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エクアドル日記(2005年4月)
4月2日(土) 晴れ
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世(スペイン語ではフアン・パブロ:Juan Pablo)が亡くなった。全世界10億7000万人のカトリック教徒の頂点に立つ人物の逝去である。
ここエクアドルももとスペインの植民地だったこともあり、カトリック教徒が圧倒的大多数(85%〜90%)を占めるカトリック国である。テレビでは法王逝去のニュース、彼の一生を振り返る特別番組を各局がこぞって放送している。日本で昭和天皇が崩御した時のメディアの対応と似ている。ただ、いくつかの局は通常通りの番組を放映しており、朝から晩まで特別番組を全局が放送した昭和天皇崩御時の日本に比べれば、その取り上げ方の度合いは緩やかだ。
テレビではキャスターが「みんなの父、パパ(法王の愛称)が亡くなりました」と言っている。バカ言うない、みんなの父じゃなくてカトリック教徒の父だろ。カトリック教徒以外の人間には別にたいした関係はないさ。
グアヤキルのカテドラル、もちろんカトリック教会
さて、ローマ法王といえば、現在でこそその色合いは薄まっているが、以前は宗教的権力のみならず、強力な政治力を持っていた。11世紀から13世紀にかけての中世ヨーロッパ世界において法王は政治的権力の頂点でもあった。聖地回復を謳って十字軍遠征を提案、キリスト教世界拡大のため自ら進んで戦争を起こしていたわけである。スペインとポルトガルが地球の覇権を争った15世紀〜16世紀の大航海時代には、ヨーロッパ人が新しい島や大陸に到達するたびに先住民を完全に無視してその領土を自分のものだと主張し、ローマ法王は「キリスト教の地球規模での布教」という大儀の元に、それを承認している。つまり、ローマ法王自らが、ヨーロッパ諸国による世界各地の植民地化を認めていたわけである。「侵略」を「布教」という言葉に置き換えて自己正当化をしてたわけだ。スペインとポルトガルが新大陸発見とその植民地化に狂奔していた頃、ローマ法王自身がこの2国間での植民地分割方法を定めた条約を発令している。つまり当時は、法王が政治懸案を決定する権力を持っていたわけである。まぁ、当時は宗教が政治だったようなものだろうから、カトリック教会のドンである法王が政治的権力を濫用するのはごく自然だったのだろう。
だけどさ、あんた宗教家なんだから、教会で毎週日曜日にミサでも開いてご大層なカトリックの教えを説いてりゃいいでしょうが。そんな立派な人が、先住民殺しを先頭に立ってやってたと言っても過言ではないわけだ。一体何様のつもりよ、キリスト教徒ってのは?キリスト教って、「キリスト教徒でない人の自由を剥奪して、殺してもいい。」っていう教義の宗教なんですかね?聖書にはそんなこと書いてあんの?
今日逝去したヨハネ・パウロ二世は、78年の就任当初の80年代は、共産主義体制下の祖国ポーランドの反体制運動を支持し深く政治的に関与したそうだが、東西冷戦終結後はマザーテレサ的に世界平和に尽力したし、他宗教との対話も進めたそうだから宗教改革の時にルターを弾圧したような昔の法王とは違う。彼は広島や長崎にも来て平和を訴えるスピーチをしたし、世界130カ国以上を訪れて同様の活動をしたそうである。近年の法王は、現在の日本における天皇と似たような立場であったと俺は思っている。
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