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冬季オリンピックを見て
2006年2月
トリノで開催されている冬季五輪を見て思うこと。
みんな気づいていると思うけど、オリンピックっていうのが地球上どこでも行われているスポーツ競技の地球最強を決める大会と定義するなら、この冬季五輪というのはオリンピックじゃなくて、先進国スポーツ大会って感じだよな。実質的な出場国はヨーロッパ、北米、日本、韓国、中国、豪州その他数カ国。アフリカ、中南米、東南・南・西アジア、大洋州の国の選手はほとんどいない。
だいたい雪とか氷とかが身近にある国ってのは基本的に高緯度にある国であり、その地域は先進国と呼ばれる国が多い地域に符合する。低緯度にある暑い地域、ここには発展途上国と呼ばれる国が集中しているのであるが、そこには雪や氷など影も形もない。ウィンタースポーツなんぞ生れてこの方やったこともない、見たこともない状態だろう。あまつさえ、スキーとかスケートとかいうスポーツは、ウェア、板、靴等金のかかるスポーツであり、貧乏な人間にはやる気も起きない。昔『クールランニング』という映画が流行って、今回もアフリカや南米から数人の選手が来て「参加することに意義がある」的涙ぐましいオリンピック精神を発揮しているけれど、だいたい自分の住む環境に雪も氷も存在しないところの人間がやっても不自然だよ。自国にそのスポーツを紹介しようにも雪が降らないところなら出来ないじゃん。
このようなウィンタースポーツの大会を、”五輪”と言っちゃっていいのだろうか?世界中の人間達が平等公平に参加できるスポーツを実施することが、五輪の本来的な意義であるはずである。例えば、リュージュとかスケルトンなんて、地球規模で考えれば誰も知らないでしょ?(簡単に言うと”そり滑り”なんだけど。)バイアスロンなんて、そんなもん雪国の狩猟民族でなけりゃやらないって。これらは、ヨーロッパでは人気があるのかもしれないけど、実際は世界中のごく一部でしかやってない競技なのである。野球とソフトボールが2012年ロンドン五輪から正式競技から外されるそうだけど、競技が行われている国が少ない、とりわけヨーロッパで人気がない、というのがその理由だという。競技が行われている国・地域が多いか少ないかっていう、競技の普及度的基準からいけば、冬季五輪のほとんどの種目もなくなってしかるべきである。
(余談だけど、日本や韓国発祥の柔道や空手やテコンドーなんていう格闘技は、かなり世界中に浸透していると感じる。私がいた南米の小国エクアドルでも、これらの格闘技の道場が結構あるし、人々も知識としてそれらを知っている。)
要は五輪っちゅうもんは、その成り立ちからしても、結局はヨーロッパのゴリ押しの論理に従っているヨーロッパ絶対主義の延長なのである。または一部の先進国のためだけの、金儲けの商業主義か。
まっ、このまま地球が温暖化していったら雪や氷がどんどんなくなっていって、ウィンタースポーツも地球から絶滅し、冬季五輪も消滅するでしょう。いつになるかわからないけど。
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