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(1)エクアドル社会について思うこと(2004年6月記)
比較論・相対論で言えば、日本は非常に良い国です。それはこの国に来れば分かる。ただ、日本が先進国としての弊害を露呈してきていることは間違いない。(または、都市生活者の精神問題か?)
この国では、それ以前の問題。「途上国でも心が豊かならそっちの方がいい」って思うかもしれないけど、今のところ俺の知る限りではここの人間はダメ。社会のシステムもダメ。
汚職天国。権力を持つ者は、自分の友達や親族に重要ポストを与える。そのポストに対する知識が何もなくてもだ。(うちの学校の姉妹校も、校長がそんな奴で、たまたま今の大統領の知り合いだからってんで校長の職を得た奴。技術の技の字も分かってないような人間。まぁ日本で言うと官僚の天下りに近いか。ちなみに、俺の働く学校は、形は「国立」。)それゆえ、大統領が変わると、要職の人間達も総入れ替わりで、次はそいつらが世の春を謳歌するだけ。これじゃ国が変わろうはずもない。
警官は、駐車違反を見つけると「見逃してやるから、俺に金をよこせ」と言って私腹を肥やす。
税関の官吏は、平気で人の郵便物の中から金目のものを自分のポケットに入れる。(俺も船便で送った荷物の中からカメラと電卓その他もろもろを盗まれた。日記参照。)
これを考えると、郵便物がちゃんと届く日本は、何ていい国だろうと思った。
俺の同僚のシルビアによれば、「人のモノをすぐに盗むのは、中南米の悪しき文化だ」とのこと。その背景が貧しさから来てるのか、中世のスペイン人のような強欲さ(民族性)から来てるのかは分からない。
ここに来て半年、すでに俺の同期の仲間の5人が強盗・窃盗・スリの被害にあってる(俺含めて)。もちろん日本人として気をつけなくちゃいけないんだけど、「この国の人間は貧しいけど、心は豊かだ」なんて口が裂けても言えない。
俺の勤める職業訓練校では、校長は学校を良くしようということを全く考えていない。なぜかこっちでは職員の組合みたいな方が校長たち管理職より力がある。組合が文句を言うと、校長たちは言うなりになってる。彼らは、組合と何かもめると自分のクビが危うくなるそうで、自分の地位を確保するために波風立てないように過ごしてるだけ。自分で何かしようという意思が感じられない。
「お前ら、この学校を良くしようって気があんのか?」って言いたくなるよ。今後は彼らと衝突することも多分にありそうだ。
先生方を管理する学年主任みたいな人間がいなく、先生方は各学科でてんでんバラバラ。生徒をほったらかしにして授業中に自分の仕事をしている。(例えば自動車科であれば、ある先生は、授業をせずに生徒をほったらかしにして、知人に依頼された車の修理をしている)。電気科はそういうことはないけど。「学校」というものに対する俺の常識が、完全にここで覆されたね。
この国では、「残業」の概念はない。余分に働いても給料は同じだからなのかもしれないが、とにかく仕事が残ってようがなんだろうが、終業時間きっちりに帰る。
日本の良いところは、市民が政治や社会悪を一応は糾弾できるようになっていること。テレ朝、朝日新聞みたいな左翼メディアもあるしね。ここでは市民は弱すぎて、何も出来ない。しょっちゅうデモはあるんだけど、政治上層部は痛くもかゆくもないような感じ。「オンブズマン」みたいなシステムなんて夢のよう。絶対に政府がそんな組織を承認しない。俺の会ったエクアドル人で、政府の文句を言ってる人はたくさんいるんだけど、それは負け犬の遠吠えにしかならない。
「じゃぁ何でそんな奴を選挙で選んだんだよ?」って聞くと、
「みんな騙されてた」って言うんだよね。公約はたくさん言うらしいけど、全くそれが実行に移されないわけ。まぁ結局誰が大統領になっても、この国じゃ汚職はなくならないって気がするね。今まで権力側の人間が甘い汁を吸い続けてきた歴史は、なかなか変えられないよ。
以上は、日本で育まれた「日本人としての常識」の視点に立った上での判断である。つまり、自分の常識が覆されると過剰反応を起こす、っていう面もある。だが、俺は少なくとも日本では毎日普通に生活できてた。そりゃあ政治問題、社会問題で絶望的な事件は多いけど、俺個人レベルで言えば、別に日本に住んでて「この国は本当にダメだ」と思うことはほあまりなかった。
ここエクアドルでは、個人レベルで毎日のようにしょーもないことに突き当たり、「この国は本当にどーしよーもないな」と思うのである。
(追記)
確かに、今後はもっと大きな視野で日本を考えなくちゃいけない。このまま行ったら日本も危ない。俺たち30代が変えねば(笑)。まずは俺が暴力教師として中学校に着任するか。エクアドルでもそうだけど、日本の将来にとって一番の大きな問題は教育。子供達の中に、日本人最大の長所である道徳心が消失しかかっている。勤勉さ、礼儀正しさ、謙虚さ。そして、親の教育、学校の教育、すべてにおいて「厳しさ」がなくなり、子供達が増長するばかりの現状。自由主義、ゆとり教育、とかバカなことばかり言って、誰も「我慢すること」を教えてない。時田みたいな先生がいなくなった今、日本の将来も決して明るくないね。
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Zakkan
協力隊の仕事
協力隊の仕事は、日本の技術を途上国に移転することが求められる。その上で隊員が必ずぶつかるのが、「日本と任国との文化の違い」である。仕事をする上で常に念頭に置かなくてはならないのが、「日本とエクアドルの文化の違い」である。
日本式の技術を導入するのに、日本式のやり方は必要ないと思われる方がいるかもしれない。だが、技術と言うのは往々にしてその国の文化を反映していて、各国の文化に合わせたやり方でやろうとすると無理が生じることがある。
例えば、
(1)
よく、「『経験』は一面的なものに過ぎない」と言われる。いくら色々なことを経験したとしても、それらはその時の一時的なものに過ぎず、それによりある現象のすべてを理解したことには到底ならない、と言うことである。例えば、ある国に何年住んだとしても、その国のことが分かることは本当の意味ではありえないのである。そこで経験したことは、いくつも可能性がある中の一つであるにもかかわらず、その「経験」をもってそれが唯一の可能性であるかのように、すべてを理解したような気になってしまうことは誤りだというわけである。
ここエクアドルに来て、その感を強くしている。エクアドルでは、ある一つの同じことをするのにも、途中に介在するエクアドル人によって、それこそ何通りもの違った結果になってしまうのである。つまり、相手のエクアドル人が別人なら、違う結果になってしまう、ということである。これは、先進国と呼ばれる国ではあまり起こらない。これは逆に言えばエクアドルの面白いところでもある。
例えば、
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