HOME
> Every Day Life > Diary > 2017.10.

日記
(2017年10月)
2017/10/31 (Tue.)
大河あるある 晴れ@千葉
 
 
 
いちご狩り(千葉県成東町)
 
山寺名物 力こんにゃく(山形県山形市)
 
山寺 (山形県山形市)

ミャンマーに住んでいた頃、何をするにも意欲がわかず、休日はほぼ自室に引きこもっていた。部屋の中で何をしていたかと言えば、寝るか、本を読むか、ネットを見るか、ギターを弾くか、そんなくらいである。ネットではずいぶんとユーチューブさんにお世話になった。時間をつぶすのに絶好のメディアである。
ユーチューブでNHK大河ドラマを始めから最後まで何作か見た。どんな拍子か、著作権保護を免れてユーチューブに大河ドラマがアップされているのだ。

最近も毎日暇なので、よくユーチューブで大河ドラマを見ている。
大河ドラマに時代背景として取り上げられるのは、戦国時代と幕末が多いように思える。戦国時代も幕末も、ダイナミックな事件が数多く発生し、時代が激動しているので、話として面白い、という理由であろう。江戸時代に入ると幕末まで天下泰平でみんなが知っている事件も少ない(その意味では、事件が少ないということはみんながある程度満足していた裏返しであり、そのような体制を作り上げた徳川幕府の偉大さが分かろう)。
戦国以前となると、面白そうなのは頼朝と義経の物語くらいか。室町幕府は江戸時代並みに長い時代だったが、知名度が低い気がする。戦国時代以前は、知名度の問題があろう。

ところで、いつも言っている通り、芸術作品を批評するのは意味がない。なぜなら、芸術作品の好き嫌いはつまるところ、それぞれの単なる嗜好で決まるものであり、ヘビーメタルとかAKB48が好きな人に、どんな理屈をこねてもその人の嗜好を変えることはできないのである(別に変える必要はないが)。結局「好きだから好き」であり、「嫌いだから嫌い」なのである。例えば、AKBの好きな人には「かわいいから」とか多少の理屈はあるのだろうが、「かわいい」などは彼女らの芸術性には全く関係がなく、そう思っている私とAKB好きの人が議論するなど、時間の無駄というほかない。

そういう意味からすれば、音楽評論家とか映画評論家というのも、因果な商売である。

しかるに、人は毎日何かを批評して生きている。あいつは八方美人だとか、あの製品はいいとか悪いとか、あのレストランはまずいとか、あの沢は泳ぎが面白い、とか。人間は何かを批評するために生きているといっても過言ではなかろう。ただ、芸術作品を批評するのはあまり意味がない、ということである。もっとも、芸術作品のみならず、すべての物事においても結局はそれぞれの趣味趣向によって好みが決まるので、あらゆることにおいて批評することは意味をなさないことなのかもしれないが。

ま、いい。人は批評することで生きている。そんな中、大河ドラマをたくさん見たので、意味のないこととは知りながら、気づいた点を書いてみよう。人は歳を取ると何でも批評したくなるのである。

@ヒロインが突然子供から大人になる
これには呆然とする。つい数分前まで子供だった少女が、突然、大人の美しい女性となる。『利家とまつ』のまつ役・松嶋菜々子さんや、『功名が辻』の千代役・仲間由紀恵さんなどは最たる例である。「数年でそんなに成長するか!?」と大声で突っ込みを入れることになる。

A歳相応のキャスティングでない
 まぁ、人の生涯を描くのが大河ドラマであり、演じる俳優は子役時代以外は一人なので、これは無理もないことではある。
 『功名が辻』の信長役・舘ひろしさんが登場した時と、秀吉役の柄本明さんが登場した時には、「歳取り過ぎやろ!?」と大声で突っ込みを入れた。

B登場人物が歳を取らない
 上述した『利家とまつ』の松嶋菜々子さんや『功名が辻』の仲間由紀恵さんは、晩年にもほとんど見た目が変わらなかった。50代でもせいぜい30代くらいに見えた。女性出演者にこの傾向が顕著である。
 一方、『独眼竜政宗』は、登場人物たちの老け方は歳相応に見えた。作り手の意図が反映しているのであろうが、歳相応に見せるのが私は筋だと思う。人は老いて死ぬ。その普遍性を大河ドラマが見せないでどうする。

C話がなかなか進まない
 これは見ていて一番飽きるパターン。個人的には、この点が面白いと感じるかどうかのキーポイントとなる。
 どうやら、私が面白いと思うかどうかは、スピーディな展開が条件となっているようである。良かったのは『獅子の時代』、『独眼竜政宗』、『真田丸』など。

Dダイナミックなシーンに欠け、やたらと屋敷内の畳部屋で人が対面して会話を交わしている
 『篤姫』に代表される。幕末の話だが、巷に次々と起こる大事件をそっちのけに、やたらと室内で会話しているシーンが多く、イライラした。『翔ぶが如く』も後半このパターンで失速。

ここから雑談。
ギャグ満載なのが三谷幸喜さん作品。賛否両論あるようだが私は好きだ。『新撰組!』も『真田丸』もギャグ満載で楽しかったが、『新撰組』では、新撰組が浪士組として京都に出た後はシリアスな話となるので、ギャグは激減。

以前その役で大河に出た役者が、その後の大河でその役で出ていることがある。これはいいが、脚本家が変わると、登場人物の人間性も変わったりして、かえって演じにくいことがあるのではと心配してしまう。余計なお世話だが。
それにしても、同じ俳優、女優が何度も何度も大河ドラマに出ている。大河向きの役者というのがいるのだろうか。時代劇向きの面構えか。
そういえば、大河ドラマの女性出演者は、現代から見て普通の化粧をしているが、『清州会議』という映画では、女性はみな、顔を白く塗りたくって、目から離れたおでこの上の方に楕円形の眉毛を書いた、けったいな化粧をしていた。これが史実に近いのだろうか。
だがこれを大河ドラマでやったら、視聴率ガタ落ちか。美しい女性を見るために人々はテレビを見るのだ。

史実と言えばもう一つ、言葉がある。大河ドラマで使われる言葉は様々である。できるだけ当時の言葉を再現しようとしている作品もあれば、ほとんど現代語に近い言葉で話される作品もある。
『秀吉』での秀吉役・竹中直人さんなどは、しばしば、普通に現代で芝居をしているように竹中節を炸裂させていた。
一方、『独眼竜政宗』では、「これは異なことを承る」とか、「これは面妖な」とか、「ありていに申せば」とか、いまでも日常会話で話してみたくなるようなクセになる言葉がよく出てきた。

『功名が辻』などは、子供がグレて千代がそれを更生させるなど、まんまホームドラマ。
大河に枠を借りた現代ドラマ、という側面もある。

今でもよくその原因が分からない史実においては、描かれ方が異なることがある。「本能寺の変」でなぜ明智光秀が謀反を起こしたのかはいまでも謎に包まれているが、怨恨説とか陰謀説とか、作品によって描かれ方が異なって興味深い。

以上、おばちゃんの井戸端会議みたいで恐縮ですが。
2017/10/27 (Fri.)
熊調査 晴れ@君津の山中
 
房総半島を南下し、君津へ向かう

熊らしき獣を目撃した現場での調査
 
九十九谷公園から見た房総の山並み

先週金曜日、房総半島、君津市の鹿野山南麓、九十九谷で熊らしき獣を目撃した件で、君津市から連絡があり、君津市の総務部危機管理課と千葉県自然保護課が合同で現地調査をするというので、私が目撃者として現場に同行することになった。
昼の12時半に九十九谷公園の駐車場に集合。

調査に参加したのは、私以外は計6名。
君津市総務部危機管理課4名と、千葉県環境生活部自然保護課鳥獣対策班から1名、千葉県君津地域振興事務所地域環境保全課から1名。
千葉県の自然保護課の1名のみが専門家。この人は30代くらいで、大学で熊の生態を研究したとのこと。
君津市の4名は、熊などには知見がないようで、危機管理課としては自然災害等の際の対応・危機管理が主な仕事の模様。
ただ一応装備だけは一人前で 、作業服の上下にヘルメット、トランシーバーやホイッスルなどで万が一の時に備えていた。
千葉県の2名も長靴を履き、戦闘態勢。

今日の目的は、熊を探すことではなく、目撃現場周辺にて、熊が残した痕跡を探す、ということ。
君津市の1名は連絡係で九十九谷公園に残り、私含め6名が山に入る。
事前に私が目撃時の状況説明をした後、専門家氏から、熊の痕跡とはどういうものかの説明がある。糞の形状、足跡、木の幹への引っ掻き傷、樹上のくま棚、など。

私が先導して現場に入る。
現場では、ほとんど千葉県の2名が痕跡を探していた。彼らは急斜面を途中まで降りて調べたりしていた。私も足跡や木の幹への引っ掻き傷がないか、血眼になって探す。
鹿やイノシシの足跡、鹿の糞などは見つかったが、熊の痕跡は見つからず。
専門家氏の話では、「みたところけもの道は無数にあるが、熊の跡はないですねぇ」。
45分ほど現場を捜索し、山を下りる。

今後の対応は、ひとまず千葉県側でどういう対応を取るかを関係部署で協議する、とのこと。
周辺市町村への本情報の周知をまずは行う、ということ。

以下、専門家氏から聞いた情報。
・昨年の今頃、市原市養老渓谷付近にて、2件の熊目撃情報あり。
・熊がもしいるとしたら、人に飼育された熊が放された可能性が高い。他の生息地域から野生熊が移動してくるのが難しいため。
 東北などでは、親熊を撃った後に、猟師 が残された小熊を慈悲で飼うことがあり(行政に届け出ないと違法らしい)、そういう飼育熊を飼い主が放すこともあり得る。
・確かにイノシシは唸らない。熊は唸る。
・熊は10kmくらいすぐに移動する。餌が多い場合はその山域に留まるが、エサがなくなると、餌を求めて移動していく。
ということでまぁ、一人を除いて素人集団という調査ではこの程度の結果が関の山、というところであった。

調査隊解散後、私は再び九十九谷公園まで戻り、そこからの絶景を見渡す。ここに来たのは今日で3回目だが、今までの2回では、霧が立ち込め視界ゼロで、下界の風景は全く見えなかった。今日は視界が開け、房総の山々と人が住む集落が見渡す限り広がっている。素晴らしい景色である。
その昔、日本画の大家東山魁夷が、『残照』という題でこの風景を描いている。夕暮れ時の暴走の山々がひだのように重なった風景は、彼の心を激しく揺さぶったの違いない。かくいう今の私も、相当に感激している。
このページでは何度も言及しているが、房総の山々は、標高300m程度ばかりであるが、その連なりと谷筋の形状、緑の深さは特筆すべきものがある。
2017/10/26 (Thu.)
花嫁街道・花婿コースと烏場山登山  晴れ@南房総市
 
花嫁街道
 
 
烏場山山頂。267m。

黒滝。15m。

10月はほとんどずっと雨が降っているように感じる。例年にない天候ではなかろうか。秋の長雨にしてもほどがある。
さらに、先週から今週にかけて台風が来たばかりだというのに、今週末も次の台風が接近している。今月2個目の台風。
今日明日は晴れそうなので、南房総市の花嫁街道を歩き、烏場山に登ることにする。
10時頃に車で千葉を出発。下道で南房総市の和田浦駅周辺まで行って車を停め、12時10分、花嫁街道に向かって歩き始める。天気はいい。

山にほど近い里山を歩く。セイタカアワダチソウの群生地のなかに、大量のスズメたち(多分)が滞在し、うるさいくらいの声でチュンチュンと鳴いている。あまりにもその数が多いので、騒々しい。こういうのは初めて見た。餌があるのだろうか。

しばらくすると山に突入する。山の入り口に、「花嫁街道入口」と書かれた看板があり、ここが登山道起点となる。花嫁街道というのは、登山道である。
「花嫁街道」のいわれを調べてみると、かつて花嫁行列がこの道を通ったことに由来しているらしい。
入口からしばらくは急登。
登山道には木の枝葉が散乱している。今週初めに通過した台風の余波だろう。歩きにくい。

急登が終わると、斜度は緩くなる。第一展望台は展望台と言いつつ展望なし。第二展望台は東〜南が展望できる。向こうに太平洋が広がる。海の手前に街が見える。
マテバシイの純林となる。根元から幾本もの幹が放射状に空に伸びている。美しい林である。
 
マテバシイ林

自害水という場所に到達。この名は、平家の落人伝説にまつわるらしい。平家の落人は全国に散らばったらしい。
登山道は東に折れ、再び見晴らし台がある。ここは北側が開けており、房総の山々の間、小さな平地に拓かれた集落が見える。箱庭のような風景とはこのことである。
いよいよ烏場山の山頂へ登り詰める。標高267m。山頂にはベンチがあり、看板があり、三角点がある。そして、花嫁街道ならでは、花嫁の小さな石像がたたずんでいる。「おふく」という名前で、「縁結びにご利益あります」とちゃっかりとさい銭入れの上に鎮座している。

看板に寄れば、この山は「新日本百名山」となっている。新日本百名山は、標高267mでも入れるのね、と感心する。
山頂は木々に囲まれており、一部しか展望はない。盛秋の日差しを受けながら、タバコを一服してしばし休憩。

下りは「花婿コース」。展望台、見晴らし台、金比羅山を経由して黒滝に降りる。
千葉県内には「黒滝」と名のつく滝がいくつかあるが、この黒滝は、一筋の流れが15m落ちている、幽玄な滝である。
ここには、向西坊という僧が入定した窟がある。この向西坊は、赤穂浪士の一人片岡源五右衛門の家臣で、47士が吉良邸に討ち入りして切腹後、彼らの菩提を手厚く弔ったのち、全国を行脚したそうである。この地で黒滝を愛し、その脇の岩窟にて入定したとのこと。

黒滝から長者川沿いを少し歩くと花園広場に出る。ここで終了。午後4時50分。もう日が暮れかかっている。
山際が赤くなり、陽が沈む。
駐車場所に戻る。午後5時15分。今日の歩行時間はおよそ5時間。花嫁街道は割と急登があり、いい運動になった。
車で千葉に帰る。

花嫁街道・烏場山・黒滝 写真集
2017/10/22 (Sun.)
衆議院議員総選挙  雨@君津の山中

ここのところずっと雨。九十九谷に行った一昨日(20日)以外、この1週間ほとんど雨続き。
台風が近づいている。

今日は衆議院議員の総選挙である。近くの小学校の体育館に行って投票する。
私の小選挙区では、ロクな政党がない。こんな輩のどれかに投票しなくてはならないと考えると泣きたくなる。
白票にしてもいいのだが、結局この中の誰かが当選するのだから、消去法で投票する。
2017/10/20 (Fri.)
房総半島で熊らしき獣を目撃! 曇りのち雨@君津の山中
 
 
 
 

先週末からずっと雨模様である。今日は雨が上がり、また明日からずっと雨との予報だったので、鹿野山南麓の九十九谷(くじゅうくたに)を歩くことにする。
実は昨日歩こうと思って九十九谷まで来たのだが、雨が激しく、断念した。

朝10時半に車で千葉を出発。途中久留里のスーパー吉田屋で弁当とお茶を買い、九十九谷に着いたのが12時半。

新日鉄の白渓山荘という保養所の駐車場に車を停める。雨がぱらついている。車内で弁当を食べ、13時過ぎに山に入る。
 

山道はこの駐車場の脇から出ている。雨具を着て歩き始める。
九十九谷は、鹿野山の南麓に広がる入り組んだ地形である。まず鹿野沢に向かってどんどん山を降りる形になる。
うっそうとした森の中の道を降りる。急坂。沢が近くなると、折からの雨続きで、水が急な山道を流れ落ちている。
沢といってもちょろちょろとした流れしかない。
すると突然林道の舗装道路に出くわす。林道の終点を横切り、しばらく小さな沢沿いを歩く。
そこから山に取りつき、今度は急な登りとなる。ロープ場がある。

しばらく尾根を歩いていると、左前方30mくらいの斜面を、大きな獣がドドドッと降りて行った。黒っぽいグレーの物体。仰天して立ちすくむ。
大きい。体長1.5mはあったろう。すぐに急斜面の下にその姿は見えなくなった。しかしあの大きさは尋常ではない。まず直観的に熊だと思った。
呆然として立ち尽くしていると、斜面の下の方から、姿なき唸り声が聞こえてきたのである!ちょうど犬の唸り声を野太くしたような声である。猛獣が喉を鳴らすような世にも恐るべき声。
熊だ!!! 熊に違いない!

私は我に返り、元来た道を一目散に走って逃げた。急斜面を降りる。雨で道は土がぬかるみ、滑る。漫画のように無様に坂道を滑り転げながら無我夢中で逃げる。林道まで戻り、一息つく。追ってはこないようである。
ここから来た道を戻るとなるとまた山の中に入らねばならない。森の中では獣には勝てない。人間の造作である林道を戻りたかったが、地図を見るとこの道を行っても駐車場には戻れない。
意を決して山に入り、元来た道を今度は登る。行きの続く限り急ぐ。ほとんどパニックに陥っている。熊に先回りされてはいないか、気が気ではない。
息を切らしながら、急斜面の山道を登り続ける。15分くらいして分かれ道に出る。行きにどっちから来たか、あいまいでしばらく迷う。ほどなく記憶がよみがえり、ようやく元来た道を確認し、やっとのことで駐車場まで戻った。ゼーゼーと息を切らしながら。

車に戻ってタバコを一服してようやく人心地つく。
あれは熊に相違ない。あんなに大きなイノシシはいまい。

九十九谷公園に行って景色を見ようと思うが、今日も霧に覆われて下界の絶景は見えない。

車で家に帰る。
すぐにネットを開き、熊やイノシシの声や姿形、動きなどを調べる。ユーチューブの映像もいろいろ見る。

以前秋田の阿仁マタギにあるクマ牧場で、たくさんのツキノワグマを見たが、ツキノワグマは真っ黒である。今日見た獣は、真っ黒というよりはややグレーがかった黒であった。だが、光の加減でグレーがかって見えることもあろう。

千葉県には、熊はいないとされている。
以前房総半島で熊の調査をした人のブログを見つける。この人は、房総半島でツキノワグマの痕跡を確認した、と書いている。房総の猟師さんたちにもヒアリングし、彼らは「むかしは見たけど、最近は見ないなぁ」と言っていたという。
それにしてももしツキノワグマが房総半島にいるとしたら、どうやって移動してきたのか?どこかから移動してきたのか、それとも飼育されていた熊が放されたのか?

友人に今日の顛末をメールする。そして、君津市の危機管理課にもメールする。
房総半島に果たして熊が生息しているのだろうか。

今日見たものは熊にしか思えない。視認できたのは短時間だったので、巨大イノシシを見間違えたという線もあり得る。だが、「唸り声」が説明できない。イノシシも鳴くが、あんな唸り声は出すまい。
山道にはドングリやクリ、アケビなどの実が豊富に転がっていた。熊がいるとしても不思議ではない環境だ。
2017/10/13 (Fri.)
佐倉 国立歴史民俗博物館 雨、寒い@佐倉

平安時代の貴族の服装 (国立歴史博物館) 

古代米カツカレー 

佐倉城址 本丸跡

雨の中、佐倉にある国立歴史民俗博物館に行った。ここは日本で唯一の「国立歴史民俗博物館」とのことである。
11時に入館し、見始める。
館内は、(1)原始・古代、(2)中世、(3)近世、(4)近代、(5)民族、(6)現代の展示室に分かれ、膨大な歴史遺品や説明展示がなされている。あいにく(1)の原始・古代エリアはリニューアル中とのことで閉鎖されていたが、中世から現代までの歴史を学ぶことができる。
さらには企画展示室もあり、いまは「1968年−無数の問いの噴出の時代」という展示をしている。安保闘争やベトナム反戦などの1968年頃の日本の出来事を展示しているらしい。
入館料は常設展示のみで420円、企画展も見る場合は840円だという。さすがに840円は高すぎるし、そこまで見れる時間があるか不安だったので、常設展示のみにする。

(2)中世エリアを見て回るだけで2時間くらいの時間がかかってしまい、とてもすべて見きれないことを悟る。閉館は4:30。
さらには、「体験コーナー」で、寺子屋の授業体験のエリアがあり、誰も客はいなかったのだが、ここの係員のおじさんというよりはおじいさん、が気さくな人で、彼も手持無沙汰だったようで、いろいろ会話をした。
寺子屋で教えていた内容、江戸時代の教育状況、階級社会、日本人の名前の由来や起源について、議論した。楽しかった。
ここでおそらく30分近く時間を使ってしまい、すべての展示室をじっくり見ることはもう不可能な状況。
とりあえず腹が減ったので、併設されているレストランで「古代米カツカレー」を食す。

その後、近世、近代、民族と駆け足で見る。現代エリアを見る時間はほとんどなかった。

これだけ充実の展示があって入館料420円は良心的である。日本の博物館には、その価値に見合わぬ法外な入場料を取るところが少なくないので、感心する。

午後4:30の閉館時間となり追い出される。食事時間を除けば、見学時間は約5時間。それでも見切れず。
外はまだ冷たい雨が降っている。
雨の中傘をさして佐倉城址を見る。博物館は、佐倉城址公園の中にある。千葉県で唯一日本100名城に指定された城である。いまは建物はなく、本丸跡などが残っているのみである。

佐倉城は戦国時代に築城が開始されたらしいが、実際に完成したのが関ケ原の後の1610年。徳川家康の重臣、土井利勝が完成させた。土井は佐倉藩主となったがその後は徳川譜代の大名が代わる代わる佐倉藩を任された。徳川譜代の藩として、江戸の東を守る重要拠点として栄えた。
幕末の佐倉藩主堀田家の有名どころでは、徳川幕府の老中・堀田正睦がいる。彼は開国派であったが、井伊直弼が大老に就任すると一橋慶喜を次期将軍に擁立しようとしていた正睦は失脚する。彼の佐倉での治世は評価されているようで、佐倉城址に銅像が建っている。その横には、幕末のアメリカの外交官、タウンゼント・ハリスの銅像まで建っている。彼は、アメリカと日本との通商を定めた日米修好通商条約を結んだ人物である。当時堀田が外交担当として幕府の要職にあり、ハリスと幾度も交渉したことから、ここに銅像を建てたのだろう。
ご承知の通り、当条約は、日本に関税自主権のない不平等条約であり(英、仏、露、蘭とも同様の条約を締結)、欧米列強の言うなりになった日本にとっては悪名高き条約である。
そういう人物の銅像を造ることに意味があるのかどうか、どうも理解に苦しむ。

雨の中、広々とした芝生の本丸跡に立ちすくむ。徐々に暗くなっていく。誰もいない。最近雨ばかりである。
2017/10/11 (Wed.)
新崎(にいざき)川・下流部 残念な沢登り 晴れ@湯河原
 
幕山公園から幕山(多分)を望む

取水場、立入禁止 
 
新崎川 下流部
 

沢登りで土管をくぐる
 
ここの淵で泳いだ

昨日、急に暑さがぶり返した。よって、今日は今年最後になるかもしれない沢登りに遠征することにした。
神奈川県の湯河原。
朝4時過ぎに起きる。5時ごろに車で千葉駅に向かう。千葉駅行のバスはまだ始発が走っていない。
5:53千葉発の総武・横須賀線に乗る。6時前なのでまだ乗る人は少ないと思っていたがなんの、すでに空席がない。東京に着いて多くの人が降り、ようやく座れる。
戸塚で東海道線に乗り換え、さらに平塚で乗り換えて湯河原着が8:33。千葉から2時間40分。

湯河原駅の周りははなかなか栄えている。温泉地である。
9時発のバスに乗り、幕山(まくやま)公園へ。20分弱で着き、ここから林道を歩く。
暑い。10月に入ったとはいえ、今日は昨日に続いて暑さがぶり返し、25℃くらいに上がる見込み。上り坂を歩いているとどんどん汗が噴き出してくる。
山に囲まれた道は、あふれる陽光に照らされ、心地よい。
道沿いには今日遡行する予定の新崎川が流れている。公園近くでは巨大な堰堤があったりして大分人工的な川だったが、歩くにつれ谷底に渓流を作っているようである。

40分ほどで取水設備がある場所に到達するが、そこは道が通行禁止となり、ゲートが閉ざされている。
「あれれ?」
しばらくゲート前で立ち往生していたが、ゲート右わきに細い山道があるのを見つけ、そこに入ってみるが、もとの舗装道路にはたどり着けなさそう。
仕方なく、藪の中に踏み跡があったので、そこを降りて立入禁止の取水場に降り立つ。取水場にはいくつかの簡易小屋があり、数台の車が停まっているが、人影がない。さらにその先の工事現場があり、なにやら橋だろうか、巨大な構造物を建設中のようで、重機が動いている。

そこで話をしていた、作業服を着てヘルメットをかぶった土木技術者の人に聞いてみる。
「すみません」
「ここは立入禁止ですよ。ゲート閉まってたでしょう?」
「すみません、白銀橋を探しているのですが」
私は地図を見せて目的地を指し示す。
「うーん。多分、けもの道みたいな道を行ったところじゃないかな。」
どうやら、この人も知らないようである。
「そうですか、ありがとうございました」
「ここ立入禁止ですからね」
最後に再度叱られてしまい、その場をそそくさと去る。

ということで、「けもの道」とはさっきちょっと入った細い山道のことだろうと思い、進んでみる。だが、どんどん沢から離れていくではないか。
私は事前にきちんと調べなかったことを悔いた。入渓地点は白銀橋という林道沿いにある橋である。それが分からないとは、なんたる体たらく。
結局、分からないので、取水場の道を戻って、手前の端から入渓してみることにした。

沢装備に着替えて川に入る。どう考えてもここじゃないが、今日はもう時間が足りない。何しろ、今日の遡行予定では、沢を登って登山道に突き当たり、そこから少し上がると県道に飛び出し、そこからバスに乗る予定なのだが、そのバスが4時が最終で、それ以降はもうないのである。そういう時間的制約から、今日は諦めることにして、とはいえせっかく来たのだからと目の前の川を遡行することにしたのだ。もちろん、ここはガイドブックに載っている部分ではないので、いまだかつてここを「沢登り」として遡行した人はいないだろう。

私がこの日遡行した新崎川下流部は、渓流ではあるが、滝などは1、2しかなく、それほど楽しくはなかった。入渓点には、プラスティック製の「土管」があり、水量を制限しているのだろうか。
1時間弱ほど川を歩くと堰堤があり、さらにしばらくして再びプラスティック製の土管が出てきて、それをくぐる。沢登りをしていて、人口の土管をくぐることも珍しいと思うのだが、この管は、直径1mくらいで、人が入るのには苦労しない。入口には大きな蜘蛛の巣がかかっていて、まずこれを払った後に管の中に入る。長さは15mくらい。水が流れているが、その深さはせいぜい10cmくらいなので、問題ない。
その管をくぐり抜けると、想像はしていたが、そこはさっきの取水場であった。やばい、また立入禁止地帯に入ってしまった。
私はこれでもう今日は上がろうと思い、取水場を出て、再び舗装道路を下り始めたのだが、あまりにあっけなく終わってしまったので、今の沢を下ろうと思い直し、あろうことか再び取水場に入り込んだ。
人に気づかれないように抜き足差し足で例の土管から川に入ろうとしたが、人に気づかれてしまった。二人のおじさんだ。さっきの人とは違う。
「すみません、何してるんですか?ここは立入禁止ですよ」
私は懸命に釈明する。
「いや、沢登りして、そこまで川を上がって来たんです。そこからまた川を下ります。すみません」
「川を登って来たんですか?」
相手のおじさんは、沢登りなどという言葉を知らないのであろう、怪訝な顔をしていたが、それ以上は詮索することなく、私を無言で見送った。

事なきを得て再び土管をくぐり、川を下がる。
途中、ちょっとした淵があったので、泳いでみる。10月に入ったが今日は暑いので気持ちいい。

沢登りでは、「人工物」が無粋なものとして見られる。確かに私も、以前は沢登りをしていて堰堤とかコンクリート壁とか出てくると興ざめしたものだが、今ではそうは思わない。むしろ、そんな山奥によくぞ造ったよなぁ、と妙に感心する。コンクリートだって石だってブロックだって、運搬しなければならなかったわけであり、山奥であればあるほど、どうやって建築資材を持ってきたのだろうか?を考えざるを得ない。周りにはせいぜい作業道のような山道しかないような場所である。重機もなしで造ったのか?と思えるほどの山奥の場合もある。

治水や利水。山奥の堰堤を見てると、古いものが多いと感じるが、きっと高度成長期、列島改造論に伴い、日本の国土をコンクリートで固めた、先見眼も何もない悪政策を推し進めた時に造ったのだろう。当時は、環境破壊の影響をなにも分からなかったころで、とにかく金もうけと人々の利便性のある暮らしのために、自然を破壊し、有害な化学物質を平気で海川山に垂れ流していた頃であろう。もちろん、自然を破壊し、土木・建設に携わるみんなが金儲けをすることによって、日本繁栄の礎を造ったことを否定はできないのだが。

沢登りをしていて、山奥でそういう建造物に遭遇するのも一興である。

沢を降り、元の入渓点まで戻って川を上がる。今日はまったく中途半端な沢登りになってしまった。
歩いて幕山公園まで戻る。まだ午後3時である。バスに乗って湯河原駅へ。

帰りの電車。失意の中の私を癒してくれたのは、車窓の風景である。東海道線、根府川(ねぶがわ)〜早川間の列車は、広大な太平洋のすぐ脇の高台を走る。見渡す限りの海。こんな日の高いうちに帰ることになるとは思わなかったが、この景色が見れたので少しは救われた。
2017/10/6 (Fri.)
体調不良 晴れ@千葉

今週、具合が悪い。腹を壊し、だるさもある。寒くなったからだろうか。
しばらく家で静養していた。

<後日談>
部屋にある午後の紅茶のペットボトルを見たら、中にカビが浮いていた。腐った午後の紅茶を飲んでしまったのが腹痛の原因らしい。
2017/10/4 (Wed.)
メーカー(ソニー)の身勝手、再糾弾 晴れ@千葉

先月、丹沢の沢登りで、防水デジカメで水中撮影をした。
その後レンズ内が曇ってしまい、1週間たっても曇りが取れないので、ヨドバシカメラに修理に出した。
先日早くも連絡があり、今日ヨドバシに行ってみると、「修理不能である」という。なぜか。
以前もあったが、生産終了から5年間の保守部品保有期間が満了しており、部品がないから修理できないというのである。
生産終了が2010年だという。私がこのデジカメを購入したのが2010年である。購入した年に生産終了だ。
たった7年しか経ってないのに、もう修理できないとはいかなる所存か??

本当にメーカーの傲慢には憤懣やるかたない思いである。ソニーだけがこうではないのだろう。
2010年に購入したものが、2017年にはもう修理できないなんて、そんな製品を企業は販売すべきでない。まるで故障のことを考えていない体制ではないか。この会社に勤めている人は、誰もおかしいと思わないのだろうか?
本当に企業の利益第一主義には反吐が出る。

調べてみたら、各メーカーで、保守部品の保管期間が製品ごとに決まっていて、コンパクトデジタルカメラの場合、5年とか7年である。
ユーザーをバカにするにもほどがある。

以前も書いたが、とりあえず今後死ぬまでソニー製品を買うことはもうないだろう。問題は、他の電機メーカーがどうなのか、である。
2017/10/1 (Sun.)
映画『関ケ原』 晴れ@千葉

関ケ原の戦いの決戦地(岐阜県関ケ原町)
 
映画館

今日は「ファーストデー」で映画が安いため、映画を見に行った。というか、『関ケ原』を見たかったので安い日に合わせて行っただけである。普段私は映画館に行くことはめったにない。前回見たのはいつか、思い出せない。宮崎駿の『風立ちぬ』だろうか。
行く前に司馬遼太郎氏の原作『関ケ原』を読み、抜かりなく準備して見に行った。

本作品が公開されてからもう1か月以上経過している。広々とした劇場には、合計10数名の観客しかいない。

さて、肝心の映画であるが、全くの期待外れ。映画など芸術作品の個人的感想をこのページで披瀝することは控えたいのだが、とにかく中途半端な映画だった。残念ながら。
作り手が何を伝えようとしたかったのか、全く分からなかった。

義を重んじた石田三成が主人公だという。自分たちの家の存続や損得を重要視して、徳川家康に加担する豊臣恩顧の大名が多い中、太閤秀吉の大恩を重視して豊臣家の天下を存続しようとした三成であったが、肝心の人物があまり描かれていない。
三成だけでなく、他の人物もそう。

そして各登場人物のセリフが、状況を説明しようとして妙に説明的で長くて早口で、私のように背景をある程度理解している人間ならまだしも、戦国時代の状況をあまり知らない人にはまったく理解不能だったろう。

見所を敢えて挙げるとすれば、豪華絢爛なロケやセット、例えば寺や戦場の映像。そして秀吉役の滝藤賢一さんの老いさらばえる過程をリアルに表現した特殊メーク。そして家康役の役所さんの太りっぷり。入浴シーンがあり、その丸々と突き出た腹が横からの絵で強調されるのだが、この腹は本物だろうか?
そういう、本質的でない部分が見所だというのは、寂しい限りである。

映画が終わり、喫煙室でタバコを吸っていたら、同じく『関ケ原』をたった今見てきた人たちが喫煙室に入って来た。彼らの顔にはいずれも「??」が浮かんでいる。今見てきたものが信じられない、というか、理解できないものを見た顔であり、あまりの期待外れに困惑している顔である。
そして、いみじくも私と同じような感想を語る人もいた。
HOME > Every Day Life > Diary > 2017.10.