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エクアドル日記(2004年2月)
カルナバル狂想曲(2) 〜マチャラ、ペルー国境へ〜
2月23日(月) 雨後晴れ
朝から天気が悪い。雨が降っている。朝のマチャラのセントロは、まだ人影もまばらだ。と思ったらメルカドは凄い賑わいだった。びっしり出た露店と買い物客の間を縫うように歩く。クエンカのメルカドでは見られな
いものが多い。特に海産物。えびが大きなボールいっぱいに入っている。
そうこうしてるうちに天気も回復してきて、お日様が出てきた。俺はバスに乗ってビーチへ行くことにした。だが、乗るバスを間違えて、何やら山の中の渓流にたどり着いてしまった。ビーチ「Playa」に行くつもりで、たくさんのバスが数珠繋ぎに止まったバス乗り場で、車掌と思われる男
達が、「Playa、playa!」と叫んでいたので、てっきりビーチに行くバスだと思って乗り込んだのだ。何しろ今はカルナバルで、ビーチに行く人も大勢いるだろうし、バスの乗客はみんな海に行くような格好(ビーチサンダルにビーチボールを
抱えた)の親子連れや若者グループばかりだったから、これは間違いない、と思って乗り込んだ。だが、それらのバスは、Limon Playaという渓流の川遊びが出来る場所に行くバスだった。間違えても仕方ない状況でしょ。
でバスの中はというと、なぜか黒人の乗客が多かった。親子連れ、少年達。俺の隣にも、小さな女の子を連れた黒人のお母さんが座った。エクアドルに来てこれだけまとまった黒人の人達を見るのは初めてだ。
バスに乗っていると、外にいる子供達の執拗なまでの水攻撃にさらされる。各々マイ・バケツやマイ・水鉄砲やマイ・水風船を手に道端に待ち構えた子供・若者達は、バスが通るたびにバスの開いた窓に向かって一斉射撃を開始する。バスの乗客は慌てて窓を閉める。それでも被弾してしまった時はバスの中が水浸しになるのだ。想像してみてほしい、バケ
ツでやられたらひどいよー。
カルナバルにおいて、バスは格好の標的なのである。ゆえにどのバスも囚人護送車よろしく、みんな窓を閉め切って走るようになる。35℃以上あるコスタではこれはツライ。暑いのよ。バスに冷房なんてついてないからさ。かといって窓を開けたら予期せぬ水浴びをする羽目になる。バスが窓を閉め切って走っていると、「窓開けろよ!」って外で悪態をつくガキもいる。
これって信じられる?道を走ってるバスに向かって、みんなが水をかけまくるんだぜ?これぞ南米!
マチャラに戻るバスに乗ったら、途中一人また一人と乗客が降りていって、サンタ・ロサで俺だけになった。そしたら細い道に入ってバスは止まり、エンジンが切られてしまった。
「おいおい、俺マチャラまで行
きたいんだって言ったろ。」
「ちょっと待っててくれ。」
って車掌の若者は言う。そしたら何と、運転手と車掌の若者は、目の前の家に入っていって、中にいるおじさんおばさん達と飯を食い始めるではないか。おいおい、どういうことだよ、俺の立場は?
どうやらエクアドルでは、『個人タクシー』ならぬ『個人バス』があるようだった。こいつらもそれで、自由気ままにバスを走らせている感じなのだ。だけど外観は普通の路線バスと全く変わりはない。
それにしても俺もナメられたもんだな〜、とあきれ返っていると、バスに家の子供達が乗り込んできた。
「このバスはあなたのですか?」
「違うよ、俺はただの乗客さ。」
子供達は例のごとく俺に興味深々だ。色々子供達と話してるうち、どうやらここは車掌の若者の家で、運転手のホルヘを食事に誘ったようであることが分かった。子供達の写真やビデオを撮ったりして遊んでいるうち、俺の怒りはどこかに消えて行った。
「これが南米だ。」
乗客がまだいるにもかかわらず、路線バスが途中で止まって、運転手と車掌が飯を食い始める。長距離バスの休憩時間じゃないんだからさ〜。マチャラまで行く客が俺だけだったのが、運が悪かったと思うしかない(笑)。文句を言おうと思えばいくらでも言えるんだけど、別に急いでマチャラに帰らなくちゃいけないこともなかったし。
奴らに悪意がないんだから、とやかく言ってもしょうがないんだよね。インドと同じように、自分の常識をここで押し通そうとしたら、すぐに南米が嫌になってしまうに違いない。南米仕様に頭が切り替わってきているのか、それとも自己防衛本能なのか、いずれにしてもちょっとやそっとのことでギャーギャー騒ぐことはなくなってきた。
20分くらいで奴らは飯を食い終わり、バスはマチャラへ向けて再び走り出した。途中また乗客を乗せながら、そして子供達の水攻撃にさらされながら、バスは30分ほどでマチャラに着いた。マチャラの気温は37℃。どうりで暑いはずだ。しかもジメジメしてる。ここマチャラにも協力隊員は4人いるんだけど、ここに毎日住むとなるとツライね〜。
その後、プエルト・ボリーバルっていう、桟橋のある海岸に行ったんだけど、全然ビーチはなくて拍子抜けした。多分ボートで向かいの島に渡るとあるんだろうけどね。
もう暑くて死にそうだったな。飯を食った後、店先で酒飲みながら踊っているオヤジに声をかけられた。「写真を撮れ」って言うのだ。で彼らの写真を撮ってあげると、ウィスキーの水割りを飲め飲めって勧めてくれた。で俺が飲み終わると両手を大きく広げ、
「アミーゴ!」って叫んでる。俺は奴と固く抱きしめあって(笑)、その場を離れた。全く南米人って奴は。
クエンカ行きのバスが発車したのは午後3時45分。帰りはほぼ3時間で、夜7時にクエンカに到着。いきなり寒い。「寒い」なんて言葉を発するとは、つい3時間くらい前は考えられなかったことだ。多分気温は10℃ちょっとだろう。この引き締まった張り詰めたような空気。これが人に労働させる気を起こさせるのかもしれない。もし俺がマチャラに赴任してたら、きっとこう思ってただろうな。
「あぁ、この国の人間が怠け者なわけがよーく分かった。この暑さじゃ働く気なんか起こりっこない。冷房もないし。」
「途上国」と呼ばれる国は、年中暑い国が多い。過酷な暑さの中一生懸命働こう、なんて気は起こりにくいよな〜、と妙に納得した。夏は暑くてもいいから、せめて日本のように四季のメリハリがあればいいのに。
こうして、冷気に包まれた夜のクエンカのテルミナルで、俺のカルナバル狂想曲は幕を閉じた。
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