が総出で盛大に見送るためだった。
昨日ちょうどテレビで見た。本土(鹿児島)に転勤になる先生に対して、教え子たちが総出でフェリーを見送り、先生が泣いていた。

これが、離島ならではの重要な一コマであり、人と人の絆を端的に表す光景だ。本土に行くということが、島の住民にとっていかに重いことであるか。
いや、むしろみんな行くから、イベントのようなものなのかもしれない。どうであれ、この盛大な見送りは、「島を離れる」ということに対する、島の人々の思いを表出しているものであることは間違いないだろう。離島の人々にとって、本土は「遠い場所」なのだと思う。

フェリー前の岸では、船に乗り込む前、見送られる人たちが、それぞれに挨拶をしている。役所で異動する人か、または子供に囲まれた先生、友達に囲まれた子供。
去り行く人々が別れを惜しまれる。胴上げをされている人、みんなで記念写真を撮るグループ、応援団張りにエールを送るグループ。
別れの風景は湿っぽくはなく、むしろ盛り上がっている。

与論島から来たフェリーは、20分遅れで14:20入港。
私は、それらの光景を横目で見ながら、船に乗り込む。
ここにいるたくさんの人たちは、船には乗らない、見送りの人々である。船に乗る人は20人くらいだろうか。

乗り込んだ後も、見送られる人はみんな甲板から岸を見下ろし、手を振る。そして、岸の人たちも同じように出航までの間、「さようならー」「ありがとうー」と叫び、手を振っている。
前述したとおり、転勤シーズンなので荷役に時間がかかり、船はなかなか出航しない。30分くらい、ずっと船の下と上で「ありがとう」「さようなら」のやり取りをしている。
いささかこの時間が長すぎた。

ついに15時、船は徳之島に向け出航。ここから、甲板にいる見送られる人と、岸で見送る人々とが本格的な別れである。船が岸壁からかなり離れても、まだ両者は手を振りあっている。
いい光景を一部始終見させてもらった。

雨が本降りとなり、甲板は寒い。
アナウンスがあり、徳之島の亀徳新港入港は17時だという。
この船は満席だそうで、いまは人は多くないが、おそらく、この先奄美大島→鹿児島の乗客が多いのだろう。

フェリーのレストランは閉まっているが、メニューを見ると、なかなか豊富だ。朝、昼、夕のメニュ−がそれぞれあり、定食やうどん、カレーなどいろいろある。
さすがに鹿児島と沖縄本島を結ぶ長距離船だけあって、設備は充実している。

昼飯を食べてないので、仕方なくさっきお土産で買ったばかりの黒糖焼酎ケーキとさたぐるまを食べる。美味い。後者は黒糖ざらめが効いていて、さらに中心に黒糖の塊が入っている。

15:50〜16:30まで船室で眠る。始めは壁にもたれてくの字で寝ていたが、途中から横になり、毛布をかぶって本格的に寝る。
16:30、「入港準備します」というアナウンスで目が覚める。

17時亀徳新港着。
港に降りると、徳之島から乗り込んでくる乗客が半端なく多い。
そして、岸には横断幕を持っている一団がいる。「亀津小学校へようこそ 〇×先生」。年度末、ここ徳之島に赴任の先生も乗っているのか。

しばらく亀徳新港の待合室でテレビを見ながら時間を潰す。なぜなら、レンタカー返却が明日の17:30くらいになると思う(明日、ここから鹿児島へ帰還する)ので、17:30から借りればレンタカー帰還が24時間となる、というセコい計算だ。
まあ1時間くらいならサービスしてくれるかもしれないが、念を入れる必要がある、
17:15に徳之島レンタカーに行くと、もう軽自動車が準備されていた。昨日も対応してくれた女性に、何時から借りたことになるかを聞いたら、17:30とのこと。
目論見通り。これで明日は17:30に返却すればよい。

予約してあるホテルレクストン徳之島へ。
チェックイン。こぎれいなホテル。良い。
まだ17:30だが腹が減りまくり。今日は昼飯抜きだ。
まず、ホテルニューにしだに行き、忘れてしまった白Tシャツを受け取る。最近歳のせいか、忘れ物が多い気がする。

そしてグーグルに聞いた魚食堂へ。10分くらい歩いたのに、閉まっていた。このグーグルの不確実性はどうにかならないものか。情報が正しくなさすぎる。
「この近くの食堂 営業中」で検索するのだが、閉まっていたり、酷いときにはすでに閉業していたりすることが多すぎる。

行く前に電話すべきなのか。
次の「旬庵」は、掘っ立て小屋のように見えたが営業していた。カウンターのみの店に見えるが、奥からお客さんが出てきたので、奥に座敷でもあるのかもしれない。
豚生姜焼き定食800円とご飯大盛り100円、餃子400円。計1300円。美味かったし、生姜焼きのボリュームも十分。とてもいい。腹一杯。

今日はいきなり寒かった。一昨日はほぼ初夏。昨日は一気に気温が下がり、トレーナー必須。そして今日の沖永良部島はさらに気温が下がり、トレーナーにウィンドブレーカー。この下がり方は尋常じゃない。
明日の徳之島はさらに気温が下がる予報。最低14℃、最高15℃だそう。
こりゃさらにもう一枚必要だ。

いつもの秋丸商店でヨーグルトとよもぎ黒糖ドーナツを買って、19時前にホテルに戻る。
BSが映るテレビで、寅さんをやっていたので、最後まで見てしまった。まったく残酷な親娘があったものだ。寅さんの気持ちを分かっているのに、この冷酷さは人間の心を持っているのか。
風呂に入り、22:30過ぎに就寝。



3月30日日曜日。旅最終日。
6:30起床。よもぎもち、よもぎ黒糖ドーナツ、ヨーグルト、コーヒーの朝食。
7:30チェックアウト。寒く、大雨。

島北部にある上名道森林公園へ。途中写真を撮ったりして、公園到着は8:30すぎ。
大雨でどうにもならない。これではさすがに散策は無理。しばらく雨が小ぶりになるのを待っていたが、ならないので世界遺産センターと道の駅に行くことを決める。
この天気ではアウトドアは困難だ。

車で10分ほどで世界遺産センターに着く。展示は少ないが、映像が多く、徳之島の生きもの紹介のビデオには見入ってしまった。ここを1時間半くらい見学し、道の駅でお土産を物色。
じゃがとさた豆を職場の同僚向けに購入。Tシャツはいいのがない。
これでもう11時。

最後の昼食だ。道の駅のレストランも11時に開店したが、メニューが少なかったので、グーグルで調べると、近くに「畔」という郷土料理が食べられるレストランがある。
畔に電話してみると、営業しているとのこと。よし。
車で10分かからず。「島御膳」という豚骨料理1300円を注文。
豚の角煮はやや味付けが薄い。私は薄味派だが、豚の角煮となれば話は別だ。

雨が小降りとなったので、再び上名道森林公園へ。
小雨のなか、三脚のカメラに、雨が吹き付けないようにハンカチを巻きつけて歩き始める。
第2展望所、そして第1展望所は大和城の山頂であり、太平洋戦争時に造られたトーチカ、戦闘指揮所が残っている。
こんな山の上に大量のコンクリートで頑丈な施設を造るとは、その労力はいかほどだったか。昭和19年の建設。離島は防衛線として砲台や戦争遺構が多いが、アメリカ軍が南から、沖縄から侵攻してくるという想定だったのだろう。

トーチカを降りる別の道があったので降りてみるが、藪に囲まれて進めなくなる。廃道となっているようだが、昔の看板が虚しく立っている。
道がなくなったので一度登り返して第一展望所に戻る。

車に戻ったのは13時過ぎ。
天城岳の松原登山道を歩くことにする。世界遺産センターで紹介されていて、1時間くらいで歩けるはずだ。
13:40に歩き始め、2時間かけて往復する。
途中、滝が3つ。これが見所。
途中、カムイの滝を過ぎ、マチャラの滝方面に行かずに川を渡渉してしばらく上がったところで、アカヒゲが出現。しかし、すぐに私に気づいて、飛び去ってしまった。
15分くらいじっとしてアカヒゲの再訪を待つが、現れず。残念。

さらに2度ほど川を渡渉し、マデラの滝を過ぎ、最終地点のオキナワウラジロガシの生息地に到達。
確かに、高い密度でオキナワウラジロガシが生えている。
そこから少し先がこの松原登山道の終点のはずだが、そのような表示はなく、尾根沿いに登る道がさらに先まで続いている。
しばらく登ってみる。急登。登っても登っても尾根道は続く。看板はないし、赤テープもないが、これを上がっていくと、天城岳の山頂に着くのだろうか。

これ以上は切りがないので、遭難するわけにもいかず、ある程度まで登ったところで引き返すことにする。
帰り道、アカヒゲに遭遇したあたりでまた15分ほど滞在してみるも現れず。

マチャラの滝の分岐からマチャラの滝を見に行く。立派な滝だ。

駐車場に戻ったのは15:45ごろ。生き物観察の収穫なし。鳥は、アカヒゲ以外には、メジロの群れが樹上にいたくらい。
渡渉時に川周りも点検したが、少し小さめのアメンボがいたくらい。意志をひっくり返してもなにも見つからず。

旅の最後、再びウンブキへ。
アカヒゲはあういう湿っぽくて暗いところが好きなはずだから、またいないものか。
16時過ぎから1時間ほど、寒い雨のなか、震えながらアカヒゲを待つ。
着いて10分くらいで一度前回とは違う場所に現れたが、撮影には至らず。すぐ去ってしまった。
ここは暗いので、距離があるとまともな写真を撮るのは難しそうだ。

17時タイムアップ。
空港までの道のり、ガソリンを入れ、徳之島空港の徳之島レンタカーに着いたのは17:25。ちょうど24時間、レンタカー代4400円を支払う。

空港にチェックイン後、まだ時間があったので、空港の土産店をじっくり見る。
Tシャツはいろいろあったが、気に入ったのはなし。しかもみんな3000円以上でちょっと高い。
会社用に焼き菓子4個入り入りを追加。

飛行機は定刻19時に離陸。日本エアコミューターのATR-42の機体。
行きよりもずいぶん空いている。
予定より20分早く20時着。

鹿児島空港のレストランが開いてることを期待したが、5、6店すべて閉まっていた。どこも20時閉店で、閉まったばかりのようだ、残念。
今日は昼飯がちょっと早かったので、腹が減った。

駐車場の精算機が調整中で使えず、出口で精算したのだが、クレジットカードが精算機に全然読み取られない。何度やってもダメ。
後ろには何台も車が並んでいる。隣のレーンは次々に車が精算を終えて出ていく。
後ろの車、イライラしてんあだろうなぁと焦る。仕方なく現金で精算。、5500円。
ここでも、6000円の紙幣を投入するのだが、なかなか入らずに出てきてしまう。最悪の精算機。

近くのジョイフルで夕食。隣接して食べ放題のバイキングファミレスがあったのだが、大人ディナーは2500円と高かったのでやめてジョイフル。
ジョイフルでの私の定番、ペッパーハンバーグの洋食セット。甘利に腹が減っていたので、ポテトフライまでつけてしまった。飢えてる。

店内はめちゃくちゃ混んでいる。日曜の夜。家族連れと高校生くらいの若者グループが多い。いまは春休み真っ只中か。

串間まで下道で1時間30分。、
11時前串間帰着。



徳之島アラカルト
・ラジオは、AMもFMもNHKしか入らなかった。奄美では奄美FMというとんでもなくローカルで面白いFM局があった。

2025/3/23 (Sun.)

ビロウドツリアブ (宮崎県串間市)

丹賀砲台跡の砲台井へ上るためのトラム。
トラム線路の横に、急な階段もつけられている
(大分県佐伯市)

パトカーさん、ご苦労様です   晴れ、強風@宮崎市

11時過ぎに起きて洗濯。3月25日から、奄美群島の徳之島と沖永良部島に旅行しようと思っている。
奄美大島と同じく、カーフェリーだと高くて手が出ないので、飛行機+レンタカーで行くことにする。
鹿児島−徳之島便の航空券をネット予約。
ホテルとかレンタカーは、ネットでは安いのが出てこなかったので、電話番号を調べて、片っ端から電話をかける。

ホテルは25日から3泊、ホテルニューにしだを予約。そんなに安くはなかったが。
レンタカーは、徳之島レンタカーを予約。ネットよりも安い。

串間図書館で本を返却。都城図書館にも行き、借りているゲノムの本を、旅行出発前までに読み終わらなかったので、延長して借りる。

串間に帰る道、志布志−都城道路の対向車線で、パトカーが、後ろに5、6台の車を引き連れて低速走行していた。
よく見ると、パトカーの前、なんと2人の自転車旅行者が、路肩を走行している。
この志布志−都城道路は、自動車専用道路なので、自転車は走行できない。

自転車をこぐ男二人の顔を見ると、外国人だ。
なるほど、外国人自転車旅行者が、進入禁止とは知らず、自動車専用道路に入り込んできたものと見える。ここは無料高速で、入口に料金所がないので、普通にランプを上がってきたのだろう。

パトカーは、通報があって、この二人を護衛というか、保護しながら低速で走っているものと思われる。
パトカーの後ろでノロノロ運転を余儀なくされているドライバーたちが気の毒でかなわない。
次のインターチェンジでこの二人は出ることになるんだろうが、それまでにどれだけ時間がかかるか分からない。

まあ、外国人チャリンコ旅行者も悪気があるわけではないだろうから、仕方ない。

2025/3/22 (Sat.)

クロツラヘラサギが越冬している川の中州。
まだクロツラヘラサギは数羽いるが、多くのアオサギが
陣取っていた (宮崎県串間市)

両親と弟が宮崎来訪   晴れ@宮崎市

今週、両親と弟が、千葉から九州に来ている。レンタカーを借り、弟の運転で、各地を周っている。
今日は宮崎に来るそうなので、夕食を一緒に摂ることにしている。

16時出発、青島のANAホリデーイン宮崎へ。
17:40到着。
18時から、ホテルの中華料理店で4人で夕食。
父は紹興酒のおかげか、いつになく饒舌で、満州・大連で生まれた後の幼少期から始まり、戦中、戦後、サラリーマン時代の話をしてくれた。
21時過ぎまで、3時間以上、飲食と話に花が咲いた。

この中華料理屋の代金は私が支払う。

今日は車で来ていたので酒は飲まず。
23時に串間に帰着。

2025/3/20 (Thu.)

いたるところで菜の花畑が満開 (鹿児島県錦江町)

尾根道では、細い気がびっしりと生えた奇妙な道を行く
(鹿児島県錦江町)

前方のピークが荒西山山頂 (鹿児島県錦江町)

塚崎古墳の第26号墳 (鹿児島県肝付町)

荒西山(あらせやま)登山   晴れ、尾根は強風@錦江町

朝9時起床、9:50出発。
今日は荒西山に登る。
ファミマでサンドイッチとおにぎり、ドーナツを買い込み、錦江町森林公園へ。
途中、満開の菜の花がとても美しく、いくつかの場所で車を停めて撮影する。
11:30過ぎに森林公園着。すぐに準備して、11:41、神ノ川コースの登山口へ。

始めは、神ノ川沿いの割となだらかな斜面を上がっていく。左に川を見ながら、そして水音を聞きながら、爽快な沢。いくつも大きなナメ滝がある。今夏はここに沢登りに来るのも悪くない。

40分ほど歩いて、川を渡渉。そこからは10分ほど支沢沿いに上がると、平野林道に出る。ここも廃林道だろうか。鹿児島には廃林道が多い。

その後は、尾根への急登が待っていた。ここが一番きつかった。今日は、いつもなら一番キツい、歩き始めの30分は、全然きつくなかった。斜度がなだらかだったからか、それとも昨晩十分に睡眠を取ったからか、はたまた3週間くらい前にタバコをやめたからか。

キツい急登を休み休み登る。尾根に出てさらに登ると、傾斜が緩やかになる
10mくらいの細い低木がびっしりと生えている尾根道を行く。木の間をすり抜けていくようだ。
面白い。
ピンクテープがしっかりと設置されているので、間違えることはない。

と言ってるそばから道を間違える。縦走路に出たのに気づかず、大尾岳方面の縦走路に入ってしまったのだ。
10分ほど気づかずに歩いたが、北に向かっているのに気づいて、間違いと悟る。
引き返すところ、もう13:25だったので昼食。

引き返すと、看板を見つけた。荒西山は逆の道だった。
すぐに大岩。大岩の上に上がる道があったので登ってみる。藪を漕いで、展望のある所に出たが、展望はいまひとつ。荒西山の山頂と電波塔が右手に見える。

ここで再び重大なことが発覚。ソニーのミラーレス一眼の電源を入れたら、入らない。おかしいと思ったら、バッテリーカバーが開いてしまっていて、バッテリーがなくなってしまっている。

歩いているうちにカバーが開き、そこからバッテリーが落ちてしまったと思われる。大変だ。
いま藪漕ぎ中に、首から下げたカメラに枝かなんかが当たってカバーが開いたと思い、藪の周りを重点的に探すが、見つからない。

とりあえずバッテリーを探すのは後にして、天狗岩と、山頂にまず到達する。14:25。
標高は834m。
天狗岩からの眺望はいいが、錦江湾はよく見えなかった。

バッテリーを探しに引き返す。
再びさっきの藪漕ぎ現場を詳しく探すが見つからない。
大岩方向へ引き返しながら、来た道を凝視しながら歩く。10分くらい歩いたところで見つけた!
道の真ん中にバッテリーが落ちていた。斜面から下に落ちたり、落ち葉に埋もれたりしていたら見つけるのは絶望的だったが、道の真ん中、抜群に目立つところに単独で落ちていた。
よっしゃああああああああ!!!!!

塚崎のクス (鹿児島県錦江町) 

実は、昼食の時だけ、首にかけていたカメラを地面に下したので、そこでカバーが開いて落ちたのかと想像していて、よって縦走路の昼食現場まで20分かけて戻らねばと思っていたので、こんな近くで見つかったのは望外の幸運だ。

これで心置きなく下山。
16:25,車に戻る。今日の活動時間は、4時間40分。

登山中、鳥の姿はほとんどなし。
二度、頭上で何羽かの鳥の群れが鳴いていた。姿は捉えられず。

帰り道、塚崎古墳群を見て回る。こんもりした墳丘がいくつもある。51号と11号の前方後円墳は、森の中にあり、形が分からない。

近くには、「塚崎のクス」というクスの巨木がある。
幹に開いたうろが巨大だ。推定樹齢は1300年、幹回りが約14m。

串間帰着19時。

2025/3/19 (Wed.)

ジョウビタキのオス。もうすぐ見られなくなるだろう
(宮崎県串間市)

3時間かけて作った豚の角煮。やっとまともにできた

田植え開始   晴れ@串間市

今週、田植えの終わった田をいくつも見た。
昼休み、田んぼの近くで、頭ぼさぼさの、くたびれた感じのジョウビタキのオスを一羽見た。
まだ北に戻らないのだろうか。

夜、3時間かけて豚の角煮を作った。初めて美味しくできたと言っていい。
1時間下ゆで+1時間本ゆで。

しかし、箸でスッと崩れるまでの柔らかさはない。だが、4切れ中、それに近いものもあった。
もっと煮込めば、ホロホロに崩れるような柔らかさになるのだろう。

19:30に作り始めて、食べ終わったのが23時。これは、平日に作る料理じゃない。

それと、出てくる脂がすごい。煮汁を入れた器は、しばらくすると脂が白く固まり、脂まみれになる。すさまじい脂。すべてがベトベトになる。食器類を洗うのが大変だ。

これだけ脂分が出るとは、想像以上だ。

2025/3/16 (Sun.)

トラクターの後ろを、ダイサギとコサギがついて回る
(宮崎県日南市)

トラクターの後ろをついていくコサギ
(宮崎県日南市)

花粉で茶色く見える杉 (宮崎県日南市)

ジョウビタキのメス。もうすぐ見られなくなるだろう
(宮崎県日南市)

遺伝子編集、『チ。』   雨のち晴れ、強風@串間市

10:40ごろ起きて洗濯。
15時前に串間図書館へ。『CRISPR』という本がとても考えさせられた。
CRISPRとは、画期的な遺伝子編集技術で、これから様々な展開が考えられる。
遺伝子編集は、このCRISPRという技術により、いま、飛躍的に技術的ハードルが下がっている。

この話題を取り扱うときに必ず避けて通れないのは、「遺伝子をいじる」ことに伴う倫理的課題である。これはえらく難しい問題だ。

遺伝子異常に起因する病気を治すために遺伝子編集するのは、あまり異論はないとして、人間の能力を飛躍的に向上させたり、好ましい形質だけを持つように遺伝子を操作するのは、まさに神の領域であり、倫理的問題が避けられない。

また、遺伝子を操作することで肉や野菜を美味しくしたり、人工的に創り出すのにも賛否両論あるだろう。
野菜や家畜に関しては、育種といって、ある望ましい形質を持つ個体を組み合わせて、その形質を安定的に得る、ということは昔から普通に実用されている(いわゆる「品種改良」)が、それを直接遺伝子を編集することによって実現するということがどうなのか。同じなのか同じじゃないのか。
食糧問題を解決する切り札になるという意見もあろうし、安全性懸念を示す意見もあろう。

日南へ移動し、マックで昼食。
ゲオへ行き、森田童子のCDを借りようと思ったがなかった。

串間への帰り道、農産物直売所に立ち寄る。「こざえん」というところで、ここには初めて来た。
安い。いい。春菊、青梗菜、しいたけ、パクチーを購入。
メダカも売っている。白、緋、青、黒など、色とりどりのメダカで、5匹500円くらいで売っている。田んぼなどにはメダカがいなくなっていると思うが、観賞用としてこのように人の手で飼育・繁殖されているのだと思うと、不思議な気がする。

直売所の向かいの田んぼでは、トラクターで田起こしをしている。その後ろを、ダイサギとコサギがついて回って、泥の中から出てくるミミズなどを狙っている。
ダイサギとかコサギが、一番人の近くに来るのは、間違いなくこの時期だろう。彼らは、田に水が入る時期、田起こしのトラクターの後ろを歩きながら、エサを探すのだ。トラクターを運転する人とえらく近い距離だが、普段ではまずありえない距離だ。

串間への帰り道、道脇の杉の梢の上の方から聞きなれない鳥の声がしている。しかし、姿は見られず。
杉をよく見ると、いっぱいにオレンジ色の花粉をつけている。
今日は雨上がりだが、強風のため花粉は相当に飛んでいると思われる。しかし、先週の一気に気温が上がった直後の地獄のような悲惨状態に比べれば、症状はあまりない。

帰宅は18:30。19:15,満潮に合わせて福島川河口にルアーを投げに行く。
19:30〜20:00まで投げるも、釣果なし。一度だけアタリあったが、そのほかは全くコンタクトなし。

夜、アニメ『チ。』が唐突に終わってしまった。
始め、これは「打ち切りか?」と思うほどの突然の終わり。これまで、地動説が異端としてどれだけ弾圧されたかを描いてきて、弾圧されてきた側の反撃がないまま、終わってしまった。
コペルニクスが、どのように地動説を発表したのか、それに教会や人々がどう反応したのかまで描かれるのかと思ったが、とても拍子抜けした。
原作の漫画もこういう形で終わりなのだろうか。

となれば、最終的に地動説が人々に認められたことよりも、弾圧された人々が、志半ばで処刑されながらも、なんとか思想を次の世代につないでいった、ということを描きたかった、ということか。

キリスト教という、人類博愛の象徴のような宗教が、どれだけの人間を殺してきたか。「異端」と称して、聖書と考え方が違う人間たちを処刑していくなど、なにが宗教か?
政治のため、人々を統治・支配するための道具としての宗教を、端的に表現した物語であるという点では、とても価値があると思う。

宗教は人を救うためにあるべきなのに、人と人が殺しあう元凶となる。
いまでもそれは続いている。宗教による戦争はなくならない。

いままで何度も言っているけれど、これが、私がキリスト教を欺瞞として糾弾するゆえんである。キリスト教会がいままで歴史上してきたことを顧みるに、「お前ら、偉そうなこと言うな」と思う。
キリスト教だけじゃないけど。

2025/3/15 (Sat.)

オオイヌノフグリの花。水色の色がとても独特でいい。
(宮崎県串間市)

アメンボは交尾しているところをよく見かける (宮崎県串間市)

カワニナ的な巻貝が田んぼの水路にいた。
最近はあまり見ない (宮崎県串間市)

旧暦   雨のちくもり 強風@串間市

11時過ぎに起き、串間図書館に行く。
その後志布志に行き、台湾料理屋で昼食。750円の定食。ラーメンつけなくてもコストパフォーマンス良い。

都城へ。
オギノ電機で、ソニーのミラーレス一眼の修理ができないか聞いてみる。残念ながらできないとのこと。
その後、カメラのキタムラにも行って尋ねてみたが、修理不可とのこと。

ソニーに問い合わせたら、もう部品保有期間の7年が過ぎているので、修理できない、と言われたカメラだが、メーカーで修理できないとなると、どこかで修理するしかない。
何度も言うようで恐縮だが、たった7年で修理ができなくなるとは、本当に憤りで身体が熱くなってくる。

都城図書館へ。面白そうな本が結構ある。ゲノム(遺伝子)の本を一冊借りる。
田中書店と文房具屋のデサキで、旧暦カレンダーが売ってないか探すが、ない。

デサキで店員さんに聞いてみるが、20代と30代と見える若い女性の店員さん2人は、「旧暦?」とピンと来ていないようだったのでちょっと驚いてしまった。
旧暦という言葉は、もう死語なのだろうか。

江戸時代まで日本で採用されていた暦は、太陰太陽暦である。
これは、月の運航を基本にした暦(太陰暦)で、太陽暦の1年の長さに合うように、閏月で調整されている。
その名の通り、太陰暦を基本としながら、太陽暦を採り入れた暦である。

これからは、太陰太陽暦と新暦(太陽暦)の関係を身近に感じながら生きていきたいと思い、旧暦が併記されているカレンダーが欲しいと思ったのだ。
月を見ながら季節を感じていた昔の人々の気持ちを体感したい。
月は、太陽と違って、満ち欠けという劇的な変化をするので、古代から、人々の興味を大いに引く存在である。
私も、旧暦でも季節の移り変わりを感じていきたい。

「花鳥風月」を愛でながら生きる。太陽ではなく、月である。

2025/3/13 (Thu.)

田に水が入り始めた (宮崎県串間市)

田んぼ稼働   くもり@串間市

今週、昼休みに里山を周ってみると、田に水が入り始めている。
トラクターで田起こしをやっている様子も見られる。
冬の間は、この辺りの田は、水分のない土状態だった田がほとんどだった。

いよいよ田んぼが本格稼働する時期だ。

冬の間、水分のあまりない枯田に生き物が数多くいたとは思えないが、水が入って、これからコンスタントに水がある環境では、生き物たちの繁殖・成長の場となっていくだろう。

農薬や中干し(稲を強化するために一度水を抜く工程)により殺される前に、1匹でも多くが繁殖、羽化に成功することを祈る。

2025/3/8 (Sat.) 〜 3/9 (Sun.)

一面の菜の花 (鹿児島県志布志市)

菜の花に来て、花粉を身体にたくさんつけている
二ホンミツバチ (鹿児島県志布志市)

歯医者、生き物観察   晴れ@串間市

3月8日土曜日。
10時に起き、志布志の歯科医へ。先回から、左下の奥歯が時々痛むのだが、レントゲンから、神経まではやられてないとの判断で、様子見となる。
この虫歯をもし治療するとなると、神経を抜く大がかりな治療になるとのことで、まあ仕方ない。

その横に、歯と歯が接触部にある小さな虫歯に蓋をして、全治療終了。この程度の小さな虫歯は、削る必要もないらしい。

今日は終日雨で、家で本を読んで過ごす。



3月9日日曜日。
10:30に起きて洗濯。12:30ごろ志布志図書館へ。
2冊返却。早咲きの桜か、駐車場に花が咲いていて、ヒヨドリとメジロが吸蜜に来ている。
串間と志布志の間に、一面の菜の花畑があったので、写真を撮りまくる。二ホンミツバチが来ている。

帰宅後、16時ごろ串間図書館に向け、歩いて家を出る。
私のアパートの近くの川の中州に越冬に来ているクロツラヘラサギたちは、まだいる。
川沿いの道を歩く。カモ以外はあまり鳥いない。

今日は予想最高気温15℃。寒くはない。
図書館で本をリクエストし、漫画『ゴールデンカムイ』を3冊借りる。
帰り道、モズとイソヒヨドリを見る。イソヒヨドリの鳴き声は、大変美しい。

2025/3/6 (Thu.)

クロツラヘラサギの群れは、まだ私の家の近くの川の中州に
陣取っている (宮崎県串間市)

今年は花粉がひどい   晴れ@串間市

数日前からいきなり暖かくなり、今週、花粉が異常に飛んでいる。
例年の花粉症の症状とレベルが違う。目のかゆみ、鼻水がすさまじい勢い。あまりに症状が酷いからか、風邪のときのような、熱っぽさとだるさを感じる。

症状がこれだけ違うということは、今年は飛散する花粉の量が格段に多いとしか考えられないが、どうか。

2025/3/4 (Tue.)

菜の花 (宮崎県串間市)

ホトケノザ (宮崎県串間市)

カンムリカイツブリ(多分) (大分県佐伯市)

タバコをやめて1週間、生き物を見て季節を知る   晴れ@串間市

数日前から突然暖かくなり、串間では気温が20℃を超えた。一昨日などは最高気温が23℃で、真冬の陽気からいきなり春になった感じだ。気温が7、8℃突然上がった。

昨日、病院裏の平地に行ったら、すでにヒバリがディスプレイフライトを始めていた。
今日は、里山の林縁からウグイスの声を聞いた。例年、2月になるとウグイスはさえずりを始める。ツバメも2月から営巣を始めている。
ジョウビタキは2月には住宅地に出没していたが、もうそろそろ北に戻っていき、見かけなくなるだろう。

この時期、このような鳥たちの営みで季節が来たことを知る。

もちろん、花もそうだ。季節が廻れば、違う花が順々に咲いていく。
この時期、菜の花が満開となり、ホトケノザが咲き始める。スミレも咲いている。

もう桃の節句。春だ。

カエルの声も、田植え前の田のぬかるみから聞こえている。桜前線も開始するころだ。



今日でタバコをやめて1週間。1週間前の2月25日の朝に最後の1本を吸って以来、吸っていない。
特段、禁断症状的なものはない。吸いたいと思うこともあるが、手元にタバコがなければ問題ない。まだ1週間なので、それまでの30年以上に渡る喫煙習慣がすぐに蘇ってきておかしくないが、どうしても吸いたいということはない。

むしろ、顧みるに、タバコを吸っていた時、タバコが切れた際、それほど吸いたくもないけど、習慣としてタバコを買いに行っていたな、といまになると思う。要は、タバコが吸いたくてたまらないわけではなく、単なる習慣に従っていただけなのだ。

ただし、こうもすんなりタバコを止められたのは、なにか、身体がタバコを受け付けなくなり始めていたと思われる。自分のことだが、そこまで自分の体の状態が分かるわけではないので推測だが。

2025/3/1 (Sat.)

マンホール。国木田独歩の一節あり (大分県佐伯市)

佐伯にもソウシチョウがたくさんいた
(大分県佐伯市)

佐伯城跡に残る石垣 (大分県佐伯市)

佐伯城跡から見下ろす佐伯の街。でかい
(大分県佐伯市)

磯に立つウミネコ。悪人のような目をしている (大分県佐伯市)

巨大な丹賀砲台ドーム (大分県佐伯市)

丹賀砲台の園地から見た豊後水道 (大分県佐伯市)

鶴御崎砲台の兵舎跡。基礎だけが残り、樹々が生えて久しい
(大分県佐伯市)

佐伯観光   晴れ@佐伯市

昨日は出張で大分に泊まった。金曜に出張先で泊まることは滅多にないのだが、昨晩は歓送迎会だったから仕方ない。

佐伯市地図。大分県南部に位置し、宮崎県と接する

今日土曜日は、ただ串間に帰るだけでは芸がないので、途中にある、佐伯(さいき)を観光することにする。

8:10起床、ホテルで朝食。バイキングなので、カレーまで食べてまたまた食べ過ぎてしまう。
9:30ごろチェックアウト。

50分ほどかかって、佐伯に着き、佐伯駅前の観光案内所で地図やパンフレットをもらう。
20分以内なら、駅前駐車場は無料。

佐伯は、大分県南部に位置し、宮崎県延岡市と接している。大分出張の際には、必ず通るところである。
よく調べてみると、かなり大きな町で、九州最大の面積だそう。人口も、63000人もいる。
地理的には、東が豊後水道で、リアス式の入り組んだ海岸線を持つ。対岸の四国西部と似ている。宇和島あたりもリアス式海岸である。
で、佐伯市西部は九州山地で、豊かな山と渓谷が広がる。
海から山まで、自然に親しめる市と言えよう。

まずは大手町市営駐車場に移動。
観光交流館で佐伯のマンホールカードをもらう。マンホールには、佐伯に教師として赴任した国木田独歩の作品『城山』の一節が書かれている。
国木田独歩が下宿していた家も近くにあり、そのあたりにはたくさんこのマンホールが設置されている。

その後、佐伯城跡へ登る。
鳥居から上がっていくところで、ソウシチョウの群れが地面に降りていた。
先月四万十市でたくさん見たけれど、ここにもたくさんいる。最近はソウシチョウづいている。
シジュウカラもいる。シジュウカラは地面には降りてないが、珍しく地面に近い木の幹にいる。

しばらくこの鳥居の道に陣取り、三脚を立てて写真を撮る。
11:30、ひっきりなしに、佐伯上に上がっていく人が道を登っていく。年配の人たちが多い。今日は気温が上がっているようで、土曜日でもあり、みんな外で身体を動かしているのだろう。

若い人もいるし、中国からの6人組観光客もいる。
1時間近く写真を撮っていたが、私も登ることにする。
30分くらいで、佐伯城跡に着く。いい運動だ。
城の遺構は、いくつかの石垣が残っている。
本丸跡、二の丸跡、北の丸跡など、平地になった山頂を歩く。

ここからの佐伯市街の眺望は最高。上から見ると、佐伯がかなり大きな町であることが分かる。

下山してもう14時。
朝はバイキングだったのでまだあまり腹が減ってない。
定番の歴史博物館に入ろうかとも思ったが、今日は天気がいいので、鶴御崎半島に行くことにする。

途中、マルミヤストアとユーマートというスーパーで、物価調査。どちらのスーパーも肉、野菜ともに高い。

鶴御崎半島は、木枝のようにくねくねした細い半島が東側に突き出たもので、東端は、九州最東端だという。
付け根から先端に向かって走る途中、ところどころで海沿いの道を走る。
海岸線と陽光をいっぱいに受ける海面は本当に素晴らしい光景。

丹賀砲台園地に着いたのが15:30ごろ。
ここは、昭和6年に竣工した砲台で、この半島には、豊後水道の守備のため、太平洋戦争前までに他にいくつもの砲台が設置された。

受付で入場料を払うと、係の人懐こいおじさんが、トラムの乗り方を教えてくれた。
ここは、高台の上にある砲台跡まで、登山鉄道のような小型トラムで上がることができる。トラム線路脇には、階段もつけられているので、階段でも登れる。

彼は、カメラと三脚を持っている私に、「存分に写真を撮ってください」と言い残して、受付に戻っていった。

まずは、地上の見所を見て回る。トンネルがあり、ここに陸軍の施設があったらしい。
いよいよトラムで上に上がる。砲台跡は、とてつもなく大きな空間だった。保存状態もいい。私が今まで見た砲台井(ドーム)の中では、一番大きいかもしれない。
昭和17年、ここで砲弾の暴発事故により、兵士16名が亡くなるという大惨事が起こったとのこと。

ドームの外は園地になっていて、豊後水道の海がすぐそこで美しく光る。とてもいい海だ。
海鳥たちが海面に浮かんでいる。カンムリカイツブリのように見える。
磯の上に、カモメ的な鳥が立っている。後で調べると、ウミネコのようだ。

下りは急な階段を降りる。ちなみに、トラムが下(地上)にある時は、呼び出しボタンを押せば、上に上がってくる。
なかなかの急階段。

続いて鶴御崎灯台へ。
着いたのはもう17時過ぎ。
九州最東端の灯台のほかに、ここにも砲台跡が、兵舎跡があり、全部見て回る。洞穴のようなトンネルを掘った砲台跡が4か所。
太平洋戦争当時は、豊後水道両側(大分、愛媛、高知)の砲台群がこの海の防衛の中心で、この海を守ることが戦略上重要だったことが伺える。
愛媛県愛南町にある紫電改資料館に展示されている紫電改は、終戦直前、豊後水道に侵入したアメリカ機を迎撃しようとして出撃したものの撃墜され、宇和海に沈んだ機体である。

森の中に、建物の基礎だけが残っている。こんな森の中に、軍人たちが祖国防衛のなか、活動していた80年以上前を想像する。

もう18時。
日は暮れたが、「パノラマ展望台」という道路状の展望台があるそうなので、迷った挙句見に行くことにする。
暗い森の中を、500mくらい歩き、上がっていく。6分くらいで展望台に到着。

目の前の海、灯台に対して平行に上架通路が造られている。通路に上がってみると、数100m先の半島先端に鶴御崎灯台があり、その先に豊後水道が広がる。
ここからの景色よりは、灯台からの方が絶景だったが、まだ陽が高いうちに見たら、ここの風景もなかなかいいものかもしれない。

今日の散策はこれにて終了。
佐伯は広いので、次回は山の方にも行ってみたい。地図で見ると、私がよく行っている宮崎県の五ケ瀬町や高千穂町の北側に当たる。いい渓流がありそう。

4時間かけて串間に戻る。22時。
途中、日南の台湾料理屋でギョーザ定食。
よく考えてみると、今日は昼飯を食ってない。朝のバイキングでたくさん仕込んだおかげだったが、実は途中の北川はゆま道の駅で食べようと思ったのだが、19:45、すでに食堂は閉まってしまっていた。

何度も言うようで恐縮だが、宮崎県の高速道路には、ほとんどサービスエリアがなく、よって食べられるところもほとんどない。
ただでさえ陸の孤島なのに、これでは観光客を呼ぼうにも無理だろう。

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