2006/5/31 (Wed.)
大都会の展望風呂で幻魔大戦を思い出す
東京は大井町駅前にそびえる阪急系ビジネスホテル。16階建て、各階30部屋くらいある巨大ビジネスホテルで、部屋は通常通り狭いが、建物は新しく、清潔感がある。そして都心ど真ん中の絶好のロケーション。その割に料金が異様に安い。1泊5500円である。そのため、日本全国から東京に出張してきたと見られるビジネスマンの姿で、広々としたフロントは常に賑わっている。僕は東京で住む部屋を探すためこのホテルに4泊した。
なぜ料金が安いのか?その一つの理由として、このホテルの各個室にはトイレと洗面所はあるが浴槽がない、ということが挙げられるだろう。このホテルには、最上階16階には客室はなく、その代わり男女の大浴場があるのだ。これはイイ。

狭いが清潔で新しい室内 |
ガラス張りの大浴場からは、大東京の夜景が一望できる!湯船につかりながらガラスの向こうを見通すと、ガラスに反射しているユラユラと揺れる湯面に街の灯が重なり、夜景が揺らめいている。ビルの窓明かりも、ソープランドの赤いネオンも、湯の揺らめきに揺れながらやや湯気で靄って光っている。
これはめったに見れない風景だ。ユラユラときらめく波間に揺れる東京の夜。16階の展望風呂から、湯気の中から夜の東京の灯を見下ろす。
この光景を見て、昔劇場で見たアニメ映画『幻魔大戦』の冒頭シーンをなぜか思い出した。誰もいない夜の超高層ビル群の谷間を、老婆が鈴を鳴らしながら走り回る・・・。
夜11時ごろの男子大浴場は、ムサいオヤジたちでごった返している。いろんな地方から東京に出張でやってきたオヤッさんの群れか。平均年齢は40歳くらいだろうか。20代後半から50代までのジャパニーズビジネスマンの裸、裸、裸。
こんな男風呂の中に長髪女オンナがいるとギョッとする。後ろを長髪の女が通りかかったので、ぶったまげてあわてて前を隠そうとした。しかしよーく見ると、その生き物のムネはまっ平らで、何となくお腹の方が出っ張っている。そう、長髪の男だったのだ。若者とはいえない、ロッカーにも見えない、30歳くらいの男だった。
(なんだよ、びっくりさせんなよなー)

ホテルの部屋着、作務衣 |
とホッと胸をなでおろしたのもつかの間、湯を上がり広々とした清潔感あふれる更衣室で体を拭いていると、平然と掃除のオバサンが入ってくるではないか。オヤジどもの汚い、醜い裸体に囲まれても何の動揺も見せずに、淡々とタオル置き場から使用済みタオルを回収している。
男子トイレにいる掃除のオバちゃんより数段困難と思われるこの仕事を、キョロキョロするような素振りも恐縮に肩を縮まらせるような素振りも見せず、堂々と全く無表情にこなしている。肝が据わりきっているこの態度に僕は感心しつつも、
(早く出て行ってくれないかなー)
と前を隠しながら内心やきもきしていた。もっとも、オバちゃんはもとより、僕ももうそんなこと気にするような歳でもないのかな、としみじみ思ったりする。そうやって人は成長していくのだ。いやもとい、感受性を失っていくのだ。
風呂を上がると、16階の風呂前ロビーは、作務衣を来てマッサージチェアに座ったり冷たい飲み物を飲んだり、缶ビールを買ったりする人たちで賑わっている。このホテルは、浴衣ではなくくすんだ薄緑色の作務衣が部屋着である。男も女もこれを着て館内をウロチョロしている。この作務衣を来ている人たちが集まると、よくある白地に紺の柄の入った浴衣よりも異様に見える。 |
2006/5/28 (Sun.)
カップラーメン業界における生めんの衰退
こないだコンビニでカップ麺を買ったんだけれど、カップめん業界では、昔「ラ王」に端を発し一世を風靡した”生めん”というのは今ではもうほとんど消えてしまって、再びノンフライ麺が圧倒的主流になっているのだ、ということが分かった。技術の進歩でノンフライ麺でも生麺並みの本物臨場感が得られるようになったからだろうか。
僕が買ったのは信州駒ヶ根市のラーメン屋”一兆堂”のとんこつラーメンと札幌の”白樺山荘”の伝説の味噌ラーメン。いずれも「店主監修」という、いわゆる行列のできるラーメン屋のラーメンのようである。
ちなみに、長野県駒ヶ根市というのは、協力隊の訓練施設がある関係で、僕は2003年の9月から3ヶ月間派遣前訓練のため住んだところだ。だけど”一兆”なんてラーメン屋は見たことも聞いたこともなかった。
近頃のカップ麺はこの形態が多い。「各地にある名物ラーメン屋の味を再現」を売り物にしたやつ。テレビのラーメン番組でも、各地の有名ラーメン店の店主がタレント的に扱われる番組が増えてきている。カップラーメン業界もテレビ業界もあの手この手でラーメンの新しい流れを作ろうとしている。 |
2006/5/27 (Sat.) 曇り
日本マグロ化計画
先日、NHKでマグロ延縄(はえなわ)漁のドキュメンタリー番組を見た。そういえば僕が昨年暮れに日本に帰ってきて以来、テレビでは度々マグロ特集番組をやっている。それはマグロ一本釣り漁師たちの生活を賭けた戦いだったり、回転寿司屋の朝の築地での仕入れ戦争であったりするのだが、景気回復感が漂う昨今の日本の庶民グルメはマグロなのだと了解した。
実家のすぐ近くのスーパーのチラシでもマグロの特売にあわせ、「鹿児島奄美大島産本マグロ解体実演販売開催!」と宣伝していたので今日見に行った(笑)。この「マグロ解体ショウ」というのは今流行の人気回転すし屋でもやっている、一般庶民に対する一種の客寄せパンダになっているようである。寿司屋であればさばきたてホヤホヤのトロが食えるし、スーパーであればすぐにパック詰めして売り出すのだ。価格表示を見ると1パック大トロ1800円、中トロ1200円、赤身800円、と威勢のいい数字がズラリと並んでいるが、カートを押しながら長蛇の列を作ったオバちゃんオジちゃんたちはこれまた威勢よく切り立てマグロを買っていく。このごくフツウのオッちゃんオバちゃんジイちゃんバアちゃんの旺盛な購買意欲を見ていると、今まで長らく日本を覆い尽くしていた(と思われる)不景気感が嘘のように、現代日本のマグロマグロ現象が身近に感じられるのだ。売り出す方というかブームの火付け役はあの手この手の手練手管であろうからいろいろなことを考える。その手に乗った流行大好きの日本人。こういうものには反射的にすぐに飛びつくのが現代日本人の習性である。今やネコも杓子もすし屋もスーパーもマグロマグロなのだ。
ところで、マグロ漁と聞いて僕が思いうかべる本は、鈴木光司の小説だ。この小説ではマグロ延縄漁の実際が詳細に描写されていて、船に乗って何ヶ月も帰らずに遠洋を彷徨って生活の糧を得る漁師という未知で過酷な世界を垣間見せてもくれた。
それにしても海というのは宇宙と並んでロマンの所在地であって、”大海原”と聞くと何か神秘的かつ不可思議風地球の奥深さに思いを馳せるというか、一体全体どうしたらこんなものができちゃうんだろうというか、それにつけても海という生命のスープの中から生き物はにじみ出てきたとか、まぁとにかく海っちゅうもんを考えると思考は回れ回れメリーゴーランド状態となる。海を扱った小説が山を扱った小説よりも多い気がするのはやはり”ロマン度”の違いじゃないかな。海の中ってなかなか調べようがないからまだまだよく分かってないからね。
先日ある友人が、「これに乗れば?伸也に合ってる。」と言って僕にピースボートの資料請求はがきをくれた。このピースボートというのはあるNGOによって運営されている、国際交流を目的としたおよそ3ヶ月間の世界一周の船旅のことで、協力隊の同期隊員も以前乗ったことがあったので、彼の話で僕はこれの存在を知っていた。このピースボートは年に3回催行されるのだけれど、最近は中華料理屋とかクリーニング屋とか結構いろんなとこに宣伝ポスターが貼ってあって、メジャーになりつつあるようだ。費用は参加人数にもよるが150万円前後。ちょっと高い。なお、船内でボランティア活動をすることにより安く乗れるプランもある。
ピースボートはともかく、僕もいつかは地球を巡る船旅をしてみたいと思っている。船で海を渡るというのは”地球”を体感するもってこいの方法だろうからである。 |
2006/5/26 (Fri.) 曇りのち晴れ
犬の一人歩き
こないだ、実家の近くを歩いていると、一人でテクテクと道を歩いている犬を見た。所在無げにトボトボと肩を落として歩いていたので、「どうしたんだい、君、迷子か、近頃はアブナイオジサンが多いから一人歩きはしない方がいいぞ」などと内心アブナイオジサン化しつつ、彼が通り過ぎるのを見守った。
わが国日本の街なかでは、今やこの「犬の一人歩き」は非常に違和感のある光景だ。一昔前はまだ野良犬はたまにいたけれども、現在では犬が一人きりで飼い主不在で町を歩いているというのは犬完全管理社会の日本ではほとんど見られない。どっかの飼犬が何かの拍子に人間の呪縛を離れ、一人気ままな散歩を楽しんでいたのだろうか。これで買い物かごをくわえたりしていればまた別の話になるのだろうが。
一方、発展途上国と呼ばれる国は、野良犬天国である。彼らは、多くの場合は町に住んで人間のおこぼれに与りながらも、基本的には人間の管理下外に生きている。メシにありつくために人間の行動を遠巻きに見つめているが、決して人間に媚を売ろうとせず、容易には人間に近づいてこないでイヌプライドを保っているようである。
 |

あまりの暑さに廃犬状態で眠るノラ公
(エクアドル) |
僕が住んでいたエクアドルでもそこらじゅうにノラ公が跋扈していて、中には不遜にも人間様に攻撃的に吠えかかる連中もいて、狂犬病の恐怖が頭から離れない我ら協力隊員は、吠えられるたびに全く不本意ながらもビクつきながら目を合わせないように犬を回避していたものである。もし犬に噛まれたら狂犬病を想定して24時間以内にワクチン接種を受けなければならないのだ。だが、そのような注意を怠っていないはずでもなぜか犬に噛まれるマヌケな隊員は後を絶たない。日本人の”対犬スタンス”っていうのがこういうところに現れてんのかなぁ。本で読んだけれど、モンゴルの遊牧民が飼っているモンゴル犬というのは、主人の命令がない限り、第3者に対しては絶対に攻撃態勢を緩めないそうである。日本でのペット犬との馴れ合いに慣れた日本人観光客が、「オレ犬好きだからダイジョーブだよ」と手を出したら即座にガブリとやられたそうである。一口に犬といっても、世界にはノラ公もいるし野犬もいるし猟犬もいるし羊飼い犬もいるしその他職業犬もいるし、毎年狂犬病の予防接種を受けて徹底管理されている牙を抜かれたヌクヌクペット犬だけではないのだ。加えて、場所が変われば犬と人間の付き合い方、人の犬に対する考え方も変わってくるのである。
さて、以前も書いたけれど、メシの心配はないけれどずっと紐につながれて散歩も限られた時間のみ、という日本の都会ペット犬と、いつ死ぬかわからないけれど、人間からの干渉を最小限に抑えつつ自由気ままに生きる途上国のフーテンの野良犬。どっちが幸せかしら?「豊かさ」と「自由」とは何か(笑)?
P.S.
最近実家の庭をよく見知らぬ猫が歩いている。散歩道になっているのか、草の中を音もなく鷹揚に歩いていく。猫は断然自由だ。 |