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エクアドル日記(2005年2月)
2月14日(月) 晴れ後夜大雨
クエンカ・花市場のひとコマ
バレンタインデー。こっちのバレンタインは、男性が女性に贈り物を送る。花の贈り物は定番で、赤いバラが一番人気とのこと。
実はエクアドルは花の輸出国である。エクアドルの輸出品といえば、バナナとエビが有名であるが、花も隠れた輸出品なのである。このバレンタインの季節には、アメリカへの花の輸出が急増するそうだ。
さて、夜ニュースを見ていると、国際ニュースで、日本の事件が報道された。小学校に若者が侵入して教師を刺殺したという。このような凶悪犯罪が最近の日本では増加しているように感じられる。以前にも大阪の小学校に侵入した男が子供達を刺殺する事件があったし、こんな事件ばかりを見ていると、小学校という場所が今や決して安全な場所でない、外部者の入場をある程度制限しても(例えば校庭への外部者立ち入り禁止等)やむなしなのかな、という気もしてくる。
殺人事件。こちらでも治安の悪い場所での殺人事件は存在する。テレビでは、時々殺人事件のニュースが流れる。こちらの殺人事件は、大概が強盗殺人という形であるようである。強盗が目的で、殺人は手段。
日本の最近の殺人事件の質はこれとは違う、と思う。人々は、別に強盗をしなければならないほど貧困や無職にあえいではいない。殺人の動機・目的は何か?恨み、憎悪といった精神的なものが多いと感じる。ムカついたから殺した。現代の日本人は、どうしてこうも精神的耐久力がなくなってしまったのだろうか?我慢できない。すぐ切れる。よーく考えれば分かるように、この世の中、自分の思い通りにならないことばかりなのだ。自分の無力さを正しく評価できなければ、この現代社会ではやっていけないだろうに。
さらに、日本では若年者による凶悪犯罪が増加してきている印象を受ける。これも上述した日本人の精神的耐久力の瓦解と無関係ではないだろう。いや、むしろ若者層での現象が顕著だと見受けられる。原因は何か?我慢することを教えない親の教育か。簡単に切れる、とか簡単に精神バランスを崩してしまう子供達がなぜこうも増えてしまったんだろう。
話はガラリと変わるけれど、このニュースにおいて、ニュースタイトルが画面下部に出たんだけど、そのテロップは、「中国の学校での恐怖」(Terror en la escuela china)となっていた。ニュースのコメントではすべて「日本の小学校で・・・」としていたが、字幕では「中国」。正確さが要求されるニュース番組でこんな間違いは普通しないよ。要は、例によって例のごとく「日本と中国は同じ」と思ってる学のないテロップ製作者がこれを作ったに違いない。
テレビに出てる奴らでもそういう認識を平気で持ってる奴が多い。こちらのサッカー熱は相当なものだと以前紹介したけれど、民放テレビではイタリアリーグとかスペインリーグの試合を中継したり、試合結果のダイジェストを流したりする。その中で、中村俊輔が所属するレッジーナの試合の解説で、アナウンサーは中村のことを「中国人選手」と言っていた。「日本人」だろっ、アホが。オメェら試合の解説するつもりならちゃんと選手のプロフィールに目を通せよ。
近所の風景(クエンカ)
こないだは、俺の友人のエクアドル人がまたまた変なことを言い出した。
「昨日、サッカーの日本代表はドイツに0−7で負けたな。」
「何言ってんだよ、日本代表はドイツW杯最終予選で北朝鮮に勝ったばっかりだよ。」
「えっ、だって『香港』って日本だよな?」
「は?・・・・(呆れる俺)。いや、違うよ・・・。香港は、中国にある。」
俺が日本人だと知っている俺の周りにいるエクアドル人でも、平気でこう言ってくる。
「・・・・は中国語で何て言うんだ?」
だから中国じゃないんだって!この「日本=中国」の図式は、この国の人間の頭の中になかば完璧な形で定着しているのである。中国人と日本人が違う言語を使っているなんて夢にも思っていない。ほとんどのエクアドル人の反応は、判で押したように同じである。
本当にエクアドル人どもの脳内では、中国と日本が同化してるんだ。上記や今まで俺が遭遇した数々の事例を分析すると、混同しているんじゃなくて、始めから本当に同じ国だと思ってる。同じ国の違う場所だと思ってる。いや、中国と日本どころか、韓国も台湾も香港も、ヘタするとベトナムまで同一になってる。エクアドル人の頭の中を推測するとこうだ。
「日本って名前だけはよく聞くけど、どこにあるんだろう?確かアジアと呼ばれるところには中国があるよな、ほらあのブルース・リーの。きっと中国の端っこの方にある街が日本だな。日本人もブルースリーとかジャッキーチェンに顔そっくりだしな。おそらく韓国も近くにある街だろう。台湾もベトナムも、南米大陸みたいにデカイ『アジア大陸』の一つの場所なんだろうな。昨年末、巨大な海底地震がアジアであったけど、ニュースでアジアの地図がよく出てたっけ。きっとあの中のどこかに日本とか中国もあるんだろうな。だけどボク、生まれてこの方地図なんか見たことないから、どの辺りに何があるかなんて全然想像もつかないや。」
黄金の島・ジパングを目指した16世紀以前のポルトガル人やオランダ人よりも貧弱な認識だ。
エクアドルがどこにあるか日本人が知らないのとは質が違う。エクアドルと日本とでは、世界的な知名度が違うからである。ここエクアドルでも情報社会の波は確実にやって来ていて、テレビでは国際ニュースが連日流れる。日本のニュースも時々あるし、日本ではサッカーW杯もオリンピックも開かれていて、特に2002年日韓W杯ではエクアドルがW杯に初出場したこともあり、多くのエクアドル人がテレビに釘付けになったはずである。だけど彼らは、試合の映像は別として、日本の映像を、どこか遠い国で起こってる、他次元の世界の出来事として夢を見るような朦朧とした意識でしか見てなかったんだろう。「W杯の行われる日本って言う国がどこにあるか地図で調べてみよう」というごく自然な好奇心から来る知識獲得欲すら持っていないわけである。(若者の中には、新潟とか横浜とか鳥取とか、エクアドルチームが2002年W杯で試合を行った場所やキャンプ地を覚えている奴もいる。ただ、きっと奴等もただ「言葉」として覚えているだけであって、鳥取や新潟が日本のどこにあるかはおろか、そういう奴等でさえ日本がどこにあるかを明確に示せる奴はほとんどいないだろう。)
メディアでエクアドルの情報など流れない日本におけるエクアドルの立場とは違うのだ。
それにしても、この誤認は一体全体どういうことか。救いようがないのは、少なくとも俺は「日本と中国と韓国」について正確に理解しているエクアドル人に会ったことがないということと、会う奴会う奴ほとんどすべてのエクアドル人の認識が同じように間違っている、ということである。ひょっとすると、こっちの学校では社会の時間に「日本と中国は同じ国です。」って教えてるんじゃないかって想像がにわかに現実感を持ってくるよ。それとも世界のことを教える社会の時間がないのか。今度小学校教諭隊員に聞いてみよう。
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