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エクアドル日記(2005年2月)
2月11日(金) 夜大雨(パウテ)
2月12日(土) 朝昼晴れ後曇り後夜大雨(パウテ)
2月13日(日) 朝昼晴れ後曇り後夜大雨(パウテ)
DIA 1
2月11日、金曜日。夜8時、大雨が降るパウテのカバーニャにクエンカ麻雀部会正会員5名、−つまり、俺、マッちゃん、ムロさん、大将、モロちゃん−が、にぎにぎしくいそいそと集結した。今晩から日曜の夜まで、4月に帰国するマッちゃんの送別会を行う。名付けて、「地獄の48時間耐久麻雀」。金曜の晩から日曜の晩まで丸二日間ぶっ続けで休みなく麻雀を打とうという、ルマン24時間耐久レースに匹敵する一大イベントである。。もちろん休憩を取らないと死んでしまうので、麻雀部会レギュラー5人に加え、今回はコスタの街・マチャラからマエジュンこと前田潤一敬称略が特別参加して合計6人。知らない人がいるとまずいので説明するが、麻雀は4人でやる遊びで、1回のゲーム(半チャンと呼ぶ)に平均2時間ほどかかる。6人いるということは1回ごとに2人が入れ替わるので、常に2人は1ゲーム(つまり2時間ほど)の間は休んでいられるという計算である。ただし、マエジュンが来るのは土曜の午後。さらには土曜午前中はモロちゃんが仕事なので、金曜の夜中〜土曜の午前中いっぱいはモロちゃん抜きで4名の戦い、つまり休むことができない。
午後9時半。我々は瓶ピルセネール(ビール)で乾杯し、クエンカ協力隊始まって以来間違いなく一番愚かで無謀でワクワクするこのイベントの開始を自ら宣言した。4人がおもむろに卓につく。いよいよ戦いの火蓋が切られたのである。我々は、この未知の試みが今後どうなるのか全く想像できないまま、終わりのない超持久戦の真っ只中に身を投じていった・・・。
数半チャン終わって夜中の12時を過ぎる。雨はまだ激しい。モロちゃんが「明日仕事なので寝ます」と言ってベッドに潜り込んだ。ここからマエジュンが来るまで、4人(俺、マッちゃん、ムロさん、大将)の孤独で過酷な戦いが始まる。
だが、まだまだ始まったばかり、みんな元気だ。徹マンはもう慣れっこである。酒を飲み、牌をツモり、また酒を飲み、牌を捨てる。BGMは、キトの日本大使館に勤める領事の富樫さんが選曲した、70年代ヒット曲集CD-R。日本語の懐メロがパウテの片田舎の空気を震わせて流れ出し、その空間では怪しい日本人たちがテーブルを囲んで怪しい遊びをしている。絵になる風景だ。ジュリーや久保田早紀を聴いていると否が応にも気分が高揚して仕方ない。
DIA 2
まさにピットインなしのノンストップ麻雀で、ほどなく土曜日の朝になる。雨はやみ、日が差してきた。モロちゃんが仕事のためバスで一旦クエンカに帰った。パウテのマスターこと後藤直子が、朝飯を作って持って来てくれた。言うまでもなく雀荘にはマスターがいないと話にならない。2日間打ち続けるとはいっても、食わないとこれまた死んでしまうので、我々の飢餓を救ってくれる給仕係の彼女はこのイベントに欠くことのできない重要キャストなのだ。
朝飯後、4人は打ち続ける。マエジュンに電話して、今どこにいるかを確認。それによれば、午前中にはパウテに着けそうだということである。俺達は歓喜した。「いいぞ、マエジュン、一刻も早く来てくれ!」
勝負の方は一進一退だった。誰が大勝ち、大負けするでもなく、淡々と局は進む。いや一つだけ、大将は序盤大負けの連続だった。
昼前、マエジュンがカバーニャに到着した。俺達は歓声を上げて奴を迎える。これで5人。一人は休める。そして午後になってモロちゃんも仕事から戻ってきた。これで6人そろった。ここからは4人プレイ、2人休み。土曜日もあっという間に暮れ、夜に突入。再び雨が降り始める。24時間経過。各自疲労が濃くなってきている。休めるといっても、一半チャンは2時間〜3時間で終わるので、そのわずかな時間だけ寝て叩き起こされるのだからかえってツライ。夜中、東1局でムロさんが親マンにぶち込んでブッ飛んでいきなり終わったことがあり、その時休憩に入っていた俺とモロちゃんはわずか20分ほどで叩き起こされ、寝ぼけ眼の朦朧とした状態で卓につかされた。
この土曜の夜はかなり辛かった。時々まさに阿佐田哲也のナルコレプシーのように、打ちながら意識が遠のくことが何度もあった。捨牌を捨てた後、残り3人のツモと打牌を待っている間の静止状態時に眠ってしまうのである。だが、その睡魔との闘いともなった一番キツイ時間帯、この2日目の夜、俺のツキは絶好調だった。誰よりも早く、誰よりも大きな手をテンパり、一発でツモった。ここで俺はダントツに稼ぎ、1位を不動のものにしたといってよい。
DIA 3
土曜の夜も明けた。朝、雨がやみ再び晴れ間が覗く。最終日の日曜。麻雀はもう完全に惰性状態となっていた。休みなくマージャンを打ち、休みなく酒を飲む。このフレーズだけ聞くとかなり幸せそうな響きだが、各自の疲労は極限に達してそれどころではない。
そして、ついに今日の”そのとき”はやって来た。2005年2月13日日曜日午後5時半。丸二日にわずかに足りない、44時間の死闘は終わった。
カバーニャの食堂で、マスター後藤が作ってくれたギョーザを頬張りながらビールで乾杯。そういえばこれはマッちャんの送別会だったんだ。みんな思い出したようにクエンカ麻雀部会長のマッチャんの言葉を聞く。次期会長は大将。だがこの麻雀部会も、マッちゃんが去り、今年7月にムロさんが去り、12月に俺がエクアドルを去れば、きっと卓が立たなくなって自然消滅するのだろう。エクアドル隊員数は減少の方向である。
そうそう、肝心の麻雀結果発表。44時間、合計17半チャンやって、第1位は俺。当然の結果。大将、マエジュンまでがプラス。モロちゃん、マッちゃん、ムロさんが沈み。ここでドル紙幣がテーブルの上を激しく飛び交う。
辺りはすっかり夜の闇に包まれた。そして、麻雀後のメインイベント、バカ・ロカ(Vaca Loca)が小雨の中始まった。このバカ・ロカとは、エクアドルの祭りやイベントの際に行う一つの余興で、張子の牛の人形を作り、これに仕掛けた花火や火薬に点火し、この火花で彩られた牛を、人が担いで音楽に合わせて踊り狂うという、突き抜けた出し物である。ちなみにバカ・ロカとは「狂った牛」の意で、狂牛である。その名の通り、この牛バカロカから発射されるロケット花火は一体どこに飛んでいくのか分からないので、見ている方も命がけなのだ。
数百ドルするこの余興を、俺たちはもうすぐここを去っていくマッチャんのために用意した。もちろん火牛を担いで踊るのはマッちゃんその人である。
会場のカバーニャ中庭では、陽気だが少し陰影のある音楽、飛び散る火花、そして降りしきる雨のしずくが溶け合う。そして、マッちゃんは、エクアドルの最後を、牛と一体化して恍惚の表情を浮かべて踊る・・・。
バカ・ロカの火薬が尽き、音楽は途絶えた。これであとはもう帰るだけである。雨は降り続いている。もうクエンカ行きのバスはない。電話でタクシーを呼び、近くのガソリンスタンドまで歩く。ガソリンスタンドでヤンキーのように地べたに腰を下ろし、降りしきる雨を見ながら、みんな脱力状態。ガソリンスタンドの店員が不審に思って声をかけてくるが、「タクシーが来るまでここで待たせてくれ」といって了承される。
金曜の夜から二日間にわたった史上最長の送別会は、雨の煙にフェードアウトしていった。
麻雀デスペ ダイジェスト映像
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