2015/4/5 (Sun.)
戦争はなくならない? 晴れ・暑い@パアン

ヤンゴン−パアン間車窓風景 |
1か月くらい前、ミャンマー国内のシャン州で、政府軍と地元少数民族武装勢力との間で戦闘が起こった。先日などはミャンマー政府軍が発射した砲弾が国境を越えて中国側に落ちた、などという報道もあった。どうやら少数民族武装勢力は親中国らしい。
カレン州でも半年前だろうか、タイとの国境付近で、政府軍と少数民族グループとの銃撃戦があり、死亡者が出たらしい。パアンに住んでいるとその影響はほとんど感じられなかった。政府軍の兵隊を積んだトラックが一時期目立つかな?といったことくらいだ。
ミャンマーでは、多くの少数民族武装勢力と政府との停戦協定はなされたが、和平への道はまだこれからである。国内でまだ国民同士が殺し合いをしている国なのである。
世界を見ても、ウクライナ、シリアでは内戦状態。またイスラム国とか称するイスラム過激派が台頭してきて、周辺各国との殺し合いの様相を呈している。
ウクライナ情勢を映したNHKテレビで、戦車がうなっているのを見て、僕は「あぁ、まだ戦争は普通のことなんや」と正直驚きを禁じ得なかった。
結局戦争はなくならないのか。人間の歴史は、殺し合いの歴史である。国や団体が、その正義を掲げて、それを侵害しようとする他の国や団体と殺し合いをしてその正当性を争う。その中で必ず非戦闘市民(軍人じゃない人)が犠牲となり、虐殺やら強制労働やら慰安婦やら、非戦闘市民を巻き込んだ悲劇が起こる。戦争の悲惨な実態は色々なところで情報として手に入れられるようになり、さすがにアホな人間にも、「戦争は良くない」という思いは漠然とあり、戦争の頻度は時とともに減ってきているように見えるが、なくなっていない。結局人間も動物ということか。弱肉強食。軍事力の弱い国は、軍事力の強い国の言いなりになるしかない。なんだ、帝国主義の頃と構造は何も変わってないじゃないか。よって、「強者」であろうと、色々な国が核兵器を持ち、またこれから持とうと画策している。そもそも、北朝鮮やイランが「核兵器を持ちたい」と言ったときに、アメリカをはじめとする他の核保有国が、どうしてこれを止められようか?「イランは核を持ってはならない」というのであれば、まず自国の核兵器をすべて廃絶してから言ってもらいたいものだ。結局、歴史の結果としての現在のパワーバランスが、世界の平和な秩序を保つのに必要なのだ、という論理なんだろう。このバランスを乱すものは受け入れられない、と。
さて、こうなると、現状、「戦争ありき」という前提で色々なことを考えるべきなのだろうか。
ま、難しい問題です。 |