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日記
(2019年9月)
2019/9/29 (Sun.)

朝の夏井港。志布志湾の対岸には大隅半島

デカいキュウセン、23cm。

退院後3度目の釣り  晴れ@志布志市→串間市  

2日連続の釣り。今日は車で15分ほどの鹿児島県志布志市の夏井漁港で釣る。ちなみに、私の住む宮崎県最南端の串間市は、鹿児島県と隣接しており、すぐに志布志市である。
4:50に起き、夏井漁港に6時過ぎに到着。車を堤防根元に駐車し、包帯の足で階段を上がって堤防を30mほど歩いて釣り座につく。
右堤防にはすでにエギの人が4人釣っていたが、うち2人はしばらくして帰っていったので、より先端に移動して釣り始める。6:45。
ウキ下3〜4mくらい。水深は5mくらい。
沖5〜10mを釣る。全く釣れない。満潮直後なのでいい時間なのだがどうしたことか。
エサ取りがいる。最近の同じパターンで、ウキは時々沈むのだがハリ掛かりしない。
ボラがコマセに集まりだす。奴らは表層を泳ぎ回るので、ウキ下3mでは全然釣れない。ウキ下を1.5mにしてもアタらない。
そんな中、ようやくウキが沈み、合わせると引きが強い。ボラだと思ったが、アイゴだった。引かれまくって上がって来たアイゴを玉網で取り込む。カサゴミャク釣りの子供二人が見ている中、ランディング。
29cm。ボラが集まる中、その下でアイゴが食ったのだ。
その後、潮が引いてくる。堤防手前の敷石が見えてきて、沖には岩礁はなく、砂地であることが分かってくる。
手前の敷石周りでベラが立て続けに釣れるが、チヌ(クロダイ)やメジナは気配がない。
巨大なキュウセンが釣れる。23cm。ベラ祭りか。

10:45までにアイゴ以外はベラしか釣れないので夏井港を諦め、福島港に移動する。
11:30頃から福島港、昨日と同じ船着き岸壁。昨日のクロダイポイントにはすでに人が入っていたので違う場所。昨日の2匹目のドジョウを狙おうと、ヘチ際でウキ釣りとミャク釣りでクロダイ狙い。
しかしどっちもダメ。ウキ釣りで1匹の大きなベラが釣れただけ。引きが強かったのでクロダイかと思ったがベラだった。21cm。

結局今日はベラ三昧。釣果はアイゴ1、ベラ6(キュウセン含む)。
長時間の釣りは足がツラい。ずっと立っていからだ。そして今日はよく晴れて直射日光が強く、9月終わりだが、南九州はまだまだ暑い。もちろん、真夏と比べれば大分過ごしやすくはなっている。串間は、暑さ的にはそれほど東京と変わらない感じだが、夏の間、部屋では冷房をずっとつけていた。
疲れと眠気で13時ごろから20分くらい車のシートで眠る。
結局14:30頃までやってベラ以外釣れず。疲れ。このケガでは終日の釣りは無理だ。
2019/9/28 (Sat.)

クロダイ。23cmだが最高記録

退院後2度目の釣り  曇り時々雨@串間市  

先週に引き続いて足場のいい福島港で釣る。いつもの岸壁ではなく、船着き側の岸壁。
9:45、釣り開始。まずはウキ釣り。
竿1本〜2本先の沖は全く釣れない。時々スッとウキが入るのだが、ハリ掛かりしない。エサ取りだと思うのだが、割とウキにアタリが出る。
もっとヘチ際を釣ることにしたらようやくメッキが上がる。
その後同じくヘチ際でクロダイが2枚(23cm、22cm)。キビレ多いのでキビレかと思ったがクロダイだった。
20cm以上なら満足すべきだろう。
何しろいままで、私が釣った磯の勇者クロダイは、わずか15cmが最高だったのである。とりあえず、クロダイの最高記録更新。
しかし惜しむらくは、さらに一度凄まじい勢いでウキが入ったのだが、ハリ掛かりしなかったこと。
ハリにはウロコが1枚付いていたが、大きなクロダイだった可能性がある。
ま、釣り人は釣り逃した魚をいつも大きいと思うものだが。

ミャク釣りは全くダメ。
13:30納竿。今日は昼から雨予報だったが、午後2時くらいから少し降ったのみで終わった。
釣果は、クロダイ2、メッキ1。
その後、志布志の夏井漁港へ偵察に行く。右の堤防で釣ってたフカセ釣りの人がボラを釣り上げてた。明日はここに来ることにする。
2019/9/21 (Sat.)

コトヒキ。初めて釣った

退院後初釣り  曇り@串間市  

退院して2週間。退院後初釣り。釣りに行って堤防から落ちたのが8月25日だから、約1か月。
さすがに足が使えないので磯には行けない。怪我をした因縁の福島港。怪我をした時に向かった赤堤防ではなく、今までに何度か釣った岸壁に車をつける。堤防なら足場が平らなので何とかなる。それに、車を横付けできるのも大きな魅力だ。足を怪我していてもあまり歩かないで済む。
松葉杖は車において、包帯のまま左足かかとをついて釣り。

朝6時50分から釣り開始。
ウキ釣り、ミャク釣りをしたが、小物のみしか釣れなかった。ウキは時々沈むのだがハリ掛かりしない。小さなエサ取り魚が付け餌をついばんでいるのだろう。
最後の30分はルアーを投げるも不発。12:20納竿。
釣果は、コトヒキ3、シマアジ1、ヒイラギ4、ゴンズイ2。コトヒキは初めて釣った。
さすがに終日釣りをするのはまだ辛いが、足を怪我してても堤防なら何とか釣りができることを確認できた。
2019/9/20 (Fri.)

ナポリタン専門店のビッグタバスコ(千葉県千葉市)

松葉杖生活  曇り@串間市  

退院して2週間。退院翌週の月曜から職場に復帰しているが、安全靴を履けないため、現場には行けない。事務所で事務仕事。

松葉杖の使い方は様になってきた。
だが、やはり段差や階段、そして雨の日は最悪だ。2本の腕を使うので、傘が差せないのだ。
人々は松葉杖の私に優しい言葉をかけてくれる。お年寄りなどは、どうしたんだ?と話しかけてくる。これが日本人のマインドだろうか。

足の腫れは少しずつ引いているが、まだピンが入っているので、太い。右足の甲に比べると、左足の甲は2倍くらいの厚みがありそうなほどである。そして、石のように固まってしまっている。
足の指は曲がらない。しばらく動かさなかったので腱が固まってしまっているためだという。先生には、「タオルを足の指でつかむ練習をしたり、強引に指を曲げたりしてください」と言われている。
2019/9/13 (Fri.)

千葉県内房の海岸線

サンシャイン宮崎

ピンを1本抜く   曇り@串間市

退院して1週間。
ピンが足に7本入っているのだが、そのうちの1本で、ピンが出ている傷口が痛む。痛み止めと抗生物質は毎日飲んでいる。
昨日、あまりに痛いので、化膿しかかっているのだろうと思い、消毒をするために近所のドラッグストアでオキシドールという消毒液を買って傷口に塗ってみた。
しかし、その晩、さらに痛みが増したようになり、今日になっても痛みは激しいまま。
午前中、退院後初の外来。先生は、化膿しかかっている傷口を見て、同僚の先輩医師に相談する。その結果、「このピン、抜いた方がいいので抜きます」と言われる。

いきなり診察室で抜くというのだ。ピンを抜くときは痛くないと言われたが、心の準備ができていない。
注射で麻酔を打たれる。これが痛い。痛いじゃないか。相当痛い。しかも何度も打つので厳しい。足の先というのは皮膚が薄く、注射がすぐに神経に触る感じだ。
そうして局所麻酔をしてから、頭が出ているピンを、ラジオペンチでつかんで、足の中からグリグリと強引に抜いていく。麻酔が効いているので、痛くはない。
私はと言えば、抜いているところを見たくないので、顔を天井に向けて早く終わらないかと耐えるのみ。
だが、なかなか抜けない。結局、先輩の整形外科医師が隣の診察室から応援に駆け付け、最後のところを一気に引き抜いて何とか抜けた。

やれやれ。これで7本のうち1本抜いた。手術前には、ピンを抜くのは6〜8週間後と言われていたので、大分早くなってしまったが、傷口が化膿しかかっているという想定外のためだった。
その他にも、手術後は頭が出ていたピンの先が、手術後どんどんと皮膚の中にうずもれていってしまい、小指側の1本を除いて、5本のピンの頭はほとんど見えなくなってしまった。
先生によれば、これって普通ではないらしい。手術時にピンの頭をもっと出しておけば良かったのでは?と思ったが言わないでおいた。
傷口を塞ぐようにするのは生物としての自然な機能であろう。つまり、傷口を塞ぐように、皮膚がピンを飲みんでしまったのだ。
これを抜くときは、まず皮膚を切り裂かねばならないだろうから、いまから憂鬱である。それにあの麻酔注射の痛みときたら。

ま、これら皮膚の中に埋もれてしまったピンを含め、残り6本を抜くのはまだまだ先なので、精神衛生上、あまり考えないことにしよう。
2019/8/28 (Wed.) 〜 9/6 (Fri.)

久々の病院食。全然悪くない

ベッドの上で食事するとわびしさが募ってくる

左足は枕でかさ上げしている
右足はエコノミー症候群防止のため、締め付けソックスとポンプ
で血流停滞を防止

最近の病室には、テレビも冷蔵庫もあるが、有料

夜の病室

病室の窓から見える風景

入院・手術・退院    

8月28日水曜日。
朝、荷物を準備し病院へ。着替え、洗面用具、コップ、スプーンなど指示された品物をかばんに入れる。
10時過ぎに入院手続きをして、車いすに乗せられて2階の病室に入る。
入院するのは、高校2年生時に網膜剥離の手術以来、34年ぶり。
4人部屋で、老男性が一人。私は窓に面したベッドをあてがわれる。
後で分かったことだが、このオヤジさんは口が痛くてものが食べられない症状だという。もう80くらいだろうか。耳は遠いが口は達者で元気そうだ。

始め看護婦さんに過去の既往歴やアレルギーなどについて延々と質問をされる。彼女はその情報をパソコンにインプットしている。いまや病院もパソコン管理か。
その後は放置プレイ。何をするとも言われず、ただボーっと過ごす。
昼飯。34年ぶりの入院食。悪くない。特にマズくない。というか私はあまり食事をマズいと思うことがない。量は少ないが、栄養バランスは当然優れているだろうし、全く文句はない。
松葉杖を突いて食事スペースまで歩いて行けるが、それも大変だろうというのでベッドの上で食事を摂る。いよいよ入院したのだというわびしさが実感されてくる。

午後、主治医から明日の手術の説明を受ける。
思ったよりも大事な感じだ。折れている4本の骨に沿って、ピンを7本入れるとのこと。術後6週間〜8週間経ったらこのピンを抜くそうだ。麻酔は下半身麻酔。ピンを入れるということは、足を切り開くのだろうが、想像しただけで戦慄が走る。「ピンを抜くときは痛くないのか?」と質問したら、「それは痛くないですよ」とさらりとした回答。簡単に言うけど、どうやって抜くのかも分からない。敢えて聞かなかった。どうせ抜かなければならないわけだし、いろんな心配をするのが嫌なのだ。

本来なら親族が同席して手術の説明を受け、麻酔におけるリスクを含めて同意しなければならないのだが、私の家族は千葉にいるので当然来れない。「来れません。私自身の判断で構いません」と言うと、医師は、「それじゃあ電話しておきますね」ということだった。私からもすでに母親には連絡してあるので問題ない。

18時夕食。手術したらしばらく風呂に入れなくなると予想して、18時半ごろにタオルなどを抱えてノコノコとナースステーションで看護婦さんに「風呂入りたいんだけど」と言うと、「風呂の時間は決まっている」と返される。そうだ、ここは銭湯じゃなかった。みんな指定された時間に入浴するのだ。しかも後で分かったことだが、週に2回くらいらしい。ま、普段寝たきりの人なんかは風呂に入る回数も少なくていいのだろう。しかも看護師さんの介助付きでとなれば、毎日毎日入院患者全員が入浴するのは現実的ではない。
というわけで入浴できず。ま、別に風呂好きでもなし、問題ない。夏にキャンプ生活などでは4、5日風呂に入らなくても平気な私である。

21時消灯。21時以降は明日午後の手術まで絶食。足を骨折しているだけで食欲は普通なので、手術前には相当腹が減りそうだ。

8月29日木曜日。
いよいよ手術当日。絶食のため朝食なし。
朝、風呂に入れることになった。包帯を取り、患部を手で入念に洗う。
その後、朝食、昼食の代わりなのか、10時頃、点滴開始。
13:55、車いすでオペ室へ。今日は1件小さなオペが入っていて、その後。この病院では、整形外科の二人の医師は、午前中外来診療、そして午後から手術、という日程になっているようだ。
14時、手術着にパンツ一丁となる。狭い手術台に横たわり、男性、女性の看護師に囲まれ、手術着をハサミで切られ、心電図の電極を胸に貼られ、血圧計を腕に巻かれる。
その後横向きでエビのように丸まった態勢を取らされ、背中から麻酔の注射を打たれる。主治医の先生が背骨に沿って手を這わせ、針を刺すところを入念に探す。麻酔の位置がずれると、脊髄かなんかに針が入ってしまい、重大な事故につながると、昨日の説明で言われていた。
「さん、に、いちで針を刺しますね」と言われ、「ハリ刺すときにちょっと痛いですけど動かないで力を抜いていてくださいね」と指示される。その通りにリラックスして針を受け入れる。それほど痛くはなかった。

点滴 
そして、また仰向けとなり、いきなりパンツを脱がされ、チンチンに尿管を突っ込まれる。これがか〜な〜り〜痛かった。私のチンチンに管を突っ込んだのは、女性の看護師。多分、30代だと思う。若くはないがおばさんではない。これぞ、まな板の上の鯉。もう何も抵抗は出来ないのだ。陰部を女性に見られようが何しようが私に拒否権はない。それにしてもその手順は淡々と進む。看護師さんも、まるでただのルーティンのように、何の感慨も漏らさずに作業を進めるのみ。
だがよく考えてみると、チンチンに管を入れる係は、男性じゃなく女性であるべき気がしてくる。男性がやるだろうか?いや、やってもいいのだが、男性患者の心理に立ってみれば、「男性か女性か、どちらかを選べ」と言われたら、大多数が女性を選ぶのではないだろうか。どちらにしろ恥ずかしいが、女性の方がまだマシのような気がする。

だんだん麻酔が効いてくる。足先から感覚がなくなってくる。先生に麻酔の聞き具合を聞かれる。感覚がなくなってきたと答える。しびれたような感じだ。
下半身のみの麻酔で、頭が冴えているとあまり気持ちのいいものではないからだろう、点滴から眠くなる薬を入れますね、と言われて、それが効いてくると本当に眠くなり、ウトウトし始める。そして手術開始。
手術中、眠ったり目が覚めたりしていた。恐るべきことは、目が覚めていると、恐ろしいことにわずかに左足が触られている感覚が、遠くに残っているのである。切られたりしているはずなのだが、痛くはない。しかし、何かが足の上を触っている感覚が動いている。相当切られているらしいことは分かる。左足の指の方から甲の方まで何かが直線的に動いている感覚がある。幽体離脱のように頭ははっきりしているのだが、感覚が非常に遠い。
そんなことで、時折眠りに落ち、時折目が覚め、目が覚めている間は手術されているのが分かる。声も何となく聞こえてくるが、何を話しているかまでは分からない。ということはやはり半眠りのような状態なのだろう。だが、2人の医師が談笑している感じである。楽しいことなんてないだろ?

そうして何度目かの眠りに落ち、ウトウトして次に目が覚めたら手術が終わったところだったようだ。ベッドに横たわったまま手術室から運び出され、ナースステーションに近い別の病室に入れられる。その部屋には、私含めて3人が入っていて、手術後の患者や、手のかかる患者が入っているようだ。隣はおばさんで、骨折の手術後のようだ。斜め向かいには、男性の老人。あまり話せないようで、看護師さんが問いかけても声は出てこない。彼の痰を看護師さんが定期的に吸引している。

何時間手術していたのかは分からない。窓がない病室なので、時間の感覚が得られない。麻酔はまだまだ効いていて、下半身の感覚は乏しい。
看護師さんが私の荷物をベッド横に持ってきてくれ、時計を見て時間が分かった、やがて夕方になった。手術は2時ごろ始まったはずなので、手術時間は1時間とかせいぜい2時間ほどだったようだ。
腹が減る。夜になる。夕食は食べていいということなので、午後8時、夕食を摂る。昨日午後6時の夕食から26時間何も食べてない。これだけ絶食したのはいつ以来だったか、到底思い出せない。

午後9時頃、麻酔が切れ始める。それとともに患部の凄まじい痛みが表に出始める。オペ前とは比べ物にならない激痛が浮かび上がってくる。
その夜は地獄だった。あまりの痛みに、その夜を通して、看護師さんに座薬を2度ケツに突っ込んでもらい、点滴へ痛み止めを1度入れてもらった。

夜中、斜め向かいのおじいさんが吠え始める。いままで全く死んだように物音を立てずに横たわっていた彼は、突然元気になり、狼の遠吠えのように叫び始めたのだ。
「おーい」
「おーい」
「あうおーー」
「○×◇△・・・」
叫び声以外は何を言っているのか全く聞き取れない。いや、言葉じゃないのかもしれない。なにか心の叫びが言葉のように聞こえるだけなのかもしれない。
始め寝言なのかと思ったが、叫び声はずっと続く。そしてその叫び声は切ない。昔の何らかの記憶を呼び起こしているのだろうか。
叫び声が聞こえると看護婦さんが慌ててやって来て、「どうしたの、○○さん。大丈夫だからねー」となだめる。「他の人もいるからねー。静かにしてねー。寝なきゃだめだよ、夜なんだから」
だが、おじいさんの切ない叫びは止まらない。
彼は目が覚めているのだろうか?看護婦さんの会話からすると、夢の中で叫んでいるのではないようだ。目を見開いて叫んでいるのだろうか?
彼は起き上がって叫んでいるのか?痛みに耐えながら遠くからその声が聞こえてくる。彼はいま、南方の最前線で、雨季の豪雨の中、ジャングルの中を行軍しているのかもしれない。白骨化した戦友たちの遺骸の脇を朦朧と歩きながら、死んでいった戦友たちの声が彼の口に乗り移り、魂の叫びをさせているのだろうか。それとも、彼自身が死んだ戦友たちを呼んでいるのだろうか。75年後の病院の夜、凄惨な現場が呼び起こされているような叫び。

彼の様子を見たかったが、私は私で痛みに悶絶して、頻繁に寝返りを打ちながら唸っている状態である。
痛みと闘い、時間は一向に流れない。これほど夜が長いと感じたことは過去にあっただろうか?痛みに唸りながら時計を見ると、さっきから10分しか進んでいない。

老人の叫び声は、夜通しずっと続いた。叫び声と痛みにうなされながら、ほとんど眠れずに朝日が射してきた。朝が来たのだ。

8月30日金曜日。
やっと朝になるが状況は変わらない。夜通し右足に巻いていた「エコノミークラス症候群防止ポンプ」(腕に巻く血圧計のような感じで、圧迫と弛緩を繰り返す器具で、血流が滞るのを防止する)を外すと、左足の痛みが悪化したようにさらに痛くなる。
朝、看護婦さんが身体を濡れタオルで拭いてくれる。普通ならうれしいはずだが、痛みが激しくそういうことを気にする余裕がない。

腹は減っていたが、ベッドの上で大便をして看護婦さんに世話されるのが嫌なので、朝食は食べなかった。だが、10時ごろにチンチンに差さっていた管を取って良しとの先生の指示が出た。
外してくれるのは若い看護婦さん。20代か?これは恥ずかしいが私に選択権はない。仰向けに寝た状態でパンツを下ろす。私の分身が露わになる。看護婦さんは私のチンチンに差さった管を掴み、冷静に私に指示する。
「深呼吸をしてください」
深呼吸をしている間に看護婦さんはさっと管を抜いた。管を抜く瞬間、また激しい痛みが走る。ヤバい痛み。これ、寝ている間にやってくれないかな?
しかしこれで何はともあれ、ベッドを離れられるようになった。自由を得たのだ。
こう考えると、チンチンに管を差しているか否かは、患者の自由度を大きく左右する。いや、つまりは病状の重軽を測ると言ってもいい。尿管を差している患者は、動けないほど重い病気なのだ。
自分でトイレに行けるということが、いかに幸せなことなのか。こういう状況になってみないと実感できない。

気づくと、おむつを履いていた。つまり、小便は管をつけているので自動的にベッド下の尿瓶に注ぎ込むのだが、大便はそうはいかない。ベッドの上で大便できるようにとおむつを履かされていたのだ。そう言えば入院時にその説明されたな。

点滴は手術前からずっとしている。だが、点滴はローラーがついているので、これを引きずってベッドを離れて動き回れるのだ。
元の病室にベッドごと戻る。痛みは相変わらず酷い。

10時過ぎ、遅い朝食。痛みは激しいが、食欲は十分すぎるほどある。
午前中は痛みとの戦い。昼食は朝食が遅かったので13:30頃。午後は痛み止めが効いたか、痛みはやや落ち着いた。

午後遅く、先生が看護婦さんとともに病室にやって来た。痛みが酷いことを告げる。
一度包帯を外し、ピンの皮膚から突き出ているところを消毒してくれる。その部分は当然傷となっている。足はえらく腫れ上がっている。そら当たり前だ、切って貼ってピンを打ち込んでんだから手術前よりも痛いし、腫れもひどい。
自分の足には見えない。7本のピンの先が皮膚から飛び出ている。なんだ、コレは?

先生には、来週月曜日に退院したい、と言っておいたのだが、私の痛がりようを見て、「月曜退院はやめとけば?」と笑いながら言われる。確かにあと3日で痛みと腫れが引くとは思えなくなってくる。
看護婦さん3人で再度包帯を巻かれる。彼らは去っていった。

午後、考えてみる。戦場での骨継ぎを考えれば、こうやって病院で空調の効いた部屋、無菌処理された手術室で手術してくれるんだから幸せなのだ。戦場だったら、ロクな麻酔もなく手術されるんだろう。しかも野外の埃っぽい場所で。痛みに絶叫する負傷兵。

午後4時頃、理学療法士の先生がインターンの専門学校生を連れてくる。松葉杖の正しい調整や正しい突き方を教わる。松葉杖はわきの下ではなく、腕で体重を支えるということを教えてもらう。

夕食は午後7時。これまた正規の時間よりも遅くしてもらう。
足はまだ痛いが、午前中の痛みよりは和らいでいる。タバコを吸いに杖を突いてエレベータで1階に降りる。病院内及び敷地内はすべて禁煙なので、敷地の外、道路に出て吸わなければならない。松葉杖で駐車場を横切り、外の道路まで歩く。松葉杖を正しい全長と腕までの長さに調整してくれたので、大分歩きやすくなった気がする。
昨日のオペ日はさすがに1本もタバコを吸っていないので、2日ぶりのタバコ。今日もこの1本だけ。
久しぶりのタバコだが、それほどうまくない。

消灯の9時になる。午後10時に抗生物質の点滴。
手術翌日。今晩も痛みと戦う覚悟をしていたが、昨日からあまり寝ていないからか、何度も目は覚めたものの、割と眠れた。

8月31日土曜日。
朝、足の痛みが大きく引いている。これはどうしたことだろうか?手術から1日半経って、腫れが収まってきたのだろうか?
身体が必死で回復しようとしているのだ。これなら何とかなる。
7:30朝食。朝、一本抗生物質の点滴。今日は14時にもう一本やったら晴れて点滴は終わりだという。やっと腕の針を抜ける。都合2日半ほどずっと点滴していたことになる。ずっと入院している人で、ずっと点滴を脇にゴロゴロさせて歩いている人がいるけれど、ずっと点滴の針を腕に刺しておくというのもやるせない。

今日は痛みが和らいだおかげで穏やかな1日となった。
夜、持ってきたPCでネットショッピング。というのも、今日でANAのマイルポイントが失効してしまうので、今日中に何か買い物をしなければならなかったのだ。トランクスを2着買い、無事にマイルポイントを消化。
今日は実はネットカフェか何か、ネットがつながるところに外出したかったのだが、外出するためには事前に先生の許可が必要であり、先生は土日は休みとのことで、許可を取れなかった。まあそもそも、この足では外出は辛い。手術前は左足のかかとをついて痛みもなく歩けていたのだが、今のこの痛みではかかとをつけるのもままならない。かかとをつけただけで手術した患部が痛むのだ。この有様では職場復帰は一体いつになることか。
タバコは食後に吸っている。ずっとベッドの上にいるのは良くない。外に出るのは気晴らしにもなるし運動にもなる。

足を怪我したということは、歩けないということであり、運動量が極端に落ちてしまう。上半身は自由に動かせるので、物を書いたり食べたり顔を洗ったりするのに苦労はないが、歩けないことが最大の不利である。
一方、もし腕を骨折した場合はどうだったか。歩くのに支障はない代わりに、手を使う動作全般がツラくなる。
足を骨折するのと手を骨折するの、どっちがマシか?なかなかどちらとは言い切れない。私は現場で身体を動かす仕事が多いのだが、足でも手でも現場では働けないから、仕事をする上ではどっちでもダメなので同じか。
まあとにかく、私は堤防から落ちて、足を骨折した。一歩間違えば手から落ちて手を骨折していたかもしれない。事後にあれこれ考えても仕方がない。

9月1日日曜日。
朝、痛みは平行線。朝と午後、例のポンプをやる。足を動かしてないと、どうしても血流が悪くなるらしく、足の骨折で手術後しばらくして血栓ができて亡くなった人もいるという。だからこの病院ではエコノミークラス症候群の防止には相当の注意を払っているらしい。
ポンプを終了したあと、痛みが出てくる。右足にやっているのになぜ左足の痛みに関係があるのか、血流が悪くなると痛みが出るのだろうか。
午前中、PCを開いてネットサーフィン。やっと今日、WiMAXを契約した。これでやっとネットワークが手に入る。いままでは会社のスマホでテザリングをやっていた(本当は私用禁止)のだが、あと数日でWiMAXの端末が来る予定。退院する頃にはネット生活を取り戻せる。やはり私はネットの奴隷か。

9月2日月曜日。
朝、4日ぶりの風呂に入る。包帯はそのままで、ビニールに包んでシャワーを浴びる。
午後、、先生の検診。腫れは日に日に引いている。痛みも収まって来ている。
午後1時〜3時の間、外出許可をもらって外出する。一度家に帰る。会社のPCを開いて少し仕事をする。
部屋の中で松葉杖なしで歩くのはまだ痛い。
病院に戻り、4時から初のリハビリ。と言っても、理学療法士の先生に両足の曲げ伸ばしを補助されながら行うくらいの運動。
夜、ちょっと痛い。

9月3日火曜日。
左足はかかとをついてもあまり痛くなくなってきている。日々回復が感じられるのはいいことだ。精神的な安定感が違う。
順調に行けばもうすぐ一人で生活できそうだ。退院も近い。
午前中リハビリ。筋肉のリラクゼーション。マッサージみたいなもみほぐしを受ける。それに両足の曲げ伸ばし運動。さらに平行棒での歩行練習を少し。
私は足の骨折のためいまだにベッド上で食事を摂る。動けて割と元気な入院患者さんたちは休憩室のような場所で食事を摂るのだが、その横に小さな畳の部屋があり、そこに漫画が棚に置かれている。ゴルゴ13があったので病室に持っていって読む。

9月4日水曜日。
足をついて歩いてもあまり痛みを感じなくなってきた。もう松葉杖なしでもなんとかなりそうだ。
午後、検診に来た先生と話し、明後日の6日金曜日に退院することを決める。明日でもいいと言われたが、どっちにしろもう今週は会社に出る気はないので、少しでも安静にして回復させてから仕事を再開した方が得策だと考えたのだ。
病院にいれば3度の飯も出てくるし。

9月5日木曜日。
朝、月曜以来3日ぶりの風呂。今回は包帯を外して患部を洗えとの指示で、ピンの突き出た自分の足とは思えないほど硬直して固まっている足を、石鹸で丹念に洗う。手術の際の傷口の痛みはそれほどでもない。
術後、今日で6日目。風呂上り、患部が熱を持ってやや痛い。
1階に降りてレントゲンを撮る。
午後外出。鹿屋のキャスティングまで車を走らせ、修理の完了した磯竿を受け取る。1か月かかると言われていたが、結構早く直った。
車の運転は、オートマ車なので左足で操作するのはサイドブレーキだけであり、サイドブレーキを踏むのは当然ながら結構痛い。通常は折れた部分(足裏の一番幅広の辺り)で踏むが、そこが折れているのでサイドブレーキをかかとで踏むのだが、折れた場所にも力が入ってしまうため、痛い。
だが、マニュアル車だったら運転できてないので、良しとせねばならない。

9月6日金曜日。
10日間に及んだ入院生活も今日で終わり。
午前10時、荷物をまとめて松葉杖を突きながらナースステーションに寄り、退院の挨拶。看護師さんたちには本当に世話になった。パンツを脱がされてチンチンに管を入れられたり、ケツに座薬を突っ込まれたりと、獅子奮迅の活躍をしていただいて、ただただ感謝しかない。
車に乗って家に帰る。
金曜日の朝、シーンとした部屋に戻ると、護られていた病院から外の荒れた大海に漕ぎ出した心持がしてくる。大げさか。
人間、一旦弱くなると、外の世界が猛獣にあふれた弱肉強食の荒野に感じられてくる。松葉杖では、段差一つ越えるのにも、ドア一つ開けるのにも、大変な苦労をするのだ。いままで健康に暮らしていた時には全く想像もできない世界の変わりよう。
やはり、人間一度弱らないと、他者に優しくなれない。弱者の痛みが分からないのだ。
少し仕事をしたが、やがて疲れてきて、ベッドに横になってほぼ1日過ごした。
土日休んだら、来週月曜から仕事復帰だ。先週水曜日から今週いっぱい、都合稼働8日間連続で休んだことになる。しばらくは安全靴を履けないので現場には出れないが、デスクワークをやるしかない。

10日間の入院生活。いろいろ考えることもあったので徒然なるままに振り返っていこう。
<看護師さん・病院で働く人々>
当たり前だけど、看護師の仕事は過酷である。仕事が人間の生き死にに直結する。責任が重すぎる。点滴を間違えただけで簡単に人は死んでしまう。
重病人や重傷人を直視しなければならない。悲惨さにある人々から目を背けずに対峙する。それが看護師である。
ベッドから動けない人は、ベッド上で大小便をする。小便は前述の通り管を入れればあとは自動で出ていくのだが、大便はおむつである。ここで人生経験豊富な女性看護師はなくてはならない存在だ。自分の子供たちのおむつを変えていたからお手のものであろう。赤ちゃんが大人になっただけである。
人間というものは、生まれたあとと死ぬ前におむつをはくのだ。

看護師には筋力が欠かせない。介護師も同じだが、寝たきりの人を抱え起こしたり、車いすに乗せたりするのには相当の力が必要である。看護師とは、命を守る力仕事なのである。
この病院では、様々な年齢、タイプの看護婦さんがいる。どんな力仕事でもこなせそうな相撲レスラータイプの人もいれば、今どきの若い華奢な人もいる。

看護師にも専門性によっていくつか種類があるようで、点滴、採血など治療に近いことをするより医師に近い人から、入浴補助をしたり、食事を運んだりするお手伝いさん的な役割の人まで様々。
また、栄養士の先生、リハビリの先生(理学療法士・作業療法士)、薬剤師なども連携して私の病室にやってくる。
栄養士の先生は、「食事に問題ないか」や「リクエストあるか」などをインタビューに来た。
病院は、様々な専門性を持つプロフェッショナルな人々で成り立っている。

理学療法士や作業療法士がリハビリを担当する。病院にはリハビリ室があって、入院患者のみならず、外来患者さんたちもリハビリにやってくる。
患者が男性なら、リハビリの先生も男性、女性なら女性、というのが一般的なようだ。患者の年齢も決定基準となっているかもしれない。
チンチンから管を抜くのは女性だが、マッサージするのは男性である。確かに、どこかの俳優のように、男が女性にマッサージされていると変な気を起こすかもしれない。
看護婦さんの役割もそうだが、男女平等の世の中と言っても、分野によっては男女の明確な役割分担が存在する。工事現場に女性が少ないのと同じことであろう。

<患者さんたち>
20人くらいいると思われる入院患者には、ほとんど若者はいない。子供もいない。ほとんどがお年寄りである。50歳の私が明らかに最年少である。70歳以上とみられるお年寄りが多い。
この病院で研修中の理学療法士の卵の若者に言われた。
「吉田さん、この中では珍しいですよね。」
「そうかね?」
「この仕事(患者さんのリハビリを担当する)では、患者さんとのコミュニケーションを取ることが大事なんですけど、お年寄りとどんな話題で会話すればいいか、難しいんですよ」
そりゃそうだ、彼は21歳だそうである。おじいちゃん、おばあちゃんたちと毎日会話しなければならないのだ。

私の住んでいる街では、若者は高校を卒業したら街を出ていく。大学、仕事、いずれにおいてもこの小さな街には選択肢が少ないのだろう。

入院患者の部屋割りは、男性部屋と女性部屋で分かれている。

<その他>
上記でも言及したが、患者としての一つの分水嶺は、自力でトイレに行けるかどうか。
これは、「健康年齢」の基準かもしれない。
死ぬまで自分でトイレに行きたいものである。
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