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ミャンマー日記(2015年3月)
 2015/3/14 (Sat.)〜3/27 (Fri)
一時帰国の私的日記 (いちおう、備忘録で)
 
やよい軒の和風ハンバーグ定食。やっぱり日本のご飯は美味いなぁ。
 
 
 
何度も川を渡る
 
最大50mの崖の底に川が流れる
 
ベボのぎこちなさ
 
 
ある特定の地層が川床になっている
 
 
白鳥神社
 
大福山展望台から見る房総の低山群。尾根と谷が幾重にも連なる
⇔ 大福山山頂の展望台
 
「おもいでの家」のお汁粉 ⇔ カフェ内部

3月14日土曜日。朝6:30頃、全日空機は成田空港に着陸した。1年ぶりの日本。
入国審査を経て、スーツケースを回収して到着ロビーに出ると、目の前に岡が迎えに来てくれていた。朝の成田、人は多くない。日本は寒い。
岡の車で千葉市の実家に戻る。8時には実家に到着。岡に礼を言って別れる。
実家から行きつけの西小山の床屋に電話をかけ、久しぶりの挨拶をし、早速今日髪を切ってもらうことにする。
日本式の風呂に入るのも久しぶり、ゆっくりと湯船に浸かる。
裕助に預けていた車のキーを実家のポスト付近で見つけ、僕は車を停めてある駐車場へ向かった。裕助からは「エンジンオイルが漏れている」という不具合報告を受けていたのだが、どうやら裕助の処置のおかげで今は漏れは止まっているようである。
ボンネットを開け、バッテリー上がり対策のために外してあるバッテリーの配線を接続し、エンジンをかける。一発でかかった。1年ぶりの車の運転。車は快調だ。裕助も石坂もそれほど乗ってはいないはずだが、ブレーキは音を立てないし、効き具合も悪くない。エンジンも問題ない。
千葉駅のいつもの100円パークに停め、電車に乗る。なんと、電車賃が値上がりしている。後で気づいたのだが、消費税が5%から8%になったのだ。
西小山では店長の嶋田さんと旧交を温め、ミャンマーの話を色々する。あまり体調が良くないことを言うと、嶋田さんは、
「吉田さん、髪質も変わった気がする」
そうかもなぁ、シャンプーも水もなにより食べ物が違うからなぁ、油っこい。外から内から身体が変わっていく。恐ろしや。
床屋料金も値上げしていた。4500円。ミャンマーでは、シャンプー、マッサージ付きの床屋が4500チャット(約450円)だから、物価は約10倍か。僕がいつも行っているカットのみの店は1000チャット(約100円)。日本でも最安カットの店は1000円くらいだから、やはり10倍というところだろう。

千葉に戻り、行きつけだったネットカフェで色々調べ物をする。有効期限が切れるショッピングサイトのポイントなどがあり、日本にいる間に使い切ってしまわねばならない。

3月16日月曜日。
ジェイコー千葉で法廷健康診断を受ける。血液検査、肺のX線、胃のX線、心電図等の通常検査。結果が出るのは3週間後とのこと。

3月17日火曜日。
衆議院第一議員会館で行われた「ミャンマー産業人材育成シンポジウム」に出席。1週間前にADRAのシンポジウムで会ったミャンマー人の政府役人が来ていたので挨拶する。
夜、仕事終わりの石坂と品川で合流。有楽町に移動してガード下の並びの店で、ビールケースに座って酒を飲む。石坂も久しぶりだがそれほど久しぶりな感じがしない。まぁ、1年なんてそんなものだろう。この後、川崎で飲んでいたというけんじが石坂に騙されて合流し、朝までキャバクラはしごで散財。銀座のキャバクラはボッタくりだ。久々のボッタくられ。だが、この日は、僕の全友人の中で一番セコい人間である石坂が、何と、どういう風の吹き回しか、1次会、2次会まで奢ってくれたのだ。一体、どうしたというのか。株で儲けたか?
それにしても、朝4時半まで、石坂とけんじは付き合ってくれた。僕は明日(とういか今日)は休みだからどうということはないが、二人は仕事である。オヤジのくせして、大したものだ。それとも久しぶりの僕に気を使ってくれた、ということだろうか。まぁ、どちらでもいいが楽しかった。ただ、キャバクラに行ってしまったのでけんじと音楽の話が今一つできなかったのが残念だった。レベルダウン5の再始動は、僕がミャンマーにいる間は無理だ。

1年ぶりの日本、物価がとにかく高い。いやもちろん、ミャンマーと比較して、という意味なんですが。加え、消費税が8%にアップしていたので、なおさら何事も高く感じた。
■食事
ミャンマーでは1食だいたい1500チャット(約150円)くらいでしょう。日本では例えば、やよい軒のハンバーグ定食(写真)が確か780円だったかな。物価はおよそ5倍。

3月21日土曜日。
今日は房総の山に出かける。コンスケ推奨の、梅が瀬渓谷から大福山に登るハイキングコース。メンバーは、僕、コンスケ、ほなみちゃん、裕助、ベボの5人。5人なので再び僕の愛車、インテグラが出動となった。朝9時、蘇我駅でコンスケ父子とベボをピックアップし、千葉市を南下し、養老渓谷方面へ。途中小湊鉄道を見ながら走る。
切り立った崖に囲まれた梅が瀬渓谷の駐車場に着いたのは、11時過ぎ。誰もいない。空は雨が降り出しそうな一面の曇り空。
歩き始めると、その渓谷の名の通り、梅の花が曇天の下で僕らを迎える。ここは、その昔、九州高鍋藩出身の教育者日高誠実が、この地に隠遁し、渓谷沿いに梅400株を植え、梅が瀬書堂という学校を開いて近くの子供たちを指導したという。(その日高誠実の屋敷跡も近くにあったが、この日は行かなかった)

梅が瀬渓谷は、房総で一番有名な渓谷と言える養老渓谷の近くにあり、秋には紅葉の名所として知られる。養老川の支流である梅が瀬川に沿って上流に向かってハイキング道がつけられている。いわば沢登りだ。時々道は川と交差する。
1年ぶりの房総の川は、いつも通り澄んでいた。浅い川を何度も渡りながら歩く。石が川に配置されていて、渡河するのに苦労はない。緑の鮮やかさを失って色あせた木々が、曇り空と相まって陰鬱な感じをもたらすが、自然の中にいる高揚感は、そんな雰囲気をも凌ぐ。

川を渡るとき、常にベボは絵になる。動きがぎこちないのだ。沢を登るときも、ベボの動きはひときわその不要領ぶりが目立つ。これほど自然に溶け込めない人間も珍しかろう。彼はもともと体が弱く、中学校の体育の時間はいつも見学していた経歴を持つが、そのような子供の頃の病弱が、彼から身体の伸びやかさを欠かせたのだろうと推測される。またその後彼が、ウェブデザイナーやイラストレーターとして、パソコンやスマホのなかで、自然との対極にある電脳世界の住人として過ごしてきたこととも無縁ではあるまい。だが、その彼の父親は、ボーイスカウト千葉15団の隊長で、アウトドア生活の権化のような人物だったことを考え合わせると、人の履歴というものは計り知れない。

川沿いの崖の地層には、ところどころ堅くて薄い層がある。それがそのまま川に引き出されてきて、ナメ床となっている。つまり、この上の柔らかい層はすべて川の水による浸食で削られ、堅い層が削られずに川床として残ったのではないかと推測される。面白い。
この川も深い谷底に流れている。崖の高さは一番深いところで50m近くあろうか。

3月中旬、沢に生物の姿は薄い。骨と毛だけになった(おそらく)鹿と、沢ガニの死骸が河原に認められる。生きているものといえば、アメンボが水面を滑っているくらい。と、ナメ滝の下、えぐられた小さな壺に、かなり大きなハヤが数匹泳いでいるのを発見した。みんなで歓声を上げる。自然の中にいると、魚を見つけただけで純粋な歓声を上げられる。

川沿いのハイキングを終わり、山の登山道に突入する。途中、結構急な登りがあったりして登り応えを感じる。しばらく登ると、立派な林道に上がる。
始め、白鳥神社にお参りする。神社までの長大な階段を喘ぎながら登る。白鳥神社は、変哲のない林の中の神社だった。社務所らしき平屋の建物は、もう長年使われていないかのように廃屋じみている。

ここから大福山の山頂はすぐのはずだったが、道に迷った。白鳥神社と大福山山頂とはほとんどくっついていると言ってもいいのだが、なかなか現れない。逆に歩いていたことを知り引き返す。で山頂は、林道を白鳥神社とは逆方面に向かい、階段をジグザグに登ったすぐのところにあった。ここは車で来れてしまう山頂である。山に登ったという感じはしない。この「山頂」」には、鉄筋で作った展望台があり、ここに上ると、房総の低山群を360℃眺めることができる。標高290m。ここが市原市で一番高い場所だそうである。
もう13時半だ。ここで昼飯にする。コンビニで買ったおにぎりや弁当を思い思いに広げる。

大福山山頂を辞し、林道女ヶ倉線を45分ほど歩いて駐車場に戻る。ドブの下で巨大なカエルのつがいが鳴きながら交尾している。こんな時期にカエルは交尾するのだろうか。おたまじゃくしのシーズンと言えば初夏のようなイメージが僕にはある。ま、そんなに外れてはいないか。
駐車場にたどり着いたところで雨が降り始める。今日は山を歩いている間は天気がもったから良かったというところだろう。

今日は基本、平坦な山歩きだったが、正味3時間くらいしか歩いていない割には意外と疲れた。日頃の運動不足だろうが、逆にいうとなかなか充実した山歩きができたといえよう。

帰り道、山の中の川沿いに「アートハウスあそうばら(朝生原)の谷」というアートギャラリーのような場所があり、その一画に「おもいでの家」というカフェがあったので立ち寄る。もう3時過ぎで、本来なら閉店とのことだが、ここを切り盛りしているおばちゃん軍団が、僕らを快く迎え入れてくれた。雨が降り出し、気温が下がっている。あぁ、ミャンマーにこの氷雨のような天気があったらどんなにいいだろうか。カフェに入ると、石油ストーブが燃えていて一同を喜ばせる。ここのメニューは、コーヒーとお汁粉と季節の混ぜご飯で、もう混ぜご飯は品切れとのことだったが、僕らは甘いものが食べたく、みんなで揃ってお汁粉を頼む。出て来たお汁粉にはおしんこまでついており、これで350円というのだから、とても良い。さらには、もう閉店間際で余らしても仕方がないからだろうが、ふきのとうの天ぷらをサービスでつけてくれた、苦くておいしい。

ここには地域の物産品も売っていて、梨サイダーとか木彫りの人形とか売っている。どうやらここは、春限定営業のようで、今日3月21日〜5月17日の間の土日祝日のみ営業するとのこと。今日開店のカフェに出会えるという一期一会。
街おこしというか、地域活性化のためにアートギャラリーのなかでJA市原市女性部のおばちゃんたちが始めたらしいが、養老渓谷のおばちゃんたちはなかなか元気があってよろしい。

梅が瀬渓谷・大福山 写真集

カフェを後にし、千葉市へ戻る。岡、ヨーダと合流し、ベボと岡の車で千葉へ。千葉駅近くの天狗で飲む。天狗も変わった。今は「テング酒場」だかになり、和食から洋食までこじゃれたチェーン居酒屋風のメニューになっている。安さは健在だったし、味もまずまずだったので満足。
2次会、ペニーレインは残念ながら今日も閉まっている。岡とベボとコンスケは帰り、仕方がないので僕とヨーダと裕助で千葉の繁華街を練り歩く。またまたはしご。
朝3時ごろまで飲んだが、途中眠ってしまった。

3月25日水曜日。
今日はついにペニーレインへ。1年前のミャンマー渡航前には閉まっていて行けなかったので、もう何年ぶりになるのか分からない。
実家近くのバス停からJR千葉駅行のバスに乗ると裕助も乗っていた。午後8時前、裕助と僕で先行して店に入る。今日は事前に店に電話をして、店が開くことをママに確認してきたのだ。
僕らは、連日店を閉めているのを見て、ママが病気か何かで店を開けられないのではないかと考えていたが、そうでもなかったらしく、久しぶりのママは元気そうだった。1月ごろにひったくりに遭って骨折し、しばらく入院していたというが、それ以外は元気にやっている、とのことで、僕らも一安心。
ほどなくコンスケ、ベボ、小林、三澤が到着。
2年半も前に入れたウィスキーボトルがまだ残っていた。普通ならキープしてあるボトルは1年くらいで廃棄されるものだが、僕らの場合、たまにしか来ないので、ママが気を使って永年キープしてくれるのだ。だが少ししか残っていなかったのですぐに飲み干し、また新たなボトルを入れる。ベボがいつものようにラベル上にイラストを描く。

小林も久しぶりだが三澤はか〜な〜り〜久しぶりだ。20年近く会っていないのではないか?という話だがよく分からない。奴はいま旦那さんの仕事でロンドン在住だという。僕と同じで一時帰国しているとのこと。久々に話をしたが、奴は「海外に住むことで日本とか日本人とかを考えさせられる」というようなことを言っていた。海外に住むと、異文化の中で自分が日本人であることを再認識し、「そしたら日本人、日本文化とは何ぞや?」「日本・日本人の良いところ、悪いところは何だろう?」ということを否が応にも考えざるを得なくなるのである。そして、さらには、「日本のことを、外国人に正確に発信できる人間でありたい」と思うのである。
三澤の話では、ロンドンは人種のるつぼで、あらゆる人種、宗教の人間がいるので、他人に対して寛容である、という。それはロンドンのいいところだと。
だが、日本のようにきめ細やかなサービスや首尾はまるで期待できないと嘆く。何か一つのことをするのに、それにかかわる人間や組織のルーズさ、いい加減さにより、なかなかうまくことが運ばない。忍耐が必要だと。「寛容」というのは、このような環境に寄っているのかもしれない。「諦め」か?

コンスケとWe Can Work It Outを歌う、気持ちいい。16年前の仙台・定禅寺通が蘇る
飲み会の最後には、中学時代の同級生の女性2人が合流した。裕助が誘ったらしい。みんな歳を取りました。
明日は僕は報告会があるので、12時前に帰る。ペニーレインに来れたのは、今回の一時帰国の中でも収穫の一つだ。

3月27日金曜日。
いよいよ明日はミャンマーに戻る日ということで、両親と弟と4人で、近くのトンカツ屋に夕食を食べに行った。1年前の僕の赴任前はウナギを食べたが、今回はトンカツ。寿司という手もあったが、チェーンではあるがなかなか美味いと評判のトンカツ屋(かつ波奈)が近くにあるということで、家族会議の結果トンカツ屋に決まった。トンカツも日本ならではの料理で、パアンではまず食べられないから、僕に文句はない。僕は「佐助豚」(久慈ファームの三元豚らしい)という限定メニューを頼んだ。
ご飯、豚汁、キャベツがお替り自由とのことだったが、キャベツなどはそもそも山のように盛られており、お替りする必要はなかった。

腹がはち切れるばかりに食べた。

 千葉市「かつ波奈」のトンカツ。佐助豚という限定メニュー。


こうして瞬く間に2週間は過ぎ去っていった。
帰国時にやろうと思っていてできなかったことがいくつかあるが、その最たるものは、競馬に行けなかったことである。次の帰国には必ず競馬場に行く(笑)。
2015/3/13 (Fri.)
ヤンゴンのボーヂョーアウンサン市場、そして日本へ 暑い・晴れ@ヤンゴン
 
ボーヂョーアウンサン市場のTシャツ屋

今日は1年前にミャンマーに来て以来初めて有給休暇を取って、ヤンゴン市内で買い物する。主に家族や友達へのお土産を買うのが目的だ。
バスに乗り、ボーヂョーアウンサン市場の近くで降りる。炎天の日差しを少し歩き、市場に入る。ここを歩くと、必ず日本語を話すガイド野郎が次々に現れる。奴らの狙いは、自分の店の品物を買ってもらうことだが、市場ガイドのように僕らを連れ回し、店に案内する。
「何が欲しい?」
「Tシャツ」
「じゃぁこっち」
と言って僕も奴の一人についていく。衣料品や雑貨品売り場は迷路のように入り組んでいて、自分で店を探すのは面倒なのだ。
ほどなくTシャツ屋に着き、ミャンマーTシャツの定番、ミャンマー文字の書かれたTシャツのサイズ、色、値段を確認する。で別の店数軒を周り、コストパフォーマンスを比較し、始めのところで買うことに決める。丸を基調にしたミャンマー文字が書かれたTシャツを8枚購入。
もちろん、これらの店に連れて来てくれたガイド野郎には1銭も払わない。奴らは好きでやっているのだ。もっとも、金を要求してくることはなかったが。案内した店とはグルで、案内料を店から取っているのかもしれない。
そして、これまたミャンマーお菓子の定番、タマリンドキャンディーとおこし風菓子を買う。

市場の一画にある両替商でドルをミャンマーチャットに両替する。今はドル高なので、ドルを他貨幣に換える場合はレートがだいぶ良い。

ボーヂョーアウンサン市場を離れ、カップラーメン用の小型鍋を探すが、どこにも売ってない。ボーヂョーアウンサン市場はどちらかというと観光客向けの市場だが、そこから数ブロック離れたところにある地元民向けの雑然とした市場を歩き回る。鍋やフライパンを売っている店はあるのだが、僕の探し求める、一本の取っ手のついたラーメン鍋はどこにも売っていない。ミャンマーではどうやらこのような鍋はポピュラーではないようである。パアンでも探したのだが、あったとしてもロクな品質のものでなく、ヤンゴンで買おうと思っていたのだがここでも徒労に終わった。僕は歩き回って疲れ果て、諦めて帰ることにした。

事務所に帰り荷物をまとめ、午後7時前に車で空港へ出発。今晩22:10の全日空機で、僕は日本へ一時帰国する。28日土曜日まで、2週間の日程だ。2週間の間ずっと休んでいたいのだが、シンポジウムやら報告会やらで何かと仕事をしないといけない。体調はまだ良くないので、病院にもいくつもりだが、健康診断だけになるかもしれない。
ヤンゴン空港では、以前と比べてだいぶお土産屋が増えた。だが、まだまだ寂しい国際空港である。
全日空機は定刻22:10に離陸。機内では、ほとんど一睡もできなかった。見た映画は、第2次大戦中にドイツ軍の暗号エニグマを解読したイギリスの数学者の話『イミテーション・ゲーム』(シャーロックでブレークしたベネディクト・カンバーバッチ主演)、それから『ガリレオ』。あとバラエティの『水曜どうでしょう』。
2015/3/12 (Thu.)
ヤンゴンへ 暑い・晴れ@パアン
 
見た目オンボロだが乗り心地抜群のバス(左)

2週間の一時帰国のため、今日ヤンゴンに上がる。午前中は、昨日に引き続き、ADRAというNGOが主催するシンポジウムに参加し、一旦スタッフハウスに帰って昼飯をかき込む。12:15、スーツケースを持ってバスターミナルへ。ヤンゴンまでのバスは見た目オンボロの日本製だったが、これが見た目とは段違いに乗り心地がいい。内装も古かったもののシートのクッションは柔らかく体にフィットし肌さわりも良い。そして何と言ってもミャンマーの凸凹道に対するサスペンションの聞き具合が素晴らしい。揺れを吸収して快適な乗り心地。さすが日本車の品質と耐久性は段違いである。こんなに古いバスでもこの乗り心地。
2009年に初めてミャンマーに来た時、韓国製のバスがマンダレーとバガンの間でエンコして炎天下の中を歩かされたことを思い出す。

日本製品の本当の品質は、このような過酷環境でこそ初めて他との差別化ができるのかもしれない。日本や先進国では、道路は高品質なアスファルトで舗装され、車は快適な環境でしか走らない。過酷な環境と言えばせいぜい低温や氷雪くらいか。
ここミャンマーでは、道路は悪いわ、砂埃はすごいわ、年中暑いわ、ガソリンは劣悪だわ、で、車にとって相当に過酷な環境が揃っている。それでも、10年、20年落ちの日本車は頑張って走っている。日本製品の品質神話も、まだまだ捨てたもんじゃない。

午後1時にパアンを出たバスは、夜8時にヤンゴンのアウンミンガラーバスターミナルに到着。私の団体のドライバーが迎えに来てくれた。

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