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ミャンマー日記(2016年10月)
2016/10/28 (Fri.)
送別会再び 晴れ時々曇り@パアン 
 

今日は今月末で辞めるスタッフの送別会。
今月、二人目の退職者。いずれも優秀な人間だっただけに、責任者の私としては残念である。

二人ともパアンの出身ではなく、一人はヤンゴン、一人はミャウー(ラカイン州)が故郷。
家族が故郷に住んでおり、パアンには単身赴任で来ている。家庭の事情で妻や子供と近くに住みたい、というのが彼ら共通の退職理由だ。
家族の体調とか仕事とか、のっぴきならない事情があるようである。
そういわれると私としてはぐうの音も出ない。引き止めるわけにもいかない。

これからの彼らの活躍を期待する。

この田舎の食堂の米麺は、なかなかいけた。
2016/10/27 (Wed.)
スポーツ大会、まだまだ豪雨 晴れ時々曇り時々雨@パアン 
 

雨はだいぶ減った。しかし、まだまだ豪雨は激しい。
10月26日から、我々の技術訓練学校では、放課後にサッカー大会を開催した。訓練生と職員が一緒になって混成チームを組み、4チームのトーナメント戦。

私も10分ほどプレーしたが、とにかくグラウンドが凸凹で全くまともにボールを扱えない。このひどい環境で、訓練生たちは裸足でサッカーをする。大したものだ。
10人中一人か二人、靴を履いている生徒もいる。金持ちなのだろうか?

27日は途中で雷鳴が鳴り出し、大雨となる。ハーフタイムにものすごい炸裂音を残して雷が近くに落ちた。みんな思わず地に伏せたほど近かった。
しばらくして雷は遠ざかったようで再開したが、雨は相変わらず激しい。よくやるわ、みんな。


サッカー大会映像(1)
サッカー大会映像(2)
サッカー大会映像(3)


賞品は、現金。優勝チームから4位チームまで、成績に応じて金額が決まる。もちろん、メンバー全員で分ければ大した額ではないが、
賞品が品物でなく現金であるというのも、ミャンマーの習慣なのだろう。
2016/10/22 (Sat.)
ミャンマーの品質 晴れ時々曇り時々雨@パアン 

食器洗い用スポンジ。上の部分が1週間ほどではがれる

タイ製の100%洋ナシジュース 

日本人の僕から見ると、ミャンマーでは様々な「質」が低い。

モノの質、品質。これは日本と比べようもない。ただ、当然その分安い。いわゆる安かろう悪かろうである。
例えば食器を洗うスポンジ。韓国製のものを買ってみた。日本のそれと同様に、柔らかいスポンジと堅い薄いスポンジの2層型であるが、この硬い薄皮部が1週間も使わないうちにはがれて分離してしまう。3つ入りで1000チャット(約100円)くらいしたから、そんなに安くない。日本の100均で買える品質とも比べ物にならない。
ボールペンもノートもイマイチ。ひどいのは付箋。日本で僕は商品名で「ポストイット」と呼んでいたが、粘着部のついた付箋である。中国製の付箋は、肝心の粘着部が全くひっついてしまっていて、ポストイットとしての機能を果たさない。こんなものを買わされたミャンマー人は怒らないのだろうか?

僕の住むスタッフハウスにはガスコンロがあるが、このガスの品質も悪いのだろう、降りパンや鍋の底がすぐに煤で黒くなる。フライパンの品質も悪いだろう。フッ素加工なんてあるのかしら。
車のガソリンの質も低いと聞く。車が不調になる原因の一つだという。

パアンでは、タイが近いせいもあり、モノが豊富なタイの製品があふれている。食品、洗剤などの日用雑貨。また、中国製も多い。韓国製も少しある。これらに共通しているのは、品質が低く、安い、ということである。
もっとも、ミャンマー人たちは、この品質の低さをさほど嘆いている様子でもない。
「こんなものよ」と考えている人がほとんどであるように見受けられる。
高い品質の商品、「良いもの」を持ったことがないからかもしれない。
まぁ、価格は安いので、仕方がないともいえるのかもしれない。

サービスの質も最低だ。というか、「サービス」というものに対する感覚が全く違う。
日本人の僕は、「サービス」とは、お金を払ってその分の価値を受け取る行為だと思っている。「サービスに支払った金の分の対価は必ずいただく。それが当然」というごく普通の考え方がここにはないかのようである。

この国では、車の修理とか、電気工事とか、業者に金を払うが、修理したのに、工事完了したのに、すぐに不具合が発生する。スイッチが付かなくなったり、車が同じトラブルを起こしたり。
これまたミャンマー人たちは、すぐに壊れるようなサービスに直面しても、割と平然としている。「こんなものよ」
これらの技術的サービスは、技術者の能力がいかんせん低いことに起因している。技術者の能力くなんてそんなもん、それをどうこう言っても仕方ない、とミャンマー人は悟っているのだろうか。

ミャンマー人というのは、どうやら大らかな国民らしい。もしくは、我慢強いのか。我慢強いのは本当だろう。これまでずっと軍政の制限下でずっと抑圧されてきたのだから。
金、サービスの価値というものを厳密に設定したがる資本主義にまだ染まり切っていないミャンマー人も、きっと近い将来、そういう価値観、弱肉強食の世界に身を投じていくことになるのだろう。好むと好まざるとにかかわらず。

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