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世界の中の日本人
2003年1月

最近、現東京都知事である石原慎太郎氏の著書を読んだ。さすがに「日本は、北朝鮮と堂々と戦争をしてもいい。」と過激発言をする人である。(その発言はともかく)いちいち言うことが理にかなっていて、共感できる内容が多かった。
この本の中で一貫して述べられていたのが、現在の日本の政治の堕落ぶりを批判する文脈の中で、「日本政府には、全く何の主張・戦略もない。すべてアメリカの言いなりで、『自分たちである事柄を独自に決定して、それを世界に示す』ことなど、始めから考えていない」ということである。さらに、主張のない民族になった背景として、「島国の閉鎖性」という環境的な要因まで推測していた。

私も、日本人が主張をしない、意思表示をしない民族であることを、自戒の意味も込めて痛感してきた。
アメリカに1年間滞在した際、始めの1ヶ月間は、現地の英語学校に通っていた。8月の夏休みシーズンだったこともあり、ここには様々な国から英語を学びに来た若者たちが集まっていた。中国、台湾、韓国、日本のアジア圏から、ヨーロッパではフランス、さらに南米スペイン語圏のベネズエラ、メキシコ、ポルトガル語のブラジル等々。
ここで身をもって体験したことは、日本人の特性である。たいていの授業には、フリーディスカッションの時間があるのだが、このときに我先にと発言するのは、日本人以外の生徒である。同じアジア人でも、こういうところに来ている中国人や韓国人は、口数が多い。また、同じクラスだったブラジル人は、文法はメチャクチャでも、それこそ機関銃のようにしゃべりまくっていた(ただ、ヨーロッパ語圏の人たちは、母国語が英語と単語や構造が似ていることが多いので、英語を話すにあたっては日本人よりもかなり有利である)。
日本人は、こういう場所では、100%確信のあることしか発言しようとしない。議論を混乱させることを言う必要はないのだが、ここは英語を学ぶ場なのであるから、発言内容よりもむしろ、どんどん自分の考えを「話す」ことが重要であるのに。「恥をかきたくない」という、「恥」を極度に恐れる日本人独特の特性がこういう場に現れてくる。

このようなことから、日本人は文法力はトップクラスで、筆記試験では他国の人たちよりも間違いなく上位に入るのだが、スピーキングはからっきしダメ、ということになる。


もともと、あまりしゃべることの好きでない民族なのかもしれない。
日本に住むカナダ人の英語講師は、こんなことを言っていた。
「日本で一番驚くことといえば、日本人が無口なこと。電車に乗っていても、街を歩いていても、誰もしゃべっていない。カナダだったら、全くの見知らぬ人同士でも、電車で隣り合ったらしゃべるし、街でも挨拶だけでなく会話をする。」

だが、アメリカでも、海外に旅行に行っても、たくましく現地で生活している日本人はいくらでもいる。海外で、現地の生活に溶け込むには、まず自分の人となりを分かってもらうことが必要であり、そのためには、どんどんしゃべって自分の考えを表現することが重要である。

夏目漱石の勧善懲悪物語「坊ちゃん」には、こんな一節がある。
「日本人は口から生まれてきたのだから・・・・」
この一文は、日本人の子供たちが口うるさくてしかたがない、という文脈の中で主人公の「坊ちゃん」が語った言葉である。
およそ100年前、明治時代の日本人は、欧米人のように誰彼かまわずしゃべりまくっていたのだろうか。
だとすれば、「話す」素養はあるはずだ、あとはこの「口から生まれてきた」口数の多さを、外国人に対しても保てるといいのだが。
(2003.1.)

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