2006/11/26 (Sun.) 晴れのち雨
世界バレーに見る私の人間性
最近毎日TVでやってる世界バレーを見てると、何かどうもしっくりこない。あれだけ会場満杯の日本人が一丸となって日本の応援をしている光景にだ。しかも、よくわけのわからないアイドルか何かを使って、会場に彼らのアナウンス入れて観客をあおったりとか日本コールを強要したりとか。洗脳されて理由なき高揚感に支配された頭真っ白の人々が、機械のように応援している。だいたい、バレーボールってこんなに人気あったっけ?

線路(蒲田駅近く) |
もちろん、これが「ホーム」と言うことなのだろうが、ホームアンドアウェイみたいな平等じゃないんだから、何か違和感があるんだよ。こういう地球一の国を決めるって大会は、どうせなら出場国以外の第3国でやればいいのにと思うよ。あらゆるスポーツの競技場をどこかに作って、国際大会には常にそこを使うってことにすればいいのに。たとえば南極大陸はどこの国にも属してないから、ここに全スポーツの巨大屋内競技場でも作りゃあどうかな。東京ドーム1000個分の面積、とかでさ。もちろん、衛星放送設備完備で、全世界へ放送可能。飛行場も作らないかんな、あれっ、南極って飛行機じゃ行けないんだっけ、吹雪?じゃぁ船着場だな。いや待てよそうなると選手の宿泊所も必要や。となると食堂とかクリーニング屋とかスーパーも。まぁどーでもいいわ。
日本が気前よく建設費を出してさ。これぞ国際貢献。
どうもこうやって狭い会場内ほぼ100%の日本人が一致団結して日本チームを応援している姿は、何つーか、あまり見ていて気持ちいいもんじゃない、ってのが僕の正直な気持ちだ。選手には全く責任はないけれど。そこまでして勝ちたいか、っていうか。会場の日本人全員が日本チームに対して、間断なく声を限りの応援をするというきっとあまり深くは考えていない、何か薄っぺらな愛国心が全会場を充満し完全に密閉されているような、そんな異常な雰囲気の中で勝っても、果たして価値があるのだろうか?っていうか。
もっと言えば、
(日本、負けちまえ)
とさえ思うね。これって、僕のヒネクレ度合いというか人間性の一端を表しているとは思うが、僕と同じように思う人ってどのくらいの割合いるんだろう。僕の「一般」からの「ズレ方」を知りたい。たぶんね、これがイタリアあたりで開催されてたら、というか日本以外の国で開催されてたら、僕はこの会場に来ている人たちと同じように手に汗握って日本を応援すると思うよ。この環境に我慢ならんのだな。
みなさんはどうっすかね? |
2006/11/24 (Fri.) 晴れ
休日の日記的日記
今日は有給を取って休み。午後から蒲田へ歩く。
【ゲーセン】
最近のゲーセンは、UFOキャッチャーフロア、メダルゲームの進化、そしてアーケードゲームに関しては相変わらずストリートファイター系の格闘ゲーム全盛とネットワーク対戦型マージャンゲームの興隆、といったものが主流である。あの対戦型マージャンゲームってのは僕は絶対インチキだと思う。なぜかって言うと、僕のような熟練の打ち手が、今まで一度も上がれないでいるのだ(笑)。しかも初心者レベルを選んでいるにもかかわらず(爆笑)。

蒲田付近の踏み切り |
今日通りかかったゲーセンは、外観も内装もオンボロ、おそらく20年位前から存在すると思われる昔ながらのゲーセンだった。1ゲーム50円、ゲームは格闘系ゲームももちろんあるが、テトリスやぷよぷよやボンバーマンや将棋やオセロ、そして脱衣マージャンという、古き良き時代を代表するゲームの数々。
ゲーセンの二極化というよりは、最新のゲーセンに圧倒的に押されながらも、昔ながらのゲーセンが息絶え絶えになりながら何とか生き延びている、といった状況か。
このHPの読者の皆さんならすでにご承知のことと思うが、僕は大学時代名うてのテトラー(テトリスのスーパープレーヤー)だったので(知らねぇーよ)、すぐさまテトリス台に座った。もう最近ではこんな昔風のゲーセンでなければテトリスは置いてない。
よく見るとテトリスの周りはマージャンや上海といったギャンブルゲームが並んでいる。そこに、中学生と思われる3人組が、ゲームもやらずに椅子に座っていた。彼らはマージャンゲームのほうをチラチラと見ながら、何となく落ち着きがない。
(なるほどー、分かったぞ。奴らあの『DVD実写版脱衣マージャン』を誰かがやるのを待ってんだな。)(爆笑)
レンタルビデオ屋でエロビデオを借りたいんだけどまだ度胸がなくてアダルトコーナーに入れずにその入り口でキョロキョロする中学生風情の典型行動を思い出し、僕は内心ニヤッとした。
(おまんら、青いのぉ。だがそうやって人は成長していくんじゃ)
僕が高校の頃の脱衣マージャンと言えば、チンケなアニメだった。それでも部活がないテスト前などには友人の金城とセンプラにあったゲーセンに行き、どこまで脱がせられるか、無駄金をつぎ込んだものだ。
その後、大学の頃だったと思うが、AV女優のビデオが流れる実写版脱衣マージャンの登場が、僕ら無垢な青年の心に大きな衝撃を与えた。さすがに絡み映像はないが、あの有名エロビデオ女優の映像が、マージャンでコンピュータに勝てば見られるのだ。この『実写版脱衣マージャン』の登場は、まさにアーケードゲーム業界の一つのエポックメイキングな出来事だったといって過言ではあるまい。そして今はDVD映像である。
男子中学生たちが放課後にゲーセンにタムロして誰かがDVD実写版脱衣マージャンをやるのをそわそわと待ち、その人の金でタダでエロビデオを見ようとするのは、本能に素直な行動であり、誰にも止められないし、止める権利もない。いやむしろ放課後まっしぐらで塾に向かう中学生なんかよりよほど健全ではないか!!(違うか)
【外国人の町】
最近僕が生活圏としている蒲田や川崎には外国人が多い。白人も時々いるが、大部分は東南アジア系、中国韓国系、そしてインドパキスタンのひげ系である。そういえば蒲田の夏祭りでは、サンバチームのパレードがあり、外人女性が、露出満点の小林幸子的羽付きキンキラキンど派手衣装で腰をまるで猛り狂った別の生き物のように回しながら踊っていたっけ。ブラジル系も多いのだろうか。いや、あれは結構ロシア系にも見えたな。

夏祭り、蒲田のサンバチーム |
ゲーセンを出た僕は、HIS(旅行会社)へ行った。僕の横に座った女性は、どうも日本語がたどたどしい。店員との会話から、フィリピン人だと分かった。ほどなく一人のオヤジが現れ、彼女の横に座った。もう分かったでしょ。そう、いわゆるフィリピン娼婦っていうやつだ(きっと)。50過ぎと思われる脂ぎった日本人オヤジと30代後半のフィリピン女。この年末にフィリピン女性が里帰りするらしい。横目でちらちらと観察した結果によれば、どうもフィリピンに行くのは女性一人だけで、このオヤジが航空券代を出してやっている、という光景らしい。あーあ。なんかなぁ。
別にいいのよ。本当の夫妻なのかもしれない。しかしこういうのを見てすぐに思い出すのは、東南アジア諸国における日本人サラリーマンによる少女買春。まぁ別に大人の女性であれば、合法なんだしいいんだけどさ。日本のオヤジ達にはバイタリティがあっていいってことなのかもしれないけれど。アムスの飾り窓の前で、中をのぞきながら大声で女を物色している恥知らずの日本人のオヤジ団体観光客を思い出すなぁ。
蒲田にもフィリピンパブがある。僕は行ったことありませんが。年に何度里帰りするのか知りませんが、出稼ぎしている彼女らはやっぱり新年には故郷に帰るのだなあと妙な感慨があった。そういえばエクアドルのキトではコロンビア人の女の子達が出稼ぎに来てたっけ。えっ、そんな店に行ったのかって?まぁ、詮索しなさんな(笑)。
【値引き品をめぐる限りなき争奪戦】
わが町にある”すしのちよだ”という、店頭ですしを売る店では、夜の閉店間際にはすし全品半額となる。1パックに10カンくらいネタが入って740円とか1370円するのだが(ネタの内容によって値段が違う)、これが半額となるとかなりお買い得感がある。すしという食品の性質上、もし売れ残ったら当然全部廃棄だろうから、店も必死だ。

定価740円、閉店間際370円 |
スーパーでもそうだが、例えば閉店間際に同じ半額になるにしても、158円が半額になるより、400円とか800円が半額になるほうがお買い得感がだいぶ違うと感じるのは僕だけだろうか。すしの740円が370円になるということにすっかり魅了されて、すぐに買ってしまった(写真参照)。
僕が住む町のスーパー・マルエツは夜9時閉店のため、夜8時過ぎると、おじさんおばさんが虎視眈々と値引き品を狙いはじめる。今まで色々な町の色々なスーパーで同じ光景を目にしてきたが、ここほどがつがつとした雰囲気で待つ人たちは今まで見たことがない。彼らは、惣菜売り場近辺を行ったり来たりしながら、新値札シールを貼りに来る店員を今か今かと待ちうける。店員がシールを貼り始めると、そこにはたちまち2重3重の人垣ができ、値引き品の取り合いで現場は騒然とさえなる。シールが貼られたとたん、四方八方から手が伸びてきて、値引き品はあっという間に売り切れる。僕のような控えめな人間などは、とてもこの争いに入っていく余地がない。たかだが数十円、せいぜい数百円の値引きに、まるで夏物一掃大バーゲンに群がるオバタリアンさながらに人々が欲望をさらけ出しているスーパーの惣菜売り場を、僕は他に知らない。
やはりなんだかんだ言っても庶民レベルでは景気は良くなってないのか、はたまたこの行動は景気云々ではない人間の飽くなき本能なのか。
最後は一人暮らしの女性ブログ的になりましたが悪しからず。 |
2006/11/19 (Sun.) 曇りのち雨
周りの迷惑顧みず世界の現出
テレビを見ていると、某電気メーカのポータブルオーディオプレーヤのCMが流れていた。ロンドンのピカデリーサーカス付近の街なか、ヘッドフォンで音楽を聴く若者。周りには人の往来があふれている。だがヘッドフォンで音楽(こりゃ、バンドで以前コピーしていたオウェイシスだ)を聴きだしたとたん、周りから人が消え去り、そこには自分ひとりだけがたたずみ、音楽の世界に没入している・・・。このプレーヤの目玉らしい、周りの騒音をカットする”ノイズキャンセラー機能”なるものを前面に押し出したCMだった。「このプレーヤなら、周りの音を気にせずに音楽が楽しめます」ってわけだ。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。どう考えてもそりゃおかしーだろ!
僕の会社は駅から10分ほど歩いた所にあるのだが、歩道が狭い上に沢山の人がそれぞれのオフィスへ向って歩くので、満員電車の混雑が歩道に展開した感じであり、思うようなスピード・コースで歩けない。さらに駅へ向う人々が逆の流れを作り、非常に歩きづらい。雨の日は全員が傘を差すので歩きにくさは百倍増し、前が滞っているとしばらく前に進めずに立ち尽くしていなければならないほどである。

干物屋(茨城県・北茨城市) |
こんな中、僕の神経を逆なでするのは、音楽を聞いて歩いている人たちである。彼らは、聴覚を外界から遮断されているため、周りの流れが読めない。人って面白いもので、耳をふさがれると周りが見えなくなるのである。そういう人を横から早歩きで抜こうとすると、これもなぜだか、彼らは僕の方向に幅寄せしてくるのだ。僕が斜め後ろから抜こうとしていることに全く気づいていないのである。こっちが気にしてなるべく距離を開けて抜こうとしてんのに、あっちは俺の足音がまるで聞こえていなく、ホントこれ不思議なんだけど、こっちが抜こうと斜め後ろに迫ったところを見計らったかのように敵はだんだんこっちに近寄ってくるのよ。いや、謎だけど。さらに、僕が後ろで同じペースで歩いてんのに、急にペースを落としたりする。全く、なっちゃいない。
こういう音楽没入人間が多く歩いていると、歩きにくさは倍加する。彼らは、自分の世界に入り、目では何かの光景を見ているけれど、五感として周りが見えないのである。場の雰囲気が読めないのである。というか音楽により場の雰囲気を読むことを放棄しているのである。人は、周りに他人が多ければ多いほど周りを気にしなければならない。それが”公”における社会のルールである。毎朝こんな状況で、自分勝手なスピード・コース取りで歩いている人がよくいるが、ほとんどが耳にイヤフォンを差し込んでいる音楽没入野郎・女である。電車の中でじっと動かずに音楽を聴いているのならまだいいが、こうやってアクションを伴う場面では話がちょっと違う。
何度も言っているけれど、外の世界という、社会のルールにのっとって振舞わなければならない公的な世界を、自分が好きなことができる私的空間だと勘違いしている人が現在毎日増殖している。その原因の一つは、不必要な悪しき技術の進化である。
技術は、今まで個人で自分の部屋という私的空間で楽しんできた娯楽を、どんどん外に持ち出している。公共の空間に。電話、音楽、テレビ、ゲーム、パソコン。今や外で何でもできる時代である。テレビも見れるし音楽も聴けるし電話もできるしメールもできるしゲームもできる。
街からはどんどん公共色が薄れ、公的空間で傍若無人に振舞う私的人間が急繁殖している。
ウォークマンは昔からあった。満員電車の中でカシャカシャ音を響かせながら、自分しか電車に乗ってないように振舞う若者に周りが眉をひそめる。さらにこんな”ノイズキャンセリング機能”なるもので周りの騒音がカットされたら、いよいよ人は周りが見えなくなるのだ。このCMのように、街には誰も他人がいなくなり、自分だけがいるような錯覚。そんなおかしな状態を現出させる技術、本当に必要かい?技術というのは人の生活や社会をより良くするためにあるべきものでしょ?そういう大局を考えない技術開発が日本には最近多い(他国では技術力的にできないし、突飛なものを考えることもないようだ。まして、人口密度が低いので、日本のような問題が起きないと思う)。なまじ日本の技術は高くてその上国内にライバルメーカひしめく中他社の技術と差別化するために、そんな変てこりんな過剰技術までがこの世に出てくることになる。
別に他人に迷惑をかけないならいいんだけどさ。結局は。そう、使う方の人間がきちんとそのへんを認識していれば。
うー俺って心が狭いのかなぁ。あーグチグチ。 |
2006/11/2 (Thu.) 曇り時々晴れ
は?
目が点になることって最近よくあるけれど、また今日テレビを見ていてそうなった。
何か土地土地の地元人気アマチュアバンドを紹介してる番組だったんだけれど、金沢のバンドで、『加賀百万石ロックスタイル』なるスローガンを掲げている若者ロックバンドが紹介された。
(加賀百万石?自分たちの出身地域をアピールした、なかなか見所のある奴らとちゃう?もっとも、『加賀百万石ロックスタイル』って言われてもどんなロックか全くイメージできへんけど)
と目が画面に釘付けになったのもつかの間、次の瞬間わが目を疑った。
彼らのバンド名が、
”Seattle Standard Cafe”(シアトル・スタンダード・カフェ)だったのである。
何じゃそりゃ?????
加賀百万石言ってて、シアトル?
「金沢を愛してるぜ!」みたいな愛郷心丸出しのMCしてて、その実バンド名がシアトルなのである。
ライブは、「石川県金沢発!」「加賀百万石!!」ってメンバーがかわるがわる叫んで始まんのよ、それでいてバンド名が”シアトル”だよ?
全く世の中には不可解なことが多い。
「やっぱり地元に帰ってくると落ち着きますよねぇ」なんて言ってるくせに、都会に出たっきり絶対に地元に住むなんて考えてない人の欺瞞というか矛盾のような理不尽さを感じますよ、こういうのには。
まぁ、俺が仙台でやってたバンドの名前”ハイエッジ”みたいに、この”シアトルなんたら”にはメンバーが共有する何か深い意味があるのかもしれないけど、「俺たちゃ金沢人だ」って言ってる舌の根も乾かないうちに”シアトル”だよ?一体どんなアイデンティティを持ってんだ、この人たちは?金沢とシアトルは姉妹都市とか?
何か俺なんかが見るとこの若者たち、とてもおかしなことやってるのに自分たちでは全然気づかないで、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうよ的状態なんだけどなぁ。これがいわゆる若気の至りか。それともこんなこと言う俺のほうがおかしいかしら?
やっぱ俺が彼らのバンド名つけるとしたら、そうだなあ例えば「マリ・コッケンローク」なんてどう?なかなかいい語呂じゃない?えっ、こっちの方が恥ずかしいって? |