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ミャンマー日記(2014年3月)
2014/3/9 (Sun.)
 
現れた蛇。吉兆か。⇔ 拡大
 
事務所近くの道
 
舗装されていない道も多い。赤い土は、カンボジアやウガンダを思い出させる

休日@パアン 晴れ・暑い


先週の日曜日は、ゲロを吐いた後で一日中ぐったりしていたので、実質的には今日が初めての休日だ。朝飯は1週間前に買ったケーキとコーヒーで済ます。日曜にもかかわらず、飯を作ってくれるピーピーさんは、昼飯と夕飯を作りに来てくれた。
昼飯の間、ピーピーさんは私にミャンマー語で話しかける。これがなかなかツラい。相手の言っていることが分からないのは結構なストレスである。私は『ミャンマー語旅の指さし会話帳』という本を開いて、懸命に話す。もう食事どころではない(笑)。だがこれがミャンマー語上達の近道だと考えれば何とかするしかない。

事務所の入り口の外に、小型の蛇が現れた。さすがミャンマー。普通にそこらへんに蛇がいる。

私が住んでいる事務所は、パアンのダウンタウンからは相当に遠いところにある。いわゆる街外れだ。よって、歩いて街に飯や買い物に行くことはかなり困難のようだ。いつも移動は事務所の車である。
今日はそれを確かめるため、昼食後、炎天下の外に散歩に出かけた。気温はどうだろう、30℃は軽く超えていると思われる。
5分歩くとちょっとした店や食堂(といっても半屋外形式のミャンマー式お茶屋である)が現れる。その後しばらくは民家と空き地以外は何もない道で、20分ほど歩くとちょっとした店が連なる一画にたどり着く。雑貨屋、食堂が集まっている。中には、ケータイ屋もある。ケータイ屋だけは、こぎれいなディスプレイで、いわゆる私たちが日本で見るような店に近く、他のミャンマー的店とは一線を画している。
だが結局ここも街外れの小さな商店街に過ぎない。もっとも、ダウンタウンにどれだけの大規模な店やレストランがあるのかはまだ私には分からない。
私は絵葉書を買おうと、いくつかの店で絵葉書がないか聞いたが、どの店にも売っていない。
仕方なくここで私は事務所に引き返した。ダウンタウンに行くために、自転車でも調達せねばなるまい。
2014/3/8 (Sat.)
 
 
ここの壁にもまたヤモリ。トカゲかも

仕事六日目@パアン 晴れ・暑い
 

私が所属するNGOが運営する技術訓練学校では、毎週土曜日の午前中は特別授業が行われる。今日は交通局のような公的機関に行き、生徒たちは交通安全講習を受けた。
講師は3人が出てきたが、みなユーモアを交えた巧みな話術で、若者聴衆の笑いを誘っていた。ミャンマー語だから、話の内容は全く分からなかったが。
講習の内容は主にバイクの交通安全についてで、バイクの正しい乗り方、交通ルール、危険予知等を教えていた。教習所の感じである。
どうやらこの国では若者のほとんどがバイクに乗るようである。確かに、パアンの街では、ノーヘルの若者たちが、二人乗りして街を流している。

パワーポイントを用いた講義では、交通事故の写真がこれでもかというぐらいに次々と出てきた。それらの写真には、血を流して倒れている(もしくは亡くなった)人物の写真があからさまに登場する。遺体や重傷人の映像報道がどのレベルまでなされるかは国によってまちまちだが、僕の経験からすると、いわゆる開発途上国と呼ばれる国では、テレビニュースなどで平気で死体をそのまま映して報道したりする傾向が強いようである。日本ではあり得ない。

そんなこんなで8:30から昼12時過ぎまで、3時間半以上の講習。だが聴衆はきちんと集中できていたようである。プレゼン者の技巧の成果か、それとも権威に弱いミャンマー人の体質なのか。

3人目の講師として登壇したここの責任者の男性は、State Officerという肩書で、(多分)カレン州の役人。彼は元軍人で、精悍な顔立ちと体躯をした人物である。歳は40代半ばといったところだろうか。
ミャンマーでは、政治・行政において現在要職に就いているのは、軍人上がりが多い。長い間軍政が続いたミャンマーでは、軍人や退役軍人の天下りポストが公的機関の責任者というわけである。軍人時代に上位の役職であった人ほど、天下り先でのポストも高い。そのような、軍人に牛耳られたミャンマー政治を、民主主義からは程遠いとして忌避する人も多い。天下りを徹底的に糾弾する日本人も、その傾向が強いだろう。かくいう私も、主要ポストの人選はもっと公正になされるべきだと考える人間だ。もちろん、ミャンマーという他国のことについて、とやかく口を出すつもりはないし出してもしょうがない。今後変わっていくことに陰から期待するしかないのだ。

講習後、この責任者と座って話す。彼はCaptain(大尉か)まで昇進した後に退役し、現職に就いたらしい。軍人としては主にラカイン州(ミャンマー北西部)で活動していたとのこと。
話の中で突然、彼が両足のズボンの裾を引き上げた。すると、彼の両足は、膝から下が義足だった。地雷でやられたそうだ。私には衝撃の光景だった。彼の歩行に不自然さはなく普通に歩いていたので、まさか両足が義足だなんて思ってもみなかった。
軍人も楽じゃない。そりゃそうだ、命がけだ。だが、そのことと天下りの話は全く別である。

講習後、私から講義してくれた3人の先生に、贈り物(ロンジー)を渡す。どうやらこれがミャンマー流らしい。表向きは我々の生徒たちを講習に参加させてくれたことに対する謝意の表明であろうが、「ま、今後とも何かにつけて、お願いしますよ」という意図がアリアリと感じられる。いや、これはあくまでも私見なので本当にそうなのかは分からない。今度聞いてみよう。なぜ私から渡したかと言えば、私がパアンにおける当団体の責任者だからである。
皆さんご存知の方はご存知であろうが、私は正義感の強い人間である(笑)。賄賂などというものは絶対に否定するタイプである。こんなロンジーが賄賂などとは思わないが、あまりこういう場には遭遇したくないもんである。目的と手段。
協力隊でも結構悩んだことだが、「郷に入れば郷に従え」をどこまでやるか。まずは文化・習慣の違いを徐々に学んでいくことから始めねばなるまい。
2014/3/7 (Fri.)
仕事五日目@パアン 晴れ・暑い
 
 
なんか、ミャンマー的風景(ヤンゴン→パアンの途中)


ミャンマーに来て1週間だが、食事は別として、この1週間で早くもある習慣が変わった。それは、靴下を履かなくなったことである。
ご存じの通り、ミャンマーという国は、椎名誠風に言えば、「コシマキとサンダルの国」である。男女ともみなロンジーという腰巻を巻いている。もっとも、ここ最近では欧米文化の急速な流入により、どこの統計かは知らないが、10年くらい前にはロンジー着用率は90%だったのが、最近では70%程度まで下がっているという。確かに、私の勤める技術訓練学校の生徒たちも、ズボンを履いている者が多い。
さて、そしてサンダルである。こちらも男女ともほとんどすべての人がサンダルを履いていると私には見受けられる。親指と人差し指の間に鼻緒がある、ビーチサンダルタイプ。外履きサンダルの素材は大抵皮でしっかりしているが、底はペラペラで薄い。男性のサンダルは黒。
常日頃裸足にサンダルなわけであるからして、ミャンマー人は靴下を履かない。そして彼らの足は汚れているに違いない。何しろ、道は未舗装が多く、パアンでは赤い砂の道がいたるところにある。そこを歩いていくわけであるから、汚れて当然である。そして彼らはそれを普通だと思っているに違いない。清潔潔癖症候群に陥った日本人からは程遠い感覚である。田舎に住むミャンマー人の多くは、コンクリートで固められた場所とは無縁である。そこらじゅうにあるありのままの自然を受け止めて生きている。江戸時代くらいまでの日本も同じだったろう。日本でも、相当な田舎に行けば、コンクリートがあまりない場所がまだあるかもしれない。まあだけど、列島改造計画で日本の街はほとんどの場所が均一的にコンクリートで固められちゃったと思われる。

サンダルにはもう一つ利点がある。それは、寺ですぐ脱げる、ということである。ミャンマーの大多数、90%近くは仏教を信仰しており、街という街には必ずパゴダ(仏塔)を伴った寺院がある。寺院は聖域のため、人は必ず靴を脱いで入る。東南アジアの仏教国ではたいていそうである。信心深い彼らは、しょっちゅう寺院に出かけるわけで、すぐに脱げるサンダルは好都合である。

式典など公式な場でのミャンマー人の正しい服装は、白い上衣(名前覚えていない)に、ロンジー、そしてサンダルである。ロンジーにも正装用があるらしい。柄や素材が違うのだろう。きっとサンダルにも格があり、きちんとした場所でのサンダルと、普段履き用は違うと思われる。全く、サンダルが正装とは。
パアンには山が多く、いずれ山に登りたいと思っているのだが、ミャンマー人は登山をする時もサンダルなのだろうか。
2014/3/6 (Thu.)

夕暮れの空き地でセパタクローに興じる若者たち。足の高さに注目。 

仕事四日目@パアン 晴れ・暑い


事務所の前の空き地では、午後5時になるとパン、パン、と乾いた音がしてくる。バドミントンをやっているような音だ。
真相はセパタクロー。(いや、ひょっとするとセパタクローとは似て非なるものかもしれないが、とにかくそのようなものだ)
近くの若者が集まってきて、裸足でプレーを始める。セパタクローは、籐で編んだ中空の軽いボールを使った、サッカーバレーである。つまり、手以外、足とか頭で地面にボールを落とさないように自陣でつなぎ、3回以内に相手コートに返す。ネットの高さは1m50cmくらいだろうか。ルールはよく分からないが、彼らのプレーを見ていると、一人で2度連続で触ることができるようである。その点はバレーボールと違うところだ。
必殺技は、頭の上まで足を振り上げての延髄切りスパイク。

それにしても、今の時期午後6時くらいで暗くなるのだが、彼らは6時半になって真っ暗になってもまだ続けている。こちらからボールの音と彼らの歓声が聞こえてくる場所を見ても、ただの暗闇にしか見えない。ミャンマー人、恐るべし。
2014/3/5 (Wed.)
仕事三日目@パアン 晴れ・暑い

昨晩は冷え込んだ。といってもTシャツで寝ていて、ペラペラの掛け布団をまとわないと寒い、というくらいの話である。気温にすると、15℃くらいだろうか。
朝起きてみると今日も快晴。雲一つない。この調子だと今日も昼間は暑くなりそうだ。

停電は毎日するので、もう停電日記はやめる(笑)。
2014/3/4 (Tue.)
仕事二日目@パアン 晴れ・暑い

ヤモリ。結構目が怖い。

事務所の周りは自然豊か、というかあまり開発されていない田舎なので、色々な動物・昆虫がいる。庭には木々があるため、スズメをはじめとする鳥が多く、朝方の鳴き声はうるさいほどである。昼間、時々建物の中に入って来るが、いたるところが開放されているので、すぐに出口を見つけて出ていく。

そして、トカゲやヤモリが多い。ヤモリというのは、台所の壁にずーっとじっとしていたかと思うと、ふと見ると忽然といなくなっている。不思議な動物だ。そもそも垂直の壁にペタッと張り付いていられることが驚異である。あの手足の吸盤が相当な吸引力を持っているに違いない。大きなものだと15cmくらい。小さなヤモリは想像以上の機動力がある。

今日は昼間一時停電していたが、夜の停電が今のところない(21:38現在)。
2014/3/3 (Mon.)
仕事初日@パアン 晴れ・暑い

レモンコーヒー

朝6時40分に起きる。体調は元に戻ったようだ。朝食後、生徒たちがいる学校兼寮へ向かう。改めて言うと、私の仕事は、ここパアンで日本政府の資金を受けて建設中の技術訓練学校の立ち上げ・運営である。
朝8時からスタッフとの打ち合わせ。自己紹介する。みんな私がどんな人間なのか、興味津々だ。がほとんどは笑顔で私を迎えてくれた。ミャンマー人は、本当に穏やかで優しくて人がいい。
私が働くパアンでは、日本人駐在員は私一人。あとはミャンマー人スタッフが17名。うち英語が話せる人は7人くらいだろうか。

生徒たちにも挨拶する。彼らの視線も好奇心に満ち溢れている。
授業を見学し、昼前に事務所に戻る。

昼下がり、事務所のお掃除・給仕のおばちゃんが、「コーヒー飲むか?」と聞くので、「飲む。」と答えると、「何か入れるか?」と聞くから、「ブラックで。」と答えると、おばちゃんは事もなげに聞いてきた。
「レモンは入れるか?」
僕はここではたと返答に詰まった。
コーヒーにレモン?聞いたことないぞ。
しばらく躊躇した挙句、僕は答えた。「レモン入りで。」
出てきたのは、見た目はブラックコーヒーだが、明らかにレモンの香りがするコーヒー。つまりは、そのまんまレモンティーのコーヒー版で、コーヒーにレモン汁が入っているわけである。全くミャンマー。油断も隙もありゃしない。これだから異国はやめられない。ありそでなかったレモンコーヒー。今まで試そうとしたことなど一度もなかった。そんな、簡単そうに見えて実は誰も飛び越えないハードルを、軽々と超えるミャンマー。さすがだ。
肝心の味はと言えば、全く悪くない。いける。よく考えれば、コーヒーにだって、いろんなものを入れるじゃないか。だが、ブラックじゃない、砂糖やミルクの入ったコーヒーにレモンはいかがなものかと思う。多分ダメだろう。ブラックだからこそいける、というのが私の推定だ。
レモンコーヒー。皆さんもお試しあれ。

思えば、エクアドルでは、ご飯の上に調理したバナナが乗ってきて、初めは「ご飯の上に甘いもの」ということで閉口したものだが、しばらくすると全然食べられるように、いやむしろ乗ってないとダメ、みたいな状態になったものだ。これぞ異文化との遭遇と融合。

今日も停電。昼夜関係なくやって来る。だが、自家発電があるので、電気が必要な際は発電機を回せば問題はない。そして、事務所には各部屋に、パナソニックから寄贈されたソーラーランタンがあるので、急な停電の際にはこれをつければよろしい。なかなか明るくて重宝する。
2014/3/2 (Sun.)
体調不良

私の職場の事務所2階から見た風景。奥に見える山の頂上には、
パゴダ(仏塔)があり、夜になるとライトアップされる。

昨晩のゲロ以来、体調が思わしくない。ゲロを吐いたので気持ち悪さはなくなったが、頭が重い。変なウィルスだか寄生虫かピロリ菌か何かが体の中に入ったのかもしれない。
立ち上がりからこの調子では先が思いやられる。

結局今日は一日中ほとんど寝ていた。食欲ゼロ。夕方まではバナナ2本とスイカのみ。夜になってようやく食欲が少し出、スタッフに麺を買ってきてもらって食べた。今晩一晩寝れば、明日は何とかなりそうだ。
今日が日曜でよかった。明日からいよいよパアンでの仕事が始まる。

夜しばらく停電。
2014/3/1 (Sat.)
ヤンゴンからパアンへ

ヤンゴンからパアンへの道中の街

昨日に引き続き、ヤンゴンでのオリエンテーション。午後、私の勤務地、パアンへ車で移動。午後1時に出て、途中一度コーヒーショップで休憩し、パアン事務所に着いたのが午後7時。所要6時間。
着いてしばらくして、急激に気持ち悪くなる。部屋のベッドに横たわってじっとしていたら、のど元に唾が上がってきた。それでもしばらく目を閉じているとウトウトする。しかし次に目が覚めた時、まだ吐き気が残っていた。このままでは気持ち悪いのが続くだけなので、吐くことにする。トイレの洗面所でゲーゲー言って吐きまくる。酒以外でゲロを吐いたのは一体いつ振りだろうか?コーヒーショップで食べたケーキかコーヒーが原因か?

吐いたら案の定気持ち悪さは収まり、再び眠りに落ちる。

電気をつけっぱなしにして寝たら、夜中、いつの間にか消えていた。停電しているらしい。一応電気のスイッチを消して再び眠る。
2014/2/28 (Fri.)
ヤンゴン

ミャンマー朝食の定番、モヒンガ

今日はヤンゴン事務所にてオリエンテーションを受ける。
ヤンゴンは暑い。一番暑い5月に向け、これから暑くなる一途のようだ。すでに日中の最高気温は35℃くらいありそう。

夜、近くのミャンマー料理屋へ食事に出る。チキンカレー、オムレツ、サラダ、ご飯にスープ、お茶で腹一杯食べて4500チャット(約450円)。ちなみに、ご飯とスープ、お茶は無料で、お替り自由。というか、食べ終わると店員がすぐにお替りのご飯やスープを持って来てくれる。今回はお替りなどせずとも腹一杯。
この店は、プラスチックのイスが目印の場末の大衆食堂ではなく、こぎれいな木のテーブルとイスが整然と配置されている店だったので、割と高いかもしれないと思ったが、リーズナブル。

場末の大衆食堂ならば、腹一杯食べても300円くらいだろう。

ミャンマーの食費がおよそ分かっていただけるだろうか。ヤンゴンと地方都市の物価格差はまだ分からない。エクアドルにいた頃は、首都キトの物価は高めで、地方の小さな街では総じて物価は安かった。日本も同じですよね。
2014/2/27 (Thu.)
ミャンマーへ

成田空港のひな飾り
 
 
しばらく離れる日本の最後の食事はメンチカツカレーサラダ付き。
 

朝8時ごろに起き、洗面用具等最終荷物をかばんに入れ、9時半ごろにスーツケースとビジネス鞄1個を持って家を出る。ついにミャンマーへの出陣だ。だがその前に私は眼鏡を買うことにした。昨日のZoffでやはり買うことにしたのだ。で、引き渡し証をミャンマーから自宅に送り、家人に眼鏡を受け取ったうえでミャンマーに送ってもらうことにした。送料がバカにならないとはいえ、眼鏡はやはり必要なのでそのような苦渋の選択をしたわけだ。

千葉駅までバスに乗り、駅からゴロゴロと22kgのスーツケースを転がしながらZoffへ。Zoffは、千葉駅裏の専門店街の一画にある。朝10時。まだ開店したばかりだろうというのに、何人かの客がいる。
視力の確認をし、レンズが決まる。無事セッティング終了。代金を支払う。3月4日以降に引き取りに来てくださいと言われ引換証を渡される。この紙はなぜだかミャンマーまで行ってしまうわけだ。

Zoffでの所要時間は40分くらいで、成田空港行の11時発の電車にちょうど間に合った。成田空港着11時42分。大韓航空にチェックイン。予定通り私の預入スーツケースの重量は22kg。
その後昼飯。成田空港の食堂街も概してアホみたいに高いが、それでも小型フードコートのような、いくつかの店が集まっている一画があり、そこは800円くらいで食べられる。ここにある一店で、メンチカツカレーサラダつきを800円で食す。空港で働く人たちが長蛇の列を作っている。掃除の人、キャビンアテンダント、航空会社の職員。この人たちの昼食代って、自腹だろうか、それとも会社から何らかの補助が出るのだろうか。ここで働く人は、弁当を持ってこない限り、相当に飯代が高くつくに違いない。

飯後、空港の銀行で円をドルに換える。ミャンマーでは、日本の銀行からミャンマーの銀行に送金してもらうことはまだ難しい(サービスは最近始まったらしい)ので、相当額のドル現金を持ち込み、それをミャンマーチャットに換金しながらちびりちびりと使い、何とか飢え死にしないようにする、という何とも原始的な金管理をしなければならない。私が所属する団体では、海外駐在員の給与も、日本の銀行に振り込まれる。

大韓航空機成田発インチョン(ソウル)行きは、13:55発。ソウルには2時間くらいで到着。途中機内食あり。ソウルで2時間弱待って、ヤンゴン行は18:30発。ヤンゴンまで所要約6時間で、ヤンゴン時間22時過ぎに到着。計画では6時間半の予定だったので、だいぶ早く着いた。
空港には私の所属するNGOの、ヤンゴン事務所のドライバーが迎えに来てくれていた。早くもイミグレーションの前からガラス越しに私に手を振っている。
入国は問題なし。ターンテーブル上に私のスーツケースが出てくるのは15分くらいかかったが、無事荷物もゲット。
もう夜10時半。日本時間では午前1時。ついにミャンマーに渡って来てしまった。これから新たな生活が始まる。

車で30分ほどでヤンゴン事務所に到着、今日と明日はここに泊まる。
夜中、警備員の連中と話しているうちに腹が減った。機内食はヤンゴン便でも出てきたのだが、それを食べてからだいぶ時間がたっている。警備員のポアジーさんはいい奴で、もう11時過ぎで外の店は閉まっているので、インスタントラーメンを作ってやる、という。
彼らが日頃夜食として食べているものだ。私はいくつかある種類のうち、韓国製の辛めのやつを選んだ。10分くらいでポアジーさんが作ってくれた。辛くて美味い。これで眠れる。眠る前のインスタントラーメン、どう考えても体には良くなさそうだが。

いよいよ明日からミャンマーでの仕事が始まる。

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