2013/5/27 (Mon.)

入渓点上の廻田沢橋 |

沢から廻田沢橋を見上げる |

取り込み中でしたか。邪魔しました。 |

おじさんの釣り人二人 |
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ナメ滝 |

むき出しの地層 |
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片側の崖がえぐれ、上部が庇のようにせり出している |
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かなり上流まで登り詰めたところで現れた壁。向かって右端が滝。 |

サルの楽園、高宕山自然動物園 |
志組川遡行
朝10時に車で千葉を出発。国道16号を南下、木更津で127号に乗り、富津市へ突入。465号で東に進路を取る。最後のセブンイレブンで弁当とお茶を買い、県道88号を南下。「サルの楽園」こと高宕山自然動物園の看板を左折して林道に入る。舗装がなくなる廻田沢橋(まわたざわばし)まで入り込み、橋の先に車を止める。
毎週月曜日は、図書館や博物館、公的施設がすべて休館となりすることがないので、僕は一人で房総の山の中にやって来た。橋の下を流れる川は、千葉県で6番目に長い二級河川、湊川の支流で、志組川と呼ばれる川だ。実は地図には川の名称は載っていないのだが、『ちば滝めぐり』という本に、この川のことを志組川と呼んでいるので(近くに「志組」という集落がある)、僕もそう呼ぶことにする。今日はこの川を源流まで沢伝いに詰めてみようと思う。地図によれば、ここから入渓して源流までは直線距離で2kmほどなはず。
まずは腹ごしらえ。セブンイレブンで買った弁当を開く。12時を過ぎている。
食べ終わり、橋から下を見下ろすと、この橋が川から大分高いところにかかっていることが分かる。橋の下からは、人の話し声が聞こえる。誰かいるようだ。
沢に降りる道をしばらく探して見つける。入渓時刻午後1時前。
僕が丸石の川原を歩くと、岸にいたカエルが驚いて次々に川に飛び込んでいく。今まで岸で日向ぼっこをして体温を上げていたのだろうか。それにしてもカエルが多い。交尾中だったのか、二匹重なったまま水の中に飛び込んで、水中でじっとしているのもいる。色的にはトノサマガエルっぽいが、調べたところトノサマガエルは関東にはいないそうだ。まぁ、似たような種だろう。
カエルはオスよりもメスの方が大きい種が多く、つまりあの態勢になると、天守閣のような状態で折り重なっていることになる。上に乗ったものの方が小さいわけだ。合理的と言わねばなるまい(笑)。
靴と靴下を脱ぎ、サンダルに履き替える。遡行準備完了。
廻田沢橋の下をくぐって上流へ向かうと、さっき橋の上から見たおじさん二人組が釣りをしていた。
「こんにちはー」
「おう、こんにちは」
「ハヤですか?」
「そうだ」
「写真か?」
「沢を登っていきます」
「ここから結構あるぞ」
「そうですか」
「サンダルかぁ?!」
僕が裸足にサンダルで水を歩いているのに驚いた様子。
「写真撮っていいですか?」
「こっちの色男撮れよ、ハハハ」
歩き始めた部分の川の深さは、滝つぼやえぐれて深くなっている所以外は、せいぜい15cm程度。谷は広々とえぐられていて、川幅というか谷幅は5m〜10mくらいある。要するに水量が少ない。
水は一点の濁りもなく澄んでいる。おじさんたちが狙っていたハヤがうじゃうじゃ泳いでいる。
ナメ滝が連続するポイントがある。
川床は、平らなナメが基本だが、時々石砂利の川原が現れる。そして、ところどころで土砂崩れが起きていて、川を倒木や落石がふさいでいる。がこの志組川の遡行は、概して楽だ。水深が深い場所もなく、川底の谷は広々としている。こないだのキンダン川と同じような川相だ。こちらの方が沢幅が広い。
砂地の岸には、二人分くらいの人間の足跡がずっと続いている。結構新しそうなので、今日の朝にでもこの沢を遡行した人がいるのだろうか。もしくは昨日だろうか。
そして鹿の足跡も残っている。水を飲みに山から下りてきたのだろう。
壁からシダ類がびっしりと突き出ている。房総の山はシダが多い。
斜めに傾いた地層が剥き出しになっている場所が時々現れる。
源流に近づくにつれ、沢幅は狭まり、片側が急な崖となっている部分が現われる。壁がえぐれて、崖の上部が庇状にせり出している。おっかねぇ。
自衛隊と思われる軍用ヘリコプターが、轟音を轟かせ、10分に1機くらいの頻度で始終頭の上、高木の梢の間を飛んでいる。近くに自衛隊の基地があるのだろうか。(後で調べたら、ここから南、千葉県最高峰の愛宕山山頂付近に、航空自衛隊の峯岡山分屯基地がある。頭上を飛んでいたのは、ここの軍用ヘリコプターだろう)
午後4時20分。遡上開始からおよそ3時間20分。もうかなり源流に近いところまで来たはずだが、なかなか川は終わりを告げない。すると突然、目の前に壁が立ちはだかる。高さ2mほどの真っ黒な岩が行く手を遮る。水の流れは向かって右側で滝となっている。壺は結構深い。1mくらいはありそう。今日見てきた中では最深の壺だ。
もう日も暮れかかってきたし、ここで引き返す手もあったが、僕はこの壁を越えることにした。右側に何とか足場を確保できそうだ。そして、誰かが直登のためにつけたのか、木が立てかけられている。僕はこれを頼りにこの壁をよじ登った。そしてさらに続く川を遡る。しかし行けども行けども川がフェードアウトする様子はない。そうこうするうちに時刻はもうすぐ5時。頭上が木々に覆われているところでは大分暗くなってきた。
今日は日帰りの予定なので軽装で、このまま暗くなれば当然野宿を余儀なくされることになるので、ここで諦めて戻ることにする。戻るルートだが、始めは近くの林道か登山道に上がろうと思っていたのだが、全く表示もなく、まともな地図もコンパスも持っていなかったので、思案のしどころだ。試しに、木材切り出し場となっている感じの急斜面を、尾根まで上がってみた。道はついているようなので少し進んでみたが、あるところまで来るともうあやふやになってしまった。要するにここははっきりした道ではないらしい。この後こうやって山の中をさまよっていたらとたんに真っ暗になって大変なので、結局再び沢まで降りて、上がってきた沢筋を帰りも下りていくことにした。僕は基本ポリシーとして、来た道を戻らないことにしている(一筆書きで別の道を戻る)のだが、今日ばかりは仕方ない。装備も食料も何もない状態で野宿はごめんだ。この季節、死にはしないだろうが、真っ暗闇の中を一晩過ごすのはあまり楽しそうではない。まぁ、川原はあるので、ここで焚き火をして一夜を明かすのはいいとしても、腹が減るよなぁ。カエルとかまずそうだし。釣具持ってないし。
斜面の森でガサガサッと動物が動く音。鹿か、猿か。目を凝らして音の先を凝視するが、暗くなりかけているし音の主の姿は確認できなかった。猿は群れで行動するから、きっと鹿だろう。水辺の足跡は鹿っぽかったが、ここ高宕山一帯は、野生のニホンザルの生息地である。
下流に下る帰りは、ダラダラではあるが基本的にずっと下りなので、楽々と歩ける。
両側の木々と川の上に落ちてきた倒木や落石との間に、くもが巣を作っている。帰りは歩いている最中にたくさんのくもの巣に突っ込み、破壊してしまった。行きにはあまりやられなかったけれど、くもが夕方に巣を作ったのだろうか。それとも暗くてくもの巣が見えないだけか。
山ビルはいない。やつらは清澄山周辺にしかいないのだろうか。もしくは小櫃川水系?ちなみに、房総南部には、清澄山系を核の山塊として、半島を東西に横切る主稜、そこからいくつかの支稜が北へ伸びる。さらに南にはこの主稜と並行して、嶺岡山系の山塊が広がる。ここ高宕山周辺は、清澄山から鋸山へと続く主稜の一部ではあるが、清澄山が外房(東)よりであるのに対し、内房(西)よりの山である。同じ主稜と言っても、場所によって生息する動物や植生は違うのだろう。
午後6時半、ついに入渓した廻田沢橋の下まで戻ってきた。帰りは1時間半くらいで踏破。もう大分暗くなっている。川幅に渡ってくもが巨大な巣を作っている。幅6mくらいあるだろうか。
靴を履き替え、車に戻る。
志組川の沢登りは、遡行困難なポイントもなく、若干物足りなさは残ったが、それでも日の光を受けた緑の回廊という感じで、すがすがしい川歩きだった。これぞ人間の洗濯。
帰りに山道ではなく上がった沢筋を下りてきたのは誤算だったが、次は高宕山への山行で山道を歩くことにしよう。
帰り、高宕山自然動物園に寄ってみるが、当然のごとくもう閉園していた。入り口から中をのぞいてみると、サルのキャッ、キャッ、という鋭い声が聞こえてくる。次に来たときには入ってみたい。きっとここも訪れる観光客など少ないだろう。入場料300円。「動物園」といってもサルしかいない気がするが。
志組川写真集
<追伸>
最近、房総の自然や歴史に関する本を読み漁っているが、それらを読んで強く感じるのは、「近代以降、房総の自然がいかに破壊されてきたか」ということだ。
『ちば滝めぐり』や『房総ローカル線歴史紀行』といった本には、開発のために消えてなくなった山や歴史遺産や埋められた川や滝が書かれている。
宅地造成、耕地開墾、採石等のために、数多くの房総の山が消滅した。標高が低いから、山を丸ごと潰すのもそれほど大変でないのだろうか。増える人口を支えるため、また都市化を推し進めるために、自然や動植物は人間の犠牲になり続けている。そして房総半島には無数のゴルフ場がある。建設途中で頓挫してそのまま打ち捨てられたものもある。
山を潰し、川を潰し、土の大地をコンクリートで固めてきた。
経済成長一辺倒、自然軽視が今までは公然とまかり通ってきた。もっと言えば、誰かが金儲けをするために、自然は無神経に破壊されてきた。貴重な自然、動植物、歴史遺産が、誰かの金儲けのために跡形もなくなってしまった。
これからはそうはいかない。もっとも、もう日本の人口も減少するし、少子高齢化で開発の必要性はどんどんなくなるはずだから、きっとアホなことにはならないと期待したい。これ以上無為な破壊を止めなくてはならない。 |
2013/5/24 (Fri.)

羽田空港 |
飲み会
今日は大学時代の研究室の先生、元同僚と久々の飲み会。私が退職したという本ホームページでの告知を見つけて、1年先輩だったH氏が驚いて開催してくれた。
新宿は何年ぶりだか分からないが、相変わらず凄まじい人の数で、駅に着いた途端に辟易とする。渋谷や新宿が体に合わなくなってから、何年経つだろうか。
集まったメンバーは、いずれも私が会うのは10年以上ぶりで、大学当時の昔話に花が咲く。当時一緒の研究室で学んでいた先輩も後輩も、みんな家庭を持って、子供もたくさんもうけて、しっかりと生きているようである。オチなし。 |
2013/5/23 (Thu.)

千葉ステーションデスク |
ネットを有線で繋げる場所
ネットに有線で繋げる場所を見つけた。千葉駅近くのビルの一室にある、「ステーションデスク」という自習室。ここは、受験勉強やパソコンを使って仕事をする人のためのブースが15ほどあり、ブース同士はパーティションで仕切られている。平日の昼間、自分のPCを開いて仕事をするサラリーマンや、何かの資格勉強をしているのだろうか、若者が参考書を開いて勉強したりしている。客は7名くらいいるだろうか。こんな商売もあるのね。
僕は自分のノートPCをここに持ち込み、有線でネットを繋いでホームページを更新した。この自習室の発見により、家にわざわざネットを繋がなくても、無料でネット閲覧が出来る市の施設とここを組み合わせれば何とかやっていける。ちなみにここの料金は、始めの1時間350円で、その後は長く使うほど割安になっていく。ネットカフェと同じか、ちょっと安い。 |
2013/5/20 (Mon.)
川崎競馬場
今日も暇なので、川崎競馬場に出かける。川崎も初めてだ。川崎は冬以外は大井と同じくナイター開催である。その名も「スパーキングナイター」。
JR川崎駅前から無料シャトルバスが出ている。月曜からオヤジ馬券師たちが席を埋める。川崎もまだまだ賑わっているらしい。
午後3時過ぎに競馬場到着。川崎競馬場は本馬場のトラックは1周1200mと小型の競馬場である。左回りのダートコース。本馬場の向こうには、マンション群が立ち並んでいる。
今日は朝からあいにくの雨模様。パドックで馬たちは雨に濡れそぼっている。馬を見つめる人々も傘を差してパドックに近寄って見るか、屋根のある場所から遠巻きにパドックを見るか、二つに分かれている。
食堂は、散発的に点在している。ラーメン屋、丼物、モツ屋、軽食売店。
夜になり、カクテル光線が雨の馬場を照らし出す。馬場の発表は重だが、レースが進むにつれ、水が浮いてきて不良に近い状態となっている。寒い。だけど観客は結構多い。ナイターだと仕事帰りに来れるからだろうか。
この日は久々に勝利。たまには勝たないとやってられないさ。いや、たまに勝つからやめられないのか。 |
2013/5/16 (Thu.)

昔千葉に生息していたナウマンゾウの化石 |

マッコウクジラなどの骨 |
千葉県立中央博物館
今日は暇だったので、青葉の森にある千葉県中央博物館に出かけた。青葉の森という広大な敷地には、公園、スポーツ施設、文化ホール、博物館、野外博物館が存在している。
駐車場代が4時間で300円。博物館に来て金を取られるとは横暴極まりない、と思うが仕方ない。4時間以上停めるとさらに追加となるので、4時間以内で見学を終えようと決める。もっとも、もう1時で、閉館は5時なので、ちょうと4時間くらい見れば閉館となる。
博物館入場料は300円。
しかししかし、結果として、4時間では全然見終わらなかった。それほど壮大な博物館ではない。フロアは1階で、7つのエリアに分かれている。
@房総の地学
A房総の生物
B海洋
C生物の分類
D小動物展示室
E房総の歴史
F自然と人間とかかわり
千葉県の自然と歴史を網羅した、素晴らしい展示の数々である。@房総の地学のところがいきなり難しかったので時間がかかってしまった。千葉県を形作る地盤について、どこがいつの時代に形成されたか、出土した化石、地層の出来方、地震について、等々。そしてA房総の生物では僕らの原点小櫃川の生物や、昆虫やかえるや植物の一生について、田畑や川や丘陵や街なかの自然と生物。スズメバチの巣の展示と、そこにいた数百匹の蜂の標本の展示に驚く。Cはちょっと毛色が変わっていて、房総とは関係なく、すべての生物の分類のコーナー。界(動物界と植物界)から始まり、綱−目−属−種という生物の分類に従い、それぞれのグループについて、実物とともに展示しているのだ。動物の方は無脊椎動物と脊椎動物の違いから始まり、末端の種まで、魚、鳥、カエル、ワニ、カニ、亀、哺乳類、昆虫、ミドリムシまでありとあらゆる動物が分類されている。面白い。これは大人でも子供でもためになる展示だ。
こうやって一つ一つ見ていくうちにあっという間に時間は過ぎ去り、E房総の歴史を見ている最中に、閉館時間の5時になってしまった。歴史コーナーも見ごたえがある。石器時代から近代、現代までの房総の歴史が、順を追って説明パネルや再現、史物で展示されている。結局F自然と人間のかかわりの展示は見れずじまい。ここには人間と自然の関係とか、都市化と生物、などの展示があるらしい。この博物館は千葉駅からバスで20分かかるという、辺鄙な場所にある博物館だが、その展示内容は見事というほかはない。もっと客が入ればいいのにと思う。僕は4時間もいたが、その間に見た客は、おばさんと幼い子供が2組ほど、サラリーマン風のグループが1組、年配夫婦が1組、小学生の女の子二人組、その他おじさん一人、というくらいだった。平日の昼間に入場者が少ないのは仕方ないが、それにしても立地の悪さはいかんともしがたい。惜しい。
僕としてはもう一度見に来ねばなるまい。日記でした。 |
2013/5/10(Fri.)〜5/13(Mon.)

知の巨人・立花氏(左)と、死んだ人形のような目をしたヤギちゃん |

エンターテイナー正永 |

川原湯神社 |

建設中の湖上橋、湖面1号橋 |

JR吾妻線の川原湯温泉駅。建設中の湖上橋を見上げる。つまりここもダムに沈む。 |
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道祖神 |
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鹿飛橋から川原湯温泉に戻る途中、国道にある看板。現在位置(赤い点)は完全に水没。 |

線路も沈む |

川原湯温泉街 |
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三つ堂石仏群と詣り墓 |

この美しい渓谷も、鉄橋も、水に沈む |
仙台⇒川原湯温泉
10日金曜日は、仙台で会社の元同僚と飲み会。昼前に車で千葉を出発。途中郡山の東邦銀行に立ち寄り、その後仙台着が午後4時過ぎ。花京院のビジネスホテルにチェックインし、部屋でノートパソコンをネットに繋ぎ、ホームページを更新する(笑)。何せまだ家でネット環境がないので、ホームページが更新できないのだ。通常のパソコンなら無線LANでマックとか繋げるところで繋げばいいのだが、2003年に買った僕のノートPCは、無線LANを搭載していないため、どこかで有線で繋ぐしかない。有線でネットに無料で接続できる場所は世の中にほとんどない。今時はビジネスマンのためにほとんどのビジネスホテルでは部屋で高速インターネットに接続できるが、当然、そこに宿泊せねばならないわけであり、無料ではない。
これを機にとばかり、ネットに繋いでホームページを1ヶ月以上ぶりに更新する。
6時頃ホテルを出て、仙台駅東口の飲み屋会場に歩く。仙台に来るのは震災直後の5月以来ちょうど2年ぶり。仙台の街なかは、震災前に戻ったどころか、さらに開発が進んでいる。いままでそれほど目立たなかった東口も、どんどんこれから開発されるらしい。
岩手居酒屋で飲み会。メンバーは怪しい秘密結社を結成している面々。ま、会社の元同僚達だ。様々な話に花が咲く。興味の方向が類似している面々なので、話が楽しい。
1次会終了。別に僕の退職祝い会でもなく、普通に金を払わされる(笑)。仙台までの交通費(高速代・ガソリン代)、宿泊費、飲み代と、無収入の身には応える。だが、本飲み会主宰の伊藤氏には、
「無収入を気にかけるのなら競馬をやめろ」
と一喝された。ごもっとも。いや、何とか少しでも収入を得ようとして競馬をやるわけなんですがね・・・。言い訳ですね。
2次会はカラオケ。伊藤氏と立花氏の選曲は、洋楽、しかも古い曲中心。クラッシュ、XTC、ピストルズ、ビートルズ、クイーン、ボウイ、などなど。もちろん、別に洋楽縛りでも何でもなく、みんな好きな曲を入れればいい。
伊藤氏からは、事前に「カラオケでパンクを歌いまくるから、せいぜい練習して来い」との指令があったので、行きの車の中では、手持ちのCD、ピストルズとかXTCとか王様をずっと聞いてきた。僕もピストルズやニューオーダー、ストーンローゼズ、王様を歌う。楽しい。普段の一般の人とのカラオケでは、まず歌わない曲ばかりだ。一般でない人々とのカラオケは楽しい。全体的にも、一般の人が歌わないであろう曲ばかりが歌われる。
伊藤氏は明日早朝に卓球の世界選手権取材でパリに飛ぶため、終電ギリギリの12時前にお開き。
歩いて仙台の街をホテルまで帰る。一瞬、昔なじみの国分町に繰り出してみようかとも思ったが、一人ではつまらないのでやめた。
5月11日土曜日。今にも降り出しそうな空模様。朝ホテルをチェックアウトし、仙台宮城ICから東北道に乗る。今回の仙台訪問は、壊滅的な打撃を受けた海沿いの被災地の今を見る時間がなかったが、次に来るときには見てみたい。
ここから栃木の岩舟JCTで北関東道に入り、さらに関越道は渋川伊香保ICで降りる。雨が降り始めている。ここから草津方面に向かう。草津温泉の手前にある川原湯温泉が目的地。
群馬県は上州地方、吾妻郡長野原町にある川原湯温泉に着いたのは午後3時過ぎ。雨が激しくなってくる。予約しておいた丸木屋旅館にチェックイン。僕ともう一組、宿泊客がいるようで、入り口の看板には「歓迎 吉田様」の文字がある。恐縮。ゴールデンウィーク明けとはいえ宿泊客が二組か。
雨の中外に出て、川原湯温泉街を歩く。川原湯温泉は、もうすぐ八ツ場(やんば)ダムに沈む温泉だ。二転三転した八ツ場ダムの建設計画により、この地域の人々の人生は翻弄されてきた。国の意向、そしてダム賛成派住民と反対派住民との壮絶な攻防の末にダム建設が決定した。ところが、民主党政権になってダム建設は一旦白紙撤回される。さらにさらに、再びのすったもんだで結局は建設続行に逆戻り。ダムに沈む故郷を捨ててこの地を去る人、政府が用意した高台の代替地に移る決心をする人。実際代替地の工事は急ピッチで進んでおり、すでにかなりの住宅が建ち、移転した人も少なからずいるようだ。旅館も次々に廃業、休止を余儀なくされ、現在そのまま営業しているのは3、4軒のみ。温泉街には、もう営業を中止してしまってひっそりした食堂や旅館がたたずんでいる。
「自分の生まれ故郷がダムに沈む」というのは、一体どんな気持ちだろうか。自分の故郷が消失するのだ。この世から消えてなくなるのである。思い出の詰まった故郷が。津波や原発事故によって家を失った人々とはまた違う思いがあるに違いない。今まで、空港やらダムやら一大リゾートやらの建設に伴って街が消失した例はいくらでもあるのだろうが、そこにもともと住んでいた人々の気持ちを思うとやりきれない。建設反対運動が起こり、いつまでもそこに居座る人がいるのは、ごく自然なことだ。強制退去させられようものならそりゃ頭に来るだろう。全体最適か個別最適かの問題というよりも、そもそも建設が必要なのか?という問いかけをすべきではないか。得てしてダム建設や道路建設などというものは、その必要性よりも、地元選出の国会議員が当選の手土産として地元にもたらす公共事業、という側面が強いと思うからだ。今のご時勢、もうインフラ建設はされ尽くされて、絶対に必要だというものはそうそうありませんよ。
僕は3日間、川原湯温泉周辺を歩き回った。温泉街、若山牧水が愛した吾妻渓谷、そして川原湯温泉畑、代替地、ダムの上、高空を走る湖上橋。いまや建設中の湖上橋(湖面1号橋)が川原湯温泉の新しいシンボルであるかのように、高空に高さ81.5mの橋脚を屹立させている。この橋を見ていると、自分がいる位置がダムの底に沈むのかどうかがすぐに分かる。この橋を見上げる場所は、いずれダムの底に沈んでしまうのだ。何という立体認識だろうか。
ダンプカーやミキサー車が走り周り、いたるところで工事が進んでいる。湖上橋工事、代替住宅地、代替駅、代替道路の建設。国道145号線やJR吾妻線も一部が水の底に沈むため、ダムを迂回する路線が新たに造られつつある。
12日日曜日は、昨日と打って変わって突き抜けるような青空。降り注ぐ陽光の中、渓谷と渓流は、素晴らしい自然を見せつける。新緑の季節、若山牧水も絶賛した吾妻渓谷へ。「関東の耶馬溪」と称される吾妻渓谷は、吾妻川の両岸の溶岩が長い年月をかけて侵食されて出来た景勝地で、若山牧水をはじめ、多くの文人墨客に愛されたそうである。最下部の谷に吾妻川が流れ、その両側は切り立った崖、その上に深い森が広がる。鮮緑が目にまぶしい。先日行った房総の山と同様、高木が日光を遮り、森の中には涼しい風が吹き渡る。木漏れ日、涼風そして新緑。緑のトンネルというか、緑のシャワーを浴びている。
吾妻渓谷の遊歩道は、森の中に造られている。吾妻川は、谷底遠いところに、豊富な水量をたたえて轟音とともに流れている。昨日の大雨で、水量が増しているのだろうか。吾妻川は利根川の代表的な支流で、この東吾妻町、長野原町は、吾妻川の中流域に当たる。
遊歩道には、ところどころ涸れ沢が交差していて、ちょうど氷河のように削られた支流跡が、谷底の川に向かって延びている。まだ若干の水を流している沢もあり、水の上に道が付けられている。途中の展望台からはやはり例の建設中の湖上橋が見通せる。この吾妻渓谷もダムの底に沈むと思われる。
この山の中も、茶色の落葉が敷き詰められている。
遊歩道終点の鹿飛橋(しかとびばし)に到達。ここから帰りは国道を歩く。緑が鮮やか過ぎるくらいに鮮やかだ。
吾妻渓谷の後は、川原湯温泉の奥へ。既に移転した豊田乳業の工場跡と区画整備中の更地を通り過ぎる。そこには「新」吾妻線となる線路がすでに敷設されていて、駅のホームまで完成している。人通りの全くない道を下ると、割と大き目の道祖神が静かに立っている。
もう人が住んでいるのか分からないような廃屋的な家がある一方、近くにはまだ農作業をしている老夫婦がいた。この辺りは完全にダムの水底に沈む場所。そこで最後の時まで今までの暮らしを続けようとする強い意思を見た気がした。
不動滝まで歩く。不動滝の入り口の山道はなんと通行止めになっている。ここまで来て見ないで戻れるかい、とそのバリケードを乗り越えて不動滝への細道を歩く。造成工事中かなんかで落石の恐れがあるため危険なのだろうか?不動滝は川原湯の見所の一つであるが、誰も来ている気配はない。周辺ガイドには「通行止めのため観滝できません」なんて一言も書いてない。
不動滝は、ひっそりとだが堂々と、山奥の崖に流れ落ちていた。木々の間に、ちょうど姿を現している部分だけでも落差40mだという。高いところから細い水の筋を落としている。
この場所からは、すでに天空に向かってその威容を誇示している湖線2号橋が頭上に見上げられる。あの橋から下にあるものは、みんな水底だ。
不動滝を見た後、この湖線2号橋に登る。恐るべき高さ。この橋も100m近い高さがあるだろう。山や渓谷、田や畑を、そして山間に造られた橋などを、恐るべき高さから俯瞰できる。
向かい側に建設中の湖線1号橋が、この橋と対になるのだろう。
もう6時を過ぎた。橋から宿に戻る。
過去にもこのように村が丸ごとダムの底に沈むことなど、いくらでもあっただろう。だが、現代、本当にこの八ツ場ダムの建設は必要なのだろうか?現代は、今までのように無思慮に自然を破壊するような時代ではない。加速度的な森林伐採により地球温暖化が進行し異常気象が頻発し、絶滅する生物が急増し、これ以上地球環境を破壊すれば、我々自身の首を絞めるのだ。こんな美しい自然を壊して、村が丸ごとダムの底に沈むような痛みを伴う建設が、本当に必要なのだろうか。治水が必要なのか。森を潰してコンクリートで固めることに、やりきれなさを感じる。
しかも八ツ場ダムの場合、一旦建設が白紙撤回されたことが、この地の人々を混乱させ、その苦悩を一層深めた。政治と行政の無能に頭にくる。
川原湯温泉、吾妻渓谷写真集
僕が泊まった旅館、丸木屋旅館は、今年いっぱいはこの地で営業を続けるという。その後は打越地区(代替地)に移って営業するそうである。5月いっぱいで向かいのやまきぼし旅館は休業する、と旅館のご主人は寂しげに言う。ダムの底に沈むことについてご主人やおかみさんとは話はしなかったが、心中いかばかりだろうか。もうきっとある程度吹っ切れてはいるだろうが、それでもこの地、この旅館がなくなることにやるせなさを感じているのではないだろうか。
連日6時半まで僕は歩き回った。夕食は6時半から。礼儀正しい口調のおかみさんが部屋に料理を運んできてくれる。
「今年は霜が長くて、山菜が不作だったんですけど、やっと今日手に入ったんです。のびるやぜんまい・・・。今日の食事に間に合いました」
「そうですか、それはうれしい」
最終日の13日。今日も天気がいい。午前中、吾妻川を渡って対岸の三つ堂石仏群まで歩くことにする。湖上橋の建設現場に向け、大型トラックが次々と駆け上がっていく。「三つ堂」という標識がところどころにあるが、いずれも道は潰されてしまっていて、全くの虚偽表示と化している。建設現場付近にも「三つ堂」の道案内があるが、どう見ても建設現場に矢印が向いている。現場の工員に訪ねると、「その道はもうありません」との答。だったら観光客が混乱しないように標識ももう撤去すればいいと思うのだが、今後撤去されるのだろうか。道がふさがれたのもつい最近のことなのかもしれない。旅館でもらったガイドブックには、この標識まで事細かに書かれているのだが、確かに標識はあったものの、小さな道はいずれも通行不能だった。やれやれと大きな舗装道路の坂道を上がっていく。
三つ堂、三つ堂石仏群、そして諏訪神社は、ダムに沈まない高台に移転されていた。石仏群はなかなか見ごたえがある。この地域には道祖神と馬頭観音が多い。そして三つ堂の脇にある詣り墓。この地域には、魂と肉体は別だという霊肉別離の考え方があり、肉体を葬る墓(埋め墓)と魂を葬る墓(詣り墓)が別々に造られる(両墓性)。
この辺りにもこれから住宅が建つのだろう、更地化と区画整理が進んでいる。また、吾妻川の谷を挟んで対岸の山の斜面も切り開かれている。あれが、川原湯温泉街が移転する打越地区だ。ここと同じ目線の高さに一望できる。つまりダムに沈まない高さだ。ここから下、吾妻川が流れる谷底からここまでは、すべて水の下に沈むのかと思うと、寂しい気持ちで一杯になる。
温泉管というパイプも工事している場所でいたるところに見られる。今ある源泉を別のところに引くためだ。今ある温泉街が移転するに当たり、当然温泉の湯も移転地まで引っ張らなくてはならない。
温泉街に戻り、宿の前の共同浴場「王湯」でひと風呂浴びる。露天風呂から見る新緑が気持ちいい。
最後はお土産を買いに、湖面2号橋の先にある道の駅、八ツ場ふるさと館へ。ここで上州名物こんにゃくを使ったお土産を買い込む。きな粉こんにゃく大福、ゴボウとこんにゃくのピリ辛和え、そしてこんにゃくそうめん。
こうして3日間の滞在を終え、僕は車で東京へ戻った。今晩は新橋で、ある求人募集に関する説明会を聞きに行く。
関越道から外環道、首都高で6時前に新橋に到着。6時半から説明会に参加。8時前終了。車で千葉へ帰る。
<追伸>
以前、辞めた会社で僕の前に座っていたK氏に、川原湯温泉の話をしたら、彼はさだまさしの小説を僕に紹介した。『水底の村』という、ダム湖の底に沈んだ村に住んでいた幼なじみの男女が主人公の話だ。『解夏』(げげ)と題された短編集に収録されているその小説を読んでみた。僕はさだまさしという人の才能を良く分かっていなかったのかもしれない。彼の表現、言い回しや文体は僕の好きな部類ではなかったが、物語の創作者としての、また人間を描写する才能は、なかなか唸らせるものがあった。この短編集、『解夏』というタイトル作も、『水底の村』もなかなか趣のある作品なので、興味のある方は一読されたい。切なさを求める人にはお勧めだ。絶望・苦悩の先に薄光が見えてくるという類の話なんだけれど、明からさまなハッピーエンドでないところに好感が持てる。あとは彼得意の、彼の考える日本人の宗教観、道徳観などが垣間見える。
僕はいままで彼の音楽を聞いてきた。そこからは彼独特の死生観や宗教観を感じ取れたものの、若干やり過ぎ感というか、ベタベタ感というか、そういったものを感じて、それほど好きにはなれなかったのだが、小説を読んで彼の芸術性というか世界観を再認識できた感がある。
思えば僕が生まれて初めて買ったレコードは、『親父の一番長い日』だったはずだ。あの、シングルなのにLP並みにでかいレコード。あの曲は12分くらいあった、確か。彼の曲の中では『精霊流し』、『防人の詩』、『雨やどり』、『案山子』、『長崎シティセレナーデ』等、素朴なものからお笑い系、ストレートで重いものまで、僕が好きな曲は色々ある。次は彼の映画を見てみようか。そういえば、協力隊時代、エクアドル隊員で、若いながらにさだまさしの熱狂的なファンの女の子がいたっけ。彼女の共感がどういうものかは分からないが、彼女のような熱狂的なファンがいることがやっと何となく分かったような気がする。 |
2013/5/9(Thu.)
船橋競馬場
今日も暇なので、船橋競馬場に出かける。船橋競馬場も初めて行く。千葉からはすぐだ。京成線で千葉中央から20分ほど。船橋競馬場駅で降りる。驚いたことに、平日の昼間、京成電車にはギャルチックな若い女性が数多く乗っていて、結構な数が船橋競馬場駅で降りる。どういうことだ?まさかこの人たち、かわいいツラしてみんな馬券亡者なのだろうか?
そんなわけはない、実はこの船橋競馬場駅からは、近くの複合ショッピングモール「ららぽーと」へ無料バスが出ていて、京成線では最寄り駅になるらしい。なんだ、ららぽーとか。で地図をよく見ると、なんとららぽーとは、船橋競馬場の隣ではないか!なんというミスマッチ。競馬場の横にショッピングモールとは!
船橋競馬場は駅から歩いて5分ほど。やはり競馬場に向かうのはその手のオヤジばかりだ。ゴールデンウィーク明けの平日だが、思ったより客が多い。競馬のコアファンは決して絶滅はしない。南関東はまだまだ何とかやっていける経営状態にあるのだろう。地方競馬場の閉鎖といえば、3月いっぱいで去年夏に行った福山競馬場が終了してしまったし、毎年どこかの競馬場が閉鎖に追い込まれている。寂しいものだ。
11時頃に競馬場に着き、3レースから始める。左回りのダートコースは外回りで1400m。1250mの内回りコースもあるが、2007年以降使われていない。地方競馬としては普通の大きさであろう。コースの向こうには高速やらビルやらが見え、さすがに街なかの競馬場だ。食堂は大井や浦和に比べたらそれほど充実していない。ラーメン屋、丼物屋、あとは軽食系。ただスタンド上の方には割りとまともなレストランがあるらしい。がそんなところには僕は行かないので関係ない。
最終12レースまでやって結果は若干の負け。なかなか勝てない。 |
2013/5/8(Wed.)
カメラ散歩
暇なので、カメラを持って出かける。いつも行く平和公園という公園兼墓所で、ミラーレス一眼で写真を撮る。未だに撮り方がよく分からない。どの設定をどういじるとどうなるのか。
それにしてもこのカメラは、暇を持て余している僕にとっては、時間をつぶすための最高の相棒だ。 |
2013/5/5(Sun.)
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倒木銀座 |

問題の山ビル。こいつらは血を吸うために次から次へと足に付着してくる。 |

川廻しの跡 |

昼飯場所 |

沢蟹 ⇔ カエル(ツチガエルか) |
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ゴルジュ |
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山道で迷う |

ようやく林道に出、立ちションをする |

これが標高300m〜400m程度とは思えない房総の山並み |

山ビル注意の看板。対策として、塩が効果あり。 |

帰りは入渓地点の白岩橋までバスに乗る。鴨川日東バスは小型のマイクロバスだった。 |

武本食堂の普通天丼。恐るべき盛り。 |
キンダン川遡上
今年のゴールデンウィークは結局旅行もせず何もしないままに過ごした。どうせ就職が決まらないのなら思い切って例年通り海外に旅立つ、という手もあったが、一応書類を送ってあるところが数件あるので、面接に進めたらそれなりの準備が必要だと考えたのだ。万が一に備えて、海外で油を売っている場合ではない。もっとも、わざわざ料金の高いゴールデンウィークに旅行せずとも、いつでも旅行できる身分なのだから、安い時期に堂々と行けばいい(笑)。
そんなわけで今年はゴールデンウィークに入っても「毎日が休日」の私は特に休み感覚もないままに自堕落な生活を続けている。
さて、ゴールデンウィークもあと二日で終わりというこどもの日の今日、中学時代の友人3人、コンスケ、ベボ、裕助と、房総半島の秘境、キンダン川を遡上する。このメンバーは、20年位前にも同じく房総最長の川、小櫃川の源流を極めようと2度にわたって山奥を駆けずり回った仲間である。
朝8時過ぎに千葉を出発、房総半島を横切り、君津市の山中へ突入する。山の中の民家には巨大な鯉のぼりがたなびく。日本では、田舎に行くほど鯉のぼりは巨大になるのだ。最後の人里にある「吉田屋」というスーパーで昼飯を買い込む。各種弁当が298円。安い。
車がすれ違うのも困難な県道81号を分け入り、いよいよ入渓地点、君津市と鴨川市の境に位置する白岩橋に到着。ここに車を止め、沢に下りる。小櫃川水系の七里川だ。水深は浅く、せいぜい15センチ程度、川幅は5〜10メートルといったところ。ここから沢を登り始める。好天、絶好の沢へずり日和。10時45分。水はかなり冷たい。洗濯板のようなナメが続く。コケ部以外は滑ることもなく、水深も浅いので、水が冷たいこと以外は歩くのに難はない。僕とコンスケは裸足にサンダル、ベボと裕助は靴下+靴のまま川を歩く。
沢の周りはうっそうとした林が取り囲む。頭上まで枝が到達し、日を遮る。木漏れ陽と沢を通り抜ける風が心地いい。山深い。房総半島のこれだけの自然を前にして驚くべきことであるが、千葉県は、平均標高(46m)、および最高峰の高さ(愛宕山408m)がいずれも全都道府県の中で最低の県である。山の高さはないが、森の深さはなかなかのものである。
30分ほど川を歩いてキンダン川という支流の合流点に到達。昨年12月の日付がついた割と新し目の看板があり、「キンダン川」と表示されているので、間違えようはない。ここからはキンダン川を遡る。川幅は一段と狭くなり、水量も少ない。すぐにポンプ小屋があり、その先は無数の倒木が川をふさぐ。この辺りで初めて山ビルを確認。みんな狂ったように大騒ぎして足に吸い付いたヒルを払い落とす。だが、しばらく歩くとすぐに足に付着してくる。全く奴らはどうやって人間の足にいとも簡単に飛びつけるのだろうか。きっと動くものに無条件に取り付く本能を持っているに違いないが、それにしても人間や動物(鹿など)が歩くスピードに合わせて取り付くだけの運動能力、跳躍力、移動力がこの尺取虫のような山ビルにあるというのがどうしても解せない。地面にいるのを見ても、尺取虫のように動くだけである。恐るべし自然の驚異。ヒルについてもう一つ特筆すべき点は、奴らは「踏んでも死なない」ということだ。弾力性が半端ないのだ。体に圧力がかかっても、ブヨブヨしてゴムのようにその圧力を逃がしてしまう。まさに不死身吸血鬼。
さて、ヒル銀座でひとしきり騒いだあと、倒木銀座も越え、再び浅い水を歩き始める。「川廻し」の跡が現れる。川廻しとは、農地や牧場開墾のために蛇行する川の流れを人為的に短絡させて変えることで、水がなくなった元の蛇行部分が農地になるというわけだ。ここには岩をくりぬいてトンネル状にしてそちらに流れを誘導した跡が残っている。今ではトンネルは土砂で塞がれ、川の流れはオリジナルに戻っている。
この川廻しは、蛇行する川が多い房総で、開墾のためにかなり実施されている。いたるところに川廻しのトンネルが存在する。
途中の川洲に鹿の死骸が転がっている。房総半島はニホンジカとニホンザルの生息地である。
12時過ぎ、昼飯休憩。石砂利の川洲に腰を下ろし、吉田屋で買った298円の弁当を開く。自然の中で食べる飯は美味い。どこかで野営するのであれば炊事用品を持ってきたのだが今日は日帰りのため、装備はごく軽く、飯も自炊なし。
遡上再開、さっき大騒ぎしたヒルは今日はあれっきり目立たない。まだ5月で気温は低く、活動が活発化していないのだと思われる。小櫃川を8月に遡上したときは、それこそ気の狂うほどヒルに吸い付かれ、血だらけで歩いたものだ。まさに房総名物。房総以外の山河で、山ビルを見たことはほとんどない。
ヒル以外の生き物といえば、陸には沢蟹、カエル、ハンミョウ、ハサミムシ、川にはメダカのような小魚やウグイの類が見られる。カエルはカジカガエルではなさそうだ。虫系の生物はこれから夏にかけて一大活動期を迎えるからだろう、まだそれほど目につかない。そして、鳥の声はそれほどしない。カワセミなんかも住んでいるはずだが、鳥の姿は薄い。木々の上のほうから時々声がするだけだ。
森は濃い。数10mの高木が沢に覆いかぶさっている。最近の地震とか地殻変動の影響だろうか、ところどころで土砂が崩れていて、そこに生えていた木が倒れたり倒れかけたりしている。葉の緑もこれまた濃い。5月、新緑の季節。山の斜面を茶色の枯葉が埋め尽くしている。落葉樹が主な植生なのだろうが、それにしても5月に入った今まで、枯葉が腐敗・分解されずに残るものなのか。
1時半、歩き始めて3時間、地形が一変する。今までは割と広々とした川幅に、石砂利の川原・川洲があり、両側も緩やかな斜面に木々が覆っていたのが、急に川幅が狭まり、両側が切り立った崖となる。川幅が狭くなる代わりに、ところどころにちょっと深い「釜」(お椀状にえぐれた川の深みのこと)が現れる。とは言っても、一番深い場所でも膝上くらいのものである。だが水が冷たいのでこの釜を越えるのには多少難儀する。もしこれが腰くらいまであったら大変だった。何しろ一気に川幅が狭くなり、川原はなくなり、両側も崖で、迂回路がないのである。水を乗り越えていくしかない。
この崖状の地形のことを専門用語で「ゴルジュ」というらしく、ここからはゴルジュの連続。崖は地層むき出しで、何層かの特徴的な層が見て取れる。まさか津波とか火山の噴火ではあるまいが、考古学的にはなかなか見所のある場所だろう。さらには小さな滝と釜が次々に現れる。これぞ沢へずりの醍醐味。
午後3時、ついに県道へ上がるための山道、「池の沢歩道」の上り口へ到達。4時間強の遡上。自然との戯れは最高の時間。木漏れ陽、光る水面、冷たい水、鮮緑の森、川を渡る風。ヒル地獄も一瞬で、全く問題なし。だがここからが長かった。沢から山中に入り、池の沢歩道の小さな標識をたどりながら歩いたのだが、途中で別の道に入ってしまったらしく、道が分からなくなる。斜面を上がり切った尾根辺りで携帯の電波が入ったので、GPSで自位置を確認する。ある程度の場所を認識し、進むべき方角を確認する。そうやって歩くこと1時間。午後4時、ついに人の匂いのする林道へ出た。林道をどちらに行くかも慎重に判断しなければならない。車を止めてある県道81号に出るにはどちらに進むか。
県道に出たのは4時45分。清澄寺へ上がる道との分岐点だ。「山ビルに注意」の看板を生まれて初めて見た。ここには対策が書いてあって、肌を露出しないで、ヒルが入り込めないような服装はもちろん、靴下にヒル除けの薬や塩をすり込むことも有効、と教えられる。なるほど。ヒルはナメクジの仲間か(笑)。
結果としては、この5月5日こどもの日の遡行は、最高だったと思う。新緑の爽やかな季節、自然の息吹を満喫でき、水も冷たすぎず、ヒルも活性でない。看板によるとヒルは5月〜11月が活動期となっているが、真夏の地獄のような状況と比べ、5月の奴らの動きは、まだまだ冬眠から覚めたばかりかのように鈍い。今回、僕は何度も足に取り付かれたものの、ヒルに血を吸われたのは1,2ヶ所だけだった。
ここから白岩橋まで、GPS地図によれば、歩いて1時間ほど。僕らは疲れていたので、バスに乗ることにした。ちょうどバス停があり、2時間に1本くらいしか運行していない田舎バスが、あと15分ほどで来ることになっていたのだ。念のため、停留所に書かれていた電話番号に電話し、鴨川日東バスに問い合わせる。このバスが時間通りに来るか、白岩橋まで行くかどうか。答えはOK。
バスは通常の大型バスではなく、11人乗りの小型マイクロバスだった。だが、このバス、鴨川方面から来て、僕らが待つバス停の前で、いきなり清澄寺方向に右折してしまったのだ。
「あれーー??」
僕らは呆然とする。そして焦る。これに乗らねば、1時間さらに歩かなくてはならない。5分後、清澄寺から降りてきたバスを僕らは死に物狂いで停める。そうして無事バスに乗ることが出来た。白岩橋まで200円。乗客は僕らだけ。田舎バスの常として、乗る人が本当にいるのか、採算が心配されるが、この辺りの人々にとって、特にお年寄りにとっては安房天津や鴨川の街に出る唯一の交通手段なのだろう。だから今まで廃止されずに継続していると推測される。だがこの先は分からない。運転手さんに聞くと、このバスは白岩館までで、その先の君津市には入らない、とのこと。白岩館からは君津市のバスが運行しているので、さらに先までも行けるそうだ。
白岩橋まで戻る。まっこと、今日は充実した一日だった。一番懸念された山ビルも問題なく、自然を満喫できた。
キンダン川写真集
キンダン川映像
帰りは市原市海士有木(あまありき)の武本食堂で夕食。人気店でいつも混んでいるようだが、今日は板前さんが一人休みらしく、いつも以上の混雑度合いのようである。7時に入ったが案内など一切なし。オバちゃんは今来ている客の対応で精一杯。食べ終わった客が勘定をするのにも15分くらいかかっている。30分ほど経って、僕らは客が出て行ったままの空いたテーブルに座る。だが誰も来ないので、自分達でテーブルの上の前の客が食べ散らかした食器をカウンターに運ぶ。まさに全セルフサービス状態。オバちゃんが注文を取りに来たのは8時前。「ボリューム満点」という触れ込みの海鮮天丼を3つ、刺身定食を1つ頼む。だが、海鮮天丼に入るべきアナゴが二匹しか残っていないらしく、僕が仕方なく普通の天丼に注文を切り替える。ここからも長い間待ち続ける。4人で政治経済・時事問題について酒も入れずに語り合う。
9時15分前、入店してからすでに2時間近くたっていたが、ついに食事が運ばれてきた。海鮮天丼の盛大な盛りに、頼んだベボと裕助が絶句する。しかもこの店自慢の究極メニュー、「海鮮天丼刺身つき」と勘違いされ、刺身までついてきているではないか。ベボはさすがに「刺身は頼んでません」と断り、刺身を引き取ってもらうが、裕助は「じゃぁそのままでいいです」と刺身まで引き受けるという男気を見せる。アナゴがデカイ。完全に丼をはみ出している。何しろ1尾丸々使っているのだ。見たところ、アナゴの長径は、丼の直径の2倍くらいあるではないか。さらにはキス、海老、ナス、人参、などなど、数々の天ぷら群。果敢に挑むが、腹が満たされるにつれ、タレの濃い味がどんどん重荷になってくる。僕はアナゴが入っていない通常天丼にしたおかげで何とか完食できた。しかし海鮮天丼の二人はいずれも撃沈した。二人とも食べ切れなかったのである。
この武本食堂は、知る人ぞ知る名物食堂のようで、隣が同経営の魚屋で、ここで下ろした魚を刺身や天ぷらに料理して食堂で出している。魚だけでなくメニューは中華系からとんかつ、フライまで何でもある。特筆すべきはそのボリューム。隣のテーブルを見ても結構みんな残している。ちなみにお値段は、海鮮天丼1450円、海鮮天丼刺身つき1800円、普通天丼は1100円。
ヒーヒー言いながら死ぬほど食った僕ら。2013年のこどもの日は満腹で幕を閉じた。 |
2013/5/2(Thu.)
浦和競馬場
今日も暇なので、南関東の浦和競馬場に出かけた。浦和は初めてだ。
西船橋で乗り換え、武蔵野線で南浦和まで行く。無料シャトルバスに乗る。競馬開催の日にはこのような無料バスがあってほしいものである。僕が知る限り駅までの無料送迎バスが存在しないのは福島競馬場。福島駅から通常バスで200円。
競馬場に着いたのは昼頃。ゴールデンウィーク中だからか、平日でも割りと馬券師が多い。まずは腹ごしらえ。入場して左側に連なる食堂街の一つで豚汁定食を食す。
食後はスタンドや馬場、パドックの様子を観察して回る。左回りのダートコース1周1200m、直線は短く220m。小型の競馬場だ。南関東の4場の中では川崎と同程度。
そして6レースからいよいよ始める。最終12レースまでやって、この日も負け(いつものことですが)。
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2013/5/1(Wed.)
高校野球
暇なので、千葉県高校野球春季大会を見に行った。
この春季大会と言うのは、夏の大会のシードを決める大会、という程度の位置づけらしく、一応この大会で上位に入れば関東大会があるものの、甲子園には直結はしない。
千葉市の天台スポーツセンターへ。ここの野球場で今日は3試合が行われる。高校野球ごとき、当然タダかと思いきや、何と入場料を取るではないか。しかも600円という高額である。こちとら「見に来てやった」くらいの上から目線なのに、金を取られるとは思いもよらなんだ。入るのをやめようかとも思ったが、ここまで来てしまった労力を惜しみ、仕方なく600円を払う。切符売り場の窓口では女子高生が対応してくれる。バイトか。そういえばここに車で入ったときも駐車場の誘導はユニフォームを来た野球部の高校生だったし、大会運営の手伝いを高校生自身がやっているわけね。立派立派。しかも券のもぎりや誘導係の球児たちは、元気がいいし礼儀正しい。「こんにちは!」「ありがとうございます!」と気持ちがいい。さすが体育会。うむ、苦しゅうないぞ。
さて、スタンドは思ったより客が入っている。今日は既に2試合が終了し、これから最終3試合目、柏日体−千葉英和という千葉県民にとってもマイナーなカードが始まるところであった。第1試合は銚子商VS拓大紅陵という、千葉県で言えば黄金カードだったようだ。
柏日体高といえば僕が高校時代に、サッカーで対戦したか、試合を見たことがあるが(どちらか忘れた)、みんな妙にガタイが良かったことを覚えている。だが、グランドにいる柏日体の野球部員達は、それほど大柄な選手はいないようだ。
それにしても野球だけなぜこうも特別扱いなのか、改めて思い知らされる。今まで散々述べてきたが、野球というスポーツは、日本人にとって特別なスポーツである。高校生の、県大会のベスト16くらいの試合が、このような立派な球場で、しかも有料で開催される。そして観客はいる。「野球観戦」が文化として人々の間に定着しているのだ。そして、観客の中には、バカでかい望遠レンズのカメラを持った記者的な人が数人いる。こんな一地方試合が、取材されるわけである。他のスポーツではこうはいかないだろう。日本の野球優先主義である。
僕は千葉英和の3塁側内野席に座った。別にどちらを応援しているというわけでもない。スタンドにはおじさんが多いが、彼らはこんな話をしている。
「今年は何とか高校の1年生に○×ってすごいピッチャーがいるんだよ」
「△▲中学の何とかってピッチャー、千葉英和に入るらしいぞ。球速は135kmあるそうだ。将来のエースだな。」
「へぇ、中学で135kmはすごい。なんて名前だ?」
そして、試合中は、大きな声援が飛ぶ。
「おい、○×(名前)、ストライク取ってけ!」
「キャッチャー、しっかり抑えろ!」
「カーブには体開くなよ!溜めて打て!」
要するに、このおじさんたちは、全員が野球評論家なのだ。
どうもこの人たちは、自分の息子が試合に出ている、とかいう感じではない。確かに、年のころは定年行ったかどうか、という割と年配の方々が多く、団塊世代的なので、グラウンドでプレーしているのは彼らの息子ではないようだ。千葉英和野球部OBなのかもしれない。OB会がお誘い合わせの上やって来ているのか。だが一体となって応援しているようには見えない、いくつものグループが、バラバラにやって来ているようだ。逆に言えば、定年で毎日することがないから野球観戦に来ているのだろうか。いずれにせよ、野球というスポーツを介した人脈というのは、高校野球の世界においてさえ、世代を超えて脈々とつながっているのだと感じる。
もちろん観客の中には、女子高生も混じっている。しかし数が少なく残念だ(笑)。
ベンチ入りできなかった野球部員が応援団として気勢を上げている。それにしても高校野球の応援歌って結構どの高校でも共通の曲が使われていて、それが妙にマニアックなんだよね。典型例がジッタリンジンの『打ち上げ花火』だよなぁ。
試合は打撃戦の末、7−5で英和の勝ち。試合後、球場の通路で、敗れた柏日体の応援団が、野球部顧問の先生と懇談していた。応援団父兄に囲まれた監督は、「夏に向かってより一層がんばります」と抱負を述べていた。
この春季大会の結果で、夏の県予選のシード順が決まるのだそうだ。 |