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つり掘
2001年8月
(1)
先日、出張でタクシーに乗りました。車窓からぼんやり外を眺めていると、ある看板が目に飛び込んできました。
つり掘
鯉 マス うなぎ
これは一体・・・・?
「うなぎ」のつり掘?
うなぎは釣れたら食える?
釣りの料金は同じなの?
釣れてもぬるぬるで針からはずせないのでは?
・・・・。
(2)
にじます等川魚を提供しているつり掘では、
「釣った魚をその場で焼いて食べられます」
というサービスを売りにしているところも多い。
私も数年前、その手のつり掘に行ったことがあるが、そこで考えることがあった。
そのつり掘は、釣り場に隣接した炊事場で、客本人が釣った魚をさばき、串に刺してたき火にあぶって焼き、焼き上がりをそのままかぶりつける、という野趣あふれるサービスを行っていた。
私たちも、釣った8匹ほどのにじますを、バケツに入れて炊事場に持っていき、調理にかかった時だ。普段は感じない感情が浮かんできた。
にじますは、釣られてしばらくバケツに入れられていたため弱ってはいるが、まだ生きている。魚をさばく際、まずはその腹を包丁でかっさばき、はらわた(内臓)を取り除くのだが、実際に生きた魚を押さえつけ、包丁で殺すことに、かなりの抵抗を感じたのだ。こんな事を言うと、酪農家や漁師の方達からは笑われるかもしれないが、それは、私が感じた偽らざる気持ちである。
考えてみれば、日常生活の中で、生き物を殺すことはあまりない。あるとしたら、虫とか蚊とかゴキブリとかであろう。ある大きさ以上の動物を殺すことは、普通のサラリーマンならば、ほとんどないことである。
人間は、生きていくために、様々な動物を殺し、食糧にしている。牛、豚、魚介類、鶏、羊・・・。しかし、大部分の人々は、それら動物を殺す場面に立ち会うことはない。スーパーで買うときには、もう魚や動物は死んだ状態なのだ。自分でそれらの生肉を調理するなら、まだその前段階としての動物の死を考えることもあろうが、普段料理をしない人は、レストランでそんなことを考える間もなく、調理され出てきた「殺された動物達」を食していることになる。
例えば「生卵」なんかも、よく考えれば「すごい物を食べている」と感じたことのある人も多いはずだ。
人間が生きていく上で必須な、この「動物の死」を時々考えてみることも、「人間が生きていく」ということがどういう事なのかを考える上で必要であろう。
もう一つ考えたことは、ある大きさ以上の動物は殺しにくいが、なぜ虫なら簡単に殺せるのか、ということだ。虫は小さくて殺すのが簡単だから?動物は殺すと血が出てくるし、何となく構造が人間に近いし、人間を殺すことを連想させるから?蚊やゴキブリは、人間に害を及ぼす害虫だから?(さらに、虫は虫でも色々あって、例えば毛虫は気持ち悪いから何の慈悲も感じずに踏み潰せるが、蝶はそう簡単には殺せない。蝶は捕まえるのが難しくて毛虫より断然殺しにくい、ということもあるが。)
虫の命は軽くて、動物の命は結構重くて、人間の命が一番重い、などと考える人がいるかもしれない。果たしてそうか。そうでないといえば、「それは建前だ」と反論されるであろう。そう、すべては人間中心の考え方なのだ。
人間が生き延びていくために、動物を殺すし、虫も殺す。もちろんこんな考え方に反対する人は、ある人はベジタリアンとなり植物のみを食し、ある人は「すべての殺生を禁じる」仏教に賛同し、出家し、精進料理を食べる。(「植物は生き物じゃないのか?」という問いかけも当然あるし、「食糧として動物を殺すのは人間が生き延びるために必要だとしても、じゃあ毛皮とか靴とかカバンのために動物を殺す必要はないでしょう、人間の生死には関係ないのだから。」という動物愛護団体的な考えもある。ただし、極寒の地域に住む人々は、凍死しないために動物の毛皮を着ているのかもしれないが。)
生きていくために人間を殺す必要はないはずなのだが、大昔から現在に至るまで、世界中で人間同士が民族や宗教やイデオロギーの違いがもとで殺し合っているのは、皮肉なことである。
P.S.
最近、中学生が小学生を殺すとか、少年による凶悪犯罪が増えている。最近の若者が、平気で人を傷つけることができるのはなぜだろう。
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