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ミャンマー日記(2014年3月)
 2014/3/21 (Fri.)
 
木工の実習で椅子を作る生徒たち

やっぱり暑いミャンマー  曇りのち晴れ・暑い@パアン


昨日もそうだったが、今朝も曇っている。空一面の曇り空。だが昼前になると空全面に展開している雲が嘘のようになくなり、快晴となる。そして午後はとてつもなく暑い。

今日の午後はずっと技術訓練学校を建設しているサイトで過ごした。まだここには建物がほとんど建っていない。いままさに建設中なのだ。だだっ広い砂の敷地に、強烈なミャンマーの太陽が、容赦なく照りつける。
建設作業者と建設課の生徒たちがここで作業をしている。生徒たちは、午前中は教室で理論の授業、午後はサイトで建設実習なのだが、この実習では彼ら自身で実際に建物を造る。
それにしてもこの暑さで肉体労働をするのは相当にきつい。

ネットでパアンの気温を調べてみたら、最高気温は39℃!恐ろしい。どうりで暑いはずだ。今週は軒並み最高気温が38〜39℃である。最低気温が22〜25℃。昼の暑さを考えると、朝晩は割と涼しいと言えようか。日本でいう熱帯夜ではなく、気温は下がる。

だが今日の夜も暑い。例のエアクーラーをかけて寝るが暑い。窓を全開にして蚊帳を降ろす。
ミャンマーに来てから、睡眠時間が長い。暑さで体力を消耗するせいか、いや単に歳のせいなのか、8時間くらいは寝る。いや、それ以前にやることがないというのも早く寝る理由の一つだろう。娯楽ゼロ。部屋にはテレビもないし、本もほとんど持ってきてないし、時間をつぶすものはない。
私が今月初め着任するころに事務所にはインターネットが入り、今はネットサーフィンと本ホームページ作成が夜の時間の過ごし方である。ネットは遅いし時々接続が不安定だが、ネットがなければ完全に世界から隔絶されている感じだ(笑)。まだミャンマー人の方が、僕よりいまの世界情勢について詳しいんじゃなかろうか。彼らは新聞が読める。ミャンマーのニュースすらも僕には把握できない。
そんなに時間があるのなら、もっとミャンマー語を勉強すればいいのだけれど。
2014/3/20 (Thu.)
 
トカゲ。日本でよく見るトカゲに比べ、やや大型で、柄がとげとげしい。
保護色か。
 
私の部屋にあるエアクーラー。扇風機と変わらない。

停電  曇りのち晴れ・暑い@パアン


昨晩は、窓全開で初めて蚊帳を降ろして寝た。
腹の調子はどうやら回復したようだ。だけどやっぱり妙なものが既に腹の中に入った感じがする。付き合っていくしかないか(笑)。

今日は午後6時ごろから停電。ちょうど仕事が終わる頃だったので、発電機は回さず。発電機を回すのにも燃料代がバカにならないので、仕事がなければ回さない。私のパアンでの3週間近い滞在経験上、普通ならば、数10分、長くても1時間くらいで停電は終わるのだが、今回の停電は長かった。

すぐに辺りは暗くなり、パナソニックから寄贈されたソーラーランタンを事務所のそこかしこに配置し、明かりを確保する。これで電池不要だというのだから実に使える。停電の多いミャンマーにうってつけの品物だ。今の時期、乾季なので、毎日これでもかというくらいに晴れる。よって日中に太陽電池で充電しておけば、夜はいつ停電があってもOKだ。

それにしても、ここ下界は電気がないというのに、正面に見える山の頂上のパゴダは、明々しくライトアップしている。あんな誰もいない山頂に電気いらないって。お願いだからこっちに回してくれよ。

夜、暑さに悶絶する。私の事務所にも部屋にもクーラーというものはなく、私の部屋では、「エアクーラー」なる扇風機と変わらない送風機械が唯一の冷房機器である。電気がないとこの最後の砦も回せない。昨日あたりから、やたらと暑い。窓を全開にし、蚊帳を降ろす。蚊帳は一応囲いなので、暑さが増す。暑い国の旅行で安宿で汗だくになって眠ろうとしている自分を思い出す。しかしながら、これは旅行ではない。日常なのだ。これを毎日続けなければならないのなら、相当にツラい。旅行ではなく仕事をせねばならない。暑くて体力が奪われるうえに、夜眠れないとなるとゆゆしき問題だ。初めての高温多湿の国での生活は、先が思いやられる。
やっぱり、こういう暑い国の人は、あくせく働かないよなー、と今更ながら思う。こんな暑いのに、働く気になりますか、ての。ああ、いいのだろうか、開発途上国の未発展を気候のせいにして。そんな単純な問題なのか。いや、違うでしょう。多分。シンガポールを見てみなさいよ。だがあっちが特殊なのかもしれん。課題。

こうして暑さで眠れずに、たびたび起きるという最悪の一夜を過ごす。

結局今日の停電は、翌朝起きても復旧していなかった。12時間以上継続。翌朝学校に行って昼前に事務所に戻ってきたときには回復していたが、私における史上最長の停電となった。

<追伸>
パナソニック社は、最近どの企業でも割と声高に叫ばれているCSR(社会的責任)活動の一環として、無電化地域へのソーラーランタンの無償配布をしている。私は前の会社ではバッテリー関係の仕事をしていたので、CSRで同じようなことをやればいいのにと思う。ミャンマーに持ってきてくれたら、私が受け皿になりますよ(笑)。企業にとって金にはならないけどね。
2014/3/18 (Tue.)
パアンへ戻る  晴れ・暑い@パアン
 

週末土、日の年次会、さらに日本人駐在員の会議も終了し、今日パアンに戻る。
ヤンゴンでは中国系のホテルに泊まったのだが、これが快適。シャワーのお湯は出るし、もちろんクーラーで快適だし、WiFiでネットにもつなげられた。
パアンでは水シャワーのみ、クーラーなしの生活。
朝7時30分車で出発。パアン着午後1時。
やはりヤンゴンは相当な都会だ。パアンに戻ってくるとそれが一層よく分かる。

どうも一昨日あたりから腹の調子が良くない。下痢。空腹になると胃がシクシクと痛む。まだ今日になっても若干悪い。
2014/3/14 (Fri.)
ミャンマーの朝食  晴れ・暑い@ヤンゴン
 
 
シャンヌードル。汁なし。

今朝の朝食はヤンゴン事務所でシャンヌードル(シャン・カウッスウェ)。
シャンヌードルというのは、その名の通り北東部シャン州の名物らしいが、これはもうすでに全国区の食べ物であるように見受けられる。ヤンゴンはもちろん、カレンでも食べられる。そのメジャー度合いはよく分からないが、日本でいえばゴーヤチャンプルーくらいであろうか。いや、普通の食堂にはゴーヤチャンプルーはないから、もっとメジャーな、そう、とんこつラーメンくらいまでいくか。あるところにはあるけど、ないところにはない。

さて、そのシャンヌードルであるが、これは小麦麺に、辛めの味噌のようなたれと、漬物が乗っている食べ物である。僕がこの朝食べたのは汁なし。汁ありもあるようで、汁の有り無しを選べるらしい。
美味いのだが、辛かった。朝から辛いものは食べないので、かなり刺激が強い。

ミャンマーに来て食事が変わったのは当然だが、朝食をきちんと食べるようになったのは特筆すべきだろう。日本では僕は朝食は常に菓子パンまたは食パンにコーヒーだった。ミャンマーに来てからは、僕の中で早くもミャンマー朝食3大メニューであるに違いないと思うに至った、@モヒンガ、Aオンノウカウッスウェ、B揚げパン(イージャーグェー)を代わる代わる食べている。日本にいるときは朝は全く食欲がなく、機械的に、半ば強制的に口の中にパンを押し込むだけなのであるが、こちらでは結構腹が減っている。なぜだろう、そういえば旅行に出ると、たいてい朝ごはんはガッツリ食べることが多い。ホテルの朝食がバイキングであることが多いのも一つだが、それ以前になぜか旅行時は朝、食欲があるのだ。旅行しているときは身体が何か変化しているのだろうか。今回は旅行ではないが、環境の変化か、気の張り方か、とにかく何かが変わっているに違いない。
2014/3/13 (Thu.)
ネピドー 晴れ・暑い
 
 
途中のサービスエリアの駐車場
 
ヤンゴン−ネピドーの風景
 
お化けススキ

今日も朝5時過ぎに起きて、6時出発でネピドーへ。ネピドーはミャンマー国の首都である。今日はここで、我々のカウンターパートである国境省の教育訓練局というところに行き、事業の進捗報告を行う会議があるのだ。

ヤンゴン市内を走っていると、いきなり霧に包まれた。数m先も見えないほどの濃霧。高速に入っても霧は晴れない。か〜な〜り〜危ない。高速だというのに車は時速40km以下でのろのろ走る。

霧が晴れた後は、車の少ない高速を、ガンガンに飛ばす。
途中、広々としたサービスエリアで食事休憩。僕は朝食を事務所で食べたので、コーヒーのみ。

霧に行く手を阻まれたせいか、11時会議開始なのに、ネピドーに着いたのは11:20。政府の要人との会議なのにこんなに遅刻しちゃっていいのかよ?と愕然とするが、特に問題にはなっていないようだ。
結局11:30過ぎに会議はスタート。1時間で問題なく終了。

ヤンゴンへの帰途につく。ネピドーは、広々とした道路に沿って、政府関係者の豪奢な邸宅が立ち並び、ところどころに同じ形をした省庁の建物が建っている。噴水、公園、建設途中のパゴダ。

同僚のウーテイが言う。
「道路はやたらと広いけど、全然車が走ってないだろ?ネピドーとはそういうところだ」
なんか、最近行ったところでは、ウズベキスタンのタシケントの新市街を思い出す。ただ、タシケントは完全に整備された街に人がいない、という感じだったが、ネピドーは、荒野の中の造成途中の街、みたいな印象だ。

ミャンマー軍事政権が、莫大な金をかけて首都をヤンゴンからネピドーへ移したのは2005年11月。
昔軍人だったウーテイに、なぜミャンマーはヤンゴンからネピドーに遷都したのか?と聞いてみた。
僕は、ネピドーは国の真ん中くらいにあるので、どこに行くのにも便利だからだと思っていたが、ウーテイは、それもそうだが、と言って次の理由を教えてくれた。
@ヤンゴンは海に近いため、洋上から他国の侵略攻撃を受けた時、陥落しやすい。インド−パキスタン戦争で、パキスタンの当時の首都カラチが洋上からのインドの攻撃を受けて崩壊し、そのまま国は制御不能となったことが教訓となっているという。パキスタンはその後首都を内陸のイスラマバードへ移した。ミャンマーはこれをコピーしたのだという。
Aミャンマーのような民主主義でない国は、デモにより政府が転覆することもあり得る。(私が住んでいたエクアドルでは、私の滞在中に、まさに反大統領デモが起こり、大統領はブラジルへの亡命を余儀なくされ、政権はひっくり返った。民衆の力というのは底知れない)
ミャンマーでも、1988年の大規模民主化デモでは、ラングーン(ヤンゴンの旧称)の主要政府機関がデモ隊に包囲されて大変だったという。そこで政府は、デモなどが簡単にできない首都を構想し、新しいネピドーという街を造った。この街にはほとんど政府機関関係者しか住んでおらず、「大衆」というものが存在しない。もちろん、誰でも住めるのだが、地価や物価が高いし、交通の便は悪いので、誰も住みたがらないのだとか。この街の様子を見ていると、それが分かる気がする。

それにしても、一国の首都が、その国の「顔」でないというのもなかなか面白い。他で同様の例を思い出すのはスリランカか。

帰りも、行きに寄ったサービスエリアに寄り、遅い昼食。ご飯の上にあんかけがかかっている中華丼風、タミンバウン。
あとは一路ヤンゴンに戻る。荒野を一本の真っ直ぐな道路が貫く。時々後方に山が現れる。ススキのお化けみたいなのが群生している。
日帰りのネピドー出張はつらい。たった1時間会議のためにヤンゴンから往復10時間かけるのだ。全くネピドーなんかに首都があるおかげで、こちとら大変だ。国の中心くらいにあるけど、車以外の交通機関がないのだ。
政府関係の人間だって、しょっちゅうヤンゴンに行かなければならないのではなかろうか?車で5時間って、遠すぎだろ。

ヤンゴンに着き、夜飯は、同僚と、『シャーキーズ(Sharkeys)』というイタ飯屋。ピザとかあるが、絶対にシェーキーズじゃないだろう。ワインを飲んだせいもあるが、それにしてもここの会計はボッタくりだった。一人22000チャット(約2200円)。僕がミャンマーの食事において体験する最大の支払いだ。これって、パアンでの5日分の食費ですよ。それがたった1食で飛んでいくとは。しかも大した食事じゃない。
一番ムカついたのは、頼んだパパイヤジュースが、水のように薄かったこと。それで2000チャット(約200円)。昨日、ヤンゴンの割と安い食堂で飲んだパパイヤジュースは、それはそれは濃厚で美味だった。ゴロゴロと果肉が入っている。しかも1000チャット(100円)。シャーキーズ、名前といい食事といい、人をバカにするにもほどがある。もう二度と行かないことは言うまでもない。
2014/3/12 (Wed.)

縦書きのカレンダー。僕らになじみの横書きもあるが、縦書きもある
ミャンマーという国は、曜日が大事な国である。カレンダーの曜日の
ところに、動物の絵が描かれている。それについては後ほど。
 

ヤンゴンへ 晴れ・暑い


朝6時、運転手、同僚一人とヤンゴンへ車で出発する。今日から1週間、ヤンゴンに滞在する。
明日は首都ネピドーで我々のカウンターパート(我々の事業のミャンマー側の担当部署)である政府機関との4半期に一度の会議がある。さらに今週末には、我々の団体の、1年に一度の年次会というのがヤンゴンで開催される。この会議では、ミャンマー各地にある事務所から、主要メンバーがヤンゴンに集まり、2013年の振り返りと2014年の計画について議論するのだ。協力隊で言えば、年に1度の隊員総会のようなものか。だが、この年次会は、日本人駐在員だけでなく、ミャンマー人シニアスタッフも多数参加する。というか、我々の団体は、日本人駐在員よりも圧倒的にミャンマー人スタッフのほうが多いので、会議に参加する人数もミャンマー人スタッフのほうが多い。彼らが事業の担い手なのだ。

11時半にヤンゴンに到着。明日のネピドーでの会議に備えて事前打ち合わせ。
夕方、隣宅から、アメリカンロックのカラオケが流れてくる。シンディ・ローパーの『タイムアフタータイム』、シーナ・イーストンの『テレフォン』。懐かしい。歌っているのはミャンマー人だろうか。これで歌が下手なら台無しの気分だが、なかなか上手い。よろしい。僕も口ずさむ。
長いこと欧米の経済制裁にさらされてきたミャンマーだが、、きっとここ数年で欧米文化がどっと入ってきているに違いない。僕が中学生の時にアメリカントップ40音楽ばかり聴いていたように、ミャンマー人がアメリカンロックを好きになっても何の不思議はない。

音楽といえば、こちらでは時々日本の曲のカバーを耳にする。有名なのはなぜか長渕剛の『乾杯』。ミャンマー人は若い人ならみんな知っている。それと、こないだヤンゴンからパアンに来る車の中で流れたのが、財津和夫の『サボテンの花』のミャンマー語カバーと、徳永英明の曲名忘れたがカバー。
だが、日本文化は、この国には驚くほど入っていない。第2次大戦時の少なからぬ因縁があるとはいえ、その後日本は欧米と足並みをそろえ、経済制裁を続けていたので、ミャンマーとは没交渉になっていたわけだ。CD・DVD屋に行くと、アジアの他国では、韓国の音楽、ドラマ、映画が圧倒的に多い。ハリウッド映画も多く出回っている。日本は、アニメはさすがに少し健闘しているが、ドラマや映画はほとんどない。
2014/3/11 (Tue.)
東日本大震災から3年  晴れ・暑い@パアン
 

今日で丸3年。まさかこの日を異国で迎えようとは思わなかった。3年というのは長い月日だ。
毎朝8時、授業の前にミャンマー人スタッフとブリーフィングがあるのだが、そこで僕はこの国の人には関係ないけれども、こう言った。
「今日は、日本人にとって特別な日です。日本を襲ったあの恐ろしい地震からちょうど3年がたちました。」


我々の団体は、ミャンマー中央乾燥地域で井戸を掘っているのだが、震災後、我々が井戸を掘削した村の人々から、10数万円の義援金が我々に届けられた。村人みんなから集めたのだという。井戸を掘ってもらった日本には感謝している。だから恩返しがしたい、と。10数万円と言ったら、こちらの物価ではとてつもない大金である。ましてや、農業を生業とする、貧しい村の人々である。

結局、こういうことなんだと気づかされる。国際協力とか開発支援とかっていうのは、供与側から被供与側への一方的なものではなく、双方の”絆”作りなんだと。僕らが困った時には、彼らが助けてくれる。そんな関係性を築いていかねばならないのだと。
2014/3/10 (Mon.)
大音響の音楽

パアンで最も有名な山、ズウェガビン山

何か知らないが、夜中の2時とか3時ごろに、突然大音響の音楽が近くで鳴り出したので起こされた。

朝同僚のウータントンに、「なんでいきなり夜中に音楽が、しかもあんな大音量で始まるんだ?パーティが突然始まったのかい?」と聞いてみると、「あれは祭りじゃないか?」という。ミャンマーに無数にあるパゴダ(仏塔)では祭りがあり、数日から1週間くらい続くその祭りでは、出店なども出るし、音楽もガンガンにかかるのだという。いや、それにしては夜中に突然鳴り出したぞ、と僕は釈然としない。

僕がパアンに着いた直後には、やはり夜、近くで大音響で音楽が鳴っていた。近くは空き地とか畑が広がり、民家はポツンポツンとしかないのに、音楽は、すぐそこから聞こえてくるかのようにボリュームマックスである。
同僚のコーカンは、「あれはきっと、民族音楽の踊りの練習をしているのであろう」と言った。彼はヤンゴン出身なので、カレン州の伝統音楽に精通しているとは思えないが、きっと独特の音楽だったのだろう。僕にはそこまで識別する能力はない。

さて、このように、パアンに来て早速驚いたこととして、あたりはばからない、大音量の音楽が、昼夜構わず流れてくることが挙げられよう。流れてくる音楽の種類は様々である。独特のスケールを使った民族音楽的な場合もあるし、ミャンマーの伝統歌謡(日本でいえば演歌?)のようでもあるし、普通にロックっぽい音楽もある。だが共通しているのは、いずれもとてつもない音量で流していることである。夜だろうが深夜だろうがお構いなし。親切で穏やかなイメージがあるミャンマー人の、音楽に対する嗜好を垣間見る。この音量は、エクアドルと変わりませんよ。エクアドルでは、いつでもどこでもフィエスタというパーティをやりたがるのだが、その際にかかる音楽の大きさと言ったら閉口させられたものだ。特に重低音を効かせるのが南米流である。街の電気屋に売ってるラジカセも、「スーパーウーファー」とかばっかりで、重低音が鳴らないとエクアドル人は見向きもしないのである。日本のメーカも、こぞって低音スピーカーを充実させたモデルばかりを投入している。明らかに日本の仕様とは違う。これぞ、各国の人々の嗜好に合わせた商品開発である。

それにしてもミャンマー、音楽大国・ラテン諸国に対抗する音量を出すとは、イメージと違うが、やってくれるじゃないの。

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