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エクアドル日記
(2003年12月)
12月8日(月) 

とうとうエクアドルへの旅立ち。朝、郵便局でエクアドルへ向けて荷物を送る。ダンボール4箱。船便だから到着まで1ヶ月はかかるだろう。そして携帯電話を解約。僕の携帯が通じなくなって、僕の知り合いはみんな心に穴が開いたような寂しい思いをするんだろうな・・・(笑)。
昼過ぎ、箱崎TCATに集合後、リムジンバスで成田へ。
17時30分発バンクーバー経由メキシコシティ行きの日航機へ乗り込む。
ついにこの日が来た。ここには2年間戻っては来ない。
この時僕の胸に去来したものは・・・・・Nothing!

この飛行機には、エクアドル隊のほか、パナマ、ニカラグア、エルサルバドル隊も乗っている。青年海外協力隊員が、世界各国に散らばっていくわけである。

15時間かけてメキシコシティに無事到着。日付変更線を越えているので、日付は12月8日のまま。到着時刻は17時。空港に隣接したエアポートヒルトンにて1泊。

12月9日(火)  晴れ(メキシコシティ)

空港からの外出禁止令が出ていたにもかかわらず、朝食後、僕とモロちゃんはメキシコシティの街中へタクシーで出かけた。

ソカロ(メキシコシティ)

ここまでせっかく来たのに、メキシコシティの街を見てかないテはない!
空港から、渋滞の中40分かけてメキシコシティ中心部(Zocalo)へ。
メキシコシティと言えば、世界でも有数の大都市だ(人口2000万人)。そして凄まじい公害(大気汚染)で悪名高い。
しかし、僕らが行ったメキシコシティ中心部には、メキシコらしい喧騒は感じられなかった。歴史ある美しいコロニアル調の建物と巨大な教会。そしておしゃれなカフェで一服。そうやってのんびりしているうちに、フライトの時間があっという間に迫ってきた。
「やべぇ!」
しかし、帰りのタクシーの運ちゃん、メチャメチャいい奴やった!俺たちが「急いでる」と告げると、彼は愛車のフォルクスワーゲン・ビートル(メキシコにはフォルクスワーゲンの工場があったため、旧型フォルクスワーゲン・ビートルがたくさん走ってる、特にタクシー)で炎の走りを始めた。行きに40分かかった道のりを、帰りは何とわずか15分で空港に到着!Muchas Gracias!


午後2時の飛行機で、エクアドルの首都・キトへ。5,6人の協力隊員の機内持ち込みの荷物が、オーバーヘッドストレージに入らなかったため(何しろ、俺達の荷物ってデカイんだよね、2年間分だから。)、預け入れ荷物と同じ貨物室に載せることに。もちろん、いやな予感は的中!
この飛行機はパナマのパナマシティ経由だったんだけど、パナマシティで何と俺の荷物がターンテーブルを回っていたのだ!あれほど「この荷物はキトまで頼むよ!」って空港係員に念を押したにもかかわらず。
えっ、どうしてそれが分かったかって?
そう、俺達はただのトランジットなので、ゲート前の待合所で待ってたんだけど、パナマ隊の誰か(ちなみに、パナマで働く協力隊員は今回5名)が、俺の荷物が出てるのに気づいて知らせてくれたのである。MUCHAS GRACIAS, OTRA VEZ!!

キトの空港に到着した我々

ていうことで俺のバックパックはパナマで路頭に迷うことなく、何とか俺の手元に戻ってきた。

そしてパナマシティからキト行きの飛行機に再び乗り込む。
1時間半後の午後9時過ぎ、ついに俺達は、念願のエクアドルに降り立った(右写真)。空港では、協力隊エクアドル事務所の人が出迎えてくれた。
「ようやくここまでたどり着いたか・・・。」
思えば協力隊の1次試験を受けてからちょうど1年だ(1次試験は、2002年12月8日だった)。エクアドル派遣が決まってからももうすでに9ヶ月以上が経過している。
様々な感慨を胸に、空港からバスでホテルへ向かった。明日は一日中キトでオリエンテーションを受ける。

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