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ペットは幸せか?
2003年5月
2002年12月8日の晩、実家の愛犬「ジロ」が亡くなった。(余談であるが、12月8日とはジョン・レノンが凶弾に倒れた日と同じである。)
年齢は、17歳と半年。人間で言うと優に90歳を超える高齢であった。私が子犬のとき外で拾ってきて以来、最後まで病気らしい病気もせず、死ぬ前日まで散歩をして、それほど苦しまずに逝ったのはよかった、と前向きには考えたものの、しばらく3日間くらい、夜一人になったとき涙が止まらなかった。(年とともに涙もろくなっているのは間違いないことだが、親しい人や動物が死んだとき、生前彼らと交わしたコミュニケーションの深さ・時間的な長さに比例して悲しみは襲ってくる。)
犬にしては相当な長生きで、天寿を全うしたともいえるが、「果たしてジロの人生(犬生)は幸せだったろうか?」と考えてしまう。
室外犬であったので、ずっと綱でつないでいたのであるが、一生そうした状況で果たしてペットは幸せなのか。
だが、そもそも「ペットは幸せか?」なんて考えること自体人間中心の考え方であって、「ペットにとっての幸せ」が「人間の幸せ」と合致しているとは限らないのである。また、もっと根本的には、人間に隷属するようにさせているペットのことを幸せかどうかなんて考えるのは、自分の奴隷を作っておいて、彼にご機嫌を伺うようなものだ。
最近、アザラシのタマちゃんが話題になっているが、タマちゃんを強引に捕獲しようとした団体と、静かに見守る立場を取る人々との間には、こんな会話があった。
【静観派】お前ら、捕獲なんかせずにそっとしておきなさいよ!
【捕獲派】いや、もともと北極圏に住むアゴヒゲアザラシがこんなところに流れてきてしまったのは、環境が違いすぎて不幸なんです、一刻も早く北の海に帰さねばなりません。
【静観派】自然に任せてここに来たんだろう、大体お前アザラシじゃないのに、何でタマちゃんの気持ちが分かるんだよ?
【捕獲派】いや、そんな無責任なこと言ってちゃダメでしょ・・・。
・・・云々かんぬん・・・
要するに、動物が幸せかどうかなんて考えるのは、すべて人間の主観からしか考えられないのであって、彼らがどう考えているか分からない以上、彼らが幸せかどうかなんて分からないのである。
(もちろん、毎日を食うか食われるかで過ごす野生動物とはペットは根本的に立場が違う。ペットになっている動物には、人間に近づきすぎて、飼いならされてしまったゆえの不幸があるわけである。まぁ、人間に食われるために育てられる、鶏やブタや牛や羊よりは、寿命まで生きられる分幸せであろう。)
それでは、「人間にとっての幸せ」=「動物の幸せ」だと仮定すると、ペットは幸せだろうか?
まず、「人間の幸せ」を定義するのが難しい。人それぞれだからである。まぁ、ただ、最低限のことを言えば、「毎日食べるものがあって、雨風しのげる場所があって、死なずに生きていけること」であろう。その次の段階が「自由があること」だろうか。その上で金とか、名誉とか、家庭とか、人それぞれに幸せの「形」がある。
その意味では、ペットは、飼い主がまともであれば、毎日飯を食えるので、野良犬・猫よりは死ぬ確率が低く、長生きできるので幸せだ。だが、毎日綱につながれていたり、家に閉じ込められていたりするので、野良犬・猫より自由はない(もっとも、野良犬は自由があるとはいっても、人間に捕まって保健所に送られたら終わりである)。そうなると、散歩をさせることが大事であろう(猫の場合は分からないが、犬にとっては「散歩すること」が一日のうちで一番楽しいことである)・・・等々。
結局、人間に隷属するしかないペットは、人間次第で幸せにも不幸にもなる、ということなのだろう。飼い主は、「1個の生命」を預かるわけであるから、彼らの幸せを考えるのなら、自分の子供を育てるような気持ちで彼らに接することができるかが重要だ。ただ難しいのは、人間としてはペットに愛情を注いでいるつもりでも、ペットの方が本当にそれを気分良く思っているかは分からない、ということだ。
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