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日記
(2006年9月)
2006/9/24 (Sun.)

リンダ リンダ リンダ

本ホームページでは、個人のホームページやブログで一番ありがちな、あの映画は面白かった、このアルバムは必聴だ、その小説は期待はずれだったなどと、世の中の様々なジャンルの芸術作品について紹介したり批評したり自分なりの感想を言ったりする気はさらさらない。最近は、自分が見た映画やドラマについて、ご丁寧にもそのあらすじを書いて幼稚な感想を述べている、そんな「電子のゴミ」的サイトばっかり。

例えば僕が書くとすればこんな感じ。
「『コラテラル』のトム・クルーズは、柄にもなく無慈悲冷血な殺し屋を熱演し、その演技はかのルーク・スカイウォーカーこと一発屋マーク・ハミルが演じたあの突き抜けたサイコキラーのそれにも引けを取らなかったけれど、だがやはりマイケル・マンの男の美学という崇高な概念性があってこそのキャラクターだよな」とか、

誰もいない斜陽遊園地(マナグア・ニカラグア)

「僕の好きな俳優カート・ラッセルは時々大作(『バックドラフト』とか『エスケープ・フロム・LA』とか)に出たりするけれども、やはり彼はB級映画に不可欠の存在、昔は『ユーズド・カー』から最近の『スカイ・ハイ』まで、B級映画の主役やらしたら天下無双だな、一度見たら忘れられない顔って言う意味では七変化のフィリップ・シーモア・ホフマン的ではなく、スティーブ・ブシェミとかゲーリー・シニーズとかウィリアム・H・メイシー路線だよな」とか、
「カート・ラッセルといえばジョン・カーペンターだけど、ジョン・カーペンターといえばやはりB級名作『ゼイ・リブ』だな、彼の映画には独特の世界観がある、『ゼイ・リブ』はもう十何年も前に見た映画だけれど、あの異様な雰囲気っていうのは今でも鮮明に甦ってくる」とか、
「大瀧啓裕著『エヴァンゲリオンの夢 使徒進化論の幻影』はエヴァ解説本としては最高だよ、世の中には「北村正裕氏の『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』の方が正確だ」なんて周りが見えてないアホな発言をする輩もいるけど、後者などは足元にも及ばない、前者のほとばしる知識力の前には、人はただ呆然と立ちすくみ、その知性のお裾分けに預かり、解読本としてというよりもむしろ一冊の書物として楽しむべきである」とか、
「くるりのヴォーカル岸田繁氏の歌詞にある『印西牧の原行きの急行』に僕は実は毎日乗っている」とか、
まぁこういうことならいくらでも書けるけれど、やはりこういうのってなんつーか人のふんどしで相撲、っていう卑怯さを免れないので、そういうものはなるべく排出しないようにしている。結局はこういうところ(ネット上)で何をやっても自己満足放出には変わりないんだけれど、そのプロセスとして他人のふんどしはなるべく使いたくないよな。時には僕も過去にこのホームページでそういう記述もしたし、一部の読者からは実際僕が見た映画とか読んだ本とかのことを書いてくれってリクエストもないわけじゃないけど、どうもそういうのは他人が読んでもつまんないから。芸術作品に対する感受性は人それぞれ、十人十色だからね。

とは言いつつ、今日はちょっと書かねばならないことができた。
テレビで『リンダ リンダ リンダ』という映画を見たからだ。
タイトルを初め見たときは当然の如くブルーハーツの代表曲『リンダリンダ』を思い出したけれど、いくらなんでも今時の世の中そんな安易なネーミングってことはないだろう、リンダが一つ多いしな、きっと全然塵芥ほどの関係もない映画なんだろうなと思っていたらどうして、女子高生バンドが文化祭でブルーハーツを演奏する、というド真ん中直球150キロの青春映画だった。まさに彼女たちが演奏するブルーハーツの曲名をそのまま映画のタイトルにしたのだ。映画の題名がたいていの人が連想するものそのものなのだ。しかもこれって昔の映画じゃなく、去年2005年の映画なのだ。なぜ今ブルーハーツなのか?しかも、ブルーハーツの世界観とは対極に位置するような今時の女子高生が?
さらには、その脚本。オープニングは結構シュールな味を出してんだけど、本編が始まってからは王道中の王道というか、そりゃいくらなんでもキミィ、ありきたり過ぎるよ、ってくらい平凡で、何となく揺れ動きやすい、ちょっと背伸びしたいけど純粋かつ無謀、そいでもって感受性が強く傷つきやすい女子高生の特質をベースにしながら、今時の女子高生のクールさと脆さをもかもし出しつつ、話はメンバーの怪我とか不和とか韓国人留学生の日本人とは違った考え方とか、好きな男子がいるけどなかなか告白できない乙女心とかそういう要素をストーリードライバー(話を進めていくエピソード)として使い、下手クソすぎる急造状態から3日の徹夜練習で文化祭最終日当日にはカッコいい演奏を聞かせる、それで終わり、っての。そりゃないでしょ。こんなんほとんどすべての観客が映画が始まった直後から思い描く結末だよ。そのまま、何のギミックもないまま終わっちゃうのよ。紆余曲折を経た後でのハッピーエンド。世の中のほとんどのストーリーってこの構造なんだけど。ハリウッドはその最たる例だけど、ハリウッドの場合はとにかく脚本に巧妙な仕掛けが張り巡らされていて展開もダイナミック。かつ脚本自体がおそろしく面白い。発想が斬新。そしてサスペンス系の映画では最後の最後で大どんでん返し、しかもどんでん返しが2度、3度っていうのが最近の定番。

話を戻そう。『リンダ リンダ リンダ』では、ラストシーンの『終わらない歌』の演奏が終わって黒フェードアウト、そしたら本物のブルーハーツの『終わらない歌』が始まってエンドロール、なのよ。クゥーっ。こういう誰でも考え付く平凡展開に鳥肌が立つわけで。カッコよ過ぎる。芸術性とは技術ではないことのまたまたの証明。もちろん、ブルーハーツに思い入れのない人は、何とも思わないのでしょうが。
それにしてもこれってまるでブルーハーツのトリビュート映画じゃないか。ヴォーカル役の韓国人女優が『終わらない歌』を、前を見据えて目を剥いて歌っている姿は、まるで甲本ヒロトその人じゃないか。恐るべき眼力。目のパワーが似ている。っていうか、よく見ると顔の雰囲気がそっくり。これは絶対狙ってる。確信犯に違いない。

僕もエクアドルで組んでいた日本人バンド「ラ・ぼんち」では、主にブルーハーツのコピーをやっていた。
最近、誰かによってブルーハーツトリビュートが仕掛けられているんでしょうかね?最近どっかのデジカメのCMにもリンダリンダが使われてるし。僕が去年の暮れエクアドルから日本に帰った頃に再放送でやってたドラマ『人にやさしく』の挿入歌はまさにブルーハーツの同名曲だったし(主題歌はブルーハーツの『夢』)。

ブルーハーツといえば、サウンドはパンキッシュ(パンク的)だけど、その実歌詞には隠喩暗喩の詩的世界が広がっていて、しかもそのテーマは恋から劣等感、反戦、差別までバラエティ豊か、単なる脳−口間短絡的初期衝動発散型のパンクロックの歌詞とは全く異なるわけで・・・、おっとこんなこと書き出したら止まらない、それこそ退屈なハードディスク上のゴミになっちゃうのでここらでやめます。それではさよおなら、また来週。

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