HOME > Myanmar > Myanmar_Diary 2015 > April 2015_(3)
ミャンマー日記(2015年4月)
2015/4/26 (Sun.)
雨季の到来? 晴れのち雨@パアン

前回の4月23日に突然の雷雨を書いたが、その日から今日まで4日連続で、夕方から夜に同様に風が吹き、その後強い雨が降った。雨は相当強い。毎日パターンの決まった雨季の到来のような雨である。まだ雨季にはしばらくあるはずだが、どうしたことだろうか。いや、確かに、よくよく去年を思い出してみたら、去年は5月上旬にはこのように雨が始まっている。どうも本格的に雨が降り始めたのは6月だという記憶があったが、5月から雨は降り始めていた。
今年は少しそれが早いだけか。
それにしても雨が降ると途端に涼しくなるから好ましい。
2015/4/24 (Fri.)
アドミラル・ヤモマト 晴れのち夕方一時大雨@パアン
 
「アドミラル・ヤマモト」のDVD
 
ミャンマーの大衆食堂には、銀色の鍋が並んでいる。
そこには、豚、鶏、魚など、種類別にカレーが入っており、
客はそこから好きなカレーを選ぶ。

同僚のウーサリモウから、DVDを借りた。日本映画だという。「アドミラル・ヤマモト」というタイトルで、山本五十六の映画だった。ミャンマー語の字幕が付いていた。偶然にも私はこの映画を今回日本に一時帰国した際に見た。『聯合艦隊司令長官 山本五十六』というのが原題である。2012年、役所広司主演。太平洋戦争に断固として反対しながら、連合艦隊司令長官として真珠湾で開戦の火ぶたを切り、アメリカとの絶望的な戦争に身を投じねばならなかった悲劇の英雄として山本五十六を描いている。(なかば公認だった愛人の話が一切出てこないとか、描かれ方が偏重しているとの意見もあるようである)

ウーサリモウは歴史に興味があるらしく、各国の戦争映画を結構見ているようだ。このミャンマーという国は、日本軍が侵攻してきて英国・中国・インド・米連合軍と殺し合いをした国である。ミャンマー全土で戦闘が繰り広げられ、日本人将兵の戦死は、19万人と言われる。西部、アラカン山系でのインパール作戦を始め(インパールはインド・ミャンマー国境のインド側の街)、北ビルマ、中国との国境地帯である雲南地域、中部ビルマで、弾薬、糧食の補給を絶たれたまま日本兵は戦わされ、通常の戦死はもちろん、玉砕、飢餓、マラリアなどの病気で、無数の命が失われた。この国には、日本人の骨が、どこにでも埋まっているのである。思えば、この国だけでなく、中国、ロシア、フィリピン、サイパン、ニューギニア、その他太平洋の島々、そして太平洋のいたる海底に、日本人が埋まり、沈んでいる。
『ビルマの竪琴』で、いたるところで累々とした、日本兵の無残な死骸の放置を見て、降伏後もビルマに残って僧となり、多数の戦死した同胞の霊を弔うことを決意した水島上等兵の心中はいかばかりだったか。
(ちなみにウーサリモウは、1956年版『ビルマの竪琴』のミャンマー語字幕付きDVDも持っていた)

無謀なインパール作戦を指揮し、実行不可能な命令を乱発して幾多の将兵を死地に追いやり、独断で退却した師団長らに激怒し、彼らを次々に罷免した第15軍司令官は、作戦失敗後中央に罷免され、自決もせずおめおめと日本に帰って来て、生き長らえた。しかもそのような覚悟のない人間が、内地帰還後は陸軍士官学校の校長に任ぜられるという、到底理解不能な処置である。さらに、水上源蔵少将に「ミッチーナ(ミャンマー北部、カチン州の州都)を死守せよ」と命じ、数倍の兵力で押し寄せる連合軍によるミッチーナ陥落後、水上少将が自決してもなお、退却してきた連隊長以下を「おめおめと生きて帰りおって」と罵倒・殴打したという第33軍参謀長も、戦後責任逃れに終始し、戦犯指定を免れ、あろうことかその後国会議員になるという始末。
最前線の将兵に玉砕を命じた将校は、敗戦にあたってはすべて腹を切るべきと思う。でなければ退却命令を出すべきである。
今となっては、切腹・自決という武士道の価値観は僕らには理解し難い。しかし、当時の軍人ならば、将帥から下級将校に至るまで、明治維新以降も脈々と受け継がれるその気概を持っていたはずである。小さな隊の単位でも、退却を選ばずに自ら玉砕した隊がどれだけ多かったか。当然その上の指揮官もそういう覚悟を持っているべきだろう。でなければ部下にそういう指示はできまい。そして実際に自決した指揮官は無数にいた。
(もちろん、すべての最高命令は大本営によってなされるので、すべての将軍は大本営の命令を聞かなければならないのだが、実行不可能な命令は、大本営に歯向かってでも是正させるべきであったろう)

切腹・自決を自殺だとするなら、日本は、世界中で過去、最も自殺者が多い国なのではないかと思うが、それは武士道の価値観であり、別の見方をすれば、武士道の価値観によって日本人は秩序と規律を守り、そしてここまで国が発展し、日清・日露戦争にも勝利し、絶望的に国力の差のある相手と戦った太平洋戦争でも、あれだけ互角に戦えたのだろうと思う。国家に対する「忠義」というものが、命よりも大事であり、そのような日本軍人の(他国人に言わせれば「狂った」となるかもしれない)自らの犠牲をいとわない精神が、他国軍隊を震え上がらせたのである。
腹切りはもう現代では正当化不能だが、太平洋戦争当時、あまりに多くの無辜な命が無謀な作戦命令により失われたことを考えると、高級将校の無責任な話には、どうしても釈然としない。将校になった人は、命の惜しくない人ばかりではないだろうが、それやったら軍人など志さなければいいのに、と思ってしまう。
2015/4/23 (Thu.)
猛暑のち嵐 晴れのち雷雨@パアン
 
午後2時56分の室温37.0℃、湿度36%
 
いきなり嵐。この後夜、激しい雷雨が。

今日は職場の事務所の室温を測った。やはり上昇している。最高が37.1℃。外は容赦のない太陽が乾いた土を焼いている。おそらく40℃近いだろう。
湿度が36%と低いのが救いだ。確かに暑いが、大げさな不快感は感じない。

このようなカンカン照りがしばらく続くと思っていたのだが、この日夕方からいきなりにわかに空が掻き曇り、風が砂埃を巻き上げ始めた。嵐の様相だ。午後5時。吹きすさぶ風と巻き上がる砂の中、職員たちはパアン市内に戻るトラックで帰宅。

スタッフハウスについてしばらくして、ついに大雨が降り始めた。さらに雷と稲妻が間断なく近くを襲う。砲音のような衝撃音をとどろかせて次々に雷が落ちる。雨は半端じゃない。雨季時の雨の降り方よりも激しい。いわゆるゲリラ豪雨だ。ミャンマー人に聞くと、この時期、この雷雨は尋常じゃない、とのこと。一過性のものなのだろうか?異常気象か。

雨は3時間ほど降り続き、ようやく止んだ。

HOME > Myanmar > Myanmar_Diary 2015 > April 2015_(3)