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日記
(2021年5月)
2021/5/30 (Sun.)

朝5時半の飛行機雲

初めて釣る磯場

磯は相当の急斜面

途中からこちらの釣り座に移動。釣れない

内之浦 地磯釣り
  晴れ時々曇り@肝付町

朝3:30起床、5:30内之浦着。
どんどん日が長くなっているので、夜明けに到着するとなると、冬に比べて早く起きねばならない。

今日はいつもの磯ではなく、以前探索した、自動販売機のところから降りていく磯で初めて釣ることにする。
5:30にすでに車が2台停まっている。早い。
この釣り場は、磯まで割と簡単に降りられるので、人気なのだろう。

磯に降りてみると、4人くらいのおじさんがすでに釣っている。いずれも遠投カゴ釣りのようだ。
ごつい長竿にデカいウキを遠投している。

私は左側の磯に陣取る。磯は森からずっと斜面となって海に突入していて、特に海際は急斜面となり、なかなかに安全ではない。
6:40、実釣開始。
天気はいい。風も弱く、釣り日和。
満潮は8時半ごろ。
まずはフカセ釣り。
全然ダメ。水深はありそうだが、アタリがない。先週のようなエサ取り軍は見えないが、エサは毎投ほぼ取られる。
8時過ぎ、ようやく手のひらのメジナが2匹釣れるも、その後また沈黙。

カゴ釣りのおじさんの1人が、サンノジみたいな大きな魚を釣り上げている。やるなぁ。

途中から私の左側の岩の上に陣取ったオヤジが、私の釣っている磯際ポイントの頭越しに遠投で仕掛けを投げ入れてきて、2度も仕掛けがお祭りしてしまった。
さすがの温厚な私も憤り、かなりキツい口調で、
「もっとあっちに投げてくれませんか?」
と要求する。まったくマナーを守らないオヤジはたちが悪い。
どうやらこのオヤジはイシダイのブッコミ釣りらしい。

私に注意されたオヤジは私の右側に移動した。私の右側には2人のカゴ釣りのおっさんたちがいるのだが、私と彼らの間に滑り込んだ。
ま、5mくらいは離れているので、よかろう。

それにしても釣れない。
そこで私は、磯際を諦め、おじさんたちと同様、カゴ釣りを試すことにする。
磯際にエサ取りが多いとすれば、この時期沖をカゴで釣るのは理に適っている。

遠投磯竿は持っていないので、3mのショアジギングロッドに、発泡ウキと10号のオモリ、カゴをつけ、投げる。3mの竿なのでそれほど遠投は出来ない。

迷惑オヤジが元いた岩に移動して、そこからカゴを投げることにする。
カゴの中のコマセはすぐになくなってしまうので、投入と回収をかなりの頻度で繰り返さねばならない。
ウキが動く気配はない。
11時過ぎ、ようやくウキが沈む。しかし手のひらのメジナだった。

その後、フカセ釣りとカゴ釣りを交代交代でやるも、全然アタリがない。
タナがつかみづらい。水深はありそうだが、フカセでもカゴでも魚はコマセに浮いてきていないようだ。
カゴ釣りは時々仕掛けが絡み、復旧に時間がかかる。
しかも、磯竿の穂先が折れてしまった。ショック。

カゴ釣りのおじさんたちは昼頃に次々に帰っていった。彼らは朝早くから釣っているから、いい時間だろう。

午後2時過ぎにカゴでウキが沈む。やった!と合わせると手応えは弱い。オヤビッチャだった。
それっきり。

午後3時20分、納竿。
実釣8時間以上で、メジナ3、オヤビッチャ1の計4匹。貧しすぎる釣果。久々にお土産なし。
新しい磯で釣ったはいいが、やはりいつも行っている磯の方が良さそうだ。たった一度で判断するのは早計だが。
2021/5/28 (Fri.)

鹿児島名物、じゃんぼ餅。いわゆるみたらし団子

砂糖不摂取生活は可能か?(3) 曇り@串間市

友人Oが砂糖不摂取生活をしていると聞いて以来、砂糖摂取減を試みている。
砂糖の含まれる食品を買うのをかなりやめたし、加工食品を購入するときは、必ず砂糖や果糖が含まれているかどうか、原材料欄をチェックし、基本砂糖が入っていれば買わないようになった。

菓子パンには目がないし、食パンも自作しないのでこれらを買わないのは無理だが、その他の買うのをやめたものを挙げてみよう。
・惣菜全般→自炊する
・ブルーベリーヨーグルト→生乳、乳製品のプレーンヨーグルトに変更(Oの推奨)
・ブルーベリージャム→砂糖の入っていないジャムに変更。値段は高い
・味ポン→今持っているものは使い切るとして、その後は「醤油+酢」で代用予定。柑橘果汁も入れたいが。

砂糖の摂取量は以前より少なくなっているとは思うのだが、それにより体調が良くなっているとは全く感じられない。摂取量は言うほど減少していないのかもしれない。
もしくは、喫煙や運動不足など、他の負の要因が影響していよう。
2021/5/22 (Sat.)

ようやく釣れたイサキ。30cmはなかったがイサキなので持ち帰る

イサキの塩焼

イサキの真子の照り焼き。カブトムシの幼虫ではありません

イサキのあら汁

内之浦 地磯釣り
  曇り時々大雨@肝付町

朝4時起き、6時前に内之浦着。天気が悪い。いまにも雨が降りそう。
山を降り、7時過ぎに、いつものポイントで実釣開始。ここでは2か月ぶりの釣り。
朝干潮の潮周りはイマイチ。

釣り始めにコッパメジナ3、ニシキベラが釣れるも、その後9時以降釣れなくなる。
基本、エサ取りにエサが瞬殺される。
心配していた雨が降り出し、瞬く間に大雨となり、釣りどころではなくなる。岩に寄り添って、少しでも雨が受けないようにしてじっとする。
寒い。体の熱が奪われていく。

雨が小降りとなり、釣り再開。
オヤビッチャ、コッパメジナが釣れるも、今日は大きな魚が来ない。毎回釣れていたヘダイも、どこかに行ってしまったのだろうか。
とにかくエサ取りが酷い。

午後1時頃、ポイントを沖側に移動することにする。
今年の1月にやっぱり全然釣れなくて、後から来たおじさんが「ここで釣りたい」って感じだったので場所を移動したとき以来。あの時は沖側のポイントでもほとんど釣れなかった。

釣り初め、いきなりコッパがかかる。
しかし続かない。こっちも当然のことながらエサ取り地獄。

ウキを大型のBに替え、遠投することにする。多分、30mくらいは投げただろう。撒き餌もそこまでの遠投だとなかなかコントロールできないので、とにかく入れ続ける。
ウキはよく見えないので、ラインを張って糸でアタリを取れるようにする。
と、魚がかかる。結構引く。磯際まで引いてくると、イサキだった。タモを入れるか躊躇したが、何とか引き抜けた。しかし磯に引き揚げたとたんにハリが外れてしまったので危なかった。
やったやったやった。

これまでエサ取りと雨でほぼ心が折れていたのだけれど、最後にいい魚が釣れた。30cm弱だが、イサキなので持ち帰ることにする。
イサキは群れ、と「2匹目のイサキ」を狙って同じポイントに仕掛けを投げ込むも、それっきりイサキは釣れず、代わりにコッパメジナが2匹。

最後は、メタルジグ(ジグパラ)を投げる。せっかく沖向きポイントなので、青物でもいたら大変だ。
1時間くらい投げたが、アタリなし。

午後4時半納竿。イサキのお土産ができたので、良しとしよう。

釣り後、鹿屋のニトリ、ヤマダ電機に寄る。
ニトリでは「重い毛布」というものを見たかったのだが、冬物商品らしく、「もう置いておりません」とのこと。
さらに鹿屋から日南へ移動し、ゲオへ。ゲオに着いたのは20:15。さすがに鹿屋から日南は遠い。
ゲオでDVDを返却し、2枚借りる。

腹が減ったので日南のすき家で夕食。
串間の家に帰りついたのは22時。
長い一日だった。

<イサキ食レポ>
イサキは腹がデカく、真子(白子?)を持っていた。
2日後に半身を刺身で、3日後に残り半身を塩焼でいただいた。美味い。
真子はたれ焼き。なかなかイケる。
あらは大根とわかめを入れた味噌あら汁で。美味い。
余すところなくいただく。
2021/5/15 (Sat.) 〜 5/16 (Sun.)

ブリの野菜あんかけ

種子島に行くフェリーはいびすかすは、船尾部が開いて、港に
渡される通路となる

アニメと漫画の週末

5月15日土曜日。
梅雨に入り、1日中大雨で釣りに行けず。アベマ無料で『呪術廻戦』見まくる。

5月16日日曜日。
『呪術廻戦』24話まで完視。午後5時前に図書館に行き、閉館の6時まで鬼滅外伝とデイズを読む。
夜10時前、さすがに週末どこにも釣りに行かないのは気持ちが悪く、満潮に合わせて福島川河口にルアーを投げに行く。満潮は21:33(志布志)。

橋脚下に入れてシーバス狙い。アタリがある。
スレで20cmくらいの小さなシーバスが釣れた。アタリ後、初めだけ引いたのだが、その後は全く引かなくなり、バラしたかな?と思ってリールを巻いて来たら、ついていた。
背ビレにルアーがかかっていたので、全然抵抗できなかったらしい。
(カメラを忘れたので写真なし)

ここでシーバスを釣ったのは多分初めて。以前、ここで釣っていた若者に「橋周りでシーバス釣れますよ」と言っていたが、本当だった。

その後さらにヒット。しかしフックアウト。シーバスだろうが、そんなに大きくはなさそうだ。
その後も何度かアタリがあったが、乗らず。
21:50〜22:50まで1時間ほど釣る。
同じルアーを投げ続けているので、後半はアタリがなくなる。序番勝負だ。

アタリがあったので楽しめた。
2021/5/11 (Tue.)

戸村フーズの工場に掲げられたたれのモニュメント
宮崎県民にとって、焼き肉のたれといえば、戸村のたれが定番

南九州 梅雨入り  晴れのち雨@串間市

今日、早くも九州南部が梅雨入りした。平年の梅雨入りは5月30日だというから、平年より19日も早い。
てことはこれから2か月くらいは雨の季節か。

ま、ミャンマーの雨季に比べたらチョロいものだ。
2021/5/9 (Sun.)
 
紙の腕輪のつなぎ目部分

ほしのこえ  晴れ@串間市

映画『ほしのこえ』を鑑賞。切ない。時間と距離に引き裂かれた二人の男女の物語。
新開誠監督のテーマが知れる。『ほしのこえ』、『秒速5センチメートル』、『君の名は。』、すべてそんなテーマだ。

ところで、種子島で5月1日に手首に巻いた宇宙科学館入場者腕輪は、まだつけている。
いっそのこと、このままつけて、いつ切れるかの実験をしてみようと思う。とりあえず、つなぎ目以外の部分は、普通には切れない。ハサミを使えば簡単だろうが、手で引っ張って、てということではまず切れない。

つなぎ目部分も強靭なので、接着剤も宇宙仕様の特殊なものを使っているのかもしれない。

若いころ私はミサンガを手首に巻いていたが、この紙の腕輪も、自然に切れたら願いが叶うだろう。
2021/5/8 (Sat.)

猪八重渓谷のトロッコレール跡

イチイガイの巨木の幹からは、別の草が生え放題。融合生物に見える

五重の滝

車検と猪八重渓谷  晴れ@串間市

N−VAN初車検の日。朝9時過ぎ、日南コバック着。
車検のための車の検査をしてもらう。さすがに2年、2万キロ弱しか乗っていないので、不具合はない。
エンジンオイルとブレーキフルードを交換することにする。
それら含め車検総額は47000円ほど。

車検は夕方に完了するとのことで、今日はその間、近くにある日南駅から電車で山に行く予定だったが、思いがけなく代車が出たので、車プランに変更。
代車は古くて赤いワゴンR。
花切山に行く予定だったが、登山口が見つからなかったので、猪八重(いのはえ)渓谷を歩くことにする。

猪八重渓谷。
ここは日南市を流れる広渡川の支流、猪八重川の上流域にある渓谷。宮崎県南部は多雨地域であるが、この猪八重渓谷では年間降水量は3000ミリ以上にもなる。
そのため、多種多様なコケが生息していて、貴重なコケ宝庫として有名だそう。

12:15、渓谷入口から歩き始める。猪八重川沿いのつけられた山道を歩く。
以前にあった水力発電所用の井堰を過ぎると、軌道跡がある。昭和初期〜30年代まで、切り出した木材をトロッコで運搬していたそうである。
ここには、数mだけレールが残っている。

房総半島にもこのようなトロッコ軌道が走っていたところがあるが、時間と自然の偉大な力は、それらの人工物の痕跡を覆い隠している。しかし、房総の場合、軌道用に掘ったトンネルがいくつも残っていて、また軌道があったであろう平坦な地形が辛うじて残っていたりして、そのような痕跡から当時を想像するのが楽しい。

川にかかる橋橋を渡っていく。1号橋から7号橋まである橋には、ネムノキ橋とかユスノキ橋といった具合に植物の名前が付けられている。
「北郷森林セラピートレイル」というコースに指定されているだけあって、川沿いの森を歩くだけで気持ちが穏やかになってくる。

6号橋を過ぎると炭窯跡があり、さらに7号橋を過ぎると、巨大なイチイガシの大木がある。この巨木の幹からびっしりとコケやら草やらが密集して生えており、木というよりも、なにか怪物状の外観をしている。
『東京喰種』で言えば、同種喰いを繰り返したグールのようである。

川は二俣となってそこに流合(はけあい)の滝が現れる。左の沢沿いをさらに上がると、岩つぼの滝、そして五重の滝にたどり着く。
五重の滝は、五段になっている滝で、総落差は25m。

高低差は127mなので、軽い運動だが、森歩きは気持ちいい。

同じ道を引き返し、駐車場のある渓谷入口に戻ったのは15:40。行動時間は3時間半ほど。いい運動になった。

16:30、コバックに戻り、車検代を払う。ずいぶんと安いエンジンオイルにブレーキフルードを入れられてしまったが、燃費が悪くならないか心配だ。もっと高いオイルを選べばよかったと後になって思う。
車の燃費計でこれから燃費を確認せねばなるまい。
2021/5/5 (Wed.)

雲のむこう、約束の場所  雨@串間市

連休最終日。雨なので結局どこにも行かず。
『雲のむこう、約束の場所』を鑑賞。とてもよい。5月7日にもう一度見る。
2021/4/30 (Fri.) 〜 5/4 (Tue.)

はいびすかす船室。タコスペースのみ

宇宙が丘公園の多目的広場にテントを設営する

赤米の握り飯(赤米館)

種子島宇宙センターの宇宙科学館

種子島宇宙センター横の広場に置かれたロケットのレプリカ

JAXAのカフェテリアでロケットカレーを食す
福神漬けがロケットの噴射

鉄砲館に陳列された火縄銃などの鉄砲の数々

種子島時堯像。当然鉄砲を持っている。

宇宙科学館で手首に巻いた入場者腕輪が切れない

航空基地作戦室跡

右が増田宇宙研究所。大東亜戦争時、このあたりに海軍航空隊基地と
飛行場があった。この真っ直ぐな道路は、滑走路だったのだろう

マングローブ林

広田遺跡ミュージアム。貝を精緻に加工する技術が当時から
発達していた

広田遺跡。ここから弥生時代の人骨が大量に出土した

門倉岬ではゆりなどの花が咲き乱れる

門倉岬にある、ポルトガル人上陸地の碑

広々とした田。種子島の風景は、広々とした空と広々とした大地が
とても印象的。高い山がないから、島ながらも大地の広がりを
感じられる

島間岬から屋久島を望む

30cmのいかにも南国の魚が釣れる

南の島は海の色が全く違う

33cmのサンノジ系の魚。恐ろしく引きが強い

堤防際を悠々と泳ぐ巨エイ

種子島名物、インギー鶏を使ったインギー親子丼。
歯ごたえあり、美味い

千座の岩屋。岩塊が波に浸食され、洞穴状に部屋を作っている

雄龍・雌龍の岩

離島閃隊 タネガシマン。背景は雄龍・雌龍の岩

種子島

4月30日金曜日。
仕事を12:15で切り上げる。午後半休で、これから種子島へ向かう。
家に帰り、着替え、N−VANに乗り換え、13:25、鹿児島の谷山港へ向かう。
16時までには到着しなくちゃならない。下道で渋滞に巻き込まれたらマズいので、途中から高速に乗る。
始め、別のフェリー乗り場に着いてしまい、受付の人に「はいびすかす」の乗り場を聞いたら、巨大な港の反対側の埠頭らしい。
時間がない。慌てて向かい側の埠頭に向かう。なんとか16時前に着いた。

検温し、受付で書類に記入し、往復料金を払う。
受付では、大きな登山ザックを背負った人が多い。若者グループもいれば、壮年夫婦もいる。この人たちが屋久島に行くことは明らかだ。屋久島のトレッキングは相変わらず人気があるらしい。
フェリーは、種子島経由屋久島行きである。

受付では、波がやや高いので、状況によっては種子島に接岸できずに、鹿児島に引き返すこともあり得ると説明される。
実は今日の昼間にその情報はフェリーのホームページで見ていたが、こうなったらもう接岸できるのを祈るしかない。

受付後、夕飯を買いに車で港を離れる。フェリー内には食堂はないので、夕食をあらかじめ持ち込まねばならない。近くにファミリーマートがあったが、コンビニ弁当というものを私はいまは食べない。弁当屋かなんかないかな、と会社のスマホで近くを調べてみると、ほっかほっか亭があったのでそこで弁当を買う。
「ほっかほっか亭」は最近珍しい。昔はたくさんあった気がするが、いまでは「ほっともっと」が目立つ。
無事にハンバーグ弁当を買い、さらに予備と明日の朝食用にファミリーマートでパンを買う。種子島には夜21:40に着くので、店がすべて閉まっていたら、正月の甑島と同様、餓死の危険がある。

港に戻ると、フェリーから大量のコンテナがフォークリフトで運び出され、そして代わりのコンテナを積み込む。凄まじい勢いで巨大なフォークリフトが動き回る。

17時過ぎ、いよいよフェリーに乗りこむ。フェリー「はいびすかす」は相当古い船だ。船の一番下の部分が車両の格納庫になっていて、急坂を下ってそこに入る。さらにバックして列に並べるよう指示される。バックで乗り込む大崎上島のフェリーには驚いたが、ここでもバックで降りるときに前から降りられるよう、船首へ車を向けるのだ。

船室に上がると、大部屋のいわゆる二等船室ばかりで、すでに多くの人が一定の距離を取ってダベっている。椅子席などはまったくない。
開いている一画を見つけ、そこに腰を下ろす。辛うじてソーシャルディスタンス。

18時定刻にフェリーは離岸する。
出港時、乗客たちの多くが甲板に出て景色を眺めている。錦江湾に波はない。まったくの内海だ。
桜島はもやが出ていてよく見えない。薩摩半島の近くを船は南下する。

外海に出ると、波が出てきて船はかなり揺れるようになる。
陽は暮れ、陸地の灯が見えなくなる。闇が下りる。
20時過ぎに買っておいた弁当を食う。

21:40、種子島の西之表港に到着。街の灯からして、かなり大きな街のようだ。波は荒れることもなく、無事船は接岸できた。
船はこのまま西之表港に停泊し、明日の朝7時に屋久島に向けて出港する。屋久島までは1時間ほど。
屋久島行きの人たちは、ここで船中泊することになるが、種子島に下船することは出来ない。

私は車で船の急坂を登って外に出る。
ここで車のナビに「宇宙が丘公園」を入力し、一路野営する公園へ向かう。
街を抜け、島を南下する。西之表市を抜けると、しばらくして中種子町(なかたねちょう)、そして南種子町(みなみたねちょう)に入る。
途中、ファミリーマートが開いていて感動する。甑時よりはかなり大きくて人口も多い島ではあるが、コンビニがあるとホッとする。文明に冒された証拠だ。

1時間かけて宇宙が丘公園に到着。
テントを張れるのは「多目的広場」らしい。駐車場からは100mくらいで、それほど遠くなくて助かった。夜なので、どのくらいの広さがあるのかよく分からない。
テントや寝袋、マットなどを広場に運ぶ。車と広場を2度往復する。
テントを張る。芝生の地面は柔らかくてとても良い。
ここが無料なんて、最高じゃないか。南種子町に電話してよかった。
公園案内図によれば、炊事場もあるようだが、少し遠いようだ。

12時過ぎに就寝。風がやや強く、テントを揺さぶる。
4泊5日の間、ここにテントを張りっぱなしにするつもり。

5月1日土曜日。晴れ。
朝から暴風が吹いている。
朝になり、多目的広場が相当広い広場であることが知れる。こんな広いところに、テントは私の一張だけ。なんと恵まれた。

8時過ぎに起床。カレーパンとバナナ、コーヒーの朝食。

種子島の朝。昨晩到着時は暗くてどんな島か全くわからなかった。
朝明けてみると、私がテントを張る多目的広場は相当に大きく、誰もキャンパーはいない。
種子島。
みなさんはどんなイメージをお持ちか。中学の日本史で、「戦国時代に鉄砲が初めてもたらされた地」と習うので、日本人に対する知名度はかなり高いのではないか。しかし一方、訪れたことがある人はどれだけいるだろうか。
種子島は、大隅半島の先端、佐多岬から南に40kmほどのところにある島で、南北に細長い、出土した先の尖った石器のような形をしている。
人口は約3万人で、かなり大きな島と言えよう。
ロケットを打ち上げるJAXAの宇宙センターと、鉄砲が伝来した島として有名。

9時くらいに、種子島宇宙センターの宇宙科学館へ向かう。見学は予約制なので、事前に10:30で予約している。見学時間は1時間。
道中、赤米館と宝満神社があったので立ち寄る。

赤米は種子島で伝統的に栽培されてきた米で、現代のジャポニカではなく、中部ジャワあたりの島嶼域で広く栽培されるジャバニカに近いとされる。つまり、南方から伝わったものと考えられ、種子島が日本列島とは違う文化を育んできた証拠と言えよう。
赤米館で種子島の赤米の歴史や文化を知る。

赤米栽培で有名なのは、総社、対馬、種子島で、神社に備える供物として栽培されてきたそうである。
種子島でも、宝満神社で、いまでも赤米が栽培されていて、毎年田植え祭りという神事が執り行われる。

宝満の池に向かう途中、宮城から来たという壮年男女3人が話しかけてくる。私の車が千葉ナンバーだったので物珍しかったのだろう。
私は以前多賀城に勤めていて、仙台や七ヶ浜に住んでいたことを伝えると話が盛り上がる。

種子島宇宙センターへ。
10:30から宇宙科学館の見学。去年の7月に友人二人が串間に遊びに来た際、内之浦にあるJAXAの宇宙資料館を見ている。
日本で2か所しかないロケット打ち上げ設備のある宇宙センターは、いずれも鹿児島県にある。内之浦と種子島。いまではロケットのほとんどは種子島から打ち上げられるので、種子島の方が知名度は高かろう。
駐車場に車を停める。凄まじい風が吹いている。最大で秒速30mくらいありそうだ。台風でもなく、空は晴れ渡っているのにこの爆風。
家族で来ている子供たちも多いが、子供が飛ばされてしまうんじゃないかというほどの強風。

宇宙館の前の広場に、高さ30mくらいのロケットの模型が屹立している。
入口で名前を書き、予約が確認されると、入場者の印として、細長い神のテープのようなものを渡される。これを手首に付ける。
宇宙館は、日本のロケット探査の歴史、ロケット技術の数々、宇宙ステーションきぼうの実物大レプリカ展示など盛りだくさん。
1時間の見学時間があっという間に過ぎる。最後はお約束の宇宙グッズ販売店で品定め。内之浦では宇宙カレーや宇宙缶詰、太陽系定規を買ったが、ここでは月齢を表示した月定規を購入。

その後しばらく周りを探索し、12時過ぎ、JAXAのカフェテリアでロケットカレーを食す。定食好きの私としては日替わり定食を頼みたかったのだが、今日は休日のため定食はなかった。
ロケットの形をしたご飯に、噴射の炎が福神漬けというのがイカしてる。

その後、車で1時間くらいかけて種子島を北上し、西之表市へ。宇宙センターのある南部の南種子町や中部の中種子町はのどかな田園という感じで、なだらかな丘があるくらいの起伏に乏しい地形をしている。だが道が割とまっすぐで、緩やかな起伏で遠くまで見通せて気持ちがいい。景色はのどかながらも独特なものを感じる。

西之表市はデカい。種子島最大の街で、「市」である。
鉄砲館に入館。14時。16:20くらいまで2時間以上かけて館内を見て回る。
鉄砲伝来の資料だけでなく、種子島の歴史、自然、風俗を総合的に紹介した資料館であり、見所が多い。私は日本各地の歴史資料館や郷土資料館を訪れているが、ここは種子島。何しろ日本列島からさらに南、そんな島嶼の文化が、本土の歴史とは同じであるはずがないではないか。

日本の戦を変えた鉄砲は、天文12年(1543年)、ポルトガル人により種子島に伝えられた。その顛末が、動くジオラマで再現される。
火薬を使った火器は、14世紀初めに、中国、アラビア、ヨーロッパでほぼ同時期に出現したという。それから200年、日本に伝わった鉄砲を初めて見た種子島島主種子島時堯は、ポルトガル人から2挺の鉄砲を大枚をはたいて購入し、鍛冶屋八板金兵衛に造らせ、国産化に成功した。

ここで一番のネックとなったのが、銃身の底を塞ぐ尾栓の造り方で、ここには「ねじ」構造となっていた。当時の日本は、「ねじ」を知らなかったため、ここが弱くて発射時に暴発したという。
この翌年に再びポルトガルから鍛冶工がたまたまやって来たため、この人からねじの技術を学び、ようやく国産銃を完成できたとのことである。

すなわち、種子島は、日本におけるねじ発祥の地でもある。

その後銃の製法は、大阪の堺や滋賀の国友へと伝搬し、日本各地で製作されるようになったとのことである。
日本の歴史を変えた一大事と言ってよかろう。これで戦の戦法が劇的に変わり、織田信長や豊臣秀頼の全国統一へと向かうことになる。

そして月窓亭。これは江戸時代に建てられた武家屋敷で、見学ができる。
畳の部屋に通され、お茶とお茶菓子が振る舞われる。さつまいもと黒糖。どちらも種子島名物だ。美味い。
その後、種子島時堯(ときたか)の銅像、歴代の種子島家墓地である御拝塔(ごはとう)墓地を見学し、西之表市での観光修了。
西之表市を後にし、雄龍・雌龍の岩に立ち寄った後、南種子町の宇宙が丘公園に戻る。
途中、Aコープにより、明日の朝食用のヨーグルトとバナナを購入。しかし本当の目当ては、無料でもらえる氷。スーパーの無料氷は、車旅ではいつも貴重だ。持ってきた保冷剤は1日で溶ける。
大関という大衆食堂を見つけたので、焼き魚定食を食べる。サバ美味い。味噌汁はやっぱり甘い。

そして風呂。今日は一日中暴風でほこりまみれになったせいか、なんか汗みどろな感じで、まあ昨日は風呂には入ってないので、無性に風呂を浴びたくなった。ネットで調べると、河内温泉という日帰り温泉施設が南種子町にあったので行ってみる。
実にいい。シャンプーやボディソープはないので自分で持ち込まねばならないが、料金はわずか300円。
入る際、宇宙科学館の入場者紙テープを手首に巻いたままであることに気づく。さすがにこれは外さねばと思い、引っ張って切ろうとしたが、切れない。全く切れる気配がない。貼り合わせた部分も強く、切れない。
さすがにJAXAである。きっと相当特殊な、強靭な紙で作っているに違いない。
仕方ないので、腕に巻いたまま風呂に入ることにする。

20時頃〜20:40までゆっくりする。いい湯だった。
21時閉店なので、熱した体をロビーのテレビを見ながら冷ます。バレーボール女子の試合をやっている。

21時、閉店とともに外に出る。昼間は25℃くらいあったが、夜は大分涼しくなっている。
この河内温泉から野営している宇宙が丘公園までは車で5分くらい。近い。
しばらく駐車場で車を停めてWiFiでネットにつなごうとするが、WiMAXは電波が弱くダメ。

テントに戻ると、公園にはもう2張のテントが建っていた。広場はだだっ広いのだが、いずれも割と私のテントに近いところに建っている。トイレに近いからだろうか。
1つはカップルのようだ。もう一つはソロバイクキャンパー。さすがにGWに無料テントサイトを放っておく手はあるまい。

22時、テントに入る。まだ暴風。風が木の葉のようにテントを揺らす。雨はよくあるが、こんな強風のなかの野営は初めてかもしれない。
22:30頃眠りに落ちるも、テントが風でバサバサと揺れて音を立てるので、夜中に何度も目が覚める。


5月2日日曜日。
8時起床。朝食はバナナ、ヨーグルト、菓子パン、コーヒー。今日も風が強い。
9時頃増田宇宙通信所へ向けて出発。
私は車を運転中は、ほぼカーラジオをつけているのだけれど、種子島では、ラジオがほとんど入らないことに愕然とする。FMはNHK−FMのみ、AMはNHKラジオ第二のみ。ラジオ第一じゃなくて第二というはどういうことか?種子島ではラジオを聴く人がいないのだろうか?

増田地区には、大東亜戦争時に海軍が航空隊種子島基地を置いた関係で、戦争遺構がたくさんある。これらを見て回る。
弾薬庫跡、航空作戦室跡、砲台などが残っている。
そして、増田宇宙通信所の脇に飛行場があったため、その道路はどこまでもまっすぐで、滑走路の名残がありありと分かる。
いまでも、飛行場や競馬場があった場所には、その名残の道が残っていて、当時に思いをはせることができる。

増田通信所の展示室は、平日しか見れず、しかも要予約だった。よって閉まっていたので、広田遺跡に向かう。途中、さらに戦争遺構がいろいろあって、時間をかけて見る。

広田遺跡に向かう途中、マングローブ群生地があったので見学する。

12時に広田遺跡に到着し、遺跡を紹介したミュージアムを見学。面白い。
広田遺跡は弥生時代の遺跡で、当時ここに住んでいた弥生人は、様々な貝を加工して首飾りや腕飾りとして身につけていたと思われ、その形、紋様のデザインは独特で素晴らしい。

また、広田人というのは、とても小柄な人々で、成人男性の平均身長が154cm、女性が142.8cmだったという。このくらい背の低い人々は日本列島ではほとんど例がなく、琉球やさらに南方にいくつかの例があるだけで、世界的にも珍しいという。

13時過ぎまで食いつくようにミュージアムの展示を見学し、その後実際の遺跡を歩く。

もう13:30。腹ペコだ。しかし近くには食堂などなさそう。この先に昨日昼食を食べたJAXAのカフェテリアがあるが、もうラストオーダーの時間。
雨が降り出し、急に寒くなる。天気急変。フリースを着、雨具の下を履く。
以前として今日も暴風が吹く。

食堂もなさそうなので、緊急の昼飯。JAXAの施設の誰もいない駐車場でお湯を沸かし、カップ焼きそばを食べる。雨は降ったり止んだりしている。
もう14時。
種子島灯台まで階段を上がる。灯台は楽しい。

種子島には斜めに走った地層がむき出しになっている岩塊がよく見られる。地震による隆起だろうか。

種子島最南端の門倉岬へ。ここにポルトガル商人たちは漂着した。つまり、ここが本当の鉄砲伝来地。ポルトガル人到着の碑が立っている。

今日は夕方釣りをして食べ物を調達したい。近くの門倉港を偵察してみるも、堤防が高すぎる。

前の浜公園のドラムエルタン号漂着地を見る。海沿いの公園には展望台があり、青い海から上がってきたサーファーが見える。

近くの田は、ちょうど田植えが終わった頃で、広々していて気持ちいい。

結局、JAXA宇宙科学館の近くにある竹崎港で釣ることにする。
17:30実釣開始。時間はない。しかも相変わらずの暴風で糸は流され、コマセは思うように入らない。
エサは取られるのでエサ取りはいるが、全然アタリなし。
やっとベラが1匹釣れる。結局18:50まで釣って、ベラ1匹のみ。今日の夕食はベラで決定。
19:05までに撤収し、炎の走りでAコープへ。19:30の閉店ギリギリに着き、サラダと菓子パンを買って再び氷2袋をもらう。よっしゃああああ。

宇宙が丘公園に戻り、調理開始。せっかくの天幕生活なので、一度は野営食を作らねばなるまい。電灯がないので真っ暗だが、公園には炊事場がある。
車から食材、調理道具一式、ランタンを炊事場に持って行き、20時過ぎから調理開始。
今日はベラのムニエル、ご飯、インスタントみそ汁、サラダ。
ベラは3枚におろし、塩コショウし、小麦粉をつけて焼く。ベラの身は柔らかい。ホイル焼きの方が簡単だったがアルミホイルを忘れたのでムニエル。
まずまずの夕食だ。
食後お茶で一服したあと、後片付けし、食器類を洗い、車に戻る。21時を過ぎている。
しばらく会社のPCを開き、仕事する。

夜になってようやく2日間に渡って吹き荒れ風が止んだ。今日は安眠できそうだ。

テントは私以外に2張。カップルは去り、ソロバイクキャンパーが一人増えた。

今日まで2日間ほぼフルで観光したので、明日は釣りをしたい。
今日のうちにオキアミを買おうと思ったのだが、近くに釣具店がなく、中種子町の釣具屋はもう閉まっていそうだったので断念。
23時過ぎに就寝。
朝方異様に寒く、Tシャツ、長そでシャツ、トレーナーの上にフリース、ウィンドブレーカーまで5枚着てようやく温まる。
風が収まり、テントが揺さぶられて起きることもなかった。


5月3日月曜日。
6:40起床。今日は釣りの日。前2日間と打って変わって風がない。最高の釣り日和じゃないか。
離島に来て釣りをしないわけにはいかない。
バナナ、コーヒー、菓子パン、ヨーグルトの朝食。

7:30出発。まずはオキアミを買わねばならない。
ファミマで昼食を買い、横にあったまつやまストアで釣りエサ売ってないかを聞いたが売ってない。だけどおばちゃんに近くの遠藤釣具店を教えてもらう。
遠藤釣具店ではアミエビと生イキ君(付けエサ)を購入。種子島ではフカセ釣りのコマセはオキアミよりもアミエビが主流らしく、アミエビを多く売っている。
店のおじさんにいい釣り場がないかを聞く。

教えてもらった大川港周りの磯場は浅くてダメ。さらに北上し、島間岬に行ってみる。浅いが良さげな磯もあったのだが、先客がおり断念。
今日は屋久島がよく見える。海を隔てた目と鼻の先。

種子島は最高標高が200m台の平坦な島であるが、隣の屋久島は対照的な山岳島である。
九州最高峰の宮之浦岳(1936m)を始め、九州の山岳標高のベスト5までが屋久島にある。
「洋上のアルプス」と呼ばれるゆえんである。

さらに北上し、梶潟港南の磯を見るも浅い。ダメだ。
今日は東風だという予報だったので、風裏となる西海岸を探索しだのだけれど、風がないので東海岸に移動してみる。

事前にガイド本で種子島の釣り場をリサーチしてきたのだが、地磯はどこもここもアクセスができず、どうやら渡船で行くところばかりのようだ。
もう10時。2時間以上島を彷徨って釣り場を探している。
結局諦め、昨日の夕方釣った竹崎港で釣ることにする。

10:20、実釣開始。
堤防周りの海は鮮やかな緑色。少し沖はエメラルドブルー。南の島は海の色が全く違う。
釣れない。エサ取りが多い。だがその中にはかなり大きな魚も混じっている。魚種は分からない。
18:25まで8時間釣ったが、結局2匹しか釣れなかった。
1匹目は釣り始めて1時間後、仕掛けを回収しようとリールを巻き始めたときに予期せぬタイミングでいきなり食ってきた。なかなかの引き。上げてみると南国らしい派手な青い魚。30xm。
そこから全く釣れず、5時間経過。
その間、一度大物をバラシ。竿ごと引き込まれるようなアタリの後、合わせるもハリが外れる。不釣の中、痛恨。

釣れない。ウキ下を1〜2ヒロくらいまで色々変える。ウキを沈めた方が良いのだろうか?
基本、ずっとG2仕掛けで通す。

16時半、ついに大きな魚がかかる。引きが強い。だが堤防なら、基礎石はあるが、根に潜られることもない。
引かれまくったがタモ入れ。よっしゃああああ。
33cmのサンノジに似た魚。だが背ビレと胸ビレにオレンジ色の線が入っていて、胸びれも黄色でやはり派手目。後で調べたら、「クロハギ」という魚だった。サンノジに似ていると思ったらやっぱりスズキ目ニザダイ科だった(ニザダイはサンノジの正式名称)。沖縄では「トカジャー」と呼ばれるらしい。
2匹とも初見の魚で味見が分からなかったのでリリース。もとより、面倒なので今日は自炊をする気はなかった。

堤防際を、大きな影が横切ったので腰を抜かしそうになる。
大エイだ。全長1mはあろう。恐ろしい南の島のエイ。まさに座布団。

夕方、一人のニーちゃんが釣りに来て、私の上の高段でゴカイのブッコミ釣りを始めた。
私はもう潮時か・・・と思いながらあと一発、と続ける。このまま終われん。

さらに時間が経った最後の最後、大物がかかる。ウキが光速で沈み込んだ。今日一のウキの暴力的な動き。ウキが明確に沈み込んだのは今日はこの時だけだった。
竿をあおって合わせる。重い引き。しかし。しばらくしてまたハリが外れてしまった。

上の段にいるニーちゃんがちょうど帰るところで、私のハリ掛かりからバラシの一部始終を見ており、「惜しかったですね」と私に同情する。呆然と立ち尽くす私。惜しい悔しい。これまで8時間も釣ってたった2匹しか釣れないこの状況で更なるバラシとは、釣りの神様の意地悪にもほどがある。

このニーちゃんと少し話をする。彼は地元民で、今日は小魚1匹しか釣れなかったとのこと。多分彼は1時間半くらいしか釣っていないから、1匹釣れれば御の字じゃないか。こちとら8時間で2匹だ。
彼曰く、ここの堤防よりも島間港の方が釣れる、とのこと。

やや気落ちして納竿。もうAコープに行かねばならない時間。
Aコープで買い物と氷。
今日は種子島最後の夜だが外食。コロナ禍の折、離島で金を落としていかねばなるまい。
一昨日行った大関が定休日だったため、マップで調べて、美の吉食堂へ。
種子島の名物鶏、インギー種のインギー丼、美味かった。

そして2度目の河内温泉。二日ぶり。釣りをした疲れた体を癒すのに最高だ。

今日は一日風もなく本当に穏やかで過ごしやすい日だったが、釣りはほろ苦い結果に。

夜の宇宙が丘公園。毎日星空を見上げているが、素晴らしい星空。南の島の星空。

テントに戻ると、バイカーの小さなテントはなくなり、代わりに2つの巨大なテントが建っていた。家族連れで、仲間らしい。
音楽をかけ、子供たちが結構夜中まで騒いでいる。きちんとしたキャンプ場なら夜9時ともなれば、「静かにしましょう」とアナウンスが入るところだが、ここではそうはいかない。やれやれ。
近くの騒ぎを聴きながら、22時に就寝。

寝袋のジッパーが壊れてしまった。最近調子が悪かったのだが、ついにこの時が来た。
この寝袋は、小学5年生の頃、カブスカウトに入ったときに使用を始めたので、40年以上使ってきた。とにかくよくもった品物であった。私の持ち物の中では最年長かもしれない。
「いままでご苦労様」と言おう。


5月4日火曜日。
6時起床。いい天気。
釣りで疲れていたせいか、よく眠れた。一昨晩ほど寒くはもなかった。風呂で体が温まっていたせいもあるか。
今日は朝11時西之表発のフェリーで鹿児島に戻る。

最後なので朝宇宙が丘公園内を散歩する。子供二人が自転車で歩く私を追い越していく際、挨拶してくる。
「おはようございます」
「おはようございます」
礼儀正しい子供たちだ。
しかし、少し遅れてきた父親と思われる大人は何の挨拶もなし。いったいどういうことだ?

5日間張りっぱなしだったテントを畳む。暴風にもよく耐えてくれた。雨が降らなくてよかった。
朝食を食べ、7時頃に出発。今日は最後まだ見ていない見所を周って、フェリーに乗りこむ。
まずは千座(ちくら)の岩屋。
ここは、白砂の海岸にある岩塊が、波により浸食され、大きな広間のような空間が形成されているという、自然の驚異である。
満潮時はその”広間”は波に洗われるが、干潮時にはその名の通りかなり広大な床が現れ、洞穴の感を呈する。名前のように1000人座れるかどうかは分からないが、かなりの人数が収容できそうだ。

雄龍・雌龍の岩を再度順光で写真を撮り、その脇にある龍星館でお土産を買う。
種子島名物のサトウキビ、黒糖、安納芋、マンゴーなどを使ったお土産が所狭しと並んでいる。「火縄黒糖」なんてお菓子もある。
黒糖豆と黒糖そら豆を同僚のお土産に購入する。

ここのおばさんがとても人懐っこい人で、色々教えてくれる。ここの海岸は西海岸で、沖に屋久島、馬毛島が望める。「あれが屋久島、あれが馬毛島、もやがなければ硫黄島も見えるのよ」とおばさん。 トッピーという、酒の名前のような高速船もここを通るそうだ。
今日はいい天気で、屋久島と馬毛島はクリアに見える。初日、二日目と吹き荒れていた風も弱い。

コロナ禍の折もあり、人とはあまり接触しない旅だが、やっぱり土地の人と話すのはいい。ホンモノ情報の価値は半端ない。
ソロキャンプだと基本、誰とも話さないからなぁ。人とお近づきになるキャンプも楽しいのかもしれないが、気を使うのはごめんだ。

わかさ公園に立ち寄る。わかさ(若狭)というのは、国産鉄砲を始めて作った鍛冶屋矢板金兵衛の娘の名前で、この人はポルトガル人の妻となってポルトガルに行ってしまったが、晩年種子島に帰ってきたそうな。戦国時代の国際結婚。いや、まあそんなきれいなものではなかったとは思うが。
ポルトガル人に銃の作り方を教わるために妻となったとも伝えられ、数奇な運命とはこのことであろう。

西之表港へ。ついにこの旅も終わる。
鹿児島と同じく、またまたはいびすかす乗り場が分からず、始めプリンセスわかさ乗り場に行ってしまった。
10時ギリギリにはいびすかす乗り場に着く。だけど乗船手続きの人が並んで待っていたので、全然余裕だった。
フェリーは屋久島から10時頃西之表に着く。このフェリーは、自らの尾部に巨大な折り畳み式接岸通路を収納している。
船が接岸すると、この巨大な道路が開いていき、港上に渡される。面白い。
この通路を十て、人と車とコンテナがどんどん降りてくる。

下ろすべきものを下ろしたら、今度は人、車、コンテナがどんどんと乗り込む。

11時、船は鹿児島へ向けて出港。港外に出ると、海の色が緑から青に変わる。屋久島、馬毛島が遠ざかっていく。
船内で、衝撃の事実を知る。
種子島の観光パンフレットを何気なく読み返していたら、何と、映画『秒速5センチメートル』の舞台になっているというではないか!
実は、種子島渡航前に、ゲオでこの映画を借りていたのだが、出発までに時間がなく、見ていなかったのだ。もちろん、種子島が舞台になっているなどとは露知らず。
帰ったら速攻で見ねばなるまい。

船はやがて錦江湾に入り、今日は開聞岳も桜島も見える。
14:40、鹿児島谷山港着。
今日と明日までは休み。まだ午後3時。今日は鹿児島周辺のどこかに野営し、明日は釣りをする手もあったが、明日は波が高そうなのでやめる。
ならば霧島か出水にでも立ち寄って観光するかとも思ったが、もうこれからじゃ観光地も閉まるだろうと思い、結局まっすく串間に帰ることにした。

帰りは下道。錦江湾周りの道からは、常に桜島が視界に入る。海上にそびえる桜島は、絵になる。鹿児島の魂。
3時間ほどかかって、18時過ぎに串間帰着。


夜、早速『秒速5センチメートル』を鑑賞。
3篇の連作アニメーション。前半は切なくてよかったが、種子島の第2編を経て、第3編はなかなか主人公に感情移入するのが難しかった。
種子島の風景は、私が印象的に思っていたあの広々とした感じがとてもよく表現されていて、しかもロケット打ち上げがモチーフになっていて、種子島から帰ったばかりの私としてはとても感慨深かった。
主人公二人が学校帰りによく立ち寄っていたコンビニ、アイショップがファンの聖地になっているようだが、そう言えば通りかかった気がする。

DVDの映像特典で、新開誠監督のインタビューが入っていた。彼曰く、「背景の描画は、写実を目指しているのではなく、自分の印象を表現するのが目指す方向である」的なことを言っていた。激しく納得。それが「表現」というものじゃないか。アニメならではの表現だ。
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