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ミャンマー日記(2016年12月)
2016/12/9 (Fri.)
2名の日本人専門家の送別会 晴れ時々曇り@パアン 

直火で焼く
 
 
 
歌いまくるK氏

今日は、自動車整備科第4期と溶接科第2期の卒業式。約6か月にわたる技術訓練を終え、訓練生たちが卒業した。
夜、2名の日本人技術専門家と、彼らの通訳アシスタント2名の送別会を行った。場所は我々の住むスタッフハウス。いつもトラックを駐車しているコンクリート敷きの場所で大宴会。参加したスタッフは25人くらいか。

電気科のインストラクターが植え込みに色とりどりの電飾を配し、まるでクリスマスのような雰囲気を演出。そういえばもうすぐクリスマス。
テーブルと椅子を並べ、さらにBBQスペースを確保。炭を入れた網台で、串に刺した肉、野菜を焼きまくる。
ミャンマーでもBBQは健在。確かに、祭りの露店などでは、よく炭火と網で焼き物をしている。

缶ビールが樽のような大型ポリバケツに大量に冷やされている。こっちの人間はビールをよく飲む。まぁ、日本人も同じか。ビールがあっという間になくなっていく。
焼き物を焼き、食べる。スープや野菜の炒め物も出てくる。

宴もたけなわになると、ミャンマー恒例、全員が一人ずつ、順々に、去っていく人たちに送る言葉を述べる。一言、二言であっという間に話し終える奴もいれば、長々と思い出話をする奴もいる。常に笑いを取るエピソードを話す奴もいる。

参加者全員のスピーチが終わると、送られる日本人専門家2名から、あいさつ。

その後は、音楽をかけて、カラオケと踊り大合戦。音楽好きのウミンルインが、家からスピーカーとDVD(CD-R?)プレーヤー、カラオケディスク、マイクを持ってきた。スタッフハウスのテレビにカラオケ映像を映す。
大いに盛り上がる。ミャンマーの歌を、スタッフみんなで大声で歌いまくる。大音量で近所迷惑じゃないかと冷や冷やするが、考えてみれば、ミャンマー人というのは、家でパーティみたいなことをよくやるが、その時に相当に大音量で音楽をかけたり、歌ったりしている。近所はそれを容認し、次自分がやるときには近所に容認させる。寛容。つまり、これは普通なのだ。たまにであれば。

歌い、踊る。日本人のKさんも酔っ払って踊りまくる。みんなKさんの豹変に目を丸くしながら驚き、そして笑顔になる。

みんなが歌と踊りに疲れた頃、私は部屋からギターを持ってきて、いつものやつをやる。
『乾杯』と『北国の春』。以前にも話した通り、ミャンマー人も知っている。ミャンマー語版を。
みんなで歌う。
その後、ソウエデンのギター伴奏で、若い女性スタッフのシンシアが、ポップス調の歌を歌う。なかなか良い。

夜10時半。最後にみんなで記念撮影して、饗宴は終了。片付けは早い。缶ビールはすべて飲み尽くされた。

料理人スタッフたちは、我々の団体の小型トラックに食器などを乗せて学校に帰っていく。彼らは学校に半住み込みで働いているのだ。だが、今日卒業式だったので、ほとんどの訓練生は家に戻り、今晩学校に残っている訓練生は少ない。

こうして送別会は終わった。

明日は、朝4時半に起きて、今日卒業した溶接科の卒業生と、モン州に出かける。卒業旅行。



送別会 映像①
送別会 映像②
2016/12/5 (Mon.)
アリとヤモリが棲むプリンター 晴れ時々曇り@パアン 

アリがプリンターに入り込んで卵を産むという異常事態
 
 
プリンターの中にヤモリの卵とアリの卵

これは11月中旬ごろの出来事であったが、書くタイミングがなかったのでここで書くことにする。

私の働く事務所には、私の机の横に、小型のコピー兼プリンターがある。
しばらく前から、このプリンターの内部に、ヤモリが棲んでいる。冗談で言っているのではなく、事実である。奴はトレイの一角からプリンター内部に入り込み、そこで生活していた。暖かく、敵もいないので、住みやすかったのだろうか。だが生物に必要な、水分はない。
あろうことか奴は、プリンター内で卵を産んだ。おそらく、捕食するときはプリンターの外に出て活動し、眠るときにプリンターに戻っていたのだろう。外で雄と交尾し、住処であるプリンターの中で卵を産んだものと推察される。

ここからは、あまり小動物や昆虫に詳しくない私の推測になるが、ヤモリの卵を狙って、アリが侵入した。アリは、体長2mm程度の小さな種類だ。どうも、ヤモリはアリを食べないらしい。アリは卵を狙い、入ったが、プリンターの中がこれまた居心地のいい場所であることを発見し、住み着いた。そして卵まで産んだ。

私がそれを発見したのは、コピーしようとプリンターの天板を開き、紙を原稿ガラスの上に置こうとしたとき、ガラスの下に見慣れないものを見つけた。ゴミ?

ガラスの下には、無数のアリが蠢いていて、同時に無数のアリの卵が散らばっていた。
これを見た時の私の驚きは、皆さんにもそれほど想像に難くないと思う。プリンターの中に無数のアリが歩いているという、衝撃の光景。

昔、協力隊時代に、西アフリカのセネガルに赴任した同期隊員から、しばらく旅行に出た後に家に帰ってみると、書類はすべてネズミに食い荒らされ、CDケースにはびっしりとハサミムシが入り込んでいた、というおぞましい話を聞いたが、それに通じる話だ。

ミャンマーでは、建物の中と外は、行き来自由である。ただでさえ暑いので窓は明け放しているし、建物の密閉性は低い。色々な生物が人間の居住空間に侵入してくる。自然と人間とは、隔離されていない。都会の人間が、鉄筋コンクリートの箱の中に住み、自然的なものを排除し、外界とのつながりを断とうとしてきたのが「近代化」である。日本でも田舎では家屋はそれほど密閉性は高くなく、まだ人間は外の自然と緩く共存しているし、江戸時代なんかはそれこそ密閉などはなかったろう。
ミャンマーでは、まだまだ人間は自然を受け入れながら生きている。

まぁヤモリは家の中に住むので仕方ないとしても、アリもどんどん入ってくる。すこしお菓子などを放置しただけで、数10分もして気づくと、無数のアリがそれにたかっている、という事態に何度遭遇したことか。うかつに食べ物や甘いものをそこら辺に放置できない。

こうして、私のプリンターには、アリとヤモリが住み着き、それぞれが卵を産むという、異常事態となった。
その後プリンターを分解してみると、アリはプリンター内部そこらじゅうに住み着いており、除去するのに大変な手間がかかった。
プリンターアリの巣状態。信じられん。


私の部屋では、常にヤモリの活動が活発だ。机に置いてある鏡の裏側に住んでいて、よくそこから顔をのぞかせ、近くにやって来た小さな昆虫を手当たり次第に食べている。ミャンマーでは、暑いのでほとんど常時窓を開けており、夜になると外から色々な虫が入ってくる。これをヤモリが食べる。私の部屋は、食べ放題の食堂みたいなもんだ。私の目の前で毎日のように繰り広げられる弱肉強食の世界。
まぁ、屋内に住むヤモリの自然な捕食活動なのだが、糞を机の上にまき散らすのはいただけない。朝起きると、本の上とかに糞をしている。血が沸騰するような憤りを覚えるが、仕方ない。これも共生。しかしヤモリの糞害とは。

ヤモリの死体というのはあまり見かけないが、最近はちょいちょい見かける。そりゃ、これだけ周りにうじゃうじゃいれば、死ぬ奴も多いだろう。

それにつけても、壁の上を縦横無尽に走り回るヤモリの機動力は、いつ見てもほれぼれする。あの吸盤、すげぇなぁ。

ヤモリ 映像①
ヤモリ 映像②

2016/12/2 (Fri.)
朝晩冷え込んできた 晴れ時々曇り@パアン 

タトンの巨大仏塔(モン州/ミャンマー)

今週、朝晩日に日に冷え込んできた。大体先週までは、朝の6時ごろの気温は、室内で28℃くらいでほぼ一定だったのが、今週に入って、1℃、また1℃と下がっていき、今日朝起きてみたら、室内の気温は、24.9℃だった。この分だと、外の最低気温は、夜明け前、22℃くらいに下がったのではあるまいか。
22℃というと日本の感覚からすればずいぶん暖かいと思うが、毎日暑熱の中に住んでいる我々にとっては、相当に涼しい、いや、寒いとすら感じる気温である。

近くの寺院からの読経 映像①


2016/12/1 (Thu.)
千葉パルコの閉店 晴れ時々曇り@パアン 

犬のねぐら(パアン)

2種類のスイカ(パアン) 
 
大量の鶏をくくりつけて走るバイク(パアン)

昨日2016年11月30日をもって、千葉パルコが閉店した、というヤフーニュースを見た。1976年12月開店なので、40年の歴史に幕、ということである。
高校3年生まで、いや、浪人時代および大学1年生まで千葉に住んでいた私は、当然千葉パルコ閉店には感慨がある。
ただ、私にはあまり縁のないショッピングビルであった。高校生当時の私たちの認識は、「パルコ=高級衣料店の集まり」であり、金もなくファッションなどに全く興味がなかった(いや、今も全くないが)私にとって、まぁほとんど無縁、無価値の存在だったと言っていい。パルコと言えば「おしゃれ」というイメージが多くの人の心を捉えていたと思う。
当時、つまり30年ほど前は、いまのようにユニクロなどの安くて割と高品質の衣料品を扱う店は存在せず、私は、パルコの近くにあったショッピングビル、「セントラルプラザ」に入っていた安衣料店とか、露店で売っているような安服を買っていた記憶がある。「セントラルプラザ」の方は、もうだいぶ前、今から15年前の2001年に閉店し、いまでは巨大マンションに変身している。

高校時代、同じサッカー部だったSに、道端たたき売りのような露店で服を物色している姿を遠くから目撃され、後から訝しがられたものである。高校生の同級生の中にも、Sのようなブルジョア的な人間と私のような庶民的な人間、二つのタイプが厳然と存在していたのだ。(もちろん、この二つで割り切れるものではないが、経済感覚としてはタイプ分けできるであろう。もっとも、「経済感覚」と言うよりは、単に「ファッション・おしゃれに対する感覚」と言った方がいいのかもしれない)


余談だが、村上春樹という作家がいる。私は割と好きで、結構彼の小説を読んだが、彼の小説に出てくる主人公は、ブルジョワ的匂いがプンプンする人間が多く、私にはいつも違和感がある。彼らはこぎれいな部屋に住み、こぎれいな服を着て、高品質の物品に囲まれて暮らし、朝はコーヒーメーカーでコーヒーを作り、妙に料理が上手く、夜な夜なビールやウィスキーやブランデーを飲み(日本酒や焼酎を飲む人はあまり出てこない)、クラシックやジャズを聴く。彼らは、いろんなブランド物を着、使っている。彼の小説の主人公で、「毎朝インスタントコーヒーを飲んでいる」という人物や、「毎日ジーンズを履いている」という人物や、「音楽はロックしか聴かない」という人物や、「酒を飲まない」という人物は、私が知る限りでは出てきたことがないと思う。80年代のいわゆる「トレンディドラマ」の主人公たちを見ているようである。
そして彼の小説は、経済感覚が庶民的な人間に対し、どことなく軽蔑感を持っているように感じられる。ブルジョワ的主人公がこの世の中の典型的人間、もしくはあるべき姿だと思っているのか、それとも村上氏自身がそういう人間でそれを投影しているのか分からないが、私に言わせれは、そんな人間は、世界中の割合で言えばごくわずかな数を占めるに過ぎない。よって、そういう価値観の主人公の小説が、何かの普遍的価値を生み出せるのか?といつも疑問に思ってしまう。もちろん、小説は主人公がすべてではないし、資本主義の世界に生きている限り、ブルジョワは普通、という見方もできるかもしれない。高度成長期に合わせて人生を送って来た作者の資本主義観が現れているのか。いや、むしろそのように金銭的には恵まれているけれども、心に何かしらの傷や闇を持っている人、という「現代の病巣」的なものを描きたいのかもしれない。
あと彼の小説の底流に流れているように感じるのは、「欧米主義」みたいなものだ。欧米的価値観みたいなものが賛美されている気がする。小説中に出てくる小説や、映画や、音楽や、酒やファッションは、ほとんどが欧米のものだ。彼の小説は世界各国で翻訳されるから、それを踏まえてそういう風になるのだろうか?いや、そうではあるまい。作者の価値観なのだと私は思う。

ちょっと長くなってしまったが、いつも言っている通り、このページは芸術作品を批評する場ではないのでこの話はこれまでにしておこう。また別の機会があれば。


話は戻って、ブルジョワショッピングビル、パルコ。

あれから30年。その間、千葉に帰っても、パルコに行く用事はずっとなかった。しかし2013年にそれまで働いていた会社を辞めてから、千葉パルコに入っているアウトドア用品店、好日山荘にちょくちょく行くようになった。
パルコ閉店は、好日山荘がなくなってしまうことであり、これはやや痛い。

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