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ミャンマー日記(2016年12月)
2016/12/18 (Sun.)
停電 晴れ@パアン
2011年3月14日、停電のため閉店する店(千葉駅周辺)![]()
カレン州伝統のデザインをあしらった布地
先週土日は終日停電していた。朝から晩まで。復旧したのは土日とも夜遅くだった。
今週土曜、昨日も日中ずっと停電していた。そして今日も午後まで停電。
聞くところによると、変電所で大規模な設備入れ替え工事をしているらしい。ほぼパアン全市が停電だという。
今日は夜になる前に回復したので、工事が終了したことを願うばかりだ。
停電時はスタッフハウスでは発電機を回して電気を確保するが、こうも長い停電だと燃料代がバカにならない。
先月、パアンに新たに多くの信号機が設置されたと書いたが、停電だと信号の価値がなくなるばかりか、信号に慣れていないパアンの人々はどう通行していいか分からず、非常に危ない。交差点に各方向から車が突っ込んでくるのである。
これならラウンドアバウトの方がずっとましだ。信号機は、停電する町に設置してはいけない。そう考えると、ラウンドアバウトは電気の少ない国においては有効な交差点だということが言える。
消えた信号機を見ると、2011年3月11日を思い出す。あの日、被災後私は車で小山駅(栃木県)に向かっていた。停電のためすべての信号機が消えている。だがさすがに日本人のドライバーたちは、信号の消えた交差点で、注意深く通行していた。
この国では「消えた信号」は日常茶飯事だが、日本では異様な光景である。
2016/12/10 (Sat.)
遠足もしくは卒業旅行、モン州へ 晴れ時々曇り@モン州
イーレーパゴダの本殿に安置された金の座仏像(チャイッカミ)
まさにモンサンミシェル状態(チャイッカミ)
エビや魚の揚げ物を売りに来た少女(サッセ)
海の家のテーブルに陣取り、ビールを飲み、食らう(サッセ)
連合国軍兵士の墓、ウォー・セメタリー(タンビュッザヤ)
死の鉄道博物館(タンビュッザヤ)
鉄道建設に従事させられた連合国捕虜の写真。やせ細っている。
泰緬鉄道の起点![]()
ウィン・セイン・トーヤの世界最大級の涅槃仏。左下の人の大きさと比較。
ウィン・セイン・トーヤの建設中のもう一体の涅槃仏
タンルイン川(モーラミャイン)
朝4時半に起きる。昨日寝たのは11時半ごろだったから、5時間睡眠か。
朝5時15分、レンタルしたアルファードとライトトラックの2台で、モン州に向けて出発。まだ暗い。
今日は昨日卒業した溶接科の卒業生15人くらいと、スタッフ何人かと、遠足と言うか、日帰り旅行に出かける。行き先はモン州の観光地。
車は早朝の道を南下する。程なく朝日が昇る。ヤシの木と水田が車窓を流れる。
以前にも行った、水上寺院のあるチャイッカミに着いたのが8時半。
再び水上寺院、イーレーパゴダに足を踏み入れる。前回来たのは去年の5月の終り。雨季の始まりだった。その時は海の水位がもっと高かった。これはまぁ月との関係なのだろうが、今日は海水は低いところにしかなく、寺院の回廊を洗うほどではない。
水は相変わらず茶色い。
今日初めて気づいたのだが、このイーレーパゴダには結構色々な建物があり、巨大な金のブッダ像がたくさん祀られている本殿、また仏陀の一生とミャンマーでの仏教の歴史を人形と絵で展示した建物もあり、なかなか興味深い。これでも私は仏教徒だ。
外に出る。海の真ん中にある小さな祠のような小島に向かって、コンクリートの道が付けられている。こちらはいま中間地点が水に浸かっている。
若者グループが、祠に参拝した後、この「海の道」を歩いて戻ってくる。波に洗われている中間地点に来ると彼らは止まり、水の深さを注意深く測る。グループには女性も混じっているようだ。彼らは意を決してまとまって水の道を渡る。遠目からなので詳しいことは分からないが、水の深さは膝くらいのようだ。見てる方がハラハラする。無事全員が渡り終わる。
10時。チャイッカミを後にする。1時間でサッセに到着。ここも二度目。九十九里浜のような砂浜が延々と見渡す限り続く海水浴場だ。海の家的レストランや土産物屋、トイレやシャワーなども浜辺に連なっている。
11時だが朝5時に朝食のパンを食べたきりだったので腹が減った。
浜辺のレストランでシーフードチャーハンを頼む。このレストランには、水槽にカニやエビを飼っていて、海産物の活きの良さをアピールしている。
出てきたチャーハンは、まぁ、普通。
頭にお盆を乗せた少女が営業にやって来る。彼女はエビや魚の揚げ物を観光客に売り歩いている。聞けば、小学校4年生だという。
盆に山と積まれたエビの揚げ物と魚の揚げ物を買う。ビールを飲みながら、揚げ物を食らう。
溶接科の卒業生たちは、ここぞとばかりにビールを飲み始める。モン州に住む卒業生の一人の両親とおじさんが駆けつけていた。父親は、息子と「訓練学校で、成績が10番以内だったら、ビール3ケースを買ってやる」と約束したそうで、息子の方は見事それを達成したのだ。ビールが3ケース、運び込まれ、みんなで飲む。
この父親にえらく感謝される。彼の息子は、来月からヤンゴンにある日系企業で、溶接工として働くことが決まっている。
砂浜には前回と同じく、馬を引いた子供たちが多い。なぜか馬引きは子供が多い。
今回は私も馬に乗ってみる。わずか100mくらいの往復で1000チャット(約100円)。通常は40分で3000チャット(約300円)か、1時間で5000チャット(約500円)なのだが、そんなに長く乗っていられまいと思って、短縮バージョンを子供たちに頼んだのだが、あまりにも短かった。5分も乗ってないだろう。まぁ、仕方ない。
私が乗った馬は、馬とポニーの合いの子みたいに小さかった。馬上から眺める海や砂浜の景色は、これと言ったものはない。
馬に乗ったのはいつ以来だろう?覚えているのはエジプトのギザのピラミッドだ。
食事の後生徒たちは浜辺のサッカーと海水浴で目一杯楽しんでいる。
私はもう裸足サッカーはもう2度とごめんだ。前回来た時に裸足でサッカーをして足指を骨折もしくはひびが入ってしまい、今でもどす黒く内出血色をしたままである。
寝不足なので、レストランの椅子に座ってビールを飲んでいると眠気が襲ってくる。目をつぶってウトウトする。
前回たくさんいたバギーが今日はいない。僧の子どもたちがサッカーをしている。そして、自転車に乗って波打ち際の堅いところを走り回っている。
午後2時。海を後にし、モーラミャインへ向けて北上する。
途中、タンビュッザヤの街に寄る。ここは、太平洋戦争時、日本軍が建設した泰緬鉄道のミャンマー側の起点となった街である。泰緬鉄道は、タイとミャンマー(当時名称ビルマ)を結び、激戦となっていたビルマに、タイ側から物資や人員を送り、ビルマ戦線で発生した負傷者を後方のタイへ送っていた鉄道である。
泰緬鉄道建設は、映画『戦場にかける橋』の背景にもなっている。
まずは第2次世界大戦、ビルマで亡くなった連合国軍兵士の墓地、ウォー・セメタリー(War Cemetery)に行く。1939年~1945年の間に戦死した、米、英、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどの連合国軍兵士の合同墓地である。
墓地の手入れや整備は、イギリスやアメリカからの資金で運営されているようである。
午後の陽光を浴びて、芝生の中に墓石は整然と並んでいる。墓石群の奥には、白い十字架の碑が建てられている。
墓石の一つ一つには、名前と部隊名、死亡年月日、享年、国籍が刻まれている。
中には遺族のだろうか、メッセージが付加されている。
人の命ははかない。生の数だけ死があり、生と死は等価だとするなら、死は珍しくもなく、重くもなく、それは生物の必然である。しかし戦死者たちは、戦争で必然とは言えない死を与えられ、そのために、戦争が終わって70年後にもなお、人々から思いを寄せられている。
墓地の次には、泰緬鉄道を扱った博物館、「死の鉄道博物館(Death Railway Museum)」を訪れた。
泰緬鉄道建設に、日本軍は大量の連合国軍の捕虜とアジア人労働者を使った。420kmの鉄路を21か月で完成させた。その21か月で、日本軍が使役した連合国軍の捕虜、アジア人労働者たちは、過酷な労働と劣悪な環境の中で、次々に命を落としていった。死者は10万人と言われる。
先刻訪れた墓地には、この時に亡くなった人々がたくさん眠っているのだ。
「死の鉄道博物館(Death Railway Museum)」。
もうすでに名前からして、日本軍の悪魔のような捕虜使役に対する憎悪と憤怒がにじみ出ているではないか。おそらく、イギリスとかアメリカの資本で建てられた博物館だろう。
博物館の料金は外国人5000チャット(約500円)。バカ高。だがここまで来たので入らないわけにはいかない。渋々5000チャットで入場券を買う。
入口にはいきなり、メッセージの書かれた看板が立っている。
「ONE LIFE,ONE SLEEPER」
つまり、「一つの枕木に一つの命が費やされた」ということだろう。それほど多くの人々が死んだ。つまり、日本軍によって殺されたのである。当然のことながら、捕虜の扱いを規定した当時の国際法に反する扱いである。戦後、戦勝の連合国によって戦犯裁判が行われた。鉄道建設責任者、捕虜収容所責任者らの何人かは、死刑となった。
看板の横には、奴隷のような格好で労働する捕虜たちを再現した人形。
館内に入る。当時の写真が数多く展示されている。建設を指揮する日本軍人、労働する捕虜たち、亡くなった捕虜たちの慰霊、完成した泰緬鉄道を走る機関車、そんな写真だ。
館内には割と観光客が入っている。もちろん、ミャンマー人が多い。日本人である私は、「死の鉄道博物館」と名付けられたこの館内では、加害者だった国から来た人間、というところだろうか。
今さら改まって言うことでもないが、戦争は人間を狂気の境地に叩き込む。一つの狂気は、別の狂気を呼ぶ。泥沼のような狂気から抜け出せない。
ミャンマー最北のカチン州の州都、ミッチーナーで、1944年8月、日本軍守備隊は、圧倒的な連合国軍の兵力の前に、崩壊寸前だった。司令部からの玉砕命令を無視して全軍を退却させ、自らは現場で自決した水上源蔵少将。
無謀なインパール作戦で、弾薬も食料も全く補給のない中で、「弾薬も食料もなくても戦え」という司令部(牟田口中将)の狂気の命令に対し、部隊を退却させて部下を救った佐藤中将。
彼らは、戦争という狂気の中で辛うじて踏みとどまり、正常な判断力を持ち続けた、数少ない将校だろう。あの頃の軍人が、いかに「国のために死ぬ」と教育されていると言っても、無駄死にしてもそれは国のためにはならない、という判断だったと思う。
博物館の外にはちょっとした庭というか公園があり、当時のものかどうか、蒸気機関車が展示されている。
そして、当時のものか、線路が一部残っている。そこには、「日本軍の『死の鉄道』の起点」と書かれた看板がある。
博物館を見終え、タンビュッザヤからモーラミャインへ北上する。
途中、ムドンの街を通り過ぎる。映画『ビルマの竪琴』にも出てきた街で、連合国軍の捕虜収容所があったところである。劇中、僧となった水島上等兵は、捕虜となった部隊の同僚に会いに、ムドンを目指す。
ムドンを過ぎると、世界最大級の涅槃仏、ウィン・セイン・トーヤがある。
ここには2体の向かい合った巨大な寝釈迦仏が横たわっている。ただ、1体はまだ建設中であり、進捗はまだ顔の途中までしかできていないので、いつ完成するのか見当もつかない。見たところ工事が進んでいる様子はなく、打ち捨てられたいにしえの廃墟のようにも見える。
もう一方は完成していて、釈迦は、青空に向かって見開いた眼を向け、心持ち微笑んでいる。
今までいろんな国で涅槃仏を見てきたが、確かにデカい。「世界最大級」と言うのがうなずける。
渡り廊下のような階段と通路を伝って、この涅槃仏の顔の下から内部に入れるようになっている。内部には、仏像や仏陀関係の店が階段とともに現れる。
さらに、地獄や仏教の世界、仏陀の一生などを等身大の人形で展示した広大なスペースがある。参拝者は、通路を辿りながら、次々に再現される光景を興味深く見入ることになる。
地獄の展示では、鬼や閻魔などだろう、斧や槍で地獄に落ちた人間たちを折檻する様子が、血を流し、身体の一部が吹き飛んだ人形とともに再現されている。
伊豆の「地獄めぐり」を思い出す。
展示は延々と続く。さらに奥には、まだ作製中の人形展示ブースが連なっている。色の塗られていない白い人形群が部屋の中に設置されている。まだこちらも完成していないらしい。
涅槃仏の裏山には割と古そうな石の座仏像が建っている。ちょうど涅槃仏の顔の裏に出たらしく、見上げると、巨大な耳の一部の裏側が見える。
涅槃仏を出る。涅槃仏の下にある池では、金属板の斜面を、子供たちが池に向かって滑り降りるウォータースライダー状態で歓声を上げながら遊んでいる。微笑。
モーラミャインに着いたのは夕暮れ時。パアンにも流れるタンルイン川は、このモーラミャイン付近でモッタマ湾に流れ込んでいる。よってモーラミャインで見るタンルイン川は、川幅がえらく広い。対岸に陸地が見えることは見えるが、ほとんど海のように見える。
陳腐な言い方をすれば、タンルイン川の、中国の奥地からの長い旅路がここモーラミャインで終わる、というわけだ。
ちょうど夕日が川に沈んだところだった。パアンでもそうだが、モーラミャインでもタンルイン川は街の西側を流れている。
たくさんの海鳥が飛んでいる。見ると、人々が餌をやっている。餌売りが頻繁に歩き周り、人々に餌を売っている。
海鳥は、空中を高速で飛びながら、人々が放る餌を空中で受け止める。
北の方角に、長い橋が見える。つい最近まで、ミャンマーで一番長い橋だったとのこと。
タンルイン川の河口は、人々の憩いの場になっているようだ。
モン州の州都モーラミャインは、ヤンゴン、マンダレーに次いで、ずっとミャンマー第3の都市だった。最近、ネピドーが第3位になったそうである。順位付けが人口なのか、街の規模なのかよく分からないが、ネピドーは政府関係者だけが住むだだっ広いだけの廃墟のような街である。
モーラミャインは活気のある街だ。交差点では多くの車が行き交い、巨大なショッピングモールもある。キリスト教会が多い。
午後6時、陽の暮れたモーラミャインからパアンに向けて帰路につく。
パアンに着いたのは午後7時過ぎ。
今日も長い1日だった。
チャイッカミ 写真集
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サッセ 乗馬動画
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