HOME > Myanmar > Myanmar_Diary 2014 > December 2014_(1)
ミャンマー日記(2014年12月)
2014/12/9 (Tue.)
訓練学校稼働 曇り時々晴れ@パアン
訓練学校俯瞰。だだっ広い荒野に突如現れた感じ
12月6日土曜日にバンコクからヤンゴンに戻り、ヤンゴンからパアンに戻ったのは12月9日火曜日。バスターミナルに午後3時ごろ到着。そのまま学校へ。
僕が勤める技術訓練学校は、今までずっと建設をしていたのだが、11月で建設が終わり、12月1日から、竣工した学校に新しい訓練生が入り、いよいよ授業がスタートしたのである。僕はこの大事な時期にパアンを離れていたわけである。
学校に行くと、同僚たちは事務所で仕事をしていた。そして先生たちは教室で授業をしていた。新しい生徒たちは、真剣に先生の言うことに聞き入っていた。
この学校は全寮制なので、寮やトイレ・水浴び場も完成している。水浴び場というのは、いわゆるこちらの風呂であるが、水をためたタンクから洗面器で水をすくって浴び、体を清めるのである。ミャンマーではシャワーとか湯船などは一般的でなく、人々は水ためから水を浴びる。だがこの時期は朝晩寒いので、水浴びは昼間でなければあまり気持ちいいものではないだろう。
敷地内には食堂もある。訓練生たちは訓練期間中、3食をここで食べるのだ。
ついに稼働した学校の建物を一つ一つ周ると、いやでも感慨が込み上げてくる。今まで1年間、ずっとこの学校の建物を造っていたからだ。
とりあえず第1段階は終了だ。ここから第2段階が始まる。
さて、明日からは、今まで事務所だった僕の住居から、朝この学校まで通うことになる。車で30分ほど。今までは住んでいる場所が事務所で、通勤というものとは無縁だったのだが、これからは通勤である。気分が変わっていいだろう。
2014/12/1 (Mon.) 〜12/6 (Sat.)
バンコク滞在
バンコク。この時期のバンコクはヤンゴンよりも暑く、湿気が異様に高い。12月とは思えない高温多湿だ。
12月1日、2日、3日は毎日検査やら診察やらでほとんど朝から晩まで病院で過ごした。血液検査数度、胸部X線撮影、心電図、心エコー、検尿、検便。
それに2日には、胃カメラに腸カメラまでやった。この準備がきつかった。前日の1日の夜は、おかゆとか魚とかパンとかしか食べられない、果物とか野菜とか食物繊維を含むものは絶対にダメ、と指示されたのだけれど、1日の診察、会計まで終わったのが結局夜7時くらいだったし、あろうことかタイバーツの現金が少ししか残ってなくて、結局僕は夕食も抜くことにしたのだ。夜8時に空腹の中下剤を飲む。当然翌朝の朝食も抜いて、昼12時に病院に行く。しばらくして個室に通され、この部屋でまず下剤を飲み、それから2リットルの液体を1時間で飲まされることになる。
看護師のおネーちゃんは、僕に、「4回目の便をしたら、流さないで私を呼んでください」と言って出ていった。
便を人に見せるってことか・・・。
それにしても、この2リットルの液体を飲むというのは、ほとんど拷問に近い。この液体は黄色く色づいたもので、多分検査しやすくなるような状態に胃腸を整える成分なのだろう。味は、ほとんどないが少しある。甘くもないし酸っぱくもないし苦くもない。この味をどう表現すればいいか分からない。マズくはないが、全然美味くない。空腹で喉もまぁ乾いていたので、始めのうちは飲めるのだが、それでも500mlくらいまでで、ここから1.5リットル、本当にきつかった。途中からはもう休み休みで息も絶え絶えになりながら飲み続ける。空っぽの腹が、見る間に栄養失調の子供のように膨れていく。
しばらくすると下剤の効果で便意を催してくる。1回目。昨日の昼以来何も食べていないので、もう胃腸は空っぽだ。固形の便ではない。液体だ。というかもうすでに飲んでいる黄色い液体しか出てきていないようだ。
2回目。再び水のような便が肛門から出る。液体は確かにケツの穴から出ているのだが、僕は、小便をしているのかと錯覚したほどだ。いや、本当に前から出ているのじゃないかと思った。女性の小便って、こんな感覚なのではないかと妙に一人で合点する(笑)。
3回目。もう飲んでいる液体がそのまま出てきている。透明できれいな(笑)、黄色い液体。
そしてついに4回目。僕は看護師を呼んで、見てもらう。彼女は、「もう1回」と言って去っていった。2リットルの液体も、何とかかんとかほとんど飲みつくした。絶望的な量に思えたが、人間、何とかなるものである。
そして5回目。再び看護師を呼ぶ。彼女は、「OK」と言った。そして僕を別室に連れて行った。実際、胃カメラと腸カメラは、午後4時半からの予定だったので、まだ2時間半ちかくもある。ベッドに寝かされる。右手の甲に、何か知らないがプラスティックの容器のついた針を刺される。バリ痛い。それを刺したまま容器ごとテープで手に固定する。その後、時間まで寝ていていい、というので、始め本を読んでいたが、途中で眠くなり、薄い上掛けをかぶって横になって眠った。部屋にはいくつかベッドがあり、看護婦やスタッフがせわしなく通路と部屋を行ったり来たりしている。その喧騒を聞きながらしばらく眠る。
4時半過ぎに起こされ、ベッドに横たわったままベッドごと処置室へ。手の甲に刺した容器に何かが接続される。なんだろう?それから横向きの態勢にされ、胃カメラを飲み込むためのプラスティック製の筒のようなものを口にくわえさせられる。するとどうしたことか、しばらくして僕は眠りに落ちてしまった。次に目を覚ました時、僕はベッドの上で辺りを見回した。あれ、これから始まるのかな?と思っていると、口にくわえた筒型器具はすでになく、右手の甲に刺した針と容器も取り去られていた。壁の時計を見るともう7時半近い。ようやくここで僕は事態を飲み込んだ。すでに胃カメラも腸カメラも全部終わったのだ。麻酔だ。麻酔で僕を眠らせての内視鏡検査だったのである。2時間半近く、僕は昏睡していたのだ。
胃カメラはともかく、腸カメラは麻酔で眠らせなくてはならないほど苦痛なものなのだろうか?大腸の内視鏡ってのは僕はずっと前に一度日本でやったことがあるけれど、その時は少なくとも麻酔はされていない。起きたまま、ケツから管を突っ込まれたのだ。
それとも今回の腸カメラは、もっと奥深くまで管を突っ込む相当にキツい検査だったのかもしれない。
まぁ、今後何事もなければ、「麻酔で眠っているうちに胃カメラも腸カメラも終わってる」ってことに対して特に文句はない。全く苦痛を感じないままに終わったのだから。
目を覚ました僕に、看護師の女性が、水とクラッカーをくれた。僕はこれを貪り食った(笑)。数えてみたら、食べ物を口にするのは、約32時間ぶりである。昨日の昼飯のビッグマックセット以来、何も食べていない。32時間連続で何も食べ物を口にしなかったことが過去にあったかどうか、とても思い出せない。病気の時でも32時間何も食べないってことはほとんどないだろう。そもそも僕はほとんど病気をしないのだ。
その夜は、8時半ごろ、近くのイタリアンレストランでパスタとサラダを食べた。しかしこのイタ飯屋は高かった。開店何周年かの記念で全品25%オフだとのことだったが、べらぼーに高かった。500バーツ以上した。大失敗。こんなことなら屋台で数10バーツの米麺を食べればよかった。
驚くべきことに、12月3日が終わった時点で、すべての検査結果は問題なしだった。ヤンゴンで異常だった血液の甲状腺関連諸値も、バンコクでの検査では正常値だというではないか。一体どうなっているのだろうか。
バンコクの医師は、「風邪などで体調を崩したときに一時的に甲状腺の機能がおかしくなることがあり、それがヤンゴンで異常値だった原因ではないか?」との見解を示した。確かに僕は、ヤンゴンの病院に行く2週間ほど前、10月の終わり頃に、発熱はなかったものの数日間、咳と鼻水と喉の痛みがあった。しかしそもそも僕の今の症状というのは、実は10月の前からもずっと続いているのであり、体重だってもう9月の終わりまでに7,8キロも減ってしまっていたのである。医師の説明に僕は納得できなかった。頭がボーっとして熱っぽい症状は変わっていない。仮に甲状腺機能が正常だとして、そうすると僕の体調不良は、他にどうやって説明できるというんだ?
3日の夜は、セントラルワールド内の吉野家で久々に牛丼を食す。並盛・鶏のから揚げ・サラダセットはとても量が少なかった。
12月4日木曜日。今日と明日は、検便を出すだけだ。朝病院に行き、検便を提出したらもうやることがない。
夜突然大雨が降り出し、夜半までずっと降ってた。もう雨季の終わったパアンとはちょっと気候が違う。フィリピンの方にいま台風が来ているというが、それと関係があるのかもしれない。
12月5日金曜日。今日が最後の夜になりそうなので、再びセントラルワールドに行き、やよい軒でトンカツ定食を食べる。ご飯が少ないので、お替りのご飯を頼む。まぁ、これで170バーツなら、大きな問題はなかろう。
バンコクには、アメリカ帝国のファストフード群に並んで、チェーン系日本食レストランも数多い。吉野家、大戸屋、やよい軒。やよい軒は、タイ全土に45軒もあるという。ミャンマーとの外資進出度の違いをまざまざと見せつけられる。
12月6日土曜日。結局今日の最終診察で、消化器科の医師から、僕の便や胃や腸の検査結果にはすべてにおいて異常が見られなかった、と告げられた。胃カメラや腸カメラで撮影した、僕の胃の中や腸の中の写真を見せられる。
結局、この1週間で調べたすべて、血液も尿も便も、心臓も肺も胃も腸も正常範囲だという結果である。ピロリ菌も寄生虫もいないし、変なウィルスにも感染していない。僕は改めて呆然とする。いったいヤンゴンでの結果は何だったのだろうか?
「異常なし」と言われ、僕はもうヤンゴンに帰らざるを得なくなった。体調は少し良くなった気もするが、あまり変わっていなかった。
6日、夕方の飛行機に乗って、ヤンゴンに戻った。バンコク→ヤンゴンは、わずか1時間で到着。ヤンゴンの空港では、医療アシスタンス会社の手配したドライバーが僕の名前の書かれたボードを掲げていて、すぐに落ち合うことができた。彼のトヨタクラウンで僕はヤンゴンの事務所へ。
結局1週間を無駄にしたような気分で、僕は振り出しに戻った。
HOME > Myanmar > Myanmar_Diary 2014 > December 2014_(1)