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ミャンマー日記(2014年11月)
2014/11/30 (Sun.)
バンコクへ 晴れ@ヤンゴン、曇り@バンコク
 
ヤンゴンのバスターミナルで買った小みかん。こう見えて甘い。
 
ミャンマーの道端では、このようにペットボトルに入れられてガソリン
が売られている。多くはバイク用である。
とにかくそこらじゅうをバイクが走っている。
 
パアン→ヤンゴンのバスの休憩場所

朝10時半発の飛行機でヤンゴンからバンコクへ。わずか1時間ちょっとで到着。バンコク時間で12時過ぎ(バンコクはヤンゴンから30分進んでいる)。
スワンナプーム国際空港に降り立ち、外に出てタバコを吸う。ヤンゴンよりも暑く、何よりも湿気が多くじめっとしているのが明らかだ。
空港の銀行で両替する。日本円を持っていたので、今円安とはいえ、ドルを使うのももったいない気がして(ミャンマーでは日本円はほとんど両替できない)、とりあえず2000円分だけバーツに換える。

空港では、保険会社と提携している医療アシスタンス会社が手配したハイヤー会社の担当者が、僕の名前が書かれたボードを持って待機しているはずだったが、どうしても見つからない。指定された待ち合わせ場所の周りを延々と行ったり来たりする。1時間以上そうしていたが見つからないので、仕方なく空港の無料インターネットを使い、パソコンでアシスタンス会社にメールで状況を連絡する。自分がいま座っている場所を伝え、探してくれるように頼む。

僕は空港の椅子に座って、長い間待っていた。隣には、黒人のおじさんが座っていた。前を通り過ぎる人々をぼんやりと眺めていると、すぐにあることに気づいた。前を通り過ぎる人たちは、ほとんどが、僕の隣の黒人のおじさんに気づき、そして見つめるのである。それはまるで、大平原で珍しい動物を見つけた時のような視線である。僕には目をくれもしない。これが、黒人の立ち位置というものを象徴している。彼らは、ホモ・サピエンスの中で、外見が大きく異なるのである。だから目立つ。自分と違うものに目が行くのは、人間の好奇心のためか。昔日本人が初めて白人を見た時も相当驚いたと思うが、黒人を見た時はそれ以上だったろう。僕はそうだ。
こんなことは言わずもがなのことであろうが、僕はバンコクの空港で、この黒人のおじさんの横に座ることによって、この事実を思い知らされる。僕のように旅を通して黒人を見慣れた人間でも、知らず知らずのうちに見ているのかもしれない。ここがナイロビやダルエスサラームの空港なら特に起こらない現象だろう。ここはバンコクであり、アジア人や白人の中に混じって、黒人は少数であり、相違が目立つのである。

ハイヤー会社と連絡が取れたのは、もう6時に近かった。5時間以上も僕は待ち続けたことになる。この会社の態度には心底腹が立った。待ち合わせ場所が事前に聞かされていたところと違うばかりか、近くにいながら、奴らはほとんど僕を探そうしていなかったのだ。僕の名前の書かれたボードを持って一度でも僕が座っている椅子の前を通ったならば、すぐに僕は気づいただろう。しかも、アシスタンス会社を通して、僕がどこの椅子に座っているかということを伝えていたにもかかわらず、である。彼らは謝罪も何もしなかったので、僕は切れた。「おめぇら、何してたんだよ、5時間も?」
激高する僕を見て、彼らはただ苦笑いするばかりだった。こんなに無責任な人間たちに会ったのは久しぶりだ。
結局、その夜泊まることになっているホテルに着いたのは、もう7時近かった。12時過ぎに空港に着いていながら、である。

その晩、ホテル近くの街を歩く。ホテルのある場所はバンコクの中心部で、あたりにはたくさんの店やレストランがあるが、屋台以外に、大衆食堂的な安い店は皆無だ。大通りには、マックが異常な頻度で現れる。バーガーキングやピザハット、アメリカ帝国の植民地さながらの風景が広がる。ちなみに、ヤンゴンにはこれらのものは一切ない。
バンコクの街に来たのは3度目か4度目くらいだと思うが、ヤンゴンとは比べ物にならない大都会である。夜の光の量が違う。クリスマスが近い季節柄もあるだろうが、あらゆる建物はきらびやかな電飾で過剰に飾られている。停電とは縁がない街のようだ。車道の幅も違う。道路は立体交差で空中を走る。ところどころに屋台の雑踏があるので東南アジアの面影はあるが、セントラルワールドあたりの大規模ビルとショッピングセンターだけ見ていれば、局部的には東京の風景と変わりはない。
この街にもあらゆる人種の人間がいると思われるほどに色々な人間がいる。世界中の人間が集まっているようだ。ニューヨークに行ったときもそう思ったが、ニューヨークよりもバンコクの方が色々な人種がいるような気がする。アジア人、白人、黒人、中東人。ここには中東系の人が多いように見受けられる。
東京と大きく異なる部分である。

結局長い時間歩いた揚句に、ちょっと安めのレストランを見つけ、中華みたいな料理とご飯と米の麺を頼む。内容はしょぼかった割に、全部で270バーツもした。

明日から病院で検査が始まる。
2014/11/27 (Thu.)
停電が減った。再びヤンゴンへ 晴れ@パアン
 
ヤンゴンのバスターミナル

もう雨は全く降らなくなった。そして、1か月くらい前からだろうか、めっきりと停電が減った。日中は短時間の停電が時々あるが、それでもだいぶ頻度が落ちた。夜間は、昔はしょっちゅう停電だったが、今ではめったに停電しない。電力供給が改善したのだろうか、それとも季節的なものなのだろうか。日本的な感覚でいえば、一番暑い時期に冷房の需要が増大し、それに伴い必要電力量が増大することが考えられる。が、僕がこちらに来た3月以降、一番暑い4、5月を経て、その後9月くらいまではコンスタントに停電していた。
よく分からないが、何はともあれ、停電が少なくなったのは朗報である。

例の病気治療の件、実は今の時期、仕事が最高潮に忙しいのだが、身体を壊しては元の子もないので、断腸の思いで職場を離れることを決断する。
僕はバンコクで精密検査と治療を受けることに決めた。バンコクは医療レベルは東京と同等であり、東南アジアの感染症であれば、バンコクの方が多く症例を持っていよう。保険の内容も、渡航費として全額カバーされるのは、最短の医療先進地までであり、それはすなわちバンコクである。つまり、ヤンゴンからはバンコクまでの飛行機代しか出ないのだ。東京まで行く場合、差額が自己負担となる。そして、東京は遠くて、きっと今の時期、寒い。

バンコクへ向かうべく、パアンから車でヤンゴンへ。
2014/11/23 (Sun.)
シトウェ出張と病気発覚 
 
船を散らした海
 
ミャンマー西海岸、ベンガル湾の青い海
 
海岸沿いのシトウェの空港に降りる

11月18日火曜日、バスでパアンからヤンゴンに向かう。始めてヤンゴン行のバスに乗ったが、バスはオンボロでもなく豪華でもなかった。現代(ヒュンダイ)だったので、「大丈夫かなぁ」という思いがちらりとかすめる。2009年にミャンマーを旅行した時、マンダレーからバガンに行くバスが途中でエンコし、バスを乗り換えるために炎天下の中を歩いたのだけれど、その時のバスが韓国製だった。

パアンを8時に出て、途中12時前に昼食休憩があり、ヤンゴンのバスターミナルに着いたのは午後2時45分。所要7時間弱。これで8000チャット(約800円)なので、若干高めだが、まぁこんなものだろう。何度も書いているが、このような物価の国における僕の中でのバス料金の基準は、「1時間=1ドル」である。よって、7時間=7ドル(700円)である。

バスを降りると、僕の団体のヤンゴン事務所のドライバーが、僕を待っていてくれた。その車で病院へ向かう。インターナショナルSOSという、外国人医師のいる病院で、ヤンゴン在住の外国人が多くかかる病院である。僕が行った日も、日本人、白人などたくさんの外国人が外来に来ていた。

実は最近特に体調が優れなかったので、ヤンゴンで一度診てもらおうと思ったのだ。毎日頭が重く、37℃前後の微熱があり、頭がボーっとして働かない状態だ。もっとも、この日記を真面目に読んでいる人ならお分かりだろうが、実はこの症状は今に始まったことではなく、すでに4月の水祭り後以降、ずっと僕を悩ませ続けている。だが特にここ数週間は特に夕方になると頭が熱を持ち、仕事どころではなくなってきたので、さすがにこれはまずかろうと重い腰を上げたわけである。

結局この18日には診察のみで終了。明日の朝再び来て、血液検査やその他検査することになった。

19日朝、病院で検査。血液採取、胸部X線撮影、尿採取。1時間後くらいに、血液検査結果の速報。とりあえず今のところ測定が終わった項目においては問題なし、とのこと。今日はこれでおしまい。

その後空港へ向かい、シトウェ行の飛行機に乗る。今日から3日間、シトウェに出張する。
シトウェは2回目。ミャンマー西部、ラカイン州の州都である。最近、韓国人の国連事務総長の発言のおかげで、ここラカイン州ではまたデモの不穏な気配が漂っていて、今回の出張では、日が暮れたら外出を控えるようにとのお達しが出ている。
※注:ラカイン州では、イスラム教徒と仏教徒との間で、長年衝突が続いている

ヤンゴンを飛び立った飛行機は、一度タンドウェに着陸する。再び飛び立ってシトウェへ。ラカイン州は、ベンガル湾とバングラデシュに接している。鮮やかな青い海が飛行機の窓から見下ろせる。漁船だろうか、岸に近いところの海面におもちゃの木箱のように浮かんでいる。

シトウェでの3日間は何事もなく過ぎ、21日金曜日の午後、飛行機に乗ってヤンゴンに戻った。

翌22日の朝、再び病院へ。実は僕は担当医師からメールをもらっており、どうも血液検査の結果が芳しくなかったようだ。なにやら甲状腺の機能が異常になる病気だとの診断である。ネットで後日調べてみると、この病気の症状は、体重低下や多食、だるさ、微熱が続く、暑さがこたえる、などであり、今の、いや、ずっと続いている僕の症状に割と当てはまる。ただ、当てはまるものもあるし、当てはまらないものもある。
医師は、ヤンゴンで適切な治療をするのは難しいので、バンコクか東京で精密検査を受け、その後その検査結果に従って治療を受けてはどうか?と僕に提案した。保険などの関係もあるので、僕は考えてみます、と答えた。ま、病気ということになれば、どこかで治療を受けねばならないだろう。要はバンコクなのか東京なのか、という問題だ。

おかしな話だが、実際、病気であるということが分かって、正直ホッとした。「何も異常なし」という結果だと、今の体調不良をどのように理解すればいいのか、困惑しただろう。だが、あまり筋のいい病気でもないようなので、ホッとしてばかりもいられない。何しろ病気なのだ。今までの人生、僕は病気にかかったことなどほとんどないというのに。

翌23日の日曜日、僕は再びバスに乗ってパアンに戻った。

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