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おおらかさ、寛容さという美徳
2017年8月


エクアドル人と日本人の比較。
エクアドルは、最近流行の言葉で言えば「スロー」である。
エクアドル人は、些細なことをあまり気にしないし、目くじらを立てることもない。平均的には。
仕事もほどほど、とにかく人生を楽しもうや。という人が多かった。少なくとも私の周りにいた人間では。
大らかなのだ。

日本人はどうか。

朝、改札の外で言い争う男女。
混雑した電車の中で、肩がぶつかったとかで怒り出す男。

私自身も、2年間のエクアドル生活から日本に帰って来て、少しは大らかになったかなぁ、と思っていたが、人混みを歩いていて、目の前をぶつかりそうになりながら横切った自転車に対して、思わず腹が立った。人が多いんだから仕方ないし、マナーの悪い人間もいるんだから、大目に見とけばいいのだ。だが、腹が立つ。

ラジオを聴いていた。「やめてほしいと思うこと」というテーマで投稿を募っていたのだが、その中で、「コンビニのイートインで、店で買ったご飯に店で買った納豆をかけて食べ始めるおじさん。あの匂いは大迷惑」という。もちろん、笑いを取るための投稿だろうが、そんなことで「大迷惑」って感じますか?納豆だろうがカレーだろうが、別に認められている権利なんだからいいじゃん、と思う。「くさや」ならまだしも。

現代の日本人は、ほんとに些細なことに目くじらを立て、腹を立てるようになった。
「そんなのどーでもいーじゃん。」
と流せる範囲がどんどん狭くなっているように感じる。
もちろん、人の性格や考え方、いやひょっとすると育ってきた環境によって、この「範囲」は人それぞれなのであるが、アベレージが狭くなっているような気がするのだ。

なぜ日本人はそうなってしまったのか。
個人主義のさらなる尖鋭化と言えるのかもしれないが、やはり私が思うに、都会では人が多過ぎて、人との距離をある程度保ちたいという意志が、ささいなことに過剰反応する原因ではなかろうか。
広々とした田舎では、いまでもスローな、大らかな時間が流れている。だが、都会では常時至近距離に人がいて、衆人監視感が半端なく、心が休まる暇がない。そんな環境では、人の心は疲弊し、すさみ、ぎすぎすしてくるだろう。要するに、四六時中精神的プレッシャー受けているようなもので、心に余裕がないから、些細なことに苛立ってしまうのだと思う。
こうなると一種の精神病である。しかしそれが環境が起因しているとなると、そうでない環境に移るしか手はなくなる。

いや、ひょっとすると、ただ単に、「カルシウムが足りない」だけなのかもしれない。

いまこそ、もっと「大らかさ」、「寛容さ」を見直すべきである。
エクアドル人たちを見習おうじゃないか。
もっと心にゆとりを、世界に花束を!



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